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やがてそこに。


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2018年 10月 18日 ( 1 )

転換点

「熊野」という言葉は『古事記』や『日本書紀』にも出てくる。

『古事記』と『日本書紀』は日本の創成期からの歴史書として知られているが、明治天皇と明治新政府がそれまでの歴史を大幅に修正し、それを天下周知させ、教育現場に持ち込んでそう教え込んでいったように、往々にして時の権威権力者やその取り巻きらは歴史を修正してしまう。
自分によって都合の悪いことは抹消し、都合の良いように書き換えるのだ。

神話的なものから日本の創成期の歴史を書かせたのは。何といっても第40代の天武天皇(在位:673年-686年)である。
645年、朝鮮半島の南部から進貢の使者が来て宮中で儀式が行なわれた。 大化の改新につながるクーデターはこの時に起こった。
大化の改新を境に「日本」という国が中央集権化していくのである。
日本史上最大の謎は、大化の改新か明治維新かと言われるくらい、謎多い転換点である。
その転換点には中国や朝鮮の人物が関係しているのではないかと考えられる。

天武天皇が命じたことを現代に例えるなら、現天皇が今生きている誰かに、「700年前後の歴史を詳しく書き記しなさい」と命じたということになる。(初代天皇は紀元前600年頃に没したことになっているので、天武天皇の時代の約1300年前)
「今日から日々の出来事を書き留めなさい」、「今日から毎日の日記を書きなさい」、と命じたわけではない。
もしあなたが命じられたとして、700年前後(飛鳥時代)の日本全体の詳細や力関係を書けますか?

その時代を生きていない者に書けるとしたら、その時代を書いた他の文献を基に(参考に)して書くか、自分で勝手に創り出したフィクションを書くかである。
文献を参考にしたとしても、その文献を書いた者が誰なのかという問題がある。その時代を生きた人間が書いたかどうか。どこに暮らすどういう立場の人だったのか。事実に忠実かどうか、著者の主観や脚色が入っていないか。権威権力者や編集者による圧力や変更はなかったか。
嘘偽りない歴史を残すということは本当に難しいことだと思う。
もっとも嘘偽りない歴史が人間が生きていくために本当に必要なのかという命題もあるかもしれないが。

本来1つ2つの、しかも権力者が介在している歴史書で歴史を決定するのは実に危ういことである。
現代では教科書が公的な歴史書の役割を果たし、テストや試験や受験等で教育者や子供たちを縛り付けて、他の視点を許さない状況を作り出している。

(過去記事より)
古事記と日本書紀
古い時代の天皇史は日本書紀を中心に紐解かれている。
現代の扱いでは日本最古の歴史書が『古事記』、次が『日本書紀』となっている。
天智天皇(在位:668年-672)の時に朝廷に保管していた歴史書が火災によって燃えてしまった。
そのため失った国記に変わる歴史書を次代・天武天皇(在位:673-686)が編纂させた。
しかしそれがそのまま『古事記』だったということではない。

『古事記』
完成は712年。
古事記の資料は天武天皇の命で編纂された『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)である。
取り扱いは第33代推古天皇(在位:593-628)まで。但し第24代仁賢以降は説話や伝承が全くなく系譜のみ。
古事記には天上の国とする「高天原」という語が多用されている。(日本書記には無い)
歌を多く用いているのも特徴的。

『日本書紀』
完成は720年。天武天皇の命から38年の歳月を要した。
最初は川島皇子ら複数名に命じた。
川島皇子(父は天智天皇、母は小豪族出身の女官)は大津皇子(父は天武天皇、母は大田皇女)(大田皇女の父は天智天皇、母は蘇我倉山田石川麻呂の遠智娘)の友人であったが、大津皇子が謀反計画を持っていると朝廷に密告したとされる人物。これにより大津皇子は亡くなっている。
唐(中国)の歴史書風なものを目指していたとされる。執筆は複数人でその中には中国人も含まれるようだ。
用いた資料も多く、執筆量も古事記の比ではないが、意図的な取捨や改ざんが行われているとも言われている。
取り扱いは第41代持統天皇(在位:690-697)まで。

執筆者がどんな一族の者だったのか、誰派だったのか、そうしたことが重要になるはずなのだが、執筆者の詳細はほとんど不明である。
完成までに年月がかかっていることから執筆者が途中で交代したことも考えられる。(その際に追記や改ざんを行う)
また分担して執筆したであろうから、代毎の執筆意図や人物評価が一様でない可能性もある。
現代においては古文を現代分に置き換えて読み解く必要もある。
従って非常に難解である。
但し天智天皇・天武天皇が後世に史実を残すことを試みたということだけは確かであり、やはりそこに深い意味があると思わざるを得ない。

「天皇」の起源は明治時代、確定は大正時代
「天皇」という名称がいつから使われ始めたのかも実ははっきりとしていない。
古くは各国に王がいて、その中の一番の権力者が「大王」と呼ばれていたと考えられている。これが倭国(大倭)の王だったと思われる。
かつて天皇というのは死後に与えられた称号であって、生前から天皇と呼ばれていたわけでもないし、死後にも天皇という称号が与えられなかった人物(天皇)もいた。
それが全て「天皇」で統一されたのはたかだか明治時代のことだ。
裏を返せば、古事記や日本書紀の時代はもちろんのこと、それ以降も「天皇」という存在は実に不確かなものなのである。



日本史上最大の謎は「西」からもたらされた
『日本書紀』や『古事記』における古代日本は西の九州が有力で、神なども西から起こったことになっている。
西の神や有力者が東の大和(現在の奈良県)に征服にやってきて、そこを手に入れ住まわって都にしたというのが、日本創成期の歴史である。
大和よりさらに東の地は未開であり全く文明たるものがなく有力者も存在しなかったというのが九州有力説である。すなわちそれが現代において公的に認められている歴史観なのだ。
しかし古代には幾つもの国が存在していて、それぞれに王がいた。その中で有力な国が倭国だったという見方もあり。中国歴史書から見てもこの説の信憑性が高いような気がする。
『日本書紀』や『古事記』と同じ頃に編集されている『万葉集』など歌集における東国は、大和ではなく、大和から見て東の関東近辺である。

クマノクスビ
後世において熊野詣が流行ったり、世界遺産で「熊野」が重要視された理由の1つはおそらく『古事記』や『日本書紀』に日本神話の神の名称やその他にも幾度かその名が登場するからなんだろうと思う。

クマノクスビは日本神話に登場する神である。
(『古事記』や『日本書紀』に記される)誓約の段において、素戔嗚尊が天照大神の持ち物である八尺勾玉を譲り受けて化生させた五柱(『日本書紀』第三の一書では六柱)の神の一柱で、天照大神の物実から生まれたので天照大神の子であると宣言された。

『古事記』では熊野久須毘命、『日本書紀』本文では熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)、第一の一書では熊野忍蹈命(クマノオシホミ)、第二の一書では熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)、第三の一書では熊野忍蹈命(クマノオシホミ)またの名を熊野忍隅命(クマノオシクマ)、別段(岩戸隠れ)第三の一書では熊野大角命(クマノオオクマ)と表記されている。いずれも最後(5番目または6番目)に化生した神とされている

神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。



「クマノクスビ」の漢字について
・『古事記』では「熊野久須毘」。
熊野は訓読み、久須毘は音読みである。 

・『日本書紀』本文では「熊野櫲樟日」。
全て訓読み由来である。
由来と書いたのは、「櫲」「樟」という漢字はどちらも1字での訓読みでは「クスノキ」と読むから。
訓読みとしてクスに当てるなら2字入れずに1字でも成立した。
2字「櫲樟」では音読みで「ヨショウ」と言うが、これは「クスノキ」の別称である。
「櫲樟」と2文字入れて「櫲樟日」とすると却ってクスビとは読みにくくなってしまうのだ。

クスノキで思い出しただろうか。新田義貞などが味方となった後醍醐天皇に付いた楠木正成の「楠木」も「クスノキ」である。「楠」1字でも「クスノキ」。

クスノキというのは木の名称。

クスノキ(樟 Cinnamomum camphora)
クスノキ科ニッケイ属の常緑高木である。
世界的には、台湾、中国、ベトナムといった暖地に生息し、それらの地域から日本に進出した。(史前帰化植物)
日本では、主に、本州西部の太平洋側、四国、九州に広く見られるが、特に九州に多く、生息域は内陸部にまで広がっている。生息割合は、東海・東南海地方、四国、九州の順に8%、12%、80%である。人の手の入らない森林では見かけることが少なく、人里近くに多い。とくに神社林ではしばしば大木が見られ、ご神木として人々の信仰の対象とされるものもある。


しかし厳密には「楠」はクスノキではなくてタブノキのこと。似ているが属が違う。

一般的にクスノキに使われる「楠」という字は本来は中国のタブノキを指す字である。別名、クス。


タブノキ(椨 Machilus thunbergii)
クスノキ科タブノキ属の常緑高木である。
イヌグス・タマグス・ヤマグス・ツママとも称される。単にタブとも。ワニナシ属(Persea、アボカドと同属、熱帯アメリカなどに分布)とする場合もある(学名:Persea thunbergii)。
日本では東北地方から九州・沖縄の森林に分布し、とくに海岸近くに多い。照葉樹林の代表的樹種のひとつで、各地の神社の「鎮守の森」によく大木として育っている。また横浜開港資料館の中庭の木は「玉楠」と呼ばれ有名である。


クスノキもタブノキも暖地を好む木であり日本では西に多い木だが、北限は東北であり、寒い地域で全く育たないということはない。
また沿岸に多い木であるが、群馬県のような内陸部でも見られる。
桐生市にある群馬県指定天然記念物の「野の大クスノキ」





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by yumimi61 | 2018-10-18 15:07