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2018年 03月 12日 ( 1 )

世紀の大発見となった「DNAの二重螺旋構造」。
その大発見にまつわる「Photo51問題」。
この発見と問題に関わる人物を再度紹介したい。
何故かと言えば、核開発と非常に関係が深いからである。

1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した3名。

Maurice Hugh Frederick Wilkins(モーリス・ウィルキンス) 1916年生まれ 87歳没

ニュージーランド生まれ→6歳のときにイギリス
セントジョンズ大学(アメリカ)、バーミンガム大学(イギリス)で博士号
第二次世界大戦中にカリフォルニア大学バークレー校(アメリカ)でマンハッタン計画に参加。

戦後、核物理学から離れ
、ロンドンのキングス・カレッジ・ロンドンでX線回折によるDNAの構造研究を始めた。
1951~1953年の3年間はロザリンド・フランクリン(1920年生まれ)と同僚だった。
DNAの結晶化と写真撮影に貢献し、46歳でノーベル賞受賞。
2004年に死去するまで、キングス・カレッジ・ロンドンの生物物理学教授を務め、染色体のDNAの存在様式を研究していた。


James Dewey Watson(ジェームズ・ワトソン) 1928年生まれ 存命

アメリカ・シカゴ生まれ
シカゴ大学(アメリカ)、 インディアナ大学大学院(アメリカ)

1951年にモーリス・ウィルキンスがDNA回析について発表したナポリにおける学会に参加しており、DNA回析に興味を持ち研究することになる。
ウィルキンスらの写真をもとにDNAの二重螺旋構造を発見し(解釈し)、34歳でノーベル賞受賞。

1956~1976年、ボストンのハーバード大学生物学専攻にて教授を務め「分子生物学」を広めた。
1968~1993年、ニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所長。(1993~2007年は同会長)
1989~1992年、アメリカNIH(国立衛生研究所)の国立ヒトゲノム研究センター初代所長。
全米科学アカデミー会員、ロンドン王立協会(ロイヤルソサイエティ)会員。大統領自由勲章を受勲。ウッズホール海洋生物学研究所在籍者の一人。

2007年10月14日、「黒人は人種的・遺伝的に劣等である」という趣旨の発言が英紙サンデー・タイムズ一面に掲載された。同紙によるとインタビューにおいてワトソンは「アフリカの将来については全く悲観的だ」「(我々白人が行っている)アフリカに対する社会政策のすべては“アフリカ人の知性は我々と同等である”という前提で行われているが、それは間違いである」「黒人従業員の雇用者であれば、容易にそれを納得できるだろう」などと語ったという。この報道は欧米で大きな波紋を呼び、英国滞在中だったワトソンは謝罪と発言の真意が曲解されているとの旨のコメントを発するとともに、米国に緊急帰国した。結果として、コールド・スプリング・ハーバー研究所を辞職に追い込まれ、名声は地に堕ちた。→ノーベル賞のメダルを競売(高額で落札された)


Francis Harry Compton Crick(フランシス・クリック) 1916年生まれ 88歳没

イギリス生まれ 
ロンドン大学(イギリス)、ケンブリッジ大学(イギリス)

1947年に物理学から生物学に転向した。
モーリス・ウィルキンスにDNA回析分析の研究に誘われる。
ジェームス・ワトソンとともにDNAの二重螺旋構造を発見(解釈)。
1953年に科学雑誌Natureにたった2ページの論文を投稿した。
物理学に転向したクリックは、たった6年足らずで世界的な論文の執筆者となってしまう。科学史上の記念碑的論文。

この功績によって46歳でノーベル賞受賞。
ノーベル賞に先立つ1959年にロンドン王立協会からフェローシップ(会員資格)を付与された。


<黒人差別発言について>
DNAも遺伝子も目に見ることは出来ないので、構造すら推測(解釈)するしかない。
それらがどのような形質を表現するのか、どのよう役割を持って働いているのかということも、当然推測(解釈)の域を出ない。
ジェームズ・ワトソンの黒人差別と問題視された発言がどのような流れの中でどのような意図を持って発せられたのかは私には分からない。
がしかし、分子生物学やDNA遺伝子の権威が、その専門分野において解釈したことだとするならば、「DNAの二重螺旋構造」の解釈は世紀の大発見と褒め称え、「アフリカ人の知性は遺伝的に劣っている」という解釈は言語道断という、両極端の世間の対応の違いはおかしい。
遺伝子の解釈は今や幾らでも行われている。
自分に都合の良い解釈は認めて、自分に都合の悪い解釈を認めないのが、果たして公平中立な科学だろうか。


<ロンドン王立協会(ロイヤルソサイエティ)について>
正式名称は、
The President, Council, and Fellows of the Royal Society of London for Improving Natural Knowledge である。
ロイヤルだったりロンドンという地名が使われていたりするが、事実上イギリスの国立アカデミー(政府より金銭的支援や公認を受け、学術的な研究活動や、学術分野における標準化を行っている学術団体)ということになる。
イギリスにおける科学者団体の頂点にあたる。また、科学審議会(Science Council)の一翼をになうことによって、イギリスの科学の運営および行政にも大いに影響をもっている。
世界的にも現存する科学学会としても最も古い。
1660年にイギリス国王チャールズ2世の許可を得て設立された特許法人である王立協会は、イングランド国教会の許可を経ずに役員の判断で出版活動ができるようになった。
先日書いたモンタギュー事件・裁判の当事者であるモンタギュー男爵はチャールズ2世の子孫にあたる。チャールズ2世はスコットランド起源の王室の一員。1500年代にカトリックから離れたヘンリー8世はウェールズ起源の王室で両者は起源(家系)が違う。

王立協会の設立に多大な影響を与えたのは、フランシスコ・ベーコン(Francis Bacon)が書いた『ニュー・アトランティス』というユートピア小説である。

Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans(フランシスコ・ベーコン)
1561 - 1626年 65歳没
イギリスの哲学者、神学者、法学者、貴族(子爵)である。
「知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)の名言や、「イドラ」の概念で有名。

エリザベス女王の下で最高官職を務めた人物の子として生まれた。
12歳のときケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、16歳の時には駐仏イングランド大使の一人としてフランスに渡った。政府高官を目指したが父親が18歳の時に亡くなり、本人は23歳で下院議員となった。エリザベス女王からは嫌われた。
1603年に王位がエリザベス女王(ウェールズ起源王室の最後)からジェームズ1世(スコットランド起源王室の最初)に変わると、ベーコンはナイトを受章。
1618年57歳の時に政府の大法官になり、ヴェルラム男爵の爵位も与えられる。さらに1621年60歳でセント・オールバンズ子爵にランクアップ。
しかしそれからほどなくして収賄で国会から告発され、公職から追放された。その後は研究や執筆活動に勤しむ。

ベーコンは1620年に執筆した著書の中で、実験と観察に基づく個々の事実から法則・結論を導き出す帰納法を提唱した。
具体的経験的事実が認識の基礎であるとする立場を経験論といい、イギリスで発達したが、帰納法は経験論の基礎となったのでフランシス・ベーコンはイギリス経験論の祖とも言われる。
その翌年の告発で失脚したのでひょっとしたら・・エリザベス女王に嫌われジェームズ1世に好かれたからカトリック派だと思っていたら、帰納法や経験論を提唱しだし、「いやいやこれは不味い」と思ったカトリック派の者がいたりして。
1626年、冷蔵冷凍が保存に効果があるか、屋外で鶏の体に雪を詰めて観察する実験をしていて、風邪をひき肺炎となって亡くなってしまったそう。

"New Atlantis"『ニュー・アトランティス』 
ユートピア小説。1627年発行。
この著書に出てくる架空の島の名はベンセレム(Bensalem)、理想の学問の府が「ソロモンの館」(Salomon's House) である。ベーコンはここで、科学技術の発達したユートピア世界と理想の国家を描いている。この著作は未完のまま、ベーコンの死後に出版された。ハーバード・クラシクスの第3巻に収められている。
(あらすじ)
ペルーから船出した「われわれ」一行は、日本、中国を目指すが風に恵まれず、進退きわまっていた。そんな時にようやく未知の島「ベンセレム」にたどり着く。ここは「われわれ」と同じキリスト教徒の国であり、一行は異国人のための館に案内され手厚くもてなされると、この国の歴史や社会制度、慣習、「ソロモンの館」という学究機関の話などを聞く。それは科学技術の発達した理想郷のような世界であった。





by yumimi61 | 2018-03-12 16:15