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2019年 08月 16日 ( 1 )

カラコン

カラヤン来日の背後にいたマスメディア

世界的指揮者で音響に煩く厳しいカラヤン(1908-1989年)が初来日したのは1954年のことである。カラヤン、御年46歳。
NHK交響楽団への客演指揮のために来日した。

カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者になったのは1955年。
その2年後の1957年にベルリン・フィルを率いての初めての来日をした。
日独文化協定記念という名目で、11月3日~22日、東京のNHKホールを皮切りに日本各地で公演をしている。
主催は各地のNHK中央放送局とラジオセンター。
会場は、NHKホール、日比谷公会堂、名古屋市公会堂、福岡市電気ホール、八幡製鉄体育館、広島公会堂、大阪宝塚劇場、神戸国際会館、仙台市公会堂、東京体育館。
東京体育館での公演は東京都共同募金会による慈善演奏会という位置づけにあった。
この時は体育館でも演奏をしているくらいであり、音響がどうこうと煩いことを言ったような感じはない。

カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が普門館で最初に演奏したのは1977年であった。
カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は5度目の来日。カラヤン、御年69歳。
この年に来日した理由は、大阪国際フェスティバル20周年記念の公演を行うためである。11月6日~11月12日、カラヤン指揮の管弦楽の全5公演を大阪にて。(他公演が2公演あった)
東京に移動して、11月13日~18日、全6公演が普門館で催された。

【大阪国際フェスティバル】
朝日新聞文化財団が主催し、大阪国際フェスティバル協会が1958年から毎年開催しているクラシックの音楽祭。
わが国で唯一の国際音楽祭協会加盟の音楽祭で、原則として4月に、大阪のフェスティバルホールを主会場に行われる。大阪フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団、アレクシス・ワイセンベルクらが毎年のように参加するほか、世界の優れた演奏家、芸術家が加わる。また「フェスティバル能」として能と狂言がホール形式で上演される。
フェスティバルホールの建て替えのため2009年~2012年にかけて休止していたが、2013年より再開した。


全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)の主催も朝日新聞社、全日本吹奏楽コンクールの主催も朝日新聞社。高校生を巻き込んだ狂想曲がどれだけ好きなんだろうと思いきや、大阪国際フェスティバルの主催も朝日新聞社(朝日新聞文化財団)なのであった。


チクルス

1977年来日の普門館にての東京特別公演では、ベートーヴェン・チクルスが演奏された。
チクルスとは特定の作曲家の作品を連続して演奏すること。
この時はベードヴェンの交響曲第1番~第9番まで(演奏順は数字通りではない)が6日に亘って演奏された。(全演奏を1万円くらいの席で聴けば6万円ですね!)
カラヤンにとってはこれが生涯最後のベートーヴェン・チクルスだったそうだ。

これが響きが悪く、聴衆を失望させた演奏である。
会場が多目的ホールで音響には配慮しておらず、しかも巨大すぎたことが第一の原因であるが、もうひとつベートーヴェン・チクルスだったことも要因だったのではないだろうか。

クラシック愛好家にもそうでない人にも、ベートーヴェンの交響曲は有名。
生ではなくても、全部ではなくても、どこかで一度くらい耳にしたことがある曲があろと思う。しかもベートーヴェンの交響曲は迫力があるイメージが強い。
知っている曲があって嬉しいー、それを世界的なカラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏したらいったいどんな大迫力になるのだろうと思い込んで聴きに行ったら、えっ・・・という感じだったいうか・・・有名損というか何というか、余計に失望上乗せ感が強かったのではないでしょうか。


普門館の反響板(音響反射板)
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上は1972年の全日本吹奏楽コンクールの写真(朝日新聞社)である。

中学・高校生部門の会場が普門館に固定されたのは1977年のことだった。
その前は持ち回りだったということは前述したが、その持ち回り期間に1度普門館が会場だった年がある。それが1972年の第20回大会である。

下の写真は『涙はロンド』という本に掲載されていた写真。
1980年の第28回大会である。

上の写真はサイドは見えていないが、演奏者の後ろにある板が反響板であると思う。
上の写真と下の写真では違うものであることが分かる。
下の写真に写る反響板こそが、カラヤンが1979年の公演前に作らせた反響板である。

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『涙はロンド』の著者である大木隆明先生は、群馬県の県立高校の吹奏楽部を3年連続金賞に導いたわけだが、それが、1978年・1979年・1980年である。(そして県教育委員会にお呼ばれして1981年に異動して専任指導主事となって学校現場での直接的指導から離れた)

1977年カラヤンが大阪にいる時に、東京の普門館では吹奏楽コンクールが実施されていた(11月4日~6日)。この普門館固定最初年の吹奏楽コンクールで銀賞。
翌1978年に金賞。
この2回はまだ古いタイプの反響板だったはずだ。
1979年のカラヤン来日は10月16~26日。全9公演で公演会場は全て普門館。
そしてその後、11月2日~4日に吹奏楽コンクールが実施された。これでも金賞。
つまり、元からあった反響板でも金、カラヤンオーダーの真新しい反響板でも金、だったということである。


エアリスの反響板

下の写真は息子が中学生の時の校内合唱コンクール。
校内コンクールだけれど、太田市新田文会館というところで実施されていて、保護者も観覧に行くことが出来た。
1日中ホールを借り、午前の部は合唱コンクールで、午後の部は少年の主張や英語スピーチコンテストの校内代表者の発表、部活やクラブ、有志、教師などの出し物というか発表があって、とても楽しいものだった。(出し物詳細は過去記事stageで)

知っている曲があって嬉しいーではないけれど、知っている子が沢山いて、知っている先生が沢山いて、嬉しいー面白いーとやっぱり思うものなのだ。
誰かの普段は見たことのない一面を見ることが出来て、人生の豊かさだとか楽しさだとかを知ることが出来る。
泣きながら練習したこともあったのかなぁという切なさだったり、他の道があったのではないかという人生の哀愁だったりをどこかに感じたりもする。
そして、いろんな子供達や教師がいるのだなぁと、しみじみと実感する。
傍目には、何にもならない、賞にも進路にも関係ない、無意味な時間つぶしなだけのモノかもしれないが、誰もがステージの上で光を浴びている姿にはとても幸せな気持ちにさせられた。

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写真に写っているステージ上の後ろ・横・上の板は反響板。
校内コンクールで一番になれば、市のコンクールに出場できるのだけれど、この頃は市のコンクールもここで行われていたので会場は同じ!
市のコンクールに出なくても、市のホールでいっちょまえに、反響板に囲まれて、照明をあててもらえて、披露できるなんて本当にそれも幸せなこと。観る方も良い経験でした。先生ありがとう。

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カラヤンのリベンジ!?

1977年の普門館公演(ベートーヴェン・チクルス)で聴衆を失望させてしまったカラヤン。
その2年後1979年、またしてもカラヤンはベルリン・フィルを引き連れて来日した。御年71歳。
この来日公演の主催は、日本音楽芸術振興会と新芸術協会だった。

=演奏された曲= 全9公演(10月16~26日の9日間)すべて普門館にて
①モーツアルト 交響曲第39番 変ホ長調 K543、R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストゥラはかく語りき」 作品30
②マーラー 交響曲第6番 イ短調「悲劇的」
③シューベルト 交響曲第8番 ロ短調「未完成」、チャイコフスキー交響曲第5番 ホ短調 作品64
④ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調 作品88、ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」
⑤ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」
⑥ハイドン オラトリオ「天地創造」(1798)
⑦ヴェルディ 「レクイエム(鎮魂ミサ曲)」
⑧モーツアルト 「レクイエム(死者のためのミサ)」、ブルックナー 「テ・デウム」
⑨ヴェルディ 「レクイエム (鎮魂ミサ曲)」

④と⑤の間に1日公演休みがあるので、後半戦の幕開けがベートーヴェンの第九。
その後は宗教色が濃い楽曲が続く。
オラトリオ「天地創造」から一挙にレクイエムに行って、レクイエムが並ぶという展開。
カラヤンにいったい何があったのか。


日本のホールの劣悪な音響

1979年の来日が決まった時、実は会場は普門館とは決まっていなかったという。
巨大な普門館での1977年公演のトラウマがなくもない。

カラヤンは会場を決定するにあたって、ドイツの音響学の権威で、コンサートホールの音響設計士であり、ベルリンの放送局のプロデュ一サでオ一ケストラなどの録音にも長く携わっていた友人に、日本の会場の音響調査を依頼した。
1979年来日公演の候補となっていた会場は、普門館、NHKホール、東京文化会館であった。
結果、東京文化会館とNHKホールの音響は良くないという評価だった。
この2つだったら、まだ普門館の方が何とかしようがあるのではないかということで、新たな反響板の設置やら椅子に板を張り付けるなどの細工をして、残響時間2秒になるように変更を加えた。

カラヤンは残響時間は少なくとも2秒を理想としていたそうだ。(太田市新田文化会館の反響板を使った時の残響時間は1.83秒と書いてある)
カラヤンは結構教会での演奏がお気に入りだったそうで、残響時間3.5秒という教会もその1つだったという。
世界初のヴィンヤード型のベルリン・フィルハーモーニーの音響が悪く、本拠地でありながら、そこでは10年近く録音しなかったことは先に述べたが、その期間も教会を好んで使っていたらしい。

日本の地方のホールは通常多目的である。ホールの建設者や利用者などを考えれば、多目的にならざるを得ない。
しかし都市部の比較的多くオーケストラをはじめクラシック音楽演奏者が利用するホールでも音響は良くない。
音楽そのものよりも多くの人を呼び込んで儲けたほうが良いという意識が強い。確かに経営の一環で運営を行うならば万年赤字では維持が難しいという側面がある。
さらに生演奏であることを重視していない。
高いお金を出して演奏を聴きに来ている人に提供する臨場感(音響)や一発勝負であるという緊張感ではなく、テレビやラジオの放送や録音が前提にある。おそらく録音しての先のことまで念頭にある。
NHKホールなどはその典型なのだ。


厳しさ

1977年の普門館の演奏の反省から、1979年の普門館での公演にあたっては、日本側から残響可変装置(残響調整装置)も提案されたという。

アナログ的な反響板や可変吸音体(空気層を持つ吸音体の設置、簡単なものではカーテンや幕)も残響可変装置であるが、そうでなはくて電気音響設備としての残響可変装置があり、それを提案されたらしいのだ。
残響時間を自由に調整できるという特徴を持つが、しかし当時はまだ今よりも性能はだいぶ劣っていたはずである。
信号処理技術や電子機器が発達した現在でも、使用すること自体、またその質に対して、演奏者の拒否反応は強いそうである。
当然カラヤンにも断られた。

反響板などアナログ的な変更により残響時間2秒は得られ、カラヤンは納得した様子を見せたが、カラヤンが音響調査を依頼した音響の権威は、ホールで実際の演奏を聴いて、2秒に達しても音響が良いとは言えない、素晴らしい演奏だったとの感想を持てない、と辛辣な評価を下したという。





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by yumimi61 | 2019-08-16 16:33