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2018年 03月 23日 ( 1 )

1920年、ロスチャイルド家の支援により公益キュリー財団(Fondation Curie)が創設された。
その目的はラジウム研究所の活動資金を調達すること。
この時より、キュリー財団とラジウム研究所が一緒になって、キュリー研究所(Institut Curie)になった。
財団というのは拠出された財産で設立される。これを出したのがロスチャイルド。
財産を運用などして金利など運用益をあげる、公的補助金や民間助成金などの外部資金を獲得する、一般市民などから広く資金協力してもらう、それらの資金を事業原資として運営する法人である。

投資家というのは、社会的連帯感や倫理的義務感に基づいて、自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動を起こし奉仕しているわけではない。決して慈善事業(罹災者・病人・貧民の救済など)ではない。
投資することによって一人前の産業や会社に育て上げ、やがて投資以上の利益を回収するのが目的である。
投資家の立場に立てば、利益の副産物として科学や産業の発展があるということになる。主産物ではない。
副産物である科学や産業の発展が人類や社会にとって望ましいものかどうかなんてことは大して重要ではない。副産物は廃棄物になることも多い。(その逆でなかには副産物と主産物が逆転することもあるけれども)
投資家には何かを開発したり発展させたという誇りも名誉も付いてこない。
投資家にとって価値があり、目的とするものは、あくまでもお金(利益)を得る事なのだ。
ロスチャイルドは投資家であり、実業家でもある。
利益が出るかどうかいまひとつ自信が持てないものに、闇雲に大金を注ぎ込み続けるのは賢くないし得策ではないと考えるだろう。
富豪なので先陣を切ってお金を出してはいるが、財団という形で資金提供を他人にも振る形を採っている。
それが「放射線」への認識だったはずだ。


現在ヨーロッパにはマリー・キュリー財団(Marie Skłodowska-Curie actions;MSCA)という有名な給付型奨学金(助成金)が存在する。
日本語訳は「マリ・キュリー財団」であるが、これは上記キュリー財団とは直接関係はない。
マリー・キュリー財団(Marie Skłodowska-Curie actions)は、欧州連合(EU)の欧州委員会によって1996年にMarie Curie actionsとして設立された助成金である。
2014年以降は、マリ・キュリー(結婚後のフランス名)ではなくて、ポーランドの旧姓kłodowskaも名称に入れている。(ファーストネームMarieはフランス名、ポーランド名ではMaria)
ヨーロッパにおける研究を助成支援するものであるが、奨学生や研究者はヨーロッパ人でなくても構わない。
欧州研究評議会(ERC)が60億ユーロ(現レートで7,700億円)ほど拠出している。
これまでに10万人以上学生や研究者が支援を受けてきたという(20年として年間5,000人以上)。
拠出金だけだとして10万人で割れば、1人当たり770万円の支給という計算になる。
奨学金の場合、渡航費・授業料・滞在費などすべてがカバーされる。
こんなにお金を出してもらうと、やはりそれなりに出資者の意向に縛られることになる。出資者の意向で教育されるというか、抱え込みというか。お礼奉公とは感じさせないお礼奉公とか。
つまりベクトルを合わせる作用がある。



キュリー研究所
前身はラジウム研究所。現在に至るまで少数精鋭を貫き、所属人数に対するノーベル賞受賞者は他の研究機関に比べて群を抜いて多い。(とはいってもほとんどキュリー一族である)

当研究所関係者によるノーベル賞受賞歴。
 ピエール・キュリー、1903年物理学賞
 マリー・キュリー、1903年物理学賞
 マリー・キュリー、1911年化学賞
 イレーヌ・ジョリオ=キュリー、1935年化学賞
 フレデリック・ジョリオ=キュリー、1935年化学賞

 ピエール=ジル・ド・ジェンヌ、1991年物理学賞
 ポール・ナース、2001年生医学賞 



Irene Joliot-Curie(イレーヌ・ジョリオ=キュリー)1897年生まれ、1956年58歳没。
キュリー夫妻の長女。夫妻がマリの博士論文のためにベクレルの研究の続きに取り組む前年に生まれている。
彼女は両親と一緒に生活した記憶はないという。

パリ大学でポロニウムのアルファ線に関する研究で学位を取得。1926年、母マリーの助手だったフレデリック・ジョリオと結婚。1934年に30Pを合成し、1935年、「人工放射性元素の研究」で、夫フレデリックと共にノーベル化学賞を受賞した。
白血病で亡くなった。

Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)1900年生まれ、1958年58歳没。

1925年にキュリー研究所でマリ・キュリーの助手となり、そこでマリの娘であるイレーヌと知り合い、翌1926年に結婚した。

1934年に妻イレーヌと共に、アルミニウムへアルファ線を照射することによって世界初の人工放射性同位元素である30Pの合成に成功し、それにより1935年に夫婦でノーベル化学賞を受賞した。
第二次世界大戦時はレジスタンス運動に参加し、戦後はフランス国立科学研究センター総裁に就任すると共にフランス原子力庁長官となり、コレージュ・ド・フランスの教授も務めた。1947年には、フランス初の原子炉「ゾエ」の開発に成功。

白血病で亡くなった説と、肝臓病で亡くなった説がある。


人工元素とは人間が作り出した元素であり、自然界には存在しない。(プルトニウムなどは後年わずかながら天然にも存在すると報告されているが)
人工元素は加速器や原子炉を使った核反応または核分裂によって作り出す。人工元素は全て人工放射性元素である。
それを世界で始めて作ったのが、キュリー夫妻の長女とその夫。
アルミニウムにアルファ線を照射してリン30という人工放射性元素を作った。
それが1934年のことだった。
これを「放射化」とも言う。
このことから言えば、原子炉やそこで使われている物品の物質では放射化が起こるはずである。つまりエネルギーを作るために投入された放射性物質とそれが崩壊して放出された放射性物質だけでなく、装置や物品を作っている物質(安定元素)が放射性元素に変わって放射能力を保有してしまっているということになる。また常時大量の放射線を浴びている金属以外の物質の劣化は著しいはず。金属だって相当のエネルギーを受け、海水や塩素水をかぶり、むき出しで水や何らかの溶液に浸かりあるいは雨水にあたり潮風に吹かれているとすれば材質が劣化し違うものになりかねない)

長崎に落とされたという原爆はプルトニウム爆弾であるが、プルトニウムという人工放射性元素が作られたのはすでに戦争が始まっていた1941年のことである。
イギリス政府もアメリカ政府もどちらも原爆開発には然程乗り気ではなかったが、その風向きが変わったのは人工放射性元素プルトニウムが新発見されたからだった。

プルトニウムはウランの欠点を補った。
補うように理論を構築したら、あっけなくその通りのことが現実でも起こったということなのである。
プルトニウムの爆弾と言っても、こちらも分離が出来ているわけではない。
ウラン238からの反応を用いるわけで、実際に仕込むのはウランである。

以前書いたがいろいろと問題は多く、とても現実的なこととは捉えられない。


プルトニウムの陽子数は94。ウランの陽子数は92で天然元素の中では一番多いわけだが、それよりさらに2つ多い。
つまりウランより重く不安定な元素なのだ。
ウランより重い元素(超ウラン元素)を人工的に作り出すことを可能にしたのは加速器だった。

加速器は粒子に運動エネルギ−を与え速度を上げる装置である。
放射線は電磁波放射線と粒子線に大別できる。
X線やガンマ線は電磁波放射線。ベータ線やアルファ線・中性子線・電子線・陽子線などは粒子線。
電子を加速すれば電子加速器、陽子を加速すれば陽子加速器である。

前記事にコバルト60やセシウム137が放出するガンマ線によって滅菌が行われているという話を書いたが、そのガンマ線はガンマ崩壊にて自然に放出されるものである。崩壊によってガンマ線は自然に直進していく運動エネルギーを持っているということ。
ガンマ線の場合、電子は二次的に発生し、その電子が電離作用を起こして滅菌や物性変化を起こす。
一方の加速器は、電場を用いて人工的に運動エネルギーを生み出し電子や陽子を放出させる。
これを用いた電子線滅菌というものがあるが、加速器で直接電子を発生させ、電子そのものを照射することになるので、二次的ではなく直接的に滅菌や物性変化を起こす。
加速という言葉で勘違いを誘いそうだが、透過率(物質をすり抜ける力)はガンマ線のほうが優れていて、電子線のほうが劣る。
但しガンマ線に比べて単位時間当たりの照射量は5千~1万倍程度も高いので、形状が適していれば非常に短時間での滅菌が可能。
滅菌線量25kGyを照射するのにかかる時間はガンマ線では数時間かかるが、電子線は数秒で済む。
電磁波であり透過しやすいガンマ線と、粒子線であり透過しにくいベータ線やアルファ線が人間の身体に与える影響、特に人間が体内に放射性物質(放射性元素)を取りこんでしまった場合(内部被爆)の影響はそれくらい違うということになる。

加速器によってウランより重い元素が初めて作られたのは1940年。
アメリカの科学者がウラン239からネプツニウム(陽子数93)を作りだした。(1951年にノーベル化学賞)
その年の終わりから翌年にかけてプルトニウムが作り出されたが、放射性元素というのは放っておいたって不安定で崩壊していくものなので、一度作った「プルトニウム」(分離は出来ていないが)をいついつまでも維持することは出来ない。量にしても同じ。



by yumimi61 | 2018-03-23 13:27