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やがてそこに。


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2018年 10月 19日 ( 1 )

縦横無尽

まだ訓読みが存在していなかった時代

『古事記』『日本書紀』『万葉集』が書かれた時代には平仮名やカタカナは存在していなかった。
それは言葉が存在していなかったということではない。
平仮名やカタカナという文字が存在していなかったのである。
言葉を話したり聞いたりすることは出来るけれど(使うのは口と耳)、その言葉を書いたり読んだりすることは出来なかった(使うのは目と手)。(共通して使うのは脳)
もっとも絵文字や象形文字、ある地域だけに伝わる文字などはあったと思われる。

漢字という文字が『古事記』『日本書紀』『万葉集』が書かれる時代前に日本に入ってきていた。
だから『古事記』『日本書紀』『万葉集』は漢字によって書かれた(はずである)。
中国は広い国で言語(方言)も種類が多かったので、話す聞くだけでは意思疎通が難しいこともあり、目で見て理解できる文字(漢文)というものが早くに確立し普及した。そこには仏教など宗教も関わっている。
中国から入ってきた漢文であり、その読み方も同じものを学んだわけであるが、中国人と日本人ではやはり発音(聞こえ方)が違うため、中国語の読み方と日本語音読みは完全には一致しない。
時間の経過によって日本国内で独自の変化も遂げたため、さらに乖離してしまっている。

『古事記』『日本書紀』は漢文である。
中国の漢文には返り点はなく、『古事記』『日本書紀』が書かれる時代にも返り点は存在しない。
返り点とは、漢文の訓読において返り読みの順序を示すために施される符号。漢字の左下に小さく記入するもの。
訓読は日本独自のものである。
訓読するために返り点や送り仮名を記入したが、その際に漢字をごく簡単に省略して書くようになった。それがやがてカタカナという文字として成立していく。
平仮名も漢字から変化したもの。

以前載せた中国の漢詩『代悲白頭翁』の一節を例に説明する。(横書きにしていますが通常漢文は縦書きです)
左側が漢詩(漢文)。中国では音読みし、そのままの状態で意味も理解する。
日本ではこれを一旦訓読みに直して意味を理解する。訓読みにしたのが右側である。
右側の状態にするために日本では独自に漢文に返り点という符号や送り仮名を書き入れたわけである。

古人無復洛城東     古人 復た洛城の東に無く
今人還對落花風     今人 還た落花の風に対す
年年歳歳花相似     年年歳歳 花相似たり
歳歳年年人不同     歳歳年年 人同じからず

現代では右側の状態でもまだ意味が分かりにくいという人も多いだろうから、さらに分かりやすい文章にする。↓
昔洛陽城の東で桃李の花を楽しんだ人たちは既に亡くなり、現在を生きる人たちがその花が散る中を春風に吹かれている。花は毎年同じように咲くが、その花を楽しむ人は毎年同じではない。


万葉仮名

『万葉集』の歌や『古事記』内に収められた歌は、万葉仮名を用いている。
万葉仮名(まんようがな、正字体:萬葉假名、正仮名遣:まんえふがな)は、主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。『萬葉集』(万葉集)での表記に代表されるため、この名前がある。真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)、男仮名、借字ともいう。仮借の一種。

日本語の音数にこだわる歌を、漢文で表し、それを音読みにしてしまったら、例え歌の意味合いが同じであったとしても音数が変わってしまい、違う芸術作品になってしまう。
そこで音数そのままに文字で表すために、漢字が持つ意味は無視して音だけを借りたのが万葉仮名である。
平仮名が確立される以前の歌は万葉仮名で記された。

万葉仮名を簡単に言えば、「よろしく」を「夜露死苦」と書くようなことであるが、「夜露死苦」の夜(よ)は訓読みなので、これは万葉仮名とは言えない。万葉仮名(音読み)では「やろしく」になっちゃうのだった。残念!


神の名前も万葉仮名

神の名称「クマノクスビ」の話に戻る。
・『古事記』では「熊野久須毘」。
熊野は訓読み、久須毘は音読みである。 
・『日本書紀』本文では「熊野櫲樟日」。
全て訓読み由来である。


音読しかない時代に書かれたのだから、読み方としては全て音読である。

「熊野久須毘」は、呉音(日本では奈良時代前)では「ウヤクスビ」か「ウジョクスビ」、漢音(日本では奈良~平安時代)では「ユウヤキュウシュヒ(ユヤキュウシュヒ)」「ユウジョキュウシュヒ(ユジョキュウシュヒ)」、また「ユヤクスビ(ユジョクスビ)」、「イヤクスビ(イジョクスビ)」「イウヤキュウシュヒ(イウジョキュウシュヒ)」という読み方も考えられる。

「熊野櫲樟日」は、呉音では「ウヤヨショウニチ」「ウジョヨショウニチ」、漢音では「ユウヤヨショウジツ」「ユウジョヨショウジツ」、また「ユヤヨショウニチ(ユジョヨショウニチ)」「イヤヨショウジツ(イジョヨショウジツ)」「イウヤヨショウジツ(イウジョヨショウジツ)」という読みもあり。

「熊野久須毘」「熊野櫲樟日」が神の名称という固有名詞だったとするならば、後世においてもこれが訓読になることはありえない。
訓読にすべきものではない。何故なら歌と同様に書いた時に万葉仮名を用いたからである。


キュウシュは九州?

神や日本という国の始まりは現在の九州だったということになっているのが『古事記』や『日本書紀』であるが、「熊野久須毘」の’久須’を漢音読みすると「キュウシュ」であり、九州(キュウシュウ)に似ている。
「久須毘」は「キュウシュヒ」と読めるわけだが、九州の妃と思ったとか?
九州有力説はここから生まれたんだろうかとも思えるが、しかし九州という地名は『古事記』や『日本書紀』の時代に日本では存在していない。

九州
北海道・本州・四国とともに主要4島の一つでもあり、この中では3番目に大きい島で、世界の島の中では、スピッツベルゲン島(ノルウェー)に次ぐ第37位の大きさである。
九州の古代の呼称は、「筑紫島」・「筑紫洲」(つくしのしま)である。


そういえば、九州には9県あるわけではないって福島さんも言ってた。(誰やねん?)(なんでやねん?)

ではいつ頃に「九州」なる言葉は登場してきたのか?

16世紀の戦国時代を描いた軍記物語として知られる『陰徳太平記』(享保2年(1717年出版)序に、「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような近世の書物においては、明確に「九州」という名称を見出すことができるが、この名称がいつ生まれたか正確な時代は不明であるが、鎌倉時代後期に作成された吾妻鏡の元暦2年(1185年)2月13日と2月14日の記事では、源範頼が「九州」を攻めようとしていることが記載されている。もともと中国では周代以前、全土を9つの州に分けて治める習慣があったことから、九州とは9つの国という意味ではなく、天下のことを指すが、平安時代後期に朝廷が発した保元新制で使われている「九州」の意味も、こちらである。また新羅の九州の実例もある。

中国での九州(きゅうしゅう、くしゅう)
中国全域の古称。古代、中国全土を九州に分けたことに由来する雅称のひとつである。中国では天下、世界全体の意味で用いられる場合もある。


トウコククンカという新説

熊野という漢字表記を信じれば上に書いたような音読になるが、様々な観点から熊野信仰には湯が関係していると考えられてもいる。
「熊野」という漢字の代わりに「湯谷」や「湯屋」という漢字が当てられることもある。

熊野を「くまの」と読めば訓読み、「ユヤ」と読めば音読み。
湯谷は「ゆや」と読めば訓読みである。音読みでは「トウコク(ショウコク)」ということになる。

これは私の勘に過ぎないが、熊野という漢字が使われている神の名称は「トウコククンカ」だったのでないだろうか。
これを漢字で表すには、音読みの音に対応する漢字を当てはめる必要がある。(万葉仮名)
誰かが当てはめた。「湯谷燻火」とか「東国君下」とか。
音読みならばどちらも「トウコククンカ」、訓読みならば「ゆやくすび」や「ひがしくにのきみのもと」とか。
そして、どうせ「ゆや」なら「湯谷」よりも「熊野」のほうがいい、東の国はダメダメ西の国のほうがいい、そう思う人がいたのでは。


「ひがしくに」と言えば

久邇宮(くにのみや)という宮家があった。
明治時代前期に、現在の天皇の曽祖父と言われている伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王が創立した宮家である。
その久邇宮朝彦親王の第9子である稔彦王が明治後期に創立した宮家が東久邇宮(ひがしくにのみや)だった。

東久邇宮
後継には恵まれたが、1947年(昭和22年)GHQの指令により10月14日皇籍離脱。よって一代限りの宮家となった。その末裔は、現在の皇位継承問題などと絡んで旧皇族の中では露出度が高い。





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by yumimi61 | 2018-10-19 11:14