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2019年 10月 03日 ( 1 )

コンシステント

エンタメ作品(大衆文学)と純文学の違い

映画や大衆小説の基本はエンターテインメント(娯楽)であり、大衆を対象とする(大衆を対象と出来る)のだから、商売として成功させるにはより多くの人々の興味を引くもので、内容や表現方法などもなるべく分かりやすいものである必要がある。
ストーリー重視であるから、登場人物や設定が重要になり、話に起承転結を盛り込む必要がある。どんでん返しや意外なラストで魅せることもある。
鑑賞側はどうなっていくんだろうということを楽しみにしている。流れ重視なので、どんな形式にせよスムーズに流さなければならず、ある程度明確な結末も必要。
鑑賞者は、泣いたり、笑ったり、感動したりして、すっきりする。


小説という観点で言えば、純文学もエンターテインメント(娯楽)であることには変わりない。実話ではなく、作者が創作したものだ。小説を映像化してもドキュメンタリーとは言わない。
但しこちらは大衆小説とは少し違う。
テーマにあるのはストーリーではない。
人間の業、心情、感性や人間性、人生の意味や真実などが描かれる。
エンターテインメント作品(大衆文学)はスムーズな流れが大事だが、純文学は淀んでいて構わない。その分、人間とか人生とか社会いったものを掘り下げる。大抵の場合、淀むということは美しくないことを意味するので、文章表現は美しさが求められるのかもしれない。
登場人物がごく少数でも1人でも成立するし、場面が全く動かなくても良い。また必ずしも明確な結末を置く必要もない。
純文学なので書く側も読む側も豊富な語彙や文学的な技巧を楽しみたいとも思っているはず。

純文学は話自体は創作であり実話ではないので、設定や描写は現実味が薄くても構わない。
しかし盛り込まれたり提起されているテーマや描かれるものは真実であったり普遍であったりするべき。その部分が真実から離れてしまってリアリティのないものは、心に響かないだろうし深くに入っていかない。


みんな違って、みんなダメ!?

よく鑑賞前にあらすじや結末を言うと、血相変えて怒られるという話を聞く。
それはたぶんストーリー性が重視されているから、話をぶつ切りにしたり、ぶったぎったり、逆流させたりすることが許せないのだと思う。
鑑賞前に知ってしまったら、感動したりすっきりする気持ちが薄れるので、知りたくないと思っているということなんだろう。

でもエンタメ作品(大衆文学)と純文学の境界は曖昧なところもある。
流れを大事にして大衆を引き込みつつ、一番のテーマは内面に置いているという、両立させている作品もあると思うのだ。
だけど、文藝春秋社は、芥川賞と直木賞を純文学と大衆文学として区別している。(審査がごちゃごちゃになってしまう時もあるみたいだけど)

以前も書いたけれど、私はあらすじや結末を知っても、全然平気なタイプである。
むしろ何も知らない状況で、数多の作品からどうやって鑑賞したいものを決めよというのか。
私は何かの賞を受賞した作品とか作家の知名度とかで鑑賞したい作品が左右されるということがあまりないので、予めあらすじとかテーマとかレビューとかのリサーチは重要である。レビューは良い評価のものに惹かれるとは限らない。
リサーチしない選び方としては直観である。何の情報も無いままに本屋や図書館、映画館にレンタルショップに出向いて、その場で選ぶ。でもその場合には装丁とかポスターに左右されているかもだから、実は純粋な直観ではないのかも。
本を斜め読みしてからじっくり読むとか、ラストに目を通してから読み始めるとかもよくする。

だけど大衆文学と純文学のどちらの作品かと考えて鑑賞する作品を選ぶことはない。
だからなのか何なのか最初にあらすじや結末を知っても「ああ、もう聞いちゃったから、全てが台無し」みたいな絶望感に打ちひしがれることはない。
それだけ作家を信用しているということだと思うのだけれど、そうじゃないのかなぁ。

一方で、実は私、作品ではなく生身の人間に会ったりする場合、事前に情報をあまり知りたくないタイプでもあるのだ。
医療とか保健とか福祉の仕事は、個人の様々な情報がとっても大事でありベースになるものなので、こんなことを言うと問題があるかもしれないけれど、情報は先入観にも繋がってしまう。
先入観に囚われたくないというか、情報が入りすぎると直感とか第六感みたいなものが損なわれるような気がしてしまうので(非科学的!非論理的!)、情報を入れたくない時もある。


現実と非現実の境界

菊池寛が映画会社(大映)の社長を務めた時には「面白くない真実より面白い嘘を」と言っていたそうだが、大衆小説と映画は近いところにある。

上に書いたように、純文学で描かれるものやテーマには真実や普遍が必要である。

菊池が編集長を務める『文藝春秋』には「話の屑籠」という自身のコラム(時評短評)ページを持っており、単に小説家でも編集長でもなく、出版社の社長、実業家としての顔を覗かせていた。

小説はエンターテインメント(娯楽)の領域にあり、嘘(創作)の世界である。
純文学と大衆文学の境界が曖昧なように、エンターテインメント(娯楽)や嘘である商品を扱うということは、非現実と現実の境界も曖昧になってしまう恐れがある。しかも社長は小説家でもあるわけだから尚更であろう。
事業は娯楽ではないし、嘘の世界では困る。
エンターテインメント(娯楽)と会社にはどこかで線を引いておきたい。それを意識してたのかどうか分からないけれど、「話の屑籠」ではリアリティを提供していた。
「話の屑籠」をビジネス目線で見ると、身も蓋もない正直な言葉だからこそ、実業家としての信用に値するというところがあると思う。
シビアに金勘定の出来ない経営者の会社なんて先が見えているといったことになってしまう。もちろん自分自身が出来なくても、優秀な右腕や進言者の存在があって、聞く耳を持っていれば話は別だけど。


買って応援 ⏳

エンターテインメント(娯楽)や嘘(創作)の世界にいながら、リアリティを提供するなど実業家の顔を見せた菊池寛。
では小説家であり実業家である1人の男の現実感は、文学賞選考にどのような影響を与え、戦争協力にどんな影響を及ぼしたのだろうか。
短期的に、あるいは長期的に、文学賞は成功だったのだろうか。
成功だったとして、それは文藝春秋社にとっての成功か、『文藝春秋』という雑誌にとっての成功か、菊池寛個人の成功か、日本の文学界にとっての成功か、日本という国にとっての成功か。
一定の成功を収めたとして、その成功は未来永劫続くものなのだろうか。

1つ、面白い(語弊があるかもしれない)事例をあげたい。
大企業と中小企業にSNS(関係のない第三者)が絡んだという非常に今風な事例である。
大企業は権力者、中小企業は個人、SNSは大衆と置き換えて考えてみることも可能かもしれない。

Business Journal  2018年5月18日
セイコー、熊本地震で倒壊の店に一方的に契約解除通告…店主が怒りの告発


 最大震度7を2度観測し、多くの被害を引き起こした2016年4月の熊本地震。住宅の全半壊は4万3392棟に及び、今も3万8000人が仮設住宅での生活を余儀なくされている。地震から2年が経過し、県が「創造的復興」と銘打つ再建の槌音が県内のあちこちで響く。

 一方、生活保護受給世帯のうち、災害弔慰金や地震保険の保険金を受け取った376世帯が、今年2月までに生活保護費を打ち切られるなど、行政側の杓子定規な対応に非難の声も上がっている。

 そんななか、地震で店舗が全壊した老舗宝飾店主が発信したツイッターが炎上する騒ぎが発生し、インターネット上で大きな波紋を呼んでいる。
 ツイッターを発信したのは、熊本市中央区で124年以上続く老舗宝飾店「ソフィ・タカヤナギ」の高柳隆大社長。仕入れ先のセイコーウオッチから、2017年の販売金額が規定のノルマを下回ったことを理由として、同社の高級ブランドウオッチ「クレドール」の取り扱い認定を取り消された。それに納得がいかなかった高柳社長は、自社の公式ツイッター上に、認定を取り消す旨が記されたセイコーウオッチ側の確認書の画像をアップしたのだ。

 ソフィ・タカヤナギは、店舗のあったビルが熊本地震で「全壊」判定を受けた。1階にあった店舗内は、水道管が壊れ水浸しになった。それでも、昨年4月まではどうにか営業を続けたが、ビルの共同所有者とともに建物を解体し建て直すことを決意。現在は近くに借りた仮店舗で営業しているが、売り場面積が半分以下になったことなどから、売り上げは地震前より3割も減ってしまったという。

 高柳社長に話を聞いた。
「セイコーさんには、2016年は『販売ノルマは気にせず再建してください』と言っていただきました。2017年も、スイスの大手メーカー2社に『ノルマはいいから』と言っていただき、セイコーさんについてもそのつもりだったのですが、『それは2016年の話で、2017年については何も聞いていない』と、“言った・言わない”と水掛け論になりました。私もビルの建て替え等で忙しくしており店舗にいないことが多く、2月に担当者が店舗にやってきたときも出張で店にいませんでした。その後、一方的にクレドールの取り扱い認定を取り消されたのです」(高柳社長)

クレドールは「ラグジュアリードレスウオッチ」と呼ばれる、セイコーウオッチの最高級ブランド。フランス語で「黄金の頂」を意味し、単なる時計ではなく宝飾品に近い。価格は1000万円以上するものもザラだ。このため、セイコーウオッチは、一定の販売額を見込めると判定したショップのみに、「オーソライズドディーラー」の認定を与えていた。代表的なのは大手百貨店だが、ソフィ・タカヤナギは創業124年の老舗として、ショップながらクレドールの取り扱いを40年以上認められてきた県内屈指の店舗だった。

「セイコーウオッチは国内最大手ということもあり、結構、傲慢というか、売れない代理店で売るくらいなら自社で売るとか、もっと販売規模の大きな店舗に在庫を移すことも珍しくありません。そのためには、売れない店舗との契約を解除するのが普通です。クレドールはセイコーウオッチの最高級ラインで、そもそも製造数も少ないため、売り上げを取れる店舗優先になりやすいのです。天下のセイコーだから、代理店やショップに対して、なんだかんだと強気です。シチズンやカシオなど、力があって自社の販売力があるところはどこも同じだと思います」(時計業界関係者)

 高柳社長は、今年11月に新店舗が完成するので、それまで認定の存続を再検討してもらおうと交渉したが、かなわなかった。しかも、セイコーウオッチの主力ラインであるグランドセイコーについても、7月から取り扱い解除を通告されてしまった。グランドセイコーは米メジャーリーグ、ロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手とサプライヤー契約を締結したセイコーウオッチの主力ブランド。この通告を受けて、高柳社長の堪忍袋の緒が切れた。

 そしてツイッターでの“告発”に至ったわけだが、その直後からネット上は「セイコーごときが調子こくな」「もうセイコーは買わん」とセイコーを非難する声や、「だからって確認書さらすか」と高柳社長の対応を批判する声も続出するなど炎上状態となったため、高柳社長はすぐさま当該ツイートを削除した。

「大変お騒がせしたと反省しております。妻が保管していた確認書をあらためて読んで、怒りが収まらなくなってしまったのです。しかし、お得意様や応援してくれている方々が、店舗に出向いてどうなっているんだとご心配くださり、軽率なことをしたと痛感し、ツイッターを削除いたしました。セイコーさんとは新店舗での再建が始まったら、あらためて交渉できればと思っております」(高柳社長)

 セイコーウオッチ広報宣伝部も「お騒がせして申し訳ありません。タカヤナギ様とは互いの意思の確認が取れなかった。取り消し通告の際、社長が不在だったのも事実。今後は新店舗での再建がスタートした段階で、再交渉したいと考えております」と、再度契約を締結する可能性を示唆した。

 結果的には、両者「痛み分け」に終わった格好だが、熊本は今まさに生活再建のめどが立つか否かの分岐点。米メジャーリーグで大活躍する大谷選手にならい、熊本県民を大いにかせしたいところである(※「かせする」とは「加勢してお手伝いする」という意味の熊本弁)。
(文=兜森衛)


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950万円のクレドール
見慣れないものでよく分からないのですが、時間はどこで見れば良いのでしょうか?
スマホで見ろ?壁掛け時計があるだろう?
ところで消費税。10%の消費税だと95万円!
8%ならば76万円だったから、その差は19万円。19万円も消費税が違ったら、ずっしり重みがありますね。
あっそうか、ソフィ・タカヤナギでキャッシュレスで買えばいいんじゃない?


怒りの矛先

大企業と中小企業にSNS(関係のない第三者)を、出版社(文藝春秋社)と小売店(書店)にSNSと置き換えてみる。
出版社と書店の場合、書店が自分の店で売る出版物を買い取る場合と、一定数置いておき売れ残りを出版社に戻す場合がある。
前者は売れようが売れまいが書店は買い取った分だけ費用がかかる。
後者は書店が売れ残りを心配する必要はない。しかしだからこそ販売ノルマが課せられているとする。
「芥川賞受賞作品を掲載した『文藝春秋』は通常より多い冊数売ってください」と出版社から言われていた。
しかし熊本地震で被害を受けたとある書店では、2016年から3年連続ノルマをクリア出来なかった。
すると出版社から販売契約解除通告が来た。
熊本だってまだまだ再建途中なのに酷いではないか!ということで、店主がSNSで怒りをぶつけたところ、それは酷い!!と賛同者多数。
・・・・だけど、その賛同者の多くは、熊本の書店で『文藝春秋』を買う人達ではなく、それどころか小説なんか滅多に読まない、ここ何年も読んだことがないという人達であった。






by yumimi61 | 2019-10-03 15:33