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<   2018年 01月 ( 17 )   > この月の画像一覧

仮想通貨の流出が問題になっているが、カソウツウカノリュウシュツというその言葉だけで脳の入出力電源をシャットダウンさせてしまう人も少なくないのではないかと思う。
仮想通貨で有名なのはbitcoin(ビットコイン)だと思うが、今回流出したのはNEM(ネム)という仮想通貨。
円とかドルとか法定通貨にもいろいろ種類があるように仮想通貨にも種類がある。
流出させたのは仮想通貨取引所の大手コインチェック。
コインチェックという会社(取引所)は売買手数料0円でビットコイン取扱高やユーザー数ナンバーワンを謳っていた。

仮想通貨という言葉が胡散臭さを纏っているが、仮想通貨は法定通貨とその時のレートにより交換できるものである。要するに仮想通貨は法定通貨を裏付けにしているので、全く枠に収まらない常識はずれな代物ではない。
このあたりのことはロッキード事件を書いている時にも触れた。小佐野賢治はハワイのホテルをお金を動かした形跡なく購入したという話の流れで。

現金(紙幣)を作れるのは中央銀行だけ。この権力は計り知れない。
政府も小金硬貨は作れる。(塵も積もれば山ですよ!まあその気になれば政府も紙幣を作れるのですが・・信用が足らないということなんでしょう)
昨今は電子マネーやビットコインが登場し、現金を作れるのは中央銀行だけではないとの認識を持つ人も増えているかもしれないが、電子マネーやビットコインの裏付けはやはり法定通貨(紙幣)である。
法定通貨を入金したり支払ったりして購入するマネーの裏付けは法定通貨であるということ。
ビットコインはマイニング(採掘)による取得も可能である。かな~り高度な演算問題を解けばビットコインを手に入れることができる。元々はそれで始まったもの。
但し上限が決められており無制限にコインを取得できるわけではなく、現状一般人に解くことはまず無理だろうと思う。
インターネット上の取引所でビットコインを法定通貨を用いて購入するという形式では裏付けが法定通貨にあるということになってしまうのだ。使い勝手に利点があっても根本の「裏付け」をひっくり返すものではない。

一番の問題で、多くの人々が見落としている問題、それは中央銀行が発行する法定通貨(紙幣)にも裏付けがないということ。
金や銀という正金を裏付けにしていた時代もあったが今はそれもない。(金や銀の裏付けは何かと言われれば答えに窮しますけれども)
裏付け・根拠のない「信用」だけで世界は回っている


仮想通貨よりよっぽどど裏付けがないのが実は法定通貨なのだ。

仮想という言葉が紛らわしいのだが、この仮想は紙幣とか硬貨とか目に見える現物が存在しないことに由来している。でも裏付けは存在する。
電子マネーも法定通貨を裏付けにしており現物が存在しないという点においては似たようなものではあるが、手元にあるカードだとか携帯やパソコンという個人所有の物を通して日々利用しているので仮想通貨より身近に感じやすい。
お財布ケータイという言葉があるが、お財布の中にお金を入れておくように、携帯やカードがお財布代わりでその中にお金が入っていると考えやすい。

個人が所有している仮想通貨も取引所に預けておいて出入金できるわけだが、その場合お財布というより銀行とか証券所のようなイメージである。
特に現在は投機が目的で売買・保管していることが多い。日々の買い物に利用するお財布ではないのだ。

仮想通貨が買える場所は取引所と販売所。(販売所は市場と顧客の仲介所みたいな所なので割高)
あとは個人的に言い値で売買することも出来るが、個人的にそういう人に巡り合うなり探すのは大変。
ともかく仮想通貨も法定通貨もコンピューターシステム上にある。
今回の仮想通貨が流出は、コインチェックという取引所(会社)から日本円で580億円分に相当するNEMという仮想通貨が出金されたということ。
入出金を扱っているのだから出金されることは別におかしなことではない。
でもその金額がいつもと違って異常に大きければ目立つだろう。次いで不正が疑われる。
要するに仮想通貨の流出とは、顧客や会社の意思に反して不正に引き出されたということなのだ。
今回の場合、それが顧客の資産にあたるものだったらしい。



仮想通貨で思い出すのはユーロである。
ユーロは元々仮想通貨だった。これも前に書いている
アイルランドの繁栄と衰退、アメリカITバブルの話の流れで。

アイルランドに暗雲が立ち込めたのはEUがユーロを導入した頃だ。
導入は1999年1月1日から。最初は決済用仮想通貨(電子通貨)として導入された。
つまり最初はユーロの現金は存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨となった。
アイルランドは他の10カ国と共に1999年のユーロ立ち上げ時から参加している。
御存知のとおり、ヨーロッパ主要国の1つでEU加盟国でもあるイギリスはユーロを導入していない。
EU加盟国は通常ユーロを導入しなければならないが、イギリスとデンマークは適用除外規定によってその義務が免除になっている。
イギリスがユーロ圏に入らなかったことで、俄然日の目を見たのがアイルランドだった。
何故かと言えばそうネイティブ英語だったから。
ユーロ発足に伴い、今度は金融機関が多数アイルランドに進出した。

1999〜2000年、アメリカ市場を中心にITバブルが起こった。
IT関連企業の株価が異常に高騰したのである。(バブルというのは基本しがない庶民には関係ないものです)
電子仮想通貨であるユーロが導入されたのと前後する1990年代終わり、コンピューターを用いた電子取引が実現したことによって、ハイテクで目新しいIT産業に投資家が傾倒したのである。


仮想通貨だったユーロは3年後の2002年1月1日に現金通貨となった。現物が誕生したのだ。
そしてこの時、ユーロ導入国では従来の自国通貨に代わり、ユーロが法定通貨となった。


ユーロ導入国とは基本的にEU加盟国である。
1国1国の独立性を弱めて結びついたヨーロッパの地域集合体。
人・物・資本の移動に関する障壁の多くを 取り払い、単一市場を形成している。ユーロ導入国では単一通貨ユーロを導入し、金融政策を欧州中央銀行に委ねている。
そのユーロは仮想通貨から始まった。
そうとなれば、この世界に仮想通貨から始まる集合体が新たに生まれても、仮想通貨がやがて現物になり法定通貨になっても何ら不思議はない。
新たに生まれた通貨を発行・管理するために新たに中央銀行が生まれる。
仮想通貨は世界の通貨事情を変える可能性を秘めている。
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by yumimi61 | 2018-01-30 15:38
かつてのお金は金や銀そのもの、あるいは金貨や銀貨など鋳貨であり、紙幣なるものは存在していなかった。
前記事に現金輸送は危険を伴うと書いたが、それに加えて金銀鋳貨は重くて気軽に運搬できるものではなく、扱いや保管も難しい。
そこで目利きであり立派な金庫を持っていた金匠や両替商は保管料を徴取して、それらのお金(金銀鋳貨)を預かるビジネスを思いついた。
元々立派な金庫を持っていたほどの、つまりはお金持ちであるということで、そういう人ならば盗まれる心配もないだろうということで信用を得られた。
お金を持っている権力者や商人は金匠や両替商に預けて、それと引き換えに預かり証を受取った。
金貨が必要になった時には、その預かり証を呈示すればいつでも金貨を返してもらうことが出来るものである。
しかしながら、いつでも返却に応じてもらえるという安心感は却って停滞を生むし、預ける側も相当なお金持ちなので、一度預けたお金はそう簡単に引き出されることはなかった。
取引きの支払いにあてるために実際に引き出されるのは10~20%程度だったという。残りは常に金庫に眠ったままである。


取引きにおいては、金貨を預けていた支払う側が預かり証を金貨に換えた後に相手に支払う。
支払ってもらった相手が今度はその金貨を金匠や両替商に預けて、今度はその人が預かり証をもらう。
同一地域の取引きならば預ける先が同じであるということは珍しくなかった。つまり結局同じところにお金が保管されることになる。
だったら預かり証だけを動かしても同じではないかということになった。
こうして預かり証での支払いが一般的になっていく。

A金匠←(金貨)商人1
A金匠(金貨)→ (預かり証)商人1
A金匠(金貨)←(預かり証)商人1
A金匠→(金貨)商人1
商人1(金貨)⇒商人2(金貨)
A金匠←(金貨)商人2
A金匠(金貨)→(預かり証)商人2

商人1が2に自分の持っている預かり証を渡しても同じ結果となる。
だから金貨を出さずに預かり証を渡すことで決済することが普及した。いつでも引き出せるという信用があるがゆえに成り立つ。
この預かり証を「金匠手形」と呼んだ。
個々の預かり証(手形)であるので発行された金匠手形は金額などが統一されたものではなかったが、これが現在の紙幣(銀行券)の原形である。

また金貨を預けた商人1が自分で金貨を引き出して商人2に支払う代わりに、その手間を省いて金匠から商人2に金貨を支払ってもらうことを依頼する紙(預証紙幣)を商人1が商人2に渡した。
これを「金匠宛手形」と呼んだ。現在の小切手の原形である。

A金匠←(金貨)商人1
A金匠(金貨)→(預かり証)商人1
商人1(預かり証)→(預証紙幣)商人2
A金匠(金貨)←(預証紙幣)商人2
A金匠 ⇒商人2(金貨)
A金匠←(金貨)商人2
A金匠(金貨)→(預かり証)商人2


「金匠手形」「金匠宛手形」での取引が主流になれば、ますます金庫からお金は出て行かない。金庫のお金が動かないということを意味する。
そうなると金匠や両替商は預かった時に得る保管料の儲けが少なくなる。
そこで次に思いついたのが、その動かないお金(どうせ引き出されないお金)をお金がない人に金利を取って貸し出すビジネスである。
他人から預かっていつでも引き出しに応じられるはずのものを股貸しするなんてことは信用を損なうリスクが高い。
だから最初は貸し出す期間はなるべく短くして、リスクに備えて高い金利を取った。こうして高利貸が誕生する。

その貸し出した分も実際に金貨を貸し出すのではなくて、世間で取引きに使われている預かり証を貸し出せばよいのだ。
預かって金庫に眠る金貨の総額を100とすれば、理論上は最大100まで貸し出せることになる。
裏付けのない預かり証はなるべく早く回収したい。だから最初は短期で高利が実践された。

実際に金貨を預けた人に100の預かり証(金匠手形)が発行されている。
それに加えて金貨を貸し出した人にも100の預かり証(金匠手形)が発行される。
つまり金貨は100しかないのに世には200の預かり証(金匠手形)が流通し取引きが行われているということ。
全く価値の裏付けのない単なる紙を創造してしまうのだ。無から有を生める。現在の紙幣制度もこれと同じである。
もしも200の預かり証(金匠手形)を持っている人が全員金貨を引き出したいと言えば、そんなことは出来ないので金匠は破滅する。
しかし半分の100ならば実際に存在するので応えられる。
全員が一斉に引き出すという事態は滅多にないので成立するし、そもそも預かり証(金匠手形)で金貨と同じ取引きが可能ならば当座の金貨の価値は薄れてしまう。
世の中の人間の感覚が麻痺すればするほど預かる側(貸す側)は大胆になっていく。
200ではなくてもっと貸し出すようになるということである。100を元手に貸し出すという理論も破綻した状態となる。



ここでは理論内にある200のケースで高利貸しがどのように儲かるかを説明する。
100の金貨を元手に200の預かり証(金匠手形)を発行したとする。
100の預かり証(金匠手形)は金貨を預けた権力者や商人が持っている。
残りの100の預かり証(金匠手形)は金貨を持っておらず借金した人が持っている。(金貨を借りたけれど金貨は預けて代わりに預かり証を受け取ったという形式になる。世間では預かり証だけで取引き可能なので金貨を手元に置いておく必要はない)
金匠が発行した200の預かり証(金匠手形)の内、100は実際のところ貸しているものなので金利が付く。
金利込みで全部が返ってくれば130くらいになるとする。
200の預かり証(金匠手形)を発行していて130の預かり証(金匠手形)が実際には金貨を持っていない人から戻ってくるとするならば、30の金貨は金匠のものとなる。要するにそれが儲けとなる。

借金した人が返済した預かり証の額 100+30(金利)=130
金貨を預けている人の預かり証の額 100-30=70

その30は、お金の無かった人(金貨がなくて借りた人)がお金持ち(金貨を持っていた人)から奪った預かり証(金匠手形)と言えるのだ。
奪ったというのは文字通り強奪ということもあるかもしれないが、一般的には市中にて商売か何かでお金の無かった人(金貨がなくて借りた人)が儲けたことを意味する。
要するにお金(金匠手形)の所有者が移ったのだ。これも「金は天下の回り物」ということになる。

高利貸しというと他人の不幸に付けこんで自分ばかりが得をする悪いイメージしかないが、初期にはお金を持っていなかった人にもお金を貸してあげてお金を得る(奪う)チャンスを与えるという意味合いもあった。
そうでもしなければなかなか価値あるお金は動かない。
借りた人が借りた分+金利以上に儲けることが出来れば、借りた人と高利貸しはwin-winの関係となるのだ。

でも借りた人が借りた分+金利以上に儲けることはなかなか難しいので、高利貸しが他者の力を利用して自分だけが儲かるか、借りた人も高利貸しもぱっとしないという結果を招くことが多かった。





by yumimi61 | 2018-01-28 18:24
ナチスのヒトラー政権はドイツの経済を好転させた。彼らはメフォ手形と呼ばれる為替手形方式によって資金調達をしていた。

お金の代わりとして企業間取引などに使われる有価証券の一種に「小切手」と「手形」がある。
どちらも金額や日付といった必要事項を記入して支払う側が振り出す(発行する)。
所定の支払い金額の支払いを約束した証券で商品代金の決済などに用いられ、当座預金(ゆうちょの場合は振替口座)を開設している場合に利用できる。
個人でも郵便局などで小切手を換金したことがあるという人がいるかもしれないが、小切手と手形が大きく違うのは換金できる時期である。

「小切手」はすぐに現金と交換できる。
要するに小切手を振り出す(発行する)側は、当座預金口座(振替口座)に最低限その金額以上のお金が入っていないといけない。

一方の「手形」は支払期日が2,3ヶ月先になる。
手形を受け取っても、その期日以降にならないと現金に交換することはできない。
支払う側からすれば、今は当座預金口座(振替口座)に必要金額がなくても期日までに入ってくるお金をあてにして決済することが出来る。
もし支払人(振出人・債務者)が期日までにお金を用意できなければ受取人(債権券者)への支払いは行われない。これを「不渡り」と言う。
2回不渡りを出すと金融機関から取引停止となり事実上倒産する。1回の不渡りであったとしても金融機関や取引先からの信用を失い、その先の信用取引が難しくなる。
それを回避するために、受取人(債権者)の承諾を得た上で、満期を延長し満期を先延ばしする方法がある。これを「手形の更改」「手形のジャンプ」と言う。
受取人の承諾が得られなければ出来ないし、受取人が手形を金融機関に対し手形の呈示する前に行わなければならない。
ドイツでは3ヶ月の手形を5年まで延長していた。

手形には2種類ある。日本で発行される手形はほとんどがシンプルな①の約束手形。ヒトラー政権が行った方法は②の為替手形。
①「約束手形」
振出人(支払人・債務者)が受取人(債権者)に対してお金を支払う約束をする形式。
②「為替手形」
受取人(債権者)が別の取引で振出人(支払人・債務者)になっている場合などに、別の取引の受取人(債権者)を引受人として、振出人(支払人・債務者)にそちらににお金を支払ってもらう形式。


小切手や手形は売買代金の受払いや資金の移動を現金を輸送することなく行う手段の1つである。移動していくのは紙である。(紙幣も紙であることに変わりないが、紙幣と有価証券では流動性が違うのだ。小切手や手形の取引に応じるということは移動時の安全を確保するために流動性を少しだけ手放したということになる)
現金輸送は危険が伴うので、小切手や手形は遠隔地の取引に便利なものであった。日本の為替という言葉も元々は小切手や手形と同じ意味であった。昔は支払人と受取人の間に入ったのが両替商なので替という字がある。
郵便局では今でも普通為替と定額小為替を利用して全国各地へ簡単な手続きでお金を送金することも出来る(為替を発行して相手にお金に替えてもらう方法)。
銀行にも送金為替なるものがあるが、現代では銀行振込や口座引落しなどのコンピューターシステムが発達していて直接現金を送ったり渡すということはめっきり減った。しかしこの振込や口座振替も為替取引の一種である。
外国との取引には通貨の交換が伴うため、これが為替レートという言葉に繋がっている。


手形の発祥はイタリアだと言われている。
シチリア(イタリアに統一されたのは1860年)には10世紀にすでに両替商が存在した。
昔の両替商は単に両替するだけでなく非常に鋳貨に通じており現在の銀行業務のようなことも行っていた。
難しく幅広い専門知識を有し確実に儲かる商売でもあった。

5世紀頃よりシチリアを支配していたのはゲルマン民族や東ローマ帝国であったが、9世紀(827年)になると北アフリカからイスラム勢力が侵攻し、イスラムの支配が12世紀まで続いた(1130年まで)。
11世紀には地中海貿易の最も重要な中継地として栄えていた。
やがてイタリアのほとんど全ての都市にギルド(商人組合)として結びついた両替商が登場した。これらの両替商は教会前の広場で店を広げた。

12世紀にシチリアに進出しイスラム支配から解放したのはノルマン人(北方ゲルマン人)。
これによりシチリアでのイスラム商人の地中海貿易独占権は崩れ、ヴェネツィアが台頭してくる。
後にヨーロッパ(キリスト教世界)の経済を握ったヴェネツィアには各地から商人が集まった。銀行の為替業務が世界で初めて誕生したのはヴェネツィアであった。

イスラムでは利子を禁じている。
ムスリム(イスラーム教徒)は、リバー(利子)を取って金銭を貸すことを禁止するクルアーンの言葉に従い、シャリーア(イスラーム法)において利子の取得を禁止されている。したがって、基本的に無利子の金融機関として運営される。現代の世界金融市場の主役の一つとなっているヘッジファンドや、先物取引のような金融システムは、イスラムにおいては基本的に認められない。

期日前に手形を現金化してもらうのが割引手形。
手形保有者の受け取り額は期日までの日数に応じて少なくなる。現金化に応じた人は少し得をする。
つまりその部分が利子の性質を持つ。
従ってイスラム教が力を持っていた中世ヨーロッパにおいては利子の性質を持つ割引手形の導入は難しかった。
13世紀~14世紀頃にイタリアに存在した割引手形は、「期日前に現金化したい」という資金調達目的で行われるものではなく、「支払いは早いほうがよい」という支払いを促す目的で行われた。
しかし目的は違えど結果は同じなのでイスラム教では合法か違法か問題になった。
イスラム教とユダヤ教・キリスト教の間の高い壁というか深い溝というかは、「割引手形」にも見ることができるのだ。






by yumimi61 | 2018-01-26 18:27

連字/RestHouse

by yumimi61 | 2018-01-23 19:31
ドイツでは世界恐慌後に失業者が増加し、1932年初頭より労働者雇用政策の財源を手形によって調達することにした。
これはナチスのヒトラーが政権を取る前の出来事である。またドイツの中央銀行総裁であるシャハトが総裁職から離れていた時期にあたる。

しかしながらヒトラー政権でもこれと同じような手形による調達が行われたと言われている。
但し前記事でも引用した通り、財政関係文書の多くは1945年の敗戦に伴う混乱の中で焼却されたか散逸してしまったため、このあたりの経緯は必ずしも明確ではなく、追跡も困難である。
従って次の文章もどこまで正確なのかは分からない。

1933年6月上旬、シャハトを中心とする少数の指導者によって、メフォ手形の創出が決定された。
1933年8月15日、クルップ、ラインメタル、シーメンス、グーテホフヌンクの4企業がそれぞれ25万ライヒスマルクを拠出し、有限会社・冶金研究協会(ドイツ語: Metallurgische Forschungsgesellschaft m.b.H.、略称:MEFO)が創立された。この会社の役員会はライヒスバンク、国防省、航空省の代表それぞれ一名ずつで構成されており、早速手形の振り出しが開始された。この手形は冶金研究協会の略称MEFOに基づいてメフォ手形と呼ばれる。

この仕組みは、国防省からの受注を行った企業が手形を振り出し、冶金研究協会が引受人となり、ライヒスバンクが再割引を保証し、ライヒ政府が支払義務を負うものであった。また、最初の手形にくわえて、3ヶ月の延長手形が複数枚発行された。手形の仕組み自体は雇用創出事業の際に取られたものと変わりないものの、支払保証のための国庫証券の発行も行われず、秘密保持のために手形の償還額が予算に計上されることはなかった。

償還開始時期は延長手形によって延長することが出来るが、その時期は1939年第一四半期を超えないこととされた。


この手形方式を昨日書いたものに当てはめてみる。

・事業が行われる時の関係
 政府・公共団体(発注)(代金支払い)(債務者)→企業(受注)(代金受け取り)(債権者)

・しかしそれらの企業は有限会社・冶金研究協会に借金があった。
企業(公共金融機関にお金を借りた側)(債務者)←→有限会社・冶金研究協会(融資した側)(債権者)

・お金の流れを大きく見ると
政府・公共団体(支払人)→企業(手形振出人)→有限会社・冶金研究協会(手形所有)

・企業に入ってきたお金はどうせ有限会社・冶金研究協会に返すお金になるのだから、手間を省いて政府・公共団体が直接有限会社・冶金研究協会に支払うようにする契約を結んだ(為替手形)。

企業(手形振出人)
政府・公共団体(支払人)→有限会社・冶金研究協会(受取人)(手形所有)

・再割引を中央銀行であるライヒスバンクが保証している。
政府・公共団体(支払人)→中央銀行(受取人)(手形所有)


注目すべきは「有限会社・冶金研究協会」。
1933年8月15日に創立された新しい会社だから、政府から事業を受注した企業が以前から冶金研究協会から借金していたはずがない。新たにと言っても金融機関でもない新しい会社に融資能力がそれほどあるとは思えない。
要するにこれはマネー(手形)ロンダリングのためのダミー会社(ペーパーカンパニー)である。
手形を中央銀行に回すための手段。

但しこの方式だと政府から事業を受注した企業には一銭もお金が入って来ない。
企業が民間企業であるならば、すでにある借金を帳消しにしてくれるなど何かメリットがなければ、事業を受ける理由がまるで無い。
でも国営企業ならばこの方式でもやっていける。
人件費や事業運営費など経費を国が保証さえすれば、とりあえずは利益を出す必要はないからだ。

ヒトラー政権で行ったメフォ手形における調達の利点は、余分なお金(企業利益部分にあたる)が世に出ることがないこと。
国営企業ならば国家が雇用を直接コントロールできるし、国民の生活費を国営企業の給与という形で保証してあげることができる。そこそこの生活費であるならば無暗に消費拡大を招くこともない。
堅実な国民性を特色とするならば不平不満も大きくなりにくい。
要するにインフレを招く恐れが無い。


手形も国債もお金を一時的に借りている状態である。時期が来たら支払わなければならない。
でも相手が政府と親密な中央銀行であるならば融通が利くはずであるということを前述した。
融通はそれなりに利く。しかし一番問題となるのは返済時期の国家予算に支払額が乗せられるかどうかである。
裏で手を回せても、表の予算に乗せられないということは、支払い能力がないと見做されるということである。
支払金額を積み立てていたり国家経営が常に黒字ならば捻出できるが、常にトントンや赤字である場合には何かの予算を大幅に削らなければ支払額を捻出できない。
その削減が現実的でないとするなら、新たに借金する(自転車操業)か借金を踏み倒す(返済拒否)か有事(戦争や恐慌)で有耶無耶にしてしまうか激しいインフレを起こして紙屑にしてしまうくらいしか選択肢はなくなる。


手形は国債と違って短期である。
メフォ手形の償還期限は3ヶ月だった。多少支払は遅くなるが赤字国債のような単なる借金というよりは事業の費用という意味合いが強い。
要するに国の年間予算に乗せておかなければいけないようなものである。上にも書いた通り、予算上にその枠が確保できるかどうかが重要である。国会があるならその事業費が認められるかどうかということも大事。実際に支払えるかどうかよりも(実際の支払いは中央銀行とつるめばなんとかなる)。
メフォ手形は償還期限がくると自動的に3ヶ月延長され、5年まで延長を繰り返すことができた。結局5年満期のようになってしまっていたということ。
1933年下半期から開始されたメフォ手形が5年満期を迎えるのは1938年下半期。本格的に支払いが積み重なってくるのは1939年からといったところであろう。その1939年に第二次世界大戦は勃発した。








by yumimi61 | 2018-01-22 13:59
ナチスは世界恐慌後の最悪な経済状態の中で政権を握った。
オーストリアのロスチャイルド系の銀行の破綻(閉鎖)を機にドイツの全銀行を閉鎖。連鎖的に企業が倒産し、ドイツ経済は壊滅的状態となり失業率は40%にも達していたという。


世界恐慌は1929年から始まった。
オーストリアのロスチャイルド系の銀行の破綻(閉鎖)は1931年5月。
ヒトラー内閣が成立したのは1933年1月30日。

世界恐慌後の失業者増加に対し、ライヒ政府(ドイツ政府)には抜本的な対策が要求する声が殺到していた。しかし財源不足な上に、資本市場が停滞している状況では公債発行もままならなかった。
1932年初頭より、政府内部では労働者雇用政策の財源を手形によって調達することが検討されはじめ、9月に発表されたパーペン計画、1933年1月に決定した緊急計画において採用された。
具体的には政府・公共団体が発注した事業を受注した企業が、公共金融機関を引き受け手とする手形を振り出し、ライヒスバンクが再割引を保証し、銀行または銀行団が割引き、期間内にライヒスバンクがこれを決済するというものであった。


・事業が行われる時の関係
 政府・公共団体(発注)(代金支払い)(債務者)→企業(受注)(代金受け取り)(債権者)

・しかしそれらの企業は公共金融機関に借金があった。
企業(公共金融機関にお金を借りた側)(債務者)←→公共金融機関(融資した側)(債権者)

・お金の流れを大きく見ると
政府・公共団体(支払人)→企業(手形振出人)→公共金融機関(手形所有)

・企業に入ってきたお金はどうせ公共金融機関に返すお金になるのだから、手間を省いて政府・公共団体が直接公共金融機関に支払うようにする契約を結んだ(為替手形)。

企業(手形振出人)
政府・公共団体(支払人)→公共金融機関(受取人)(手形所有)

・手形には支払い期日が定められている。すぐに支払いが行われないので金利が乗る。しかし手形所有者が期日前に現金が欲しくなった場合(資金調達したい場合)に割引手形として売ることが出来る。手形所有者が手にする現金は期日までの残りの日数の金利分を引いた額である(満額よりも少し安くなってしまう)。

・割引手形を手にした新たな手形所有者に対して期日に支払人より満額が支払われる。(買った額より受け取り額のほうが多い。少し得をするということ)

・割引手形がさらに売られる場合を再割引と言う。上記の場合、再割引を引き受けるのが中央銀行であるライヒスバンクとなっている。
中央銀行が銀行に現金を渡して、手形所有者が中央銀行となる。
ということは政府・公共団体(支払人)が支払う相手は中央銀行となる。

中央銀行がこれに応えるには銀行に支払うために中央銀行自身が現金を持っている必要がある。(あるいは中央銀行が所有している債券などを売って現金化する必要がある)
また国からの支払いがきちんと行われるのであるならば、国の借金であることに変わりない。
しかしながら中央銀行と政府が親密な関係であるならば何かと融通が利く。
中央銀行は紙幣が発行できる銀行なので、紙幣を幾らでも作り出すことが出来る。
やろうと思えば何でもできるが問題は帳簿をどのように辻褄合わせするかということ。他人の目(他国)をどのように欺くかということに尽きる。
国家の信用に関わることだからだ。
国債でも同じことである。
皆で不正をする、言うなれば「赤信号みんなで渡れば怖くない」という論理も一理あるが、お金の性質や時間の連続性、不正規模が大きくなることを考えれば、必ずどこかに、必ずどこかで、そのしわ寄せがやってくるはずだ。


ヒトラー内閣成立後の雇用計画でも踏襲され、1933年3月の緊急計画の拡大、6月1日の第一次ラインハルト計画、9月21日の第二次ラインハルト計画でも手形による資金調達が行われた。
帝国宰相アドルフ・ヒトラーはかねてから再軍備を唱えていたが、1933年2月9日の政府委員会において緊急計画は再軍備を実行するために最適のものであり、軍備を政治的に偽装する手段であると言明した。このため雇用創出計画が再軍備に流用されたという説も唱えられている。
1937年までの財政関係文書の多くは1945年の敗戦に伴う混乱の中で焼却されたか散逸してしまったため、このあたりの経緯は必ずしも明確ではなく、追跡も困難である



第一次世界大戦賠償金の変遷と世界恐慌、ドイツの手形による資金調達までの流れを見ておきたい。

●1919年 パリ講和会議・・1200億マルク

●1919年 ヴェルサイユ条約・・200億マルクの物資・金、債券400億マルク、賠償金総額については賠償委員会に委任。

●1920年6月 賠償委員会・・2690億マルク
分配率ーフランス52%、イギリス22%、イタリア10%、ベルギー8%、日本0.75%、ポルトガル0.75%、残り6.5%は協定非署名国のため留保。
ドイツが賠償支払いを履行しない場合にはルール地方またはドイツ全土の占領が定められた。⇒不履行で占領

●1921年5月 賠償委員会(最終決定)・・1320億マルク(約66億ドル、純金47,256トン相当)を外貨にて30年間に亘る年払い。賠償支払い監視のための補償委員会をベルリンに設置。
⇒以後、マルク暴落、過度なインフレ進行

●1924年ドーズ案・・1年目は10億マルク、5年目以降は25億マルク、それ以降は経済状況によって判断。
ドイツは賠償金を外貨ではなくてマルクによって支払えばよい。賠償受け取り国が両替する。
賠償金支払いのための公債を募集し、それによってドイツに長期融資する(ドーズ債)。ドーズ債はアメリカを中心とした米欧で引き受けた。
ライヒスバンク(ドイツ中央銀行)を改組し、政府からの独立性を高めた。審査機関である評議会の半数を外国人が占め、ドイツ金融への監督を強めた。

●1929年世界大恐慌・・ドイツの蔵相は財政均衡を保つために外債を発行しようとし、アメリカの銀行がこれに応じようとしたが、ドイツの中央銀行総裁であるシャハトが赤字は租税で賄うべきと反対を表明。シャハトは1930年にヤング案にも反対し中央銀行総裁職を辞職した。

●1932年ヤング案・・賠償残額を358億マルクと決定。外貨にて59年に亘る年払い。(最初の37年間は平均19億8800万マルクとドーズ公債融資の元本を合わせて20億5000万マルク、残りの22年間は16億から17億ライヒスマルクを支払う)
国際決済銀行創設決定。賠償金は国際決済銀行がドイツ政府から徴収し、債権国の中央銀行に分配する形式が取られることとなった。
⇒この頃すでにドイツはアメリカ資本で支配されていた。
 ドイツでは国民投票が行われたが、94.5%の圧倒的多数の賛成によりヤング案は批准された。
⇒「ドイツ国民奴隷化法案」であるとして右派が反発。ナチスもここに含まれ、ナチスの台頭の一因となった。
⇒ヤング案制定に関わり、国際決済銀行構想を提案したのはドイツ中央銀行総裁シャハトだったが、国際決済銀行構想の矮小化に反発したシャハトはヤング案の反対に向かった。彼はドイツ民主党の共同創設者(1918年)であるが、1926年にドイツ民主党の左派寄り・リベラル志向を倦厭するようになり、同党を離党し、右派であるナチス(労働党)に接近するようになった。

●1933年7月・・ヒトラー政権が賠償金の支払いを拒否。
再開されたのは戦後ということだが、このあたりも何となく有耶無耶になっている気がしないでもない。
シャハトはヒトラー政権で再び中央銀行総裁となり(1923-1930、1933-1939)、一時期は経済相(1934-1937)も兼任したが、しだいにヒトラー政権とも意見が合わなくなってくる。


ドイツの賠償金は金額の多さも然ることながら外貨で支払わなければならないことがドイツにとって大きな痛手であった。(賠償額はヤング案で減額された)
自国で作れない外貨は外の市場に求めなければならないので、市場を巡る闘争が不可欠となってくる。外貨を稼ぐには貿易収支を自国に有利な状況にしておきたい。
ケインズが主張していた「各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現」することはなかなか厳しい状況となる。
1921年後のインフレは外貨を調達(外貨と交換)するために自国通貨を大量に放出(増幣)したことによって起こったものである。
インフレは世界経済にとって健全な状態ではないので(投機家にとっては歓迎すべきものかもしれないが)、ドーズ案ではマルクでの支払いが許された。
だが世界恐慌で再び状況が変わり、ヤング案では外貨支払いに戻った。そのヤング案に反対していたのがナチスであったり、当時ドイツの中央銀行総裁だったシャハトだった。彼らは外債も嫌った。外国資本が大きくなると国の経済が外国に支配されていってしまうからだ。
だが彼らが手形という形で増幣させていたならば、結局のところ同じような結果を招くことになる。


ドイツはナチスのヒトラー政権になってからあっという間に景気回復したという話を先に書いたが、ヒトラー政権は発足半年後に賠償金の支払いを拒否している。
賠償金分を投資に回せると考えれば景気回復はある意味当然である。
同時に賠償金支払いさえなければ景気がすぐに回復し失業者を減らせるような素地がドイツに存在していたことも確かであろう。
ただここでも痛かったのが外貨不足である。
資源や食糧が自国で完全に調達できる国ならばよいが、そうでない場合、どうしても輸入に頼らなければならない。そうなると外貨が必要となる。
賠償金の支払いを拒否したくらいだから対外的に円満とは言えない。心証を悪くしたり経済制裁的なものがあったりして、外貨を稼ぐことも資源や食糧を輸入することも難しくなる。世の中、上手く出来ていると言うか上手くいかないと言うか。
さらに悪いことにドーズ案の時に外国から借金している(外債)。せっかくマルク支払いが認められても外貨を借りたら元の木阿弥。
長期融資であっても利子の支払いは毎年行われるわけだから、それなりに外貨が必要となってくるし、満期時にはまとまった外貨が必要となる。








by yumimi61 | 2018-01-21 17:24
国民というものは基本的に好戦的なんだそうである。
好戦的という性質を活かして国民を戦争に仕向けることは容易いことだという。
人々のオリンピック好きや国際試合好きを見ればなんとなく納得できる。
しかしそれ以上に扇動という作業を容易にするのは、経済的な理由なんだそうだ。
近代の戦争の原因はもっぱら経済が原因となっているとかで、原因を具体的に言うと人口圧迫と市場の奪い合いや市場競争。

一般に,人口圧は人口密度に比例しており,人口密度が高いほど人口圧が高くなる。ある国の人口圧が高くなると,国内の食糧不足や労働力の過剰を招き,生活空間を外に求めて出移民が多くなる傾向がある。しかし,人口圧には心理的・社会的側面もあり,同じ人口密度であっても人々の感じる圧迫感は異なるなど,正確にそれを測定することは困難である。

人口圧迫については後で改めて書きたいと思っている。

ケインズが『一般理論』において戦争の原因について述べているのは、最後の巻(第 VI 巻:一般理論が示唆するちょっとしたメモ)の最後の章(第24章 結語:『一般理論』から導かれそうな社会哲学について)の終盤である。
そこに戦争を置いた意味は重いと思う。
戦争の原因となるのは経済、ではその解決策はあるんだろうか。

前章で、十九世紀後半に主流だった国内のレッセフェールと国際的な金本位制のシステムでは、政府が国内の経済停滞を緩和する手段として、市場を求めて争う以外に手がなかったと指摘しました。というのも国にとって、慢性的または間歇的な失業を緩和できるあらゆる手段が排除されており、残った手段は所得勘定上の貿易収支の改善だけだったのですから。

レッセフェールは自由放任主義のこと。
1800年代後半の経済システムでは、政府は経済停滞を緩和する手段をほとんど持っていなかったという。
唯一の手段は貿易黒字化。すなわち国外に新たな市場を開拓することである。その争奪戦が戦争に発展することもあった。

『一般理論』が刊行された1936年の世界は、第一次世界大戦を経験している。
1919年、ケインズは、第一次世界大戦後にドイツに課せられた莫大の賠償金を批判していた。
ケインズはイギリス代表として委員会に参加すべき立場の人物であったが、最初から多額の賠償に消極的であったため参加できなかった。後に参加するが意見があわず抗議の意味から途中で帰国してしまったほど。
最も重大な問題は、政治や領土的問題ではなく、金融および経済に関するものであったのに、そのことを理解していない。また将来の危険は国境や主権にあるのではなく、食糧や石炭や運輸にある。そのことを理解していれば ヨーロッパは異なった将来を予想しえたであろうと首脳達を批判し、現実的にドイツの賠償支払いは著しく困難であると警告していた。

第一次世界大戦前のドイツの発展が脅威だったのは、国際金融資本に依拠していなかったからだ。つまり国際金融資本サイドにとってドイツは脅威だった。
国際金融資本は国際銀行家と言ってもよい。ロスチャイルドだったりロックフェラーだったりモルガンだったり、もっと古くから存在する財閥もある。
ユダヤ金融と言われることもある。
戦勝国であったイギリスもフランスもアメリカもみなその影響下にあった。
戦争に負けたドイツには支払い能力を優に超えた賠償金が課せられた。
イギリスやフランスは戦費調達のためアメリカから多額の借金をしていたため賠償金をもらわないと自国が苦しくなるという事情があった。アメリカが借金を帳消しにしてくれれば、ドイツの賠償金を安くしてもよいとの条件をイギリスなどは出したがアメリカはその提案を呑まなかった。
陸続きの隣国フランスは相も変わらずドイツが脅威であり金銭的に徹底的に叩いておきたいという事情もあった。
そんな中、第一次世界大戦後のケインズはどちらかと言えばドイツの味方であった。
ナチスの反ユダヤも本を正せば反国際金融資本なのである。
ケインズもはっきり言っているわけではないが、突き詰めて考えればそうとしか思えないニュアンスのことを書いている。
(ナチスは「共産主義はユダヤの陰謀である」と主張していたということだが、後世に於いては「ナチスがユダヤの陰謀だった」と主張されることもある)


経済学者たちは現在の国際制度について、国際分業の果実を準備しつつ各国の利益を調和させているのだ、と賞賛するのに慣れていますが、その奥にはそれほど優しくない影響が隠されているのです。そして各国の政治家たちは、豊かな老国が市場をめぐる闘争を怠るならば、その繁栄は停滞して失速すると信じておりますが、それは常識と、事態の真の道筋に関する正しい理解であり、それが彼らを動かしているものなのです。
でも各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現できることを学習すれば(そしてまた付け加えなければならないのは、彼らが人口トレンドで均衡を実現できれば、ということです)、ある国の利益を隣国の利益と相反させるよう計算された、大きな経済的な力は存在しなくてすみます。
適切な状況下では、国際分業の余地もあるし、国際融資の余地も残されています。でも、ある国が自分の製品を他の国に押しつけなければならない火急の動機はなくなりますし、他国の産物を毛嫌いする理由もなくなります(しかもそれが買いたい物を買う金がないからというのではなく、貿易収支を自国に有利に展開するため収支均衡をゆがめたいという明示的な目的のために行われることはなくなります)。 国際貿易は、今のような存在であることをやめるでしょう。
今の国際貿易は、自国の雇用を維持するために、外国市場に売上げを強制し、外国からの購入は制限するというものです。これは成功しても、失業問題を闘争に負けた近隣国に移行させるだけです。でもそれがなくなり、相互に利益のある条件で、自発的で何の妨害もない財とサービスの交換が行われるようになるのです。


これが書かれてからすでに80年も経っているが、「今の国際貿易」に関する記述は全然古くなっていない。
ということは、ある国の利益を他国の利益と相反させるよう計算された大きな経済的な力は今も存在するんだろう。
貿易収支を自国に有利に展開するため収支均衡をゆがめたいという明示的な目的のために、自国の産物を押し付け、他国の産物は毛嫌いするということもある。
国産兵器なんて聞けば喜びは何倍かになるらしいことを、私達は日々見聞きすることも出来る。


ケインズが述べた解決策は、次の通り。
各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現できることを学習すれば(そしてまた付け加えなければならないのは、彼らが人口トレンドで均衡を実現できれば、ということです)、ある国の利益を隣国の利益と相反させるよう計算された、大きな経済的な力は存在しなくてすみます。

ナチスは自国政策によって完全雇用を実現した。
しかし・・・。

1936年のケインズの『一般理論』は次の文章で締められた。

 こうした発想の実現は非現実的な希望なのでしょうか? 政治社会の発達を律する動機面での根拠があまりに不十分でしょうか? その発想が打倒しようとする利権は、この発想が奉仕するものに比べて強力だしもっと明確でしょうか?

 ここではその答を出しますまい。この理論を徐々にくるむべき現実的手法の概略を述べるのでさえ、本書とはちがう性質の本が必要となるでしょう。
でももし本書の発想が正しければ——著者自身は本を書くときに、必然的にそういう想定に基づかざるを得ません——ある程度の期間にわたりそれが持つ威力を否定はできないだろう、と私は予言します。
現在では、人々はもっと根本的な診断を異様に期待しています。もっと多くの人は喜んでそれを受け入れようとし、それが少しでも可能性があるようなら、喜んで試してみようとさえしています。でもこういう現代の雰囲気はさて置くにしても、経済学者や政治哲学者たちの発想というのは、それが正しい場合にもまちがっている場合にも、一般に思われているよりずっと強力なものです。
というか、それ以外に世界を支配するものはほとんどありません。知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です。虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文書き殴り学者からその狂信的な発想を得ているのです
。こうした発想がだんだん浸透するのに比べれば、既存利害の力はかなり誇張されていると思います。もちろんすぐには影響しませんが、しばらく時間をおいて効いてきます。というのも経済と政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。









by yumimi61 | 2018-01-19 20:11
個人にまかせるという古典経済学の特徴である自由放任主義は、意思決定の分散化と個人の責任による効率性の良さが最大の利点である。
個人主義の欠点や濫用を防ぐことが出来るならば、間違いなく個人の選択肢が広がり、人生の多様性を守ってくれるシステムである。
この多様性は、全世代において、最も安全で且つ成功した選択を内包しているが、その安全と成功はやがて「伝統」になる。
個々人が伝統に縛られだすと、強制されなくても自由というものは失われやすい。皆が同じ伝統を目指そうとするからだ。
しかしながら人間は大いに気まぐれである。その気まぐれさが意思決定の分散化に大きな役割を果たしている。果たしてはいるが計算や信念によるものではなく単に気まぐれなのである。
長所は行き過ぎれば短所に変わる。

政府機能の拡大を行い、消費性向と投資誘因それぞれの調整作業を実施するというのは、十九世紀の政治評論家や現代アメリカの財務当局から見れば、個人主義への恐るべき侵害に見えるかもしれません。私は逆に、それが既存の経済形態をまるごと破壊するのを防ぐ唯一の実施可能な手段だという点と、個人の発意をうまく機能させる条件なのだという点をもって、その方針を擁護します。

ケインズは個人主義改め巨視的なマクロ経済学の推奨へと転換した人物である。政府機能を大きくすべきと主張している。言い換えれば大きな政府である。
ケインズは自身の主張が「個人主義への恐るべき侵害」と反発されることも予想している。
しかしこのままいけば、既存の経済形態はまるごと破壊され、個人の意思決定も怪しくなるとみていた。


時代的にも手法的にも、ケインズのマクロ経済学への転換は、どうしてもドイツにおけるナチスの台頭とオーバーラップしてしまう。

ナチスは世界恐慌後の最悪な経済状態の中で政権を握った。
オーストリアのロスチャイルド系の銀行の破綻(閉鎖)を機にドイツの全銀行を閉鎖。連鎖的に企業が倒産し、ドイツ経済は壊滅的状態となり失業率は40%にも達していたという。
そのような状態だったのにあれよあれよという間に経済回復させたのがヒトラー率いるナチスだったのである。1937年には完全雇用を達成している。

ナチズムにおいては「アーリア人種こそが世界を支配するに値する人種である」というアーリア至上主義が用いられ、その中でも容姿端麗で知能が高く、運動神経の優れた者が最もアーリア人種的であるとされた。この思想を肯定する右派の政治結社トゥーレ協会やゲルマン騎士団などが党黎明期より大きな権威を持っていた。 また、頭脳の優れた超人こそが大衆を支配すべきだと信じられ、超人を生み出すために数々の人体実験を行った。
一方、反ユダヤ・反ロスチャイルド主義が強固であり、ウィーンのロスチャイルド家はオーストリア併合の際にナチスの家宅捜索を受け財産を没収され、アメリカへ亡命を余儀なくされることになる。
また、共産主義はユダヤの陰謀であると主張し、東方生存圏の構想へと結びつくことになった。これらがニュルンベルク法やホロコーストに繋がったのである。


驚異的な回復であったため、ナチスは経済分野において高い能力を示したと評されることもあるし、回復はしたもののナチスの経済政策は理論に支えられたものでは無かったと言われることもある。
つまりどうしてそんなに急激にドイツの経済を回復できたのか、その背景が良く分かっていないということなのだ。
今までの理論は古典経済学だったわけであり、ナチスが政権を握った時にはまだケインズのマクロ経済学は発表されていないのだから、その理論が見る側の目に入っていなかったと考えることもできる。

経済におけるナチズムのイデオロギーは不鮮明である。結党時からのメンバーで25カ条綱領の策定にも携わり、党の経済委員会の座長を務めていたゴットフリート・フェーダーは「利子奴隷制の打破」や「企業の国有化」、「国際金融資本との戦い」を持論としていた。ヒトラー自身も「我が闘争」においてフェーダーの主張を一部取り入れているが、同時に「国家は民族的な組織であって経済組織ではない」「国家は特定の経済観または経済政策とは全く無関係である」とも述べており、統一的なナチス経済政策というものは存在しなかった

ヒトラーは「私たちの経済理論の基本的な特徴は私たちが理論を全然有しないことである」と言っているように、『我が闘争』で展開している自らの経済観が事実上マルクス経済学に依拠していても気づかないほど経済学に疎く、当初訴えていた政策は「ユダヤ人や戦争成金から資産を収奪して国民に再配分する」という稚拙なものだった。またナチ党の経済理論家であったゴットフリート・フェーダーやグレゴール・シュトラッサーは早い段階で失脚しており、影響を与えることはできなかった。



1933年2月1日、ヒトラーは4年以内に「経済再建と失業問題の解決」を実現する「二つの偉大な四カ年計画(ドイツ語: Vierjahresplan)によって、わが民族の経済を再組織するという二つの大事業を成功させる」と発表した(第一次四カ年計画)。
公共事業、価格統制でインフレの再発を防ぎ、失業者を半減させた。

1936年8月26日にヒトラーは第二次四カ年計画を開始させ、経済省から独立した四カ年計画庁が経済面において大きな権力をふるうことになった。第二次四カ年計画により、1937年には人員需要が失業者を上回り、ほぼ完全雇用が達成された。


実はヒトラーは大の自動車好きだったという。
自動車王国と言えば、日本・アメリカ・ドイツだと思うが、これらの国は先進工業国であり技術大国と言われる国である。(もっとも最近は韓国や中国の台頭が著しいが)

カーマニアでもあるヒトラーの経済政策は余り芳しくなかった自動車生産を急激に伸ばさせ、ドイツの自動車産業を経営不振から脱却させたことで知られる。
1933年にヒトラーはベルリン自動車ショーでアウトバーンの建設を発表し、自動車税が撤廃された。インフラストラクチャー開発の中で道路工事が特に盛んだったことや戦争準備で軍隊及び物資をすぐに運べる最新式の道路網を必要としていたこともあり、クルップやダイムラー・ベンツ、メッサーシュミットなどの軍需企業の協力を得て、アウトバーンの建設を加速し、フォルクスワーゲン構想を推進させた(フォルクスワーゲンの車が大衆に普及したのは戦後だが、自動車生産の基盤はナチス政権時代に整った)。




今日の権威主義国家体制は、失業問題を解決するのに、効率性と自由を犠牲にしているようです。確かに世界は、現在の失業を間もなく容認できなくなるでしょう。その失業は時々短い興奮の時期を除けば、今日の資本主義的な個人主義と関連しており、私の意見ではその関連性は必然的なものなのです。でも問題の正しい分析があれば、その病気を治癒させつつ、効率性と自由を維持できるはずです。

1936年の「今日の権威主義国家体制」とはどこの国や地域を指しているのだろうか。
この時代の権威主義国家体制と言えば、ドイツ・イタリア・日本あたりであろう。
権威主義
自由や平等といった概念が広まった近代以降の支配者は全国民を相手に統治する必要に迫られ、権力の正統性の根拠なしの統治は困難となったため、権威主義的支配体制の維持は難しくなった。
しかし国民主権を基礎にしながらも権威主義が現れる場合もあり、その代表格がナチズムとファシズムであるとされる。
権威主義は被支配者の思考様式であるから民主制の機構を採用している国においても現れることがある。選挙があった戦前の日本の政治体制も権威主義体制に分類する論者もいる。

権威を強調する体制は、権威を軸にしたヒエラルキーを形成してエリート主義を持ち、実質的な権力や階級として固定化する場合もあるが、その権威以外の既存の権力関係(場合により身分、貧富、人種・民族など)を超越または無効ともするため、大衆や従来の被支配層などの広い支持を得る場合もある。


権威体制は、既存の権力関係(場合により身分、貧富、人種・民族など)を超越または無効ともするため、大衆や従来の被支配層などの広い支持を得る場合もある。日本で言えば、江戸時代の権力関係に代わって新たな権威体制を構築したのが明治時代であり、「維新」は今なお熱狂的な支持を得ている。
権威や権力の構造や関係が変わっただけで、それがあることに変わりないのに、権威や権力を嫌ったはずの大衆から熱狂的に支持されることがあるのだ。
ユダヤ人からゲルマン人への転換を図ろうとしたのがナチスドイツである。

ケインズが指しているのはやはり1937年に完全雇用を達成したナチスドイツの事だろうか。
その国は失業問題を解決するのに効率性と自由を犠牲にしているようだと言っている。
だが失業問題が世界的に大きな問題となっているとの認識も持っていて、その問題は資本主義的な個人主義から発生するものであるとも述べているのだ。
要するに手放しに個人主義を歓迎しているわけでもないし、権威主義国家体制を完全に否定しているわけでもない。

さっきさりげなく、新しいシステムは古いものよりも平和をもたらしやすいかもしれないと述べました。その側面を改めて述べて強調しておく価値はあるでしょう。

戦争にはいくつか原因があります。独裁者のような連中は、少なくとも期待の上では戦争により楽しい興奮が得られるので、国民たちの天性の好戦性を容易に煽れます。でもこれを超えたところでは、世間の炎を煽る仕事を手助けするのが、戦争の経済的な要因、つまり人口圧と市場をめぐる競争的な戦いです。十九世紀に圧倒的な役割を果たしたのはこの第二の要因だし、今後もそうなるかもしれません。こちらの要因がここでの議論の中心となります。












by yumimi61 | 2018-01-18 15:31
前にも書いたが、自分が売りたい時に売りたい価格で売れやすいものほど「流動性が高い」と言う。
人々ができるだけ流動性の高いものを保有したがる性質のことを「流動性選好」と言う。人間は基本的に流動性選好を持っている。
一番流動性が高いのは貨幣(現金)である。
貨幣(現金・貯金)>債券>株式>物
金利は流動性の高い貨幣を手放すことへの報酬。

では何故人間は流動性の高い貨幣を保有したがるのか?
3つの動機が挙げられている。
①取引動機
個人や事業の買い物や取引において現金が必要となるため。
②用心動機
資産の一部は現金で持っていたいという欲求のため。非常時に備える意味合いも単なる安心の場合もあるが心の安定に繋がる。
③投機動機
投機によって利益を確保するため。その軍資金。

金利はこの流動性選好に大きな影響を与えると考えられている。
金利が下がるとこの3つの動機は大きくなる。それは世間に流通するお金の量が増えることを意味する。
金利低下に続いて雇用増が起こり賃金(国民所得)増大につながる。
国民所得が増えると①が増える。不確実さも増すので②も増える。
組織化された市場がないと③は起こりにくい。
③は投機と書いたが投機(短期の利益追求)と投資(長期予測に基づく)を完全に切り離すことはできない。③が起こらないのは資本不足に繋がる。
そうなると結局のところ国民所得が低下してしまうので、市場が組織化され大衆を動かしたりするが、それが大きくなれば真面目な長期予測はないがしろにされ社会にとって好ましいと状態とはいえなくなる。
また③が大きくなることによって相対的に①②が減少する。経済活動は滞り、不安感は増す。


未知なる未来のことは分からない。計算する方法がないものがほとんど。
さらにお金の動きはああすればこうなるという単純なものではなくて、さまざま要素が加味される。
人間の気まぐれや感情や運に頼ってしまうことも多々ある。
だからどうなるかは実際のところやってみなければ分からない。
実はケインズはそんな身も蓋もないことを長々と述べているのだった。

未来が分からないから、用心動機が増える。
未来が分からないから、自分だけは損をしないようにと皆が組織された市場頼みとなってしまう。
未来が分からないから、長期予測に臨まない。
予測不可能な(予測しない)挙句、変動が多い不安定な市場を、中央銀行の金融政策だけでコントロールするのは無理だろうから、国が投資を直接まとめる責任をもっと負うべきだとケインズは主張する。
お金を回すべきところに回す責任を国が負ったほうがよいという考えである。
この考えがマクロ経済学に繋がった。

短期の変化が長期期待状態に与える影響の重要性を、金利変化とは別個に、十分に検討してきましたが、それでもやはり少なくとも通常の状況では、投資の量に決定的ではないにせよ大きな影響を与えるものとして、金利に話を戻すべきでしょう。でも、金利管理だけで適切な投資量を継続的にどこまで刺激し続けられるかは、やってみないとわかりません。
 私はといえば、金融政策だけで金利を左右できるかどうか、今ではちょっと疑問に思っています。国は資本財の限界効率を、長期的な視点で一般社会にとっての利益に基づいて計算できる立場にあるのですから、国が投資を直接まとめる責任をもっと負うべきだと私は期待しています。なぜかというと、いままで述べてきた原理に基づいて計算される、各種の資本の限界効率に関する市場推計は、変動があまりに大きすぎて、金利の現実的な変化でそれを相殺するのは無理である公算が高いからです。



日本は現在デフレ脱却と躍起になっているわけだが、デフレとは「流動性の高い貨幣が不足している状態」を言う。
違う面からみると、「物を含めた貨幣以外の財の供給が過剰(貨幣以外の財の需要不足)」ということになる。
簡単に物と貨幣の関係にすれば次のようになる。
●デフレ
 物>貨幣(物の供給が需要に対して過剰か、物に対する需要自体が不足)
 →物余りの状態なので物の値段は下がる
●インフレ
 物<貨幣(物の供給が需要に対して不足か、物に対する需要が過度に過剰)
 →物不足の状態なので物の値段は上がる

でも総需要はそれとは違う。
一定期間内に国内で産み出される物やサービスの総額をGDPと言うが、産み出したもの全てに対して需要があるわけではない。売れ残って処分したり無駄になることだって当然ある。
産み出した全てのものに対し、実際に売れたものを、総需要(有効需要)と言う。
単品の物価変動や有事など非常時には上記のようなインフレやデフレがあてはまるが、平常時に全般的な物価水準が上がると総需要は下がってしまうのだ。
要するに物の値段が上がっているからといって物不足(需要高)とは限らないのである。
物価水準が上がると、同じ金額で買えるものの量が減る。損であるという意識が働く。だから消費を控えるようになる。需要が減るということである。
また物価水準が上がると手持ちの現金では不足が生じて、貯金やら債券やらを現金化する。そういう人が増えれば(現金引き出しが増えれば)金利が上がる。金利が上がると借入コストが増えるので、企業や家計は支出を抑える方向に動く。従って物の需要は減る。

今がデフレという認識で物価水準が低いと言うのならば、総需要は上がっているはずである。
日銀や政府は物価上昇を目標にしているみたいだけれど、物価水準を上げれば今よりも総需要は下がってしまうはずなのだが。











by yumimi61 | 2018-01-16 14:25
組織化された市場で流動的な投機が主流になることの何がいけないのかということを二言で言えば「資本の不足」と「安定の欠如」である。
必要なところ(将来的に価値があると見込まれるところ)に返済不要な資本が行き渡らない。資本がないのだ。あっても安定したものではない。ゆえに腰を据えて創造できない。
創造なきところに待っているのは衰退であろうと思う。あらゆる意味において。
 

安定の欠如、すなわち不安定。
投機がもたらす不安定性が社会を支配すれば衰退に向かうであろう。
もう1つの不安定性は人間の気質から生まれるものであるという。
その気質をケインズはアニマルスピリット(animal spirits)と表現した。
その気質が事業(資産の寿命を通じた見込み総収益を予測する活動)を支えている一方、不安定であるがゆえに社会経済に悪影響を与えることもある。

投機による不安定性以外に、人間の天性が持つ特徴からくる不安定性もあります。人々の積極的な活動の相当部分は、道徳的だろうと快楽的だろうと経済的だろうと、数学的な期待よりは、自然に湧いてくる楽観論によるものなのです。
たぶん、かなりたってからでないと結果の全貌がわからないようなことを積極的にやろうという人々の決断は、ほとんどがアニマルスピリットの結果でしかないのでしょう――これは手をこまねくより何かをしようという、自然に湧いてくる衝動です。
定量的な便益に定量的な発生確率をかけた、加重平均の結果としてそんな決断が下されるのではありません。目論見書に書かれた内容がいかに率直で誠意あるものだろうと、事業はそれに従って動いているふりをしているだけです。将来便益の厳密な計算などに基づいていない点では、南極探検より多少ましでしかありません。
ですから、アニマルスピリットが衰えて自然発生的な楽観論が崩れ、数学的な期待以外あてにできなくなると、事業は衰退して死にます――その際の損失の恐れは、以前の利潤期待に比べて根拠の点では大差ないのですが。



長期予測は極めて困難であるという現実がある。その上、人よりも懸命に働かなければならないし、にも関わらず間違うリスクも高い。奇人変人扱いされて批判にもさらされやすい。目の前のマネーゲームの即効性やスリルや利益を諦める必要もある。
限られた生涯においてそれだけのリスクや負担を負う人間が果たしているだろうか?
普通に真面目に計算高く考えれば、そんな割の合わないことをする人間はいないのだ。でも実際にはいる。
それは数学的な期待によるものではなくて逃れようのない衝動(自然に湧いてくる楽観論)によるものである。根拠のない自信と言ってもよいかもしれない。この衝動をアニマルスピリットと呼んだ。
計算しない動物みたいに馬鹿な奴という意味にも取れるし、動物的本能とも取れる。
ところで野生の動物って計算しないんだろうか?何の計算もなしに厳しい自然の中を生き延びられるものだろうか?
飼い猫がリスクを冒してまでする必要もない狩りや縄張り争いをするようなことだろうか。それともリスクを冒してもする必要があると本能に刻み込まれているからさして理由が無いように思えてもしてしまうのだろうか。

ケインズは南極探検を引き合いに出しているが、私はこの問答を思い出す。

"Why did you want to climb Mount Everest?"
"Because it's there."

日本語ではこう訳される。

「なぜ山に登るのか?」
「そこに山があるから」

イギリスの登山家ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)に向けられた質問と彼の答えである。
エベレストはヒマラヤ山脈の1つ。エベレストという名称は測量士のジョージ・エベレストにちなんで1865年に付けられた。

北極点到達(1909年)および南極点制覇(1911年)の競争で敗れていたイギリスは帝国の栄誉を「第3の極地」エベレストの征服にかけようとしていた。第一次世界大戦の勃発によって計画は先送りになるが、戦争の終結と共に英国山岳会と王立地理学会がエベレスト委員会を組織し、ヤングハズバンドが委員長となって、ここにエベレスト遠征が具体化し始めた。
1921年、マロリーはエベレスト委員会によって組織された第1次エベレスト遠征隊に招聘された。


1922年、第2次遠征隊の一員として当時の人類の最高到達高度の記録を打ちたてたが、シェルパ7名の犠牲を出して登頂は断念。
シェルパはエベレストなどヒマラヤ登山で隊の一員として荷物運搬や案内などを務める人のことで彼ら無くしてはヒマラヤ登山は成立しないとまで言われる。ネパールの少数民族シェルパが担っている。

1924年6月の第3次遠征において、マロリーはパートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したが、北東稜の上部、頂上付近で行方不明となった。マロリーの最期は、死後75年にわたって謎に包まれていたが、1999年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見された。以来、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは、未だに論議を呼んでいる。

上の問答は第2次遠征と第3次遠征の間の1923年に行われたものである。
「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」という訳は、好きなことをするのに理由などない(冒険に理由などない)というような意味で捉えられているが、マロリーのチャレンジは政治的な背景もありそうなので単に冒険と言ってよいのかは微妙なところではある。
実際にマロリーがどのような意味で"Because it's there."と言ったのかはよく分かっていない。
では自身の経済的合理性が少なくリスクや負担ばかりが大きいことを、動物にはない知と精神を持っているはずの人間が行う理由はあるか?あるとしたら何だろうか?

ケインズはそれをアニマルスピリットと名付けた。
そして、我々の頼るべきものが数学的期待値のみとなるような場合には、企業は衰退し死滅に至るだろうとも言っている。
目先の投機ではなく、リスクを承知の上で長期的な収益を予測して投資してくれる人がいなければ企業は衰退するということである。
その大きなリスクを背負ってくれる人に欠かせないのがアニマルスピリット。

 将来に続く希望に依存した事業が、社会全体にとって有益なのは間違いないことです。でも個人の努力が適切になるのは、適切な計算がアニマルスピリットに補填支持される場合だけなのです。パイオニアたちはしばしば、最終的に損をするんじゃないかという考えに襲われます(これは経験的に私たちも彼らもまちがいなく知っていることです)が、アニマルスピリットの働きがあればこそ、健康な人が死の予想を無視するように、そうした考えも振り払えるのです。 

だからその自然発生的な楽観論の微妙なバランスが崩れれば経済に悪影響を与える。
(バランスが崩れなくとも人間には必ずや死が訪れる。それともこれまで楽観論を完全に維持できた人間がいなかっただけで、もしそれが出来れば人間も死を避けられるだろうか)

投資の見込みを推計するにあたっては、それを大きく左右するような自然発生的な活動を行う人々の不安やヒステリー、あげくはその人々の腹具合や天気に対する反応にまで、配慮が必要になるのです。

 だからといって、すべてが不合理な心理の波に左右されるのだ、と結論してはいけません。それどころか、長期期待の状態は安定していることが多いし、そうでない時も、他の要因が補正効果を発揮します。ここでは単に、将来に影響する人の決断が、個人的なものも政治的なものも経済的なものも、厳密な数学的期待には頼れないということを忘れないようにしているだけです。そんな計算のもとになるものが存在しないからです。そして世の中を動かすのは、人々の生得的な活動の衝動であり、合理的な主体というのは、各種の選択肢をできるだけうまく選ぼうとし、できるときには計算もしますが、しばしば気まぐれや感情や運に頼ってしまうのです。








by yumimi61 | 2018-01-14 16:42