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2019年 06月 18日 ( 1 )

歌劇

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焼け跡と踊り子 浅草 昭和24年ー「戦災で焼け野原になった浅草に、娯楽を求めて人びとは集まった。国際劇場の松竹少女歌劇団はSKDの名で知られ、川路龍子小月冴子などの人気スターに憧れる少女たちが入団してきた」。 田沼武能


西の宝塚歌劇団に対して、東の松竹歌劇団。
宝塚歌劇団は阪急電鉄が創設し、兵庫の宝塚を本拠地としている。
松竹歌劇団は松竹が創設し、東京の浅草を本拠としていた。
松竹という会社はもともとは演劇などの興業を手掛けており、京都や大阪など西発であり、松竹歌劇団のもとになる松竹楽劇部も1921年に大阪に創設された。
その後1928年に東京にも創設され、これが合わさる形で「松竹少女歌劇団」となり、1937年に東京浅草に国際劇場を設立して本拠とし、1945年に「松竹歌劇団」となった。


水の江瀧子さんという方を御存知だろうか。
この方が東京松竹楽劇部の1期生であり大スターとなり、その後、日本映画界初の女性プロデューサーとなったそうだが、私はショートカットの審査員のおばさんという印象しかない(子供の時の無邪気な印象なのでお許しください)。
そこで何の審査員だったのかなぁと調べてみた。たぶんフジテレビで放送していた『オールスター家族対抗歌合戦』だと思う。
どうでもよいことかもしれないが、子供の時に家族で予選に出場したのはTBSの『家族そろって歌合戦』だったと思う。その時に妹が歌ったのが『およげたいやきくん』(フジテレビ・・・)であり、予選で落ちたのはそのせいだと私は思っている。(当時はそういう大人の事情が分からなかった)

水の江瀧子
1928年に東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇部、松竹歌劇団)に第1期生として入団。日本の女性歌劇史上初めて男性様に断髪した男役で「男装の麗人」の異名を取り、「ターキー」の愛称と共に1930年代から1940年代にかけて国民的人気を博した。1942年の松竹退団後は劇団主宰、映画女優などを経て1955年に日活とプロデューサー契約。日本初の女性映画プロデューサーとなり、石原裕次郎を筆頭に、浅丘ルリ子、長門裕之、岡田真澄、和泉雅子、赤木圭一郎ら数々の俳優や、中平康、蔵原惟繕といった監督を発掘・育成し、『太陽の季節』、『狂った果実』など70本以上の映画を企画[注 1]、日活の黄金時代を支えた。また、『NHK紅白歌合戦』の司会を2度務めたほか、『ジェスチャー』、『独占!女の60分』といった番組に携わった。

50年以上に亘り芸能活動を続けたが、1984年に甥の三浦和義が妻の不審死に関わったのではないかとしてマスメディアを賑わせた「ロス疑惑」のスキャンダルに巻き込まれ、芸能界を引退した。


水の江瀧子さんは戦時中に劇団を結成している。

当時瀧子のマネージャー兼恋人のようになっていた松竹宣伝部の兼松廉吉が新たな劇団創設を打診した。これを容れた瀧子は1942年12月に自身の劇団「たんぽぽ」を組織。翌1943年1月に15年間過ごした松竹を離れ、邦楽座で劇団「たんぽぽ」としての旗揚げ公演を行った。

1945年に入ると日本軍の劣勢が決定的になり、日本本土に対する連合国軍機の空襲や艦砲射撃などが行われるようになり、空襲中にも上演を行っていたが、群馬県太田市では工場などを目標にした大規模な空襲に遭遇し、翌日の新聞に「"たんぽぽ"全員爆死」と誤報されたこともあった。



映画『男はつらいよ』シリーズでは寅さんの妹のさくらを演じていた倍賞千恵子さんも松竹歌劇団の出身だそうだ。

愛称は「チコちゃん」。
実妹は女優の倍賞美津子。弟は猪木事務所社長日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明。夫は作曲家の小六禮次郎。

幼少時は「のど自慢」荒らしとして知られ、みすず児童合唱団を経て、1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、若くして「逸材」と注目される。
1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。
1963年に『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。
映画『男はつらいよ』シリーズでは渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにした。『男はつらいよ』で共演した吉岡秀隆とは現在でも親交が深く、北海道野付郡別海町の倍賞の別荘に遊びに来た際には、(吉岡に)マッサージを頼むほどの仲である。


倍賞千恵子さんの妹である倍賞美津子さんは、やっぱり『3年B組金八先生』の養護教諭で後に金八先生の奥さんというイメージが強いですよね!?
その倍賞美津子さんも松竹音楽舞踊学校(劇団養成学校)→松竹歌劇団(18期生)→松竹で映画デビューという流れのようだ。










by yumimi61 | 2019-06-18 17:31