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2018年 03月 11日 ( 1 )

1980年代初頭、ジェームズ・ゴールドスミスはローランド・フランクリン(Roland Franklin)とパートナーシップを結ぶ。
ローランド・フランクリンがジェームズ・ゴールドスミスのアメリカでゴールドスミスの事業を管理したという。
ローランド・フランクリンは、1973~1975年の二次銀行危機で倒産したキーサー・ウルマンという銀行のディレクターだった。
キーサー・ウルマンは1868年にサミュエル・モンタギュー(Samuel Montagu)の資金によってローランド・フランクリンの祖父であるエリス・アブラハム・フランクリン(Ellis Abraham Franklin)が設立した。

サミュエル・モンタギュー(初代スウェイスリング男爵)・・・・親戚・・・・ハーバート・サミュエル(初代サミュエル子爵) 

エリス・アブラハム・フランクリン・・・・親戚・・・・ハーバート・サミュエル (初代サミュエル子爵)1937年に爵位

ハーバート・サミュエルは1920~1925年にイギリス委任統治領パレスチナの高等弁務官だった。
ローランド・フランクリンの伯母の夫もシオニスト協議会の代表であり、イギリス委任統治領パレスチナの法務長官だった。


シオニストのバックにはロスチャイルド家あり。


ローランド・フランクリンの妹にロザリンド・フランクリンがいる。

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右は日本版Wikiより、左は英語版Wikiより)


Rosalind Elsie Franklin(ロザリンド・エルシー・フランクリン)37歳没
イギリスの物理化学者、結晶学者である。石炭やグラファイト、DNA、タバコモザイクウイルスの化学構造の解明に貢献した。

ロザリンド・フランクリンは、ロンドンのユダヤ人家系の銀行家の家庭に6人きょうだいの長女として生まれた。
裕福な両親は、ロザリンドが9歳のときから寄宿学校に入学させ、可能なかぎり最高の教育をうけさせた。


ケンブリッジ大学に進学し、石炭の結晶構造に関する研究を行い、1945年25歳の時に物理化学の博士号を取得した。
フランスの物理学者に"a physical chemist who knows very little physical chemistry, but quite a lot about the holes in coal" (ロザリンド・フランクリン自身)のための職探しを依頼。
1947年、パリの国立化学研究所に就職し、メーリングのラボに配属。
メーリングはX線回折を用いる結晶学者であった。様々な形の炭素の研究を続けていた。

1950年、フランクリンはキングス・カレッジ・ロンドンで3年働くターナー&ニューアール・フェローシップを授与された。
1951年、彼女はジョン・タートン・ランドール(John Turton Randall)の監督下において生物物理学の研究員として働き始める。
ランドールは彼女をDNA担当にした。
その研究を先に手掛けていたのはモーリス・ウィルキンス(Maurice Hugh Frederick Wilkins)と、レイモンド・ゴスリング(Raymond Gosling)という博士課程の学生だった。
ランドールは、フランクリンにDNA回折分析とゴスリングの論文指導の両方を引き継ぐように依頼したことをウィルキンスには知らせていなかったそうで、このことがPhoto51を巡る問題の原因となったとか。
ウィルキンスとゴスリングという師弟コンビは1950年より従来の装置でDNAのX線回折分析を行っていたが、よりよい研究にするためには新しく高画質のX線管とマイクロカメラが必要であることを認識し発注した。
その後、新たな師弟コンビであるフランクリンとゴスリングもX線回折を用いてDNAの構造を解明しようとする研究を始めた。
フランクリンはウィルキンスが注文した新装置を使った。
同じ人が同じものを撮ったとしてもカメラが変われば撮れる写真は変わる。装置が変わるということはそういうことである。
そのようなことをウィルキンスから言われると、フランクリンは水分量を変えてDNAを結晶化させるという工夫を加え、装置を繊細に巧みに使いこなしたは私であると反論した。
フランクリンは3年の期間を終えてキングス・カレッジ・ロンドンを離れることになったが、ランドールはこれまでのすべてのDNA研究をキングス・カレッジに置いて行くように指示した。
フランクリンは、ゴスリングが1952年にフランクリン監督下で撮った高画質の写真をウィルキンスに引き渡すように指示し、1953年にゴスリングによってウィルキンスに手渡されたという。


ロザリンド・フランクリンはキングス・カレッジ・ロンドンを離れてから5年後に卵巣癌と巣状肺炎で亡くなった。
実験のため無防備に大量のX線を浴びたことが癌の原因だと言われている。
ロザリンド・フランクリンが博士号を取得した物理化学とは、化学が扱う物質や分子の構造・性質・反応などを物理学的な手法を用いて研究する分野で、理論の基礎となるのは熱力学と量子力学、統計力学。
放射線が生物に対してどんな影響を与えるのかという学問は生物学や医学の範疇である。
物理や化学のように人間を原子や分子の集合である物体と考えた場合のそれに及ぶ影響と、いわゆる人々が言う人間の健康や生命に及ぶ影響とは、違うものである。「影響」という言葉の意味が違う。
前者は法則やパターンを決定できるほど均一なものであり、後者はそうではない。
X線を用いてDNAの研究に携わりながら、そのDNAの塊であるはずの人間である自分の身体の防御に無防備であったするならば、何ともそれらしくて、何とも皮肉なことである。


Photo51問題を整理。
●学生が監督官の下、写真を撮る
レイモンド・ゴスリングとロザリンド・フランクリンが使用した装置はモーリス・ウィルキンスが発注したもの。
写真を撮ったのは博士課程学生のレイモンド・ゴスリング。
彼はもともとモーリス・ウィルキンスの指導を受けていたが、1951~1953年の間はロザリンド・フランクリンが師匠となる。
ロザリンド・フランクリンがキングス・カレッジ・ロンドンを離れると再びモーリス・ウィルキンスが監督した。

●写真を違う大学の研究者に見せる
モーリス・ウィルキンスはレイモンド・ゴスリングとロザリンド・フランクリン師弟コンビが撮った高画質な写真(Photo51)をジェームス・ワトソン(アメリカ生まれでシカゴ大学出身)に見せた。
ジェームズ・ワトソンは当時イギリスのケンブリッジ大学にて、物理学から生物学に転向したフランシス・クリックとともに分子生物学としてDNAの研究をしていた。
その2人はモーリス・ウィルキンスが1951年に発表したDNA回析に影響されたり誘われたりしてDNAの研究を始めた者。

●DNAの二重螺旋構造を科学雑誌Natureに発表
ウィルキンスらのX線回折の写真を参考にして、DNAの二重螺旋構造を推定し、遺伝という現象を目に見える物質的構造として指し示した。
この功績により、1962年にモーリス・ウィルキンス、ジェームズ・ワトソン、フランシス・クリックの3人がノーベル生理学・医学賞を受賞した。
ロザリンド・フランクリンは1958年に没しているため、1962年では端からノーベル賞の対象外(生きている人にしか与えられない)
でも本当はロザリンド・フランクリンの貢献が大きかったのではないかとか、ロザリンド・フランクリンの写真を不正に入手したのではないかとか問題になったというわけ。


■どんなに性能が良くて高画質で最新なカメラを使ってもDNAの二重螺旋構造を直接写すことはできない!
写真を撮ったとか書くと、高画質なDNAの二重螺旋の写真が撮れたようにイメージさせてしまいそうだが、そういうことではない。
二重螺旋を目で見て確認したのではなく、写真からそう解釈したのである。

試料(DNAの結晶)にX線を照射する。
X線が試料の原子(障害物)にぶつかると、そこを回りこむなどして出ていく。
要するに障害物に当たったX線は真っ直ぐには進まない。光の反射みたいなこと。
試料を通って出てきた線(回析斑点)を検出器で写す。
その写真を解釈することによって分子モデルに変換する作業である。

写真を撮ったのはウィルキンスやフランクリン(学生にやらせた)。
彼らはDNA溶液を結晶化させて、その結晶にX線を照射し得られた写真を見て、DNAは規則的な結晶様構造を持っていると推測した。
DNAが遺伝子材料であるならば、遺伝子が結晶化する可能性があると考えた。
実際DNAの糸を抽出するのは比較的簡単だが、 X線回折を行なえるような大きさと強度を持った結晶化はとても難しい。

写真をもとにDNAは二重螺旋構造になっていると解釈して発表したのがワトソンとクリックである。

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http://andrewhulse.weebly.com/archive-blog---life-in-room-213206209/category/mitosis





by yumimi61 | 2018-03-11 18:33