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2019年 07月 25日 ( 1 )

アイコン

会いに行けるアイドル、拒否らないアイドル

なぜ恋愛や結婚が不利になるのかと言えば、取りも直さずアイドルは恋愛や結婚の対象であるからなんだろうと思う。
それが客観的に見て現実的かどうかは別として、実はアイドルというのは昔から手の届かない雲の上の存在ではなく、恋愛や結婚の対象になるくらいファンにとっては身近な存在なのである。


そんなアイドルに気にいられたり近づくためにファンが簡単にできることは、そのアイドルのためにお金を使う優良な顧客になること。次に会いに行くことだと前述した。
近年において「会いに行けるアイドル」というコピーが、さもさも特別感漂う感じで使われていたが、これは少しも特別なことではない。

昔も今もライブやショーに行けば会えるわけである。
ライブやショーの会場(箱)が小さければ小さいほど、必然的に距離は縮まる。
アイドルは誰でもが出入りできるスーパーマーケットに来たり、イベント会場に来たり、観光地に来たりもする。とても雲の上の存在とは思えない。身近である。
同年代が企画運営するような学園祭にも来る。つまり単なる学生が仕事のオファー(仕事を提供すること)ができるような存在である。
スケジュールを調べて出入り待ちすることも可能である。
ファンクラブに入れば、特別に会える特典が与えられることもあるだろう。
芸能事務所が半ば公認した私営ファンクラブなども存在した。
学校に通う年齢のアイドルならば通学もしている。公共交通機関を利用することも、その辺の道を歩いていることもあるだろう。
学校で他の人と一緒に学校生活を送っていたりもする。


そんな自分達に近いアイドルたちが、自分(ファン)がお金を出したり応援すれば、嫌な顔もせず応えてくれるのだ。
一般的に学校などではそうもいかないだろう。
好意を寄せた男子や女子に、「他に付き合っている人がいる」「こっちにはそんな気はないのでお断り」「嫌い」「キモイ・ウザイ」なんてことを平気で言われかねないし、無視されることもあるだろう。
だけどアイドルはそういうことをファンに対して言わない。
むしろ笑顔で「ありがとう」「嬉しい」とか言ってくれたり、「皆さん(=あなた)が応援してくれたおかげです」なんてことを言う。
例え方に問題があるかもしれないけれど(でも例えるけど)、客観的にみた時に、学校などの異性は相手を簡単に殺すと例えることが出来る。アイドルは相手を生殺し状態にしておく。


芸能事務所が「コンダクト・リスク」を避けるために恋愛禁止を指示したとすれば、近さというのは仇になる。
アイドルに求められる要素、アイドルが売れるため(芸能事務所が売り出すため)に重要な要素である<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>であることは、芸能事務所が果たすべきリスクマネジメントにとっては非常に厄介な要素という、半ば矛盾した状態にある。


リスクマネジメントとしての差別化

アイドルとして売れることと、芸能事務所やアイドルのリスクは、背中合わせ。
近さは仇になるので、少し遠い存在であることをアピールするようになる。
要は簡単に学校では見かけないような男子女子を作り出せばよい。
活動の距離感を変えずに、遠い存在をアピールする簡単な方法は見た目改造である。

(校則では禁じられているであろう)パーマをかけたり、長髪にしたり、しっかり化粧をしたり、歯を矯正したり、永久脱毛したり、もっと差別化をはかれば整形をするなど全体を整えたりと。
フワフワヒラヒラしたような衣装を着せたり、不自然に露出した服装を着せてみたり、ヒールを履かせたり。

アイドルはトイレに行かないという話を聞いたことはないだろうか。
これもアイドルサイドから出たものだろう。これは言葉による差別化。
「キモイ・ウザイ(汚い・臭い・下品?)」と言う代わりに、「アイドルはトイレに行きませんっ!」と言う。
トイレに行く(排泄をする)という、毎日欠かさず何度も行う当たり前の行為をしないんですよ~と嘯くことで、あなた達とは違うアピールをしている。


アイドルという商売の衰退

しかしそうして差別化を図れば、やはり「身近な存在」からも次第に離れていくことになる。
アイドルに求められる要素、アイドルが売れるため(芸能事務所が売り出すため)に重要な要素である<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>を失ってくるわけだから、アイドルとしての成立が難しくなってくるのだ。
人びとは遠い存在である「アイドル」には惹かれないのだ。

また時代が変わったことによって、見た目差別化が有効ではなくなってきた。
要するに、パーマや長髪や化粧、歯を矯正したり永久脱毛することプチ整形、自由な服装などが学校に通う学生にとっても珍しいことではなくなって、アイドルだけのものではなくなった。
その意味において世の中は均一化し、再びアイドルは別に遠い存在ではなくなり、差別化が行き詰まった。
しかし一方で会場(箱)が平均的に大きくなったり、都市部での活動を主にするというような傾向もあり、活動における距離感はかつてより遠くなった。
近さと遠さで相殺されてしまうので、抜きんでる特徴が無い。


再び勃興したアイドル

近年の「会いに行けるアイドル」は、その行き詰まったアイドル界の打開策だったのだと思う。
小さな箱で、毎日欠かさずに、アイドルがショーを行っている、これは「距離の近さ」の提供である。
世の中の見た目差別化は限界を迎えているので、アイドルたちは<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>を維持できている。
しかも最近流行の集団アイドルは学校のクラスをイメージしやすい。

「距離の近さ」というのは「接触具合」と言い換えることもできるが、その接触を、実際に肌と肌の接触(握手)や言葉のやり取り(会話)として、ファンに提供したのが”握手会”なるものだろう。
握手する機会というのは昔からないわけではないが、出来る人が限られていた。抽選で当たった人とか、ファンクラブで熱心に活動している人とか、特別に時間とお金をかけ最前列を確保した人とか。
でもそうではなくて、一定額を出せば誰でも平等に握手できる権利を提供したのが”握手会”だった。

そうして再びアイドルを<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>に近づけ、一時期衰退化したアイドルという商売を再び勃興させた。
身近に引き寄せたことや集団作戦、さらには世の中の均一化が功を奏して、近年のアイドル界は<アイドルを恋愛や結婚の対象として見ている人>だけでなく、<自分もアイドルになりたい人>も呼び込み、そうした人に支えられているようにも感じられる。


強かな戦略

あまり近づけすぎるとリスクにもなり、反感を買いかねない。
よって子供のスポンサーである親や祖父母、あるいは子供ではないファンの信頼を得ることは変わらずに大事なはずで、信頼を得るための1つの方法として公的な存在が使われるということがあるかもしれない。
芸能事務所などが政財界の有力者と懇意にしているとか、芸能事務所関係者が公的な仕事を引き受けているとか、アイドルが国や社会に認められている観があるテレビ局の仕事を多くしているなど。

首相の催しに招待されて一緒に写った写真を公開することなんかもそれに当たる気がする。
政治家ですら党首など有力政治家とのツーショット写真などを利用してアピールしたり、選挙になれば応援に来てもらう、それと似たようなこと。
安倍首相が芸能人と写真を撮ったということが話題になっていたことがあり、首相が人気者の力を借りているような論調でしか語られていなかったが、首相と一緒に写真を撮った芸能人は国家権力のお墨付きをもらったようなものであり、効果というか威力はそちらのほうが遥かに強い気がするが。

そこでじゃあ反社会的勢力と一緒に写真に収まったらどうか?
よく言われるように、反社会的勢力が人気者の力を借りて自分をより大きく見せたいということも確かにあるかもしれない。
では逆はどうだろうか。反社会的勢力のお墨付きをもらった芸人(芸能人)。
芸能人にとっての反社会的勢力のお墨付きの効果や威力は私にはよく分からないが、まあ皆無ということはないのだろうと思う。
反社会的勢力に仁義があるかはよく分からないけれど、映画とは観る限りヤクザ社会(暴力団社会)などは仁義(ヤクザ社会の倫理観)が重んじられる社会ですよね?
だからお付き合いが発覚した芸能人が「もうそんなことは絶対しません、反省しています」というよりも、「そんなら芸能界辞めますわ」と言った方が、ヤクザ社会にとっては痺れる仁義なんじゃないでしょうか。違うのかしら。


別の自分?自分は自分?

アイコン(icon)は肖像・偶像・聖像・記号のこと。
コンピューター世界でのアイコンは、ファイルやプログラムやアプリなどを絵や記号で表したものである。

アイドル(idol)は神像・偶像・むやみにあがめられる崇拝の対象・虚像(実際とは異なる作られたイメージ)のこと。

アイコンとアイドルに共通するものは’偶像’である。アイコンの’記号’も実像とは言い難いので’虚像’に似たところがある。
ということは、アイコンとアイドルに共通するものは’偶像’と’虚像’ということになる。
偶像
 1 木・石・土・金属などで作った像
 2 神仏をかたどった、信仰の対象となる像
 3 あこがれや崇拝の対象となるもの

日本のアイドルは、恋愛・結婚相手を象徴化した存在。もっと分かりやすく言えば恋愛や結婚相手の理想像と言っても良い。
どこにでもいるような平凡さと、その気になればいつでも会えるような身近さを有し、決して自分を拒否らない存在。いつも明るく朗らかに前向きで、汚い言葉は使わず後ろ向きなことも言わず、感謝の気持ちを持って一生懸命生きている人。しかし時にか弱いから、守ってあげなければという気持ちにもさせるというような。
わざと普通の人とは違う格好したり、トイレに行かないなんておかしなことを言ったりして、時々は遠い世界に行っちゃうけれど、それは虚像だということもちゃんと知っているから大丈夫だよハニー、なんて感じで’虚像’まで取り込める。
もっとも存在自体が虚像でしょ、という冷めた意味でも’虚像’は使えるけれども。

現代ではインターネットのSNSなどにもアイコンが存在する。
この場合のアイコンとはプロフィール画像のことを言う。
TwitterにもFacebookにもInstagramにもLINEにも存在する。
多くのブログにも存在していて、このブログの右上にもある。
アイコンは、自分を表すものであり、自分の写真でも良いし、動物でも物でも何でもよい。自分を表してなくても咎められることもないだろう。
オンラインゲームなどには画面上に表示されるアバター(化身・分身)なんてものもある。これも自分に似せたものを作っても良いし、まったく似ていなくても構わない。

遠い時代には、絵でも写真でも文章でも、なんとか実像を残すことを夢見て、努力を重ねた日々があったのだろうと思う。
現代人は偶像や虚像を作り出すことが得意で、すっかりそれに慣れてしまったと言えるだろう。
化粧に修正加工に切り取り、いざとなったら動物にだって物にだってなれるし、自分の分身が受け答えしてくれたりもする。
ウソもホントもあることを、醜くも美しい世界であることを、誰もが良く知っている。
それはアイドルでもアイドルでなくても同じだから、アイドルの差別化が尚のこと難しい時代であり、恋愛禁止によってリスクマネジメントするなんてことが通用する時代ではないのかもしれない。


168.png期間限定でアイコン(プロフィール画像)を変えてみた。写真は今年の4月12日に撮ったもの。あの4月の雪の2日後、ナツと一緒。


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by yumimi61 | 2019-07-25 14:36