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2019年 07月 28日 ( 1 )

コンクール

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💘先日来アイドルの恋愛禁止について書いてきたが、私に初めて恋愛禁止の衝撃を与えたのが上の写真の本だった。

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🎼『涙はロンド』は、とある高校の吹奏楽部の顧問が書いた本である。
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👨 筆者の大木隆明は、1972年~1980年の9年間、群馬県内の県立高校の吹奏楽部を率いていた。
その間、県大会では9年連続金賞を受賞。
全国大会でも、銅賞2回、銀賞2回、金賞3回と7年連続で入賞を果たしており、金賞は3年連続(1978-1980)だった。


🎶 9年経ったところで、大木先生は県の教育委員会に呼ばれた。
注意を受けるために呼ばれたわけではなく、教育委員会への異動ということである。
特定の高校の指導だけでなく、県下全部の高校を指導してほしいと口説かれたらしい。
全国大会5年連続金賞を受賞し、招待演奏を果たすことを目指していた大木先生にとっては青天の霹靂。
「これでは生徒達が可哀想です。あと2年置いて下さい。それが無理ならあと1年でいいから。」
「あと1年経てば生徒が可愛くなくなるのですか。そんなことはないでしょう。それなら1年でも早い方がいい。」
こうして1981年には教育委員会へ異動し指導主事(専任)となった。


✍『涙はロンド』は教育委員会へ異動した1981年末(12月26日)、及び1982年初頭(2月12日)に発行されたものである。
発行所は「一音入魂の会」とあるが、吹奏楽部OBを中心としての自費出版である。


💴 初版、500冊で出版費用は65万円。1冊あたり1,300円(原価)。
しかしそれを1000円で販売してしまった・・・よって1冊あたり-300円にて原価割れ。
500冊で15万円の赤字!
さすがにこれ以上赤字は重ねられないと思ったのか、どこかから注意が入ったのか、第二版では原価で販売したらしい。


🎤 大木先生は1979年に群馬大学の音楽専攻の学生を対象に講演を行った。
実は大木先生は1977年から教育委員会の指導主事を兼務していたのだった。
その講演より。
 皆さんこれから卒業されて中学校の先生になられる方、たくさんいらっしゃると思います。現在、中学校で吹奏楽部のない学校は群馬県では10本の指に入るくらいではないかと思います。
ですから現場に出ると吹奏楽部の指導をやらなければならないという場面が必ず出てきます。その場合に「私は声楽が専門ですから」「私はピアノが専門でして・・」なんて言うのは、とてもいけないことです。
現実にそこに何十万かの費用をかけた楽器があるのですから、それは通用しないわけです。
理科とか社会の先生だったら「私は地学が専門だ。私は歴史が専門だ」と言っていられますが、音楽の場合は声楽が専門でも器楽を指導しなければならない場合もあるし、そういうことで逃げる先生になっては生徒が可哀想です。



🎺 私は小学生の時からトランペットとトロンボーンをやっていた。
きっかけは小学校の教師からの勧めだった。金管楽器は学校にあった。貸し出しもしていて家にも持ち帰ることが出来た。
小学校では基本的に全ての教科を担任が教えることになる。
だから当時は分からなかったが、大学での養成課程が教科別なので小学校の教師にも専門教科というものがあるそうだ。
また小学校教員養成課程でも中学や高校の教員免許も取得しているのだそうだ。(そういえば、小学校から中学校へ異動になる先生もいますね!)
実際に教員になってからは教科ごとの研究会みたいなものもあるらしい。
私が最初に金管楽器を習った小学校の教師の専門が音楽の器楽だったかどうかは今もって分からないが、ともかく何事においても非常に厳しいことで有名な先生で、確かに厳しかった。
夏休み明けに学校を休んだ私に「健康管理がなっていません」という手紙をよこしたのもその先生である(女教師)。


💑『涙はロンド』には「全国大会初金賞までの歩み」を、定期演奏会で発表した生徒の原稿にて紹介している。
その中で恋愛禁止に触れられていた。

 私達のバンドにとって大きな危機が一度だけありました。札幌(1975年の全国大会開催地)から帰ったあと、突然先生が私達の指導をやめると言われたのです。
それは私達部員同士で数組のペアが出来てしまったことに対してです。
先生は「恋もしたいです。ついでに全国一になりたいですなんて虫が良すぎる。全国制覇をそんな甘っちょろい考えでいる者に付き合っちゃあいられない」と言って指揮棒を投げ捨ててしまいました。
先生は「部活動は、男女が学年の垣根を越えてみんなで力を合わせることに意義があるのだ。特定の人を作ってふたりで行動するのは部ではない」と言います。
部員の話し合いは揉めに揉めました。
「恋愛の自由を認めないなんて、先生の考え方は古い。練習さえしっかりやれば、あとは干渉されたくない」という人もいました。
しかし結論的には「恋愛などにうつつをぬかしているということは、練習に没頭していない証拠だ」ということになりました。
そして泣きながら先生のあとを追いかけ「先生、もう一度考え直してください。明日からしっかりやります。朝の練習も遅刻しません。どうか私達を見捨てないで下さい」と必死で頼みました。
夜空には12月の星が冷たく輝いていました。男子も泣いています。
先生の目にも涙が光っていました。先生は涙がこぼれないように空を見上げながら、とぎれとぎれに私達に話してくれました。
「私はムゴイことを君達に言っているのかもしれない。でも中途半端は嫌なんだ。どうせ青春を吹奏楽に賭けるなら、トコトンやろうじゃないか。そうすればきっと素晴らしい青春を捕まえることが出来る筈だ」
私達は気が付くと先生と固く手を握り合っていました。
 雨降って地固まるの例え通り、その日から先生と私達の間に何か通じ合うものが出来始めました。それは本当に暖かな信頼という絆であったろうと思います。



💔先生自身もこのように書いている。
異性のことなどにうつつをぬかしている者に全国制覇など出来る筈はないし、いや、出来ては困るし、そんなことに考え悩んでいる者に付き合ってはいられない。というのが私の本音なのです。



😻 多感な時期にこの本を読んだ私は、とにかくこの恋愛禁止が衝撃的だった。
そして私は吹奏楽の道へは進まなかった。(ということでもないんですが、まあそう言った方が流れ的にはいいかなぁとか思ったりして)


🌹 ページがバラバラに外れてしまうほど何度も何度も読んで出した結論だった。(バラバラに外れたのは何度も何度も読んだからではなく、コストを抑えたせいですかね?)


💖 まだ沢山の時間が残されていて、何にだってなることも可能で、未来が手を広げて待っていてくれるような若い時には、往々にして未来なんて見えないし、見ないものでもある。
皮肉なことだなぁと思うけれど、今という時の瞬間瞬間を生きていて、過去も未来も持っていないのが青春なんだろうと思う。


✨ 若い時に、好きな人がいるのに想いを届けられなかったり、想いが届かなくて振られちゃったり、すごく幸せな時を過ごしてはずなのに破局しちゃったりすると、もう一生が終わってしまったような気になって落ち込んだり悩んだり、死んでしまいたくなったりもする。
大人から見れば、いずれまた好きな人が現れるよとか、いつか別の幸せが訪れるものだから心配ないとか、自分もそんな日々があったけれど違う人と結婚して忘れたとか思ったりして、若い人の悩みは随分大げさにも感じられるかもしれない。
でも大人だって、いよいよ一生が終わってしまったような気になって落ち込んだり悩んだり、死んでしまいたくなったりもすると思う。
死に近づいているだけ若い時よりも現実味がある落ち込みや悩みになるだろう。
だけど大人は過去を持ってもいるから、そのぶんだけ若い人よりは幅があって、過去という経験から少しだけ未来を紡ぎだせたりもするのではないかなぁと思う。


💙 大人が客観的に見て一般論を語れば、高校生の時に恋愛禁止だったからと言って、それは人生を左右するようなことではない。
むしろやっぱり、過去も未来も持っていない青春の中を生きている若者の恋愛は、他の経験(可能性)を潰しかねない。
その意味において私は、小中学校が共学で、高校が女子高で良かったと思っているくらいである。共学の高校へ通えば良かったという後悔や憧れは今も昔も全くない。
恋愛の自由と言うけれど、相手のいる恋愛って他人に縛られなくてもある意味全然自由ではないと思うから。
だけどそれは他の事にも当てはまるわけで、過去も未来も持っていない青春の中を生きている若者が、恋愛でないにしても何か1つのことだけに心血注ぐということは、他の経験(可能性)を潰しかねないということは肝に銘じる必要があるだろうとも思う。
でもそれを含めて、後先考えられないのが青春と言われればまさにそうであり、それが眩しいと言えばまったくその通りでもある。


🎰 全国コンクールも、学校の大会も、同じ価値に置いておけるのが青春を生きている若者の素晴らしさだと私は思う。
全国コンクールの優勝でも学校の大会の優勝でも同じように喜びを爆発させ、失敗したり負ければ同じように悔しがり泣く。
それこそが若者の美しさであり眩しさだ。


💗 場所で、人で、物で、今という時を比較して優劣を付ける時、人は今を生きることを手放すことになる。

 
💦 大木先生が教育委員会へ異動となり学校を辞めることを生徒達に告げた場面😭

 もうその後は、何を話しても泣き声と「嘘だ、そんなのないよ。行かないで、先生!」という声にかき消される。泣きじゃくる生徒達、号泣とはこういうのを言うのか、15・16才の少年少女達が、我を忘れて泣いている。泣くことにしか自分の気持ちを表現できない。互いに肩を抱き合い、頭をくっつけ合って泣く女子。こぶしで涙を拭き、肩を震わせる男子。頼る目、すがりつく目、それぞれが恨めしそうに私を見つめる。私の心に入ってくる。
 どれくらい時間が経ったろう。力なく立ち上がった部員達は、私の為に精一杯最後の演奏をしてくれた。涙が口の中に入り、鼻水がたれ、音が思うように出ない。
 最後の曲は「贈る言葉」だった。
「悲しみこらえて、ほほえむよりも、涙涸れるまで泣くほうがいい。人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできるのだから。さよならだけでは淋しすぎるから、愛するあなたへ贈る言葉」
 副指揮者の白沢(副部長)が「泣いていちゃダメじゃないか、ちゃんと吹けよ」と言う。彼もまた泣きながら棒を振っている。やっと最後までたどり着いた拙い演奏であったが、私は、生涯でこれほど感動的な演奏を聴いたことはなかった。私も涙がとめどなく流れ放心したような生徒の一人ひとりを強く抱きしめ、手を握り、「頑張れよ、頑張れよ」というのがやっというありさまだった。「別れたって、君達は僕の教え子だ。一生僕の教え子だ。」ハンカチをびっしょりに濡らして、私も泣きわめいていた。
 その夜は、どうにも辛くて、悲しくて、寂しくて寝付かれず何度、寝返りを打ったことか。流れる涙は耳に入りそして枕を濡らした。「あの時こうしてやれば、ああしてやれば」と思い出されることはすべて後悔ばかりであった。涙は悲しみを流してくれるものだと思っていたのに、逆に悲しみを募らせるものであった。



🎁『贈る言葉』と言っても吹奏楽部だから当然に音だけである。
言葉など無くても聞かせるのがオーケストラや吹奏楽だろう。
だけど生徒達が私的な場で最後に先生に聞かせたのはコンクールでやった曲ではなく『贈る言葉』だったというのだ。
そしてコンクール入賞の常連で、3年連続金賞に導いた先生が、やっと最後までたどり着くような拙いその演奏を生涯一番感動的だったと言い、本には小さく歌詞まで書かれていた。
そのことが私の胸を打った。


🍃 ”君が君のバラのために失った時間こそが、君のバラをかけがえのないものにしているんだよ。” 『星の王子様』より




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by yumimi61 | 2019-07-28 11:27