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2018年 02月 18日 ( 1 )

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フランクフルトのゲットー出身のユダヤ家系の金融一族ゴールドシュミット家の一員でありながら、経済発展や工業化に反対し環境問題の運動家となったエドワード・ゴールドスミス。
その弟であるジェームズ・ゴールドスミスはオリバー・ストーン監督の『ウォール街』における企業乗っ取り屋のラリー・ワイルドマン卿のモデルとなった投資家である。

『ウォール街』(Wall Street)
1987年公開のアメリカ映画。出世願望の強い若手証券マンと、冷酷かつ貪欲な投資家による企業買収を描いた金融サスペンス
時代を反映した内容が話題を呼び大ヒットしたことから、アメリカでは広く知られた映画であり、経済・金融の論評や記事で引き合いに出されることも多い。作品は実際のウォール街にも大きな影響を与え、主人公である投資家、ゴードン・ゲッコーに憧れて投資銀行に入社する者や、ゴードンのファッションを真似る者などが後を絶たなかった[要出典]。
一方で監督オリバー・ストーンは、作中でゴードンと対立するカール・フォックスと同じく過剰な資本主義による倫理観の崩壊を嫌悪する側であり、ゴードン側の人間ばかり増やしてしまった事は大変遺憾だと述べている[要出典]。


ラリー・ワイルドマン卿(ゴードンとライバル関係)のことはひとまず置いて。

ゴードン・ゲッコーを演じたのはマイケル・ダグラス ←冷酷かつ貪欲な投資家
バド・フォックスを演じたのはチャーリー・シーン ←功名心から騙され倫理観の崩壊を嫌悪する(復讐する)側
 カール・フォックスを演じたのはマーティン・シーン ←過剰な資本主義による倫理観の崩壊を嫌悪する側
(マーティン・シーンとチャーリー・シーンは実の親子)

ゴートン・ゲッコーは実在の投資家アイヴァン・ボウスキーがモデルとされる。本作と次作で吐いた「Greed is good.(強欲は善だ)」「Money never sleeps.(金は眠らんぞ)」「君の質問には3語で十分、Buy my book(ウチは買いだ)」は名台詞として知られる(特に「強欲は―」は「アメリカ映画の名セリフベスト100」で第57位に入った)。


アイヴァン・ボウスキー(Ivan Boesky、1937年3月6日 - )
デトロイト出身の投資家。1980年代中盤にウォール街の鞘取りとして活躍した。ドレクセル・バーナム・ランベールをめぐる内部者取引を密告し、ハーヴェイ・ピットに弁護された。

ユダヤ系の家庭に生まれる。デトロイトのマンフォールド高校を卒業し、ミシガン州立大学で法律学を修める。
L.F.ロスチャイルドで一年間の下積みを経験したボウスキーは企業の買収を繰り返し、当時の金額にして2億ドルの資産を有するアービトラージャー(裁定取引専門の投資家)として、後の財務長官であるロバート・ルービンと共にウォール街で名を馳せていた
しかしボウスキーは同業者とインサイダー取引に手を染めていた。ボウスキーがKidder, Peabody & Co. やファースト・ボストンの関係したM&A 銘柄を追いかけていることは当時の証券業界で公然の秘密であった。

やがて証券取引委員会の調査によって発覚し、1986年に逮捕された。ジャンクポンドの帝王とも呼ばれるマイケル・ミルケンや時には証券取引委員会の人間とも共謀した。彼の株式取得方法は、買収を発表の数日前に株を最大限に買い占める手法により、時に物議を醸すなどしたが、1986年12月には、彼自身が『タイム』の表紙を飾る。
証券取引法違反により逮捕されたものの、ボウスキー以前はインサイダー取引によって逮捕されるケースは違法とは言え滅多に無かった。司法取引により、3年半の服役と1億ドルの罰金刑を受けたが、2年で出所し、現在も有価証券投資事業を手がけている。尚、ボウスキー自身は、最も大きな株取引詐欺を行った男としてギネスブックに登録されている。



ドレクセル・バーナム・ランベール(Drexel Burnham Lambert)
従業員のマイケル・ミルケン(Michael Milken)の不法行為が発覚して破産を余儀なくされたウォール街の投資銀行会社。

私は前にドレクセル・バーナム・ランベールやマイケル・ミルトンのことを書いている。
いろいろなものがあちこちに繋がっていて、複数の国にまたがり、複数の語が混じり合う外国名が登場することも影響して、一見してというか何というか、非常に分かりにくいと思うが、確か「アイゼンベルグ」の話から繋がってきたものだった。
もう一度その元を辿ってみる。


キャボット家→(資産)→シェルバーン家(スイスユニオン銀行経営)→ロスチャイルドなど(銀行家)→王族や貴族

・キャボット家はもともとイタリア・ヴェネツィアで活動していた一家。カトリック教徒。
1484年にイギリスへ移住し、1496年に国王ヘンリー7世の特許状を受けて出航した探検家。アメリカ大陸発見者として名を連ねる。
しかしヘンリー8世(カトリックから分離独立した時のイギリス国王)からは出資を受けられず、1513年にカトリック国であるスペインに移住。最終的には(1533年)イギリスに戻り、航海関係の会社を起こしている。
キャボット家はアヘンと奴隷で大儲けした。

・シェルバーン家はアイルランド貴族。イギリスの諜報活動を担当していた。
(1509年からイングランド君主はアイルランドの君主も兼務している)
シェルバーン家は、ヴェネチア、ジェノバ、ボストン、ジュネーブ、ローザンヌ、ロンドンなどを転々とし、アヘンと奴隷で莫大な富を築いた一家。
イギリス・フランス・スイスのイエズス会との関係を築き上げていて、フリーメイソンの上層部にいた人物でもあった。
シェルバーン伯爵は神秘主義(悪魔崇拝とも言われる)に魅せられていたという。
シェルバーン伯爵はイルミナティ創設にも関与していて、ここでプロテスタントのはずのイギリスとカトリックが明確に繋がり、さらにフリーメイソンとも繋がることになる。


ロスチャイルドが台頭してきたのは、カトリックとプロテスタントの対立(宗教改革)に端を発する貴族の勢力争い。

・ハプスブルク家(カトリック)
オーストリアやチェコスロバキアの辺りを中心に広大な領地を支配していたハプスブルク家(神聖ローマ帝国君主家でありカトリックの盟主)は、北や西側のドイツの小中領邦をも統一して大ドイツ帝国の実現を目指していた

・ヘッセン家(プロテスタント)
ハプスブルク家に対抗してドイツ周辺の王族を統一し新王国の建設を企てたのがヘッセン家という貴族。ヘッセン家はドイツ中部に領地を持っていた。
ハノーヴァーやプロイセン、ザクセン・ヴァイマール、バイエルンなどを統一し、プロテスタントのルター派やカルヴァン派(スイス・蓄財は悪ではない派)と繋がる君主を立て、絶対王政を敷こうとしていた。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)
■諜報活動担当(通信・郵便):タクシス家 ・・当主としてヨーロッパ一の地主。モナコの産業を支配下に置く。ベルギーが本拠地。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。
■資金担当:ロスチャイルド家
(全てがハプスブルク家とヘッセン家どちらの勢力にも加担していた。 vsオスマン帝国(イスラム)という戦いもあったゆえ)


1714年よりイギリスの王家がドイツのハノーヴァー出身となる。
このイギリス王家は、反ハプスブルク家(カトリック)、親ヘッセン家(プロテスタント)であったということになる。
そして次のような対立構造も生まれる。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)
ハプスブルク家(カトリック)vsイギリス王家(ヴェルフ家・ハノーヴァー出身・プロテスタント)
         フリーメイソンvsイルミナティ   

1776年、アメリカ独立。
(独立戦争でイギリスに傭兵を提供したのはヘッセン家)

ナポレオン戦争が起きて、対ナポレオン(市民革命の起こったフランス)のもと対立していた上記両者が一致団結。ナポレオンは失脚し、カトリックは復活、イエズス会が急拡大した。

1792~1815年、フランス革命戦争・ナポレオン戦争。

1822年、ロスチャイルド家の5人の息子にオーストリア皇帝(カトリック)から爵位授与され晴れて貴族の仲間入り。

1831年、独立したベルギーに初代国王が即位。その国王はイギリス王家と同じドイツのザクセン・コーブルグ・ゴータ公国の公爵家から出された。
 ⇒イギリスとベルギーの王家は同じ一族出身で親戚。


ベルギー独立時にベルギーの貴族ランベール家によって設立されたのがランベール銀行(Banque Lambert)。
Lambertは日本読みでは、ランベールとも、ランバートとも、ランベルトとも言う。
ランベール銀行はベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)の親会社でもあった。
(ロスチャイルドの主導によってベルギーのソシエテ・ジェネラルがフランスにもソシエテ・ジェネラルを設立。イギリスにもジェネラル・クレジットを設立してエジプトや近東で活躍)
ベルギーのソシエテ・ジェネラルは、日本銀行のモデルとなったベルギーの中央銀行であるベルギー国立銀行と歴史的に非常に関係が深い。
ランベール銀行は第二次世界大戦終結(1945年)以降、数多くの銀行との合併によりサービスとネットワークを急速に発展させた。

1975年、そのランベール銀行がブリュッセル銀行と合併してグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)となった。

GBLは翌1976年にフランシス・マーティン・ドレクセルが創業したアメリカの銀行の支配権を得る。
フランシス・マーティン・ドレクセルはオーストリア生まれで、イタリアのカトリック教会でイタリア語と絵画を学ぶ。1817年にアメリカに移住。
1837年に永住権を取得した後、アメリカ大手金融会社の1つとなるDrexel&Co.を設立。
メキシコ・アメリカ戦争とアメリカ内戦で連邦政府との金融取引に携わる。
創業者が1860年に死去し息子が事業を継承。
1868年にパリの会社Drexel、Harjes&Co.が設立され、1871年にはJ. P. モルガンと提携してニューヨークにDrexel、Morgan&Co.を設立。
だがその後、会社は傾いて行く。
幾つかの合併や改称を経て、1976年にベルギーに本拠を置くグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)に吸収され、ドレクセル・バーナム・ランベール(Drexel Burnham Lambert)という社名になった。
1980年代の企業乗っ取りの中心にいたのがこの会社。ブロンフマン×ランベール一族の賜物のような銀行。
ランバートに吸収合併される前からドレクセルにいて、1980年代にジャンクボンドの帝王"Junk Bond King"として名を馳せたのがマイケル・ミルケン
傾いていた会社はアメリカ5位の投資銀行となりウォール街に欠かせない会社へと変貌を遂げた。







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by yumimi61 | 2018-02-18 14:17