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<   2018年 05月 ( 24 )   > この月の画像一覧

サミュエル商会の日本での重要な事業の1つに公債引き受けがあった。
マーカス・サミュエルはロスチャイルド(のBUNITO)との間で、がロシア灯油の独占販売契約を結び、タンク・シンジケートを設立して石油タンカーを建造し、1892年8月にスエズ運河を抜ける航路での最初の航海に漕ぎ着けた。
それから間もなくして日清戦争(1894-1895年)が勃発。
サミュエル商会は1897年に「日清戦争戦費公債」を4,300万円ほど引き受けている。
その年に、タンク・シンジケートはシェル・トランスポート・アンド・トレーデイング・カンパニー (Shell Transport and Trading Company)という会社組織に改組された。
「シェル」の設立と日本が殊更関係が深いとするならそれは戦争を行い借金をしたことなのかもしれない。

1902年には「横浜水道公債」と「大阪市築港公債」、1903年には「日露戦争戦費公債」(ロンドン市場での英貨公債募集を閣議決定したのは宣戦布告から1週間後の1904年2月17日)、1906年には「関西鉄道英貨公債」、1907年には「横浜市築港公債」など数多くの公債をサミュエル商会は引き受けている。
サミュエル商会は明治初期から鉄道建設に関わるなど外国企業ながら日本政府との密な関係を持っており、1876年には正式に横浜支店を開設した。
イギリスの会社であるサミュエル商会はロンドン金融市場にも通じ、日本国内で公債に応じるだけなく、日本の外債発行に大きな影響力を持っていたとされる。

マーカス・サミュエルがロスチャイルドから得たロシア産灯油のアジアでの独占的販売権は1900年を期限としていた。
日本の規制緩和の動きも受けて、1900年、サミュエル商会は日本にライジングサン石油株式会社を設立した。


1902年、日本とイギリスの間で日英同盟が結ばれる。

1903年、シェルとロイヤルダッチはロスチャイルド家の仲介により合弁会社Asiatic Petroleum Company(アジアティック石油会社)を設立し、本社を中国上海に置いた。
これは日露戦争(1904-1905年)前年のことである。
アジアティック石油会社はシェルとロイヤルダッチとロスチャイルドの3者(3社)が3分の1ずつ資本を出して設立された。
ライジングサン石油会社はシェルの子会社というポジションである。


1905年、日英同盟の更新(改定)。第2次日英同盟
1911年、日英同盟の更新(改定)。第3次日英同盟。

•ライジングサン石油、第2回日英同盟を記念して「同盟印ローソク」を販売。「雷神印」「鶴亀印」なども好評。(昭和シェル石油ホームページより)
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日本とイギリスの国旗が用いられた図案。
イギリスの国旗はまるで米という漢字が書かれているかのように見える。
現に、イギリス国旗のことを中国では、米字旗(旗の意匠の漢字は米が類似している)と呼ぶことがある。
中国はアメリカのことを「米国」とは表記しない。「美国」である。
日本では何故アメリカを米国と言うのか?アメリカの当て字である「亜米利加」の米という漢字を使ったというのが定説である。だったら「亜国でも良かったのでは?」と言われたからなのか知らないが、メリケンの当て字「米利堅」の米であると言われることもある。
ひょっとして・・アメリカはイギリスの国という意味だったりして・・?

日の丸は半分ユリ(百合)の花に隠れてしまっている。
ユリという花もキリスト教との関わりが深い。

キリスト教においては白いユリ(マドンナリリー)の花が純潔の象徴として用いられ、聖母マリアの象徴として描かれる。天使ガブリエルはしばしばユリの花をたずさえて描かれる。これはガブリエルがマリアに受胎告知を行った天使であることを示す図像学上のしるしである。

幕末にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した。
なお持ち帰られたのは琉球列島原産のテッポウユリであり、これが現在のイースターの象徴として定着していった。そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した。
ただし、テッポウユリに関しては、現在主流となっている品種「ひのもと」は、時代を下り、1944年に屋久島から福岡県に持ち帰られた球根の後裔が、1962年に種苗名称登録に出願されものである。 輸出用の栽培は、原産地の沖縄以外にも、主に富士山麓から神奈川にかけて広く行われた。


マドンナリリーの原産地はヨーロッパ南西部、地中海沿岸、バルカン地方、パレスチナ地方、コーカサス地方など 。
一方のテッポウユリの原産地は日本。
キリスト教の本場であるヨーロッパにおいてヨーロッパ原産のマドンナリリーは、1800年代後半以後に日本から持ち込まれたテッポウユリという外来種が繁殖したことで減少し、 今では世界的に希少価値の高い幻のユリとさえ言われている。

しかしながら図案のユリはテッポウユリでもマドンナリリーでもない。
ヤマユリの「白黄」という品種だと思われる。
特色は内側に入る筋。純白の花に黄色い筋が入る。ヤマユリは筋と斑点が入るのが特徴だが、「白黄」という品種は斑点が少なかったり入らない。

ヤマユリ
日本特産のユリ。北陸地方を除く近畿地方以北の山地の林縁や草地に分布する。学名は「黄金色のユリ」の意。和名は、山中に生えることからつけられた。
花の香りは日本自生の花の中では例外的ともいえるほど、甘く濃厚でとても強い。発芽から開花までには少なくとも5年以上かかり、また株が古いほど多くの花をつける。風貌が豪華で華麗であることから、『ユリの王様』と呼ばれる。
1873年、ウィーン万博で日本の他のユリと共に紹介され、ヨーロッパで注目を浴びる。それ以来、ユリの球根は大正時代まで主要な輸出品のひとつであった。西洋では栽培品種の母株として重用された。
ヤマユリは神奈川県の県の花に指定されている。


このヤマユリを改良してオリエンタル・ハイブリッドなどのユリが作られた。

図案中央あたりに見られる花はおそらくアネモネ。
古くから人との関わりが深く、神話や伝説にも多く登場しているアネモネ。ヨーロッパ南部から地中海東部沿岸地域の原生地から各地への伝播には、十字軍や巡礼者が関わっています。(趣味の園芸より)



by yumimi61 | 2018-05-31 16:53

しあわせ╱しわあせ

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・私が好きな寿司ネタを3つ挙げるとすれば、赤貝、ホタテ、ブリ(ハマチ)で、貝が2つ入ります。


・先日「シャンシャンりんごを食べる」という見出しでシャンシャンがニュースになっていた。
私はシャンシャンが丸りんご1個を両手で持ってガブリとしている姿を想像した。それなのになんと!人間様のように小さくカットされたりんごを片手で持ってお口に運んでいる・・皮を剥いていないのだけが救いだった。


・先日あることに気が付いて凄い発見だと思った。
狩人の『あずさ2号』という歌、あの歌詞の主人公の名前(あるいは源氏名)なのでは!?
で、彼女は妾的存在だった。
妾のことを「二号」と言ったりしますよね・・だから「あずさ2号」、それを特急電車の「あずさ2号」に掛けた。
末広がりの八は縁起が良いと言うけれど・・・


・前にしあわせについて書いたことがある。
「手と手を合わせて、しあわせ」という仏壇のCMがありましたね。
あれはどういう意味だったんだろうなぁ。
「幸せ」か「為合わせ」か、はたまた「皺合わせ」か。 

「幸せ」は「為合(しあ)わす」という言葉から生まれた言葉。
「幸」や「仕」は当て字だったわけです。


為って?
1 利益があること。役立つこと。「為にならない本」「子供の為を思う」
2 原因・理由。わけ。「雨の為に延期する」
3 目的や期待の向かうところ。「健康の為に運動をする」
4 一定の関係のあること。…にとっては。「私の為には叔父にあたる」


英語ならばforやbecauseの後に続く何かが「為」ということになる。

「試合」という言葉も元々は「為合い」です。
相手と戦う。「為合う」ということ。
勝つか負けるか、幸か不幸かはその先のこと。

語源を考えれば、「幸せ」というのは必ずしもHappyということではないのです。

さらに考えてみると、試合で相手に「合わせる」ことは幸せなのかどうか。
試合ではなくて人間関係ならばどうなのか。



為合わせ・・どんな為を合わせるのだろう。
名誉や栄誉の為に戦うんだろうか。
自分の出世の為?子供の出世の為?自分の自尊心を満たす為?子供の自尊心を満たしてあげる為?
子供の成長の為?健康の為?教育の為?お金(儲け)の為?貯め?
進学の為?就職の為?生きていく為?

先日「死合わせ」という当て字もあるんだなと思った。
死んだ後は幸せ?それは・・死んだ人がだろうか、残された人がだろうか。
死後の世界って本当に幸せなのかなあ。
現世の私達は死後の世界に行っていないから(もしくは何も覚えてないから)死後の世界を知らない。
本当は死後の世界もドロドロしていて幸せなんかじゃないかもしれない。
知らないから幸せ?
そうじゃなくて、やっぱり知合わせ?






by yumimi61 | 2018-05-31 12:29
ロックフェラーをはじめアメリカが得意としたのは幾つかの企業を合併して1つの企業にしてしまうトラスト(企業合同)。
ロスチャイルド家は各地に代理人や代理店を置いて任せる方式、提携などで協力関係を結ぶというやり方で事業を展開してきた。これが発展したのがカルテル(企業連合)。シンジケートはカルテルとなる。


とある国で生まれ育った大企業が海外進出する。外国ではその会社は外資となる。
一般的に各国は自分の国の企業なり産業を守るために外資には様々な規制を掛けていることが多い。
(植民地との貿易ならばその心配はないだろうけれども。だから植民地を持つ権力者の貿易は上手くいく)
(植民地の人がそれを自由と感じるか不自由と感じるかは人それぞれかもしれないけれども、だからこそ自由を守るための規制というものもあるのだと思います)
(動物でも植物でも外来種を目の敵にすることがありますね?在来種を守れ!とか言って。企業だって貿易だって同じことが言えてしまうわけで。それなのに自由貿易が素晴らしく保護貿易を悪だと決めつけるところが胡散臭い。外来種がみんな悪いのか、在来種がみんな良い物なのか、何を基準にそれを決めるのか、難しいところですね)

例えばロックフェラーのスタンダート・オイルが外国に法人を作って事業を展開しようとすれば、外国での規制を受けることになる。
ところが現地の人や現地会社を代理人や代理店にしたり、協力関係を結ぶというロスチャイルドの手法はその規制を受けにくい。
事業は任せてもロスチャイルドが資本参加するということは多々あり、また外資の資本比率が定められていることもある。
しかしもともとの提携者らが資本を分担して持てばよいわけだからさほど問題なくクリアできたりする。
さらに事業のためのお金でなく、お金のための事業ならば、その資本はいつでも引き上げることが出来る。資本自体が商売であったりするのだ(マネーゲームと言ったりもする)。
ここぞという時に株式を売り払って儲けたり、損をしないところで売り払ってリスク回避したりする。


日本では江戸末期に不平等条約を結ばされたという被害者意識が強いが、別にそうでもなかったということを前にも書いた気がするが、外資にも規制が掛けられていた。
その規制が1890年代に外されてきた。規制を外すとともに治外法権も撤廃した。
要するに日本で自由に商売できる代わりに、日本で処罰も受けましょうということになる。自由と責任は相和しない。


この規制緩和の動きを受けて、1900年、サミュエル商会は日本にライジングサン石油株式会社を設立した。
サミュエル商会は様々な物品を輸出入していたが、ライジングサン石油株式会社はその名の通り、石油部門を独立させた会社。
もともとマーカス・サミュエルがロスチャイルドから得たロシア産灯油のアジアでの独占的販売権は1900年を期限としていた。
独占販売権は飴で、期限は鞭といったところだろうか。
サミュエルはその間に一定の成果を上げる必要があったし、それを示してみせる必要もあっただろう。
同じ年、ロスチャイルドはオランダのロイヤルダッチの支援を始める。
ライジングサン石油会社が出来る前のサミュエル商会は、日本に届いた石油を日本国内に展開するのには国内に従来からある会社などを代理店にして利用していたが、直営での展開に乗り出すことになる。


1903年、シェルとロイヤルダッチはロスチャイルド家の仲介により合弁会社Asiatic Petroleum Company(アジアティック石油会社)を設立し、本社を中国上海に置いた。
これは日露戦争(1904-1905年)前年のことである。
そして1907年に両社が統合し、ロイヤルダッチ・シェルの設立と相成った。


シェルとは1897年にタンクシンジケートが改組して出来たシェル・トランスポート・アンド・トレーデイング・カンパニー (Shell Transport and Trading Company)のこと。
アジアティック石油会社はシェルとロイヤルダッチとロスチャイルドの3者(3社)が3分の1ずつ資本を出して設立された。
ライジングサン石油会社はシェルの子会社というポジションである。


トレードマークは、サミュエルが財を成す事が出来たのは、湘南の浜の貝殻であることから、それを忘れ無いために貝殻の「貝」印とした。(前出の桐蔭横浜大学客員教授コラムより)
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1897年にシェル・トランスポート&トレーディング・カンパニーを設立した。社名は、貝殻を販売していたことと、出資者の家紋がヨーロッパホタテ(Pecten maximus、ホタテガイに近縁なホタテガイ属の1種)であったことにちなむ。
トレードマークは当初ムール貝であったが、1904年に現在のマークの原型となるホタテ貝に変更した。ヨーロッパホタテの貝殻をモチーフにしたペクテンマークの起源はここにある。


Pecten maximus
Pecten maximus, common names the great scallop, king scallop, St James shell or escallop, is a northeast Atlantic species of scallop, an edible saltwater clam, a marine bivalve mollusc in the family Pectinidae. This is the type species of the genus.
This species may be conspecific with Pecten jacobaeus, the pilgrim's scallop, which has a much more restricted distribution.



一番最初(1900年)に作ったマークは地中海原産のムール貝だったそうである。
当時日本には存在しておらず、後に外来種であったムール貝が大繁殖することになる。

ホタテガイは生物学的にはイタヤガイ類(scallop) の1種で、イタヤガイ=ホタテガイではないそうだが、日本ではそのあたりを区分けしないで似た形のものはほぼ「ホタテガイ」と呼んでいる。

キリスト教圏では英語で言うところの scallop (特にその一種であるイタヤガイ属)の貝殻は、中世以来、聖ヤコブの象徴物とされており、フランス語では「聖ヤコブの貝」を意味する "coquille Saint-Jacques [仮名転写例:コキーユ・サンジャック]" の名で呼ばれている。これは「ホタテガイ」とは異なる。 


St James shell
地中海産のジェームズホタテガイ(ジェームズイタヤガイ)は古くから図案や紋章にとり入れられ,十字軍の従軍記章にもなったことで名高く,エルサレムへいった兵士がこれを従軍の印として故国へもち帰ったので巡礼貝の名がある。


「聖ヤコブの貝」
9世紀初頭に遺骨が発見されたというスペインのサンチアゴ・デ・コンポステラ(サンチアゴは,スペイン語で〈聖ヤコブ〉の意)は,今日なお巡礼地として名高い。同地は中世には,帽子などにホタテガイの殻をつけた巡礼が西欧各地から集まり,キリスト教三大巡礼地の一つとして栄えた(なお,今日でもフランス語でホタテガイをcoquille Saint‐Jacques(聖ヤコブの貝)と呼ぶ)。ヤコブはイスラム勢力と戦うキリスト教徒を守護すると信じられ,崇敬された。

スペインでは黄色い貝が巡礼の目印になっている。
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http://labarum.ocnk.net/
アンティーク&ヴィンテージ聖品専門店Labarum(ラバルム)より
(イタリア在住店主がイタリア、ヨーロッパで集めたメダイ/クロス/ロザリオ/ご絵/聖像/その他多種多様な聖品類/コレクションボックス等をご紹介しています)

ヨーロッパで実際に使われていたアンティーク・ヴィンテージメダイです。
永い年月を経て味わいのあるお品となっております。

【図柄・刻印・フレーズ解説】
三大巡礼地のひとつ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼記念のホタテ貝型スライドメダイです。
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*ちなみにフランス語ではホタテ貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼びます。
聖ヤコブの姿は往々にして巡礼者の姿で描かれる事が多く、巡礼の格好はつばの広い帽子にマントを着て巡礼杖を持ち、肩に合財袋か瓢箪をさげています。そして貝殻をマントなどにつけて描かれます。
その為彼が埋葬されている世界的にも有名な三大巡礼地のひとつ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼者は、この貝殻をつける慣わしがあります。
*聖ヤコブはスペイン語でSantiagoサンティアゴ そして聖ヤコブはスペインの守護聖人で、そのシンボルのホタテ貝自体がスペイン人キリスト教徒にとって非常に重要なモチーフです。


メダイ(キンメダイ・・・)
メダイはポルトガル語です。英語ではメダル、フランス語ではメダイユと呼ばれています。
つまり物として金メダルや記念コインのようなものと同じです。
キリスト教の聖品として聖母マリア様やイエス・キリストをはじめ、聖人・聖女の方々などが彫られた様々な種類のメダイが存在します。


ちなみに「ホタテガイ」は寒海性の貝なので、暖かい海にはいない。
日本のホタテガイの産地は北海道や青森県である。
湘南の海では・・・

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by yumimi61 | 2018-05-29 15:05
息子マーカス・サミュエルは父の死後1873年にアジアを訪れ、1875年には世界中を回ってみた。兄弟とともに。
アンティークインテリア雑貨店が産業革命と自由貿易の後押しを受けて工業製品も扱うようになっていたが、さらに取扱品目を増やしていった。
いわば貿易商社のような仕事をするようになったのである。
世界各地の商社と取引をするため自社に大量の社員や工場などの不動産を抱え込む必要はない。比較的リスクの少ない商売である。

アンティークインテリアや雑貨のお店として雑貨、家具、漆器、陶器、銅器などの輸出入を行っていたが、そこに機械類など工業製品が加わった。
ビルマやタイの米、アメリカやカナダの小麦、フィリピンのタピオカなどの食品も加わる。
日本とは三井物産や三菱商事などと取引をしていた。
日本は機械類、綿や毛の織物、砂糖、石油などを輸入。
日本からは石炭、生糸、茶、米、木材、魚油などを輸出していた。
サミュエル商会は欧米の保険の代理店を務めるようなことも行っていた。
また日本の鉄道建設にも関わっている。

明治新政府は政府が成立すると鉄道建設に着手する。
明治維新の翌年、政府は官営による鉄道建設を決定し、新橋 - 横浜間の鉄道建設が始まったのだ。
明治2年(1869年)11月に自国管轄方式によって新橋・横浜間の鉄道建設を決めた。当時の日本では自力での建設は無理なので、技術や資金を援助する国としてイギリスを選定した。これは鉄道発祥国イギリスの技術力を評価したことと、日本の鉄道について建設的な提言を行っていた駐日公使ハリー・パークスの存在も大きかった。翌明治3年(1870年)イギリスからエドモンド・モレルが建築師長に着任して本格的工事が始まった。日本側では明治4年(1871年)に井上勝(日本の鉄道の父)が鉱山頭兼鉄道頭に就任して建設に携わった。

サミュエル商会は1876年に横浜に支店を正式に設立したが、それ以前より日本政府から鉄道建設資材など受注しており、代理店があったようなのだが、その実態は明らかになっていない。
そもそも明治維新の裏にいたのがイギリスである。


1876年に設立された横浜支店は、マーカス・サミュエルの弟が来日し10年間滞在して、彼を中心に事業を行った。
経営のプロとして、Chartered Bank of India, Australia and China (インド・オーストラリア・中国チャータード銀行)の経営一族と血縁関係にある人物を招く(後にこの人が代表となる)。

チャータード銀行は1853年、ビクトリア女王からのジェームズ・ウィルソンへの特許状交付に基づき設立。
1858年、最初の支店をカルカッタとボンベイに開設したのに引き続き、上海にも進出。翌年には香港に支店、シンガポールに出張所を開設。1862年以降は、香港での紙幣発行銀行となる。1860年代から1900年代にかけてアジア全土へ支店網を広げる中、1880年、横浜に出張所を開設。1900年代初頭には、ニューヨークでの営業許可を得た最初の外国銀行となる。1957年、イースタン銀行を買収し、イエメン、バーレーン、レバノン、キプロス、カタール、アラブ首長国連邦へも支店網を広げた。神戸市の旧外国人居留地にあるチャータードビル(旧チャータード銀行神戸支店)は近代建築として著名である。

当行の英語名称は"The Chartered Bank of India, Australia and China"が正式な行名であり、香港で発行していた紙幣にも当初同じ名称が記されていたが、1950年代以降に意匠変更された紙幣からは、"The Chartered Bank"の略称で表記されるようになった。また、この香港発行の紙幣では、中国語名称として当初「印度新金山中國匯理銀行」と記されていたが、1910年代以降に意匠変更された紙幣からは「印度新金山中國渣打銀行」と変わり、英語名称で"The Chartered Bank"の略称が使用されるようになってからは、中国語名称も「渣打銀行」の略称で表記されるようになっている。

世界第5位[要出典]に位置づけられる同行は、特に新興地域において主導的な役割を担っている。イギリスでの顧客は少なく、アジア太平洋地域、ヨーロッパ地域、アフリカ地域での業務がそれぞれ、65%、25%、10%を占める。中でも香港は、2004年には収益の30%を挙げるなど最も重要な活動拠点となっている。とはいえ、ロンドン証券取引所上場のイギリス企業である点に変わりなく、同国上位企業の株価指数であるFTSE100でも20〜30位以内に位置づけられている。



1870年以降に俄かに注目され出した石油という資源。
言わずとしれたアメリカの石油王ロックフェラーの功績。
当時は産出量も生産量もアメリカがトップだった。
ただ油田としてはロシアのバグー油田が世界最大と言われていて、ロシアの産出量や生産量も大きく伸び始めた。
ロシア産の石油を売り出していたのがノーベル家とロスチャイルド家である。
主な市場はヨーロッパだったが、アメリカのロックフェラーはそのヨーロッパにも触手を伸ばした。
また日本や中国にも輸出をしていた。
以前私は明治維新は「太平洋の恐怖」から始まったのだろうと書いたことがある。恐怖に感じたのはイギリスである。
植民地、戦争を通して手にした中国の権益など、イギリスの繁栄はアジアやアフリカ、あるいは中東などとともにあった。
それは海を制したからに他ならないのだが、かつての植民地であるアメリカが今や大西洋を渡ってヨーロッパに来るだけでなく、太平洋を渡ってアジア圏にも進出しようとしている。ひたひたとした恐怖を感じずにはいられなかったのだろう。
しかもアメリカは、イギリスが進出して失敗した(手に入れられなかった)日本と手を組もうとしていた。
放っておけばそこから綻びがどんどん広がってしまう可能性がある。
イギリスは主導権を握らなければならなかった。だから反幕府側を支援し日本を手中に収めた。



ヨーロッパに石油を運ぶことを考えたロスチャイルド家はまずバクーからジョージアまでの鉄道建設に資金を提供した。
ジョージアに到着すれば後は海路(黒海から地中海に抜ける)で行ける。
鉄道は1883年に開通。
同年、ロスチャイルド家は財政難のロシア政府の国債を引き受ける見返りに、バクー油田の中でも最大級のバニト油田の権利を譲りうける。
1886年、「カスピ海・黒海会社」を設立。
供給先は違うが、ノーベル家とロスチャイルド(パリ家)は一緒にバクー油田の開発を行うようになる。


「カスピ海・黒海会社」は英語で書けばCaspian and Black Sea Petroleum Company だが、ロシア語表記の頭文字からBNITO(ブニト)と呼ばれていた。
ロスチャイルドはこの石油販売会社BUNITOを通してロシア産の石油を輸出していた。
ロスチャイルド家自体が代理人という制度で事業を展開してきたが、ブニトは直接製油には携わらず多くの小規模石油製油業者と契約を結び、ブニト自身はヨーロッパでの販売網の整備に力を注いだ。
しかし前述したようにヨーロッパ市場は思うほど上手くいかず、アジア市場の開拓をめざし、マーカス・サミュエルを紹介された。
アジアへの進出はロックフェラー家との一騎討ちをも意味していた。

1891年、イギリスの貿易商マーカス・サミュエルとロスチャイルド(のBUNITO)は、1900年を期限とするロシア灯油の独占販売契約を結んだ。
要するにマーカス・サミュエルがロスチャイルド家の石油事業のアジア部門の代理人になったようなことである。


折しも1891年はバク−油田で大噴油が続出し大増産となった年。
ロシアの石油をスエズ運河経由でアジアへ運搬することを提案したのはマーカス・サミュエル商会の運搬船のオーナーで海運仲買人でもあるフレッド・レーン。ロスチャイルドにマーカス・サミュエルを紹介した人物。
石油は最初シェリー酒の空き樽が利用されて運ばれていたが(石油単位のバレルの由来)、樽自体が高価で石油の価格の半分にもなってしまうという有様で、さらに樽は重量もあり、そのくせ蒸発したり漏れやすかった。到着時にはだいぶ石油がだいぶ目減りしていた。

石油タンカーを最初に建造したのはノーベル家。
とはいってもノーベル家の海路はカスピ海を北上する僅かな距離。陸路の方が長い。
1878年1月に建造契約を結び、その年のうちに最初の航海を行っている。

ロスチャイルド家(マーカス・サミュエル商会)の石油タンカーの最初の航海はノーベル家から遅れること14年。
しかしそれはマーカス・サミュエルとロスチャイルド(のBUNITO)がロシア灯油の独占販売契約を結んだ翌年のことである。
1892年8月に最初の航海に漕ぎ着けた。

スエズ運河会社は開通から6年後1875年にエジプトからイギリスが買い取っていた。イギリス政府に資金を貸し付けたのはロスチャイルド(ロンドン本家)。
スエズ運河はイギリスのものだから、そこを使ってもらいたいのは山々だが、危険物である石油を大量に積んだ船が狭く海賊などにも狙われやすい海峡を通過することはあまりにリスクが大きく、スエズ運河会社がそれを許可しなかった。
「じゃあどんな仕様の船(タンカー)ならば許可が下りるんですか?」と詰め寄って(尋ねて)、許可の下りる石油タンカーを建造した。
運河会社指定の仕様に従って、サミュエルは北イングランドのウィリアム・グレイ (William Gray) に3隻のタンカーを発注した。

こうしてアジアへの輸送の目途も立った。
後はじゃんじゃか石油を使ってもらい、じゃんじゃか売るだけ。
そしてそんなチャンスがやってくる。日清戦争勃発、1894年のこと。
マーカス・サミュエル商会は、日本政府に石油や兵器や軍需品を供給して支援し、儲けることに成功。


石油タンカーという石油に特化した輸送船は往路はよいけれども復路は空になってしまい無駄である。帰りに石油を積んでくることはないから。
単なる輸送船ならば 輸出品を積んで行き、輸入品を積んで帰ってくるということが出来る。
近所に行くならばともかく遠い国々へ燃料を使い危険を背負って膨大な時間をかけて向かうのだ。しかも行きっぱなしでは仕事にはならない。
往ったり帰ったりの繰り返し。いかに無駄なく効率よく船を回していけるかが貿易においての重要な要素の1つである。
サミュエル商会の建造した船は石油タンク部分をクリーニングして、復路には石油以外の物も運べるようにしたという。
さらに1社だけの利用ではなく複数社で利用できるようにシンジケートという形態( 同一市場の諸企業が共同出資して設立した共同販売会社が一元的に販売する組織形態)を採り、タンク・シンジケート(Tank Syndicate)を設立した。
単に船(タンカー)の利便性だけでなく、共同出資であるからタンカーの建造費の負担減にも繋がる。
また複数社が分担で行うことにより新たな市場を大規模に開拓することが出来るため、巨大企業に対抗することが可能になる。ライバルはロックフェラーのスタンダード・オイルだった。

ロックフェラーをはじめアメリカが得意としたのは幾つかの企業を合併して1つの企業にしてしまうトラスト(企業合同)。
ロスチャイルド家は各地に代理人や代理店を置いて任せる方式、提携などで協力関係を結ぶというやり方で事業を展開してきた。これが発展したのがカルテル(企業連合)。シンジケートはカルテルとなる。
但し親会社のようにロスチャイルド家という絶対的存在が上にどーんと居座り、そのロスチャイルドが傘下の企業に資金(資本や融資)提供しているとするならば、それはもうコンツェルン(企業結合)と言えるだろう。
上に存在するのがロスチャイルドではなく王室でも皇室でも政府でも同じことが言える。
コンツェルンはいわばピラミッド型の巨大な支配体系で、財閥と言われたりする。

タンク・シンジケートでは利益は共同配分するということが定められていた。例えば中国市場でスタンダード・オイルに負けて損失を出しても、日本市場で勝って取り替えせれば利益に繋げられるので、1社ごとのリスクはそれだけ少なくなる。しかしそれはやはり独立性が弱いと言えるのでコンツェルンのような形態である。

これでは日本と中国(清)が戦争をしても、シンジケートはどちらにも物資を供給することになる。
商売なのだから当たり前と言えば当たりまえなことだが。
需要があるところに供給する、利益が出そうなところに売り込む。


1897年、タンク・シンジケートはシェル・トランスポート・アンド・トレーデイング・カンパニー (Shell Transport and Trading Company)という会社組織に改組された。
ここで初めてシェルという名を使った。
サミュエル家が過半数の株式を保有し、会社の支配権を握った。









by yumimi61 | 2018-05-28 12:29
少し前に書いたバグー油田からの石油の話の続き。

アヘンで大儲けした人達が次に目を付けたのが石油だった。

世界最古の油田、バクー油田。それはアゼルバイジャンという国にあった。国営の油田である。
アゼルバイジャンは歴史的にはイラン政権やアラブ政権の支配下に置かれていた時期が長い。
1813年にロシア帝国領となり、やがてソ連構成国となっていく。

この古くからあったバクー油田に注目したのはノーベル賞のノーベルである。厳密に言うと、爆弾の発明者の兄ノーベル。木材を買い付けに行って油田に興味を持ち、木材を購入する代わりに油田の権利を譲ってもらった。1873年のこと。
アメリカでロックフェラーがスタンダードオイルを設立したのは1870年。アメリカで石油産業を確立し、一大トラストを築いていくことになる。
1879年、ノーベル家も「ノーベル兄弟石油生産会社」を設立し、ロシアに石油供給を始めた。

ロスチャイルド家(パリ本家)も石油事業に目を付け参戦する。
ノーベル家はバクー油田からの石油をロシアに運搬していたが、ロスチャイルドはバクー 油田からヨーロッパに運ぶことを考えた。



ノーベル賞創設者のアルフレッド・ノーベルは北欧スウェーデン出身として有名だが、実は9才の時(1842年)にロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに移り住んでいる。
建築家で発明家の父親がアルフレッドが4歳の時にサンクトペテルブルクに単身赴き、機械や爆発物の製造で商売を成功させ裕福となり家族を呼び寄せた。
ノーベル一族の商売はロシアで始まったものである。
アルフレッドは幼少期から化学に興味を持っていたが(学校に通っていたのは8~9歳の1年半あまりで後は家庭教師などに学ぶ)、青年期には文学に傾倒し、イギリスの詩人シェリーに惹かれ詩人を目指すも断念。サンクトペテルブルクで父の工場を手伝うようになる。
だがクリミア戦争後の1859年(26歳)に父親の会社が倒産。それを機にスウェーデンに戻った。(でも研究実験場は依然サンクトペテルブルクにもあった)
アルフレッド・ノーベルはスウェーデンで黒色火薬よりも強力な爆薬ニトログリセリンの研究を行い、スウェーデンで特許取得するもスウェーデン軍には危険すぎるという理由で採用を断られる。
そうこうしているうちにスウェーデン・ストックホルムのニトログリセリン工場が爆発事故を起こす(末弟ら5人が死亡)。
この事故でスウェーデンでの研究開発が禁止されたためドイツのハンブルクに工場を移した。31歳。
その後、不安定だったニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明し、50カ国以上で特許を取得し、世界的な大富豪となる。
確かにスウェーデン出身であるが、ノーベル一家の成功はスウェーデンの外でもたらされたといっても過言ではない。
兄とともにアゼルバイジャンで石油会社を設立したのは45歳の時である。
兄はロシアに住んでいたとか。



ノーベル(スウェーデン、ロシア、ドイツ)、ロックフェラー(アメリカ)、ロスチャイルド(フランス、イギリス)のヨーロッパでの石油販売競争。
海路中心にヨーロッパに運搬するロスチャイルド家のほうが有利に思えたが、然うは問屋が卸さない。
ノーベル家がロシアで優位なのは当然だが、ノーベル家はスウェーデンの出身であり地元北欧においても強かった。
寒い地方への運搬は大変だけれども、確実に石油が消費される地域でもある。
またアメリカのロックフェラー家も大西洋を渡ってヨーロッパに石油を運ぶことが出来る。
従ってロスチャイルド家はヨーロッパでの顧客獲得合戦でダントツ優位に立てるわけではなかった。
そんな事情もあったことから、ロスチャイルド(パリ本家)はスエズ運河を抜けてアジアへ運搬することに目を向けた。



ロスチャイルドは、同家の代理人でもあった海運仲買人のフレッド・レーンにマーカス・サミュエルを紹介された。
マーカス・サミュエルはロイヤルダッチ・シェル(本社はオランダ・ハーグ)のシェル側の創業者である。


詳細は後述するが、マーカス・サミュエルはイギリス生まれ(イラク系ユダヤ人)。石油会社は後の設立だが、事業は父親がロンドンで始めた会社を継いでいる。
ロイヤルダッチという会社は、当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)生まれた人物が1890年にオランダ王室からの特許状を得て、1892年に設立した会社。
ロイヤルダッチは石油運搬をシェルに委託しており、最初から両社の関係性は非常に強い。
オランダ王室とイギリス王室は血縁関係にある。ともにドイツ系の王室である。日本の皇室とも親密。


ロイヤルダッチ・シェルは世界のグローバル企業500社のトップにもランキングされたことのある多国籍企業。
1903年、両社はロスチャイルド家の仲介により合弁会社Asiatic Petroleum Company(アジアティック石油会社)を設立し、本社を中国上海に置いた。
これは日露戦争(1904-1905年)前年のことである。
そして1907年に両社が統合し、ロイヤルダッチ・シェルの設立と相成った。



マーカス・サミュエルの日本での説明は若い頃の部分がほぼ間違えている。
間違えているというか、都合よく創作した話が伝わってきたという感じ。
どんな説明なのかと言うと、こんな感じ。
「田原都市鑑定株式会社 鑑定コラム」を例として借りた。
※当時代表が桐蔭横浜大学法学部の客員教授であり、2011年度の最初の講義で取り上げたとのこと。
桐蔭横浜大学の客員教授にはオウム真理教をダライ・ラマウ14世に紹介したというチベット出身のペマ・ギャルポがいる。
私はこれを前にも書いたことがある。
もしも私が家を建てたなら白~い家を建てたでしょう~♪
ブータン→日本経営者同友会の代表理事&国連友好協会NPO法人代表の徳田瞳→国連友好協会の理事であるペマ・ギャルポ→日本経営者同友会の事務所は桐蔭横浜大学のペマ・ギャルポ研究室 という流れ。
(徳田御一行様はオバマ政権のホワイトハウスレセプションにも出席している)

※同氏の別コラムでも興味深いことが書かれていた。
278)桐蔭横浜大学の客員教授
 大学の教務課より小さい紙箱を受け取った。
 100枚の名刺が入っていた。
 その名刺には五三の桐の紋章が付いていた。
 五三の桐の紋章を見た時、創始者は旧制の東京高等師範学校(現筑波大学)出身者かその関係者と直感した。


そこで私も桐蔭横浜大学のルーツを調べてみた。
1964年に設立した学校法人桐蔭学園がその始まりである。

学校法人桐蔭学園
1964年(昭和39年)に創立された学校法人で、幼稚部から大学・大学院を擁する総合学園である。横浜市青葉区鉄町にキャンパスを所有し、ドイツにも2012年(平成24年)までドイツ桐蔭学園を開校していた。また、関連法人として横浜総合病院(総合病院)も有していた。
「公教育ではできない、私立ならではの教育」をスローガンに設立され、同時に高校を開校する。設立当初から能力(学力)別クラス編成により、能力別の授業を行っている。

大学は1987年開校。桐蔭学園中学・高校はマンモス校らしい。

創立者は柴田周吉。
福岡県出身。東北帝国大学を卒業後は三菱系企業に就職。中国でも勤務している。最終的には三菱化成工業株式会社(現:三菱化学株式会社)の社長・会長に就任。
1963年(昭和38年)に藍綬褒章受章。
同年、筑波研究学園都市が閣議決定される。
筑波大学(旧:東京教育大学)移転の際には質実共に陰の力となり長期に渡ったプロジェクトの実現に尽力した。筑波学都資金財団を創設し各理事長をつとめ、筑波研修センターを建設した。紫峰会を設立。
理事長をつとめた茗渓会の同窓と共に茗溪学園創立。

(筑波大学の移転は国を挙げての学園都市構想に基づいて行われたわりには大学が駅から遠いという、発展させる気の無さぶりを発揮した。あえての隔離作戦だろうか)
桐蔭学園、茗渓学園、科学技術学園と全く異なる校風をもつ学校の理事長を兼任し、経団連の常任理事でもあった。


768)2011年大学新年度最初の講義とシェル石油創始者

 2011年(平成23年)4月中頃より、横浜青葉台にある大学の新学期の授業が始まった。
 法学部3年生を対象にした私の不動産鑑定評価の講義が始まった。
(略)
いつもは、ここより授業に入っていくが、今年は、現在の大学生の就職状況の厳しさから、大学3年生になった早々から就職活動をしなければならないことを考え、学生に大きな希望を持って人生を切り開いて歩んで欲しいという私の願いもあり、ある人の話をすることにした。

 大学が横浜にあることもあり、横浜に関係するマーカス・サミュエルという人の話をした。
 マーカス・サミュエル ?
 それはどんな人かと思われる人もいると思われるが、私もマーカス・サミュエルを研究した訳でもないから、それ程詳しくは知らないが、私の知っている範囲の事を学生に話し、人生に夢と希望を持って、力強く生きて欲しい例として話した。

 1871年(明治4年)、横浜の港に、僅か数ポンドの金しか持たない18歳の英国籍の若い貧しいユダヤ青年が降り立った。
 住むところも無く、湘南の浜の無人小屋を見つけ、そこで日々を過ごした。
 湘南の海岸で美しい貝殻を見つけた。
 これをボタンとかブローチに加工細工して英国で売れば、金になると思いついた。
 青年は貝殻を集め加工細工して、英国にいる父親に送った。
 父親はそれを売り歩いた。
 英国人は東洋の神秘さに見せられたのか、珍しがって買ってくれた。
 青年の商売は順調に行き、貝殻の加工細工のほか、雑貨も扱い、英国と日本との間の雑貨輸出入業者としてやって行ける様になった。

 青年は33歳になった1886年(明治19年)、横浜で自分の名前を付けた「マーカス・サミュエル商会」という会社を設立した。
 サミュエルの事業は益々順調に進んだ。
 その頃、アメリカでロックフェラーが石油を掘り当て、石油王になった。

 マーカス・サミュエルもその噂を聞き、自分も石油を採掘してみようと思い立ち、それまでの事業で儲けた金の一部で、インドネシアに出かけ採掘したところ、運良く石油を掘り当てた。

 1894年(明治27年)日清戦争が勃発した。
 サミュエルは、日本軍に石油、兵器を供給し援助した。
 
 こうして日本政府の信頼を得る一方、1900年(明治33年)サミュエルは、マーカス・サミュエル商会の石油部門を分離して「ライジング・サン石油株式会社」を横浜に設立した。
 このライジング・サン石油株式会社が、のちに「シェル石油」になるのである。
 トレードマークは、サミュエルが財を成す事が出来たのは、湘南の浜の貝殻であることから、それを忘れ無いために貝殻の「貝」印とした。

 サミュエルは、その後英国に戻り、ロンドン市長になった。

 シェル石油は、1907年(明治40年)オランダのロイヤル・ダッチと合併し、 ロイヤル・ダッチ・シェルとなる。合併後のトレードマークは、貝殻の「貝」印である。
 このロイヤル・ダッチ・シェルは、ロスチャイルドの中心企業に成長する。

 今も日本のあちこちに見られる貝印のトレードマークのガソリンスタンドは、ロイヤル・ダッチ・シェルの日本会社である「昭和シェル石油株式会社」のガソリンスタンドである。

 シェル石油の発祥の地は、日本の横浜である。




マーカス・サミュエルにはマーカス・サミュエルという同姓同名の父親がいた。
父親は骨董品や古美術品を扱う小さな会社を、少なくとも1833年前よりロンドンで営んでいたが、1833年に事業を拡大することにした。
インテリア、雑貨、装飾品などを扱う店である。マーカス・サミュエル商会。

JOYFUL-2店内のアンティーク家具と輸入雑貨の店「Old Friend」をご存知ですか?
「Old Friend」は2017年11月に「THE GLOBE」に変わった。

アンティーク家具、照明、ファッション、雑貨、ビンテージウォッチ、アートフラワー、DIYアイテムを扱う「THE GLOBE」が2017年11月15日にイオンモールつくばにグランドオープンしました。
それに伴い、JOYFUL-2店内に併設されているオールド・フレンドも生まれ変わりました。
ヨーロッパで現地買い付けし直輸入したアンティーク家具を、テイストの異なるブランドに合わせてセレクトすることで、守谷店、富里店、新田店、宇都宮店、瑞穂店はオールド・フレンドからアンティーク家具・雑貨を中心とした品揃えの「ザ・グローブ」に。
荒川沖店、ひたちなか店、千葉ニュータウン店、幸手店はこれまでの「アンティークと雑貨のお店」から「北欧家具と雑貨のお店」オールド・フレンドとして新たにスタートします。


ジョイフル本田は城県土浦市に本社を置く大型ホームセンター。
THE GLOBEはジョイフル本田グループのホンダ産業が運営するアンティーク家具・雑貨の専門店で、東京都世田谷区池尻に店舗があるらしい。
輸入家具雑貨店にイングリッシュガーデンのアンディ&ウィリアムス ボタニックガーデンなどジョイフル本田はイギリスがかっている。雑貨店もイングリッシュガーデンも嫌いじゃないけど。

マーカス・サミュエルのお店は「Old Friend」や「THE GLOBE」みたいな感じだったのだと思う。
イギリスだから日本とは逆で東洋の品物を扱っていた。
貝殻を扱っていたのは事実。ロンドンに寄港する船の船員から東洋産の珍しい貝殻を購入し装飾品に加工し販売していた。
デザイナーや加工スタッフには50名ほどの女性従業員を使っていたという。
当時人気があった商品は漆塗りの黒い小箱だった(私も持ってた!)。葉巻やタバコ、小物などを入れる容器として使われたそう。
貝殻は当初ボタンや子供用のおもちゃなどにしたが、これは売れなかった。
そのため貝殻はその後、富裕層向けの商品の装飾に使ったそう。


イギリスが自由貿易を積極的に推し進めた時代、しかもイギリスは産業革命がほぼ終了しており工業製品を輸出する段となっていた。
マーカス・サミュエル(父親)もイギリスの工業製品を輸出するようにもなり、サミュエル商会は急成長した。
息子マーカス・サミュエルは1853年生まれ。彼が生まれた頃には父親は事業を成功させて立派な商人になっていた。だから彼は貧しい青年なんかではなかった。貧しい青年が生死をかけて海を渡ってきたわけではないのだ。
息子マーカス・サミュエルは小学校を卒業後にベルギー・ブリュッセルのユダヤ系の全寮制学校に入学し商人教育を受けた。
その後にロンドンに戻り家業を手伝う。
父マーカス・サミュエルが1870年に亡くなった後には息子らが家業を継いだ。


上に載せた客員教授のコラムには書かれていないが、日本での説明だと、1871年18歳の時に高校卒業の記念に船のチケットを父親からプレゼントされ、たった1人でアジアに向かったことになっている。
インド、タイ、シンガポールに寄港したがどこでも降りず、終着点の横浜にやってきた。横浜からふらっと湘南へ。つぶれそうな無人小屋に潜んで何日かを過ごした。
海岸では漁師らが貝を集めていた。不要となる貝殻を無料で分けてもらい、それを自分で加工して商品を作り父親に送った。父親がロンドンで売ってみたところ大ヒット。
日本の貝殻で父も息子も大儲けすることができた。
このようなサクセストーリーが語られているが、父親は1870年に亡くなっていて、息子マーカス・サミュエルがアジアを訪れたのは1873年のことである。
彼はすでに規模の大きくなっていたサミュエル商会の事業主であったのだ。







by yumimi61 | 2018-05-27 16:11
日本の住宅は気密性が低い。昔ながらの家は尚更。賃貸住宅では比較的気密性が高いけれども。その代わりに一軒家よりも暑い。
最近はエコ住宅として高気密高断熱住宅が宣伝されることもあるが、なにしろ高気密や高断熱の基準が曖昧なため、気分だけの高気密や高断熱にもなりかねない。
宣伝がオーバーになると高気密高断熱住宅ならば暖房冷房知らずで一年中快適であるかのような印象すら植え付けてしまいがちであるが、高気密高断熱であっても寒い時は寒いし暑い時は暑い。何事にも限界というものがある。
もともと高気密高断熱は暖房の熱効率をよくするという観点から寒い地方で重要視された要素である。
要するに暖房を使うことを前提にしての高気密高断熱である。
これまで暖房や冷房を使っていた地域ならば高気密高断熱住宅にしたからといって暖房冷房器具いらずになるというわけではない。

しかも本当の高気密住宅は本当に密閉性が高い。
敏感な人ならば息苦しさを感じるかもしれない。
建築資材などに含まれる化学物質によるシックハウス症候群やアレルギーも気密性の低い住宅よりも起こりやすい。
従って24時間換気が必要となってくる。賃貸住宅だと法律で設置が義務付けられている。
それだけリスクがあるということだ。
隙間風の代わりに人工的に換気させるわけで、結局その部分を開放することになり、なんのための高気密なのかということになりかねない。
これも敏感な人だと高気密なのになんだかスースーすると感じることもある。

住宅の換気方式は大きく分けると次の3種がある。
 ①機械給気で機械換気 →部屋の気圧は調整によって上がることも下がることもある
 ②機械給気で自然換気 →部屋の気圧は上がる
 ③自然給気で機械換気 →部屋の気圧は下がる

機械とはなんてことはない換気扇のことである。
自然とはファンが付いていない自然の給気口。
機械でも自然でも人工的に作った開口部にはフィルターが取り付けられていることが多い。従ってフィルター掃除が欠かせなくなる。
②は温度が上がりやすく結露を生じさせやすい。
気密性が低い住宅では③の自然給気はほとんど意味をなさない(他からも自然に入りこむから)。
高気密住宅の場合には空気の入れ換えは給換気口頼みとなる。他からほとんど入ったり出たりしないから(窓や外に通じるドアを開ければ別だけど)。フィルターが目詰まりしていないように特に注意が必要となる。


うちは高気密高断熱のエコ住宅でも建てて間もない家でもないが、私は今くらいの季節でも人の出入りが少なく窓もドアも締め切った2階の部屋に入ると、もわっとした空気と化学物質臭さを感じる。そのままとても長時間そこにいる気にはならない。
部屋のドアか窓を開けておけば感じないし、まだ温度の上がっていない朝なども感じない。暑い日はカーテンを閉めておいても感じる。。
気温の高さや日射、空気の流れで随分違うと実感する。
ヨーロッパやアメリカ北部、北海道などは比較的緯度が高く、夏も日射が弱く温度も上がりにくい。シックハウス症候群などのリスクの面においては夏が暑い日本の地域ではヨーロッパなどと同じというわけにはいかない。


日本でセントラルヒーティングが流行らなかったのは冷房をカバーできないから。
家の気密性が昔より上がったり、ヒートアイランドなどが進んだこともあって、都会はもちろんのことかつては冷房を使わずに済んだ地域でも夏の冷房が必需品となってきた。
そうなると暖房と冷房の両方で使えるエアコンのほうが重宝されることになる。
病院や会社などでも業務用エアコンを導入するようになり、暖房だけのセントラルヒーティングは次第に廃れていくようになった。
ヨーロッパではエアコン使用が少ない。夏でも冷房なく過ごせることが多いからである。


寒い地方の人は比較的寒さに強いと思う。
寒さに弱い人や温暖な地域の人が寒い時期にヨーロッパで過ごすのにセントラルヒーティングやオイルパネルヒーターだけでは物足りないと思う。
温度差がなくどの部屋も暖かいというのは素晴らしいことだと思うが(同時に無駄も多いが)、その環境を作るにはやはり費用がかかる。
各部屋ごとにラジエーターのスイッチはオンオフできるが、当然のことながらスイッチを入れておかなければどの部屋も暖かいというわけではない。それでは部屋ごとの暖房と変わらないのでは?ということになってしまう。
物価も燃料代も高いイギリスで24時間快適に冬を過ごそうと高い温度設定で入れっぱなしにしたら月10万円のガス代とか恐ろしいことになりかねない。
そもそも管理人や大家さんがいるビルや賃貸住宅などでは決められた季節以外や夜間はセントラルオフされてしまい、ラジエーターのスイッチ入れたところで暖まらないこともある。
使いすぎ、寒ければ厚着しなさい、と叱られることもあるだろう。
初期費用、経費の他、壊れた時の修理も大がかりになりがち。
快適さを手に入れるにはやはりお金がかかるということだ。


石油の最初の用途はランプで、次が暖房であった。
しかしながら現在石油ファンヒーターや石油ストーブといった石油暖房器具を使うのは世界でも日本くらいである。
(もちろん日本以外でもセントラルヒーティングの燃料になることはあるが)
燃焼式のストーブを設置する時には薪ストーブのように煙突を付けて屋外に排気しなければならないことになっていたりする。
煙突なしに狭い室内で石油暖房器具をがんがん燃焼させているのなんて日本くらいということになる。
日本国内でも地域によって石油暖房器具の普及率が大きく違う。
最近は「冬の暖房にもエアコン」と電機メーカーは推しているようだが、少なくてもこれまでは北海道・東北・日本海側地域など冬が厳しい地域は石油暖房器具のパワーが必要であった。
しかもそうした寒冷地ではパワーも依存も大きくなるのでFF式(強制給排気式による燃焼システム。ファンによりガスの燃焼に必要な空気を強制的に屋外から取り入れ、燃焼後の排気も強制的に屋外へ排出する)を使用していたりする。
西日本では電気暖房(エアコンや電気ストーブなど)の比率が大きい。
南関東も電気暖房が多いであろう。
従って灯油さえ入れればどこの部屋でも使えるという石油暖房器具の市場は北関東が主力ということになる。
しかもその売れ行きは冬の寒さに大きく左右される。

北関東でも家(部屋)の様式、生活様式、気候によっては、エアコン、エアコン+こたつ、エアコン+ホットカーペット、エアコン+電気ストーブなど補助暖房、電気ストーブ+こたつ、ホットカーペット+こたつなど石油暖房器具を使わなくても十分に過ごせてしまう。
石油暖房器具には灯油を買う手間(車がないと買いに行けないけれど宅配だと割高)があるし、灯油価格が上昇すると敬遠する人もいるし、子供や老人がいたりする火を使うことを危惧するかもしれない。

海外でも東南アジアとかアフリカなど暖かい地域では冬の暖房は必要ない。
普及する可能性があるとすれば中国だが、中国は石炭埋蔵量や採掘量が世界最大の国であり、それを使わないで石油に置き換えるということは考えにくい。(それでも石炭輸入量は世界2位)
あれだけの人口を石油だけで賄うのは容易ではない。ということで中国での普及も現実的はない。

石油ファンヒーターを開発したのは三菱電機。
一時期は時期になると家電量販店には、三菱の他、パナソニック、シャープ、サンヨー、コロナ、ダイニチ、トヨトミ、アラジンなどの石油ファンヒーターが並んだが、現在の国内メーカーはコロナ、ダイニチ、トヨトミの3社となった。
コロナとダイニチはともに新潟県に本社のある会社。新潟県内の工場ですべて生産している。


石油ファンヒーター 家電大手完全撤退 市場縮小、事故も逆風 2006.12.24 産経新聞

 かつて家庭用暖房器具主役だった石油ファンヒーターの市場から家電大手が姿を消す。エアコンの性能が向上したほか、ホットカーペットやオイルヒーター、床暖房など暖房器具の選択肢が広がってきたことが理由だ。家電大手のなかで唯一残っていたシャープも来年3月で生産を打ち切り、市場を専業メーカーに委ねる。

 シャープは今年度いっぱいで石油ファンヒーター市場からの撤退を決めた。「暖房機の種類が多岐にわたってきた」ために国内市場の拡大は難しいと判断。今冬も新製品は発売せず、前年度モデルの生産も今年度いっぱいで打ち切る。今後はエアコンなどに注力していく方針だ。

 石油を燃料にする暖房器具はファンヒーターとストーブがあるが、家庭用では高出力のファンヒーターが中心だ。しかし、松下電器産業が昨年、ファンヒーターやストーブなど石油関連製品のすべてから撤退。三菱電機や日立製作所グループも取り扱いをやめた。

 相次ぐ撤退は「大手メーカーが品質管理の難しさにリスクを感じた」(業界関係者)ことも理由だ。昨年、松下の温風機事故が表面化したのに続き、今月にはトヨトミ(名古屋市)のファンヒーターが不完全燃焼を起こし、7人が中毒死する事故が北海道で発生。さらに原油価格の高騰で、光熱費が割安な石油ファンヒーターのメリットが薄れた。

 大手の撤退で、販売元は5社に減少。国内で生産するのはわずかに3社のみとなった。このうち、首位のダイニチ工業と2位のコロナが国内シェアの8割強を獲得し、「残存者利益」を享受している。この5年間でシェアを倍増させたダイニチは「どのメーカーでも現行機種は安全装置がついており安全面も大丈夫。エアコンに比べて価格も安く、外気温にも左右されないなど長所は多い」と今後もファンヒーターの“火”をともし続けるという。



石油暖房器具が売れる地域が限られているところにもってきて季節商品で、さらに年ごとの気候にも大きく左右される。
販売ピークは2~3ヶ月といったところであろう。
その時期しか売れず、さらにその年の気候は実際季節を迎えなければ分からないのに、従業員を雇い、計画的に生産し、工場を年間稼働させなければならないとするなら、経営はなかなか大変だろうと思う。
他の商品があるメーカーは非効率、採算が取れないとして、撤退やむなしといったところだろうか。
あるいは生産者も消費者も全体的なレベルが落ち始め、火を使うことに危険性を感じ始めたということなのか。
火は文明の象徴だから、いよいよ人間の退化が始まったか。


人類にとって不可欠な道具の一つであり,人類は火の使用によって自然な居住地帯であった熱帯を離れることができ,さまざまな環境をつくりだし,文明への第一歩を踏出した。
火を使用することから火をおこすようになるまでの人類の歩みは長く,何万年もの歳月を要した。
宗教儀式の聖火や世界の神話にみられる無数の火の神は,人類の歴史における火の古さと重要性を示している。



今年の冬、実家のファンヒーターが調子が悪くなった。三菱製。
エラーコードが出て消えてしまうという不調。エラーコードは1つだけでなく幾つか表示され、しかも大まかな表記であるため実際に何が悪いのか分からない。
まずフィルターを見たり掃除するが問題なさそう。次に思ったのは換気不足かもしれないということ。
ファンヒーターの裏側を見ていたら、高度による空気取り入れと燃焼の調節機能が付いていた。
子供が幼い頃にファンヒーターを使っていた時期もあるが、その頃はそういうのは付いていなかった気がする。その後は対流式ストーブ(停電の時にはとっても重宝する)にしたので、高度調節機能付きのファンヒーターがあることを今年まで知らなかった。

少し前に高度が上がると沸点が下がってお湯が低い温度で沸いてしまうことを書いたが、高度が上がるは酸素が少なくなるので着火も燃焼も難しくなる。
石油暖房器具は着火しても上手く燃焼しなくなる。高度500mくらいがその境となるらしい。
最近のファンヒーターはコンピューター制御されていてセンサーが酸素不足を検知すると自動で消火し、換気が必要というエラーコードを表示する。
換気不足でなくても高度が上がると通常より酸素が薄いので、高度が低い所と同じ調子で燃焼を続けているだけでも酸素不足と誤認識し、消火装置が作動してしまうことになるため、高度による調節機能が付いているということなのだ。
そこで私は実家で高度を調べたが500m以下だった。
センサーの付いていないものであるならば、検知して自動消火するようなことはないが、その代わり本当に不完全燃焼となりうる。
高度が高い地域にお住まいの方ほど換気は大事。あるいは隙間風(寒いだろうけれども)。




by yumimi61 | 2018-05-25 12:05
先日暖房器具について書いたが、現在欧米で主流な暖房方法はセントラルヒーティングである。

20世紀はじめのヨーロッパにおいて、各家庭へ蒸気熱の供給を行ったのが、セントラルヒーティングのはじまりといわれています。
玄関からリビング、浴室や寝室にいたるまで、家中いつでもどこでもあたたかい。
どんなに外が寒くても、家に帰ればぬくもりと癒しの空間が待っている。
100年以上たった今も尚、ヨーロッパの家庭やホテルで親しまれ続けています。
 (グレン・ディンプレックス社)

グレン・ディンプレックス社
グレン・ディンプレックス社は、1973年にイギリスの電気暖房機器・リーディングブランドであったディンプレックス社をグレン・エレクトリック社が買収しアイルランドで設立。
その後ヨーロッパ各国の電機メーカーを傘下におさめたホールディングカンパニーとなり、 電気暖房機器においては世界で最大級の企業となっております。
また一般家電製品の分野においても世界市場においてトップクラスのマーケットシェアーを保持しております。
現在は、グループ全体として3000億円の売上、1万人従業員規模となっております。



セントラルヒーティングは日本では馴染みが薄いのでセントラルヒーティングの説明から入らなければならないので、また長くなります。

セントラルヒーティングとは、一箇所の給湯器熱源装置(ボイラーなど)を設置して、熱を暖房が必要な各部へ送り届ける暖房の方式である。全館集中暖房、中央暖房ともいう。

日本においては石油(重油)ボイラーが主として用いられてきたが、建物の種類や規模(民家など)によっては、ガスボイラーも使われている。これらのボイラー熱で湯を沸かし、循環ポンプにより各部屋へ循環させる。各部屋にはラジエーターと呼ばれる放熱器が設置される。 各部屋に設置されるラジエータは、一般的なストーブほど高温にはならないため、火傷や火災の危険が少なく、ラジエータ自体からは燃焼ガスの発散が全くないので、安全性に優れる。一方、設置時に大掛かりな工事が必要となり、初期費用がかさむことが多い。

近代的なセントラルヒーティングの発祥は欧米である。20世紀初頭から欧米の都市ではガス、電気、水道などの供給と共に蒸気の供給も行っている。 初期においてこの蒸気は発電の副産物であり、発電所が供給していた。緯度的に北に位置する欧米都市では、町ぐるみで暖房と給湯に取り組む必要があったため、このような設備が生まれた。 この蒸気を各戸へ分配するシステムがセントラルヒーティングであり、ビルディング等の建設時に、あらかじめ地下に蒸気を温水へと熱交換するボイラーが設置され、温水が作られた。 温水はビル内の各所へ分配され、暖房と給湯を成していたのである。

なお、日本において都市が蒸気の供給を行っているのは現在、札幌市、釧路市一部都市に限られている。


日本語Wikipedia「セントラル・ヒーティング」と英語Wikipedia"central heating"を両方見てみたが、載せている写真が全然違って面白かったので、その写真を拾ってきた。
日本語版は各部屋に設置されるラジエーターのみを掲載していて、英語版はセントラル(中央)の熱源を掲載している。
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まず言っておかなければならないのは、セトトラルヒーティングは各部屋で火を燃やすことはないが、どこか中央(地域のどこか・ビルのどこか・家のどこか)では火を燃やして蒸気や温水を作っている。
そのどこかをボイラー室と言ったりする。
熱源(燃料)となるのは木材、石炭、石油、ガスなど。
蒸気や温水を作るので、当然暖房だけでなく給湯(キッチンやバスなどのお湯)もカバーできる。その代わりと言うかなんというか、日本のお風呂のように追い炊き機能はない。


一般家庭ではほとんど馴染みのない日本であるが、かつては大きな会社や工場、ビル、病院などで結構使われていた。
いつどこでかははっきりと覚えていないが、私は実際に病室や事業所でラジエーターが設置され使用しているのを見たことがある。
上の「欧米のラジエーター」を横に長くしたようなものが窓下に設置されていることが多かったように思う。


様々な機械や薬品を使う工場などには、それを扱う許可を得た資格者がいる。
職場でボイラーを操作するにはボイラー技士という資格が必要である。

労働安全衛生法に基づく日本の国家資格(免許)の一つで、各級のボイラー技士免許試験に合格し、免許を交付された者をいう。空調・温水ボイラーの操作、点検を業務とする。
・特級ボイラー技士 - 全ての規模のボイラー取扱作業主任者となることができる。
・一級ボイラー技士 - 伝熱面積の合計が500m2未満(貫流ボイラーのみを取り扱う場合において、その伝熱面積の合計が五百平方メートル以上のときを含む。)のボイラー取扱作業主任者となることができる。
・二級ボイラー技士 - 伝熱面積の合計が25m2未満のボイラー取扱作業主任者となることができる。

(操作自体は二級以上の資格があれば出来る。級の違いは作業主任者になるための違い)

ボイラー技士は病院、学校、工場、ビル、機関車、銭湯、地域熱供給などの様々な場所で、資格の必要なボイラーを取り扱い、点検、安全管理を行う技術者である。近年、ボイラー技士資格の必要の無いボイラー及び多様な熱源設備が普及してきている。そのため多くの現場や企業では、ボイラー技士の資格を事実上、知識や技能を証明する検定試験的な捉え方をする場合が多くなっている。熱源を用いる現場においては、法的に資格が不要な設備であっても、免許所持者を求める傾向は根強いものがある。

資格が必要ということはそれなりの知識が必要ということ。それを言い換えるとその作業にはそれ相応の危険性があるということでもある。


セントラルヒーティングは次の3種類がある。
熱源によって得られた熱をどのように運ぶかといった違いによる種類。
①蒸気 
②温水
③温風

①蒸気と③温風は気体であることが同じだが同一ではない。
①の蒸気は蒸気をラジエーターまで送りこんで、ラジエーターを通して放熱させる。ラジエーター以後の暖まり方は伝導と自然気流による暖房である。
②の温水も蒸気が温水に変わっただけで放熱(伝導と自然気流)を利用する。
従ってどちらも暖まり方は緩やか。
また水は常圧では100℃以上に上がることはないから(沸点が100℃だから)、通常それ以下の温水が送られることになり、温度上昇の限界が低い。
100℃以上の水を得るには加圧が必要、100℃以下の蒸気を得るならば減圧や真空を利用する必要がある。

①の蒸気と②の温水で比較すれば、①の蒸気のほうが暖める威力は強い。蒸気は100℃以上に上がる可能性がある。
また蒸気(気体)は蒸気よりも温度の低い管やラジエーターなどに触れて液体になる時(凝縮時)に熱を放出する。
接触部分で(液体になる時に)一気に熱を放出するので温水よりも伝熱力が強い。

一方の③の温風は暖かい空気をそのまま部屋に出す。ファンヒーターとかエアコン暖房のように送風される。

水配管内の水流を急に締め切った時や蒸気配管や蒸気使用設備に蒸気を通気し始める時などにウォーターハンマー(スチームハンマー)が起こり、急激な圧力変化によって衝撃音や振動を伴って配管や装置が破壊されてしまうことがある。
バルブ等が破壊されると一気に大量の蒸気や高温ドレン(蒸気が水に変わったもの)が噴出漏水し事故に繋がる可能性もある。

そもそもボイラーは燃料を燃焼させているので排気ガスが出るのは同じ。
当然それは屋外に排出されるもので、大規模な空間を暖めるだけの火を燃やしているのに、もしも排気ガスを外に排出しなければそこにいる人への有害影響は大きくなる。
ボイラー室の位置(例えば地下とか)によっては、また気密性の高い住宅や換気不足ではさらに影響は深刻となる。
セントラルヒーティングは基本的に気密性の高い住宅でないと向かない暖房方法である。


私達日本人には、欧米というと暖炉と煙突のイメージがある。
なんたってサンタクロースは煙突からやってくるわけだし。だけど近頃は暖炉も流行っていないらしい。
外から見ると煙突が付いている家が並んでいても単なる飾りであることも多いのだとか。
暖炉は煙突の管理(掃除)が大変なようだ。
暖炉と言えば薪だが、石炭やコークスも使われていた。
不味い書類やラブレターを廃棄するために暖炉の火にくべて燃やしてしまうこともあるかもしれないが、燃料(薪や石炭)が用意できない場合には紙や段ボール、あるいはゴミ箱をひっくり返して燃やしてしまうかもしれない。
何を燃やすかは個人次第なところがある。
また暖炉や薪・石炭ストーブは意外に部屋中は暖めることに向いていない。
暖炉は目の前にいて揺れる火やパチパチする音を聞いてリラックスするもの。
なんたって壁に埋め込まれていて前面にしか熱が伝わってこない。
その点においては薪・石炭ストーブのほうがまだ360℃の放熱が可能。
暖炉や薪・石炭ストーブで部屋中、家中暖めるには、とにかく燃やし続ける必要がある。


実は排気ガスによって呼吸器疾患に罹るのは、家族の中で暖炉やストーブの管理をしている人や煙突掃除を担当する人(煙突掃除夫)が多いという報告もある。
そうであるならば、子供の該当者は少なくなるだろう。


パーシヴァル・ポット(Percivall Pott、1714年1月6日 - 1788年12月22日)
18世紀のイギリスの外科医である。整形外科学の創始者の一人で、ガンが発癌物質によって引き起こされることを疫学的に示した最初の科学者とされる。
1775年にロンドンの煙突掃除人に陰嚢がんの多いことを報告し、すすがその原因であると推論した。これは化学物質が発癌の原因であることを示す最初の研究であった。この調査結果は1788年に煙突掃除夫(保護)条例の実現をもたらした。


訳のせいか時代の違いか分からないが、現代日本では「陰嚢がん」とは言わない。「精巣がん」とか「睾丸がん」とか。
「煤が陰嚢にたまって癌になる」とか、「陰嚢がんとは陰嚢の皮膚がん」とか突飛且つ統一性がないため、煙突掃除人の陰嚢がん説は胡散臭い。但し生殖器として考えれば、生殖器は内分泌攪乱化学物質(俗にいう環境ホルモン)の影響を受けることも考えられなくはない。
煙突掃除をしない日本人でも他のがんに比べて20~30代の若者の罹患が多い。(多いと言っても稀ではある)
その原因は分かっていないが、考えられる因子として家族歴(遺伝的)や体質的なものが挙げられ、発がん物質云々という話はあまり聞かない。
他のがんに比べて若い人が罹るということで、煙突掃除に結び付けてしまったのかもしれない。
かつて煙突掃除を子供が行っていた時代がある。
煙突の中に入るのは太ったサンタクロースよりも小さく細い子供のほうが適任だから。
貧しい子供達の仕事だった。貧しい子供達が裕福な子供達にする贈り物が煙突掃除だったということだろう。
貧しい子供は学校にも行ってないだろうからスクールカーストにも入れてもらえず、クラスに入れず!?ああ悲しき煙突掃除。

イギリスでは1840年に21歳以下を煙突掃除人にすることを禁じた。
だからそれ以降、イギリスでは子供は従事していないはずである。
しかしヨーロッパでは依然貧しい子供の仕事として人身売買されていたりもしたようだ。

『黒い兄弟』(独: Die Schwarzen Brüder)1941年発行
ドイツ出身でナチス時代にスイスに亡命したリザ・テツナー(Lisa Tetzner)の著作名、またそこに登場する煙突掃除夫の少年達の結社名。19世紀のスイス・イタリアを舞台に少年売買や少年労働の苛酷さを描く。

主人公ジョルジョは、スイスのソノーニョ村から貧しさのため煙突掃除夫としてミラノに売られる。そこで出会った仲間の煙突掃除夫達と同盟「黒い兄弟」を結成し、困難を乗り越えていく。




だけど世の中悲しいのは子供だけではないのです。

とある一家。農夫のおじいさん。
おじいちゃんは汚いからと、お風呂に入る順番はいつも家族の中で一番最後でした。(一回一回お湯を払って入れ直せばいいでしょ?)
それでもおじいちゃんは可愛い孫に美味しい野菜を食べさせるために畑仕事に精を出します。
だけど今どきの孫にはそんな愛情は通じません。
ある時、孫はその若さゆえ容赦ない言葉をおじいちゃんに浴びせかけました。
「おじいちゃん汚いから嫌いっ」
おじいさんは悲観し、山の畑に軽トラを走らせ、自らに火を放って燃え尽きてしまいました。
焼身自殺してしまったのです。

実話です。





by yumimi61 | 2018-05-24 12:16
現代の研究でようやく(およそ60年ぶりに)明らかになった事実とはさて!?
前記事のGIZMODO記事より。

昨年末、米国科学アカデミー紀要に掲載されたのが、Texas A&MのRenyi Zhangさん率いる研究チームによる調査結果。中国の北京と西安で行なわれた実験や大気測定の結果が報告されています。

それによるとロンドンスモッグの悪臭や空の色の異常、人体への影響を引き起こしたのは、硫酸塩とよばれる硫酸の粒子。研究チームは自然発生した霧の状況下、硫酸塩が水滴のなかで二酸化硫黄と二酸化窒素の化学相互作用によって形成されたことを証明しました。またこうした硫黄や窒素は、石炭を燃やした煙突や、僅かながら自動車から排出されたと考えられています。 

そして、硫酸塩は硝酸塩や有機物などの粒子が形成するのを促進し、 霧の状態をさらに悪化させました。その後、霧に含まれる水分が乾くと、霧の中に含まれていた酸が濃縮され、有害物質を生み出し、それは人の肺など触れたものすべてを覆い尽くしたのです。



ロンドンに霧(霧とは水蒸気が液化したもの)←煙からの排出物(二酸化硫黄と二酸化窒素)
      ↓
  化学相互作用で硫酸塩

硫酸塩
・硫酸の塩の総称
・硫酸の水素原子が金属によって置換された化合物
・硫酸分子に含まれる二つの水素原子のうち一つまたは二つが金属などの陽イオンで置換された塩。一般に水に溶けやすいが、カルシウム塩・バリウム塩・鉛塩などは難溶。各種金属の硫酸塩鉱物が天然に存在し、資源として有用。



【硫酸塩の作り方】
・金属酸化物、金属水酸化物、炭酸塩を硫酸に溶解する。
・塩化物や硝酸塩などを硫酸と加熱する。
・三酸化硫黄と金属酸化物を反応させる。

硫酸塩は金属塩なので硫酸塩を作るには何か金属類が必要である。
(軽金属)リチウム、カリウム、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、セシウム、アルミニウム、チタン、ヒ素など
(重金属)白金、プルトニウム、金、ウラン、水銀、銀、鉛、銅、カドミウム、亜鉛、鉄など。

大気中の金属は固体(微粒子)であり浮遊粉じんとなる。
労働現場では金属の切断・研磨・溶接作業などの際に飛散する金属粉塵を安全衛生上問題とすることがある。
そうした作業を行う現場では飛散する金属量が他に比べれば明らかに大きくなる。しかしながら量だけみれば作業現場が屋内か屋外か(閉鎖空間か開放空間か)による違いは大きいし、空調や風など天候などによる変化もある。
大気汚染というのはどこか特定の工場内の空気を指すわけではなく、一般的な屋外の大気のことであるからして、そうなると浮遊金属というのも微妙である。
花火を打ち上げた時には金属を大気中に撒き散らすことになるけれども。
あと海由来のナトリウムは考えられるが。
塩害は海に近いことに加えて風向きの影響を受ける。偏西風はロンドン側から海に向かう風なので向きとして逆方向となる。



硫酸塩は日本においては温泉の種類として知られており、硫化水素同様に硫酸塩だけをもってして有害と言うのは無理がある。

硫酸塩泉
掲示用泉質名に基づく温泉の泉質の分類の一種。療養泉のうち塩類泉に分類される。

アルカリ金属・アルカリ土類金属の硫酸塩を主成分としていることからこの名称が付いている。俗に薬効が高いと言われる。
温泉水1kg中に含まれる含有成分が1,000mg以上あり、そのうち陰イオンの主成分が硫酸イオン (SO42-) のもの。

効能 ※効能はその効果を万人に保証するものではない
 泉質に基づく効能として、以下が挙げられる。
 浴用:一般的適応症のほか、動脈硬化症、切り傷、やけど、慢性皮膚病。
 飲用:慢性胆嚢炎、胆石症、肥満症、糖尿病、痛風、慢性便秘。

禁忌症
 浴用においては一般的禁忌症。
 飲用においては下痢のとき。
 「ナトリウム - 硫酸塩泉」においては、腎臓病や高血圧症、むくみがあるとき、あるいは甲状腺機能亢進症のときにヨウ素を含有する温泉の飲泉。




硫酸塩が出来るためには金属だけでなく硫酸が必要となる。

硫酸( sulfuric acid)は、化学式 H2SO4 で示される無色、酸性の液体で硫黄のオキソ酸の一種である。古くは緑礬油(りょくばんゆ)とも呼ばれた。化学薬品として最も大量に生産されている

硫酸の性質は濃度と温度によって大きく異なる。
濃度の低い硫酸(質量パーセント濃度が約90%未満)水溶液を希硫酸という。希硫酸は強酸性だが酸化力や脱水作用はない。
濃度の高い硫酸(質量パーセント濃度が約90%以上)を濃硫酸といい強力な酸化力や脱水作用を有し、濃硫酸のハメットの酸度関数は96%では H0 = −9.88 であり、98%では H0 = −10.27 の強酸性媒体である。

市販の濃硫酸は96〜98%程度のものが多く、96% (d = 1.831 g cm−3) のものでモル濃度は18 mol dm−3、規定度は36Nである。濃硫酸を体積で6倍に希釈した希硫酸は、モル濃度は3 mol dm−3、規定度は6Nであり、質量パーセント濃度は25% (d = 1.175g cm−3)、H0 = −1.47 であり、10%を超え含有する溶液は医薬用外劇物の指定を受ける。
おもに工業用品、医薬品、肥料、爆薬などの製造や、鉛蓄電池などの電解液に用いる。


工業的に大量に作っているわけだから条件が揃えば自然に出来るはずだが、自然に条件が整うことは非常にまれであり(温泉とか)、その出来方が解明されているわけではない。

人工的に三酸化硫黄や硫酸を作る過程。
①硫黄を燃焼(酸化)することによって二酸化硫黄が発生する
二酸化硫黄の酸化によって三酸化硫黄が生じる
③三酸化硫黄を濃硫酸に溶かす
④③を希硫酸で希釈する
(希硫酸中の水が③の三酸化硫黄と反応して濃硫酸となる)

※②の「二酸化硫黄の酸化」は、二酸化硫黄を酸化バナジウムや白金アスベストに触れさせて酸素を吹き付けるという方法をとる。(接触法)
酸化バナジウムや白金アスベストは触媒である。両物質とも耐食性がある。
触媒を使わないと不純物が混じり硫酸の純度が落ちることになる。
②で生じる三酸化硫黄は、①の二酸化硫黄気体中の7%ほど。

硫黄S→①二酸化硫黄SO2→②三酸化硫黄SO3→(③発煙硫酸H2S2O7)→④濃硫酸H2SO4



大気で自然に硫酸塩が出来るとしたら、次の反応が一番可能性が高い。
・三酸化硫黄と金属酸化物を反応させる。

しかし化石燃料中にはもともと硫黄が僅かしか含まれていない。
 硫黄 0.1-3%  ⇒ 二酸化硫黄

元物質の量からして二酸化硫黄の放出量は多くない。
燃焼具合や他物質との反応によってはさらに少なくなったり、放出されない可能性もある。
燃焼や不完全燃焼で二酸化硫黄が確実に出てくるという保証はない。

少量の二酸化硫黄が空気中の酸素で三酸化硫黄になる可能性はさらに下がる。
全て三酸化硫黄に変化したとしても二酸化硫黄の数%でしかない。
硫酸塩になるにはさらに大気中に微量しかない金属と結びつかなければならない。
その大気が人間に大々的に影響を与えるということは現実的な話ではない。






by yumimi61 | 2018-05-22 13:23
二酸化硫黄には抗菌作用があるため、食品添加物としてアルコール飲料やドライフルーツの保存料、漂白剤、酸化防止剤に使われている。
腐敗を防ぐためというより、見た目を保つために用いられることが多い。ドライフルーツは独特の風味を持つが、二酸化硫黄もその一因となっている。
ワイン製造にも重要な役割を果たしており、ワイン中にもppm単位で存在している。抗菌剤や酸化防止剤の役割を果たし、雑菌の繁殖や酸化を防ぎ、酸性度を一定に保つ手助けをしている。


上記はWikipedia二酸化硫黄に記述されていることである。
大気汚染の原因として目の敵にされている二酸化硫黄も私達の身近なところで結構使われている。タールの燻製と同じようなこと。

保存料(抗菌作用並びに酸化防止作用)としてはワインの他に果汁やジュース類、ビール類など、ドライフルーツの他にエビやカニやタコ、お刺身、こんにゃくなどにも使用されている。
漂白剤としてかんぴょう、煮豆、甘納豆、れんこんなどにも用いられる。
もちろん使用基準があるのでその範囲内での使用ということになる。

保存料や漂白剤として使われる物質は、二酸化硫黄(無水亜硫酸)の他にも亜硫酸ナトリウム 、次亜硫酸ナトリウム、ピロ亜硫酸カリウム 、ピロ亜硫酸ナトリウムがある。
食品表示(原材料)には個々の物質名を明記していることもあるが、全て「亜硫酸塩」として表示されることが許されている。
要するに二酸化硫黄も亜硫酸塩と表示することが可能である。
しかし化学的な「亜硫酸」は「二酸化硫黄を水に溶かすと得られ水溶液としてのみ存在する化合物」である。

二酸化硫黄は気体(ガス)になり、この気体を亜硫酸ガスという別名で呼ぶことがあるが、二酸化硫黄が水に溶けると亜硫酸溶液となるため、そう呼んでいるだけのことであり、亜硫酸がガスになるわけではない。呼称1つとっても勘違いを誘いそうなほどややこしい。

亜硫酸(sulfurous acid)は、化学式 H2SO3 で表される硫黄のオキソ酸で、二酸化硫黄の水溶液中に存在するとされる酸である。分子量 82 。酸性雨に含まれる物質の1つである。
遊離酸は不安定なため単離できない。
古くは水溶液としては存在するとされていたが、ラマンスペクトルにおいて (HO)2SO という構造を持つ化合物が全く検出されないことから、実際には水溶液中での平衡は以下のようなものであると考えられている。
SO2 + H2O ↔ H+ + HSO3−



亜硫酸はタールや木酢液と同様に、化石燃料を燃焼させた時や不完全燃焼時の煙を液体に戻した物の中にごく少量含まれることが考えられが、その液体や亜硫酸水溶液から亜硫酸自体を単離することは行われていない。
亜硫酸水溶液にナトリウムを反応させて亜硫酸水素ナトリウムや亜硫酸ナトリウムの水溶液を作り、これを濃縮精製して結晶あるいは粉末の亜硫酸を得る。あるいは電解還元して得る。


食品に亜硫酸を添加しても、その全てが抗菌や酸化防止作用を発揮するするわけではない。
食品にもよるが、例えばワインでは半分ほどは「結合型亜硫酸」となり、その役目を果たさない。
残り半分の「遊離亜硫酸」がその役割を果たすが、前述のように遊離亜硫酸は単離不可能であるので、結合型も含めた亜硫酸を用いる。


ワインには酸化防止剤(亜硫酸塩)と表示されているものがほとんど。
各国によって基準は違って、亜硫酸塩の添加を義務付けている国もある(フランスなど)。義務だからあえて表示されないが、一定量を超えた場合には表示されたりする。
表示する含有量(添加量)がここからここまでと決まっている国もある。
従って表記されていないから含有されていないかと言うと、そうでもない。
そもそもワインの醗酵段階において醗酵の副生成物として亜硫酸が生成されるそうで、亜硫酸を全く含まないワインはありえないとか。
過敏症や重いアレルギーを持つ場合にはワイン自体受け付けないということになる。
ワインは輸出入も多いが、輸出品と国内消費用では亜硫酸添加量も違ったりする。輸出用のほうが添加が多い。
多くの添加を輸入国が求めることもあるが(製品の他の品質の基準が厳しい)、逆に亜硫酸添加が多すぎて輸入出来ないこともある。


近年はワインでも酸化防止剤無添加ワインがあり、ワイン売り場の国内産ワインに結構見受けられる。
「無添加ワインだから自然そのもの~」と喜ぶ人も少なくないかもしれないが、無添加を可能にするために製造過程が化学的に管理され尽くした自然とは正反対の「ケミカルワイン」であるとも言える。
熱処理や発酵を防ぐ処理を行う。自然発酵によって生じる甘みや酸味などがは出なくなるので人工的に添加したりする。(もはや発酵食品ワインではない?)
私は甘党なのでワインも甘いのが好きだが(そう言うと偽ワイン好きと言われる)、甘口のほうが未発酵であり(残留糖度が高く)、放っておけばまだまだ発酵が進んでしまうので、それを止めるためには亜硫酸添加量が多くならざるを得ない。




60年前のイギリスの霧の原因、現代の研究でようやく明らかに GIZMODO 2017.01.29

時を経て、国境を越えて、ついに。

1952年12月5日、ロンドンの街を覆った霧「ロンドンスモッグ」(Great Smog)は、英国史のなかで人命に関わる大気汚染被害のはじまりとなりました。

現代の専門家によれば、この大気汚染による死者は1万2千人。イギリスならではの日常的な悪天候から、注意を払った地元民は当初、ほとんどいませんでした。
ところが空が次第に黄色がかり、腐った卵のような臭いが漂い始めたのが同日の午後。翌日も視界の悪さに加えて、ゴミのような悪臭は5日間続きました。息もしがたく、同年12月9日には15万人もの人々が入院していたといいます。

この災害の原因は、すぐに石炭によるものだと考えられました。ただ、正確に何が起きたのか明らかになったのは、半世紀以上の時を経てからのこと。

昨年末、米国科学アカデミー紀要に掲載されたのが、Texas A&MのRenyi Zhangさん率いる研究チームによる調査結果。中国の北京と西安で行なわれた実験や大気測定の結果が報告されています。



60年間も霧の原因が分からなかったのに大気汚染と決めつけてきたことにまず驚きを隠せない。(霧は移流霧では?)
しかも今回原因が分かったのは中国での実験や大気測定からだと言う。
まさに、時も、国も、違う!という感じだが、一心同体ということなのか。(中国の大気汚染の主原因は黄砂では?)
アンダーラインを引いたのは私だが、この辺りはどうも後付けっぽい。他の記事では見られない記述。
死者数や入院数もこのまま信じるわけにはいかない。スモッグがなくても入院したり亡くなる人はいるからである。
また当時は原因がよく分からなかったはずなのに、スモッグが消えた後の死亡者数まで関係ありとカウントしていたということになり、数字への信頼性は薄い。

ある調査報告によると、死亡者の「年令は0~24才を除く全年令層に及び45才以上に多く,老人が特に多かった。(第3表参照)」とある。
私も第3表参照したが、1952年11月1日~12月6日の6週間の1週間平均と、12月6日~13日の1週間の死亡者数を比較したものであった。
6週間の平均と単一1週間の比較は根本的に比較週数が違うので、6週間のばらつき具合を見ないと何とも言えないところがある。
そのうえで、ほとんど変化がないのが1歳~24歳という年齢層。55歳以上が3倍以上になる。それ以外は2~3倍程度多い。
興味深いのは子供の被害が少ないということ。普通何事も子供には大きな影響を与えがちであるが、幼児年齢層でも全くといって変化がない。
当時のロンドンの年齢構成や生活ぶりがどんなものだったか詳細が分からないが、通常子供や若者は外に出る機会も多いので大気汚染だったら真っ先に被害を被りそうである。老人よりは体力があって死には繋がらなかったのか、とにかく意外な結果が認められる。
寒い季節に慢性呼吸器疾患を持つ高齢者がわざわざ屋外で長時間過ごしたり、寒い季節に窓を開け放ったりするだろうか。
この数字だけを見れば屋内に要因があったのではないかと推測可能である。
一般的な大気汚染が昨日今日で死に直結していくということは、そう容易いことではない。


EICネット 環境用語集:「ロンドンスモッグ事件」
有名な大気汚染による健康影響事件の1つ。
1952年の12月5日から9日にかけて、英国の首都ロンドンは高気圧のもとで安定な大気条件となり、濃霧に覆われた。そして、大気汚染物質が滞留して呼吸困難、チアノーゼ、発熱などを呈する人が多発し、この期間を含めた数週間の死亡者数は前年度の同時期よりも約4,000人程多かった。死因の大部分は、慢性気管支炎、気管支肺炎、心臓病であり、死亡者の多くは慢性呼吸器疾患を有する高齢者であった。
ロンドンでは、当時、燃料として主に石炭を利用しており、その燃焼によって生じるすすや亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などが、ロンドンに特有の冬の気象条件によって地表付近に停滞したことによって発生した。







by yumimi61 | 2018-05-21 12:24
石油と天然ガス

一般的に数億年前の生物の死骸が化学変化を起こしてできたものと考えられている。
主成分は炭化水素。
それに少量の水素、酸素、硫黄、窒素などが混ざっている。

炭化水素は炭素原子と水素原子だけでできた化合物の総称であり、分子構造の違いによって種類が分類される。
燃料ガスとして知られているメタン、エタン、プロパン、ブタン、アセチレンなどが炭化水素。(最も構造の簡単なものはメタン)


石油や天然ガスは様々な種類の炭化水素が混ざっている状態にある。
存在する化合物は数万にも及ぶと言われ、その全てが解明されているわけではないし、植物の産地や栽培方法によって抽出される成分比が異なるように生物由来とされる化石燃料もまた産地や油田による成分比率の違いも存在する。
また単に単一の化合物が集合しているというだけでなく、混合の状態は複雑である。
それらを踏まえた上で、化合物ではなく元素で石油の組成を見れば次のようになる。

炭素 83-87%
水素 11-14%
硫黄 0.1-3%
酸素 0.1-1%
窒素 0.1-1%
金属 0.001-0.1%


石炭

石油が生物由来なら石炭は植物由来と考えられている。

地中に埋まった植物が地圧や地熱を受けて石炭になる変化を総称して石炭化と呼ぶ。これは多様な化学反応を伴った変化である。
セルロースやリグニンを構成する元素は炭素、酸素、水素であるが、石炭化が進むに従って酸素や水素が減って炭素濃度が上がってゆき、外観は褐色から黒色に変わり、固くなってゆく。
炭素の含有量は泥炭の70%以下から順次上昇して無煙炭の炭素濃度は90%以上に達する。化学的には植物生体由来の脂肪族炭化水素が脱水反応により泥炭・褐炭になり、次に脱炭酸反応により瀝青炭となり、最後に脱メタン反応により芳香族炭化水素主体の無煙炭に変わってゆく。植物が石炭化する速度は地中での圧力や温度の影響を受ける。


セルロースやリグニンは植物の細胞壁の主成分。
そのセルロースやリグニンの主成分となる元素が炭素。それに少量の水素・酸素・硫黄・窒素といった有機物、その他若干の水と無機物(燃焼後に灰となる)を含んでいる。
一般的には地中の深いところにある石炭ほど酸素と水素の割合が減って炭素の割合が増える。
炭素含有量の違いによって物理的・化学的構造が大きく変化する。(炭素の割合が多いほどよく燃える)
人為的に炭素以外のものを抜く炭化作業を乾留と言っており、これによって出来るのがコークス(炭素燃料)で、副産物がタールなどである。
乾留は燃焼させない。燃焼させないことによって出てくるものが人々が大層嫌っているタールである。


・炭化水素を燃焼させると、二酸化炭素と水が生じる。
例えば、1リットルの灯油を燃焼させれば、およそ1リットルの水が生じる。

・炭素を燃焼させると、二酸化炭素が生じる。



大気汚染の原因物質とされている二酸化硫黄(SO2)と二酸化窒素(NO2)

それらは、石油や天然ガス、石炭に少量含まれる硫黄や窒素が酸化したり燃焼したりする時に出来る物質。

硫黄 0.1-3%  ⇒ 二酸化硫黄
窒素 0.1-1% ⇒ 一酸化窒素→二酸化窒素


硫黄
「硫黄の匂い」と私達は日常的に使う。
すると硫黄は無臭だ!と怒る人がいるらしいが、「硫黄の匂い」は昨日今日に始まった使用法ではない。
長くて、且つ非常に分かりにくいかとは思うが、宮澤賢治のこの詩を引用しておこう。
詩の内容としても大気に言及したようで興味深いものがある。


    風の偏倚    

   風が偏倚(へんき)して過ぎたあとでは

   クレオソートを塗ったばかりの電柱や

   逞しくも起伏する暗黒山稜(あんこくさんりよう)や

     (虚空は古めかしい月汞(げつこう)にみち)

   研ぎ澄まされた天河石天盤の半月

   すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が

   すきとほって巨大な過去になる

   五日の月はさらに小さく副生し

   意識のやうに移って行くちぎれた蛋白彩の雲

   月の尖端をかすめて過ぎれば

   そのまん中の厚いところは黒いのです

   (風と嘆息(たんそく)との中(なか)にあらゆる世界の因子(いんし)がある)

   きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と

   星雲のやうに決してうごかない天盤附属の氷片の雲

      それはつめたい虹をあげ

   いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために

   みちはなんべんもくらくなり

      (月あかりがこんなにみちにふると

       まへには硫黄のにほひがのぼった

       いまはその小さな硫黄の粒も

       風や酸素に溶かされてしまった

   じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で

   月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる

      (山もはやしもけふはひじゃうに峻儼なのだ)

   どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆきます

   ひるまのはげしくすさまじい雨が

   微塵からなにからすっかりとってしまったのだ

   月の彎曲の内側から

   白いあやしい気体が噴かれ

   そのために却って一きれの雲がとかされて

     (杉の列はみんな黒真珠の保護色だ)

   そらそら、B氏のやったあの虹の交錯や顫ひと

   苹果の未熟なハロウとが

   あやしく天を覆ひだす

   杉の列には山鳥がいっぱいに潜(ひそ)み

   ペガススのあたりに立ってゐたのだが

   いま雲は一せいに散兵をしき

   極めて堅実にすすんで行く

   おゝ私のうしろの松倉山には

   用意された一万の硅化流紋凝灰岩があり

    (明治廿九年川尻断層のとき以来息を殺してまち)

   私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる

   空気の透明度は水よりも強く

   松倉山から生えた木は

   敬虔に天に祈ってゐる

   辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ

     (どうしてどうして松倉山の木は

      ひどくひどく風にあらびてゐるのだ

      あのごとごといふのがみんなそれだ)

   呼吸のやうに月光はまた明るくなり

    雲の遷色とダムを超える水の音

    わたしの帽子のしづけさと風の塊

   いまくらくなり電車の単線ばかりまっすぐにのび

    レールとみちの粘土の可塑性

   月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになってゐる



硫黄の硫は漢字的にはこれだけで「イオウ」の意味があるので、日本ではあえてそれに何故に「黄」を付けたんだろうという疑問が生じる。
日本では硫黄のことを「ゆのあわ」「ゆのあか」「ゆおう」とも言っていた時代もあった。
そのためイオウ(硫黄)という言葉自体がユアワ(湯泡)から転じたものではないかと考えられている。

デジタル大辞泉
ゆ‐の‐あわ【湯の泡】
硫黄(いおう)。湯のあか。
「―、白土(しらつち)また和松(ひきまつ)あり」〈肥前風土記〉


和名類聚抄(平安時代の辞書)
流黄 本草リュウ云、石流黄焚石也(和名、由乃阿和、俗云由王)
(現代誤訳)
本草リュウによると、石硫黄は焚石だとのことである(和名は湯の泡【由乃阿和/ユノアワ】、俗に言う硫黄【由王/ユオウ】)


石硫黄は硫黄鉱石のこと。
火山大国(温泉大国)である日本は自然生の硫黄鉱石が豊富に採れたらしい。
朝鮮や中国への進物にされていたほか、輸出していたこともあった。
つまりかつて硫黄はエネルギー資源だった。

そんなことから人々は温泉地特有の匂いを硫黄(ゆのあわ)の匂いと言っていた。
温泉地特有の匂いの元は硫黄と水素の化合物である硫化水素であり、つまり昔の人々は硫化水素の腐卵臭を「硫黄(ゆのあわ)の匂い」と言っていたということになる。
科学的な硫黄(イオウ)がどうこうという時代は、「硫黄(ゆのあわ)」よりもずっと後の事である。
「硫黄の匂い」は誤った使い方というよりは、そちらの使い方のほうが化学物質としての「硫黄(イオウ)」より先なのである。

硫黄(イオウ)
沸点 444.674 ℃。大昔から自然界において存在が知られており、発見者は不明になっている。硫黄の英名 sulfur は、ラテン語で「燃える石」を意味する言葉に語源を持っている。



硫黄は消防法の第2類危険物にも指定されている可燃性固体。
第1類は可燃物を酸化する酸化性固体だが、第2類は自身が酸化されやすく着火しやすい固体や低温で引火しやすい固体。
粉状(微粒子)の固体が空気中に浮遊し、そこに発火源が存在した場合には粉塵爆発を起こし燃焼する。
身近な所では小麦粉やコーンスターチなどを原料としたカラーパウダーなども可燃性固体であり実際に事故が起きている。消防法では指定されていないが自治体が小麦粉などを可燃物として指定している場合もある。

硫黄は水には溶けない。
前述のように酸化剤と接触したり混合すると発火したり爆発したりする。

硫黄が水素と結合したのが硫化水素。
硫黄は窒素、酸素、フッ素に比べると水素結合の度合いが弱い。
硫化水素は沸点が-60.7 °Cと低く、常温では気体で存在する。可燃性ガス。
また硫化水素は水に溶けやすい。硫化水素水はとても不安定で空気中の酸素により容易に硫黄と水に分かれてしまう。つまり硫化水素が酸化され、酸素が還元されるということ。

硫化水素はあの温泉独特の匂いのもとである。
硫黄成分を含む人間を含めた生物や植物はみな多かれ少なかれ、あの匂いのもとを持っていることになる。
糞やおならや口臭の匂い、たまねぎやにんにくの匂い、植物や生物が腐敗する時の匂いなどにもその匂いが混ざっている。

硫酸塩を硫化水素まで還元するという特別の働きをもった細菌を嫌気性菌という。酸素がなくても生きていける菌であり、地球が出来たての頃の酸素がない条件下で嫌気性菌は有害物質を浄化し、酸素や各種の有機成分を合成し、生命進化の土台を作ったと考えられている。
一方、酸素呼吸しながら有機物を分解する酸素が必要なタイプの菌は好気性菌である。
植物や生物が生きていくためには嫌気性菌と好気性菌のどちらもが必要である。良質な土を作る条件でもある。
硫化水素は好気性生物にとっては有毒であるが、硫化水素を栄養源にして増える好気性細菌もいる。
空気が少なく好気性菌が働かない状態では有機物が悪臭を放ってどろどろになって腐敗しやすい。


化石燃料に含まれるのは有機硫黄化合物(硫黄の共有結合)である。
有機硫黄化合物
硫黄原子を含む有機化合物の総称である。有機硫黄化合物に分類されるものは多岐にわたるが、一般的に不快な臭気を持ち、糖鎖(炭水化物の鎖)や硫黄の化合物を含む生物が生長するときの老廃物として、あるいは腐敗する際に自然に生成する。
海洋においても生物起源の硫黄化合物も生まれ、海水に含まれる。
炭水化物や硫黄は化学的に活性であり、生物が腐敗する過程で容易に生成し、天然ガスなどにも含まれる。


有機硫黄化合物は水素と結合して硫化水素にもなりうるし(化石燃料自体に硫化水素が含まれる)、硫黄や硫化水素を酸化(燃焼)すれば二酸化硫黄など硫黄酸化物にもなる。


二酸化硫黄という物質はそれ自体は不燃性であると言われることが多い。
しかしそもそも不燃性という言葉の定義をどのように考え、あるいはどこに基準を置いているのかという問題がある。
燃えやすいとか燃えにくいとか個人の経験や研究など導き出した性質なのか、消防法によるものなのか、一般保安高圧ガス保安規則によるものなのか、各自治体の条例によるものなのか。それによって微妙に変わってくる。
古紙や乾燥した枝葉などは現実的に燃えやすいが「可燃性あり」とか「可燃物」と言うかどうかといったようなこと。

消防法では前述のように硫黄という固体が第2類危険物に指定されている。
これだってそれ自体は不燃性と言えるものであるが発火も爆発も起こる時は起こる。

一般保安高圧ガス保安規則では次の物質が対象となっている。
硫化水素は含まれるが二酸化硫黄は含まれない。

一  可燃性ガス アクリロニトリル、アクロレイン、アセチレン、アセトアルデヒド、アルシン、アンモニア、一酸化炭素、エタン、エチルアミン、エチルベンゼン、エチレン、塩化エチル、塩化ビニル、クロルメチル、酸化エチレン、酸化プロピレン、シアン化水素、シクロプロパン、ジシラン、ジボラン、ジメチルアミン、水素、セレン化水素、トリメチルアミン、二硫化炭素、ブタジエン、ブタン、ブチレン、プロパン、プロピレン、ブロムメチル、ベンゼン、ホスフィン、メタン、モノゲルマン、モノシラン、モノメチルアミン、メチルエーテル、硫化水素及びその他のガスであって次のイ又はロに該当するもの


二酸化硫黄は不燃性でそれ自身は発火したり爆発を起こすことはない。しかし塩素酸塩類や他の物質との接触や混合による化学反応で発火や爆発することがある。(江藤酸素の説明)

二酸化硫黄は還元剤であるが、酸化剤にもなる。
二酸化硫黄は水に溶ける。
また二酸化硫黄と硫化水素との反応では二酸化硫黄が酸化剤、硫化水素が還元剤として働き、硫黄と水を生じさせる。
硫化水素と似た性質を持っている。
毒性で言えば硫化水素のほうが遥かに高い。

硫化水素で自殺する人もいるくらいで、条件によっては即効性が高い。
オウム真理教の使用したサリンより爆弾のほうが確実だと前に書いたけれども、ガスを使いたかったならば硫化水素にするという手もあったと思うけれど。
でも毒性が強いと言っても温泉に行けばぷんぷんと硫黄臭(硫化水素臭)が漂う温泉もあるくらいで、だからと言って人がバタバタと倒れていくわけではない。
薄ければ全く効果はない。硫化水素に限ることではないが。

第一次世界大戦で、他の毒ガスが不足したため、有用ではなかったが2度化学兵器として、イギリス軍によって使用された。




by yumimi61 | 2018-05-20 16:55