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ロンドンスモッグについて書いているつもりだが、昨日は放射冷却に多くを費やしてしまった。
今日はまず昨日も登場した日本気象協会の用語辞典で「放射冷却」と「放射霧」を比較したいと思う。


日本気象協会 tenki用語辞典
「放射冷却」
地表はその温度に対応して赤外線を放出して冷却するとともに、大気や雲からの赤外線を受けて暖まっている。水蒸気が少なく雲がない夜間には、大気や雲からの赤外線が少なくなるため、地表面は冷えてくる。これを放射冷却というが、春や秋に移動性高気圧に覆われるなどして、よく晴れて風がない夜は、地表付近に冷たい空気がたまって特に冷え込み、霜が降りたりする。


日本気象協会 tenki用語辞典
「放射霧」
風が弱くて晴れた夜には、地面の熱がどんどん大気中に逃げていくため地表面付近の温度が下がる。これが放射冷却であるが、このため地面付近の空気が冷えて空気中の水蒸気が水滴となり、空中に浮かんで霧となる。これが放射霧で、地表面付近の現象であり、日の出後1〜3時間くらいで消えて晴れる。


アンダーラインは私が引きました。
実は以前は「放射冷却」も放射霧で書いてあるように説明されていたのである。気象予報士の説明もそうだった。だから私はそれは「対流」ではないのかと言ったり書いたわけです。
それが最近はちらほら「放射」を意識した文章に変わっているのが見受けられる。(公文書改竄?改竄じゃなくて訂正だ?そもそも公文書じゃないし?ネットなんか落書きみたいなものだし?テレビは所詮娯楽だし?)
だが説明内容を意識して「放射」にし過ぎたため、却って現実に起こっている現象とはそぐわない説明に変わってしまった。
理由は簡単、「放射冷却」ではないから。
でも「放射霧」がメジャーでないため、その存在が忘れ去られてしまったのか、「放射霧」の説明は変わっていない。
さらに厳密に言うと「放射霧」の説明も少々間違えている。地面の熱がどんどん大気中に逃げていったら、地表面付近の温度が下がるのではなくて上がるのだ。


温められた空気群(空気の塊)は上に昇っていく(上昇気流)。
但し上昇するには1つ条件がある。
それは空気群の温度が周囲の温度よりも高いこと。
周囲との差がないと幾ら温度が上がっても上昇はしない。
上昇した空気群も同じような温度になった所で上昇を止める。
逆に周囲の温度が高い場合には空気群は下降する。

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一般的には「高度が上がるほど気温は下がる」と言われているので、図の色が逆ではないかは思うかもしれないが、原子や分子の温度(エネルギー)は上空のほうが高い。
ではなぜ「高度が上がるほど気温は下がる」かと言えば、上空に行くほど気圧が下がるからである。
温度が高いと空気群は膨張し、膨張すると密度が小さくなる。気圧が下がるということである。
他の条件は全て同じとして、50人が4畳半に居る時の部屋の温度と、50人が20畳の部屋にいる時の部屋の温度は、50人が4畳半に居る時の温度の方が高くなる。
上空に行くほど気温が下がるのはエネルギーの大きさに変化があるのではなく、膨張して広さが変わるからである。

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気温は成層圏で下げ止まる。
成層圏には紫外線や可視光線を吸収するオゾン層が多く存在しているからである。酸素などのエネルギー吸収により温度は上がる。もちろん放射もするが四方八方に放射された紫外線や可視光線は周囲の分子にまた吸収される。太陽が存在している限り下がりにくい。
その層を抜けてもっと上に行くと再び気温は下がる。
熱圏は原子や分子の温度(エネルギー)自体は数千度もあるが、気圧が低いため気温もとても低い。

旅客機の平均巡航高度は7.5から11km。対流圏が11kmまでなので、ちょうどその辺り。上の図で飛行機がある高度。
高い所ほど気圧が低い(分子密度が小さい・空気が薄い)ので空気抵抗が少なく飛びやすいし燃費も良い。
もっと上に行くと空気はもっと薄くなって、燃料を燃やすための空気が十分に取りこめなくなってしまう。
飛行機は気圧の低い空気を圧縮して取りこんでいる。低いままでは酸欠になってしまう。
だけど気圧が低いからこそ低温なのであって、圧縮したら気温も上がってしまう。だから飛行機はエアコンディショナーが欠かせない。
もともとエアコンというのは冷媒によって気体を減圧したり圧縮するものだから。


霧が生じるためには水蒸気を含んだ大気が必要である。
水蒸気は気体で、やはり気体の空気に混じっているので、目に見ることは出来ない。
でも私達は湿気が多いとか、湿度が高いとか、なんとなく水蒸気の多い空気を感じることが出来る。
空気は無制限に水蒸気を含められるわけではなく、その量には限界がある。それを飽和水蒸気量と言うが、気温によって違う。
気温が高いほど、飽和水蒸気量は多くなる(多くの水蒸気を含めることが出来る)。

39℃  48.6g/m3
35   39.6
30   30.4
25   23.1
20   17.3
15   12.8
10    9.4
5     6.8
0     4.9

左側は温度で、右側が飽和水蒸気量(含める水蒸気の限界量)。
気温によって水蒸気量が決まっているわけではない。同じ気温でも水蒸気が多い時も少ない時もある。
従って気温ではなく水蒸気量が基準となる。
今日の12時の東京都心の気温は24.1℃で、露点は15.3℃と日本気象協会が発表しているので、その数値から考えると水蒸気量は13g/m3くらい。気温24℃の空気は22g/m3くらいまで水蒸気を含むことが出来るので液化しない。このままの水蒸気量だとして気温が17℃を下回ると液化する。


温かい空気ほど水蒸気を多く含むことが可能。
水蒸気を含んだ温かい空気が冷えて露点に達すれば、水蒸気が液化する。
でももし温かい空気群がその温かさゆえに上昇してしまうとするなら、そこに含まれる水蒸気も一緒に上昇してしまうことになる。
人間の視界の範囲で発生する霧は、水蒸気を含んだ比較的温かい空気群があまり高く上昇しないうちに冷やされる必要がある。


余談だが、夕方遅くや夜になってから外に干した洗濯物を取りこんだことはないだろうか?
昼間晴れていたはずなのに、洗濯物がしっとり湿っぽくなっている時がある。
これは乾かなかったのではなく、昼間よりも気温が下がって露点に達し、衣類が結露してしまったからである。
繊維の糸と糸の間は空気であるので、露点に達すればそこでも液化が起こる。







by yumimi61 | 2018-04-30 11:48
今日は「ロンドンスモッグ」の話をしたいと思う。
「ロンドンスモッグ」は大気汚染のことだが、ロンドンは「霧の都」としても知られており、簡単そうでいて少々複雑な話になってしまいます。あしからず。

まず「霧」というものについて。
霧とは、水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で下がり露点温度に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんだ状態。

気体が液体に変わることを凝結や凝縮と言う。この変化は冷却することで起こる。水蒸気(気体)が液体に変わり始める温度が露点温度である。
前記事で触れたLNG(天然ガス)も冷却することで気体を一旦液体にする。

霧の生じ方(霧の種類)
①放射霧
これを説明するためには、「放射」や「放射冷却」を説明しないといけないので面倒長くならざるを得ない。
というのもここに大きな誤解が生じているからであり、それは温暖化の誤解問題ににも通じることだからである。

日本気象協会 tenki用語辞典
「放射冷却」
地表はその温度に対応して赤外線を放出して冷却するとともに、大気や雲からの赤外線を受けて暖まっている。水蒸気が少なく雲がない夜間には、大気や雲からの赤外線が少なくなるため、地表面は冷えてくる。これを放射冷却というが、春や秋に移動性高気圧に覆われるなどして、よく晴れて風がない夜は、地表付近に冷たい空気がたまって特に冷え込み、霜が降りたりする。

前にも何度か書いたことがあるが、気象予報士がテレビで放射冷却の説明をしているのを聞くたびに違和感を感じる。
熱の伝わり方の「放射」と、「伝導」「対流」が明確に区別できていない。

熱の伝わり方には、「伝導」と「対流」と「放射(輻射)」がある。
伝導:物質を通して熱が伝わる。
対流:空気や液体などの流れによって熱が伝わる。
放射:赤外線などによって熱が伝わる。

熱は高い方から低い方へ移動する。←この法則を利用して気象用語の「放射冷却」が説明されていることが多いが、それは対流による熱の移動ではないだろうか?


Cradle(株式会社ソフトウェアクレイドル)技術コラム
もっと知りたい! 熱流体解析の基礎  熱放射
※アンダーラインは私によるものです。

物体表面の原子からは、物体の温度に応じた波長の電磁波 が放出されています。逆に原子が電磁波を受け取ると、その電磁波を内部エネルギーに変換し、物体の温度が変化するという性質があります。

 そのため、図4.19のように複数の物体がある場合には、ある物体から放出された電磁波が別の物体の表面に到達することによって熱が移動し、物体の温度が変化します。このように、周囲の空気の温度を変化させることなく、電磁波の形で熱が物体間を移動することを熱放射や熱輻射あるいは単に放射や輻射といいます

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図4.19 2つの物体の熱放射

2つの物体間の伝熱が熱伝導で起こる場合、2つの物体の間には熱を伝える何らかの物質が必要となります。また、対流熱伝達では2つの物体の間に何らかの 流体が存在している必要があります。それに対して、熱放射は物体間に熱を伝える媒体がなくても熱の移動が生じます。真空の宇宙によって隔てられた太陽の熱が地球まで届くのも熱放射の性質によるものです

熱放射は熱伝導や対流熱伝達と同時に起こります。ところが、熱放射による熱の伝わり方は、反射や吸収 、透過といった物質の光学的性質に大きく依存し、熱伝導や対流熱伝達とはメカニズムが大きく異なることから、多くの場合はこれらと独立して考えられます


沢山の物質が存在する中にあっては、熱伝導と熱対流、熱放射は同時に起こっているが、放射と言ったら放射のことである。
でも私達の生活に密着するお天気の話や自然現象の話をするならば、放射だけでは語れない。放射と同時に伝導や対流も起こっている。
伝導や対流がどれほど起こるかはその状況や環境による。

全ての物体は赤外線エネルギーを「放射」しているが、同時に外部からの赤外線エネルギーも「吸収」「反射(撥ね返し)」「透過(すり抜け)」をしている。
外部からの赤外線エネルギーを入射とすると、入射= 反射+吸収+透過が成り立つ。(エネルギー保存則)
物体が赤外線を吸収すると物体の温度は上昇し、放射すると物体の温度は低下する。

赤外線は物質によって吸収率(放射率)が違う。非金属ではそれほど大きな差はないが、金属においては種類や状態によって違いがある。

赤外線吸収率が似たようなものだとすると、違いは伝導と対流ということになる。
伝導率が高ければ熱を伝えやすい。
温度が違う物質が触れ合うと熱は高いほうから低い方へと移動する。


熱伝導は違う温度の物質の接触だけでなく1つの物資内でも起こる(表面から内部など高い方から低い方へ)。
熱対流は違う温度を持つ固体と流れる液体や気体、あるいは違う温度を持つ液体や気体同士が、その表面間で熱のやり取りをすること。接触面が大きいほど熱の移動も大きい。


太陽光によってどうして熱が発生するかと言えば光は電磁波であり、電磁波を吸収した物質の原子や分子が振動するからである。その振動によって熱エネルギーが生じるのであって、電磁波自体がを熱を持っているわけではない。
原子や分子が振動、気体分子や自由電子の移動によって物質内部や接触している外部に伝わっていく。
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太陽から放射された太陽光(電磁波)は地上に届く前に少し吸収されている。
それを表したのが下図。
図はこちらhttp://denkou.cdx.jp/Opt/PVC01/PVCF1_4.htmlより。~から吸収という文字は私が入れました。
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太陽から放射された電磁波を大気圏外(AM0)と赤道直下ではない地表(AM1.5)とで比較したグラフである。
同じ太陽の電磁波も大気圏外と地表とでは届き方(エネルギー)が違うということ。
横軸の左側の方が可視光線領域で右側が赤外線領域となる。
大気圏外(青線)より地表(赤線)が減っているのは大気で吸収されたからである。
大気という媒体がなくても電磁波は進むことが出来る。でも何か物質にぶつかると、そこで吸収・反射・透過が起きる。
電磁波は真っ直ぐに進んでいるのであって、気温が低い所を選んで移動し吸収されるわけではない。
吸収率は物質によって違って、ほとんど吸収しないものもある。
大気中の何が吸収したかということをグレーの文字で書き入れた。
波長によって吸収される物質が違うが、吸収する大気成分は水蒸気と二酸化炭素と酸素である。吸収した物質は吸収した分だけ温度が上がるが、逆に自らが放射すれば温度は下がる。
太陽から放射された赤外線を吸収しているのは水蒸気と二酸化炭素であるが、0℃以上の全ての物体(物質)もまた温度に合った赤外線を放射しているので、水蒸気と二酸化炭素も赤外線熱を溜めこむということはない。
しかも大気の大部分を占める窒素はほとんど太陽光を吸収しない。ということは窒素は物体(物質)から放射される赤外線も吸収しない。
赤外線という電磁波は物体や空間全体を温める能力を持っているわけではない。
20%の温かさと80%の冷たさを混ぜて温かいと感じるのは難しい。


 水蒸気や炭酸ガスは大気のなかでは非常に少ない割合でしか存在しません。大気の成分でもっとも多いのは窒素で約8割を占めていますが、この窒素の分子(N2)は太陽光をほとんど吸収しません。これが地表で太陽光の恩恵を受けられる裏の理由になっていると言えます。


昼間、太陽から発せられた電磁波は地表に届き、地表が吸収した電磁波が熱となる。だから地表は温かい。
地表も電磁波(赤外線)を放射するにはするが、もっとダイナミックな熱の動きがある。
それが伝導や対流である。

太陽光に熱せられた地表よりも通常空気のほうが低温なので地表が持っている熱が、地表に接している空気から徐々に上に伝わって、気温が上がる。
地表と書いたが太陽の電磁波が届くのは地表だけではない。水でも建物でも植物でも人間でも同じである。
また熱は太陽光(電磁波)だけが生じているわけではない。分解熱とか崩壊熱とか運動エネルギーが変換された熱とか他にも熱源はある。
でも太陽エネルギーはとても大きい。

昼間は常に太陽が電磁波を発しているので、地表が熱を持ち続けられるという環境にある。
夜になると太陽が隠れてしまい地表に電磁波が届かない。だから地表の熱は当然昼間よりも下がる。地表の熱が下がったのだから昼間ほど空気に熱は伝わらない。
夜間は太陽光という熱源が途絶えた状態にある。

赤道直下の場所以外では夏と冬では太陽光の入射角度がだいぶ違い、斜度が強くなる冬はそれだけ多くの大気を通過して地表に到達するわけだから、吸収率も上がり、地表が受けるエネルギーは夏よりもダウンする。
おなじ季節でも、緯度も関係していて、高緯度なほど傾きが大きく、エネルギーはダウンしてしまう。
でもともかく北半球の場合、夏はどんどん地表が温められて、気温もどんどん上昇していくが、冬は晴れてもそこまで温められないし、気温も上昇しない。
地表が温められると地表の水分が蒸発し、大気中の水蒸気となる。
夏のほうが蒸発が進む。ガーデナーは水やりが大変な季節。
一方の冬は温められての蒸発はあまり進まない。大気中の水蒸気は減少して乾燥気味となる。

熱伝導性は、気体<液体<固体、である。
伝導性が良いということは、熱しやすく冷めやすいということ。
だから保温性ということから言えば、固体<液体<気体、である。
乾燥した空気は熱伝導が悪いので、熱を溜めこみやすい。

夏は長時間高いエネルギーで地表が熱せられており、そのエネルギーをもってして比較的広範囲な空気に熱がどんどん伝わっていて、さらに水蒸気を多く含んでいる。
雨や風でもなければ、太陽が隠れても下がりにくい環境にある。
冬は違う。太陽が隠れたら地表近くのほんわか温められた空気がゆっくりと上昇し、代わりに冷たい空気が流れ込んでくる。
昼間でも太陽が出ておらず地表が熱を十分に受けていない時や、風がびゅーびゅー吹いている時などは、昼間の地表温度も気温も上がらない。
その分だけ夜との差も小さく、夜間に急に冷え込むということはない。




by yumimi61 | 2018-04-29 17:17
前記事で石油の種別について触れたので、今回は油種ごとの販売量の推移について。
推移表が若干古いもので2004年データまでしか掲載されていないので、2017年を私が右端に付け足しました。
また表上で販売量がピークだった年に赤枠をプラスしています。

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日本の高度経済成長期(1955~1973年)の前半部分もデータがないが、高度経済成長期にあっても石油は後の時代に比べるとそれほど多くは使われてはいなかった。
まだ自動車も普及しきれていないのでガソリン販売量も少ない。
高度経済成長期に一番多く買われたのはC重油である。
C重油が使われるのは、船舶用の大型ディーゼルエンジン、工場や発電所、地域冷暖房などの大規模ボイラーの燃料など。
ボイラーというのは温水や蒸気をつくるもので、産業用としては加熱・蒸留・滅菌などを行う機械の熱源となる。
不思議なことに高度経済成長期がそろそろ終わるだろうという頃や終わってからのほうがC重油の販売量が増加している。
当然C重油にも硫黄分が含まれており、当時は除去するようなこともしていなかったので、それが大気汚染の原因になったと言われているが、販売量から見れば高度経済成長期の最盛期とは少しずれている。

そしてC重油は1970年をピークに減少の一途を辿っている。
工業国としてはやや不安にもなるほどの減少ぶりである。
その重油の代わりをなすように増加していったのがガソリンや軽油だった。
代わりをなすと書いたが、重油とガソリンは種類が違うものなので代わりにはならないはずである。
よって原油を分留すると無駄が出来てしまうことになる(売れない種類が無駄になる)。

石油販売総量としては1995年頃から2億5000万Kl前後だったが、その時代に比べると2017年は激減している。
石油を一番使っていた時期は高度経済成長期でもバブル景気時代でもなく、1995年頃からであったが、今はそれもかなり落ち込んでいる。

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http://www.garbagenews.net/archives/2051238.html

高度経済成長期の終わり頃に石油販売量が増えたと先に述べたが、実はその頃に右肩上がりだった石炭販売量が少し減っている。
そうは言っても、高度経済成長期の石炭販売量は後の時代の比ではない。全然少ない。
でも大気汚染が問題にでもなって石炭(固形)から少し石油(液体)にシフトしたのだろうか。
だが日本の石炭消費量が減って石油消費量が増えた年にオイルショック(1973年と1979年、原油価格高騰)が被ってくるのだ。
環境的に言えば、石炭も石油も硫黄分を含むので、どちらにしても前処理が施されていない燃料は硫黄酸化物を放出することになる。化石燃料の宿命。
だから物質的には大して変わりはないが、石炭と石油には固体(粉末)と液体という体状の差があり(石油でも固体に近いものもあるが)、固体ほど煙や煤を出しやすいということはある。
また固形化した石油製品を焼却廃棄すれば、固体となった石油を燃やすことになる。不純物も多いけれども。ナフサは石油製品の原料となる。
近年の火力発電は石炭を用いることが多い。


第二次世界大戦後というか、日本で言えば高度経済成長以後ということになるかもしれないが、いろいろなものが「電気」頼みになってきたのである。
燃料を燃やして灯りを得る、燃料を燃やして暖を得る、燃料を燃やしてお湯を沸かすなどといったふうに直接的に燃料を使うのではなく、燃料で電気を作り、人々はその電気を使うという生活を送るようになった。
機械や車両も電気で動くようになった。
ということで発電にも注目してみる。

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何を用いて発電されたかというグラフである。
残念ながら2010年までのグラフで、東日本大震災(福島原発事故)後の太陽光発電ブームを反映したデータがない。
2010年には1.2%ほどだった新エネのところに太陽光発電は含まれる。再生可能エネルギーとか言われているやつである。他にはバイオマスとか風力とかある。
新エネは2015年で4~5%くらいになっている。新エネの中で一番大きく伸びたのは太陽光発電である。何と言っても震災以後は政府が補助金を出していたから。

太陽光発電も太陽パネルを設置すれば電気が出来るというわけではない。
パワハラならぬオワコンでもないパワコン、パワーコンディショナーが必要である。もちろんリンスでもない。
太陽パネルで作った直流電気を使える交流電気に変えるものである。
これがなければ電気の持ち腐れだし、出力や変換効率とか考えないと、石油ではないが作った電気を無駄にしてしまうことにもなりかねない。
だけど良い物ほど難易度が上がり高価であることは避けようがない。
パワコンのコンはコンディショナーのコンだけど、コンピューターと思ってもらってもよい。繊細な面を持ち合わせるので故障しやすい。寿命も10年ほど。
パワコン自体も電気で動くので停電時に止まらないようにしておかないと・・。


あとついでなのでLNG(天然ガス)についても一言。
これはガス状態なのに一旦液体にしてパイプラインを通したり輸送する。
液体にするには冷やす必要がある。-160℃という極低温に冷却しなければならない。冷却の原理は冷蔵庫やエアコンと同じ。
体状を変えるにはどうしたってエネルギーが必要である。
電気なりなんなり使う必要がある。
石油も原油を一旦気化させるために熱するエネルギーが必要。
そのようにエネルギーを作り出すためにも大きなエネルギーが用いられることになる。
いろいろと効率が悪い。
人間が生きていくために必要なエネルギーは仕方ないけれども、無意味なイルミネーションなんかやめるべきだと思う。インスタ映えとか喜んでる場合ではないと思う。

さらについでに。
原子力発電の30%が完全に停止したのに石油も石炭も大して増えずに、電気節約もごく一時的なもので、太陽光発電が若干増えたとはいえ、それでよく回っているものだと思います。






by yumimi61 | 2018-04-28 00:59

Chong


誰よりも孤独の強さ携えて 今超えてゆく直照りの道

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by yumimi61 | 2018-04-27 17:50
灯油はランプの次に暖房用燃料として用いられるようになる。
煙・煤が出ないストーブが発明されたのは1880年代。実用化や普及はガソリンエンジンよりも早かった。その基になったのはブロートーチ(小型携帯バーナー)。どちらもスウェーデン人が発明した。
現在の灯油の用途は主に暖房用燃料である。


日本の場合、ガソリンの税金(揮発油税等)は販売価格の50%程度。
軽油の用途は主にディーゼルエンジンの燃料で、税金(軽油引取税等)は販売価格の30%ほど。
灯油に含まれる税金は10%ほど。
本体価格は似たり寄ったりなので、販売価格の差は主に税金である。
税金が乗っているとはいえ、前に書いた通り、国際比較すると原油輸入国のわりには安い。

ディーゼルエンジンは高出力で熱効率(燃費)が良い。
建設機械や鉄鋼用の燃料、電力用補助燃料としても使用されるが、現在は主にバスやトラックなどの大型車、鉄道車両や船舶用のディーゼル燃料として用いられている。
ヨーロッパでは軽油に日本のような価格的なメリットが無く、且つディーゼル車の車両価格のほうが高いにも拘らず、自家用車でもディーゼルエンジン車が非常に多い。
アメリカではガソリンより軽油の方が高いのであまり普及していない。
一頃、ディーゼルエンジンの排気が槍玉に挙げられたことがあった。
石原都知事がペットボトルに黒い煤を入れて、これが大気汚染の元凶だというパフォーマンスしていた時代もあった。あれは1999年である。

排ガス基準については比較的ヨーロッパが甘いと言われることがあるが、ヨーロッパは昔からバスやトラックのような汚染物質量の多い車両にも規制をかけていた。
日本は規制をかけやすい乗用車をターゲットにして、バスやトラックには甘かった。



ディーゼル車NOパフォーマンスの翌年2000年に東京都は国に先駆けて独自のディーゼル車に対する排ガス規制条例を施行した。
埼玉県・千葉県・神奈川県といった南関東勢(北朝鮮ミサイルのJアラートが鳴らなかった地域)もそれに追随。
2003年からは東京都の排出基準を満たさないディーゼル車の都内での走行が禁止された。
そんなこんなで環境省も自動車NOx(窒素酸化物)法を改正するなどした。
これまで規制の対象とされてきたのは窒素酸化物(NOx)や硫黄酸化物(SOx )。これらが有毒で大気汚染の原因とされてきた。
日本の高度経済成長の時代に問題になった大気汚染は硫黄酸化物(SOx)が原因とされている。
1980年代後半から日本でも比較的大きな乗用車となるRV車の人気が高まり、乗用車も10%をディーゼル車が占めていたが、一気に敬遠されて0.1%以下にまで落ち込んでしまった。


しかし実は石原都知事がパフォーマンスした頃、日本の自動車メーカーはすでにクリーンディーゼル車を開発していた。
とにかく問題物質を外部に出さないければ良いのだ。
一番手っ取り早いのは問題となる物資(硫黄)を燃料の軽油から取り去ってしまうこと。
それだけで排ガス中の有害物質は減少する。自動車メーカーだって自動車性能に影響をあまり与えず多い物を除去するより少ないものを除去するほうが簡単である。
ヨーロッパでは軽油に含まれる硫黄分の規制値が50PPMで、日本は当時ヨーロッパの10倍の500PPMだった。
クリーンディーゼル車は硫黄分の規制値が50PPMでこそクリーン性能を発揮するものであって、500PPM規制では使いものにならなかった。
硫黄分が規制されていない軽油を使ってしまえば基準をクリアできなかったり故障に繋がるだけである。
日本の自動車メーカーは日本国内に導入できずにヨーロッパで販売した。
もっとも元々ディーゼル車の普及率は圧倒的にヨーロッパが高かったのだから、ヨーロッパで売る方が効率が良い。


しかし驚きべきことに、東京都が条例を可決した翌2001年に日本も低硫黄軽油の供給を発表した。国の規制なしに石油業界(?)が独自に。
2005年には日本政府が温室効果ガス削減を目指す京都議定書目標達成計画を閣議決定し、 「クリーンなディーゼル乗用車の普及を検討」の文言を盛り込んだ。
翌2006年にはアメリカ発の『不都合な真実』が公開され(アル・ゴアは翌2007年にノーベル平和賞受賞)、温暖化が一大ブームとなる。
そのブームに乗るがごとく日本政府は(クリーン)ディーゼル車の普及を後押し。
悪者にされたディーゼル車が温暖化ブームによって一転推奨されるようになったのである。理由は簡単、燃料の段階で大気汚染の原因物質をかなり減らせるからなのだ。
原油を輸入する日本はあらゆる石油類を無駄にしたくはない。
大気汚染が心配でも軽油を捨てるなんてもったいないというわけ。
だが生成される軽油量よりも使用量が少なくなってしまった。値段はガソリンよりも安いのに。
そのアンバランスを是正するためには再びディーゼル車に頑張ってもらわないといけない。
だが派手なパフォーマンスによって一度植え付けられたイメージを払しょくするのはなかなか大変である。



また軽油の使用量が少ない理由として不正軽油の利用が挙げられる。
軽油の代わりのA重油を利用、あるいは灯油とA重油を混ぜ合わせた燃料である。
灯油はガソリンや軽油に比べると税金が少ない。またA重油も無税である。
従って脱税して燃料代を浮かせることが出来る。トラックなどで横行した。
繰り返しになるが、日本の石油燃料価格は輸入国のわりにはとても安い価格である。それでも脱税が後を絶たない。

A重油は軽油の一種である。日本独自の税制上の油種区分では、A重油とは重油の一種とされているが、化学組成的、世界標準的には、軽油の一種である。
重油はJIS規格によって、動粘度により「1種 - 3種」に分類されており、順に「A重油」「B重油」「C重油」と呼ばれる。
これは日本独自の税制上の分類で、ディーゼル車の燃料としてガソリンスタンドで販売されている軽油と比べると若干炭素の含有率が高いものの、ディーゼルエンジンを回すうえでは基本的には問題ないと言われるほど成分が似ている。軽油には1リットルあたり32.1円の税金(軽油引取税)がかかるが、用途を農業用・漁業用に限定することを条件に無税としたものがA重油である。


・低硫黄のLSA重油
主として農耕機や漁業用の中小型船舶の燃料として使用されている。最近では環境問題や大気汚染問題に配慮するため、ビル、ホテル、寮、病院、学校の暖房・給湯用、食品工場の加熱用、クリーニング工場のプレス・温水供給に運用されるボイラーに多く用いられ、農産物用のビニールハウスのボイラー、温風暖房でも使用されている。

・高硫黄のHSA重油
低硫黄のLSA重油を特に必要としない非自動車用ディーゼルエンジン、及び工場、病院、学校、ビルなどの小・中規模ボイラーの燃料などに用いられる。
また、火葬場で遺体を火葬する際の燃料に使われる事が多かったが、環境面への配慮から灯油やガスに切り替わってきている。



A重油は軽油90%に少量の残渣油を混ぜたものである。
B重油は残渣油と軽油を半量程度ずつ調合したものである(なお、最近B重油はほとんど生産されない)。
C重油は90%以上が残渣油である。
B重油、C重油は、船舶用の大型ディーゼルエンジン、工場や発電所、地域冷暖房などの大規模ボイラーの燃料などに用いられる。

一般的に、残留炭素の多い重油は粘度が高い。重油の硫黄の大部分が有機硫黄分として存在している。


 ●石油ガス(LPガス)
 ●ガソリン・ナフサ
 ●灯油・ジェット燃料 ←税金の安い灯油を重油に混ぜる。若干燃えやすくなる。
 ●軽油(余る)・・・・・・・・ディーゼルエンジン燃料
 ●重油・アスファルト ←税金無しのA重油を軽油代わりに使う。

不正軽油による脱税があまりに横行したので、クマリンという物質を入れて識別可能にした。
クマリンはシナモンの香料成分である。桜餅の匂い成分でもある。

不正軽油の検出・摘発を容易にするため、A重油や灯油には、識別剤としてクマリンが添加されている。クマリンの紫外線に対する蛍光反応により、A重油・灯油の混入を判別するためである(灯油やA重油が混ざっていれば、ブラックライトで照らすと黄色く光る。純粋な軽油だけなら絶対に光らない)。

じゃあ、クマリンを取り除いてしまえばよいとイタチゴッコ。
硫酸を用いて不純物を取り除く手法を硫酸洗浄と言い、原始的な手法でそれ自体はそれほど難しいものではない。
これを行うと硫酸ピッチと呼ばれる残留物を生成してしまう。
硫酸、油分、タール、アスファルト、硫黄などからなる混合物で、強い腐食作用を持つ上、水分と反応すると有害な亜硫酸ガス(大気汚染の原因となる硫黄酸化物の一種。二酸化硫黄とも言う)を発生させる。
硫酸ピッチを処理する方法もあるが、それなりの機器と手間が必要であり、ドラム缶一本で10万以上かかると言われていて、脱税するくらいだからするわけがない。よって不法投棄される。
軽油の密造工場で発生する硫酸ピッチは密造の発覚を防ぐために全量不法投棄されるものと考えて良いそうだ。
長期間放置された硫酸ピッチは油分が抜けて流動性を失った固形になるので、処理はさらに難しくなる。





by yumimi61 | 2018-04-27 00:42
石油が近代社会に与えた最初の大きな影響は照明(ランプ)である。
だからと言って、古代の人々が夜の闇しか知らなかったかと言えばそんなことはない。
紀元前の時代から照明というものは存在した。
当時の照明は蝋燭(ろうそく)か植物油や動物油を燃やす灯火だった。
油を燃やすタイプは煙が出たり、安い油(魚油など)ほど異臭を放出するという難点があった。
蝋燭は燃やせる時間に限りがあり、また光が明るすぎて眼に良くないという難点があった。(それによってシェードが生み出されていく)
さらに当時の蝋燭はミツバチの巣を原料とする蜜蝋であり、これは大変高価なものであったため王族や貴族、聖職者くらいしか使えなかった。
蜜に代わり獣脂、漆やハゼノキの実を原料にした蝋燭が作られていくが、いずれにしても高価だった。
よって貧しい庶民は暗くなれば寝るしかなかったのである。


照明が庶民に広がる1つのきっかけとなったのがヨーロッパ中世の治安の悪さである。
中世ヨーロッパでは比較的温暖だった時代があり、また水車や風車や鉄鋼農機具の発達普及もあって農業が飛躍的に発展する。散村(家族的)が集村(地縁的)になり、より大規模になって収穫量も上がり、それに伴って人口も増加していく。
その人口がやがて都市部に流入していく。
やはり人が密集すればするほど不衛生な状態となりやすく易感染性の環境を作ってしまう。
人の密集と先日書いた̠河川事情などもあり感染疾患が蔓延し、今度は人口が激減した。ヨーロッパは有史以来アジアやアフリカから持ち込まれた病原菌と接触していたので世界的にみれば比較的広範囲の免疫を持っていたにも関わらず。
都市への人口流出による食糧生産者の減少、災害や気温の変化(比較的高緯度のヨーロッパは気温が少し下がるだけで収穫量が大きく減ってしまう)、病原菌による家畜被害などで飢饉もわりと発生しやすい土地柄であった。
特産物や水などの関係で栄養的な偏りも生じさせやすかった。
従ってヨーロッパは人口増大と激減期を繰り返したと考えられている。そこにはわりと密接に気温サイクルも関係している。
そのような環境に加え、戦乱もあちこちで絶え間なく起こり、お金が物を言うようになり、風紀は乱れ、宗教も腐敗し、やがて革命にまで繋がることとなる。
変化が大きい場所や激動の時代では不安要素が増して社会治安は悪化しやすい。

特に夜の暗さは犯罪を呼び込みやすい。
ヨーロッパ都市部では日が暮れると外に出なくなり、また防犯のために夜間は窓辺や玄関先に蝋燭などを点しておくことが推奨された。
それはやがて灯火や蝋燭より明るく輝かせることが出来るランプ(当初は植物油使用、その後鯨油が利用される)の開発や街灯整備などにも繋がっていく。

余談だが、人口の都市集中を防ぐ1つの手段が、日本の大名制度やヨーロッパの貴族制度だったり、職業の世襲だったのだと思う。
地方地方に有力者を置いて、その人物を中心に社会を形成し、それぞれが社会の一員としてそれなりに役割を果たしていくということ。
役割と言っても個人ではなく家族単位だったりしたので、弱者をカバーすることも出来た。
たとえ地方単位で都市集中があっても、国という単位でみればばらけさせることが出来る。
元々はそういう意図がある制度だと思うので、争いによって勢力拡大していくこと(日本の戦国時代など)は望ましいとは言えない。



1600年代は植物油のランプ、1700年代は鯨油のランプが主流となった。
1700年代後半から1800年代にかけての産業革命によって生み出された数々の機械には潤滑油も必要不可欠であり、これにも鯨油が使われた。
1600年代後半から鯨は乱獲されており1800年代にはすでに鯨油の生産量は減少していた。
ちなみに前に小説『白鯨』のことを書いたが、あの小説は1851年にアメリカで発表されたもの。小説のモデルになった出来事は1820年に起こったことである。


日本に「黒船」がやってきたのは1853年。
この来航の理由としてアメリカの捕鯨船の補給地を確保するためだったと言われていることが多い。捕鯨船上で油を生産するが、そのためには大量の薪と水が必要だったからだと。(黒船来航の理由としてはともかく鯨油を得るためには薪というエネルギー源が必要だった)
でもそれが1853年では遅すぎる。
もう鯨油で商売できるほどの鯨は捕獲できなかった。
(だから’白鯨’なんか追いかけてしまったんじゃないの?)


1800年代半ばには鯨油に代わるものとして石炭を液化した石炭油が登場した。
ただこれは煤(すす)がかなり生じるため煤取りというメンテナンスが定期的に必要になり手間が増えてしまい、また匂いもきつかった。
煤は有機物の不完全燃焼によって生じる黒い微粒子。煤は蝋燭やランプ、囲炉裏や暖炉などでも生じるものである。
一般的には、気体燃料よりは液体燃料、液体燃料よりは固体燃料のほうが煤を発生しやすい。
液体の油を燃やすよりも固体の木材を燃やす方が煤を生じさせやすいのだ。
石炭の大元は植物遺体(化石)。それを酸素が少ない場所で蒸し焼きなどにすると完全には燃えず、燃えやすい気体が先に出て燃え、その残骸として炭素が残る。(そのようにコントロールして炭素だけをなるべく多く残す)
炭素は空気中の酸素と結びついて良く燃えるので、それを燃料にする。但し着火までに時間がかかる。
また当然前処理の段階では不完全燃焼に近いことが行われるので煤やら有毒物質を生じさせる。硫黄、コールタール、硫酸、アンモニアなど。それを利用したりもするけれど。
コークスと呼ばれるものが石炭に蒸し焼き処理を施した燃料。高温が得られるため蒸気機関車や鉄鋼業ではこれを用いた。蒸気機関車は通気性が悪い構造なので燃料にあえて水をかけたりもした。水蒸気による通気のため。
前処理され石炭に燃える気体や不純物がほとんど含まれていなければ、炎を出して燃える(炎を出して熱を生じる)という状態にはならない。炎の出ない火の固まりが熱を生じるというイメージ。
炭素と酸素の結びつき(つまり燃焼)によって二酸化炭素と水を生じる。
炭素含有量が多い石炭は揮発性物質や不純物が少ないことを意味しており、炎も煙も出ない。これはつまり煤が少ないということである。
石炭の種類にもよるし、前処理がどれくらい行われているかにもよる。
ランプ燃料ではそこまで行われなかったということなんだろうし、そもそも固体である物を液体化するにはそれなりのエネルギーが必要である。


黒船が来航した時代、アメリカが日本に注目していたのは、漆やハゼノキ原料の蝋燭ではないだろうか。鯨油が尽きかけた時代に再び蝋燭の灯りを思い出した。
漆やハゼノキはアジア原産の木で、日本では縄文時代の遺跡からも漆器が発見されるくらい古い時代より利用されている。すなわち漆が沢山あると推測された。
東南アジアから東アジアの温暖な地域にしか自生していない木である。
これらの木の実から作るハゼ蝋(ハゼワックス)が蝋燭の原料となった。
現にハゼ蝋は明治初期の日本の代表的な輸出品だった。生産の最盛期は明治末期で1万トン以上も生産されており、明治末期でもそのうちの30%ほどは輸出に充てられていた。

黒船来航前である1830年代のアメリカの人口は2000万人弱、日本は3000万弱、中国はすでに4億人だった。
アメリカは日本よりもだいぶ広いのに日本よりも人口が少なかった時代がある。
ランプだけならば蝋燭でいけると思っても不思議はない。



石炭にも様々種類があるのと同じで、石油にも種類がある。
石油(原油)は紀元前から使用されていたが、石油の分留(蒸留・分離)によって灯油を作る特許が申請され認められたのは1854年のポーランドにて。

当時の特許取得法がどういうものかは良く分からないけれど、現代では原油を350℃に熱することで分離する。
原油は粘度や引火点が高くて、そのままでは使いにくい。
また沸点や性質などが違う成分が入り混じっているため、1つの目的として使うには効率が悪い。
そこで性質ごとに分けるのが分留である。
液体を熱して気体になる温度(沸点)の違い、という性質を用いて分留する。

①原油を加熱炉で350℃に熱する。
②原油は沸点の低い成分から順番に蒸気(気体)になっていく。
③その蒸気を蒸留塔で受ける。
=蒸留塔は上にいくほど温度が低くコントロールされているので、沸点の違いによって分離される。沸点が低いものほど上に行く。=
 ●石油ガス(LPガス)
 ●ガソリン・ナフサ
 ●灯油・ジェット燃料
 ●軽油
 ●重油・アスファルト
 
とは言っても、1854年当時はランプ燃料目的の灯油分離だったのだろうと思う。灯油以外の用途はまだあまりなかった。ガソリンエンジンが発明されるのは1880年代。これはダイムラーやベンツによる発明や特許である。




by yumimi61 | 2018-04-26 13:55
アヘンで大儲けした人達が次に目を付けたのが石油だった。

世界最古の油田、バクー油田。紀元前から石油が涌き出でていて、今とは用途が違ったかもしれないが、古くからそれなりに使われていたと考えられる油田。
それはアゼルバイジャンという国にあった。国営の油田である。
アゼルバイジャンは歴史的にはイラン政権やアラブ政権の支配下に置かれていた時期が長い。
1813年にロシア帝国領となり、やがてソ連構成国となっていく。

この古くからあったバクー油田に注目したのはノーベル賞のノーベルである。厳密に言うと、爆弾の発明者の兄ノーベル。木材を買い付けに行って油田に興味を持ち、木材を購入する代わりに油田の権利を譲ってもらった。1873年のこと。
ノーベルは1867年にダイナマイトを発明し、1875年にはゼリグナイトも発明する。
アメリカでロックフェラーがスタンダードオイルを設立したのは1870年。アメリカで石油産業を確立し、一大トラストを築いていくことになる。
1879年、ノーベル家も「ノーベル兄弟石油生産会社」を設立し、ロシアに石油供給を始めた。

ロスチャイルド家(パリ本家)も石油事業に目を付け参戦する。
ノーベル家はバクー油田からの石油をロシアに運搬していたが、ロスチャイルドはバクー 油田からヨーロッパに運ぶことを考えた。
石油を運ぶということは容易いことではない。
まず石油は危険物であるのでリスクがなるべく少ない方法を採りたい。そしてできれば一度に大量に運びたい。適しているのは海運、船での輸送である。

ここで地図を見てもらいたい。
ノーベル家はカスピ海を北上して大陸に上陸、その後は陸路を行く。→赤線で記した、人口が多く工業地域でもあるモスクワ~サンクトペテルブルク辺りをメインに輸送されたと考えられる。
陸路が長いところにもってきて、寒さの厳しい地方でもあるので、当時は輸送時期も限られてしまう始末だった。
ヨーロッパに石油を運ぶことを考えたロスチャイルド家はまずバクーからジョージアまでの鉄道建設に資金を提供した。
ジョージアに到着すれば後は海路(黒海から地中海に抜ける)で行ける。
鉄道は1883年に開通。
同年、ロスチャイルド家は財政難のロシア政府の国債を引き受ける見返りに、バクー油田の中でも最大級のバニト油田の権利を譲りうける。
1886年、「カスピ海・黒海会社」を設立。
供給先は違うが、ノーベル家とロスチャイルド(パリ本家)は一緒にバクー油田の開発を行うようになる。

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海路中心にヨーロッパに運搬するロスチャイルド家のほうが有利に思えたが、然うは問屋が卸さない。
ノーベル家がロシアで優位なのは当然だが、ノーベル家はスウェーデンの出身であり地元北欧においても強かった。
寒い地方への運搬は大変だけれども、確実に石油が消費される地域でもある。
またアメリカのロックフェラー家も大西洋を渡ってヨーロッパに石油を運ぶことが出来る。
従ってロスチャイルド家はヨーロッパでの顧客獲得合戦でダントツ優位に立てるわけではなかった。


そんな事情もあったことから、ロスチャイルド(パリ本家)はスエズ運河を抜けてアジアへ運搬することに目を向けた。
スエズ運河はエジプトに駐在していたことのあるフランスの元外交官レセップスがエジプト時代の人脈を生かしてエジプトから敷設権を得て建設した。
元々はナポレオンがスエズ運河建設の計画を持っており、レセップスはその影響を強く受けていた。
イギリスは運河建設に反対だった。それもそう、フランスにはイギリスがインドに持つ特権に対抗する意図もあったから。
常時3万人のエジプト人を強制労働させ2万人が亡くなったというが、着工から11年後の1869年に開通した。
フランスとエジプトはスエズ運河会社の株主となった。
この運河が出来るまではアフリカ大陸をぐるっと回っていかなければアジア方面に行くことが出来なかったが、スエズ運河によってその距離はだいぶ短縮された。
しかし多くの船が必ずこの運河と紅海の狭い海峡を通るとなると海賊らの格好の的になり危険度も増し、通行料のほか保険料も高かった。距離があってもアフリカぐるっとコースを採る船も少なくなく、皮肉なことに運河通行船の8割はイギリス船籍だった。
スエズ運河会社は開通から6年後1875年には経営に困窮しており、且つエジプトは国内財政も悪化していて株売却に動いた。そのエジプトから購入したのはイギリス。資金を貸し付けたのはロスチャイルド(ロンドン本家)。
イギリスはイングランド銀行からお金を引き出す際には国会の承認が必要であったが、すぐに買わないとフランスに先を越されてしまうといういことで、ロスチャイルド家に頼み込んで今日の明日で資金を調達してもらった。





by yumimi61 | 2018-04-24 17:15
中国に最初にアヘン(ケシ)が持ち込まれたのはイギリス産業革命の頃ではなく、もっとずっと前。西暦600年以降のアラブ人によって持ち込まれたと考えられている。
600年代というのはちょうどアラビア半島のムハンマドによってイスラム教が開かれた時代。
ムハンマドの弟子が中国にも布教に出向いたということなので、その時に持ち込まれたのだと思われる。
900年代の本草書(生薬の原材料となる植物の特色などを記した中国の書物)には芥子(ケシ)が記載されている。
栄養補給や医薬品として用いたわけだが、副作用や中毒性などがやはり問題になったのか、取扱いが難しいとして中国の東洋医学は慎重だった。
生薬の服用の仕方には原末・丸薬・エキス・煎じなど様々あるが、生薬を燃焼させてその煙を吸い込む飲煙という方法もある。
生薬と漢方薬の違いは使われている植物が単独か否かということ。漢方医学の理論に基づいて複数の生薬を組み合わせたものが漢方薬である。
日本やヨーロッパでは生薬自体を医薬品に含めているが、アメリカは生薬に含まれる有効成分しか医薬品として認めていない。
現在、国際条約下でアヘンの輸出可能な国はインド、中国、日本、北朝鮮の4ヶ国に限定されているが、現在も輸出を継続しているのはインドのみであるため、国際条約下においてはインドが本種の最大の栽培地といえる。
(表向きではなく密かに輸出入するのが密輸であり、それは摘発され公表されなければ知る由もない)

アラブ人から中国にアヘンが持ち込まれた時には爆発的に広がるということはなかった。

アヘンの拡がりにはタバコが関係している。
タバコの発祥地は南米。紀元前より喫煙文化があり、当初の宗教儀式から嗜好へと変化していった。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸に上陸した時にはすでにアメリカ先住民の間でも喫煙が根付いていた。
そのアメリカからヨーロッパに喫煙文化が伝えられ、ヨーロッパを経由して中国にも広がった。
もともとケシが生薬として存在しており飲煙という方法もあった中国で、ケシをタバコの葉代わりにしてみた人がいたのだろう。
先日化学兵器のことを書いた時に気化させたガスのほうが即効性が高いと書いたが、それは生薬でも同じことである。
経口服用よりずっと速効性が高い。生薬を飲むよりも煙にして吸い込む方が大量に効率よく取りこめる。このことによって麻薬的効果も格段に増幅されてしまう。
アヘン(ケシ)をタバコ代わりにすることをヨーロッパに伝えたのはカトリック国であるポルトガルであった。


産業革命頃から始まったイギリス(インド)からのアヘン輸出により、清ではアヘンが瞬く間に広がっていった。
清のアヘン中毒者は、1820年から1845年の25年間に100倍増え、国民の10%近くが中毒に陥っていたと推測されている。
そしてついにはイギリスの紅茶輸入額よりも清のアヘン輸入額が上回ってしまう。
イコールならば物々交換でいけるが、清の輸入額が増えたらそうはいかないだろう。「金でも銀でもいいけどお金払って」とイギリスは言うに決まっている。
こうして清からイギリスへ銀が流出していくことになった。
中毒者が増えて風紀は乱れるは、銀は流出するはで、清は踏んだり蹴ったり。
「アヘン禁止!輸入してはダメ!」、とうとう清政府からお達しが出た。
それでも密輸は止まらず、ついに戦争に突入したことは御存知の通り。アヘン戦争とアロー戦争。


”風紀が乱れた”でちょっと脱線。
風紀と言うと「風紀委員」を思い出すという人もいるのではないかなと思うが、通っていた学校に風紀委員という委員会活動がありましたか?
私は記憶にないのでたぶん風紀委員という委員会がなかった学校だったと思うけれど、ある?
職場にもあったりして?
風紀ー日常生活のうえで守るべき道徳上の規律。特に,男女の交際についての規律や節度
風紀委員のメインのお仕事は男女交際の見張り? 


Yahoo知恵袋より
2013/5/29 12:51:37
Q 風紀 とは? 簡単に教えてください!
..................................................................
...................................................................
夜の職業の言葉で【風紀 - ふうき】とありますが、どういう意味ですか?
例えも込みで、簡単に教えてください!


2013/5/2913:19:36
A 風紀とは。
社会生活の秩序を保つための規律。特に、男女間の交際についての節度。

とあります。
たとえばキャバクラなどの、お酒を飲み、会話を楽しむためのお店で、
ノリのよすぎるキャストの女性が男性客に足や胸を触らせたり、
店内でキスしたりしているのを周囲に見られたとします。
(普通やらないようなルール違反ですね。)
他の男性客が「俺にもさせろ」と他のキャストに言い寄る。
それに応じるキャストばかりではないので「向こうでは、やってたぞ」とクレームになる。
「あそこの店はいろいろやらせてくれる」という風評や
「俺は断られた、クソだあの店は」と悪評を流されたりと、
お店のイメージが悪くなる。
お客は気分悪いし、キャストも迷惑だし、お店は大損害です。
いいお客も行きづらくなりますし、キャストも辞めたくなったりします。

これが風紀が乱れた結果。
良好なお店である為に必要な「皆が守らなければならないルール」のことを風紀といい、
それを破る(乱す)とそのお店の雰囲気やイメージがガタ落ちになって、
社会的に悪く言われてしまい、やっていけなくなります。
実社会でも「風紀」というのはすごく重要です。

お分かりいただけましたでしょうか。









by yumimi61 | 2018-04-23 16:44
178.png2008年6月までカテゴリーとタグ付終了しました。


イギリスが1825年に機械輸出を解禁したことで、イギリスでの産業革命はほぼ完了した。
イギリスはこれにより金銀外貨を獲得する筋道を立てた。国内で不足するものがあっても輸出がある(貿易黒字国である)限り安心である。
イギリスの産業革命はヨーロッパ諸国、アメリカ、日本など世界各地に広がっていった。

工業化に支えられたイギリス経済は成長し、その間に人口は3.5倍に増大した。
人口の増大と経済成長は調和的に進行した。
機械工業化は生産効率を上げ、作れる物を大きく増加させた。
物が増えて、お金も増えて、人口も増えた。
人口は増えたけれど、国民が持つお金も増えて、必要な物を供給することも出来た。
人口増加が問題とされてきたのは「革命」がなかったからで、革命さえあれば乗り越えられると誰もが思うようになった。
乗り越えることを考えに入れなかった「マルサスの人口論」は「マルサスの罠」なのだと言わんばかりに。



イギリスは工業製品と綿製品が主要な輸出品であった。
国内で不足するものがあっても輸出がある(貿易黒字国である)限り安心である。 ←しかしこれがそれほど上手くはいかなかった。
綿製品の生産はアジアやアメリカでは困っていなかった。要するに売れないのだ。
機械や工業製品の輸出を通してアメリカとはそれなりに上手くやっていたが、機械や工業製品が入っていかない国との貿易では均衡や黒字化は難しい状況だった。
もっとも世界各地で産業革命が進んでいくに従って機械や工業製品もイギリスの優位性は失われていくのだが。

イギリスの貿易赤字が顕著に現れたのが清(中国)との貿易だった。
清は綿製品は良い物があったので必要としなかった。工業化は進んでおらず大型機械類などはなかなか受け入れられない。工業製品はまだ価格が高く富裕層ならまだしも庶民に行き渡るものではなかった。

だがイギリスは紅茶を必要とした。
イギリスと言えば紅茶と言われるくらい紅茶で有名な国だが、実は昔から茶葉を自国で栽培しているわけではなく、輸入に依存している。
イギリスは物として紅茶が誇りなのではなく、紅茶という文化が誇りになっているのだ。
ヨーロッパの水は硬水でミネラルが多すぎて常飲には向かない。
(だから水代わりにお酒を飲むのだとか・・)
(日本人はミネラルウォーターが良いと思い込んでいるふしもあるが、硬水は臓器が十分に発達していない赤ちゃんや子供、病気の人には負担や弊害となることもあるので拘り過ぎは注意が必要です)
またヨーロッパは川の全長が長く勾配も緩やかで非常にゆっくりと流れるため、衛生的見地に立つと問題が多い。(日本の川は短くて流れが急)
それを安全に飲める水にするには薬品などを多く使うことになり、どうしても水の味が落ちてしまう。
ヨーロッパの人達は歴史的にあまり水道を信じていないという面もある。
さらに硬水はお茶の香りや味をしっかりと出すのに向いていない。特に不発酵の緑茶や半発酵のウーロン茶では抽出されにくい。
ところが完全発酵である紅茶の場合は、とてもよく抽出されて美味しさが引き出される。
さらにさらに濃く抽出された紅茶にはミルクがよく似合う。
イギリスは酪農が盛んであり、イギリスのミルクはとても美味しい。
そのミルクも使えるお茶となれば一石二鳥である。
自国栽培していない紅茶は本来はお金持ちの上流階級の人達がたしなむものであったが、中国から豊富に輸入できるようになったことと、産業革命によって増えたお金によって紅茶を飲用する人が増大したことによって、イギリスの紅茶は今の地位を築いていく。(労働者がお酒を飲んでばかりでは困るので経営者が紅茶を勧めたとか・・)

 イギリス(綿製品や工業製品)→×買わない 清
 イギリス←(紅茶)清
 ※イギリスの清との貿易は赤字


産業革命によって大量生産できるようになったイギリスの綿製品は当初ヨーロッパ諸国中心に輸出されていたが、産業革命が拡がるにつれて輸出先は工業化が進んでいない国へと移っていった。
特にインドに大量に輸出されるようになった。
そのインドも綿製品の生産が盛んな国ではあったが、手工業・家内工業的生産だった。
企業が機械で大量生産した安い綿製品がインドに入っていくことによってインドの綿生産は大打撃を受けたが、その代わり綿花をイギリスに輸出することになった。

 イギリス(綿製品)→インド
 イギリス←(綿花)インド
 ※イギリスのインドとの貿易は黒字
 

以前書いたように、イギリスは手形がいち早く導入された国でもある。
産業革命の頃にはすでに為替手形による貿易が行われていた。

インドはイギリスから輸入した綿製品の代金を支払う必要がある。
イギリスはインドから輸入した綿花の代金を支払う必要がある。
だが貿易黒字なのはイギリス。インドの支払いのほうが多い。

イギリスは清から輸入した紅茶の代金を清に支払う必要がある。
そこでイギリスは手間を省いて、インドがイギリスに支払うべき代金をイギリスではなく清に支払ってもらう契約を結んだ。=この形式を為替手形という。

イギリス(手形振出人)
インド(支払人)→清(受取人)(手形所有)


だが両国のイギリスとの貿易額には差があった・・・
 イギリスのインドへの輸出額<イギリスの清からの輸入額
インドが清に支払う額では足りなかったのである。

インド「清がこれでは足りないと言ってます」
イギリス「じゃあインドがもっとイギリスの綿製品を買いなさい」
インド「いや我が国はこれ以上の綿製品は必要ありません」
イギリス「うーん困ったな・・・そうだ!いい方法がある。お金(銀)の代わりにアヘンを清に渡せばよい」
インド「アヘンをですか?そんなもので了承してもらえますかね?」
イギリス「とりあえず支払いをちょっと待ってもらって、そのお詫びとしてアヘンを渡して御覧なさい」
インド「そんなことで上手くいくもんですかねぇ」

その方法はイギリスの目論見通り非常にうまくいき、やがて清では代金はいらないからアヘンを持ってきてくれと言い出すようになったほどである。
こうなると紅茶とアヘンの物々交換が成立する。
インドを植民地にしてインドでアヘンを生産させ、イギリスは清と直接物々交換すれば、お金(銀)が他国に流出することはない(外貨が必要ない)。
それと同じで綿花と綿製品も物々交換にしてしまえば、イギリスからインドに流れるお金(銀)も最小限で済む。



by yumimi61 | 2018-04-22 17:35

生長点

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by yumimi61 | 2018-04-22 01:33