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2019年 08月 04日 ( 1 )

一昨日、スカウト勧誘?された。
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こっち?
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まさかこっちとか?
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先日「ゆとり教育」のことを書いた。
その時に載せた狭義の「ゆとり教育」の方針に次のようなものがあった。
②多くの知識を一方的に教え込む教育を転換し,子どもたちの自ら学び自ら考える力の育成を重視すること。

世界的にはそれよりずっと以前に、これに似た教育改革「新教育運動」が起こったことがある。
「新教育」(英語: New Education)または「新学校」(英語: New School)をキーワードに19世紀末のイギリスではじめられた教育改革運動のこと。
19世紀末から第一次世界大戦後にかけて、イギリスからフランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、ロシア、インド、中国及び日本、並びにその他の国々に展開された。ただし思想においても教育実践の手法においても一様でなく、ルソー、ペスタロッチ及びフレーベルの思想の継承発展により、書物を通じての主知主義の教育に対する児童の自主的で、主体的な活動を尊重するという児童中心主義の考え方に共通点が有る。


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リトミックという言葉を聞いたことがあると思うが、リトミックという音楽教育は上記の「新教育運動」の中から生まれてきた。
リトミック(フランス語: rythmique、英語: eurhythmics)
新教育運動の絶頂期に、スイスの音楽教育家で作曲家でもあったエミール・ジャック・ダルクローズが開発した音楽教育の手法。開発者の名から、「ダルクローズ音楽教育法」ともいう。

当時、ハンブルクなどを中心に、国語や美術、体育、音楽の教育を、訓練・調教ではなく、子ども本人が自ら進んで学び、その感覚を体感的に身に着けていくための情操教育、芸術教育が叫ばれ、ダルクローズは、そのために楽器の演奏訓練を早期から闇雲にやらせるのではなく、音を聞き、それを感じ、理解し、その上で楽器に触ってみる、音を組み合わせて音楽を作ることの楽しさを身体全体で味わわせ、その喜びの中で、音を出し、奏で、そこから旋律を作っていくことへの興味と音感を育んでいこうとした。

日本の音楽教育の草分けで、作曲家・指揮者の山田耕筰も、自らダルクローズを訪ね、大いに影響を受けたという。
こうしたリトミック教育は、舞踏、演劇の表現能力のトレーニングにも利用され、また幼児教育、障がい児教育にも盛んに取り入れられている。
一部に、知育と組み合わせて英才教育としての効果を説く幼児教室や教育産業もあるが、それはリトミックの本来の趣旨にはないものである。


一部に知育と組み合わせて英才教育としての効果を説く幼児教室や教育産業もある、と書いてあるが日本ではどうしてもその傾向が強くなる。
勉強にしても音楽にしてもスポーツにしても、興味を満たすためや楽しみのだめでなく、人より秀でることが目指される。
それには早期教育が必要だと叫ばれ、幼いうちから何かを徹底的に学ぶように仕向けられる。
明確に効果(結果・成績)が示されるものでないと、行う意味や意義がないと半ば思っているふしがある。
リトミックへの認識も似たようなものなのである。プリスクールのようなイメージなのかもしれない。


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NPOグリーンズ 2019.04.12 学習するコミュニティに夢を見て 信岡良亮 より

学ぶこと = 自分が深掘りしたい問いについて、主体的に探求すること
勉強すること = すでに誰かが知っている正解について、早く理解すること。

ではなぜ僕らは大人になるにつれて、そんな好奇心をなくしてしまうのか?
それは「自分の問い(不思議に思うこと)について学ぶことよりも、他者の期待に応えるために、他人から迫られて勉強ばかりに時間を奪われてしまう」からだと思うのです。

「学習性無力感」という言葉があります。例えば2m飛べるノミを高さ50cmの透明な箱の中にいれて、ずっと天井に頭を打ち続けると、箱から出した時に50cmしか飛べなくなるという実験がありますが、これはノミが「50cm以上飛ぶとよくないことが起こる、または自分は50cmしか飛べない」ということを学習した結果というのです。

僕たちは大学まで含めると20年くらいの時間、ずっと「自分で問いを持つことは時間の無駄」であって「早く暗記して、なぜ勉強するのかの問いを持つよりも単語を一つでも覚えること」ばかり学習していきます。自分で問いを探求するということに対して、僕らは無力感を覚え、無駄だという感覚ばかりを学習してきてしまっているのです。

「なぜ勉強しないといけないか、それはいい大学に入るため。なぜいい大学に入らないといけないか、それはいい会社に入るため。なぜいい会社に入る必要があるのか、それはいい老人ホームに入るためらしいよ」。

なんとも笑えないアメリカンジョークみたいな話ですが、そもそも僕らはなぜ学習するのでしょうか? さらに一歩進んで、いい墓を入るためなのだとしたら、大学にいくお金でよいお墓を買ったほうが早くて安いです。

だからこそノミの天井を外して、改めて考えてみたい。そもそもなぜ学習するのか?それはお勉強という意味でなく、なぜ僕らは学ぶのか、という問いだとすると僕の仮説は「自分の人生を豊かにするため」ではないかと思います。

ではあなたにとって、「豊かな人生とはどんなものか?」、この問いは大切な問いですが、大切なだけに簡単に応えられません。何よりも僕にとって豊かな人生と、あなたにとって豊かな人生はきっと絵に描いたら全く違うものになると思います。


なぜという問いを続けていくと「良い老人ホームに入るため」に行き着くという話は、私もどこか別の場所で見たか聞いたかしたことがあります。
良い(いい)というのは、人より良いということなのか、それとも今より良い(つまり親の生活よりも良い生活)ということなのか。
あるいは単純に人は常に、食べて生きて行くこと=そのための収入、に不安を感じているということなんだろうか。
学習する(音楽でもスポーツでも)理由の背景にあるのがランクの話ならば、そんなに良くなくても大丈夫と言えるかもしれないが、生きるか死ぬかということならば、学習しなくてもよいとは安易に言えない。
社会の中にはそれが混在していて、また両者は意外にも簡単に行き来する。

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高校野球のピッチャーが投げ過ぎて肩を故障するかもしれない、だから投球や出場を制限すべきとかすべきではない、という話。
問題点を洗い出してみた。

1)まず高校野球を行っている選手がみなプロ野球選手を目指しているのかという問題がある。
高校生活を豊かにするために野球を行ってもよいはずなのに、部活動はそれを許さない?外野(世間)がそれを許さない?例えば、物凄い速い球を投げられるピッチャーが科学者を目指していたって、公務員を希望していたって別にいいじゃないか。そういう選手は皆無であるという前提の話なのか。

2)肩を故障すると言うけれど、その故障は、プロ野球選手として致命的な故障なのか、プロ野球以外の野球も出来ない故障なのか、それとも良いランクの野球選手にはなれそうもない故障なのか。あるいは日常生活に支障をきたすような故障なのか。将来的、例えば高齢になった時に大きな不自由をもたらすことが予想される故障なのか。

3)野球は個人競技ではなくて団体競技である。個人のレベルも目的も目標も違うだろうと思う。でも団体である以上、団体として理念やポリシーがあるだろう。それが共有され、納得して所属しているんだろうかという問題がある。また外から口を挟む場合、それを重視して発言しているのかという問題も。

野球の先にあるのが必ずプロ野球選手で、高校野球はプロ野球選手の養成所(専門学校)なのか? 一般的な目線では、これがひとつの違和感になっている。
さらに・・・
「なぜ野球をしないといけないか、それは強い少年野球チームに入るため。なぜ強い少年野球チームに入らないといけないか、それは野球の強い高校に入るため。なぜ野球の強い高校に入る必要があるのか、それは甲子園大会に出場するため、なぜ甲子園大会に出場しないといけないのか、それは日本のプロ野球チームにスカウトされるため、(なぜ日本のプロ野球チームにスカウトされる必要があるのか、それは大リーグに移籍するため)」
この論理の中にある場合で、甲子園大会に出場しなくても日本のプロ野球チームからスカウトされるとするならば、甲子園大会に出場する必要はなくなる。無理に暑い中で連投する必要はない。最小努力の法則。
もはや甲子園大会で活躍するまでもなく、スカウトたちが早くに才能を見極めてくれて、獲得に蠢いている。とするならば、教育や学習はすべて就職のためにあるようなものとなる。


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ダルクローズ理論は「動きを通じて音楽の諸概念を教える」という理論である。ある種類の動作およびその相似形の動作で音楽の概念を表現することによって、音楽表現に関する一貫した自然な感覚を得るのである。身体そのものをよく調律された楽器へと変えることが、確かで鮮やかな音楽の基礎を身につけるのに最も適しているとダルクローズは考えたのだ。

リトミックの提唱者は、動きを通じて音楽の諸概念を教えるという考えを持っていたようだが、実は英語にも似たような理論がある。
動いて英語を身に付けるというもの。
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私は結構いろんな種類の英語を覚えるための本を持っているのだけれど、上の写真はその中の1冊。
「世界中の教師からの反応」なんてページもあるけれど、私は英語教育法を検討していたわけではなく、自分が覚えるために買いました。しかもいきなり上級編(笑)。
だって中は全て写真右上のような感じで、上級編でも絵が多かったから(笑)。
で、覚えられたかと言うと、覚えられません。たぶん私の努力が足りないんだと思います。

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by yumimi61 | 2019-08-04 10:54