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2019年 09月 03日 ( 1 )

コンフロント

死んでも・・

知り合いの女性は息子さんを自殺で亡くした。
その女性は北海道から群馬県にお嫁に来たという。
夫妻が出会ったきっかけは酪農の研修だったそうだ。
亡くなった息子さんはピアノが好きでピアノばかり弾いていたという。
お父さんは息子がピアノにのめり込むことを快く思っておらず、「男なのにピアノばかり弾いているなんて」と反対し嘆いていた。
そして息子さんは自殺してしまった。
周囲は自殺にそこまで驚かなかった、とまで言ってしまうと語弊があるが、芸術家肌の男の子の自殺に周囲はいかにもありそうだというような反応を見せたらしい。
しかしピアノに反対していたお父さんもまた、息子を追うように自殺してしまったという。
自殺の真の原因なんて、そう簡単に他人に分かるわけがない。
そもそも私は、この話、又聞きしたものである。
私にとっては信頼できる人から聞いた話であるが、その人が誰から聞いた話なのかまでは分からず、どこまで正確な情報なのか私には判断もつかない。
この話を思い出すたびに、私の中にはベートヴェンのピアノソナタ第8番『悲愴』第二楽章が静かに流れる。
息子と夫を自殺によって亡くした女性は、故郷から遠く離れた地で、残された子供達と逞しく暮らしている。

私は中学生の時に、少年の主張大会の学校代表になったことがある。
その作文のテーマは「生と死」だった。
1,2年くらい前に母が、当時その作文が行政無線?有線放送電話?か何かで読まれた(私が読んだ?)・・という話をし出したのだが、私は全くそれを覚えていないのである。


アリとキリギリス アリストテレス

昨日の続きで 仏教ウェブ入門講座 なんのために生きるのか より

「なんのために生きるのか」の答えは、「幸せ」だという人は、よくあります。

2000年以上前のアリストテレスも『ニコマコス倫理学』で、 これに異論を唱える人は誰もいないと言っています。
それはその通りなのですが、問題は、何が幸せなのかは色々といわれていることです。

アリストテレス自身の主張は、幸せとは、ある程度お金などに恵まれた上で、自分の卓越性(強み)にそって活動し、これからもそのように生きてゆくことだと言っています。

「これからもそのように生きてゆく」というのは、 今は強みを活かして生きていても、 途中でできなくなってしまうと幸せも終わってしまうからです。

アリストテレスは、卓越性にそって活動していれば、ちょっとやそっとでこの幸せは壊されないだろうといいますが、やはり、大きな不幸が連続して起きれば、壊されてしまうといいます。
それは確かに、事故や病気などで卓越性が発揮できなくなることはありますし、 年をとって卓越性が衰えて行くこともあります。
そして最後は死ななければならないので、この幸せは続きません。

この「強みを活かしてみんなに喜ばれる活動をする生き方」は、2千年経った今でもいい生き方としてよく言われることですが、やはり「なんのために生きるのか」の最終的な答えにはならないのです。



前記事とこの記事で転載した文章は「仏教ウェブ入門講座」の中に書かれていたものであり、仏教では「なんのために生きるのか」をどのように考えるかの導入になっており、その先はメール講座と小冊子になるようなので、私はそれを確認していません。またお勧めしているわけでもありません。

乃木坂46とアンパンマンの歌詞を扱っている点が私的にタイムリーだったのと、アリストテレスの部分の記述が「自己実現」の話に通じるものがあったから取り上げた。

特にこの部分である。
アリストテレス自身の主張は、幸せとは、ある程度お金などに恵まれた上で、自分の卓越性(強み)にそって活動し、これからもそのように生きてゆくことだと言っています。

アリストテレス
古代ギリシアの哲学者である。
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。

アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィア(Philosophia)と呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。
著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。
アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。



「自己実現」とは

「なんのために生きるのか、誰のために生きるのか」の答えに”自己実現”を持ってくる場合が結構ある。
では自己実現とは何か?

自己実現(Self-actualization)
もともとは心理学の用語で、ユダヤ系のゲシュタルト心理学者で脳病理学者でもあったクルト・ゴルトシュタイン (Kurt Goldstein) が初めて使った言葉。

●クルト・ゴルトシュタイン (Kurt Goldstein)
ドイツのベルリン大学の教授であったが、ナチスによるユダヤ人迫害が始まったので、アメリカに渡り、タフツ大学の教授となった。
彼は細分化された機能から人間全体を理解することは困難であると考え、生命維持をはじめ思考や行動など人間が生きていくうえで必要な事の全ての司令塔となる脳に注目したのである。
脳に損傷を受けた患者の研究により、脳が損傷を受けても残っている現在の能力で環境に適応しようとする傾向を見出した。
そして人間は自分が持っている能力を環境に適応させていくことが出来ると結論付けた。
「自己実現(Self-actualization)」は彼が初めて使った言葉と言われることもあるが、実際には直接的に「自己実現(Self-actualization)」という言葉は使っていなかったとも言われる。

●カール・ロジャーズ(Carl Rogers)
クルト・ゴルトシュタインの教え子であるアメリカの臨床心理学者。
厳格なキリスト教徒(プロテスタント)の家庭に生まれ育つ。
ウィスコンシン大学に進学し、父の農園を継ぐために農学を専攻するが、YMCA活動を通じて、キリスト教に興味が移り、牧師を目指すために、史学に専攻を変える。
ウィスコンシン大学を卒業した2ヵ月後に、妻ヘレンと結婚する。ユニオン神学校に入学するが、牧師を目指す道に疑問を感じ、コロンビア大学教育学部で臨床心理学を学び、在学中ニューヨーク児童相談所の研修員になる。
卒業後、ロチェスター児童虐待防止協会で12年間臨床に携わる。その中で、従来のカウンセリング理論に疑問を感じ、自らの理論的枠組みを形成し始める。 オハイオ州立大学、シカゴ大学、ウィスコンシン大学で教授職を得て、教育と研究に従事し、非指示的カウンセリングを提唱する。 これがのちに来談者中心療法と称されるようになり、さらにパーソンセンタードアプローチへと発展する。
1982年、アメリカ心理学会によるアンケート調査「もっとも影響力のある10人の心理療法家」では第一位に選ばれた


来談者中心療法(Client-Centered Therapy)
カウンセリングの研究手法として現在では当然の物となっている面接内容の記録・逐語化や、心理相談の対象者を患者(patient)ではなくクライエント(来談者:client)と称したのも彼が最初である。

彼はフロイトによって提唱された精神分析には否定的だった。
ロジャーズのカウンセリング論の特徴は人間に対する楽観的な見方にあり、それはフロイトに見られるような原罪的な悲観論とは対照をなすものである。
彼によれば、人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である。カウンセリングの使命は、この成長と可能性の実現を促す環境をつくることにある。
自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し、尊重することによってクライエントが自分自身を受容し、尊重することを促すのである。


アンダーラインを付けた部分が「自己実現」の元になったカール・ロジャーズ思想である。

しかし「自己実現」を有名にさせたのは前2人ではなく、こちらの御方である。

●アブラハム・マズロー(Abraham Maslow)
彼は人間性心理学の最も重要な生みの親とされている。これは精神病理の理解を目的とする精神分析と、人間と動物を区別しない行動主義心理学の間の、いわゆる「第三の勢力」として、心の健康についての心理学を目指すもので、人間の自己実現を研究するものである。
彼は特に人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を主張した事でよく知られている。
マズローは人間についての学問に新しい方向付けを与えようとしたが、彼の著作はそれ以上に内容豊かなものになっている。著書、雑誌論文は100編以上におよび、アカデミックな心理学のみならず、教育や経営学のような隣接領域にまで彼の思索は及んでいる。


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欲求5階層説

「自己実現」という言葉が広がったのは、アブラハム・マズローの「欲求5階層説」の影響が非常に大きい。
人間の欲求は5段階に分かれると提唱し、これを「自己実現理論」とした。
セルフ階級社会とでも言ったらよいのか、とても分かりやすい5段階のピラミッド構造が世に受けたのである。
マズローは下位の欲求が満たされると上位の欲求を満たそうとするという理論を展開した。
そして下位の欲求ほど心身の健康を損なう恐れがあるとした。

①「自己実現の欲求」(自分の持つ能力や可能性を最大限発揮したいという欲求)

②「承認の欲求」(集団から価値ある存在と認められたいという欲求)

③「所属と愛の欲求」(自分が社会に必要とされていると感じたいという欲求)

④「安全の欲求」(安全・健康・暮らし・経済的安定の欲求)

⑤「生理的欲求」(食事・睡眠・排泄など生命を維持するための欲求)


自己実現と成功

自己実現理論が特に受けたのはビジネスシーン。
マズローの思索が教育や経営学のような隣接領域にまで及んだことも影響している。
従って今では自己実現と自己啓発がごちゃごちゃになっている感じがする。

自己啓発
自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。

結果、自己啓発も自己実現も目指すところは、社会的価値のある成功者になってしまった観がある。だから自己実現にはお金とか名声とか、名誉とか、そういうものが深く関わってくる。
お金持ちや有名人など成功を収めたと思われている人間が、いつの間にやら優れた人格者として扱われていくのは、彼らが自己実現した最上の人間だと見做されるからなんだろう。

でも「自己実現」の大元は、脳に損傷を受けた患者の研究である。
研究が発展してきたと言えばそうかもしれないが、研究が曲解されてきたと言えばその通りとも言える。

以前にも書いたと思うけれど、世界中の人が全員社会的価値のある成功者になったら、もはやそれは社会的価値のある成功者とは言わないであろう。
大勢の中の少数者だから成功者と言っているわけであり、横並びだったら成功も何もない。
だから目指すものが社会的価値のある成功者である場合、ほとんどの人は自己実現しない。自己実現しないことが不幸で不健康と言うならば、ほとんどの人は不幸で不健康である。


自己実現理論の否定

「自己実現」は脳に損傷を受けた患者の研究が大元であると書いたが、それを発展させたカール・ロジャーズのカウンセリング論は楽観的である。
よく性善説と性悪説が議論されることがあるが、それに当てはめればカール・ロジャーズは性善説に合致する。

でも性善説と性悪説に決着が付かないように、楽観的なカウンセリング論や欲求5階層説は否定もされてきた。
脳に損傷を受けた患者の臨床研究を除けば、科学的根拠が乏しいからである。
否定派は、「人間は本能的に楽をしたがる生き物である」「自発的に積極的に行動するのは条件次第であり、無条件に上位欲求に向かうということはありえない」などと主張する。


承認欲求の肥大した社会

近年の社会的傾向として承認欲求が肥大化しているということが言われる。承認欲求は②の段階である。
では承認を強く求める人々は、③「所属と愛の欲求」を本当に満たしているのだろうかという疑問が生じる。
一生涯孤独で完全に引きこもっている状態を除けば、家庭、学校、会社、サークルなど誰にだって所属しうる場所はあるはずだ。独身だって親きょうだいがいたり恋人がいたりするだろう。
では③「所属と愛の欲求」(恋人や家族を持ちたい欲求)(自分が社会に必要にされていると感じたい欲求)とは何だろうか。
所属する場所があり、家族や恋人がいさえすれば、③「所属と愛の欲求」は満たされるものなんだろうか。

もっと言えば、④「安全の欲求」(安定した仕事に就きたい)(安全・健康・暮らし・経済的安定の欲求)だって十分に満たされている人がどれほどいるのかとも思う。
客観的な収入でも資産でもなく欲求だから、幾ら貰っても何を持っていても、何か心配がある以上、欲求が十分に満たされているとは言えないのではないだろうか。
昇給しない給与、非正規雇用の増加、物価や税金の上昇、年金の不安、老後の不安、異常気象や地震への不安、交通事故や巻き込まれへの不安、暴動や戦争への不安など挙げれば安全欲求への不満・不安だって限りなくありそうである。

結局のところ、進歩や発展や科学が寄与できたのは、⑤の生理的欲求に対してのみだけなのではないだろうか。
未だにそれさえも満たせない国があると盛んに喧伝されている状況だから、進歩や発展や科学は地球や人間という有機体にほとんど力が及ばないということになる。
それが現実なのだ。
人間が有機体に影響を与えるなんていうのは買いかぶりすぎで、人間が有機体に影響を与えるのではなく、人間は有機体に全くといって歯が立たないのではないか。
だからこそ人間は宗教というものを求めることになったのではないだろうか。
それとも⑤の欲求充足に寄与したことが有機体に悪影響を与えたと言わなければならないのだろうか。



( この話はまだ続きますが、今日のところはこれで終了です173.png )




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by yumimi61 | 2019-09-03 12:50