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2018年 02月 06日
日本国憲法の秘密-665- (外貨準備と貿易について)
Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)銀行家、トスカーナ大公(現:イタリア)の領事

彼はゴールドシュミット家がフランクフルトに戻ってきていた時代の主要人物である。
Bischoffsheim, Goldschmidt & Cie bank(ビショフスハイム・ゴールドシュミット銀行)の創業者。

ファミリーはマインツのおなじユダヤ系のビショフスハイム家と特に深く関係していた。ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行は共同で管理され、1863年にオランダ貯蓄信用銀行との最終的な合併につながった。近年ではゴールドスミス・ファミリーとしてロスチャイルド・ファミリーとの関係も深まっている。ビショフサイム家も同様で、ロスチャイルド家と姻戚関係である。

ビショフスハイムはドイツの地名でもあり、上記のように家名でもある。
ビショフスハイム家はやはり銀行業で成功を収めたドイツ×ベルギー出身のユダヤ系一家であるが、元々は軍事請負業者であった。
ビショフスハイム家とゴールドシュミット家が共同で銀行を創業し管理していたが、1863年にオランダ貯蓄信用銀行と合併をしている。

もういちどその近辺の歴史を振り返っておこう。

銀行券の原形となった金匠手形(ゴールドスミス・ノート)を発行していたゴールドシュミット家が1614年のフェットミルヒの反乱(ユダヤ人迫害事件)の後にフランクフルトを離れる。
1694年、イングランド銀行(イギリスの中央銀行)設立。銀行券発行。割引手形で世界屈指の金融市場となる。
1714年、イギリス王室がドイツ起源に取って代わった。
(1700年代にゴールドシュミット家がフランクフルトに戻る)
1769年、フランクフルトのロスチャイルドがヘッセン=カッセル方伯宮廷御用商に任じられる。
1816年、ナポリ王国とシチリア王国とが合併両シチリア王国となる。
1821年、オーストリアがナポリを占領し、ロスチャイルド家の4男がナポリ家を創設。
1822年、ロスチャイルド家の5人の息子にオーストリア皇帝から爵位授与。


ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行は共同で管理され、1863年にオランダ貯蓄信用銀行との最終的な合併につながった
オランダ貯蓄信用銀行は1863年にアムステルダム(オランダ)で設立された銀行であるが、1609年に設立されたアムステルダム銀行(移転・預金銀行)の後継銀行である。
アムステルダム銀行では当然まだ紙幣ではなく金貨(フロリン→ギルダー)を扱っていた。
フロリン
1252年に初めてイタリアのフィレンツェでフローリン金貨 (fiorino d'oro) の鋳造が開始され、ヨーロッパ中に流通することになったが、その技術力を買われて、オランダやドイツ諸侯国、ポーランドなど複数の国の金貨がフィレンツェで鋳造され、これが、fl. あるいは ƒ であらわされることになった。
オランダでは後にギルダーと呼ばれるようになりオランダの通貨となった。
後に紙幣も誕生したギルダーはユーロ導入までオランダの法定通貨となっていた。

オランダ(ネーデルラント)はかつて神聖ローマ帝国(カトリック支配地域)(現:ドイツ)の支配下にあった。
しかしながら反乱が勃発。要するにカトリックとの戦いということになる。ということでカトリック国であるスペインとも戦争をしていた。
その過程で共和国という形態を確立していった。
1602年、東インド会社(オランダ東インド会社)を設立してアジアに進出し、スペインと同じくカトリック国であるポルトガルから香料貿易を奪取して海の覇権を握った。
このため貿易の富がアムステルダムに流入して、17世紀のオランダは黄金時代を迎えることとなる。
日本において江戸時代が始まったのが1603年であり、それはちょうどオランダの黄金時代と重なる。
そんなこんなでオランダから日本に持ち込まれたヨーロッパの学問「蘭学」が江戸時代には盛んになった。

アムステルダム銀行が設立された1609年は、オランダとスペインが12年停戦協定を結んだ年である。
停戦が1621年に終わると、オランダの独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込み三十年戦争にもつれ込んだ。それが終結したのは1648年。80年に亘る戦争の末、オランダは独立を勝ち取った。

絶好調だったオランダ東インド会社は、アジアだけでなくアメリカにも植民地を築いた。
オランダ東インド会社の実力がイギリス東インド会社を上回り、各地の植民地でイギリス東インド会社と衝突、イギリスを撤退に追いやる結果となりイギリスでは反オランダ感情が高まった。
こうしてイギリスとオランダは17世紀後半に3次にわたる英蘭戦争を行うこととなる。
この戦争によってオランダは次第に勢いを失い、イギリスより劣勢に立つことになる。
18世紀にはそのイギリスと組んでスペインと再び戦火を交えることとなる。
さらにアメリカ独立戦争でアメリカを援助したことから、再びイギリスとも戦争を行う(第4次英蘭戦争、1780-1784年)。
オランダの国力は疲弊し制海権も完全に失った。
度重なる戦争による債務と貿易による利益を失ったことからアムステルダム銀行も厳しい状況に追い込まれつつあった。
そしてとうとう1824年には、イングランド銀行をモデルとして組織された銀行に取って代わることになる。



1609年、アムステルダム銀行設立
 ↓ ※1694年イングランド銀行(イギリスの中央銀行)設立
1824年、イングランド銀行をモデルとして組織に改組(オランダ銀行)
 ↓
1863年、オランダ貯蓄信用銀行設立(ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行と合併)
設立時にパリ(フランス)に支店設置、1870年にブリュッセル(ベルギー)・アントワープ(ベルギー)・ジュネーブ(スイス)に支店設立。
 ↓
1872年、パリ銀行と合併しパリオランダ銀行(後のパリバ)となる。
※パリ銀行も富豪らが創立した銀行。ロスチャイルド・パリ家とも親密。
 ↓
2000年、パリバとパリ国立銀行(BNP)が合併してBNPパリバとなる。

BNPパリバ銀行は、2014年現在、欧州銀行同盟において総資産が首位のメガバンクである。
2位のクレディ・アグリコル、3位のドイツ銀行、4位のソシエテ・ジェネラルを総資産で上回る。本社はパリ9区イタリアン大通り16番地 (16 Boulevard des Italiens)。


●経済通貨同盟
共通の通貨が導入されている単一市場のこと。ユーロ圏がこれにあたる。
ユーロ圏は基本的にはEU域圏であるが、EU加盟国と完全には一致していない。
ユーロを導入しておらず通貨がポンドであるイギリスはユーロ圏には含まれない(EUも離脱が決まっているが)。

●欧州中央銀行(ECB)
ユーロ圏19か国の金融政策を担う中央銀行。世界でも重要な位置づけをされている。
欧州中央銀行は1998年6月1日に設立され、本店をドイツのフランクフルトに置く。

(総裁)元オランダ銀行総裁→元フランス銀行総裁→元イタリア銀行総裁

●欧州中央銀行制度
欧州中央銀行と欧州連合加盟の全27か国の中央銀行で構成される、欧州連合の金融政策を担う枠組み。
欧州連合加盟国はそのすべてがユーロを導入しているわけではないため、欧州中央銀行制度はユーロ圏における通貨政策を担うというものではない。このためユーロを導入していない加盟国の中央銀行がその体制から除かれるユーロシステムが本来欧州中央銀行制度が担うべき通貨政策を運営している。


●欧州銀行同盟
2012年6月のEU首脳会議(欧州理事会)において創設された銀行の監督・規制を 一元化する枠組みのことで、単一監督メカニズム( SSM )、単一破綻処理メカニズム( SRM )、預金保険制度( DGS )の3つの柱からなり、ユーロ圏18カ国の約6,000の銀行 を対象としているが、ユーロ未導入国であっても、希望すれば同盟への参加は可能である。
EU域内において、それまで加盟国それぞれの政府や中央銀行が別々に担ってきた銀行機能を、ユー ロ圏の将来の金融危機に備えるために一元化するための同盟。
2014年11月に銀行の監督、2016年1月に銀行の破綻処理の一元化は合意が見られ各制度はスタートしているが、3つ目の柱の預金保険制度においてはドイツや北欧諸国が反対しており創設が遅れている。
銀行の監督に関しては、欧州中央銀行(ECB)が資産規模の大きな150〜200程度の銀行経営を直接監督。中小銀行については各国の監督機関が引き続き担当するが、経営に問題が生じた場合はECBが監督に乗り出す。これにより事実上、ユーロ圏内にある全6000銀行について、ECBが最終責任を負うことになる。

ヨーロッパの金融危機の根本的解決には、銀行同盟と並んで、国別となっている予算を共通化し、ユーロ共通債を発行するなどの「財政統合」が必要との指摘が国際通貨基金(IMF)などから出ているものの、その取組みは銀行同盟よりもさらに遅れている。
銀行同盟の預金保険制度もそうだが、ドイツの負担が大きくなることが予想される。


上記の欧州銀行同盟の中で総資産額1位のメガバンクがBNPパリバ銀行(フランス)である。

欧州銀行同盟の総資産額上位4銀行。右側の⑧などの数字は2016年末現在の世界の銀行の総資産額順位。
1.BNPパリバ銀行(フランス) ⑧
2.クレディ・アグリコル(フランス)⑪
3.ドイツ銀行(ドイツ) ⑮
4.ソシエテ・ジェネラル(フランス)⑱

①~④ 中国の銀行
⑤三菱UFJ(日本)
⑥JPモルガンチェース(アメリカ)
⑦HSBC(イギリス)
⑨バンクオブアメリカ(アメリカ)
⑩ウェルズ・ファーゴ(アメリカ)
⑫ゆうちょ(日本)
⑬シティグループ(アメリカ)
⑭みずほ(日本)
⑮三井住友(日本)
⑰バークレイ(イギリス)
⑲ サンタンデール(スペイン)
⑳BPCEグループ(フランス)

ユーロ圏と言うと真っ先に思い浮かぶのがドイツであろう。
欧州中央銀行も本店はドイツにあるし、組織もドイツ連邦銀行およびドイツの州立銀行をモデルにしていると言う。
ところがと言うかなんというか、銀行の総資産額を比較するとドイツより目立つのはフランスである。
総資産額上位20の銀行のうち、フランス本拠の銀行は4行、中国4行、アメリカ4行、日本4行。
この4か国で20銀行の16行を占めてしまう。次点がイギリスの2行で、残り2つがドイツとスペインである。

実は銀行の「総資産額」がなかなか曲者である。
ちなみに上記ランキングの銀行は商業銀行であり、中央銀行は含んでいない。
日本の中央銀行である日本銀行の最近の総資産額は膨張を続けていて、1位の中国工商銀行378兆円を軽く超えて500兆円の大台も突破した。
2012年2月に中国の中央銀行である中国人民銀行の総資産額が欧州中央銀行を抜き世界一になったという記事があったが、その時の中国人民銀行の総資産額は当時のレートで日本円に換算して約365兆円。
2011年末時点でアメリカの連邦準備制度理事会(FRB)が約244兆円、欧州中央銀行が約284兆円であった。
それらの中央銀行が今日までにどれくらい資産を増やしているか確認していないが、とりあえず日銀の500兆円超えがいかに多いかということは分かる。




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by yumimi61 | 2018-02-06 14:34