人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

2018年 03月 08日 ( 1 )

イギリスの世論を巻き込み、モンタギュー事件・裁判の論点が摩り替えられた。
裁判で有罪になるも、それすら同性愛者に対する不当な差別であるとの主張で利用され、結果的に刑法の改正を求める声が大きく上がり、政府は調査委員会(ウルフェンデン委員会)を設置せざるを得なくなった。
委員会の長であるジョン・ウルフェンデンがナイトの勲章を受章した翌年に調査報告書を公表。
報告書では21歳以上の男性同士による合意の上での同性愛行為は刑事罰の対象から除外することなどを勧告し脱刑罰化に向けて加速していくことになるが、実際に法改正がなされたのは10年後の1967年。

法改正の時の首相がビートルズの"Taxman"という歌の中にも登場する労働党のハロルド・ウィルソンであった。
ウィルソン首相が1976年3月に突然辞任を表明し、4月5日に辞任した。
その年の5月、叙勲が発表された。
その叙勲にジェームズ・ゴールドスミスをはじめとした労働党の主義主張とは相容れないような立場の裕福な企業家が受章者に含まれており、さらにある受勲候補者リストをウィルソン首相の秘書官であった女性がラベンダー色のノートに記していたと報道され、後に1976年の叙勲者が"Lavender List"と呼ばれるようになる。(でも叙勲者を決定するのは君主なので首相に対するこの報道や批判は不毛)
この話はジェームズ・ゴールドスミスから波及したものである。

ということでジェームズ・ゴールドスミスに戻る。(下記緑字はこれまでのジェームズ・ゴールドスミスのまとめ)

フランクフルトのゲットー出身のユダヤ家系の金融一族ゴールドシュミット家の一員で、オリバー・ストーン監督の『ウォール街』における企業乗っ取り屋のラリー・ワイルドマン卿のモデルとなった投資家ジェームズ・ゴールドスミス。
兄は環境活動家。
日本語版Wikipediaには金持ちの子弟が有り余るお金を以てして何の苦労も無く投資の世界で華々しく成功していったようにしか書かれていないが実はそうでもなかったらしい。
彼が投資家として嫌われ出す契機となったのは1971年のBovril(ボブリル社)の買収だった。
Bovril(ボブリル社)買収とBovril(ボブリル社)所有の南米の牧場など売却の成功に気をよくしたのか、この頃からジェームズはアメリカや南米に積極的に目を向けるようになる。
おそらくイギリスなどヨーロッパとアメリカ大陸での資産評価などには差があって、投資によってその差が利益をもたらすと考えたのでないだろうか。

1973~1975年、イギリスで二次銀行危機(the secondary banking crisis)が起きた。
イギリスの場合は中央銀行であるイングランド銀行が約30の二次銀行に介入し支援し救済した。中央銀行であるからして要するに紙幣を発行したということになる。
これによってイギリスはインフレに見舞われ、英国病と呼ばれる問題が深刻化していったが、救済したイングランド銀行はその権限を増すことになった。
ジェームズ・ゴールドスミスが資金調達していたスレート・ウォーカー(Slater Walker)という会社(銀行部門)も二次銀行危機で財政難に陥り、イングランド銀行の支援を受けることとなり、創業者は辞任に追い込まれた。
スレート・ウォーカーは1976年にイングランド銀行に買収され、トップにはスレート・ウォーカーのかつて顧客(あるいはターゲット)であったジェームズ・ゴールドスミスが据えられた。



ジェームズ・ゴールドスミスがナイトを受章したの年(ラベンダーリスト)と、イングランド銀行(イギリス中央銀行)が買収したスレート・ウォーカーのトップに就任したのは同じ年。



イングランド銀行は1694年にユグノー(フランスにおける改革派教会カルヴァン主義;蓄財は良いこととする派、当初は教徒からお金を巻き上げていたカトリックと対立した)の資本によってイギリスに誕生。
ユグノーは、カトリックと折り合いの悪かったセファルディム(ユダヤ人)を銀行に取りこんだ。
●セファルディム(アジア系・中東系・東洋系・オリエンタル系ユダヤ人などと言われている)
スペインやポルトガルなどイベリア半島に移住(イスラム支配時代)→(イベリアがカトリックに奪還される)→地中海近辺の南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住、少数はオランダやイギリスに移住

それからほどなくして(1714年)、イギリスはドイツ起源王朝に変わった。この理由もカトリック系君主の回避だった。
これだけ見るとイギリスは反カトリック色を強めたかのように見えるが、やがてイギリスは次第に再びカトリックに近づいて行くのである。
流れを大きく変えたのは前にも書いた通り、ナポレオン戦争(1803-1815)である。
ロスチャイルドを台頭させたのはヨーロッパの貴族の対立とそれに続く市民革命・ナポレオン戦争。
カトリックを復活させたのはナポレオン戦争。イエズス会がナポレオン失脚に貢献したから。

やがてイングランド銀行もロスチャイルドが実権を握るようになる。

1800年8月から1816年8月までの各16ヵ年においては年平均60万ポンドの割引収入をあげて準備金を蓄え、イングランド銀行は1816年に金本位制を採用した。やがてロスチャイルドが台頭し、各国の外債発行とイングランド銀行の準備金補填に関わった。銀価格低下の時期にアルフレッド・ド・ロスチャイルドが理事を務め、大不況 (1873年-1896年)にあえぐ世界経済の梶をとった。


イギリスはヨーロッパにおいてイスラムの影響が少ないという地の利を生かして、割引手形などがいち早く普及した。
イングランド銀行が紙幣のお手本にしたのはゴールドシュミット(ゴールドスミス)家の金匠手形だった。
手形というのは決済などに利用されるものであり、それほど長い期間が設けられているものではない。短期市場である。
イングランド銀行設立前のイギリスは短期市場が主流で、ドイツやフランスに比べると長期市場が発展していなかった。それはつまり国債をはじめとする長期の借金が少なかったということでもある。
長期金融を担っていたのはマーチャント・バンカー(merchant banker)と呼ばれた金融業者であった。(主にユダヤ人)
彼らは豊富な自己資本とともに築いてきた信用を元手に貿易手形(輸出入に伴って発行される)などとして各国の国債発行(国の借金)を引き受けた。
国が発行する債券は人々から信用してもらうことが出来ないが、マーチャント・バンカーが発行すれば信用されるということである。
だからマーチャント・バンカーが国に代わって資金を集めた。
国家が資金を必要とすればするほどマーチャント・バンカーに頼らざるを得なくなる。産業革命や大規模開発、戦争など。
マーチャント・バンカーが引き受けた手形は信用が高いとしてイングランド銀行が再割引を引き受けたため、マーチャント・バンカーが引き受けた手形ならば割引市場で容易に資金を入手できるようになる。
こうしてマーチャント・バンカーとイギリスの短期金融市場は持ちつ持たれつで国際的に発展していき、世界貿易を拡大させた。
マーチャント・バンカーが「国際金融資本」と呼ばれるものの正体だが、そこにはイングランド銀行が一枚噛んでいる。


ジェームズ・ゴールドスミスの大伯父マクシミリアン・ゴールドシュミットは、ロスチャイルドのナポリ家2代目の娘と1878年に結婚し、ファミリーネームも連ねた。ナポリ家2代目が亡くなった1901年にナポリ家は閉鎖された。
  マクシミリアン・ゴールドシュミット×ロスチャイルドのナポリ家2代目の娘

ロスチャイルドのイギリス家始祖のネイサン・メイアー・ロスチャイルドは、イングランド銀行大株主のレヴィ・バレント・コーエンの娘と結婚した。
  ロスチャイルドのイギリス家始祖×イングランド銀行大株主の娘

ロスチャイルドのイギリス家2代目は、ナポリ家始祖の娘と結婚した。
  ロスチャイルドのイギリス家2代目×ロスチャイルドのナポリ家始祖の娘
 ⇒その息子がアルフレッド・ド・ロスチャイルド
  N・M・ロスチャイルド&サンズの共同経営者、イングランド銀行理事を務めた。


ヨーロッパを代表する古くからの金融家ゴールドシュミット(ゴールドスミス)家はロスチャイルド・ナポリ家との婚姻を通して、ロスチャイルド・イギリス家にも繋がっている。

ナポリは今でこそイタリアだが、外国(フランス・スペイン・オーストリア)に支配され続けた長い歴史がある。
スペインとオーストリアはカトリック。
ナポリに何度も攻め込んだフランス勢力は反カトリック。
 1289年~ フランスのアンジュー家
 1435年~ スペインのにアラゴン家
 1504年~ スペイン王のフェルナンド5世
 1713年~ オーストリアのハプスブルク家
 1735年~ スペイン王のカルロス3世
 1806年~ フランスのナポレオン系
 1815年~ スペイン王のフェルディナント1世 ←この時代に与えられた
 1861年~ イタリア王国に併合

ロスチャイルド家(5人の兄弟全員)にオーストリア皇帝から貴族の爵位が与えられたのは1822年。
ナポリ家の始祖がロスチャイルド家の銀行をナポリにおける主要行とすることに成功したことがその理由。
ナポリともオーストリアとも関係ないはずの兄弟全員がオーストリア貴族。
カトリック(ローマ教皇)から与えられたと言っても過言ではないだろう。

1847年、イギリス君主(ヴィクトリア女王)がロスチャイルド・イギリス家の当主(2代目)に准男爵に叙勲し、1885年に正式に貴族の爵位が与えられた。
ロスチャイルド男爵(Baron Rothschild, of Tring in the County of Hertford)
初のユダヤ人(ユダヤ教)貴族院議員となった。
1885年はイギリスにおいて「ラブシェール条項」を含む刑法改正がなされた年。
一方のゴールドスミス家には貴族の爵位は与えられていない。
1976年にジェームズ・ゴールドスミスがナイトの勲章を受章したのみである。
ゴールドスミス家のほうが古くからの名門であるが、権威権力はロスチャイルドに及ばなくなってしまった。






by yumimi61 | 2018-03-08 15:18