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2018年 03月 31日 ( 2 )

第二次世界大戦前後のロスチャイルド・ロンドン家当主、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターはソ連のスパイと疑われたそうだが、実際にスパイとして逮捕された人物を紹介しようと思う。

Klaus Emil Julius Fuchs(クラウス・エミール・ユリウス・フックス )
1911年生まれ、1988年76歳没。
ドイツ生まれの理論物理学者。

プロテスタントルター派の神学者の父の下に生まれた。
大学時代から政治活動に身を投じドイツ社会民主党の活動家となり、1932年にはドイツ共産党に入党した。
明らかに反カトリック派である。
ナチス政権が誕生した1933年にフランスを経由してイギリスに渡った。
ユダヤ人ではないので迫害されたということではなさそうなので、親カトリックとなったドイツが嫌になったか、便乗移住といったところか。イギリスで博士号取得。
第二次世界大戦勃発後の1940年6月、敵国ドイツの国民として拘束されマン島の収容所へ、さらにケベック州の収容所に移されたが、マックス・ボルンのとりなしで翌年には釈放されイギリス軍の原爆計画に加わり、1942年にはイギリス国民となった。
(マックス・ボルンはユダヤ人でドイツ出身。1933年にイギリスに移住。イギリスの大学でフックスの師であった)

独ソ戦の勃発後、彼はソビエト連邦もイギリスの秘密の軍事研究の内容を知るべきだと考えソ連側との接触を開始した。1941年8月にはGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報部)のロンドン支部で活動していたドイツ出身のエージェントと接触し、「rest」のコードネームで呼ばれるようになった。

フックスはドイツ国籍のままイギリスに滞在していたため戦争勃発後の1940年にイギリスで収容所に送られるも、ドイツ出身の師のとりなしで1941年(30歳)に釈放され、その後はイギリス軍の原爆計画に加わり、独ソ戦勃発後にソ連との接触を開始したと書かれている。
しかしイギリスは1941年当時原爆には否定的だったのだ。
彼がソ連に情報を流したとするならば、「原爆は不可能である」か「原爆は不可能だと判断されている」という情報である。
1941年の終わり、真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が勃発。アメリカとイギリスは協力体制に入った。
アメリカのマンハッタン計画は1942年にスタートし、1943年8月19日にケベック協定が結ばれた。

この時に原爆計画に加わっていた科学者であるスパイが探るのは原爆開発の進捗状況であろう。
ケベック協定を結んだのは良いが、不可能なはずだった原爆開発の進捗状況はいったいどうなってるのだろうか、まずそうした疑問が生じるはずだ。
もしもイギリスで原爆開発が相当に進んでいたとするならば、科学者でありスパイであるフックスがイギリスを離れるはずがない。
でも彼はアメリカに渡った。
それはイギリスにおいて開発が進んでいなかったことの証になる。
フックスがソ連のスパイならば、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。
フックスがイギリスのスパイだったしても、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。

1943年末にはアメリカ合衆国に渡りコロンビア大学に、後にロスアラモス国立研究所に勤務し、理論物理学者として、原子爆弾および水素爆弾の製造に不可欠な臨界計算に多大な貢献をしていた。

スパイと疑われないためには研究に疑惑の目を向けるよりも貢献しているふうに見せたほうが良いに決まっている。

フックスは第二次世界大戦後イギリスへ戻り、米国・英国・カナダの政府高官らの間で核開発など軍事上の機密技術を交換するための合同政策委員会 (Combined Policy Committee) にも出席していたが、この間もドナルド・マクリーン(「ケンブリッジ5人組」の一人)やアレクサンドル・フェクリソフなどの情報員と接触して原爆の、後には水爆の製造理論などの情報を流し続けた。こうした情報なくして、ソ連が1940年代後半に急速に核兵器の開発および配備を進めることは困難であった。

第二次世界大戦後はイギリスはアメリカから核開発へのアクセスを一切遮断されたはずだ。少なくとも表向きはそういうことになっている。
またアメリカは共産主義者を大々的に締め出したように情報管理には非常に神経質になっていた。
ドイツ出身の共産党員でイギリスから送り込まれた科学者であるフックスが抜いた情報でソ連が核実験の成功に漕ぎ着けるならば、科学者を送りこんだイギリスがすぐに成功していなければおかしいし、フランスにだってそのチャンスがあるはず。
しかし自国の科学者をアメリカのマンハッタン計画に送りこんだイギリスはアメリカからは7年、ソ連からも3年も遅れての成功発表だった。
マンハッタン計画は一から計画をスタートさせて僅か3年で実戦に使用されたのだ。
その成功を思えば、幾らなんでもイギリスのこのタイムラグは信じ難い。


1949年に核実験の成功を発表したソ連。
アメリカの仲間だったイギリスやフランスが成功していないのに、アメリカが裏切ったソ連が成功したというのは如何せん都合が悪い。
本当は「成功なんかするわけないだろう!」と言いたいが、3年で原爆投下を成功させた手前まさかそんなことは言えない。
だけどだけどイギリスやフランスが先を越されたのはやっぱり格好がつかない。
これはもうスパイがソ連に原爆の情報を漏らしたと言うしかない。(ところでイギリスはアメリカにスパイを送りこみ原爆の情報を得なかったんですか?)

ソ連の暗号を解読する米英共同研究・ヴェノナ計画の結果、フックスの関与が明らかになった。MI5の捜査を受けたフックスは尋問の後、1950年1月にスパイであるとの告白を始めた。

フックスはイギリスおよびアメリカの核兵器関連の機密情報をソ連に漏らした軍事スパイとして告発され、1950年3月1日、フックスはわずか90分の裁判で最高刑の懲役40年の判決を受けた。同年12月、フックスは英国の国籍を剥奪される。フックスが自白をする気になったのは、死刑を逃れるためだったという意見がある一方、当のフックスは、自白をした以上は釈放されて、また研究生活に戻れるという程度にしか考えていなかった節が見られるともいう


1959年6月23日に釈放されたフックスは、東ドイツのドレスデンに移住する。そこでの講義で、フックスは中華人民共和国の研究者に核技術を伝え、その情報を元に中華人民共和国は5年後に核実験を行ったとされている。

その後も東ドイツでフックスは科学者としての活動を続け、多大な功績を残している。レオポルディナ科学アカデミーのメンバーに選ばれているほか、ドイツ社会主義統一党中央委員会のメンバーにも選ばれ、引退する1979年までロッセンドルフの核研究所の副所長を勤めた。カール・マルクス勲章も受賞している。1988年1月28日にドレスデンで死去。


こうなるとフックスは何気に核実験成功の正当性を宣伝する広報マンのようになっている。
核実験や原爆が嘘でないようにフックスが振る舞えば、アメリカと日本の立場は守られるし、核実験に成功したと発表したソ連を裏切ることにもならない。
核開発が進んでウランが売れれば鉱山を所有しウランを生産する国や企業も儲かる。フランス、ベルギー、アメリカ、カナダ、イギリス(南アフリカ、オーストラリア)など。
さらにソ連やアジアでも鉱山開発や需要が広がる。



上記のフックスはソ連のスパイ容疑でイギリスで逮捕された人物だが、次の夫妻はソ連スパイ容疑でアメリカで逮捕された人物。2人は電気椅子で死刑になった。

Julius and Ethel Rosenberg(ローゼンバーグ夫妻)
(夫)Julius Rosenberg(ジュリアス・ローゼンバーグ)1918年生まれ
(妻)Ethel Greenglass Rosenberg(エセル・グリーングラス=ローゼンバーグ )1915年生まれ

2人ともユダヤ人移民家庭に生まれた。ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちである。
妻の両親はロシアとオーストリアのユダヤ系移民だった。
夫はニューヨーク市立大学シティカレッジを1939年21歳の時に卒業しており、電気工学の学位を取得した。
妻は海運会社で秘書の仕事をしていた。
2人は1939年に結婚した(夫21歳、妻24歳)。
終戦時1945年でも夫27歳、妻は30歳。
1943年と1947年に生まれた息子がいた。
彼らは共産主義者であった。

容疑は、妻エセルの弟(David Greenglass デービッド・グリーングラス;1922年生まれ)が第二次世界大戦中にロスアラモスの原爆工場に勤務しており、その弟から原爆製造などの機密情報を受け取ってソ連に流したというもの。
弟も当然ニューヨーク生まれ。ブルックリン工科大学に進学したが中途退学した。
20歳の時に結婚している(妻18歳)。彼も共産主義者であった。
終戦1945年でも23歳と21歳という若い夫婦であり、幼子がいた。

ローゼンバーグ夫もグリーングラスもアメリカ軍関係の工場で働いていた。
ソ連のスパイだったのはローゼンバーグ夫妻のほうで、諜報活動の対象は原爆に限っていたわけではないが、妻の弟が原爆工場で働いていると知ってスパイに誘い込んだり、情報をもらったりしたということらしい。


逮捕当時、公式に「証拠」とされるものはグリーングラスの自白のみだった。ローゼンバーグ夫妻は裁判で無実を主張したが、1951年4月5日に死刑判決を受けた。夫妻に同情した支援者によって、西側諸国を中心とした助命運動が行われた。ローゼンバーグ夫妻の冤罪を訴えた著名人には、サルトル、コクトー、アインシュタイン、ロバート・オッペンハイマー、ハロルド・ユーリー、ネルソン・オルグレン、ブレヒト、ダシール・ハメット、フリーダ・カーロ、ディエゴ・リベラ、ピカソ、フリッツ・ラング、ピウス12世などがいた。
アメリカ政府は、この死刑判決が重すぎるとするガーディアン(英国)など、世界のメディアによって、厳しく批判された。

司法側からは「供述すれば死刑にはしない」との取引誘導もあったが、ローゼンバーグ夫妻は供述を拒否し続け、最終的に死刑が執行された。なお、司法長官室と刑務所間のホットラインが死刑執行まで繋がっており、この状況が刻々と報道されて全世界が注目し、興奮に沸いたが、ローゼンバーグ夫妻は1953年6月19日夜、ニューヨーク州シンシン刑務所にて同じ電気椅子にて、最初に夫ジュリアスが午後7時6分に、そして次に妻エセルが午後7時16分に、それぞれ処刑された。建国後初のスパイ容疑による民間人の処刑であった。

長年の間多くの研究者や文化人、マス・メディアの間では、この事件そのものが「でっち上げである」とされ続けていた。しかし、冷戦崩壊後の1995年に「ベノナ計画」についての機密が解除されたことにより、裁判では明らかにされなかった証拠も明らかになり、夫婦共にソ連のスパイであったことが判明している。だが、世界のメディアや文化人が主張したのは冤罪ということだけではなく、スパイで死刑は重すぎるという点や、マッカーシズムの影響を受け、罪が本来妥当な刑罰よりも重くなったのではないかという批判も含んでいた。また、容疑者には黙秘権もあり、自己に不利益な供述を強要されない、疑わしきは罰せずなどの刑事弁護の基本概念も存在する。しかし、政府側に(防諜上の問題があって公的に提示できなかったとはいえ)明確な証拠があり、何よりも彼らの本来の所属となるソ連ではスパイ行為は(単なる密告だけで)拷問の上に処刑されるのが普通で、相互主義的な観点で言えばもっと過酷な扱い(自白剤の投与や拷問など)があってもおかしくなかったと指摘する向きもある。

妻エセルについては弟夫婦をソビエトのスパイ組織に夫と共に勧誘している記述が存在するも、国家機密をソ連に手渡す行動を明確に示唆する記載はなく(夫の行為を知っていたのは明らか)、死刑となった罪状そのものには関与していなかった可能性も残っている。



ローゼンバーク夫妻も妻の弟のグリーングラスも若い。
しかも大学を出て学位を取得し研究職に就いていたというわけではない。
軍関係の工場で働いていたわけだが、原爆情報を漏らしたというグリーングラスは単なる若い作業員だったはずだ。
その若さと経歴では工場の技術者や監督者として働くことも難しいと思う。
要するに原爆製造に繋がるような詳細な情報を抜ける立場にない。
よっぽど精通していて探る気がなければ、彼が工場で何をし、周囲の人間が何をしているか、それくらいしか分からないはず。
例えば、「原爆なんか作ってないよ、本当は飛行機を作っているんだ」といった情報ならば原爆製造に繋がらなくても大した情報になるが、そうでなければ情報の価値はそれほどないと思われる。
要するに見せしめと宣伝の要素が強い逮捕と処刑ではなかったろうか。
情報内容なんか関係なくてスパイ行為そのものが死刑に値するというようなことも書かれているが、戦後に民主主義国家の司法がそこまで行うことはやはり冷静ではない。

グリーングラスを通してジュリアスがソ連に伝えた情報の質については、より中枢に近い立場にいたフックスと比較するとかなり劣ったものであり、他にも複数いたエージェントの中では際だったものではなかった。







by yumimi61 | 2018-03-31 00:17
第二次世界大戦前後のロスチャイルド・ロンドン家当主、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターはソ連のスパイと疑われたそうだが、実際にスパイとして逮捕された人物を紹介しようと思う。

Klaus Emil Julius Fuchs(クラウス・エミール・ユリウス・フックス )
1911年生まれ、1988年76歳没。
ドイツ生まれの理論物理学者。

プロテスタントルター派の神学者の父の下に生まれた。
大学時代から政治活動に身を投じドイツ社会民主党の活動家となり、1932年にはドイツ共産党に入党した。
明らかに反カトリック派である。
ナチス政権が誕生した1933年にフランスを経由してイギリスに渡った。
ユダヤ人ではないので迫害されたということではなさそうなので、親カトリックとなったドイツが嫌になったか、便乗移住といったところか。イギリスで博士号取得。
第二次世界大戦勃発後の1940年6月、敵国ドイツの国民として拘束されマン島の収容所へ、さらにケベック州の収容所に移されたが、マックス・ボルンのとりなしで翌年には釈放されイギリス軍の原爆計画に加わり、1942年にはイギリス国民となった。
(マックス・ボルンはユダヤ人でドイツ出身。1933年にイギリスに移住。イギリスの大学でフックスの師であった)

独ソ戦の勃発後、彼はソビエト連邦もイギリスの秘密の軍事研究の内容を知るべきだと考えソ連側との接触を開始した。1941年8月にはGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報部)のロンドン支部で活動していたドイツ出身のエージェントと接触し、「rest」のコードネームで呼ばれるようになった。

フックスはドイツ国籍のままイギリスに滞在していたため戦争勃発後の1940年にイギリスで収容所に送られるも、ドイツ出身の師のとりなしで1941年(30歳)に釈放され、その後はイギリス軍の原爆計画に加わり、独ソ戦勃発後にソ連との接触を開始したと書かれている。
しかしイギリスは1941年当時原爆には否定的だったのだ。
彼がソ連に情報を流したとするならば、「原爆は不可能である」か「原爆は不可能だと判断されている」という情報である。
1941年の終わり、真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が勃発。アメリカとイギリスは協力体制に入った。
アメリカのマンハッタン計画は1942年にスタートし、1943年8月19日にケベック協定が結ばれた。

この時に科学者であるスパイが探るのは原爆開発の進捗状況であろう。
ケベック協定を結んだのは良いが、不可能なはずだった原爆開発の進捗状況はいったいどうなってるのだろうか、まずそうした疑問が生じるはずだ。
もしもイギリスで原爆開発が相当に進んでいたとするならば、スパイであるフックスがイギリスを離れるはずがない。
でも彼はアメリカに渡った。
それはイギリスにおいて開発が進んでいなかったことの証になる。
フックスがソ連のスパイならば、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。
フックスがイギリスのスパイだったしても、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。

1943年末にはアメリカ合衆国に渡りコロンビア大学に、後にロスアラモス国立研究所に勤務し、理論物理学者として、原子爆弾および水素爆弾の製造に不可欠な臨界計算に多大な貢献をしていた。

スパイと疑われないためには研究に疑惑の目を向けるよりも貢献してるうふうに見せたほうが良いに決まっている。

フックスは第二次世界大戦後イギリスへ戻り、米国・英国・カナダの政府高官らの間で核開発など軍事上の機密技術を交換するための合同政策委員会 (Combined Policy Committee) にも出席していたが、この間もドナルド・マクリーン(「ケンブリッジ5人組」の一人)やアレクサンドル・フェクリソフなどの情報員と接触して原爆の、後には水爆の製造理論などの情報を流し続けた。こうした情報なくして、ソ連が1940年代後半に急速に核兵器の開発および配備を進めることは困難であった。

第二次世界大戦後はイギリスはアメリカから核開発へのアクセスを一切遮断されたはずだ。少なくとも表向きはそういうことになっている。
またアメリカは共産主義者を大々的に締め出したように情報管理には非常に神経質になっていた。
ドイツ出身の共産党員でイギリスから送り込まれた科学者であるフックスが抜いた情報でソ連が核実験の成功に漕ぎ着けるならば、科学者を送りこんだイギリスがすぐに成功していなければおかしいし、フランスにだってそのチャンスがあるはず。
しかし自国の科学者をアメリカのマンハッタン計画に送りこんだイギリスはアメリカからは7年、ソ連からも3年も遅れての成功発表だった。
マンハッタン計画は一から計画をスタートさせて僅か3年で実戦にまで使用されたのだ。
その成功を思えば、幾らなんでもイギリスのこのタイムラグは信じ難い。


1949年に核実験の成功を発表したソ連。
アメリカの仲間だったイギリスやフランスが成功していないのに、アメリカが裏切ったソ連が成功したというのは如何せん都合が悪い。
本当は「成功なんかするわけないだろう!」と言いたいが、3年で原爆を投下を成功させた手前まさかそんなことは言えない。
だけどだけどイギリスやフランスが先を越されたのはやっぱり格好がつかない。
これはもうスパイがソ連に原爆の情報を漏らしたと言うしかない。(ところでイギリスはアメリカにスパイを送りこみ原爆の情報を得なかったんですか?)

ソ連の暗号を解読する米英共同研究・ヴェノナ計画の結果、フックスの関与が明らかになった。MI5の捜査を受けたフックスは尋問の後、1950年1月にスパイであるとの告白を始めた。

フックスはイギリスおよびアメリカの核兵器関連の機密情報をソ連に漏らした軍事スパイとして告発され、1950年3月1日、フックスはわずか90分の裁判で最高刑の懲役40年の判決を受けた。同年12月、フックスは英国の国籍を剥奪される。フックスが自白をする気になったのは、死刑を逃れるためだったという意見がある一方、当のフックスは、自白をした以上は釈放されて、また研究生活に戻れるという程度にしか考えていなかった節が見られるともいう


1959年6月23日に釈放されたフックスは、東ドイツのドレスデンに移住する。そこでの講義で、フックスは中華人民共和国の研究者に核技術を伝え、その情報を元に中華人民共和国は5年後に核実験を行ったとされている。

その後も東ドイツでフックスは科学者としての活動を続け、多大な功績を残している。レオポルディナ科学アカデミーのメンバーに選ばれているほか、ドイツ社会主義統一党中央委員会のメンバーにも選ばれ、引退する1979年までロッセンドルフの核研究所の副所長を勤めた。カール・マルクス勲章も受賞している。1988年1月28日にドレスデンで死去。


こうなるとフックスは何気に核実験成功の正当性を宣伝する広報マンのようになっている。
核実験や原爆が嘘でないようにフックスが振る舞えば、アメリカと日本の立場は守られるし、核実験に成功したと発表したソ連を裏切ることにもならない。
核開発が進んでウランが売れれば鉱山を所有しウランを生産する国や企業も儲かる。フランス、ベルギー、アメリカ、カナダ、イギリス(南アフリカ、オーストラリア)など。
さらにソ連やアジアでも鉱山開発や需要が広がる。







by yumimi61 | 2018-03-31 00:17