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2019年 10月 04日 ( 1 )

コントラディクト

高利少売の死角

前記事で取り上げた熊本の老舗宝飾時計店の一件に関するコラムを紹介したい。
そのお店を全く知らないわけでもないという方が書いている。ビジネス目線でもある。
HAKATA PARIS NEWYORK
高利少売の死角。 2018年5月16日
  より部分的に抜粋
 宝石・貴金属、時計、メガネを扱う業界はメーカー、卸販社、小売店の間で長らく共存共栄が成り立ってきた。高級品の代名詞で、高い荒利益が取れるため、三者で分けあって来たのである。しかし、ビジネスである以上、未来永劫で安定成長が続く保証はない。嗜好品は景気の影響を受けやすいし、お客のマインド変化でも市場は縮小する。また、小売店主の経営能力に左右される部分もある。

 メーカーはこうしたリスクを避けるために、卸販社を自社系列に再編して優先的に商品を流通させたり、売上げ実績に裏打ちされる小売店にトップブランドの販売を任せたり。ロイヤルティを守りながら、確実に売掛金を回収するには、当然と言えば当然である。先日、こうしたメーカーの姿勢が物議を醸す一件がネットを駆け巡った。

 事の発端はこうだ。2016年の地震で大きな影響を受けた「老舗宝飾時計店」が売上げ減を理由に、時計メーカーのセイコーから高級ブランド「クレドール」の取り扱いを一方的に停止する通告を受けたのだ。

店主によると今年2月、セイコーの営業担当者からクレドール取り扱い認定を取り消されたという。セイコーに限らず、輸入時計のロレックスやオメガ、コルムやブライトリングも、一定の販売額(販売能力)を条件に取り扱える卸商社や小売店を限定している。そのため、こうしたことは宝飾業界では特別なことではない。

一般論で考えると、今回の一件は一大メーカーと小売店の立場の違い、力関係における強弱を露呈したと言える。メーカーとしては、いくら創業120年の老舗であろうが、高級ブランドを長年販売して来た実績があろうが、いま現実の売上げ数字を見て商品を卸すか卸さないかを判断する。それがSNSによって物議を醸すとは想像すらしていない。

 公開された確認書の書面には、「セイコーウォッチ株式会社 取締役・専務執行役員 国内営業本部長」の名前があった。おそらく、担当者は経営計画に基づいて設定されている内規に従い、粛々と取り扱い停止を通達したのだろう。いたって実務的である。経営幹部ではあるものの、サラリーマンとして当然のことをしたまでだ。

 しかし、小売店は釈然としない。創業からセイコーの時計を売って来た。クレドールも40年の販売実績がある。しかも、地震で被災した異常事態なのに、何でここ1〜2年の売上げ減で、取り扱いが停止されるのか。うちがクレドールを販売しなくて、どこが売りきれるというのか。老舗としてのプライドもあるだろう。それゆえ、立場の弱さからSNSという手段を用いて、世論に訴えるしかなかったとも考えられる。

 セイコーは世界に誇れる大企業に躍進した結果、小売店のこうしたエモーショナルな感情の揺れがわからない。ブランドを売っていきたいのは、メーカー、小売り双方に共有するはずだ。しかし、立場の違いから得てして異なったベクトルに進んでしまう。ある意味、それはしかたないことかもしれない。

 和解とは、どんな落としどころだったのか。取り扱いがそのまま継続されるのか。扱えるが、絶対数や価格帯などが限定されるのか。他にも何らかの条件が付けられたのか。どちらにせよ、双方が歩み寄ったからこそ、和解できたのだ。クレドールの件に関しては、第三者がこれ以上言うべきものでもないだろう。


今回は高級ブランドウォッチをめぐるメーカーと小売店の問題だった。では、宝石・貴金属についてはどうなのか。ここでも力を付けて伸びる店、あるいはジリ貧になっていく店、メーカーや商社に擦り寄りたかる店と様々ある。

 でも、多くは何とか成長したいと願っている。そのために活動する団体がある。この老舗宝飾時計店を含む、全国の宝石・貴金属専門店が加盟する「日本ゴールドチェーン(NGC)」(http://www.sophy.co.jp/)がそれだ。こちらの動向を見ると、老舗宝飾時計店の課題も浮き彫りになる。
 NGCは、いわゆるボランタリーチェーンと呼ばれる。これは多くの独立した小売店が連携して協同組合をつくり、仕入れ・物流などを共同化しながら、統一した商標の使用も可能にするものだ。老舗宝飾時計店の店名につく冠の「ソフィ」は、確かNGCが統一する商標だったと思う。

実を言うと、筆者は1986、87年頃に、このボランタリーチェーンのプロモーション企画にタッチしている。勤務先に仕事のオファーがあり、販売企画から参画し、ジュエリーや貴金属の撮影、販促ツールの企画・デザイン、印刷まで一括で携わった。確か宝石・貴金属の問屋が集まる東京・御徒町に事務局、品川にも事務所があり、打ち合わせに行っている。

さらに記憶を手繰ってみると、加盟店の中で比較的、経営力のある店舗がリーダーとなり、他のお店を主導していくこともあった。関東地区では栃木のT店とか、九州地区では長崎のS店とかがそれだったように感じる。 当然、老舗宝飾時計店も加盟店だったので、販促ツールの注文があり、何度か制作に携わった。

 こうした手法はその後に日経MJ(流通新聞)にも1面で取り上げられたのではなかったかと思う。仕事を受注してから数年後、ファッション業界誌に執筆するようになり、「NGCの仕事をしていたことがある」と、出版社の編集長に告げると、「NGCはうちの出版社がボランタリーチェーンの立ち上げを指導したんだよ」との返答。この時ばかりは不思議な縁を感じた。

 リーダー的存在だったT店やS店はチェーン加盟で、さらに経営力をつけて収益を拡大し、ともに退会したと見られる。現在、T店は全国に171店を展開し、年商170億円を超える東証一部の上場企業に上り詰めた。また、S店は宝石・貴金属の完全SPAに成長し、オリジナルブランドを企画販売している。店舗は国内82店、海外6店を展開し、この春にスタートしたストライプデパートメント(EC)にも出店したほどだ。

 ところが、老舗宝飾時計店はどうだろう。同店の沿革を見ると、1994年から2000年にかけて県内に新店2店舗、市内の別の商店街に1店舗を展開し、一応多店舗化を目指したかに見える。04年にはそれらをジュエリー工房に統合し、物販は本店のみに戻っている。県内で新店を軌道に乗せるのは容易ではなかったようだ。

 「商店街で地道に愚直に宝石貴金属・時計の商売を続けている」と言えば、聞こえはいい。しかし、T店のように売上げ拡大のための多店舗化も厳しく、かといってS店のようにSPA化でオリジナルや利益率向上で競争力を付けることもままならない。だから、荒利益が取れる高級ブランドを扱えなくなると、経営危機が店主の頭をよぎるわけだ。

高級ブランドのジュエリーやウォッチは、諸刃の剣でもある。荒利益が高いので売れると収益がアップするから、小売店としてはどうしてもしがみつきたくなる。しかし、それにはメーカーや卸販社から一定額の「ノルマ」を課され、有無を言わさず「結果」で判断される。扱いを失うとになると、今回のようにあたふたせざるを得ない。

 ブランド、高荒利といった商材に頼れば頼るほど、営業面でのリスクはより大きくなるのだ。日本はすべての業界でマーケットが縮小しているわけだから、高利少売についても考える余地はあるのではないか。これまでのビジネススタイルを全面的に改めるという意味ではなく、リスクヘッジのためのも一考しなければならないということである。

 震災の爪痕は少しずつ癒え、商店街に人通りが戻って来たとは言え、長期的には先は見えている。それを外商がどこまでフォローできるかは、お客の購買スタイルの変化もあり未知数だ。しかも、宝飾マーケットの規模は、「バブル期の3兆円から昨今は7000億円と3分の1以下に縮小した」とのデータがある。高級ブランドを失うリスク、商店街の限界、宝飾市場の縮小等々。今回のSNS騒動は、宝飾業界を取り巻く様々な課題が店主の脳裏でない交ぜになり、常識では考えられない行動に駆り立てたのかもしれない。

 しかし、経営者はビジネスにおいて情緒的になることは許されない。プロは結果がすべてだからだ。宝飾品に限らずファッション衣料やバッグ・靴と、商店街で営業する小売店も、みな少なからず課題を抱えている。NGCは宝飾業界の課題をみんなで背負いあって克服し、経営力を付けていこうという団体である。

 筆者が仕事を受けていた頃は、老舗宝飾時計店の経営者は先代だったと思うが、今の店主は40代と若い。加盟店の成功事例から再度勉強し直して、逆境にも負けない新しい経営スタイルを確立してもらいたい。



商売の虚


ターゲットとする対象は少なくなるが、付加価値を付けて高値で売り、高い利益を出すのが高利少売である。(↔反対は薄利多売)

何を以って識字というかは曖昧なままだが、識字率は思っているほどは高くないと思われる。さらに現実的に長文が苦なく読める人となるとかなり少なくなる。
ということで、小説という商品を販売するにあたっての対象は然程多くなく、薄利多売は向かない。高利少売が相応しい。
しかし幸か不幸か小説の商品特性と顧客特性を考えると付加価値が乗せにくい。よって高利少売も難しい。
一般的に、それでも商売として生き残っていくには、対象に出来る限り買ってもらえるよう努めるか対象そのものを何とかして広げる、あるいは価格を上げるか原価や経費を抑えて利益率を上げるしかない。
小説で考えれば、識字率の問題は簡単には解決しないので、対象を広げるならば読めない層にも買ってもらう必要がある。価格に関して言えば、読者を減らさない程度の値上げしか出来ないので、印税や原稿料の抑制、用紙代や印刷代の節約、編集者や営業マンの人件費削減や宣伝広告費削減、出来る限り売れ残りを減らすなどして原価や経費を少なくする必要が出てくる。
(印税、原稿料、用紙代、印刷代は原価に含まれ、編集者や営業マンの人件費や宣伝広告費は経費に含まれる)
活字を読んでもらう小説だけで利益を出すのが難しいとなれば、より多くの人々を対象とできる映画やテレビなどとタイアップするといった工夫が必要になる。(戦前はまだテレビは誕生していなかったが)
ここまでは営業利益の話である。

だけど企業経営は、特に昨今は、営業利益だけではなく、株式や土地の売買、投機・投資・資産運用など財務活動で得る経常利益も経営に大きく関係しているので、本業だけで語れない難しさもある。
本業はいまいちなのに、本業外でかなり儲けているという場合もあるし、本業は堅実なのに投資に失敗して倒産することもある。

寄付金や広告料、協賛金などは一応本業に含まれる費用であるが、これらも企業本来の本業(営業活動)の成果を分かりにくくしている。

上のコラムに「プロは結果がすべて」と書いてある。
「プロ」を経営者、「結果」を最終的な利益数字とすれば、どんな手法であっても利益が出せれば良いわけである。営業利益がさっぱりでも経常利益が上げられれば良いということになるし、資産家や大企業にすり寄って原価・経費以上に寄付してもらったり広告料(という名目の寄付のようなもの)を出してもらえば良いということになる。そうすれば商品が1つも売れなくても赤字にはならない。

例えば、会社の定款の目的が雑誌の企画・編集・出版・販売になっている出版社がある。
もし「プロ」を本業、結果を「営業利益」とすれば、雑誌を作って販売し、営業利益(売上高-原価と経費)を上げる必要がある。
各業界や作る物によって原価は全然違うものであるが、大抵どんな業界も原価以上にかかるのが経費である。
雑誌は良く分からないが、書籍だったら原価を売上見込みの40%以内に抑えないと利益が上がらないとされる。
出版社は雑誌に広告を載せて企業から広告料なる収入を得ることにした。
ここでもしも原価と経費以上の広告収入を得れば、赤字の心配はなく雑誌の売り上げは全て利益になる。
出版社はどんなに売り上げが少なくても損はしないし、作者は規定の原稿料をもらっているし、従業員も給料を得ている。とても平和である。
消費者に買ってもらい読んでもらうという努力をしなくても回っていくのである。「プロは結果がすべて」だから、ある意味それでも良いのかもしれない。お金の面では上手くいっている。
だけどそれは、雑誌を読む人が少なくても回っていくということでもあり、雑誌を読ませるという中味は伴っていない。雑誌を読ませるプロだとすれば、結果は出ていないということになる。


深層心理と表層心理

またまた菊池寛社長兼編集長の「話の屑籠」より

1935年9月 ←第1回の発表時のコラム
 芥川賞直木賞も、別項発表の通、確定した。芥川賞の石川君は、先ず無難だと思っている。この頃の新進作家の題材が、結局自分自身の生活から得たような千篇一律のものであるに反し、一団の無智な移住民を描いてしかもそこに時代の影響を見せ、手法も健実で、相当の力作であると思う。

 直木賞の川口君は、外に人がないので止むを得なかったのである。川口君は少し有名になり過ぎている。去年なれば、丁度よかったので、一年位期を失している。しかし、川口君にやらないとすれば、授賞を取り止める外はなかったのだ。(川口君にやるか、でなかったらよすか)と、なると、第一回だけに、やった方がよいと思ったので、川口君に定めたのである。審査員と懇意すぎることも、一寸難点であったが、これは我々の良心を信じて貰いたい。そこへ行くと、石川君は審査員は、誰も知らない人である。

 芥川賞の選定のため、久しぶりに新進作家の作品を、少し読んで見たが、しかし自分は失望した。末梢的な新しさで、ゴマかしているだけで、実際は十年前に比して、少しも進歩していないと思った。殊に、新奇を装っている表現は、新進作家の作品を、いよいよ仲間的にして、一般の読者階級から離れさせるものではないかと思う。大衆に読まれるということは、大衆文学に取って必要な事である。純文学も、大衆に読まれれば読まれるほど、いゝのである。

 芥川賞の選定に対する評判は、可なりいゝ。我々、審査員も満足である。我々委員は、誰も、事文学に関する限に於ては、皆公平無私であることを信じて頂きたい



大衆に読まれることが必要であると述べているが、この時代に小説を読める「大衆」はどれほどいると思っていたんだろうか。
芥川賞を受賞した石川達三のことは審査員は誰も知らなくて、それが良かったということだが、太宰治はよく知りすぎていたということなのか。さらに太宰は素行に問題があるから賞の権威に傷を付けることになり、大衆受けもしない、つまり文学を超えて会社や何かの利を考えた時には相応しくないと考えたのか。
リアリティを提供するコラムに「信じて頂きたい」は芸も訴求力もない気がするが。


1935年10月
 芥川賞の石川君は、十二分の好評で、我々としても満足である。そのために、九月号なども売行が増したのではないかなと思う。賞金その他の費用も充分償っているかも知れないから、社としても、結局得をしたかも知れない。直木賞の川口君も、先ず悪口を聴かないから、止むを得ない撰定として、認めてくれたのだと思っている。

 芥川賞、直木賞の発表には、新聞社の各位も招待して、礼を厚うして公表したのであるが、一行も書いて呉れない新聞社があったのには、憤慨した。そのくせ、二科の初入選などは、写真付で発表している。幾つもある展覧会の、幾人もある初入選者とたった一人しかない芥川賞、直木賞とどちらが、社会的に云っても、新聞価値があるか。あまりに、没分暁漢《わからずや》だと思った。そのくせ文芸懇話会賞の場合はちゃんと発表しているのである。
 尤も、新聞社のつもりでは広告関係のある雑誌社の催しなどは、お提灯記事になる怖れがあるというので出さないのであろうか。広告関係があると云う場合は、それだけ親善さがあると云うのではないだろうか。或は亦、広告関係のある雑誌社の記事などは、金にならない活字は、一行も使いたくないと云うのであろうか。

 むろん芥川賞、直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。その事は最初から声明している。しかし、半分は芥川直木と云う相当な文学者の文名を顕彰すると同時に、新進作家の擡頭を助けようと云う公正な気持からやっているのである。この半分の気持から云っても、新聞などは、もっと大きく扱ってくれてもいゝと思う。


※提灯記事
《提灯持ちが書いた記事の意》特定の個人や団体などについて、事実よりも良く見えるように誇張して書いた、新聞や雑誌の記事。
[補説]見かけは普通の記事だが、内実は広告・宣伝であるものをいう。金銭の授受をともなうことが多い。
ステルスマーケティングの一形態。 有力な者に媚びへつらう者に対する「提灯持ち」という蔑称に由来する。


好評で売れゆきが良い話がなされているが、社長であり編集長が「増したのではないかなと思う」「賞金その他の費用も充分償っているかも知れない」「社としても、結局得をしたかも知れない」と断定を避ける言い方を並べたのは気になる。
翌月のことで明確な数値が出ていなかったのかもしれないが、だったらはっきりしてから言及すれば良かったのに。
また新聞の報道が少なかったことに文句を付けている。報道は無料の大宣伝だから経営者としては黙ってはいられなかったということか。
今でも広告を出すよりも記事などで取り上げられるほうが宣伝効果は高いから積極的にプレスリリースしようなどと言われるけれど、広告を付けていることをとても気にしているようにも受け取れる。
ここにきて雑誌を盛り上げる(雑誌宣伝)という正直な目的が半分になっちゃったし。
まあこういうブログでも動画にしても広告がないほうが格上というイメージはありますよね。広告が入っていると独り立ちしていないというか、お金がなさそうというか、中途半端な感じがあって、煩雑でデザイン的にも見劣りしますものね。


1936年3月
 第一回芥川賞の石川君は、大変な成功で、正月号に載った「深海魚」も先ず好評であったし、同君の文壇的位置は、確立したと云ってもよい。直木賞の川口君は、元来相当有名であったから、受賞の効果も、石川君ほど目には見えないが、しかし先ず成功と云ってもよい。第二回の銓衡を、いよいよ始める事になったが、直木賞の方は、候補者もないではないが、芥川賞の方は、混沌として当がない。が、第一回通、出来るだけ、公平に丁寧に審査するつもりである。


1936年4月
 別項に発表して置いた通り、芥川賞は授賞を中止するの止むなきに至った。審査員の意見が区々であり、一頭地を抜いた作家が見当らないのである。せめて、過半数の賛成があればいゝのであるが、各人各説で、何うにも出来ないのである。「瀬戸内海の子供たち」はムリをすれば授賞出来ないことはなかったが、戯曲を選ぶことは、本意でないと言うのでよした。候補者達に、百円宛頒けようなどと云う説もあったが、それは却って前途ある人々を侮辱することだと云うので、沙汰止みにした。

 直木賞は、鷲尾雨工氏に贈る事にした。「吉野朝太平記」二巻は、何と云っても力作で、売れる当もないのにあゝした長篇を書き上げた努力は、充分認められてもよいと思う。鷲尾君は、直木の旧友で、後不和になっていた人である。直木が生きていたら、直木賞を川口君にやることも、鷲尾君に贈ることも、反対したかも知れない。

 直木賞の候補者としては、浜本浩、海音寺潮五郎君などが、有力であった。



1936年6月
貴司山治君が、どこかの新聞で、芥川賞直木賞も今によすだろうと書いてあったが、僕の生きている間は、決してよさない。僕が死んでも、文藝春秋社が、赤字にならない限は多分よさないだろう。
 しかし、一年二回は、銓衡し難いから賞金を倍額にし、一年一回にしたいと思っている。



1936年9月
 芥川賞は別項の発表の通である。僕は、最初「遣唐船」を読んで、これを第一候補だと思っていたが、その後「コシヤマイン記」を読むと「コシヤマイン記」の方に心がうごいた。委員会でも、自分一人でも極力「コシヤマイン記」を主張するつもりでいたが、佐藤氏なども同意見だったし、久米室生二氏も一位に撰んだし、殆ど満場一致だった。やはり、よきものは誰が見ても同じなのだ。(現代化された英雄伝説)として、広く愛読されてもいゝものである。たとい、鶴田君は 外に何にも書いてなくっても、この一作だけでも、芥川賞に値すると僕は思った。

 現代小説の中では、僕は「城外」が一番好きだった。しかし、北条君の「いのちの初夜」なども、取りたい気持があった。その他の作品にも、いゝものが可なり多かった。

 自分などは、普段は同人雑誌など、てんで振り向いて見ないが、こう云う機会に新進作家の作品に、目を通し得ることは、たいへんいゝ事だ。芥川賞の制定は、そんな意味で、我々にも益するところが多い。
 新進作家の力量は、たしかに進歩して居る。たゞ、相当の力量のある作家が、あまりに数が多すぎて、お互にその進出を阻んでいることは、是非もなき次第である。

 来年から授賞を一回にし、賞金を倍加しようと云う説もあったが、数多い新進作家に、少しでも多くチャンスを与えるために、やっぱり二回にすることにした。



1936年10月
芥川賞は、頗る好評であったことは、当選者に取っても、審査委員に取っても、本懐な事であった。お蔭で、九月の「文藝春秋」は随分売れたらしいので、三方目出度いのである。こうして、芥川賞の権威が、一回毎に加って行くことは、嬉しいことである。直木賞についても、特に好評でないまでも、悪評はなかった。我々の授賞態度を諒としてくれたのであろう。


1936年12月
「芥川賞」の候補作者の作品を、九月号以来毎月載せていたし、正月号には鶴田、小田二氏の作品が載るし、これではまるで「文藝春秋」の創作欄が、芥川賞中心になり、文壇の諸家をロックアウトするような形になるのは、面白くないので、今度から芥川賞の候補作品は、単行本として別に出すことにしたいと思っている。




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by yumimi61 | 2019-10-04 16:21