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2019年 05月 17日 ( 1 )

テレビ

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皇太子ご成婚式の日の街の光景 銀座 昭和34年4月10日ー民間からのはじめての皇太子妃に日本中が沸き、祝賀行事が相次いだ。ライオンビアホールの店頭にもお二人の写真が飾られた。その前では腹を空かした廃品回収の男がウィンドウ内の食べ物のサンプルを見つめる。 田沼武能



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私がオバさんになってもディスコに連れてくの♪ ←森高アンニュイに歌う

そう思ってた。 ←森高セリフ
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↑森高千里さんが出演している化粧品のCM。
私は最初、映像を見ずに音声だけを聞いていた。
私がオバさんになってもディスコに連れていくと思っていたのに(あの頃あなたはそう言ってたのに)、実際は連れていかなかったね、というアンニュイさなのかと思った。
その後、映像込みのCMをみたら、「そう思ってた」の前に「若さこそ、美しさ」というテロップが出ていた。

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私がオバさんになってもディスコに連れてくの♪ ←森高アンニュイに歌う

(若さこそ、美しさ) ←テロップのみで音声なし
そう思ってた。 ←森高セリフ
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ディスコは死語だし(もうないし)、当時の「あなた」と海にしてもクラブにしてもドライブにしても一緒に行ったらそれはそれで問題だから、もう行けないのよ・・というアンニュイさ!?

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女ざかりは
19だと
誰が言ったのよ。
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紀子さん?


上の写真は昭和34年のことと書いてある。元号から今日までを計算するのは難しいので、西暦に直すと1959年のことだから、今年で60年。
ということは今年がダイヤモンド婚式だったのかぁ。
60年も経てばそりゃあ見た目も変わりますわすよね。

天皇に何を求めるかにもよると思うけれど、「象徴」とか「徳のある人物」だとしたら、やっぱりそれなりにお年を召していたほうがよい。
若さというものはそれだけで傲慢なところがあるから。
そういう内面的なことだけでなく、見た目の印象も加齢って決してマイナスにならないと思う。特に男性の場合は。
同じ人の若い時とそれなりに年をとった時の見た目を比べたら、年をとった時のほうが安心感を感じる。若い時はなんとなく悪巧みしてそうな、傲慢そうな、意地悪そうな、そんな感じがしてしまう。もちろん個人的な印象だけれども、私は結構誰に対してもそう感じてしまう。

新天皇は昭和35年2月23日生まれなので(ご成婚翌月には受胎した計算になる)、今年59歳。
公務員や会社員ならば来年の誕生日には定年を迎えるといった御年だが、前天皇の年齢の印象が強いせいか若くていまひとつしっくりこない。
でも次か次の代には遅くても40代、早ければ30代(20代だって可能性としては皆無ではない)の天皇が誕生することになると気が付き、軽く慄いている。


テレビの歴史と普及

テレビの歴史はそう古いものではない。

・1937年 イギリスのBBCが世界初の白黒テレビの放送(走査線40本)を開始
・1940~1941年 NTSC(National Television System Committee)が白黒テレビの標準方式を走査線525本、60フィールド方式に決定し、アメリカで白黒テレビの放送が開始された

こうして白黒テレビが実用化された。一方で1939年には第二次世界大戦が勃発したためカラーテレビ研究は中断を余儀なくされた。


白黒テレビが実用化されたとあるが、白黒テレビですら普及したのはいずれの国でも第二次世界大戦後である。

日本では1953年2月1日にNHK東京で本放送が開始され、同年8月28日には、民間のテレビ放送会社の日本テレビが開局した。当初は非常に高価なものであったため、日本テレビは街頭テレビを大量に設置して、CM収入によるビジネスモデルを成立させた。

日本テレビは開局当時からコマーシャルを収入源としており、スポンサーを獲得するには、視聴者を一定数確保する必要に迫られていた。そのため、当時の日本テレビ社長・正力松太郎は、普及促進とスポンサー獲得のため、キャラバン隊による移動宣伝の他、繁華街、主要鉄道駅、百貨店、公園など人の集まる場所に受像機を常設し、テレビの魅力を直接訴える作戦に打って出た。街頭テレビそのものは試験放送時代から幾つも存在していたが、大々的な展開は日本テレビが最初であり、小さい画面にもかかわらず、特に人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には観衆が殺到した。都内各地に街頭テレビを据えた正力は、「台数は少なくても視聴者は多い」とアピールしてスポンサーを説得し、結果、開局7ヶ月で黒字化を達成した。

その後、1950年代後半から1960年代前半にかけて一般家庭に普及していったが(特に1959年の皇太子明仁親王と正田美智子の結婚の儀は、普及の大きなきっかけとなった)、1960年代後半からカラー化の波に押され、1972年にはNHKのカラー契約数が普通契約(白黒テレビ用契約)数を上回り、1977年9月30日のNHK教育での放送を最後に、日本から原則として白黒放送が廃止されカラー放送に完全移行した。


上の白黒テレビの説明文に「1959年の皇太子明仁親王と正田美智子の結婚の儀は、普及の大きなきっかけとなった」とあるが、実はこれはそうでもない。

テレビ_e0126350_21160592.png
白黒テレビのグラフで紫丸を付けたのがご成婚の1959年であり、前年に比べてそこまで大きく伸びてはいない。1960年以降の伸びのほうが遥かに大きい。

白黒テレビの普及率が80%を超えたのは1963年。
洗濯機の普及率が80%を超えたのは1966年。
冷蔵庫の普及率が80%を超えたのは1967年。
掃除機が普及率が80%を超えたのは1974年。
カラーテレビの普及率が80%を超えたのも1974年。

もっともこの統計は都市の非農家における普及率だということなので、これで日本全体の傾向を語ることは到底できない。
地方の田舎では大家族で人手があり電気製品を急いで必要としなかったかもしれないし、逆に不便な地方の大家族だからこそ電気製品が重宝したかもしれない。
海外旅行の普及も地方の農家から始まったとも言われるくらいで、金銭的な余裕があったのはむしろ地方の農家かもしれないが、地方や農家では世帯差が大きく、統計的にはまとまった指標になりにくいという側面もあると考えられる。
都市の非農家(核家族のサラリーマン一家が多数)のほうが均一的で比較しやすい。

家電の大量生産やコストダウンが可能となった背景の1つは、鉄鋼の生産量が1960年代に急速に伸びたからだという。
それにしてもテレビの普及率が他の家電製品よりも早いことに驚かされる。
主婦の労働を軽減することよりも娯楽が優先されたということになる。
このことは、ある程度コマーシャルというものに効果があるだろうということを予想させる。
人々が最優先するのは「実」ではないということであり、生活感とか経済観念とか労働の対価といったものは曖昧で、それはすなわち、やりようによっては人々は流れてくれるということである。


テレビ(14型
昭和29年(1954) 12万5千円
昭和34年(1959) 6万7干500円
昭和36年(1961) 5万6千円

洗濯機
昭和29年(1954)2万8000円
昭和34年(1959)2万6500円
昭和36年(1961) 2万3500円  

冷蔵庫
昭和36年(1961)6万2000円

サラリーマン月給
昭34年(1959年)1万7354円
昭36年(1961年)2万21円


サラリーマン月給はフルタイム労働者の平均。時間外勤務手当や家族手当などの手当も含まれる。手取額ではなく税金や社会保険料などの控除前の額。
昭36年(1961年)のテレビと冷蔵庫の価格は月給のおよそ3ヶ月分。洗濯機は月給の1ヶ月分くらい。
2000年以降のサラリーマンの平均月給は32~33万円。テレビの価格が3ヶ月分だとすると90~100万円くらいになる。
1960年代、それでもテレビの普及率は急速に伸びていった。





by yumimi61 | 2019-05-17 15:35