by and by yumimi61.exblog.jp

やがてそこに。


by yumimi61
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

<   2017年 12月 ( 28 )   > この月の画像一覧

SILVESTER

大晦日の夜、皆様いかがお過ごしでしょうか?
荘厳な(うるさい?)除夜の鐘響く年越しも、雪降る音が聞こえてくるような静寂な年越しもよいですが、今年は少しスリリングな年越しはどうでしょうか。

テレビ東京の東急ジルベスターコンサート!
1995年から開始した毎年12月31日から翌1月1日にかけて、東京都渋谷区のBunkamuraオーチャードホールで行われる、テレビ東京主催のクラシックコンサートおよびそれを生中継するテレビ番組である。東急グループの一社提供。

「ジルベスター」はドイツ語で大晦日(Silvester=聖ジルベスターの日)の意味であり、ドイツでは以前よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がジルベスターコンサートを行っており、広く知られている。日本国内でも、大晦日から元日にかけて行われるクラシックコンサートのイベントがあり、本イベントはその先駆けである。世界初のオーケストラ演奏によるカウントダウンイベントである。

カウントダウン曲が終わった瞬間に新年を迎えるように演奏され、カウントダウン成功失敗を問わず、年明けの瞬間にはホール内に紙吹雪が舞う。

第5回は午前0時の約5秒後に紙吹雪が発射され、
第7回は演奏終了約4秒間余韻が残った状態で午前0時の紙吹雪が発射され、
第14回は演奏中に午前0時の紙吹雪が発射され約2秒ほど遅れで演奏が終了、
第17回は演奏終了約5秒間無音の状態で午前0時の紙吹雪が発射され、
第21回は紙吹雪の発射が行われなかった。(バレリーナシルヴィ・ギエム氏の引退ステージを含んでいたため。)
いかに年代わりの瞬間にタイミングを合わせるか、指揮者の腕の見せ所でもある。生放送での一発勝負なので、年によっては時報に楽曲の終了の瞬間が合わない所謂「失敗」もあり得る。公式上は「失敗」は一度もないことになっているが、第20回では司会者の宮本が「『すべて成功』と言いたいが『ほとんど成功』」と述べている。




昨年の指揮者(大友直人)は2013年より群馬交響楽団の音楽監督をされている方でした。
今年の指揮者(広上淳一)は東日本大震災の後に数年、群馬交響楽団の友情客演指揮者をされていた方です。
テレビ放送は23時30分からです。




[PR]
by yumimi61 | 2017-12-31 21:37
経済学には、人は利己的な期待を抱き、自分が最も得をするように(合理的に)行動するとの考えがベースにある。
引き合ってピンと張りつめた蜘蛛の巣を想像する。
蜘蛛の糸は糸そのものが天然素材としては飛び抜けた強度を持っているが、巣の構造も強さに寄与している。
蜘蛛の巣の縦糸(軸となっている部分)は硬くて強い。グルグルと回っている螺旋状の横糸は柔らかくて伸びやすい。
硬さと柔らかさの両方を持ち合わせることで獲物を捕らえた時の衝撃を吸収できる。だから巣が壊れることなく自分より大きな獲物を捕らえることができる。
こう書くと柔らかさが非常に大事なような印象を与えがちかもしれない。
「柳に雪折れなし」という言葉がある。 しなやかな柳の枝は雪の重みで折れることがない。柔軟なもののほうが剛直なものよりも耐える力が強いことをいう。
外力やストレスは真っ向から受け止め立ち向かうのではなく、適度にゆるめてしなやかに受け流した方が良いという例えに用いられることもある。
では蜘蛛の巣もそうなのかと言うと、そうでもないのだ。

蜘蛛の糸の縦糸を切ろうと伸ばしてみる実験を行う。(MITの研究より)
①伸ばした力に比例して糸が伸びる(フックの法則)。
②ある程度伸びると弱い力でも急に伸びやすくなって変形が大きくなる。
③それを超えると引っ張られている縦糸が急に硬くなる。
蜘蛛の巣の特徴は③があること。
①~③、何が違うかと言うと、引っ張られた糸以外に与える影響である。
①はほどほど全体に負荷がかかる。
②は周囲の糸にもかなり負荷がかかる。引っ張られた糸が切れもせず伸びて変形するとずるずるとなし崩しに全体が変形し最終的に大規模な破壊に繋がりやすい。
③はある時点を超えると引っ張られた糸だけが硬くなり、他は②の状態を保つ。負荷が一か所に集中する状態。切れるという状態に至っても他には被害が及ばない。

引っ張られた縦糸の一部分が犠牲になったとしても全体が壊れるわけではないので、蜘蛛はその部分だけを補修すればよいのである。
多くの科学者が惹かれる蜘蛛の糸に特徴的なのは③の部分的に現れる硬さなのだ。


人々が利己的な期待を抱き、自分が最も得をするように(合理的に)行動することによってバランスが取られているという経済はどうだろうか。
自分が最も得をするような合理的な行動。
なるべく高い給料が得られる所で働くという行動もその1つであろう。
自分にとって可能な方法でより高い給料を得るために質より量を選ぶ人(選ばざるを得ない人)もいれば、量よりも質で勝負する人もいる。
同じ物ならば少しでも安い物を買おうとする行動もその1つであろう。
生産者であるなら、少しでも安く作って、少しでも高く売ろうとする。
1つの物で大きな利益を得る人もいれば、数多く売り捌いて利益を得る人もいる。
投資もまた自分が最も得をするような合理的な行動の1つに数えらえる。
投資という言葉は手助け的な意味合いで用いられていることもあるが、決して誰かの成長を願って行っているわけではない、自分が得するために行っているのだ。得をするという目的を達成するための手段である。少なくとも経済学での認識ではそうである。

自分よりも他者を優先する人が多い世界、あるいは全ての人が結果平等であることに心血を注ぐ人が圧倒的になれば、経済学は根底から崩れ去る。
労働に価値があり、各人が自分の利益を最大にしようと経済活動を行えば、最終的に全てにおいてバランスが取れるという考え(見えざる手によって自然に調整される)のイギリス古典派経済学はマルクスの経済学に継承された。マルクス派は批判もしたが受け継ぐことにもなった。
マルクスというと社会主義のイメージが強いであろうと思う。
労働に価値があり各人が自分の利益を最大にしようと経済活動は民主主義だけでなく社会主義にも有効なのだ。どんな社会であっても労働への動機づけとして欠かせないものであるということ。
よって自分よりも他者を優先する人が多い世界、あるいは全ての人が結果平等であるべきという世界は、労働意欲や生産意欲を失い、死さえも厭わなくなるため、人類や地球の発展は死を迎えるしかなくなるであろう。
でも人間の本性からすればそこまでの心配はないかもしれない。(人間の祖であるアダムとイブは働かず飲み食いできたであろう想像主の恵みの楽園を出たわけだから。労働意欲や生殖を含めた生産意欲、好奇心や探究心など人間の本質を表したのがアダムとイブ。苦や痛み、厳しさが存在しても人間の本質はそれを止められない。創世記というメタファーはよく出来ていると思う)

では経済活動における外力とは何だろうか?
一国においては外国、地球においては地球外、そういうことになるだろう。(地球外とは例えば火星人とか!?)



ケインズのマクロ経済学が発表されたのは第二次世界大戦前のナチスドイツ好調期。
ロバート・ルーカスがマクロだけではどうにもならないとケインズ経済学を批判したのは1970年代。
1971年ニクソンショックによって世界経済が変動相場制に移行した時期である。
政府がどのような財政・金融政策を採っても、国民が先に効果を期待(予想)して行動してしまうので、政府が目論んだ効果は出ず浪費に終わると主張した。
不確実な世界を見る時、人は利己的な期待を抱き、自分が最も得をするように(合理的に)行動すると考えるものである

上に投資もまた自分が最も得をするような合理的な行動の1つであると書いた。
ケインズは1936年に刊行した『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で資本の限界効率なる概念について触れ、すでに「期待」について書いている。

緻密で難解な本との評価があったが確かに分かりにくい。訳文特有の分かり難さを多々感じるが英文でもそうなんだろうか。
第12章 長期期待の状態
原文English:Chapter 12. The State of Long-Term Expectation

前の章で、投資の規模は、金利と、現時点でのいろいろな規模の当期投資に対応した資本の限界効率関係スケジュールの関係で決まることを見ました。また資本の限界効率は、資本的資産の供給価格と、その見込み収益の関係で決まります。

見込み収益の期待の元となる検討事項は、一部は大なり小なり確実にわかっていると想定できる既存の事実に左右され、一部は様々な水準の確信を持って予測するしかできない、将来の出来事に左右されます。

後者をカバーする心理的な予想を、長期期待の状態と呼んでまとめましょう——これは短期の期待とはちがうものです。短期の期待とは、生産者が既存工場で今日生産を開始したときに、完成した製品がいくらで売れるかを推定する根拠となる期待です。


資本の限界効率
100万円投資すれば、5万円の利益(企業の利潤)が出ると予測(期待)する。利益率(利潤率は5%)
1000万円投資すれば、100万円の利益(企業の利潤)が出ると予測(期待)する。利益率(利潤率は10%)
仮に現在の金利が7%だったしたら、投資しないで預金したほうが確実に儲かる。だから100万円の投資は行わない。
投資は自分の余剰資金で行うのが鉄則であるが、自分の資金ではなくて誰からからお金を借りて投資する場合にも金利が7%で、儲けを5%と予測するならば投資は行わない。
得をすることが目的の投資には金利との関係で限界率が存在する。
金利7%の時に、1000万円投資すれば100万円の利益(企業の利潤)が出ると予測(期待)したならば、利益のほうが多い計算となるので投資が行われるかもしれない。
もっとも予測(期待)はあくまでも予測(期待)に過ぎないので、どんな場合であっても儲けが100%保証されているわけではない。


 期待を形成するとき、とても不確実なことをあまり重視するのは愚かです。ですから、多少は自信が持てそうな事実に期待が流されるのは、無理からぬことです。漠然としたわずかな知識しかない事項のほうがずっと結果に関連が深く、自信を持てる部分はあまり関連していない場合ですらそうです。このため長期期待の形成にあたっては、現状についての事実が、ある意味で分不相応なほどの重みをもって入り込んできます。一般的な手法は、現状を見てそれをそのまま将来にのばすことで、それを補正するのは、変化を期待すべき多少なりとも明確な理由がある場合に限ります。

 ですから人の決断を左右する長期期待の状態は、わかる範囲で最も見込みの高い予測だけに基づくものではありません。その予測にどれだけ自信があるか——最高の予測がまるでまちがっている可能性をどれほど高く見積もるかにも左右されます。大きな変化が予想されても、そうした変化が実際にどんな形のものか非常に不確実なら、自信は弱いものになります。

 一般に言う自信の状態は、実務家がいつも最大限の、もっとも神経質な関心を常に払うものです。でも経済学者たちはこれを慎重に分析しておらず、おおむねそれを一般論で語ってすませてきました
。特に、それが経済問題に対して持つ意味合いが、資本の限界効率に対する重要な影響を通じてもたらされる、ということは明らかにされてきませんでした。


ケインズの述べていることは経済に限らず、学者や研究者らと実務家の温度差(違い)にも通じるところがある。
もっとも昨今の学者や研究者は「実際にどんな形のものであるか非常に不確実な自信の弱いもの」に対しても自信があるように振る舞っているように感じられるけれども。


突出した事実として、人が見込み収益を推定するときには、きわめてあぶなっかしい知識を根拠にするしかない、ということがあります。何年か先に投資の収益を律する要因についての人々の知識は、通常は実にわずかで、しばしば無視していいほどのものでしかありません。正直言って、鉄道、銅鉱山、繊維工場、特許薬の事業権、大西洋横断客船、ロンドンシティの建物の、十年先の収益を予測するための知識ベースは、実に少ないし時にはゼロです。いや5年先ですら同様です。実は、本気でそんな推計をしようとする連中はあまりに少数派で、その行動が市場を左右することはありません

人間は、未知である未来、不確実な世界を予測する知識など持っていないという。
未来が遠くなればなるほどその知識はゼロに近づく。

昔の事業は、実際にそれを実施する人物や、その友人仲間などが主に所有していました。事業こそ我が命と張り切るような、楽観的な気質と建設的な衝動を持つ個人が十分に供給されるかどうかで、その当時の投資は左右されたものです。そういう人々は、見込み収益の厳密な計算なんかまじめに見ません。そうした事業は一部は宝くじのようなものでしたが、最終的な結果は、マネージャーたちの能力や人柄が、平均より上か下かにもかなり左右されてきました。でも投資額から見た平均的な結果が、その時点の金利よりも高いか等しいか低かったかは、事後的にすらだれにもわかりません。でも、天然資源採掘や独占事業を除けば、たぶん各種投資の平均実績は、進歩と繁栄の時代にあってすら、それを推し進めた希望には満たないものだったことは考えられます。ビジネスマンは、運と実力の入り交じったゲームをしており、その平均結果は、そのゲームに参加するプレーヤーたちにはわからないのです。人間の天性として、賭けに魅力を感じず、工場や鉄道や鉱山や農場づくりに(利潤以外の)満足感をおぼえないのであれば、冷たい計算の結果だけでは、あまり投資は起こらないかもしれません。

かつての投資や事業を支えてきたものは、真面目な計算や利益追求(得をすること)ばかりではなかったとケインズは指摘する。

昔ながらの民間事業に投資しようという判断は、社会全体にとってはもとより、その個人にとっても、ほぼ後戻りのできない決断でした。今日のように所有と経営の分離が一般化してしまい、組織化された投資市場が発達すると、それは時に投資を促進しますが、ときにはシステムの不安定性を大いに高めます。証券市場がなければ、いったん実施した投資をしょっちゅう再評価しても意味はありません。でも証券取引所は、すでに実施済みの多くの投資を毎日のように再評価します。

証券取引所による日々の再評価は、主に古い投資の個人間取引を支援するために行われるものですが、どうしても当期の新規投資にも決定的な影響を与えてしまいます。なぜなら、似たような既存事業が買えるのに、それより高い費用で新規事業を立ち上げるのは無意味だからです。一方で、もし株式市場に上場してすぐに利益を得られるならば、新規プロジェクトに想像を絶するような金額をつぎ込むだけの誘因も生まれます。したがって、ある種の投資は専門事業者によるまともな期待に基づくのではなく、株価にあらわれた、証券取引所で取引をする連中の平均的な期待に左右されることになります


大金を投資して新規事業や新会社を立ち上げ、それが成長して軌道に乗るのを待つくらいなら、同じ資金で既存事業を買ったほうが手っ取り早い。
これはすでにある大企業に有利な考えとなる。M&Aなどが流行る原因でもある。
一方の株式市場に上場してすぐに利益を得られるならば新規プロジェクトに想像を絶するような金額をつぎ込むだけの誘因も生まれるというのは、フェイスブック上場(規株式公開)なんかもその一例であったであろう。
何故こんなことが可能なのかと言えば、日々刻々と証券取引所が企業(すでに行われた投資)を再評価し株価を付けているからこそ。
不確実であまりあてにならない、あるいは真面目な計算でもよいけれども、そうした個々の期待(予測)で行動するのではなくて、株価という平均的な、あるいは誰かが意図的に操作した評価をもとに行動するのである。
自ら動いているようでいて実は動かされているのだ。それを外力と言ってもよいかもしれない。








[PR]
by yumimi61 | 2017-12-29 14:09

カンパ(-ニャ)

e0126350_23362389.jpg

e0126350_23370493.jpg


年末も押し詰まりスーパーマーケットにはお正月食材が並びだしましたね。
そこで報連相(報告・連絡・相談)、ほうれん草。
お雑煮にほうれん草を使うという人も少なくないかもしれませんが、今年はほうれん草がめちゃめちゃ高い!品薄!
ほうれん草に限らずキャベツも白菜もレタスもみ~んな超高い。
でも私、キャベツと白菜とレタスと大根とブロッコリーは作ったので大丈夫なんです。(大根以外はトレーに種まきしてから植え替えてトンネル栽培)
ほうれん草は作らなかったのですが、寒さに強い青菜を9月末に種まきをしました。ところがごく僅かしか発芽しなかったんです。発芽したのも育たないうちに霜やら雪にあたってぐったりしています。
実はほうれん草の高値も秋の気温が低すぎたことが原因です。
群馬県はほうれん草の出荷は全国3位なのです。
ほうれん草は寒さに強い野菜なので冬に出荷するものは露地栽培でいけます。8月終わりか9月頃に直播きします。
私の青菜は発芽も揃わなかったのですが、農家の家のほうれん草は発芽は揃っていました。ただその後の気温が足りずに大きく育たなかったようです。
早い所では10月に諦めて畑を耕しほうれん草を漉き込んでいました。
幾ら寒さに強いと言っても、それなりの大きさになっていないものに霜が降りたり雪が降ったりすればダメージも大きい。11月くらいに諦めて耕した家もありました。
いつも年末にほうれん草をお裾分けしてくれるほうれん草農家の方も今年はやはり厳しいようで・・。
農家の人が失敗しているのを見ているので高値や品薄も納得。



[PR]
by yumimi61 | 2017-12-27 23:39
『雇用・利子および貨幣の一般理論』(The General Theory of Employment, Interest and Money)
イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズが1936年に著した経済学書。単に『一般理論』と呼ばれることもある。

ジョン・メイナード・ケインズ (John Maynard Keynes), 1883-1946.
 ジョン・メイナード・ケインズはまちがいなく経済学史上で最重要人物の一人だ。その古典『雇用と利子とお金の一般理論』 (1936) で、ケインズは 経済学に革命を起こした。これは 20 世紀で最も大きな影響力をもたらした社会科学理論だろうと考えられている。この本は世界の経済や社会における政府の役割についての見方を、一瞬で永久に変えてしまったからだ。 これほど大きなインパクトをもたらした本は空前絶後だ。

(略)

 1936 年初めにやっと『雇用と利子とお金の一般理論』という大仰なタイトルの新刊が刊行された。大いに期待されていた本だし、値段も安く設定されていたし、都合のいいことに世界が大恐慌に捕まっていたまさにその時に出てきたこの『一般理論』は、学界と政治の世界の両方で旋風を巻き起こした。あるアメリカの政治家曰く、新古典派の経済学者たちが提案する政策は、政治的にはろくでもないものだというのは誰でも知っていたけれど、この本のおかげでそれが経済学的にもひどい代物だというのがわかった、とのこと。

 この本は『一般理論』とだけ呼ばれるようになった。この中でケインズは、総産出がどう決まるか――そして結果として雇用がどう決まるか――を説明する理論を考案した。そして総産出こそが一番重要な決定要因だと述べた。ケインズが創出した革命的な概念としては、需要が均衡を決定してそれが失業を可能にするという考え方がある。そして価格弾性は失業をなくすことはできないという考え方、「流動性選好」に基づく独特なお金の理論、革新的な不確実性と期待の導入、投資スケジュールの限界効率によってセイの法則を破ったこと(そしてそれによって貯蓄と投資の因果関係を逆転させたこと)、不景気をなくし経済過熱を抑えるために政府が財政・金融政策を使う可能性を示したこと。実際、この本によって、ケインズは「マクロ経済学」として知られる根本的な関係や概念を、ほとんど一人で構築したのだった。

 ケインズの革命は経済学界を2つの世代に引き裂いてしまった。つまり若い連中は我先にケインズを支持した。でも古い学者たちはケインズ説を糾弾した。ジョン・メイナード・ケインズは 1937 年に最も有力な反論者たち、ジェイコブ・ ヴァイナー、デニス・ ロバートソン そしてベルティル・オリーンなどに一連の論文で反論した。この論文により、ケインズは自分の理論の重要な論点について議論をさらに展開できた。ケインズのサーカスのメンバーたちは、この緻密で難解な本の解説書を立て続けに発行した。例えば、ジョーン・ロビンソンや、その他イギリスの地方の若い経済学者たち、ロイ・ハロッド・やアバ・ラーナーなどだ。



引き裂かれた2つの世代、若い世代と古い世代と言うと、古い世代が管理や規制派のように感じることが多いと思うが、経済学の場合は少々違う。


重商主義経済学(金銀国際収支論)
  ↓
イギリス古典派経済学 アダム・スミスなど →マルクス経済学が継承
  ↓
新古典派経済学(自由主義経済学) アルフレッド・マーシャルなど
  ↓
ケインズ(マクロ)経済学 
  ↓
マクロ・ミクロ経済学(合理的期待形成仮説) ロバート・ルーカスなど


イギリス古典派経済学は労働に価値があるとする説で、各人が自分の利益を最大にしようと経済活動を行えば、最終的に全てにおいてバランスが取れるという考え。(見えざる手によって自然に調整される)
イギリス古典派経済学と書いたが、この他のケインズまでの経済学の中心人物もイギリス人である。(ルーカスはアメリカ人。シカゴ大学でノーベル賞受賞者)


それを批判して生まれたのが新古典派経済学(自由主義経済学)だが、こちらも基本的には自由放任主義。
但し、公共投資や市場が上手くいっていない時(失敗した場合)への対応、国あるいは国家間の経済安定化政策など政府にしか行えないものは政府が行うべきであるとし、政府の役割も重視しており、まるで放任主義を主張しているわけでもない。
しかし政府の積極的な財政・金融政策は、失業改善させることはなく、浪費をもたらすだけで終わるとも考えている。
市場の需給バランスは物価などによって自然に調整され、失業などの労働問題に関しては労働賃金を調整することでバランスが取れるとしている。
この新古典派経済学(自由主義経済学)が問題となるのは、完全競争が前提となっていること。
完全競争は市場原理主義(小さな政府)が前提とする「人間は平等」に近いものがある。売り手と買い手が極端に偏ることなくどちらも多数存在していて、双方が経済情報を持っており、どちらか一方が価格を操作するようなことは出来ない。提供される資金・商品・サービスの質もほぼ同じ。つまりみな同じステージにいるという前提にある。


ケインズのマクロ経済学は、国民総生産や国民所得、失業率やインフレ率など国の様々な経済データを指標にするもの。統計学が重要となる。
その指標や分析をもとに政府が積極的な財政・金融政策を採っていく。
マクロの反対のミクロ経済学は、消費者と生産者の需給が市場ひいては国家を形成すると考えるもの。
マクロは演繹法。一般論やルールに観察事項を加えて結論を導く思考方法。そう簡単に動くものではない一般論やルールが存在していて、それに当てはめる形で物事を考えて対応していく。いわばトップダウン。
ミクロは帰納法。多くの事実を観察して共通点・類似点をまとめ上げ結論を導き出す論法。いわばボトムアップ。


マクロ・ミクロ経済学(合理的期待形成仮説)は、ケインズ経済学を批判しマクロだけでは語れないとする主張。
政府がどのような財政・金融政策を採っても、国民が先に効果を期待(予想)して行動してしまうので、政府が目論んだ効果は出ず浪費に終わるとも主張する。
不確実な世界を見る時、人は利己的な期待を抱き、自分が最も得をするように(合理的に)行動すると考えるものである。
人が自分の利益を最大にしようと経済活動を行うはずとしている点はイギリス古典派経済学と同じ。
結局無駄になるのだから政府は何もせずに市場に任せたほうがよいということになる。
レーガン大統領、サッチャー首相、中曽根首相など非常に強いイメージのある1980年代頃の世界のリーダーは「市場に任せたほうがよい」という小さな政府を経済政策のバックボーンとしていた。
ソニー会長であった盛田昭夫なども「小さな政府」支持派であった。
インフレ解消には効果があるが、やはり勝ち負けがある世界(利己的に動いても結果が出せる人と出せない人がいる)なので失業率などは増える傾向にある。

人は利己的な期待を抱き、自分が最も得をするように(合理的に)行動すると言うが、その中にもいろんな人がいる。
利用可能な情報を効率的に使って形成される期待もあれば、思い込みによる期待、噂などに流される期待もある。
自分が最も得をするように(合理的に)行動しない人がいるのも事実である。
システマティックで正確な予想をし数学的に最適な選択を行なう全知全能型の合理的経済人もいれば、アニマル型経済人いる。
楽観的な人もいれば悲観的な人もいる。
全知全能型の合理的経済人はやがてコンピューターに取って代わったりもする。
結局どの経済学(理論)も、このような差があまりに大きくなるとバランスは成立しなくなる。
ある程度均一的な情報量、レベル、民度でないとバランスはとれない。


ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を刊行したのは1936年、世界が2度目の世界大戦に突入する少し前のこと。
第一次世界大戦前も第二次世界大戦前も経済が好調だった国はドイツである。
第一次世界大戦はドイツの国際金融資本に依らない経済発展を脅威に感じて引き起こされたのではないかと考えられる。
ドイツはその戦争に負けて多額の賠償金が課せられるも開発スピリットみたないものは衰えなかった。戦争によってむしろ促進されたのかもしれない。戦争は歴史的に見ても技術革新の大きなチャンスとなっている。
戦争に疲弊し「戦争なんか懲り懲り~」という勝者の(でもアメリカからの借金がかさんだ)イギリスやフランスに比べると立ち直りも早かった。
考えようによっては、敗戦国の戦士者遺族よりも、戦勝国の戦士者遺族のほうが辛く立ち直りが遅い気がする。勝ったのになんで死んじゃったの・・なんでうちだけ・・みたいな感じで受け入れにくい、疎外感を感じやすい。その温度差や、それに気を使ったりすることが全体的な士気を下げるかもしれない。

そんな世界に訪れた世界恐慌1929年。根拠のない投機熱がもたらしたアメリカウォール街発の恐慌である。
でも大不況が世界に広まるきっかけはこちら。
1931年5月11日のオーストリアの大銀行クレジットアンシュタルト(Creditanstalt, 1855年にロスチャイルド男爵により設立。クレディ・アンシュタルトとも。)の破綻であったとされる。クレジットアンシュタルトは株価暴落に伴う信用収縮の中で突然閉鎖した。
この銀行破綻(閉鎖?)をきっかけに、ドイツ第2位の大銀行が破綻。これを機にドイツは大統領令で全銀行を閉鎖した。
銀行がストライキしたら期限までに借金返済できない。債務超過で連鎖的に企業が倒産し、小国も破綻した。ドイツも不況に陥った。

ドイツ経済の発展は市場(民間)が引っ張っていた。
しかしながらこの1931年クレジットアンシュタルトの破綻によって状況が変わった。政府が主導権を握るようになった。
その政府こそナチスである。
1933年に大統領の指名によって第一次世界大戦時に無名の青年だったヒトラーが首相に就任。ナチスを結成。
ドイツの経済は政府の主導のもと瞬く間に改善した。ケインズのマクロ経済学はその頃に執筆されたものである。









[PR]
by yumimi61 | 2017-12-26 14:43
前記事に引き続き、1998年のロングタームキャピタルマネジメント(Long-Term Capital Management;LTCM)の破綻について。


青字は、ロング・ターム・キャピタル・マネジメント破綻より

世界最大級の金融破綻
 去る 1998 年の「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」(Long Term Capital Management)の破綻は国際金融の歴史の中でも前例を見出しがたい世界最大級の金融破綻事件であり、扱いを誤れば世界経済を破滅の底にたたき込みかねない、いわばこの方面における「キューバ危機」であった。さいわい連邦準備制度理事会のグリーンスパン議長の大英断によって何千億ドルもの資金援助が関連金融機関に対して行われ、世界経済はカタストロフの悲劇を見ずにすんだ。議長の当時の救済融資は正規の手続きを全うしていないといわれているが、かえって歴史に名を残す名議長といわれた。これも事態が切迫し急を告げていたことのあらわれであろう。


非常に信用が高く動かしているお金も大きかったファンドの失敗。
信用が高いもの、動かしているお金が大きいものほど、反作用も大きいものである。
要するに信用を失う度合い、信じられなくなる度合い、幻滅する度合いが大きいといことだ。
多くの信用を集めるということは事業には有利であるが、失敗した時に失うものも大きい、いわばハイリターンハイリスクである。
今まで信用していたものは本当に大丈夫なんだろうか?信用不安が世界的に波及することを防ぐための策をFRB議長がただちに実行した。
飽きっぽく忘れっぽい世の中では当座の対応が大事、それは確かにそうかもしれない。
信用不安が世界的に波及しなかったからこそ、世界最大級の金融破綻を知らぬまま今日まで生きてきたか、すっかり記憶の外になってしまっている人が多いのだろうから。
でもその特別待遇な対応は、信用が多かったり扱う金額が多ければ失敗しても救済されて最悪な大損は逃れられるという印象を与えてしまう。
多くの信用を集めるということはハイリターンハイリスクであるはずだ。それが自然な成り行きなのだ。がしかし対応によってはハイリターンローリスクと思わせてしまう。権威みたいなものを却って補強してしまうのだ。
またFRBが特別待遇な対応をとるくらい在り得ないことが起こっただけという認識に至らせ、そんなことは通常は起こらないとリスクへの警戒感を弱める効果がある。
そういう意味では罪深い対応なのかもしれない。
もっとも後に起こったリーマンショックでは世界金融危機が引き起こされたわけだが。

ノーベル賞受賞者が関与
 LTCM の破綻が学会の関心を引くとすれば、LTCM の「チーム」の中に 2 人のノーベル賞受賞者がいたことであろう。一人はコンピュータ・サイエンス出身の金融経済学者でスタンフォード大学教授マイロン・ショールズ(Myron Scholes)、もう一人は数学出身の経済学者でハーバード大学教授ロバート・マートン(Robret Merton)である。2 人は 1997 年、フィッシャー・ブラック(Fischer Black)と共同で導出に成功したいわゆる「ブラック・ショールズの公式」(Black-Scholes formula)で知られるデリバティブの価格付け理論によりノーベル経済学賞を受けている。
事態に困惑したノーベル賞委員会のなかには、2 人に対する受賞の撤回、ノーベル経済学賞自体の廃止の声さえ上がった。よく知られるとおり、ノーベル経済学賞は賞の創設時にはなく、現在も選考手続は外部委託されており、ノーベル賞委員会からみればこの事件は賞の権威を失墜させるものと考えられたのである。

破綻の原因
 LTCM 破綻の要因はいくつか考えられるが、一般的な解説、関係者の話を総合すると、a. 大数の法則の市場適用、b. 過度の信用供与、c. デリバティブ取引の監視体制の問題がまずはあげられよう。a の大数の法則の市場適用については、ブラック・ショールズのモデルに連続時間を持ち込んだマイロン・ショールズのファイナンス理論が基本である。その前提は、市場価格は対数正規分布にしたがう(正確には対数正規ブラウン運動=幾何ブラウン運動となる)というものである。これは確率論としては中心極限定理(業界ではこれを「大数の法則」とよぶ通俗ミスが流布している)である。統計学者には正規性の検定などこれを検証するという帰納的態度があるが、自然科学者や数学者の間では、この正規分布はほとんど神話のような法則である。
正規分布の元では日常から著しく外れた数値は「ほとんど火星人の到来のようなものである」。しかしながらそれは現実に起こったのだが。かってフランク・ナイト(Frank Knight, 1921)が「リスク」と「不確実性」を分け、リスクは想定された事象で確率がわかるもの(したがって保険が可能)、それに対し「不確実性」は想定範囲にも入っておらずその確率は測れない、というよりはそもそも「確率」自体成立しない(いわば、本物の不確実性)と述べた古典法則が思い出される。その意味で、ケインズが賢くも確率論の古典Treatise on Probability(1927)で展開した確率思想、つまり数値としての確率概念は不可能で、確率概念は半順序としてのみ可能としたことを思い出す。社会的事態に確率を扱うには重要な見地である。



私は今年の6月に統計の有意水準について書いた。
統計に「絶対」や「100%」はない。
それは何故かと言うと、人間である私達は「偶然」や「奇跡的」を排除することが出来ないからである。
でもそれを言い出すとキリがない。
例えば、幾ら理路整然にSTAP細胞を否定しても、奇跡を考慮してしまうと、完全否定は出来なくなる。
すると「ほんとだもん、偶然出来たんだもん」「我々は奇跡的に成功した」とか言い出して悪用される。
これは非現実的で社会性を欠き、社会にとってプラスになるとは言えない。
そこで「そんな低い確率でしか起きないことは、起きないと言ってもいいよね」という値(有意水準)を決めておくのだ。
よく用いられる値が5%や1%。
これ以下でしか起こってこないこと(有意差あり)は否定の根拠となり得るという約束(ルール)の上で成り立っている。
もしも5%や1%以上の値が得られたとしても(有意差なし)、それを理由に「偶然」「奇跡」側が因果関係や正当性を主張することは出来ない。
数値的に否定の根拠になり得なかっただけのことで「不確定」「どちらとも言えない」といった状態である。データ(回数)を増やせば値が変わる可能性がある。


上で転載した文章に、正規分布の元では日常から著しく外れた数値は「ほとんど火星人の到来のようなものである」、とある。しかし我々地球人は火星人が到来したのを見たことがない。火星人が到来したという確からしい証拠を突きつけられたこともない。
滅多に起こらないことだけれど全くその事実がないわけではないこと(日常から著しく外れた数値)と、全くその事実がないこと(確認できないこと)は違うものである。
「死なない人間」というのは、全くその事実がないこと(確認できないこと)に含まれる。
統計において「そんな低い確率でしか起きないことは、起きないと言ってもいいよね」と決めている値(有意水準、よく用いられる値が5%や1%)以下の事であっても起きないことではないのだ。
起きる頻度がとても低いので、ルール上、起きないことにする(無視する)と決めているだけである。
確率は起きる時期を予想するものでもない。
だからそのルールを知らない人が統計や確率を乱用したり、それを基に何か判断すると誤った解釈になる可能性がある。


歴史に無関心
 ナイトにせよ、ケインズにせよ賢人の知恵のようなものだが、今日の確率論や意思決定のテキストからはこの「リスク」と「不確実性」の分別は消えている。Luce, Raiffa の Games and Decisions(1957)を最後に以降は見ていない。また、出版後 80 年も経つのにケインズの Treatise on Probability はケインズ全集の中でも邦訳されていない。世界的に見ても、Treatise on Probability に対する引用や言及は少ない。だから、LTCM の人々は、1929 年の大恐慌から学ぶことがなく、ソ連の崩壊のような想定外の事件は計算に入れてなかったのである。数理科学者が先輩の賢人の知恵や歴史に対しいま少し謙虚であったなら、モデルは社会的によりよく適合したであろうに。


統計学には検証するという帰納的態度がある。
それはある程度検証可能であるからだ。自然科学と違うのは前向きな調査研究が可能であること。
条件をなるべく同じにして何度も試してみる、幾つものデータを取るということが出来る。
自然科学では前向きな調査研究が行いにくい。
例えば地震は断層のずれによって生じるという説がある。
その確かさを試すために、断層を意図的にずらすことを何度も行う。
どれくらいずれたらどの程度の地震が発生するのか調べるために何度も実験する。そんなことは出来ない。
すでに起こったことを調べる後ろ向きの調査しか出来ないのだ。
場所が変われば日時その他いろいろ変われば条件が違うということなってしまうので、何かを論じるだけの十分なデータはなかなか集まらない。
それが出来るようになったと思わせたのがコンピューターによるシュミレーションや計算。
何かを見落としている確率や間違える確率をコンピューターは告白せずにまるで全知全能のように振る舞う。
じゃあそのコンピューターを作ったのは誰だ?という話になるけれども(人間を作ったのは誰だ?に通じる)、人間はコンピューターに別格なイメージを抱いてしまう。でも仮想は仮想。コンピューターは二次元より複雑だけれど、現実世界の次元はもっと多いかもしれない。人間の意識や感情といったものまでもが入りこんでくる。
コンピューターの正確さは意識や感情とは無縁であるところに裏打ちされたものであると思うので、「人工知能」なんて人間臭さを出せば出すほど信用が弱まる。
ともかく過去に起こったことは再び起こっても不思議はない。

それとは逆になるが、自然に起こる事象としては確率がとても低くくても、故意に発生させるならばもっと高い確率で起こってくるということは当然あり得る。
それはもう起こす人の気分次第であるから確率なんて無意味。でも気分だから防ぎようがあると言えばあるとも言えるけれども。
故意に発生させるような人のご機嫌をとることが正しい世界なのかどうかは微妙だと思うけれど。


学者のモラルのレベル
 ここではのべないが、学者の社会関与に多大な金銭的利益が関係するときの倫理の問題がある。医(薬)学者が医薬を発明したとき、工学者が極めて高価値なデバイスを開発したとき、確率・統計の公式が多大な経済的価値を生み出すときなど、倫理はいかにあるべきか。学者の金銭上のモラルは、平均人以下ではないにせよ、以上でもないであろう。利用の許可ならとにかく、LTCM のように自ら会社を興しての利用ならば社会的責任は免れないというところがおおかたの線であろうか。上記(b. 過度の信用供与)の原因のように、LTCM が銀行から過度の与信を受けたとき、学者の社会的名声が多大な効を奏したという。(日本統計学会巻頭随筆 2004.4 月号掲載予定)






[PR]
by yumimi61 | 2017-12-25 12:20
e0126350_23180470.gif


1971年のニクソンショック以降、世界的に変動相場制に移行した。
最後まで金本位制に縛られたアメリカが割を食い、それに耐えきれずに止めた時である。
アメリカの中央銀行であるFRBがドル紙幣の供給を始めたのが1975年。-①
ちょうどその頃から国債発行額(国債発行残高)が伸びていることが分かる。 
以後伸び続けた国債発行残高にブレーキがかかったのが②の部分。
この②の期間がクリントン大統領の時代である。
発行残高が伸びなくなったということは、この期間は新たな国債発行が抑えられた若しくはなかったということになる。
その後にまた増えて、2008年頃から急増した。ー③
これはリーマンショック前後の金融危機が1つの原因となっているが、リーマンショックはアメリカ大統領選の最中に起こり、政権がオバマ大統領の時代に入っていく時期と重なる。


アメリカの国債発行削減時期の終わりは、クリントン政権が終わった時期(2001年1月)、アメリカのITバブルが終焉した時期(2001年)、アメリカ同時多発テロ発生時期(2001年9月)と重なっている。
国債発行削減持続不可能となる条件が、政権、経済、軍事と、見事に重なってしまった。


アジア通貨危機が始まった1997年。(黄色線⑤)
その翌年1998年9月にロングタームキャピタルマネジメント(Long-Term Capital Management;LTCM)というアメリカのファンドが破綻した。(黄色線⑥)
この2つの出来事はアメリカの国債残高の伸びが見られなくなった時期、GDP比においては減少が始まった時期に起こっている。

ロングタームキャピタルマネジメント(Long-Term Capital Management;LTCM)
運用チームにノーベル経済学賞受賞者らを集め、高度な金融工学理論を駆使して、組成から数年は驚異的な成績を記録した。しかしアジア通貨危機の結果起きた予期せぬ市場の変動により、大きな損失を出して破綻した。

LTCMはソロモン・ブラザーズ(現在はシティグループの一ブランド)で活躍していた債券トレーダーのジョン・メリウェザーの発案により設立され、1994年2月24日に運用を開始した。
このファンドはFRB(アメリカの中央銀行)元副議長デビッド・マリンズや、マイロン・ショールズとロバート・マートンといった著名人が取締役会に加わっていたことから「ドリームチームの運用」と呼ばれ、当初より12億5000万USドルを世界各国の証券会社・銀行などの機関投資家、富裕層から集める事に成功した。メリウェザー自身は25億ドルの資金を集めることが目標であった。

出資者は多岐にわたる。後述する救済融資に参加した金融機関の他、香港土地開発局、シンガポール政府投資公社、台湾銀行、バンコク銀行、クウェート国営年金基金、イタリア銀行、住友銀行などがLTCMに投資していた。著名人では、ハリウッドエージェントのマイケル・オビッツ、ナイキのCEOであったフィル・ナイト、ベアー・スターンズCEOのジェームズ・ケインなどが多額の資金をLTCMに提供した。さらにはセント・ジョーンズ大学、イェシバ大学、ピッツバーグ大学なども資金を提供したことから、いかにLTCMが世間から期待され信用されていたかが伺える。


そんな信用の高いビッグファンドが何故アジアの通貨危機で破綻することになったのか。
そこには現在の世界経済が抱える問題と闇が存在しているように思う。
その問題は随分昔にイギリスの著名な経済学者のケインズが指摘していたことに通じる。

LTCMは金融工学、すなわち統計学的な最適解であるシンプレックス法を資金運用に駆使した。
その運用方針は、流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていない事に着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、反対に割高と判断される債券を空売りするもの(レラティブ・バリュー取引)であった。
コンピュータを用いて多数の銘柄について自動的にリスク算出、判断を行って発注するシステムを構築した。また、個々の取引では利益が少ないことから、発注量を増やし、レバレッジを効かせて利益の拡大を図った。その後、1995年にはM&A、1996年には金利スワップ取引、1997年には株式やモーゲージ取引のように、流動性が低く、かつ確実性の低い市場取引にも参入していった。


自分が売りたい時に(交換したい時に)売りたい価格で(交換したい価格で)売れやすいものほど「流動性が高い」と言う。
自分が売りたい時に(交換したい時に)売りたい価格で(交換したい価格で)売れにくいものを「流動性が低い」と言う。
金融界で一番流動性が高いのは紙幣。
未知の明日のことは誰にも分からない。1か月後、1年後、10年後なんて尚更。確かなものは今ここにある現実。確かなものだけが人々の漠然とした不安を払拭できる。その確からさを流動性利益と呼ぶ。
その確からさ(流動性利益)を手放してもらうには何かしら特典を与える必要がある。それが利子である。不安と引き換えるものが利子なのだ。
株券よりは国債のほうが流動性が高い。
中小企業の株券よりは大企業の株券のほうが流動性が高い。

特定の市場や国などに攻撃を仕掛けるマクロファンドと異なり、市場に対して中立的な方針をとるこのファンドの運用は1998年初めまで成功し、当初の投下資金は4年間で4倍に膨れ上がった。平均の年間利回りは40%を突破した。結果としてLTCMへの信用が高まり、資本金65億USドル程度の会社が、UBSなど各国の金融機関の資金1000億USドルを運用するところまで規模を拡大した。

しかし1997年に発生したアジア通貨危機と、その煽りを受けて1998年に発生したロシア財政危機が状況を一変させた。
アジア通貨危機を見た投資家が「質への逃避」を起こしつつあった所へロシアが8月17日に短期国債の債務不履行を宣言した事により、新興国の債券・株式は危険である、という認識が急速に広がり、投資資金を引き揚げて先進国へ移す様になったのである。
LTCMはロシアが債務不履行を起こす確率は100万年に3回だと計算していた。
LTCMの運用方針では、この新興国に対する投資家の動揺は数時間から数日の内に収束し、いずれ新興国の債権・株式の買い戻しが起こることを前提としており、それに応じてポジションをとった。これらの経済危機によって生まれた投資家のリスクに対する不安心理は収まらず、むしろますます新興国・準先進国からの資金引き上げを加速させていった。先進国の債券を空売りし、新興国の債券を買い増していたLTCMの経営は深刻な状態となった。

結果としてLTCMの運用は破綻し、資産総額が下がり始めてから約8ヶ月の間で1994年の運用開始時点の額を下回り、1998年9月18日頃には誰の目にも崩壊寸前である事が明らかとなった。


LTCMは流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていない事に着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、反対に割高と判断される債券を空売りしたりしていた。
要するに、LTCMはアジアなど新興国の実力を評価していたということになる。
しかしその評価は外れていた。
アメリカの経済が好調となり国債発行を減らすなど成果を出し始めドル安からドル高に動いた。国際的にアメリカの評価が上がったことを意味する。
アジアの新興国の経済がアメリカ経済と連動しているならば、アジア新興国の経済も刺激されて更なる伸びを見せてもよいはずである。
しかし結果は逆。伸び悩んだのだ。
これまでアジア新興国の経済(輸出)が成長していたのは単に通貨安への為替介入(誘導)のおかげであることが分かった。
またアジア新興国の経済(輸出)がアメリカ経済と連動していないことも露呈してしまった。


LTCMは欧米の金融機関から投資された47.2億USドルを元手に、25倍のレバレッジをかけて、1290億USドルもの資金を運用しており、さらには1.25兆USドルに上る取引契約を世界の金融機関と締結していた。そのためLTCMが崩壊すると、ただでさえ前述の経済危機により不安定となっていた金融市場に多大な影響を与え、恐慌への突入も危惧された。
また、ニューヨーク連邦準備銀行副総裁のピーター・フィッシャーは、LTCMが世界中のいたるところで同じスプレッド取引を行っていることに気がついたのだが、その成功を見た多くの金融機関がLTCMの運用手法を模倣しており、それらも多大な損失を生み出していた状況であったため、なおさらのことであった。

そこで、一私企業の救済は自由経済の原則にそぐわないとして反対する声を押し切り、ニューヨーク連邦準備銀行の指示によりLTCMに資金を提供していた14銀行が、LTCMに最低限の資金(36億2500万USドル)を融通し、当面の取引を執行させて緩やかに解体を行わせていく事にした。またアメリカにおいてはFRB議長アラン・グリーンスパンの指示により、短期金利のFFレートを1998年9月からの3ヶ月間で3回引き下げるという異常なまでの急速な対応をとり、LTCM破綻危機により拡大した金融不安の沈静化を図った。

LTCMに対する救済融資のうち9割が1999年中に返還され、翌年までにLTCMは清算された。メリル・リンチは年次報告書の中でこう述べた。「数学的なリスク管理モデルは保証しきれない安心感を醸し出すのかもしれない。あてにしない方がいい」

救済融資はFRB主導で行われた事実上の買収だったのではないかという見方が出ている。ジョージ・ソロスや投資銀行が、アジア危機、ロシア危機の余波を受けて身動きが取れなくなったLTCMを陥れるため、意図的に新興国市場に売りを浴びせ「質への逃避」を加速させたとの説もある。
LTCMの中心人物であったジョン・メリウェザーはJWMパートナーズの説明会で「自然災害に対して保険を掛けるのは理に適っている。しかし、相場の暴落に対して保険を掛けるのは間違いである。なぜなら、彼ら(保険の契約相手)は暴落を引き起こす能力を往々にして持っているからだ」と意味深なコメントを残している。


間違った評価が支持され、それに追従して同じことをしていた者がかなりいた状態だったわけだが、最初の評価が当てにならなかったということなのだ。
それを「想定外の出来事」「不確実性要素」としての結果と片付けるか、「確率論の誤り(主観的信念あるいは客観的信念の誤り)」「確率の計算間違い」と考えるかは人それぞれですね!?





[PR]
by yumimi61 | 2017-12-24 16:40

day by day

e0126350_23195041.jpg



e0126350_23200242.jpg
e0126350_23252466.jpg


[PR]
by yumimi61 | 2017-12-24 00:00
【2017年上半期(1~6月)の新車販売台数】
■日本(軽自動車含む)278万2542台
■アメリカ 845万2453台

アメリカの人口は日本のおよそ2.7倍である。
両国の人口の年齢構成は違うと思うが、単純に日本の販売台数を2.7倍すると約751万台なので、日本よりもアメリカのほうが自動車が売れているということになる。
特に日本の場合、販売台数の4割近くが安い軽自動車である。
一方のアメリカは、SUV、バン、ピックアップトラックが含まれるライトトラックに分類される車(セダンではない種類)の販売台数が6割を超える。

SUVは日本車で言うRVのオフロードタイプ。レジャーに最適な高級車。
バンは人を多数乗せることが出来るので家族の多い家庭やその用途で使うことが多い人向け。
ピックアップトラックは後ろ(荷台部分)がオープンとなっているトラックタイプの車。日本ではほとんど見ない車なので非常にアメリカっぽい車と言える。
一昨年、北海道で一家5人乗っていた軽ワゴン車が無謀な運転をしていた乗用車と衝突し死傷した事故で、無謀な運転をしていた加害車側の車がBMWのRV車とシボレーのピックアップトラックであり、その時にピックアップトラックがテレビに映し出されていた。覚えていればあれがピックアップトラックです。

ともかくアメリカでライトトラックに分類されて販売されている車は比較的価格も高い。
台数だけでなく利益としても日本で売るよりもアメリカで売った方が効率がよいということになる。


【2017年上半期(1~6月)の日本の普通車 新車販売台数 車名別】
1.プリウス(1,797㏄) トヨタ 91,246台 ②
2.ノート(1,198~1,597㏄) 日産 84,211 ③
3.C-HR(1,196~1,797㏄) トヨタ 79,303 ⑤
4.アクア(1,496㏄) トヨタ 64,148 ⑧
5.フリード(1,496㏄) ホンダ 61,057 ⑨
6.セレナ(1,997㏄) 日産 54,344
7.シエンタ(1,496㏄) トヨタ 54,055
8.ヴィッツ(996~1,496) トヨタ 51,617
9.フィット(1,317~1,496㏄) ホンダ 46,171
10.ヴォクシー(1,797~1,986) トヨタ 43,448
11.インプレッサ(1,597~1,994㏄) SUBARU 41,222
12.ルーミー(996㏄) トヨタ 39,111

【2017年上半期(1~6月)の日本の軽自動車 新車販売台数 車名別】
1.N-BOX ホンダ 106,231台 ①
2.タント ダイハツ 80,607 ④
3.デイズ 日産 76,707 ⑥
4.ムーブ ダイハツ 72,167 ⑦
5.スペーシア スズキ 57,763 ⑩
6.ワゴンR スズキ 57,205
7.アルト スズキ 50,915
8.ミラ ダイハツ 45,632
9.N-WGN ホンダ 44,436
10.ハスラー スズキ 41,575

〇内数字は普通乗用車と軽自動車合わせての販売台数トップ10(1位は軽自動車)


2017年上半期に限らずトヨタのプリウスは根強い人気がある。
よく何か大きな事故があると「またプリウスか!」と言われることもあるが、世に出ている台数も多いということだ。
プリウスはハイブリッド車。変速機は昨日書いたCVT(無段変速機)。
ハイブリッド車も量産が始まってからだいぶ経つので今更と言えば今更だが、ハイブリッド車は2つ以上の動力源を持つ自動車のことである。
燃費の良さが売りだが、燃費の良い車をハイブリッド車と言うわけではない。

2つ以上の動力源を持つ車両(自動車だけに限らない)をHV(hybrid vehicle) と呼ぶ。日本で一般的にハイブリッド車と呼ばれる車両は内燃機関(エンジン)と電動機(モーター)を動力源として備えたHEV(hybrid electric vehicle)である。車種によって違いはあるものの、運転条件によってエンジンのみで走行、モーターのみで走行、エンジンとモーターを同時に使用して走行するものなどがある。

アイドリングストップと低速時にモーター(電気)走行することで燃費を良くしている。
だからこれも信号や一時停止などで停止を繰り返すことが多い日本のような国や都市部に向いている。
高速道路、信号の少ないバイパス道路や郊外のような道をガンガン走る機会が多い人には適さない。メーカーが謳っている燃費性能は到底出ない。
何故なら高速で走る時にはモーターではなくてエンジンが用いられるから。省エネの恩恵に与らない。
そうした乗り方が多いならば(クリーン)ディーゼルのほうが適している。速度も出て燃費も良い。
ただアメリカはディーゼル車に用いる軽油がガソリンより安くないので普及しない。ヨーロッパはディーゼル車が多い。

プリウスは当初排気量が1500㏄だった。
それが3代目となった2009年より排気量を1800㏄に上げた。
前に自動車は排ガスなど環境基準が厳しくなるとその分パワーを落とすということを書いた。
その昔360㏄だった軽自動車の排気量を上げたのもパワー不足が顕著になったからだ。
パワーがない状態でパワーが必要なことを行えば、望んだ走行が出来ず不満が溜まるのはもちろんのこと、事故などを招く危険もある。
私はパワーの大きな車から小さな車に乗り換えたが、乗り換え当初、それまでの車で体得した運転感覚が全く合わずにヒヤリとしたことが何度かあった。
またパワーがない状態でパワーが必要なことを行えば燃費は物凄く悪くなる。それは燃費の良いと言われている車でも同じこと。
プリウスも排気量1500㏄では燃費の良さが出ない乗り方をしている人が多かったのだろう。それで1800㏄まで上げた。
総排気量が多くなったのだから排気は多くなる。
また排気量によっては税金も上がる。

ハイブリッドシステムは故障しやすい。
メーカー保証として5年とか設定していることが多いかもしれないが、故障すると普通のガソリン車に比べて修理が高額になる。
バッテリー交換なども下手すれば10倍以上かかる。
修理代は何十万も覚悟しなければならない。そうならない前に乗り換えるのかもしれないが。
だから幾ら燃費が良いと言っても、本体価格、修理点検代、乗り方(走行距離や乗る場所)、乗り換え頻度・乗り換え時の下取り価格、ローン使用の有無(期間・金利など)、そういう諸々を考慮しないとお得とは言えない。



【2017年上半期(1~6月)のアメリカの新車販売台数 メーカー別】
1.General Motors Corp. (GM、アメリカ)1,413,285
2.Ford Motor Company (フォード、アメリカ)1,294,397
3.Toyota Motor Sales USA Inc. (トヨタ、日本)1,155,165
4.Chrysler(クライスラー、) 1,048,961
5.Nissan North America Inc. (日産、日本)819,688
6.American Honda Motor Co Inc. (ホンダ、日本)791,886
7.Hyundai Motor America (現代、韓国)346,360
8.Subaru of America Inc. (スバル、日本)304,810
9.Kia Motors America Inc. (キア、韓国)295,736
10.Mercedes-Benz (ダイムラーのメルセデス・ベンツ、ドイツ)177,760
11.Volkswagen of America Inc.(フォルクスワーゲン、ドイツ)161,238
12.BMW of North America Inc. (BMW、ドイツ)149,086
13.Mazda Motor of America Inc. (マツダ、日本)141,624
14.Audi of America Inc. 102,971 (フォルクスワーゲングループのアウディ、ドイツ)
15.Mitsubishi Motors N A, Inc.(三菱、日本) 54,576
16.Land Rover 35,839 (ランドローバーはイギリスメーカーだがインド・タタ自動車の子会社となっている)
17.Volvo(ボルボ、スウェーデン) 34,105
18.Porsche Cars NA Inc.(ポルシェ、ドイツ) 27,568
19.Tesla (テスラ、アメリカ)23,550
20.Mini (ミニはBMWのブランド、ドイツ)22,202
21.Jaguar(ジャガーはイギリスメーカーだがインド・タタ自動車の子会社となっている)20,665
22.Fiat(フィアット、イタリア) 14,682
23.Maserati (マセラティはフィアットの傘下、イタリア)7,053
24.Alfa Romeo (アルファロメオ、イタリア) 3,719
25.Smart (スマートはダイムラーの子会社、ドイツ)1,983
26.Ferrari (フェラーリ、イタリア)1,189
27.Bentley(ベントレーはイギリスのメーカーだがドイツ・フォルクスワーゲングループ傘下となっている) 1,148
28.Rolls Royce(ロールス・ロイス、イギリス) 700
29.Lamborghini (ランボルギーニはイタリアのメーカーだがドイツ・フォルクスワーゲングループ傘下となっている) 507

4位のクライスラーはアメリカのメーカー(ビッグ3の1つ)だが、2009年の金融危機で破綻し再建。イタリアのフィアットの傘下となっているが、持株会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)はイギリスにある。


アメリカではセダンではないSUVなどライトトラックの販売数が6割を超えているが、その影響などもあり近年日本メーカーのスバル(富士重工)の人気が高い。

米国で絶好調の「スバル」 米国人に愛される理由とは? より抜粋>
著名自動車評論家の坂上賢治氏は最近の記事の中で、スバルの米国販売好調の理由のひとつを、米国の自動車安全基準である「Top Safety Pick(自動車安全基準の最高評価)」の全車種獲得に求めている。また、全体的に高い同社の技術力や、完成度へのこだわりも理由に挙げている。

だが、実際に米国の現地でスバル車を売るディーラーのセールスポイントは、「安全」「技術」ではなく、「実用性」に重点を置いている。
米コロラド州デンバー市は、11万台のスバルが走る、全米4位の「スバル都市」である。そのデンバーに隣接するオーロラ市で「ショートライン・スバル」という名のディーラーの販売部長を務めるビル・カレラ氏によると、「ほとんどのスバル車はフルSUVではないが、少なくとも5ドアのハッチバックであることが特徴だ」と、スバル製品が差別化できる長所を説明。

その上でカレラ氏は、「スバルの車なら、雪だろうがぬかるみだろうが、ノープロブレムだ。何でも運べるし、車中泊でさえできる。そうやって、どこにでも行けるから、コロラドの人はスバルが好きなんだ」と説明する。

ウリは、あくまでもSUVのような機動性を備えたステーションワゴン、というところにある。デンバーのように雄大な自然が近くにある場所では、なおさらだ。

カレラ氏はさらに、「トラックほどの大きさはないが、性能は負けてはいない。安全で、運転も簡単だ。アウトドア派には、たまらないね」と述べる。他にもスバルはシアトルやポートランドといったアウトドア派の多い都市で人気だが、ニューヨークやフィラデルフィア、首都ワシントンといった、「都市の中の都市」でも人気上位にランクインしていることが特徴だ。こうした場所では、スバルご自慢の安全技術や車載コネクティビティ(インターネットと車の融合)も購入検討の重要な要素だ。

「スバル愛」の基礎となっているのは、戦前から脈々と受け継がれる確かな技術であり、それを一般の米国人向けに「どんな道でも大丈夫なSUV」「愛すべきクルマ」というわかりやすい形で発信したことが、米国での大成功につながったようだ。


スバルは日本メーカーの中では営業利益率が高い。(販売台数に比べて利益が高い)








[PR]
by yumimi61 | 2017-12-22 13:59
1985年のプラザ合意後、日本の輸出企業は労働賃金など製造コストが安くすむ東南アジアや中国への海外進出が盛んになった。
物が大きな自動車業界では現地生産が盛んになる。日本のお得意様はアメリカなのでアメリカでの現地生産が積極的に行われるようになったということ。
東南アジアや中国と違って、アメリカに進出した場合、アメリカの労働コストは日本より高い。
それまでの日本車はアメリカより安いコストで作ることが出来て安い価格を付けられたからこそ売れた。
輸出コストがかかっても尚、安い価格が付けられるということだから、相当コストが安いか、相当為替メリットがあったということだ。
しかしプラザ合意後は為替メリットはなくなった。
その挙句アメリカで現地生産をすれば労働コストなど諸々のコストが上がり、それまでのように安い価格では利益が出せない。
日本の自動車メーカーは大きな車、高級車への転換を図る。

ホンダ Acura(アキュラ)
本田技研工業が1986年にアメリカ合衆国・カナダで開業した高級車ブランドである。
「Legend(レジェンド)」本田技研工業が生産・販売している高級車である。
「Integra(インテグラ)」アメリカではホンダの高級車チャンネル「アキュラ」において「アキュラ・インテグラ」として、レジェンドに次ぐアキュラブランド第2弾として発売された。 

トヨタ 「LEXUS(レクサス)」
1989年よりアメリカ合衆国内で展開が開始されたトヨタ自動車の高級車ブランドである。 

日産 「INFINITI(インフィニティ)」
1989年にアメリカ市場向けの高級車ブランドとして設立された。日本国外で展開している高級車ブランド。 

従前北米では、重厚で威厳を放つ高級車こそがアメリカンドリームを勝ち得た「勝者のシンボル」であった。市場はキャデラックやリンカーンなどの限られた伝統的ブランドが寡占しており、たとえ燃費が悪く故障しやすくとも、名門ブランドの名の下に許容されていた。そうしたメーカー都合の販売姿勢に対し、顧客の潜在的な不満は極めて高く、社会的成功を誇示するかのような威圧的なデザインの旧来の高級車を避ける傾向は富裕層の中にも確実に存在し、名門とされてきたブランドも若年層にとっては「古臭い」と見えていることを、トヨタは市場調査でつかんでいた。

そこでレクサスでは、伝統や威厳を前提とした旧来の高級車のあり方を否定し、極めて「機能的」かつ「高品質」なプレミアムを模索した。すなわち、メルセデス・ベンツやBMWなどの西ドイツ(現ドイツ)製高級車に匹敵する品質や安全性と、日本車ならではの信頼性や経済性とを両立させ、なおかつリーズナブルな価格設定、そして最高の接客とアフターフォローをもって、新たな高みを目指すこととなった。


伝統的ブランドが燃費が悪く故障しやすいとあるが、このあたりは前に書いた通り何を基準にするかによって違う。信頼性や経済性も耐久年数の違いやアフターサービスの違いがあり一概に比較できるものではない。
ただそういう日本的なものに対する需要がアメリカにもあったことは間違いないであろう。
アメリカは移民が多く自由でラフ(カジュアル)な国である。
アメリカンドリームは自由と平等(機会均等)が売りのアメリカらしさを象徴するが、階級が上であること(家柄・社交界)とアメリカンドリームを勝ち得た者(成功者)はやはり微妙に違うと思われている。
ヨーロッパでも階級が上と成功者(成金)は違うという認識がある。
そんなこんなで成功したら急に階級が上のように振る舞うのは格好悪いという雰囲気があることも確かであろう。
この辺りの意識が日本車に有利に働いたのかもしれない。
日本人のブランド物好きが揶揄されることがしばしばあるが、お金があっても無くても猫も杓子も的なブランド好きはやはり日本の特徴ではないだろうか。
アメリカでブランド物を好むのは比較的お金持ちの人で、ヨーロッパは身分相応的な意識が強いように思える。
フォーマルよりもインフォーマルのほうが間口が広がる。
伝統的ブランドの自動車がフォーマルならば、日本の高級車はインフォーマルなのだ。
結局高級車においても1台あたりの利益よりも数を売って利益を出す作戦である。


アメリカでの販売戦略を高級車重視に転換した日本の自動車メーカーだが、安価な車を扱わなくなったわけではない。
元々安い小型車を得意としているし(日本で数多く作っているので技術の蓄積がある)、短い耐用年数(乗り換えまでの期間)や日本メーカーが展開するアフターサービスは安価な車の欠点を補うので、この安価な分野にこそ強みが出る。
薄利ではあるが開発など初期投資費用は少なくて済む。
名前は違うが日本でも販売されている車が多い。(日産ティーダ→日産ヴァーサ、トヨタヴィッツ→トヨタヤリスなど)(但し排気量は日本よりも大きいことが多い)
高級車分野の利益も考えれば、アメリカに需要がある限り商売になるといったところだろう。
また労働コストの高いアメリカではなくて近国のメキシコで製造したり、アジアのタイなどで製造し輸出するようなこともしている。

【アメリカにて新車販売価格の安い車トップ12(2017年)】
1.Nissan Versa(日産・ヴァーサ)<日産自動車、日本>  1,800cc 11,990ドル
2.Mitsubishi Mirage(三菱・ミラージュ)<三菱自動車、日本>  1,192cc 12,995ドル
3.Chevrolet Spark(シボレー・スパーク)<アメリカGM傘下の韓国GM、韓国>  1,399cc 13,000ドル 
4.Ford Fiesta(フォード・フィエスタ)<フォードモーター、アメリカ> 997cc 13,660ドル
5.Mitsubishi Mirage G4(三菱ミラージュG4)<三菱自動車、日本>  1,193cc 13,995ドル
6.Kia Rio(キア・リオ)<起亜自動車、韓国>  1,120㏄ 14,165ドル
7.Smart Fortwo(スマートフォーツー)<ダイムラーの子会社スマート、ドイツ>  698㏄ 14,650ドル
8.Hyundai Accent(ヒュンダイ・アクセント)<現代自動車、韓国>  1,341㏄ 14,745ドル 
9.Fiat 500(フィアット500)<フィアット、イタリア>  1,240㏄ 14,995ドル 
10.Chevrolet Sonic(シボレー・ソニック)<アメリカGM傘下の韓国GM、韓国>  1,597㏄ 15,145ドル
11.Toyota Yaris(トヨタ・ヤリス)<トヨタ自動車、日本>  1,500㏄ 15,250ドル
12.Nissan Versa Note(日産・ヴァーサ・ノート)<日産自動車、日本>  1,600㏄ 16,345㏄

※価格はベース価格。
1ドル115円として1位が138万円くらい。
12位の日産・ヴァーサ・ノート以外は全てマニュアル(MT)車。
一般的にオートマ(AT)車よりもマニュアル(MT)車のほうが安い。
アメリカでも圧倒的人気を誇るのはオートマ車なはずだが、マニュアル車も結構販売されているんですね。
私の実家の母がマニュアル車にこだわったことを前に書いたけれど、最後の車を買った時、すでに10年くらい(もっとかな)前の話だが、その時もマニュアル車がある車種が少なかったと言っていた。それか特注になると。
日産・ヴァーサ・ノートはCVT。ATと同じく自動変速だが構造が違う。
排気量の大きなエンジンに耐えられる現実性のあるCVTが今のところ開発出来ていない。高速走行では燃費が落ち故障に繋がる。よって小型車による都市部走行が主体の車にしか向かない。

※GM韓国は元は韓国の大宇財閥の大宇自動車。大宇は現代に次ぐ韓国ナンバー2の企業グループだったが、1997年アジア通貨危機で苦境に陥り、1999年GMの出資交渉が決裂し経営難に陥り、会長がヨーロッパに逃亡するなどしたが、大宇自動車はGMの傘下に入った。






[PR]
by yumimi61 | 2017-12-21 13:36
時々政府の在り方として「大きな政府」か「小さな政府」であるべきかという議論がなされることがある。
市場に積極的に関与するのが「大きな政府」で、自然な市場原理を重視するのが「小さな政府」である。
下の(1)が大きな政府で、(2)が小さな政府。どちらも一長一短ある。

(1)政府による富の集権→再配分(積極的な社会保障政策や弱者救済)・・トップダウン方式、大きな政府、保守的、税金は高め⇒労働意欲の低下、対外的競争力の喪失、やがて労働や高い税金への負担が大きなってくる

(2)市場原理最重要視・・ボトムアップ方式、小さな政府、民営化や規制緩和促進、税金は安め⇒競争社会、失業や経済格差の問題

(1)が古くからある形なので保守的とも言われる。
人間には差があるということを認めた上でなるべく平等な社会を築こうとするものである。
社会主義や共産主義はこれを極めていく形式である。
自由競争色が薄く、上でコントロールする方式であり、再配分も保証されているので、結果的に労働力のある人もない人もどちらも労働意欲を低下させてしまう。国内だけならばまだしも、対外的な競争(比較)が出てくると、この形式でやっていくのは厳しくなる。

(2)が近年流行の形。
こちらはもともと人間は平等なのだという発想がベースになる。
平等な者は同じステージで戦えるはずであるという競争社会。
競争意識が刺激されて嫌でも労働意欲は上がってくる。だが競争には必ず勝ち負けがある。真剣に戦えば戦うほどその落差は大きくなってしまう。(人間は生まれ持って平等なのかという疑問も生じてくる)
経済格差や失業が広がり、大きな政府に比べると十分ではない社会保障政策や弱者救済サービスを受けられない層が拡大する。

(1)と(2)は対立する方式というか概念なので、双方のいいとこどりというのはなかなか難しい。
政府が(2)の方式で再配分(積極的な社会保障政策や弱者救済)を行えば財政赤字に陥っていくのは目に見えている。
それに対して紙幣を発行して対処すると、紙幣ばかりが増大して増々コントロールが効かなくなる。


税金が高い代わりに社会保障制度が手厚い北欧などは(1)のほうであろう。
北欧にイギリスは含めないことが多いが、イギリスもヨーロッパの北側に位置する。そのせいかやはりどちらかと言えば(1)の傾向が強く、世界を代表する先進国でありながら1960~1970年代にかけてその弊害が強くなり、当時のイギリス社会は「英国病(イギリス病)」とまで言われたくらいである。
その病から脱出するきっかけとなったのが1980年代以降に北海油田が産出する原油を輸出できるようになったことだった。
資源によって対外競争力を確保できたわけである。


イギリスで(2)への転換を図ったのは、労働党のトニー・ブレア首相(1997-2007年)。

イギリスの労働党
古くから労働組合を強固な支持母体としており、組合出身の組織内議員も多数存在する。ただ、組合寄りの政策を取り過ぎたあまり、経済活動の停滞や財政の圧迫を招いたこともある。

保守党が富裕層や地方出身者、中高年層からの支持が強いのに対して、労働党は低所得者層や都市部の地域、若年層から支持が強い傾向が見られる。ロンドン、マンチェスター、エディンバラなどの都市部では、多くの選挙区で議席を獲得している。

また、音楽業界や映画業界などのエンターテインメントの業界からの支持も強い。有名なところでは、ビートルズ(メンバー全員)、ピーター・ガブリエル(1998年には国内最高の個人献金を寄付)、ノエル・ギャラガー(元オアシス)、J・K・ローリング(ハリー・ポッターシリーズの著者)など多数の人物が支持を公言している。2007年にはブラーのデイヴ・ロウントゥリーが労働党公認で総選挙に出馬している(結果は落選)。ただし、イラク戦争を契機に緑の党や自由民主党などに支持を鞍替えする人物も目立っている。


このように労働組合が強固な支持母体であるが、トニー・ブレアは脱労働組合路線を掲げた。
労働組合のブロック投票を著しく制限した。労働党の党綱領から、生産手段と輸送の国有化を削除して経済政策を自由市場経済に転換する「第三の道」と呼ばれる路線に変更する。
これによって中間層の支持を取り込み、1997年の総選挙で大勝を収め、首相に就任した。

(1)でも(2)でもないのが「第三の道」であるということなのだ。
では実際どのようなものかということを簡単に言えば次の通り。

この第三の道における公正は、伝統的社民主義の哲学が提示する結果の平等ではなく、教育の充実などの政策に立脚した上での、機会の平等に重きを置いている。これにより、移民政策にも通じる多様な文化的「差異」を前提としてグローバリゼーションへの対応を指向する。

嗜好としては(2)である。
但し(2)には人間は平等なのだという発想がベースになる。
でも人間は生まれ持って平等なのかという疑問も生じてくる。
イギリスは歴史的に、そして現代においても階級が大規模に存在している社会である。家柄的に平等ではない。
生まれ持っての階級が違い、階級が違うとチャンスも平等に与えられない。
つまりトニー・ブレアは、能力の差に注目したのではなく階級や人種によるチャンス(機会)の差に注目して、その差を少なくする政策を採用した。(今日本が盛んに行おうとしている教育の無償化などもこれっぽい感じ)
逆を言えば、同じだけチャンスを与えたのだから、結果に不平等があっても文句を言うなということにもなる。不平不満層の封じ込め策。
これが中間層から広く支持を得た。
「あなたたち不平不満ばかり言ってないで現実を見なさい」と不平不満層にやや冷ややかな人達が多かったか、「平等万歳」と能天気な人が多かったのかは定かではない。
費用対効果という面から見れば恐らくすこぶる悪い。採算はとれないであろう。
しかもイギリスの場合、草の根レベルで階級意識が浸透していて、英語のアクセント・言葉遣い、身なり服装 ・趣味、そういう耳や目で分かるものが階級の判断材料となっているので、機会を与えたくらいではどうにもならない。


(2)を嗜好する「第三の道」の先駆者がイギリスのトニー・ブレア首相(労働党)ならば、(1)を嗜好する「第三の道」の先駆者はアメリカのビル・クリントン大統領(民主党)だった。
その立ち位置は見る人によって全然違ったため、今なお次のように見解は割れているような状況だが、クリントン大統領は(1)を嗜好する「第三の道」先駆者である。

大統領選挙では中道や保守派からその左派的色彩を批判され、徐々に中道よりへの修正を図った。1994年の中間選挙以後は政策の一貫性のなさがしばしば批判の対象にされる。民主党では相対的にやや右寄りに位置するが、これは党内のスタンスであって、あくまで彼自身は第三の道サミットに参加していることなどから中道左派である。
急進リベラルからは歴代の民主党政権の中では最も保守的とされたが、一方で保守派からは「社会主義者」と呼ばれる。


このクリントン大統領はアメリカの30年近く続いていた財政赤字を改善し黒字化するなど一定の成果を収めている。

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領を、大統領選挙で「It's the economy, stupid! (経済こそが問題なのだ、愚か者!)」と揶揄したように経済最優先を掲げたクリントン政権はその当初から経済政策に力を入れる。アメリカ経済の中心を重化学工業からIT・金融に重点を移し、第二次世界大戦後としては2番目に長い好景気をもたらし、インフレなき経済成長を達成した。
また、1994年のギングリッチ率いる共和党が上下院を奪還すると、共和党のお株を奪うべく、財政赤字削減に動き出す。アラン・グリーンスパンFRB議長の助言の下に、均衡財政をめざし、巨額の財政赤字を解消して、2000年には2300億ドルの財政黒字を達成した。これらの経済政策は、ロナルド・レーガン政権で行われたレーガノミクスに対し、クリントノミクスと呼ばれる。


クリントノミクスは(1)を理想としつつ、労働意欲を低下させず対外的競争力強化を目指した。
いいとこどりはなかなか難しいと私は書いたが、そのいいとこどりを行って上手く成功した例である。
その具体的な方策は次の通り。

道路などインフラ整備の公共事業への投資拡大、それを呼び水にした民間投資の奨励、労働力の質の向上、技術開発力の強化などが挙げられる。民間の経済活動への政府の介入に慎重だった共和党政権に対して、クリントン政権は政府の産業協力を鮮明にしたことで、自由競争が建て前のアメリカ経済政策は大きく方向転換した。

次世代自動車開発に政府が補助金を出したり、軍が蓄積してきたハイテク技術を投入する方針を示すなど、クリントン政権は民間企業の支援策を次々に打ち出している。日米自動車交渉で、アメリカ政府が日本側に購入拡大を執拗に迫ったのも、民間企業支援をセールスポイントにしたクリントン政権の特色を浮き彫りにしている。

クリントノミクスのもう1つの柱である財政赤字の削減では、国防費支出の削減と本格的な増税を打ち出し、1994年から4年間で総額5,000億ドルの財政赤字削減を目指した。


成功の一番のポイントは、アメリカ経済の中心を重化学工業からIT・金融に重点を移したこと。
同じ労働でも肉体労働(ブルーカラーワーカー、量産、時間の切り売り)よりも頭脳労働に重点を置いた。そのための協力を国家が惜しみなく行った。
頭脳労働化は企業が使う資源やスペースをも減少させることが出来る。
その分、国民個人に還元できる。また最低賃金をアップさせることで肉体労働や下層をも支えた。

但しアメリカは他国に比べると社会保障制度の国の負担は少ない。
社会保障法制定(1935年)により「社会保障」という言葉を生み出した国家ではあるが、自由で個人主義(個人の自由・自己責任)な国民性、また州という地方分権が進んでいるために、国家が旗を振る社会保障制度は遅れている。社会保険という強制や国家が行う中央管理への抵抗が根強くあるのだ。
国自体も「Welfare to Work(福祉から雇用へ)」という考えがベースにある。
国の社会保障を充実させて手厚く救済するのではなく、同じ費用や手間は社会福祉制度の恩恵を受けている人たちを雇用者に戻させることに費やされるべきだという考えである。
不正受給や怠けなどフリーライダー問題や、取り損ねのない保険に入っていることで医療提供側が本来必要ない医療までをも提供して診療報酬を上げようとするモラルハザード問題などによって、社会保障制度を充実させると必要以上に国の歳出が増えてしまう懸念が存在している。
アメリカで破産する人の6割は高額な医療費が払えないことが原因で、そのうちの8割は保険に加入していないのではなく加入している人であるという。
アメリカには広く国民をカバーする年金制度はあるが、そのような医療保険はない。公的な医療保障の対象は高齢者・障害者・低所得者などに限られている。
クリントン政権以降、年金さえ全部又は一部を民営化するという議論が活発に行われてきたくらいである。
つまりアメリカは公的社会保障制度の充実している国との単純比較には向かない。
クリントン大統領が(1)を理想にしても再配分の程度や領域が小さいし、救済の方法論が違う。


ビル・クリントンが大統領だったクリントン政権時代は黄色線内。
アメリカの財政赤字が改善した時代に日本の財政赤字は悪化した。
非常に対照的な時代。
日本はクリントン大統領が「民主党」であることに惑わされてしまったのかもしれない。
民主党には(2)のイメージがあるから。
e0126350_17581365.jpg











[PR]
by yumimi61 | 2017-12-19 13:59