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2018年 09月 18日 ( 1 )

組織人とボランティア、職業人とボランティア

消防隊員もパイロットも、ドクターヘリに乗る医師や看護師も、それを業務で行っている。業務で行う限り、多かれ少なかれ対価である報酬を得ている。
しかし防災ヘリや救急車やドクターヘリの利用者からは利用料を取らない。
かなりリスクのあるサービスを無償提供している。
労働者に対する報酬やら事業運営する経費が掛かっているにも関わらず、利用料が発生しない。要するにこれらは税金で賄う事業である。

国や自治体が行うこれらのサービスは、国や自治体にとっては率先して行っている「ボランティア」ということになる。
自らその職業を志し就労している労働者もある意味「ボランティア」である。
でも労働者がヘリコプターに乗ることを就労前に予想できず、事業主の命令によって否応なく行っているとするならば、それが志願して行っているボランティアと言えるかどうかは微妙である。

東京オリンピックのボランティアの話も同様で、国や自治体は誰に強制されたわけでもなく強く志願してオリンピックを開催するわけである。
そこに属する大学や大学に属する学生は、自らそこに大学を設置したり、自ら志願してその大学へ進んでいる。
要は事業主に雇われている労働者のようなもの。
だから「ボランティア活動に参加しなさい」は「ヘリコプターに乗りなさい」と同じだと捉える事が出来る。

もしも国や自治体が国民の中から無作為に、あるいは作為的にヘリコプターに乗る人を選んで、「あなたがこの仕事をしなさい」と強権的に押し付ければそれは強制となるだろうが、自分で選択したところに属していて(且つ属さないことを選べる自由が存在していて)何らかの役割が回ってくるということは少なからず「志願」の要素が潜んでいるということになる。

ボランティア(volunteer)
聖書の副詞形ヴォルンターテ「自ら進んで」の語源は動詞「volo(ヴォロ)」(「欲する」「求める」「願う」の意)である。ラテン語ヴォルタースから英語の volunteer が誕生した。ボランティア活動において、交通費や実費、その他経費を受け取る活動を有償ボランティアと称する例も存在する。英語の volunteer の語の原義は志願兵であり、「ボランティアをする人」、「ボランティアをする」のほか、志願兵の意味もある。徴集兵を意味する drafts とは対義の関係にある。十字軍の際には「神の意思」(voluntas) に従うひとを意味した。

volunteer
(名詞)志願者、ボランティア、篤志奉仕家、志願兵、義勇兵
(形容詞)有志の、志願(兵)の、義勇(軍)の、〈植物が〉自生の
(他動詞)〈奉仕・援助などを〉自発的に申し出る[提供する、買って出る]、〈意見・情報などを〉自発的に[進んで]述べる、〈…と〉進んで言う
(自動詞)進んで事に当たる[従事する]、〔…に〕志願する、〔…の〕徴兵に応募する、進んで〔…として〕勤めたいと申し出る


ボランティアに無償という意味は無く、無償であるとは決まっていない。あくまでも志願したかどうかがポイントである。
有償という条件であっても無償という条件であっても求めている人がいるならば、それに自ら応じるかどうかということだ。
一方、求めがないのに自ら提供するサービスがある。
求めてない人から対価(お金)が取れるのかという問題があるので、これは基本的に「無償」であろう。

「求めがないのに自ら提供するサービス」は自分がしたいから行っているというスタンスである。行動の責任は自分にある。対価を求めるのもおかしい。相手から感謝されるとも限らない。自分がしたいことは相手にとっては迷惑な行為かもしれない。下手をすれば訴訟を起こされるかもしれない。

航空機内のドクターコールは航空会社が資格者を限定し求めているわけである。
それに医師が自ら名乗り出ればボランティア(有償でも無償でも)だけど、医師には法的に応召義務があると言われれば、そこには強制力が働いている。義務を怠れば違法となり得る。
そういった強制力が働けば、それはもう志願とは違うと思うが、医師になったこと自体が自らの意志(志願)だったと言われれば、もはや全てがボランティアである。

強制してやらせたことには強制した側が責任を持つべきである。
では志願した場合はどうだろうか。
求めと志願が何らかの契約によって行われているならば責任の所在は比較的はっきりしやすいが、そうでない場合には有耶無耶になりやすいというか、志願側が責任を持つ覚悟が必要なんだと思う。


上がる下るの罠

ボランティアと言えば8月にスーパーボランティアが流行りましたね。
スーパーボランティアのスーパーってなんだ?と思ったけれど、それはさておき。
山口県周防大島町で8月12日の10時半頃に行方不明となった男児が8月15日の朝に発見された一件。
男児は8月12日その日に母親とともに実家に帰省したというから、男児が祖父と兄とともに海のほうに向かったということ自体、到着後数時間あるいは数十分内の出来事であったということである。
男児は8月13日が誕生日だったので、行方不明になった時にはまだ1歳だった。翌日2歳となった。
もともと土地勘を持つような年齢でもないが、普段暮らしている場所と違った所で、しかも海に出るのに通った道でない道を1人で帰らせたというのは如何せん注意不足が過ぎる。
後から来た母親たちもその道を使っていないということからしても、その道が妥当だったとは思わない。

そもそも1人帰らせたのがぐずったからであり、祖父は「母親べったりな子」だったとも話していた。
かなり人見知りが強い子であったと思われる。
それを考えると、スーパーボランティアさんの発見時の説明は納得できないことも多い。
状況的にもちょっと信じられないというか不可解な点が多い。
発見されて解決した一件だが、教訓になるような事例ではない。

その中で特に教訓にしてもらっては困るという点を1つ。
「子どもだから下に向かって下ることはない、上に上がるのが子どもの習性と思っていた」というスーパーボランティアさんの談。
捜索開始20分で発見した極意のように語ったおられ、その判断というか知識が称賛されていたが、これはそんなことはない。

幼い子供は確かに高い所が好きな傾向はある。
それは山の高いところということではなく、家の中のテーブルとか椅子とか階段とかベランダとか窓際とか、屋外だった路肩の縁石とかジャングルジムとか滑り台とか、そういうところに上ったりよじ登ったりするのが好きなのである。
同時にそこから飛び降りてみたりするのも怖がらないというか好きなのである。
好奇心旺盛な子供達は視点や視界が変わるのが面白いと感じている。
外が眺められるエレベーターとかエスカレーターとかも好きだったりする。
そうやって自然に空間認識能力を身に着けていく。野山で遊ぶこともその能力を培うのに役立つ。

空間認識能力とは、物体の位置・方向・姿勢・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握、認識する能力のこと。
球技等で狙った場所にボールを当てることや、飛んでくるボールを掴むこと、もしくは2次元に描写された地図を見て、その地形の構造を把握する能力、これが空間認識能力に当たる。

生物が生きていくのに必要な、外敵から身を守ったり、迫り来る危険の度合いを測定するといった能力も、空間認識能力に関係するといわれる。
空間認識能力は、視覚・聴覚など複数の感覚器の協力で成立し、右脳によってコントロールされる。


外科医はこの能力に長けているのではないかと考えられる。
迷子になりやすい人はこの能力がやや劣っていると言えてしまう。
行方不明になった男児は好奇心が旺盛に1人でも野山を駆け回るタイプにはとても見えなかった。

山ということで言えば、人間には下る本能がある。
登る苦しさよりも下りていくほうが楽だと感じるから。
子供には特に下る本能がある。丘を駆け下りていくことや滑り台を滑り落ちることがとても好きである。
登山において道に迷ったら下ることは危険だと言われている。下ると沢など水場に出てしまうことが多いから。
沢には崖や滝、岩や石などがゴロゴロしていて、転倒や滑落をしやすい。
水が飲めたとしても怪我をして動けなくなったり、水に濡れて低体温症を導いてしまったりで、道迷いがいよいよ遭難になってしまい、命が危険にさらされる。
そういう場所は意外に発見されにくい。
にも関わらず人間の本能はどうしても下を目指してしまうのだ。水を目指してしまうのだ。
「迷ったら下るな」という理性が大人だって非常時にはなかなか働かない。1~2歳時では理性を期待するのも無理がある。


どうして彼らはその日に飛んだのだろうか、どうしてあの日に事故に遭わなければならなかったのだろう

防災ヘリは着地するドクターヘリと違って上空から要救助者を吊り上げる機会が多いかと思う。
そのような装置(ホイスト)が付いているから可能であるし、救助に出向く場所が着陸しにくいからでもある。
関東近県の防災ヘリは相互応援協定なるものを結んでいるそうで、点検や不具合、すでに出動している時などヘリが不在の時には応援に入るのだとか。だから県内にのみ出動するとは限らない。
また防災ヘリだから山岳救助だけを専門にしているわけでもない。

山岳地帯は地形が複雑、空気が薄い、気象条件が悪いことが多い、天候が変わりやすい、局所的・突発的な変化もあり得る。
そのような特殊な環境にあるので、本来山岳救助には山岳地帯専用のヘリを使ったほうがよい。もちろんそれだけ高価ではあるけれども。

強風下での救難活動や、高度が高い山岳地(4000 - 5000m位が限界)などでのホバリングは、空気が薄いため揚力を得るのが困難で、高度な操縦技量が要求される。したがってエベレスト山などの高山にはヘリコプターでの支援は望めない。

しかし日本の場合、最高峰が3,776mであり、外国の高い山々に比べれば・・というところはある。救助は頂上ばかりではないと考えればもっと高度は下がる。
一般的なヘリコプターだって低い高度しか飛べないということもない。
ということで一般的なヘリコプターを使用している。
それだって購入代金も維持費も安いものではない。
でも高い所に行けば機体性能ぎりぎりな感じになることもあると思う。
山岳救助のパイロットの技術はそれだけ高いということでもあるはずなのだが。

群馬県防災ヘリ「はるな」は中型ヘリで9人が乗っており、全員が亡くなった。
中型ヘリというのは人間も荷物も適度に乗せられて汎用性が高い。
安定性ならば高出力な大型ヘリ、機動性ならば小さく軽い機体に高出力エンジンを積んだ小回りのきく小型ヘリだが、そのどちらでもない。一番使い勝手がよいヘリと言えるのかもしれない。
その使い勝手の良いヘリが救助ではなく稜線トレイルの視察に向かって事故に遭った。それも開通前日に。
救助中の事故だったら救われたのかと言えば決してそんなことはないと思うけれども、特に遺族にとったら死という現実が何より大きなわけで・・ああだったらこうだったらなんていう仮定は無意味ということは分かっている。
それでもやっぱりどこかやりきれない。






by yumimi61 | 2018-09-18 13:29