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2019年 09月 17日 ( 1 )

多情多恨

なんでも症候群を付ければよいわけではないけれども、ディレッタントが怖い症候群!?

芥川龍之介が死の暗黒と生の無意義について語った時、うっかり「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある」と言ってしまい、「著作? 名声? そんなものが何になる!」と激しく芥川を怒らせた萩原朔太郎。
2人は親友であったが、この時だけでなくたびたび激論を交わしていたようだ。
俳句についても意見の相違があったようである。

小説家の俳句 俳人としての芥川龍之介と室生犀星  萩原朔太郎
 (下記文章は私が部分的に抜粋したものです) 

 芥川龍之介氏とは、生前よく俳句の話をし、時には意見の相違から、激論に及んだことさへもある。

他の小説家の俳句を評する時に言つた事だが、一体に小説家の詩や俳句には、アマチユアとしてのヂレツタンチズムが濃厚である。彼等は皆、その中では真剣になつて人生と取組み合ひ全力を出しきつて文学と四つ角力をとつてるのに、詩や俳句を作る時は、乙に気取つた他所行きの風流気を出し、小手先の遊び芸として、綺麗事に戯むれてゐるといふ感じがする。

室生犀星氏がいつか或る随筆で書いてゐたが、仕事の終つた後で、きれいに机を片づけ、硯に墨をすりながら静かに句想を練る気持は、何とも言へない楽しみだと。つまりかうした作家たちが、詩や俳句を作るのは、飽食の後で一杯の紅茶をのんだり、或は労作の汗を流し、一日の仕事を終つた後で、浴衣がけに着換へて麻雀でもする気持なのだ。したがつて彼等の俳句には、芭蕉や蕪村の専門俳人に見る如き、真の打ち込んだ文学的格闘がなく、作品の根柢に於けるヒユーマニズムの詩精神が殆んどない。言はばこれ等の人々の俳句は、多く皆「文人の余技」と言ふだけの価値に過ぎず、単に趣味性の好事としか見られないのである。

 芥川龍之介は一代の才人であり、琴棋書画のあらゆる文人芸に達した能士であつたが、その俳句は、やはり多分にもれず文人芸の上乗のものにしか過ぎなかつた。僕は氏の晩年の小説(歯車、西方の人、河童等)を日本文学中で第一位の高級作品と認めてゐるが、その俳句に至つては、彼の他の文学であるアフオリズム(侏儒の言葉)と共に、友情の割引を以てしても讃辞できない。むしろこの二つの文学は、彼のあらゆる作品的欠点を無恥に曝露したものだと思ふ。即ち「侏儒の言葉」は、江戸ツ子的浮薄な皮肉とイロニイとで、人生を単に機智的に揶揄したもので、パスカルやニイチエのアフオリズムに見る如き、真の打ち込んだ人生熱情や生活体感が何処にもない。「侏儒の言葉」は、言はば頭脳の機智だけで――しかも機智を誇るために――書いた文学で才人としての彼の病所と欠点とを、露骨に出したやうな文学であつたが、同じやうにまた彼の俳句も、その末梢神経的の凝り性と趣味性とを、文学的ヂレツタンチズムの衒気で露出したやうなものであつた。

 いつか前に他の論文で書いたことだが、芥川龍之介の悲劇は、彼が自ら「詩人」たることをイデーしながら、結局気質的に詩人たり得なかつたことの宿命にあつた。彼は俳句の外に、いくつかの抒情詩と数十首の短歌をも作つてゐるが、それらの詩文学の殆んど全部が、上例の俳句と同じく、造花的の美術品で、真の詩がエスプリすべき生活的情感の生々しい熱意を欠いてる。つまり言へば彼の詩文学は、生活がなくて趣味だけがあり、感情がなくて才気だけがあり、ポエヂイがなくて知性だけがあるやうな文学なのだ。そしてかかる文学的性格者は、本質的に詩人たることが不可能である。詩人的性格とは、常に「燃焼する」ところのものであり、高度の文化的教養の中にあつても、本質には自然人的な野生や素朴をもつものなのに、芥川氏の性格中には、その燃焼性や素朴性が殆んど全くなかつたからだ。そこで彼が自ら「詩人」と称したことは、知性人のインテリゼンスに於てのみ、詩人の高邁な幻影を見たからだつた。それは必ずしも彼の錯覚ではなかつた。だがそれにもかかはらず、彼の宿命的な悲劇であつた。


1938年『俳句研究』に掲載された文章であるので、芥川龍之介が自殺して11年後ということになる。
ちなみに前に転載した「詩人の死ぬや悲し」は1934年の文章であり、そちらでは一応芥川も詩人扱いになっていたが、俳句を語っているこの文章では随分と酷評している。

萩原朔太郎(1886-1942)は友人である芥川龍之介(1892-1927)と室生犀星(1889-1962)について書いた。
室生は自身で句想を練るのは仕事を終わった後と書いていたそうで、それについて萩原朔太郎も作家たちが詩や俳句を作るのは飽食の後で一杯の紅茶を飲んだり、仕事の後に麻雀でもする気持なんだろうと述べている。
しかしながら芥川と室生は全く正反対であり、室生の俳句等は生活や肉体を感じさせるものがあり、粗野で逞しく、そのくせ優しくセンチメンタルだと褒めている。

でも私は、俳人や詩人が創作する俳句と、小説家が創作する俳句が、同じ傾向や意義を持ち同じ価値に値する必要は別にないと思う。
小説にしろ俳句にしろ、それを読んで何かを感じたり解釈する人が一様ではないように、俳句を詠む人だって一様ではないし、ましてや詠まれる俳句が一様の傾向や価値を持つ必要は全くない(俳句と称する以上は俳句のルールは守ったほうが良いけれども)。

但し、その多様性というか傾向や価値の違いは、大衆受けするしないという区別、プロによる審査や評価において称賛されるされないという区別を生むだろう。
萩原朔太郎が俳句の審査員だったら、芥川龍之介の俳句作品は賞を取れないということだ。でも審査員が変われば評価は全く違うかもしれない。
さらにひょっとしたら、同じ俳句でも芥川龍之介ではない違う人物の創作したものだったとすれば、そこまで酷評はされなかいかもしれない。
逆もありうる。芥川龍之介だから良い評価が付いて、無名の素人だったら箸にも棒にも引っかからないということ。


水洟つながり

先日、水洟の俳句を取り上げた。
芥川のそれは辞世の句と言われているものである。

 水洟や鼻の先だけ暮れ残る  芥川龍之介(1892-1927)

 水洟も郷里艶めく橋の上   飯田龍太(1920-2007)


水洟の俳句はあの人達も詠んでいる。

 水洟や喜劇の灯影頬をそむ   飯田蛇笏(1885-1962)

 水洟や仏具をみがくたなごころ  室生犀星(1889-1962)

 幇間(ほうかん)の道化(どうけ)窶(やつ)れやみづっぱな  太宰治(1909-1948)


関係性は次の通り。

・芥川龍之介は飯田龍太の父親である飯田蛇笏(1885-1962)の俳句の影響を受けている。
飯田蛇笏は最初に芥川の「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」という俳句と接し、芥川が創作したとは知らずに称賛した。萩原朔太郎は上記文章中でこの俳句に対しても厳しい評価を付けている。
飯田蛇笏は芥川の俳句を小説よりも高く評価したという。

・室生犀星は芥川の親友で、近所にも住んでいた。

・太宰治は芥川が自殺した時には高校生だった。大変衝撃を受け、以後芥川を理想とし心酔していった。そのせいなのか、再三自殺を試みて(未遂に終わる)、最終的には愛人と玉川上水で入水自殺した(享年38歳)。

萩原朔太郎は、芥川が『余が俳句観』と題するエッセイを書いていたほどなので、さぞかし俳句作品が沢山あるかと思っていたが、全集を読んでみたところ意外に寡作なのに驚いたと述べているが、太宰はそれ以上に寡作で20~30くらいの俳句しかないそうである。

それぞれの俳句の創作時期がはっきりしないが、この関係性から考えれば、それぞれみな「水洟」をあえて使って俳句を作ったと考えるほうが自然だろう。


crownとclown

飯田蛇笏の俳句には「喜劇」という言葉が、太宰治の俳句には「幇間(ほうかん)」や「道化」という言葉が入っている。
幇間は太鼓持ち、男芸者のことで、道化師と言ってもよい。
芥川の俳句の「鼻の先だけ暮れ残る」を「鼻が赤い」と解釈すれば、ピエロ(クラウン・道化師)が彷彿できる。
道化師ー人を滑稽な格好、行動、言動などをして他人を楽しませる者の総称。

「水洟」は冬の季語である。鼻水のこと。
鼻水が出るのは寒い時や風邪をひいたとき(感染症に罹患した時)。
もうひとつ泣いた時にも涙と一緒に出ることが多い。そして大抵鼻が赤くなる。

悲しみと励まし(失望と希望)、幼さと成長、悲劇と喜劇、不浄と神聖、披露と疲労。
上に挙げた全ての俳句が対比を織り込んでいるように思う。


春の木漏れ日の中で君の優しさに~

1927年に自殺した芥川が主治医に渡してくれと頼んだ俳句「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」には元になった俳句があった。

そちらは1925年に創作された俳句だという。もう自殺を決心していた頃ではある。

 土雛や鼻の先だけ暮れ残る  芥川龍之介

土雛というのは春の季語で、雛人形のこと。
身近にある安価な材料(土や紙)を使って自給自足で素朴な雛人形を作った時代や地域があったのだが、土雛は文字通り土を用いて作った陶器の雛人形である。

さては、陶器に冬季を掛けたのか?
春だけど、少し寒いね、みたいな感じ?
春なのにお別れですか~~~とか?

素朴な風合いの土雛の鼻が実際に赤く塗られていたので、自然の夕焼けの赤を重ねて詠んだ歌かもしれない。
しかし芥川龍之介の子供達はみな男の子である。
どこかで偶然目にした土雛に心が動かされた?

1920年(大正9年)3月30日、長男芥川比呂志、誕生。
1922年(大正11年)11月8日、次男芥川多加志、誕生。
1925年(大正14年)7月12日、三男芥川也寸志、誕生。



過去と未来の交錯

鼻というのは、芥川龍之介の作品名でもある。

そして、先という言葉は、過去のことであったり、未来のことであったりする。
先人、先妻、先頃、先日など、現時点から見たら後ろ(過去)を指している。
でも、先に進むなど、今よりも手前(未来)のことを指したりもする。

芥川の俳句の「鼻」が自身の作品『鼻』にも掛かっているとすると、先はどちらだろうかと考えてみる。
一般的に考えれば、おそらく過去側だろう。
つまり夏目漱石が作品を評価する前が「鼻の先」にあたる。
暮れ残っているのだから、そこにはまだ明るさがあった。


筆を擱く

芥川龍之介は『鼻』のラスト
 ――こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。
 内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。


芥川は哂ってくれる人を欲した。哂ってくれる人がいなければならなかったのだ。

なぜなら芥川は人間の愚かで悲しい性(さが)や不幸を描いたからだ。
これはめでたしめでたしで受け取ってもらっては困ると思っていた。
そこには小説としての捻りや技巧や機微がある。

夏目漱石の評。
あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)ていなくって、自然そのままの可笑味(おかしみ)がおっとり出ている所に上品な趣があります。それから材料が非常に新らしいのが眼につきます。文章が要領を得てよく整っています。敬服しました。

夏目漱石はそれを評価したが、大衆に受け入れられることは難しいとも言った。だというのに市場に引っ張り出した。

土雛や鼻の先だけ暮れ残る
この俳句も、上の夏目漱石の評がそのまま当てはまると私は思う。
小説ではないが捻りや技巧や機微もある。

萩原朔太郎はきっと哂うだろう。哂ったのだ。
萩原朔太郎にかかったら、「気取つた他所行きの風流気を出し、小手先の遊び芸として綺麗事に戯れている」ということになりそうだ。
肉体も生活も、野生味も素朴さも何処にもなく、末梢神経的な凝り性と趣味性を露出した俳句と言われそうである。


それなら肉体と生活を入れてやろうじゃないか!

自嘲 水洟や鼻の先だけ暮れ残る

これでどうだ。





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by yumimi61 | 2019-09-17 17:46