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2019年 02月 05日 ( 1 )

続続続続続続・靖国神社

神社は宗教か?宗教とは何か?

明治政府はまず真っ先に宗教改革に乗り出した。
それが神仏分離(修験道など神仏習合の廃止)や廃仏毀釈であり、神社は国家神道として国が管理するものとなり、宗教という枠を外れた。
国家神道の中心にあるのが天皇で、国家神道は宗教の上位に置かれた。

違う宗教を信仰していたとしても(宗教の自由)、国家神道には従わなければならなかった。
従わない者は不敬罪などを適用させ締め付けたり、宗教団体であれば勅令や法律(固有の団体にだけ適用させる法律制定など)で締め上げた。
また国民に教え込まれる国家神道の精神(道徳や倫理)が監視や私刑的役割を果たしていくようにもなった。

宗教とは何かという問いもあるだろう。
科学では解明できない領域のこと、身体という物理的ものではなく心や精神という見えにくい確かめにくい領域を扱うもの、信じられるもの、救済するもの、嘘偽りないもの、嘘偽りそのもの(嘘偽りを認めてくれるもの)、見えないもの(例えば死や愛や信)を形や言葉で示してくれるもの。きっと答えは1つではないと思う。

「嘘偽りそのもの」に救いを求めている人に対して、あなたの信仰している宗教は「嘘偽りである」と幾ら主張しても効果がないし、もっと言えば逆効果となる。
一筋縄にはいかない問題。
信ずるものが何か(例えば神なのか人なのか金なのかというようなこと)、それを信仰する動機や背景、現存する物理的・社会的な要素との関わり、それぞれの損得勘定などが絡み合ったところに「信」や「宗教」はあるだろうから、ある意味とても世俗的であり現実世界を超越したものなんかではない(と私は思っている)。

様々な考え方やいろいろな表現の仕方があると思うけれど、ただひとつ宗教は古くから冠婚葬祭に深く関わってきたことだけは確かだろう。


戦死者は宗教である神道の信仰者だろうか?

靖国神社は戦死者は霊や魂を祀っているという。神社の形式に沿って言えば、それは祭神ということになるが。

ではその戦死者らの遺族は神式の葬儀(神葬祭)や神式の法事を行ったりしているのだろうか。神式の墓があるだろうか。
彼らの宗教が神道ならば神式で行うのが普通である。

仏式の法事・法要にあたる儀式のことを、神式では「霊祭」(故人の死後100日目までに当たる儀式)や「式年祭」(1年目の命日以降の儀式)と言う。神式の祭祀を行う。
神道においては死は穢れ(けがれ)である。
聖域とする神社境内に遺体や遺骨を安置しお墓を建てさせるようなことはしない。(仏教の寺には墓地がある)(明治政府が禁止した神仏習合だったらもう少し許容できた部分がある)
神道の人が墓を建てるならば、神道専用墓地か宗教を問わない墓地を探す必要がある。お骨を納めるならば納骨堂のある神社を探す必要がある。数はそう多くはない。
お墓も仏式のものとは異なる点が幾つかある。
神道のお墓は竿石の先端が尖った兜巾(頭巾)型が一般的である。
竿石とは中央の高い石のことだが、仏式ではそこに「〇〇家之墓」などと刻むが、神式では「〇〇家奥津城」か「〇〇家奥都城」と刻む。
また神式は焼香をしないので香炉はない。

もっともこうした神式の墓はおそらく明治以降のものだろう。
古い神道は自然神(八百万神)信仰である。万物全てに神が宿る的な考えにあるので、特別にお墓を作らずに遺体でもお骨でも自然に還すという考え方ができるし、お墓を作るにしても石や木で目印にするくらいな感じで可能だろう。但し生きていない木は朽ちるので目印にならなくなる(生きている木でも枯れる可能性がある)ので、朽ちない石がおそらくよく使われたのだと思う。現代でも昔からある田舎の墓地に行くと、単に石が置いてあるような所も存在する。

それから竿石の兜巾(頭巾)型だが、兜巾(頭巾)いうものは明治政府が禁止し弾圧した神仏習合である修験道の修験者(山伏)の被り物のことを言う。何かこのあたりもしっくりこない。

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 (図)https://www.makoto-sekizai.com/




靖国神社が宗教ではない根拠

宗教の祭殿に祀るならば宗教の開祖、その親族とか弟子とか、あとは神話上(伝説上)の人物などとか。
一般の人ならば少なくとも信者である必要があるだろう。
その宗教を全然信仰していなかった人物を祭神として迎え入れる理由がないし、迎え入れられた本人(霊)も遺族も困るだろうと思う。
ユダヤ教徒や仏教徒がキリスト教の聖人になるようなことである。
なかには「キリスト教の聖人にしてくれるならば改宗します」という遺族もいるかもしれないが、それにはそれ相応の手続きを踏む必要がある。

戦死者というだけで祭神にしてしまう靖国神社は、神道ではないし、宗教でもない。
国家神道という名の国家組織(天皇組織)、国家機関(皇室の機関)であると考えるのが妥当である。

戦死者というだけでと書いたが、靖国神社の創建目的は維新の志士を祀り反武家政権・反幕府の象徴の場とすることであり、戊辰戦争・明治維新・西南戦争で旧幕府軍や反明治新政府軍に属した者は祀っていない。
靖国神社に祀られるかどうかの基準は「神道への信仰」ではなく、「明治維新への貢献者」「明治天皇崇拝者」「明治新政府への従属者」であるかどうかであった。
それは日露戦争前の靖国神社の例祭日にみれば一目瞭然であるが、
ー1月3日(鳥羽伏見の開戦日)、5月15日(彰義隊潰走の日)、5月18日(函館五稜郭開城日)、9月22日(会津藩降伏の日)ー
特に会津藩の戦死者などに対して新政府は埋葬すら禁じたそうだ。
遺体は獣や鳥の餌食となり、腐敗し、見るも無残な状態になっていったそうだ。見せしめだろうか。
西南戦争で反政府となった西郷隆盛も祀られていない。
この明治維新前後の戦死者で祭神となったのは1万5000人くらい。

その後、祭神は莫大に増え、現在では247万人の霊が祀られている。

日清戦争 約1万
日露戦争 約9万
15年戦争(満洲事変~第二次世界大戦) 約234万人(うち太平洋戦争213.4万人)

靖国神社に祀られているのは15年戦争での戦死者が95%、1941年12月からの太平洋戦争の戦死者だけで86%である。

この戦死者とは軍人や軍属にあった者である(徴兵された者や従軍看護婦など含む)。
一般市民の戦災死没者は含まれない。


原爆死没者

日本には靖国神社に祀られている戦死者(英霊)の他にも特別扱いされている戦争死没者がいる。それは原爆死没者である。
夏になると原爆死没者名簿の追加記帳や風通し、奉納などがニュースになったりしますね。
但しこの原爆死没者名簿は自治体が行っているもの。

原爆死没者名簿
広島市と長崎市に投下された原子爆弾とそれに伴う被害によって死亡した者の氏名を名簿に記載し、毎年それぞれの原爆投下日に執り行われる平和祈念式典において奉納されるものである。
名簿登載には被爆者健康手帳の有無や国籍を問わない。
名簿管理者は広島市と長崎市。

【広島】
1952年(昭和27年)より広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)に奉納されている。
以下の場合に名簿掲載。
・遺族の申し出があった人
・被爆者健康手帳を所有していた人の場合は、手帳の返還手続きなどで死亡が確認された場合

【長崎】
1968年(昭和43年)より行われ、平和公園の平和祈念像に奉納されていたが、現在は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に奉納されている(平和祈念像にはマイクロフィルムが収められている)。
以下の場合に名簿掲載
・遺族の申し出

「原爆死没者」ということだが、遺族の申し出だけで名簿掲載されるようで、原爆で亡くなったという科学的な根拠は必要ない。日本国民である必要もない。
従ってこれを原爆死没者数として、そこから原爆の威力を語るのは不適当。
広島市も原爆によって死亡した人の数については現在も正確にはつかめていないと述べている。

広島平和記念公園と原爆死没者慰霊碑、長崎の平和公園と平和祈念像、それぞれ公園開設者、慰霊碑・祈念像の設置者や運営者は広島市と長崎市という自治体であり、国ではない。

靖国神社の戦死者(英霊)もこのように名簿にでもして、神社ではなくて国家機関で慰霊するのが妥当なような気がするが、どうして国はそうしないのだろうか。
靖国神社は慰霊が目的に存在しているわけではないからでは。

ちなみに広島と長崎には2002年と2003年に相次いで国立の原爆死没者追悼平和祈念館も設立された。
設立は小泉内閣の時である。

●国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
広島平和記念公園(広島県広島市中区中島町1番6)にある、国立の被爆者を追悼する施設である。
2002年(平成14年)8月1日に国立の施設としては初めて広島平和記念公園内に設置された。原爆死没者慰霊碑や広島平和記念資料館、レストハウスに隣接している。建物は、建築家丹下健三の設計。地下2階構造で、地下1階は情報展示コーナー及び体験記閲覧室が、地下2階には平和祈念・死没者追悼空間及び遺影コーナーが設けられている。

原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の第41条の規定に基づき設置され、1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下により死亡した人々や、その後に亡くなった被爆者を追悼し、世界平和を願う目的で建てられた。
具体的な活動は、被爆者の名前・遺影の募集を行っており、開館時には4804人の被爆者の遺影が登録。2004年8月に登録者が1万人を超えた。


●国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
所在地は長崎県長崎市平野町7番8号。2003年(平成15年)7月開館。長崎市における国の追悼施設は同館が初めてである。財団法人長崎平和推進協会が運営・管理を行っている。入館は無料。単に追悼平和祈念館とも案内されている。

「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の第41条の規定に基づき、国が広島市に次いで長崎に設置した。死没者名簿と遺影の永久保存、手記・体験記、映像資料などの収集と公開、被爆医療や平和を中心とした国際協力に関する情報提供を主な目的としている。
館内は名簿を保存する追悼空間、被爆証言の視聴、手記や遺影、関連図書類が閲覧できる学習コーナー、来場者が平和のメッセージを記帳する平和・交流コーナーからなる。





by yumimi61 | 2019-02-05 14:11 | 靖国神社と神社本庁