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2018年 02月 26日 ( 1 )

英国病またはイギリス病とは、経済が停滞していた1960年代以降のイギリスにおいて、充実した社会保障制度や基幹産業の国有化等の政策によって社会保障負担の増加、国民の勤労意欲低下、既得権益の発生等の経済・社会的な問題が発生した現象を例えた日本における用語である。 1960〜1970年代のイギリスは、労使紛争の多さと経済成長不振のため、他のヨーロッパ諸国から「ヨーロッパの病人(Sick man of Europe)」と呼ばれていた

イギリスで英国病が蔓延したのは1960~1970年代。
深刻化したのは1973~1975年の二次銀行危機前後。
ビートルズが活躍したのは1960年代であり、英国病の蔓延時期と重なっている。
1962年イギリスでデビュー、1963年1月リリースされた2枚目のシングルが1位に輝き一躍人気者へ。
経済的なことを言えばビートルズの活躍はイギリス社会に良い影響をもたらさなかったとみることも出来る。
ビートルズとともにやってきたのは労働党が主流の時代だった。

1964年10月16日~1970年6月19日  ハロルド・ウィルソン(労働党)
1970年6月19日~1974年3月4日  エドワード・ヒース(保守党) 
1974年3月4日~1976年4月5日  ハロルド・ウィルソン(労働党)
1976年4月5日~1979年5月4日 ジェームズ・キャラハン(労働党)


ハロルド・ウィルソン首相
父親は工業化学者で失業も経験したことがあるというから労働者階級の出身ということになるだろう。
ただ父親は党員であり政治には近いところにいた一家だった。
ハロルド・ウィルソンは学業は優秀だったようで中学から(返済不要の)奨学金で進学している。
但しオックスフォード大学進学においてはスカラシップ(成績優秀者並びに経済的理由を対象とする返済不要の奨学金)には選ばれなかった。
けれどもエキシビション(こちらも成績優秀者を対象とする返済不要の奨学金であるがスカラーシップより貰える額が少ない)に選ばれオックスフォード大学進学。
独創性にはやや欠けるもののやはり優秀だったようで21歳でオックスフォードで経済史学の講師を務めることになる。

イギリスやアメリカでは返済不要の奨学金はスカラシップ、返済が必要なものはスチューデントローンと言う。
日本では奨学金導入時に返済不要の奨学金を設定しなかったので今でも奨学金といえばほぼローンのことである。
ローンが無金利か有金利かの差で、成績優秀者が無金利となるが、返済不要の奨学金に比べたら成績優秀の幅がとても広く、金額は少ない。
親の収入など条件もあるためあまりに裕福だと幾ら成績が良くても受けられない。
昨今は学校ごとの返済不要の奨学金などが増えてはいるが、それは要するにスカラシップに該当するということになり当然対象者は少なくなる。対象者が少ないのは外国でも同じ。
成績優秀者を対象とする返済不要の奨学金の問題点としては、優秀な成績を収めるとは限らないギフテッドなどが拾えないこと。

イギリスでの「エキシビション」(成績優秀者を対象とする返済不要の奨学金であるがスカラシップより貰える額が少ない)という名の奨学金は現在では廃れている。
学校が成績優秀者を確保するという目的よりも、奨学金がないと進学が出来ないという人に多く資金が使われてしまうからだそうだ。
また教育への熱心さが増し大学進学率も上がり、時代的に成績優秀者がそれほど珍しくなくなってきたから。

返済不要の奨学金は大きく2つに分けられる。
・Need-based
大学で学ぶのに十分な学力と資質をもっているが経済的な理由でその大学に進学することができない人に与えられる奨学金。
・Merit-based
成績優秀者に与えられる奨学金。

アフリカ系の黒人などにはNeed-based の奨学金が出やすいが日本人ではほぼ無理であった(これまでは)。
成績優秀者のほうならチャンスはあったが、成績優秀者は世界的に珍しくなくなっている。
日本の大学無償化議論は、何か勘違いしているか、日本国民が経済的に相当深刻な状況に陥っていることを表しているように思うが。


ハロルド・ウィルソン首相はローレンス・スティーヴン・ラウリーという画家の作品を好み、在任中2回ほどクリスマスカードに使ったそうである

Laurence Stephen Lowry(ローレンス・スティーヴン・ラウリー)1887-1976年
イングランドのストレットフォード(Stretford)に生まれた画家である。そのデッサンおよび絵の多くは、英国のマンチェスターのペンドルベリー(Pendlebury)(同地で彼は40年以上にわたって暮らし、創作活動した)、サルフォード(Salford)およびその周辺地域を描いている。
ラウリーは、20世紀半ばの北西イングランドの工業地域の生活風景を描いたことで有名である。


ラウリーはナイトなどの受章を拒否したことでも有名である。
晩年にやっと生まれ故郷の町の名誉市民を受けたのみ。

生涯で5つの栄典を拒否した - そのなかには1968年のナイトがふくまれており、そしてしたがって英国の栄典の拒否の最多記録を保持している。 

ナイトの候補になった1968年はハロルド・ウィルソンが首相をしていてビートルズがまだ活躍していた年。






by yumimi61 | 2018-02-26 13:27