人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

2019年 02月 04日 ( 1 )

続続続続続・靖国神社

天皇の靖国神社行幸

靖国神社の創建 明治2年(1869年)

しかし第二次世界大戦が終わるまで国家の全権を握っていたのは天皇であり、戦靖国神社に首相が公式参拝したことは戦前には一度もなかった。
天皇は戦前も靖国神社を訪れている。
靖国神社、つまり戦争は、天皇の管轄にあったことは間違いない。


■明治以降の歴代天皇が自ら靖国神社に出向いた回数は以下の通り。
明治天皇 44年間で7回 ・・平均は約6年で1回 ※明治時代全期間をベース
明治天皇 22年間で7回 ・・平均は約3年に1回 ※大日本帝国憲法制定後の期間をベース
大正天皇 14年間で2回  ・・平均は7年に1回
昭和天皇 <戦前>19年で20回 ・・平均は約1年に1回
     <戦後>30年で8回 ・・平均は約3.8年に1回
平成天皇 30年間で0回  


■歴代首相の参拝(戦後は首相本人が私的参拝と明言したものも含む)(戦前の私的参拝は不明)
昭和時代 <戦前>19年で0回
     <戦後>30年で60回 ・・平均は1年に2回
平成時代 30年間で8回 ・・平均は約3.8年に1回


明治時代には日清戦争と日露戦争を行っている。
大正時代には第一次世界大戦への参戦があった。
だが天皇が訪れた頻度としては昭和時代の戦前が最も多い。

昭和6年(1931年)満洲事変が勃発。盧溝橋事件に端を発する昭和12年(1937年)〜昭和16年(1941年)の日中間での戦闘期間(北支事変・支那事変・日支事変・日華事変などと呼ばれる〉を経て、日本が昭和16年(1941年)12月にアメリカ・ハワイの真珠湾などを奇襲攻撃し、太平洋戦争並びに日中戦争に突入した。
この期間は「15年戦争」とも言われるが、この戦闘最中というか、徴兵制にて非軍人の男性をも駆りだして戦争に送りこむ大戦前夜の期間とでもいうべきか、この間に天皇は最も靖国神社を訪問した。
戦争状態が終結しているわけではないので慰霊のためというよりも、「英霊」を煽り「御国の為」やら「靖国で会おう」を広くキャンペーンし、国民を戦争に仕向ける必要があったのであろう。


戦後の8回

天皇が第二次世界大戦後(太平洋戦争・日中戦争)終結後に靖国神社を訪問した年。全8回。

1945年(昭和20年)・・戦争終結の年
1952年(昭和27年)・・1951年にサンフランシスコ条約が締結され日本は主権回復した
1954年(昭和29年)
1957年(昭和32年)
1959年(昭和34年)・・新日米安保条約の調印前年
1965年(昭和40年)
1969年(昭和44年)・・1959年日米安保条約の自動延長前年
1975年(昭和50年)・・三木首相が8月15日に参拝した年


1960年と1970年は新日米安保の条約調印や更新に反対する運動が激化した。安保闘争。
60年安保は左翼や新左翼(共産主義者同盟ブント)、労働者や学生を主に行われた反安保闘争で、反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。
これに対して政府側(岸首相←安倍首相の祖父)は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、暴力団(反社会的勢力)の支援を仰いだ。
70年安保は全共闘など大学生の活動家を中心に行われた。
この安保闘争は新左翼と呼ばれる「行動する過激な左翼団体や活動家」を生み出すことになり、その後世界各地で起こすテロ事件、日本でのリンチ事件や浅間山荘事件などに繋がっていた。

日米安保は当然戦争や軍隊・自衛隊に関係することであり、「戦争の亡霊」である靖国神社は無縁とは言えないわけだが、条約調印や更新年の前年という不安定な年にも天皇は自ら靖国神社を訪れている。
それなのに何の騒ぎも聞こえてこないというのは実に不思議だ。
第二次世界大戦終結によって生まれた日米安保に対して過激な反対運動を展開した「行動する過激な左翼団体や活動家」が、その矛先を戦争当時全権を握っていた現役天皇に向けることは無かった。


憲法の壁(壁は人々が認識したり問題にして初めて壁になる)

天皇の最後の靖国神社行幸は1975年11月21日のことである。
その年の8月15日、三木首相が靖国神社を参拝した。「私的参拝」と明言したが問題視された。
マスメディアで首相の靖国参拝が取り沙汰されるようになったのはこれ以降で、しかも問題にするのは8月15日に参拝がなされた時だけである。

三木首相があぶり出したのは、靖国神社が宗教法人の神社ではなくて国家機関であるということである。
現実的には憲法が壁になっておらずスルー状態になっていたものを形(壁)として再認識させた。
靖国神社が宗教法人の神社ならば、国家の代表者・首相が公式参拝することは、いつ参拝しようが憲法第20条に抵触する。
それが問題ないと言うなら靖国神社は本当は国家機関なのだ(現実にそれまでは問題視されたことは一度としてなかった)。
国家機関ならば首相が参拝しても問題はない。
だが宗教法人を隠れ蓑に国家機関(宗教ではない国家神道)を置いているとしたら、それは大問題であろう。

また戦後の日本国憲法下の天皇においては宗教法人であっても国家機関であっても問題がないとは言いきれない。「国事」と「国政」の違いという根本的な問題も含めて微妙なところである。

この場合、議論の的になるのはむしろ天皇の参拝である。
靖国神社への参拝を国政に関与していると考えれば現行憲法に抵触するし、参拝を憲法が定めている天皇国事行為の「儀式を行うこと」と考えれば抵触しないということになる。
戦前の大日本帝国憲法であれば、天皇は国政を行う権限全てを持っていたので、国政に関与するのは当然のことだった。
靖国神社にはその時代の人達の霊が祀られている。
そして昭和天皇であれば、大日本帝国憲法でも日本国憲法でも天皇だった。


憲法第4条
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。 

天皇も「私的」に靖国神社に行くならば問題ないはずだが、首相に「私的」が許されない現状の中(首相が私的参拝と言っても問題視される中)、日常生活すら公的に丸抱えされている天皇にそもそも「私的」が許されるかという問題もある。結論的にはかなり難しいだろう。

次の場合には憲法に抵触してくる。

●天皇は国及びその機関の公職者であり、靖国神社は宗教法人の神社である。
 →憲法第20条「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」に抵触。

●靖国神社は国家機関であり、国政に関係する。
 →憲法4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」に抵触。


天皇が文句なく靖国神社を訪れるには次のいずれかをクリアする必要がある。三木首相の8月15日参拝騒動によってそれを突きつけられる形になった。

〇私的な訪問(私的参拝)である。
〇天皇は国及びその機関の公職者であるが、靖国神社は宗教法人の神社でも国政に関係する国家機関でもない。
〇天皇は国及びその機関の公職者ではなく、靖国神社は宗教法人の神社である。

これをクリアできなければ足が遠のくのは仕方がない。
しかし戦争責任を逃れるためにもともと戦前より戦後は足が遠のいていた。
創建から今日までの靖国神社への天皇行幸数を見れば、「慰霊」よりも「戦争扇動」のウェートが高い、靖国神社は陽動作戦に使えるという結論に至ってしまう。

しかし現状では(三木首相8月15日参拝以降は)目的が「慰霊」でも「戦争扇動」でも天皇にとって靖国神社は遠い場所となっている。
結果的には戦後憲法が天皇を靖国神社から引き離す役割を担ったことになる。
(靖国神社を宗教法人の神社と扱えば天皇だけでなく首相の公式参拝も憲法に抵触する)

戦争反対の人は靖国神社を特別視しなくても別に構わないだろうけれど、戦争賛美派や天皇信奉者、首相責任論者、「英霊を慰霊しないなんて!」という遺族なり愛国者にとっては望ましいことではないかもしれない。
憲法の壁を消失させるのは反日心ではなくて、むしろ愛国心なのだ。
愛国心は憲法の壁を再び消失させかねない。
でも「それの何が悪いの?」という感じで、現実的に憲法の壁などいらないと思っている人は決して少数派ではないような気がするのだけれど。


天皇が靖国神社を訪れた最後の日となっている11月21日

皇后様とご一緒だったようだから11月22日すれば「いい夫婦の日」だったのにー。しかも1975年11月22日は大安だった。
ということは実際に訪れた11月21日は仏滅である。
大安とか仏滅は「六曜星」と呼ばれるもので宗教とは関係ない。
今でもカレンダーや手帳に記載されていたりするが、ルーツは中国で戦争や争いごとの吉凶を決める際に利用していた占いではないかと言われているがはっきりは分からない。日本でも戦争の吉凶占い(日の良し悪しの験担ぎ)に利用されていたと言われている。

仏滅は気にしないにしても、どうして例大祭の日に訪れなかったのだろう。スケジュールの都合かしら。
それとも11月21日に何か意味があったのだろうか。
前年の1974年11月21日に長嶋茂雄氏が読売巨人軍の監督に就任している。(さすがにそれは関係ない?)
ではやはりこれだろうか。
1969年11月21日、アメリカのニクソン大統領と日本の佐藤栄作首相(安倍首相の大叔父)が、安保堅持・1972年の沖縄返還などの日米共同声明を発表した。
それとも、1990年11月21日、任天堂のスーパーファミコンの発売記念!?(今や11月21日は任天堂の日でもある)(1975年時には未来予想的になってしまうけれども)


平成の世は平静の世?

平成の時代、天皇は自ら靖国神社を訪れることはなかった(今のところ)。
また首相の参拝も昭和の時代に比べるとかなり減っている。
平成の時代に数を稼いだのは小泉首相で、平成の首相参拝8回のうち6回は小泉首相である。

(平成時代を再掲)

第74代竹下登、第75代宇野宗佑、第76-77代海部俊樹、第78代宮澤喜一、第79代細川護煕、第80代羽田孜、第81代村山富市は参拝なし。

第82-83代 橋本龍太郎(1996年1月11日 - 1998年7月30日)
1回ー1996年7月29日


第84代小渕恵三、第85-86代森喜朗は参拝なし。

第87-89代 小泉純一郎(2001年4月26日 - 2006年9月26日)
6回ー2001年8月13日、2002年4月21日、2003年1月14日、2004年1月1日、2005年10月17日、2006年8月15日


第90代安倍晋三(2006年9月26日- 2007年9月26日)
この期間にはなし

第91代福田康夫、第92代麻生太郎、第93代鳩山由紀夫、第94代菅直人、第95代野田佳彦は参拝なし。

第96-98代 安倍晋三(2012年12月26日 - 現在)
1回ー2013年12月26日



平成の天皇や首相は概して憲法に抵触しない優等生ということになる。
参拝しなければメディアや国民や近隣諸外国を必要以上に刺激することもないから平静と言えば平静だ。
イメージ的にはすでに10回くらい参拝していそうな安倍首相ですら、たった1回。それももう5年も前の話である。拍子抜け?
このように最近は参拝自体が減っているせいか、安倍首相は8月15日でなく、2013年の年末も押し詰まってきた12月26日に参拝したが、それでも結構話題に取り上げられていた(問題視された)。
12月26日という日は第二次安倍内閣が発足した日であり、内閣発足1年目に参拝したことになる。
何も年末の内閣発足日を選ばなくてもよいような気がするけれど、発足1年目と靖国神社にいったいどんな関係があるのやら。
ともかくこの平静が「嵐の前の静けさ(憲法改正のための目くらまし)」でないことを願いたい。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。(yumimi61)

by yumimi61 | 2019-02-04 14:08 | 靖国神社と神社本庁