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2019年 09月 08日 ( 1 )

コンテント

もうひとつの電通事件

若い人は知らないだろうし、若くない人も多くは忘れて記憶がない、あるいは知らないだろうと思うけれど、電通は高橋まつりさんの前にも若い従業員の自殺で騒がれたことがあった。
この時は労基法違反で会社が起訴されたということではなく、自殺した男性の家族が会社を相手取って民事訴訟・損害賠償請求を起こしたのである。
知らないし忘れただろうと書いたけれど、この件は社会に一定の影響を与えた。

電通事件
1991年8月27日に電通の社員が過労により自殺した事件、およびこの社員の長時間労働について使用者である電通に安全配慮義務違反が認定された判例である。
「過労自殺」という概念はこの事件によって初めてクローズアップされるようになったといわれる。

電通に入社して2年目の男性社員(当時24歳)が、自宅で自殺した。男性社員の1ヶ月あたりの残業時間は147時間にも及んだとされる。
遺族は、会社に強いられた長時間労働によりうつ病を発生したことが原因であるとして、会社に損害賠償請求を起こした。これは、過労に対する安全配慮義務を求めた最初の事例とされ、この訴訟をきっかけとして過労死を理由にした企業への損害賠償請求が繰り返されるようになったといわれる。
2000年、この裁判は同社が遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審した。
判決では、酒席で上司から靴の中に注がれたビールを飲むよう強要されたり、靴の踵で叩かれるなどの事実も認定された。


1991年に自殺して、裁判の結審は2000年。
会社も争ったので、最高裁までもつれ込んだ。
遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審したからまだ良いようなものの、裁判は時間もお金もかかり、一個人がこれをやるとなると負担は大きいだろう。


新旧波及

ヤフー知恵袋 2017年1月9日より
Q
1991年に起きた電通事件の被害者大嶋一郎氏の父親久光氏の勤務先を教えてください。
電通は超一流企業ですが、大嶋氏の出身大学は東京都内にある一般私大です。
電通は、コネ入社を行うことで有名な企業なので、政財界の偉い方のご子息ではないか興味があります。
私も同時期に同様な加重勤務で「過労死」こそは免れましたが、自殺未遂を起こし、今でも「うつ病」の後遺症で苦しんでおります。
私は、以前「障害年金の給付」を求めましたが、認められませんでした。
しかし、2015年に起きた電通事件で、政府の対応は一変しましたので、救済が受けられるのではないかと期待しております。私は東大卒ではありませんが、都内の超一流私大の出身です。
今回の電通事件での対応は、政府が働き方改革実現会議を提言していることが影響しているとは思いますが、 被害者が東大卒で、可愛い女性であるためとの、「ひがみ」もあり、質問する次第であります。
被害者のプライバシーに関することで申し訳ありませんが、訴訟を起こした事件であり、その程度の内容は オープンにしても差し支えないと思っております。よろしくお願いいたします。


1991年に自殺した電通の従業員は、1966年(昭和41年)11月生まれの男性。
1990年3月に明治学院大学の法学部を卒業。
浪人か留年か、それとも留学や休学があったのか分からないが、1966年生まれで1990年3月の卒業では、ストレートよりは1年遅い。
(高橋まつりさんもストーレートより1年遅く大学卒業し入社しているが、1年間北京の大学に留学していたということなので、その期間なんだろうと思う。文科省を通した留学のようだけど、留学先で取得した単位が日本で在籍している大学の単位に出来なかったということになる)
1990年4月に電通に入社。同年6月、ラジオ局ラジオ推進部に配属される。

就職後も彼は自宅で両親とともに暮らしていた。
入社時及び定期健康診断でも色覚異常以外の異常所見はなかった。

配属当時は当日中に帰宅していたが、8月頃より翌日の午前1,2時頃に帰宅するようになった。
さらに帰宅時間はどんどん遅くなり11月頃になると翌日の午前4,5時頃の帰宅になっていた。
それ以降は社内で徹夜し帰宅しない日や父親が利用していた東京都港区所在の事務所に泊まる日が出てきた。
初年度の有給休暇は10日与えられていたが、取得したのは0.5日だったという。

2年目の1991年になると、自宅には帰宅しない日が多くなった。
帰宅したとしても朝帰り(7時頃)で、8時頃には再び自宅を出た。
(余談だけど、テレビ朝日のドラマ『警視庁・捜査一課長』の捜査一課長も自宅に帰ったと思ったら、電話が来てまたすぐに仕事に戻るというのがお約束パターン。奥さんが用意したご飯も食べずに出て行くが、奥さんは刑事の鏡刑事の妻の鏡みたいに寛容で優しい。完全に時代に逆行した描写であり観ているだけでヒヤヒヤするが、猫とのシーンが和むので結構好きな場面でもある)


当時の電通の労働環境

彼の主な業務内容は、広告勧誘企業関係者と制作会社との連絡・打ち合わせ、企画の起案と作成だった。
上司の評価は悪くなかった。(文書として残っている)
1990年秋に会社が行った調査において本人は、企画が通った時の喜びなどを記していた一方、不満としては慢性的に深夜まで残業あることを挙げていた。

1990年当時の電通の就業規則では次のように決められていた。
 ・就業時間 9時30分~17時30分(うち休憩時間1時間)で実働7時間
 ・休日 原則として週2日

一般的に多い就業時間は、8時から17時まで、8時30分から17時30分、9時から18時までで、うち休憩1時間の実働8時間というもの。
実働時間を減らしている場合には休日が週1日となる会社も決して少なくなかった。
それに比べると電通の規則の実働7時間、休日週2日、これは法定労働時間よりも短い。

法定労働時間
1日につき8時間、1週間につき40時間を超える労働をさせてはならない。

法定労働時間ぎりぎり実働8時間を就業規則で定めている企業がほとんどだが、大手広告代理店の電通は実働7時間としていた。
実働8時間の場合の最低年間休日日数は105日である。これも最低ラインを採る企業が少なくなかった。

また労基法の改正により1988年よりフレックスタイム制が導入可能になったので、1990年にはフレックス制度が導入されている企業や適用される部署もあった。
フレックスタイム制では始業及び終業の時刻を該当労働者の決定に委ねることが出来る。
この場合、清算期間(1ヶ月以内の期間で、労使協定で定めた期間)を平均し、1週間あたりの法定労働時間(1日につき8時間、1週間につき40時間)を超えない範囲内において、1週又は1日の法定時間を超えて労働させることができる。

さらに36協定(労働基準法36条)というものがある。
労働基準法第36条では、法定労働時間の例外として、あらかじめ労働組合等と使用者が書面による協定を締結し届け出ることによって、法定労働時間を超えた時間外労働や休日労働をさせることができる。
当時は、この協定を締結して、労働基準監督署に届け出れば、実質上限なく時間外労働に従事させることができた。


残業上限と実際

労働基準法第36条に基づき、電通と労働組合で締結された36協定において、男子従業員の時間外労働の上限は1日につき6時間30分と定められていた。
1日という単位では、電通の所定就業時間が17時30分までだったので、そこから6時間半の残業が可能、すなわち深夜0時までは残業が出来ることになっていた。
但し月間の上限も定められていたので、1ヶ月毎日それだけ残業していたら36協定違反となる。
当時、ラジオ推進部では1ヶ月に付き60時間または80時間を1ヶ月の残業時間上限にしていた。

一口に36協定違反といっても、協定というのは労使双方が納得して結ぶものであるので、結んだ協定に関しては両者双方に義務や責任が生じてくるものであろう。
従って、一方的に違反することを強要された場合以外は、違反についても両者双方に責任が生じてくるものと考えられる。

電通では予め所属長より残業許可を得てから残業することと決められていたが、実際には事後報告が少なくなかったとのこと。
自殺した彼の残業時間がどうだったかと言うと、会社に申告された残業時間は月間残業時間を超えている月もあるし、超えていない月もあった。(但し実際の残業時間はもっと多かったらしい)

彼に限らず、労使間で36協定を結んでいるにも関わらず、それを超える残業時間を申告する者もいた。一方、実際の残業時間よりも少ない申告(過少申告)をしていた者も少なくなかった。
個人や部署によって、残業時間、残業の在り方や申告に大きな差が有り、このことは会社と労働組合の協議においても問題として挙がっていた。
会社側は残業する従業員へのフォローの一環として、夜22時~朝5時の深夜帯に業務に従事した者に対しては就業規則で定めた所定労働時間を例外的に取扱う制度を設けていたほか、午前0時以降に業務を終了したが朝定時に出勤しなければならない従業員に対しては会社負担でホテル宿泊も提供されていた。
しかしそれらの制度は新入社員にはあまり利用されていなかった。


亡くなった1991年8月の出来事

1990年4月入社の彼は、1991年4月からは入社2年目ということになる。

彼はその年の8月3日~5日(月~水曜日)の3日間、旅行のために会社を休んでいる。
8月1日2日が土日なので、合わせれば5連休ということになる。

8月24~26日(月~水曜日)は、取引先企業が長野県内で行う行事に立ち会うため長野県に出張した。
前日8月23日(日曜日)も会社に出勤しており、18時頃に自宅に帰宅。そして22時頃に自家用車で長野県に向けて出発したという。
この辺りがどうもおかしいのである。一般的な社会常識(会社常識)からすると不可解である。

都内から長野県への出張が電車など公共交通機関利用でも社有車でもなく自家用車移動だった。
出張の移動時間は労働時間には含まれないため、時間外手当なども付かなくなる。(但し必要な荷物を運搬したり監督したりする場合には含まれる)
ガソリン代や高速料金は出張旅費として精算出来たかもしれないが、自身で夜間に長距離を運転するとなれば一時も休めない状態であり心身への負担はかなり大きくなる。また万が一事故を起こした場合などには保険の問題なども生じてくる。

前日に出発しているわけだが、前泊にしては出発が遅すぎる。
そして宿泊先がラジオ推進部班長の別荘だったというのだ。
会社の出張で、会社が前泊を認めていたならば、ホテルに宿泊すべきだろう。
出張に行って上司の別荘に宿泊なんて公私混同もいいところではないか。
これは本当に業務出張だったのか?

自宅に帰宅したのは8月27日の朝6時頃。「体調が悪い、病院へ行く」と弟に話していた。同日9時頃に欠勤すると会社に連絡。10時頃に風呂場で首を吊って亡くなっているのが発見された。

自殺後に行われた裁判などでは、残業の多さなどから遅くとも8月上旬頃までにうつ病になっていたとされた。
8月24~26日の長野での行事が終わり肩の荷が下りてほっとした反面、終わることのない長時間労働の日々を思うとむなしくなり、うつ状態が悪化して、衝動的・突発的に自殺に至ったと認められた。

彼は1991年8月に入ってから、「自分に自信がない」「自分が何を話しているのか分からない」「眠れない」と言うようなことがあったそうである。これは別荘上司の回顧によるものである。
またその上司は長野の別荘で彼の異常な言動に気が付いたとも証言している。
どちらも自殺後の発言であり、ある意味”死人に口なし”状態である。



150.png 明日に続きます。台風が無事に通り過ぎますように)



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by yumimi61 | 2019-09-08 10:16