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2019年 08月 15日 ( 2 )

ガラコン

赤レンガ倉庫と地震

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の時には、その10年前(1913年)に完成した赤レンガ倉庫1号館は半壊したそうである。
その後、大改修をしたそうだが、1号館が2号館より小さいのはそのせいなのだとか。

レンガ自体は耐久性に優れていて半永久的とも言われる。
アンティークレンガなども売られているが、レンガは魅力的である。
しかし地震と雨の多い日本ではレンガ造りの家は適さない。
地震でバラバラガラガラと崩れ落ち、雨では漏水する。
地震でブロック塀が倒壊したり瓦屋根が落ちたりすることが多いが、レンガ造りの家は柱がないので、支柱の入っていないブロック塀のようなものである。
だから日本ではレンガ造りの家は普及してこなかったが、明治時代以降に欧米文化が積極的に取り入れられるに伴い、レンガ造りの洋館が数多く建てられた。
しかしそれも関東大震災などの地震で多くの建物が倒壊するという被害を受けてしまった。
それ以来、レンガ造りは地震に弱く、日本には合わないとの評価が再定着した。
日本でレンガの家にしたい場合には、構造体を鉄筋コンクリートにして、レンガを貼っていくような形になる。

横浜の赤レンガ倉庫も廃墟と化し、ボロボロで今にも崩れそうで、落書きだらけにもなったが、再びの大改修を経て2002年に復活を果たした。
おかげでレンガ造りでありながら2011年の大震災にも倒壊することはなかった。(もっとも震源に近かったわけではないけれども)


復活を諦めた普門館

吹奏楽の甲子園と言われるようなっていた「普門館」は、2011年3月11日の大震災をきっかけとして、2012年に耐震調査が行われた。
普門館は1970年4月に竣工しており、1910年代初めに竣工した赤レンガ倉庫よりは60年くらい新しい建物である。
しかし耐震性に問題があることが発覚した。震度6以上で天井が崩落する危険性があると判定された。
古くて規模が大きく、中ががらんとしたホールような建物はちょっと考えただけでも危なそうな感じがする。
2012年から全日本吹奏楽コンクールの中・高校生部門も名古屋国際会議場に会場を変更した。

ホールを所有していた宗教団体「立正佼成会」は様々な検討を重ねた結果、耐震改修や建て直しを断念したという。

普門館のある地域は、都市計画法(1968年に新法施行)によって第1種中高層住居専用地域に指定されている。
その法律には幾つかの用途地域というものがあり、それぞれ建てられる建物が決まっていたり、建設をする上での制限が設けられている。
第1種中高層住居専用地域は、住居専用地域とあるようにマンションなど中高層住宅のための地域。
住民の生活に密着している、学校、病院、老人施設、図書館、神社・寺院・教会、一定規模以下の店舗などは建設可能である。
しかし、事務所や工場、ホテル、遊戯施設・風俗施設 、展示場等、運動施設、映画館、ガソリンスタンドや自動車修理工場、大きな駐車場や倉庫などもろもろ建設が認められない。

普門館は1970年竣工であり、1968年よりは後に完成しているが、認可がその前に下りていて引っかからなかったのか、それとも法律の改正があってより厳しくなったのか、地域の姿が大きく変わったのか、よくわからないが、ぎりぎりのところで建てられたホールであるということになる。
普門館はホールの大きさも然ることながら、吹奏楽部の楽器を運搬する大型車や学生を乗せてくる大型バスが駐車できる大きなスペースがあったことが重宝された理由の1つでもあるが、本来は大きな駐車場なども造ってはいけない地域である。

2018年末から2年かけて解体予定が発表されたので、まだ解体中というところだろうか。


普門館の形式

先日コンサートホールには大きく分けて3つの形があるということを書いた。
では普門館はどうなのかと言うと、メガホン(扇)型である。

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メガホン(扇)型の中でも横幅が長く、しかも収容人数が多く大きいので、音響は見るからに良くない。

AERA 2013年12月16日号 「爆音系」が減る? 聖地「普門館」消えた影響 より抜粋
※アンダーラインは私が入れたものです。

 東京メトロの方南町駅(東京都杉並区)を降りて、環状七号線を北に進んでいくと、住宅街の一角に突如、圧倒的な存在感を放つ巨大な建物が現れる。吹奏楽の「聖地」、普門館だ。長年、全日本コンクールの中学、高校の部が開かれ、毎年約50万人の生徒たちがこの地を目指して練習に励んできた。

 この普門館、もともとコンサート専用ホールとして建てられたものではなく、あまりに巨大なため、演奏者たちは他のホールよりも音量は大きめに、音は長めに、と意識する。09年と13年に全日本コンクールの審査員を務めた指揮者の小林恵子さん(39)はこう指摘する。

このところ、普門館を鳴らそうと、音楽性や音色よりも、迫力や音量ばかり追い求める学校が増え、『爆音系』が主流になってきた印象があります

 普門館が使用停止になった12年以降、コンクールは、3千人を収容する名古屋国際会議場センチュリーホールで開かれている。昨年は、普門館仕様の演奏で臨み、音のバランスが崩れ、思ったような結果を出せなかった学校もあったが、今年は少し変化が見られた。

今年のコンクールを審査していて、爆音系が減ったと感じました。会場が普門館じゃなくなったのも影響していると思います」(小林さん)

一方、普門館を「コンクールにとって最高のホールだった」と評するのは、普門館で審査員を務めた経験があり、昨年まで35年間、普門館を拠点とする東京佼成ウインドオーケストラでトロンボーン奏者として活躍した萩谷克己さん(61)だ。

「舞台が広く、反響板まで距離があるため、セッティング(楽器の配置)による有利不利が出にくい」

 名古屋は普門館と比べて狭いため、特にシンバルやドラなど打楽器の大きさのバランスを取るのが難しく、初出場の団体は予想もしない演奏となってしまう可能性もあるという。


爆音は爆音

2019年春に野球部が甲子園に出場して、応援の吹奏楽部が「美爆音」として話題になった市立習志野高校は、吹奏楽コンクールが普門館最後の年の2011年夏にも甲子園に出場して準々決勝まで進んでいた。
2011年と言えば大震災のあった年であり、応援を自粛したのか、高校野球のニュースが控えめだったのか、それとも私が興味を持てず見聞きしなかっただけなのか、美爆音なんて話題になっていた記憶は全くない。
習志野高校野球部はその後、甲子園から遠ざかっていたが、2019年春に出場を決めて、賛否の声がありながらも一躍「美爆音」が有名になった。今夏の大会にも出場していた。

この期に及んで美爆音なんて一体誰が命名したのか、またマスコミの仕業かと思いきや、どうも前顧問らしい。

美爆音
この命名者、実は習志野高校吹奏楽部の前顧問の先生だそうですよ。
「自分たちで爆音なんて言うと”うるさい”と言われる。うちの音は爆音は爆音でも美しい爆音なんですよ」と周囲に解説していて付いた名前だったとのことです。







by yumimi61 | 2019-08-15 22:36

BAY8BAY9


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上の写真はこちら(PHOTOCLIP 新港埠頭 ::: 赤レンガ倉庫 (1983) )より借用したものです。


下の文章は別のブログより。
BAY8 BAY9のアップ写真も掲載されています。
ブログ 週刊 横濱80’s  赤レンガ倉庫一号館

ボロボロで今にも崩れそうな一号倉庫だったのに、なぜかこの「BAY8 BAY9」のペイントだけがハッキリ、クッキリ残っていたモノ。
ただ不思議なのは、「BAY8 BAY9」があっても、その前後の数字がどこにも見あたらないこと。
消えた跡すら見つからなかったこと。
このことが当時はナゾでしたが、復元された時に、このペイントは消されてしまったようで、とうとう永遠のナゾとなってしまいました。 

 


横浜の赤レンガ倉庫は2つの建物がありますよね。
横に短い方が1号館で、長い方が2号館。

神奈川県横浜市中区新港一丁目の横浜港にある歴史的建築物である。明治政府によって保税倉庫として建設され、建設当時の正式名称は横浜税関新港埠頭倉庫。みなとみらい地区内の2街区に当たる。
赤レンガ倉庫の設計は、妻木頼黄・部長率いる大蔵省臨時建築部によって行われた。妻木頼黄は、馬車道にある横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)の設計もした、明治建築界三巨頭の一人である。
2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。
保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていた。2002年(平成14年)に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっている。


1号館、2号館という呼称も後から付けられたものなのか、先に完成したほうが2号館で、後に完成したほうが1号館になっている。これも謎ですね。

保税倉庫としての役割は1989年までに終えたとあるが、先に使われなくなったのは後に完成した1号館の方で、1980年代前半にはもう使われていなかったらしい。
そしてテレビや映画の撮影(ロケ地)として、その場所が時々使われていたが、特にロケ地として有名になったのが『あぶない刑事』(1986年10月~1987年9月放送)だったようだ。
半ば廃墟化していたこの場所へ、この放送頃から訪れる人が増えて、建物への落書きも日に日に増していった。

落書きの写真と新旧比較あり↓
ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記  横浜旅行 赤レンガ倉庫の今と昔

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赤レンガ倉庫は今では横浜を代表する
おしゃれな観光スポットとして認知されていますが
今から20年以上も前、ここは落書きで埋め尽くされ、
整備もまったくされないままの廃墟のような倉庫でした
しかしここはかつてから『ハマの赤レンガ』と呼ばれ
多くの市民に愛されていたことから1992年に
横浜市が国からこの赤レンガ倉庫を取得し、
補強工事・整備を進め10年後の2002年に新たな施設として
オープンさせました





ところで、先日載せた撮影地が赤レンガ倉庫のテレフォンカードは、テレカ用の袋に入っていたのだけれど、その袋には"loop now"と書いてあった。
そのテレフォンカードはリンゴのケースに入っていたのである。

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loopとリンゴと言えば・・・

1 Infinite Loop
Cupertino, CA 95014

アップル・キャンパス(英語: Apple Campus)
1993年から2017年までのアップルの本社である。現在では主要部分はアップル・パークに移転したが、オフィスや研究所として引き続き利用されている。
アップル・キャンパスはカリフォルニア州クパチーノにあり、そのデザインは郊外のビジネスパークに似た、緑地の周囲に建物を持つ大学のものと似ている。

アップルの元々の本社はクパチーノのマリアニ通り(Mariani Ave)20525号の1号ビルにあった。
アップル・キャンパスはディ・アンザ大通り(De Anza Boulevard)の向かい側のマリアニ通りの東側にあり、この場所は元々Four-Phase Systemsが占有していた。面積は850,000平方フィート (79,000 m²)である。
アップル・キャンパスは1992年に建設が開始され、Sobrato Development Companyによって1993年に完了した。
1997年までは研究開発に専念しており、当時はR&D 1-6と呼ばれていた。
1997年にスティーブ・ジョブズがアップルに復帰すると、アップル・キャンパスには多くの変更が加えられた。アップルが専有する建物を増やし、研究開発に関係しない多くの活動がインフィニット・ループ内に移転した。彼らはIL(インフィニット・ループ)という名称で知られるようになった。スティーブ・ジョブズは従業員がペットを連れてくることを禁止したり、カフェテリアのメニューを劇的に改善するなどの追加のマークを残した。

2008年8月12日の夜、Valley Green 6の2階で火災が発生した。消火のために消防士は翌朝まで活動した。この火事による怪我人はいなかったが、築40年の建物で200万ドルの火災被害があった。


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ITmedia “Let us loop you in.”ってどういう意味?
 Appleが2016年3月21日に開催するイベントの招待状をメディア宛てに発送し、同時にライブ中継を行う予定のWebページも公開されました。招待状や中継ページには、おなじみのリンゴマークのヘタの部分をモチーフにした模様が描かれており、その下には“Let us loop you in.”の文字。あまり聞き慣れない表現ですが、一体どういう意味なのでしょうか。








by yumimi61 | 2019-08-15 15:26