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2019年 05月 27日 ( 1 )

毎日

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写真は今月の平日に撮影したもの。
国指定史跡と書いてある駐車場の看板は以前よりあった。
国指定史跡に指定されたのは1934年(昭和9年)のこと。
それは、新田義貞挙兵600年記念で徳川家達書の石碑と記念碑建設委員長の中島知久平の碑が建てられた翌年のことである。
それは、国際連盟を脱退し戦争に向かっていた1933年(昭和8年)の翌年のことである。
指定されたのは神社の建物ではなく境内である。
「生品神社境内 新田義貞挙兵伝説地」として国史跡に指定された。
さらに2000年(平成12年)にも面積を広げて「新田荘遺跡 生品神社境内」として新たに指定された。
2000年は「国旗及び国歌に関する法律」が施行された翌年にあたる。
「国旗及び国歌に関する法律」は 1999年8月13日に公布・即日施行された。
8月13日という日付は、1985年にフラッグ・キャリアだった日本航空の123便が墜落した8月12日の翌日にあたる。



昨日のタイトル『反旗』で思い出すのは、とある高校の国旗掲揚問題。
過去記事より。

長男が通っている高校には日の丸が掲揚してあります。
上記のとおり普段目にすることが少ないため、三者面談で学校を訪れた際にそれに気づいて珍しいなぁと思い、長男に「国旗いつも揚がっているの?」と尋ねたところ、「うん」という返事でした。
それが1年前か2年前のことでした。
この冬、三者面談で学校を訪れると、相変わらず日の丸が掲揚してありました。
私はまた長男に訊きました。
「国旗毎日揚がっているの?」
「そうだよ。たぶん下りたことない。揚げっ放し。震災の時にも半旗とかじゃなく揚げてあったんで、非常識だと問題にされて新聞に書かれたらしい。それも毎日新聞に」
「それも毎日新聞にって、どういう意味?」
「いやほら一応全国紙じゃない。載ったのは地方版のところらしいけど」
「それでも下ろさなかったの?」
「うん」
「ひょっとして下ろす紐が切れちゃったとか?」
「あーそうかもね」
「でも何でそもそも日の丸を揚げたのかな?校旗とか県旗(県立高校だから)じゃなくて」
「そうだね」
「でも考えようによっては風雪に耐える日本という感じもしなくもないけどね」

西郷隆盛が妹の息子(市来政直)のアメリカ留学に際して贈ったと言われる漢詩。


一貫唯唯諾  一貫 唯々(いい)として諾(たく)す。
従来鉄石肝  従来 鉄石の肝(かん)。
貧居生傑士  貧居(ひんきょ)は傑士(けっし)を生じ、
勲業顕多難  勲業(くんぎょう)は多難に顕(あらは)る。
耐雪梅花麗  雪に耐へて梅花 麗しく
経霜紅葉丹  霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し。
如能識天意  如(も)し能(よ)く天意(てんい)を識(し)らば、
豈敢自謀安  豈(あに)敢へて自(みずか)ら安(やす)きを謀(はか)らんや。

引き受けたと心に誓ったことは、どこまでも、ただひたむきにやり通さなければならない。
鉄の如く、石の如く守ってきた決意は、 いつまでもそれを変えてはならない。
貧しい生活をしてきた人の中から優れた人物が生まれ、
すばらしい事業というものは多くの困難を経て成し遂げられる。
梅の花は雪に耐えて麗しく咲き、
楓の葉は霜を経て真赤に紅葉する。
もしこのことが理解できたのなら、
楽な生き方を選ぶことなど、どうして出来ようか。


※西郷隆盛は明治維新の立役者の1人でありながら、新政府樹立後に政府に反旗を翻したため、靖国神社には祀られていない。

※「揚げっ放し」という長男の言葉は、24時間毎日揚げっ放しなのか、単に毎日という意味なのかは定かではありません。前者だとすると、長男が登校する時間より早くに揚げていて、下校時間後に下げていたということも十分考えられます。


日本の国旗と国歌が法的に制定されたのは上記のとおり1999年のこと。
戦争時に盛んに利用された国旗であるが、戦後、天皇も天皇制も維持したまま、日の丸を封印することも変更することもなく、国旗としての法的規定も設けずに使用し続けたことが、今日でも国旗に抵抗感を感じる人を生じさせた要因だろう。

しかし一方、戦後の日本国憲法では国の主権者は国民となった。
土日以外の休日は「国民の祝日」であり旗日として受け入れられた。
1908年(明治41年)から1947年(昭和22年)までは、祝日ではなく祭日であり、祭日とは皇室祭祀令に基づいて決められていたもので、皇室で儀式や祭典が行われる日だった。それが廃止され、休日は国民のものになった。
それを民衆は祝ったのだ。

日の丸は本来、国家的慶事や国民の祝日の際に祝意を表すため揚げるものであった。
今では官公庁や企業などが毎日欠かさず国旗を揚げているが、かつて民家に掲げられた国旗というのは「国民の祝日」に出されたもので、毎日掲げておくなんてことはしなかった。
むしろ祝意を表す国旗をどうして毎日揚げているんだろうか。
「ここは日本ですよ」という単なる目印のためなのか。
誰が何のためにいつ掲揚するのか、それによって国旗の意味合いは変わってくる。
政府機関でもない県立高校が県旗でも校旗でもない国旗を毎日揚げる必要が果たしてあるんだろうか。
「国旗を揚げよ」と誰かから命令されるとするならば、それは何故なのか。

祝意のためではなく、目印のために揚げている国旗ならば、何があったって旗を下ろす必要はない。
祝意を表して揚げている旗ならば、喪中や忌中には揚げるべきではないだろう。

日本には半旗にしなければならない規定は未だない。
国旗と国歌が法律で制定されたとはいえ、具体的なことは何も決められていない。
誰が国旗を揚げるべきで、その目的は何なのかも提示されていないので、半旗の規定も制定しようもない。
これが国旗で、これが国歌です、と決めただけのこと。

半旗(英語: Half-staff, Half-mast)とは、弔意を表すために旗竿の半分程度の位置に掲げる旗のことである。
かつて船上においては、国旗に喪章を付けて弔意を示す弔旗という慣習があった。しかし、洋上では視認しにくいことから、国旗を半下する方法に変化したものである
日本では、国家において半旗を掲げるべき期間を明文化した規定は存在しない。内閣の決定、あるいは各省庁の申し合わせによりその都度各省庁が通達などを発出し国の機関において実施、関係機関に協力を依頼することもある。総理官邸及び外務省における慣行として、諸外国の国家元首死去に伴う国葬の日に、半旗を掲揚している。



日本という国の主権者は日本国民である。戦後はそう憲法に明記された。
では象徴の天皇、皇族は日本国民だろうか?
日本国民であるならば、彼らもまた主権者の1人であるということになる。
私達と同じ主権者の1人ということならば、法的に特別な地位が与えられていることは、平等の精神に反するし、憲法違反にもなりそうだ。。
天皇を含め皇族は戸籍を持っていない。名字も存在しない。
皇室は皇統譜である。
天皇及び皇族は戸籍法の適用を受けず、さらに「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する。」と公職選挙法などに定められており、選挙権及び被選挙権も有していない。
当分の間というのは、どういうことなのか。
主権が国民にある日本において、日本国民の条件に該当しないとしたら、日本国民としての権利も義務も持っていないということになり、考えようによっては一段低く見える。この意味においては陛下という呼称もおかしなものではない。
でも範囲外にあるということは、主権者である日本国民を超越しているという考え方も出来る。
この意味からすると、では主権とは平等とは憲法とは何か、という壁にぶち当たる。


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by yumimi61 | 2019-05-27 14:52