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<   2018年 08月 ( 19 )   > この月の画像一覧

Order

息子が外国に暮らしていて自分もいろんな国に行ってみたけれど、スイスが一番美しい国だったと話す老女に病院で出会ったことがある。
彼女は都会に住んでいるわけではなく自然の残る日本の山間地に暮らしていたのだけれども、スイスが一番美しかったと淀みなく言い切った。
スイスの雄大な自然景観が他の何処よりも彼女の心を掴んだようだった。
それがないものねだりから来るものなのか、親近感や安心感から来るものなのか、観光客目線なのか、それとも生活者目線なのか、私ははかりかねた。

永世中立国スイス。
他国に対して武力を行使せず、他国間の戦争にも参加せず、武力行使を義務とする同盟などを締結することもしない。
永久的に戦争の圏外に立つこと(中立の立場)を宣言し、他国がその中立を承認し保障する国。
ある意味においては孤独を選んだということ。崇高なる孤独とでも言おうか。
スイスは自国軍を有する武装中立の国である。

第二次世界大戦中においても中立を維持するため、連合国、枢軸国どちらにも与せず、スイスを領空侵犯してくる軍用機に対しては、陣営・目的を問わず、迎撃する措置を執った 。
軍需産業という面では、過去にはスイスのシグが銃器の製造を手掛けていたが、永世中立を掲げる以上、他国に武器を売ればそれは武力供与という形で他国を手助けした事になる為、ドイツの子会社ザウエル&ゾーンに製造と販売を行わせる事で、収益を得るという手順を取っていた。

上記のように、ある意味、強く激しく、ずる賢い国とも言える。

そんなスイスで『民間防衛ブックレット(Zivilverteidigungsbuch)』という赤い本が出版されたことがあった。
スイス政府はこれを全世帯に無料で配布したという。冷戦時代の1969年のことである。
日本でも翻訳版が1970年と1995年と2003年に原書房から出版されている。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる

原書房編集部(翻訳)/原書房

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『民間防衛』P228

敵は同調者を求めている
 ヨーロッパ征服を夢みる、ある国家の元首が、小さなスイスを武器で従わせるのは無駄だと判断することは、だれにも納得できる話である。単なる宣伝の力だけでスイスをいわゆる「新秩序」の下に置くことができると思われるときに、少しばかりの成果をあげるために軍隊を動かしてみたところで、何の役に立つだろうか。
 国を内部から崩壊させるための活動は、スパイと新秩序のイデオロギーを信奉する者の秘密地下組織をつくることから始まる。この地下組織は、最も活動的で、かつ、危険なメンバーを、国の政治上層部に潜り込ませるようとするのである。彼らの餌食となって利用される「革新者」や「進歩主義者」なるものは、新しいものを待つ構えだけはあるが社会生活の具体的問題の解決には不慣れな知識階級の中から、目をつけられて引き入れられることが、よくあるもんだということを忘れてはならない。
 数多くの組織が、巧みに偽装して、社会的進歩とか、正義、すべての人人の福祉の追求、平和という口実のものに、いわゆる「新秩序」の思想を少しずつ宣伝していく。この「新秩序」は、すべての社会的不平等に終止符を打つとか、世界を地上の楽園に変えるとか、文化的な仕事を重んじるとか、 知識階級の耳に入りやすい美辞麗句を用いて・・・・・。
不満な者、欺かれた者、弱い者、理解されない者、落伍した者、こういう人たちは、すべて、このような美しいことばが気に入るに違いない。ジャーナリスト、作家、教授たちを引き入れることは、秘密組織にとって重要なことである。彼らの言動は、せっかちに黄金時代を夢見る青年たちに対して、特に効果的であり、影響力が強いから。
 また、これらのインテリたちは、ほんとうに非合法な激しい活動はすべて避けるから、ますます多くの同調者を引きつけるに違いない。彼らの活動は、”表現の自由”の名のもとに行われるのだ。


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冷戦とは戦火を交えない激しい争い。
激しく戦火を交えた第二次世界大戦が終わり、冷戦が始まった。
中心となったのはソ連とアメリカ。
この対立を資本主義と社会主義(共産主義)と置き換えることもある。
戦時中の密室での約束を裏切ったアメリカと裏切られたソ連。
第二次世界大戦を終わらせたのは誰が何と言おうと原爆であろう。
冷戦の引き金は原爆、要するに核なのである。核は冷たいものだった。
それがやがてエスカレートして宇宙開発競争にも繋がった。

永世中立国であるスイスは砲火を交える戦争はそれほど恐くない。
どちらの味方もしないし敵にもならない。領空侵犯してくる軍用機は容赦なく撃ち落とす。それが容認されている。
スイスの軍隊は決して弱くない。スイスの兵士は傭兵として重宝された歴史もある。
しかも内陸の山岳地帯で決して大きな国ではないが金融立国、他国がそこに大金を投入して大軍を送りこむメリットもあまりない。
だから砲火を交える戦争は恐くないのだ。
だが砲火を交えない冷戦となると話は変わってくる。
宣伝だけで国が乗っ取られてしまうというならば、それはスイスにとっても脅威となる。


国民一人一人の抵抗力を高め、個ひいては国の独立性を守り、全体主義に呑み込まれないために、スイス政府は1930年代に「精神的(心理的)国土防衛」という運動を始め、この運動が1960年代まで活発だったという。
『民間防衛ブックレット(Zivilverteidigungsbuch)』は「精神的(心理的)国土防衛」という考えがベースにある。
スイスの「精神的(心理的)国土防衛」が敵と捉えていたのは全体主義(結束主義・ファシズム)である。

全体主義は政治学で使用される用語で、人間の全ての側面を支配する目的を持つイデオロギーや組織を指す。
20世紀より前では、中央の政府がその市民の大多数の情報をリアルタイムに収集可能なほどには通信は高速ではなく、全てに行き渡るプロパガンダの存在を可能にするほどにはマスメディアは開発されておらず、比較的少数の武装した兵士がより多数の非武装の大衆をコントロールできるほど武器は効率的ではなかった。
20世紀にこれらの技術的な障壁が崩れ、全体主義的な政府が可能となった。多くの著者は全体主義的な政府は20世紀に登場したと論じるが、しかし「どの」政府やイデオロギーが全体主義的かは合意が存在しない。ナチズムとスターリニズムは、全体主義であると最も多く考えられている2つのイデオロギーである。アドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンは、全体主義の指導者の例として最も多く挙げられている2名の人物である。彼らは両方とも、彼らの国で絶対的な権力を握り、彼らの周囲に個人崇拝を築き上げた。

日独伊三国軍事同盟に参加した戦前の日本や、各国の軍事独裁政権なども「ファシズム(勢力、陣営)」などと呼ばれる事もある。中国共産党は2014年現在でも日本との戦争(日中戦争)に対して「反ファシズム戦争の勝利」と位置付けている。


1930年代のドイツ・イタリア・日本、全体主義を代表する三国が第二次世界大戦の枢軸国となっていった。

1936年 日独防共協定
1937年 日独伊防共協定
1940年 日独伊三国同盟

1930年代に全体主義が恐れていたのは共産主義である。
昭和天皇の日本とナチス・ヒトラーのドイツで始まった「防共」とは共産インターナショナル(国際共産主義運動を指導するコミンテルン)に対抗する共同防衛のことである。共産インターナショナルはソ連を中心としていた。
昭和天皇の日本、ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリア、全体主義で崇拝されたこの3人はいずれも親カトリックでもあった。


スイスは永世中立国であり、どこか特定の国を仮想敵国にすることはない。
だが自国の独立性を守るために全体主義を恐れていた時代があった。
その全体主義に国を当てはめれば、ドイツ・イタリア・日本ということになる。

永世中立国のスイス ↔ 全体主義のドイツ・イタリア・日本(親カトリック)
  反ファシズム      反共産主義 

連合国 ↔ 枢軸国
   (戦後)
    ↓
連合国だったアメリカとソ連が仲違いし冷戦に。
連合国だったアメリカと枢軸国だった日本が同盟を結ぶ。
反共産主義が吹き荒れる。
 →反共産主義という絆のもとに連合国と枢軸国が相和する。
 →社会主義・共産主義国であったソ連や中国が世界の仮想敵国となり北朝鮮という国を誕生させることにもなる。

その成り立ちから追えば、反共産主義を支持するということは、全体主義(ファシズム)の容認ということに他ならない。


「全体主義」と密接に関わるのが「新秩序」という言葉である。
上に引用した翻訳文では、「新秩序」の思想に染まり、個や国が乗っ取られるのをスイスは危惧している。

新世界秩序(New World Order、略称:NWO)
国際政治学の用語としては、ポスト冷戦体制の国際秩序を指す。
New World Orderという用語自体は第一次世界大戦後頃から英米の政治家によって多用されるようになった。公式で確認されている中でも、国際連盟の設立とベルサイユ体制の構築によって大国間の勢力均衡が大きく変化したことを指して時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが新世界秩序という用語を使っている。 

陰謀論では、その世界政府の成立はクーデターのような目に見える形ではなく、段階的に成し遂げられるものとされており、国際連合を頂点とする国際通貨基金、世界銀行による金融的な支配、欧州連合などの地域統合を名目した国家主権の段階的な廃止、NAFTAやTPPなどの自由貿易体制を通じた人と資本の移動自由化による経済的な国境の廃止、または地球温暖化や世界金融危機など世界レベルの取り組みが不可欠であるという、いわゆる「グローバルな問題」を創り出し宣伝することによって国家の廃絶が必要であるという世論の形成を通じて行われるとされる。


東亜新秩序
昭和13年(1938年)11月3日及び同年12月22日に、時の内閣総理大臣近衛文麿(第1次近衛内閣)が発表した声明。

反共主義によるもの(抗日容共な国民党政府の否定、大日本帝国・満州国・中華民国3カ国の連帯による共同防共の達成)と、汎アジア主義によるもの(東洋文化の道徳仁義に基づく「東亜に於ける国際正義の確立」、東洋古来の精神文化と西洋近代の物質文化を融合した「新文化の創造」)の両方を含む。
ただし、東洋文化については日本文化をますます醇化発展させ、中国文化その他に新生命を吹き込んで更生再建させる所に「新文化の創造」の要諦があるとされた。




冷戦時代の1969年にスイスで出版され全世帯に配布された『民間防衛ブックレット』であるが、出版に対する反対論、内容への反論、出版及び全世帯配布のための資金問題などもあり、企画構想から出版に漕ぎ着くまでには10年もの時を要したという。
さらに出版後、ヨーロッパでイタリア語やフランス語など他言語に翻訳されると激しい批判も浴びた。
永世中立国スイスの抵抗意志にも予想以上の抵抗があったようだ。
「精神的(心理的)国土防衛」は反体制を封じ込めるものであるとの非難を受け(要するにナショナリズムに映るということなんだろう)、さらに1980年代に入ると東側の社会主義圏が急速に崩壊してゆき、1989年には米ソ首脳により冷戦に終止符が打たれた。
これによって「精神的(心理的)国土防衛」も『民間防衛ブックレット』も闇に葬られていく形となった。


日本の福井県安全環境部危機対策・防災課が平成16年(2004年)に纏めたレポートは、スイスの現況を次のように伝えている。
民間防衛の冊子について
現在日本国内で市販されているスイス政府版『民間防衛』は、1980年代までの冷戦に基づいた本であり、現在のスイス国内で同書が使われることは全くない。スイス政府にとっては過去のマニュアル本であり、改訂する予定もなければ再び頒布をする予定も現在のところ無い。しかし、もし日本で役に立つのであれば良いことだと思う、とスイス側からのコメントが紹介されている。

現在のスイス国内でこのマニュアルの存在を知る人は少ない。
2018年1月12日の読売新聞の報道で、スイス連邦工科大学の研究者は、「マニュアルのことを日本人に質問されて初めて知った」「スイス人がこのマニュアルを熟知しているというのは誤解だ」「欧州の人が『日本に今も侍がいる』と思い込むようなものだ」と述べている。
またスイス国防・民間防衛・スポーツ省のロレンツ・フリシュクネヒト報道官は「このマニュアルは69年に配布したきり、改定をされたこともない。無効なものだと考えている」と述べた。国道を有事に滑走路へ活用する計画も訓練も既に廃止されている。
スイスの危機管理対策は自然災害に重きをおいており、それでもその名を受け継ぐ同省のフリシュクネヒトは、「民間防衛はなくなったのではなく、大きく変わった」と語っている。





by yumimi61 | 2018-08-31 15:03

Ban

一頃、日本でブータンが俄かブームだったことを覚えているだろうか。
私は2011年11月24日に「突如ブータンが大人気らしい」とか「国民総幸福量の怪しさ」とか「あのお方もブータンがお好き」といった感じで記事にしている。

ブータンと言われても、「?」の人もいるでしょう。
「ブタか?」とかね。(←失礼ですよ)
ブータンは国です。
世界で唯一チベット仏教を国教とする国家だそうです。
チベットといえば、先日、日本を訪れたダライ・ラマ法王を思い出しますが、ブータンの国王もこのたび来日されたのです。
今月15日から20日まで、ブータンの国王が結婚したばかりの王妃を伴い、国賓として来日しました。
日本滞在中は、宮中晩さん会に出席したり、国会でスピーチしたり、被災地である福島県を訪問したり、京都で日本古来の伝統に触れたりと精力的にご活動されたようです。


上記の記事に書いたあのお方とは群馬県前橋市出身のコピーライター糸井重里さん(奥様はソフトバンクCMの白戸家のお母さん役をしている樋口可南子さん)。
糸井さんは2011年5月にブータンに赴きブータンの首相と会っている。(写真はこの記事に)

オウム真理教の教祖だった麻原はブータン国王から「最聖」の称号を与えられたそうで、握手している写真などもかつては存在していた。
オウム真理教の広報に一役買ったのがダライ・ラマ14世であり、そのあたりの繋がりというか交遊録をこちら(オウムという名と、オウム真理教交遊録)に書いた。

ダライ・ラマ14世やブータン国王との繋がりを仲介したのがチベット出身で日本に帰化した(2005年)チベット系日本人ペマ・ギャルポという方。
##2010年(平成22年)8月 - ブータン王国首相顧問として同国を訪問。
##2011年(平成23年)11月 - ブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク夫妻が日本を訪問した際、通訳を務めた。 

肩書・役職
##桐蔭横浜大学法学部教授
##チベット文化研究所名誉所長
##南アジア地域協力連合研究調査会会長
##拓殖大学海外事情研究所客員教授
##岐阜女子大学名誉教授
##岐阜女子大学南アジア研究センター長
##世界戦略総合研究所評議員
##国家基本問題研究所客員研究員
##日本経営者同友会の特別名誉会員
##アジア刑政財団学術評議委員(国際連合NGO団体)
その他、NPO、NGOをはじめ多数の役職を兼任。



実はブータンは現在国内の山への登山が禁止されている。
ガンカー・プンスム(Gangkhar Puensum )というブータンと中国チベットの国境にある山は人類未踏峰として知られている。
世界には人類未踏峰の山は幾つかあるが(未開の地も結構ある)、未踏峰の中では最高の高さを誇る山である。

ブータンの最高峰であり、人類がまだ登頂していない山の最高峰でもある。標高7,570m

国の最高峰が未だ登頂されていない、日本で例えれば富士山登頂にまだ誰一人成功していないというようなことになる。


山は荘厳である。高く厳しいほど威厳があって気高い。
煌びやかに美しく飾られた、あるいは厳かに佇む、仏堂や仏像にも荘厳さはあるだろう。
しかしそれらは、一面においては人間が作ったものに過ぎないのだ。
人間は人を寄せ付けない山々に神を見る。
チベット仏教、ヒンズー教、ボン教、ジャイナ教などなど、宗教は山岳信仰を持っていることが多い。
信者たちの中には、山は拝み崇めるもので登るものではないという意識がどこかにある。
聖なる山に、神聖な場所に、土足で踏み込むなということである。
神の怒りで振り落とされるのが関の山だが、信者が、信心すらない者が、神を制するなんてことはもっととんでもないという話になる。
信仰登山や巡礼は古くからもちろんあるにはあるが、山の麓や途中の寺院までということが多い。

ところがブータンは登山を解禁した時期がある。

・1983年 ブータンが登山を解禁。

・1985年と1986年 日本やイギリスなど4つの遠征隊が挑戦したが登頂失敗。

・1994年 ブータンが宗教信仰に反するという理由から6,000m以上の山への登山を禁止する。

・1998年 日本の登山隊に登頂許可が出るも、ブータンの政治問題により許可は取り消された。
その代わり、1999年に、チベット側からの登山を行い、標高7535メートルの衛星峰であるリャンカン・カンリ(北ガンカー・プンスムとしても知られる)への登頂に成功した。多くの地図と異なり、登山隊はこの頂上はチベット内にあり、チベットとブータンとの国境は標高7570メートルの"ブータンの最高峰"であるガンカー・プンスムの頂上を横切っていると報告している。この標高は日本の情報により支持され、次いで中国の情報に準拠した。これはまだブータンでは調査されていない。

人を寄せ付けないためにわざとしているのか分からないが、この辺りの地図はかなりいい加減に作ってあるらしい。

・2003年 ワンチュク国王(来日した現国王のお父様)が永久未踏峰とすることを宣言。


登山を永久に禁止した前国王は「国民総幸福量」 (GNH) という概念を提唱した国王でもある。
12年前の2006年に息子に譲位したが、現在前国王が62歳で、現国王が38歳というお若い国王一家。


「世界で一番しあわせな国」と形容されることが多いブータン。
国王が「国民総生産 (GNP)」より「国民総幸福量」 (GNH) が大事と説いた国。
国民のほとんどが幸せと答えるという。
でも、「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」とデンマークの独立系シンクタンク「幸福度研究所」が共同調査した「世界で最も幸せな国ランキング2017年」にブータンは30位以内にも入っていない。(日本も入っていないけどさ)
所得・自由・信頼・健康寿命・社会的支援・寛容の6項目を指標に、世界156カ国・地域の幸福度を評価していて、2017年トップ3は北欧揃い踏み。
1位はフィンランド、2位はノルウェー、3位はデンマーク、4位はアイスランド、5位はスイス。(日本は54位)
上位国はわりと一人当たりGDPが高い国と重なるところがある。

ランキングが客観的な幸せならば、ブータンのそれは主観的な幸せということだろうか。
確かに幾ら傍から幸せそうに見えても本人が幸せじゃないなら幸せなんて意味ないものかもなぁ。
そういう意味ではブータン国王の提言は一石を投じることになるんだろうけれども、でも主観が強制や洗脳によって形作られるものだとしたらどうなんだろうとも思うわけでして。
強制や洗脳されていることにすら気づかない幸せもある?
何かを知らないでいる幸せというのは確かに存在すると思う。
知らないでいる幸せとは、別の言い方をすれば比較しない幸せだろうから、そうだとしたら幸せを数値化して比べてはいけないとも思うけれど。

HUFFPOST 
BROG 2018年08月29日
「幸せの国」ブータン留学生の「不幸せ」な実態(1)首相懇談会で飛んだ怒号--出井康博
次々と日本へ渡る学生たちが引っかかった罠


今年4月10日午後――。東京・日比谷の帝国ホテルで、ブータンから来日中のツェリン・トブゲイ首相と在日ブータン人留学生との懇談会が開かれていた。

 会場となった「桜の間」では、この日の夕方、日本政府関係者も出席しての首相歓迎会がある。トブゲイ首相は翌11日、安倍晋三首相との会談も控えていた。そんな多忙な日程を縫い、首相が留学生たちと会ったのには理由がある。ブータン政府にとって日本への留学生送り出しは、2017年から進める国策なのである。

(略)

「桜の間」には、100人近い留学生たちが集っていた。彼らに向かい、ブータンの民族衣装に身を包んだトブゲイ首相から激励のスピーチがなされた。本来であれば、形式に沿って静かに終わる会である。しかし、会場から首相に飛んだ発言で空気が一変した。

「留学生たちは皆、日本で大変な苦労をしています。ブータンで背負った多額の借金を返済するためアルバイトに追われ、勉強どころではありません。進学はおろか、来年の日本語学校の学費さえ払えない状況なのです」

 英語で発言したのは、民族衣装の中年女性だった。会場の留学生から、少し遠慮がちに拍手が巻き起こる。

「留学を斡旋しているブローカーは、日本語学校から斡旋料を得ていて......」

 女性がそこまで話したところで、壇上脇にいたブータン人男性が女性に対し、声を荒げ怒鳴った。

「あなたは何者なんだ!どんな資格で会に参加しているのか!」

 首相まで出席した会だというのに、会場は異様な空気に包まれた。留学生たちも男性の剣幕に呆気にとられている。

「幸せの国」として知られるブータンから、国の期待を担い留学生として送り出された若者たち――。日本で彼らに、いったい何が起きているのか。

日本語勉強の時間もなく
 日本が受け入れた外国人留学生の数は2017年末時点で31万1505人に上り、前年から12%以上増えた。政府が2008年から進めてきた「留学生30万人計画」も、策定から10年で、目標の2020年を前に達成されたわけだ。

 ただし同計画の達成は、多額の借金を背負い、出稼ぎ目的で入国する"偽装留学生"が急増した結果である。彼らは本来、留学ビザの発給が認められていない。しかし、留学生を増やし、彼らを労働力として利用する思惑から、政府は経済力のない外国人にまでビザを発給し続けている。つまり同計画は、政府ぐるみのインチキによって達成されたと言える。

 留学生の増加は止まる気配がない。"偽装留学生"の送り出し大国となったベトナムやネパールに加え、最近では他のアジア新興国でも日本への「留学ブーム」が起き始めている。その1つが「ブータン」なのである。


主観的に世界で一番幸せな国の若者が、客観的にも主観的にもあまり幸せではないらしい日本に留学してくるという。
これはもうブータンからの幸せのお裾分けと考えればよいのではないでしょうか。(なあんてね、笑)


「人類未踏峰の最高峰」「世界で一番しあわせな国ブータンの最高峰」
ガンカー・プンスムには少なからず商業価値があるだろうと思う。
しかし登山を解禁したとして、その価値が永続的に続くかといったら疑問はある。
登頂が成功してしまった折には「人類未踏峰の最高峰」ではなくなってしまうわけだから。
もしこの山の標高が8,000mを超えていれば、世界の8,000m峰は15座になり、登山家にとって特別な意味を持つ山になった。
だが残念ながら8,000mは超えない、7,570mである。
周囲には世界中の登山家が目指す高い山が連なっている。
それならば「未踏峰の最高峰」という希少価値を維持したほうが良いと考えるかもしれない。

8,000m峰14座
地球上にある標高8000 メートルを超える14の山の総称である。
それらの山は全てアジアのヒマラヤ山脈、およびカラコルム山脈にある。
人類が初めて登頂に成功した8000メートル峰はアンナプルナで、フランスのモーリス・エルゾーグとルイ・ラシュナルが1950年に山頂に達した。それから14年のうちに他の8000メートル峰も全て初登頂された。
全14座のうち、8座では初登頂の際に酸素ボンベが使用された。


14座は単に標高で線を引いている。中味は関係ない。
登頂成功も中味は大して関係ない。揃った条件やルールに則った成功ではない。いわば何でもあり。
14座という枠組みは客観で、各々の成功具合は主観といったところか。
標高で言えばアメリカ(アラスカ)のマッキンリーは6,190 mであり、ブータンの最高峰よりも低いことになる。
だがそう、マッキンリーは非常に厳しい山である。

マッキンリーは今はデナリが正式名称
2015年8月30日、バラク・オバマ大統領は山の名称を正式にデナリへ変更することを発表した。

日本テレビの開局35周年記念特別番組の『チョモランマがそこにある!!』のチョモランマはエベレストのことで、チョモランマはチベット語の名称。

デナリはエベレストよりも大きな山体と比高を持つ。エベレストの標高はデナリより2700mも高いが、チベット高原からの比高は3700m程度に過ぎない。一方、デナリはふもとの平地の標高は600m程度であり、そこからの比高は5500mに達する。

高緯度にあるため、夏と冬の変化が大きい。夏は白夜になるが、冬は日照時間が非常に短くなる。日の出から日没までの時間は夏至では約22時間、冬至では4時間45分である。

デナリは極寒でも知られ、夏でも山頂の平均気温は-20℃程度となる。冬には5700m地点に据えられた温度計の最低気温が日常的に-40°Cを下回り、1995年には-59.4°Cを記録している。1969年以前には、中腹の約4600m地点で最低気温−73.3°C(−100°F)を記録したこともある。

デナリは高緯度に位置するため気温が低く、その影響でヒマラヤやアンデスの同一標高よりも気圧が低い。そのため、登山者にとっては高山病の危険性が比較的高くなる。デナリ山頂と同一気圧になるヒマラヤの標高は、登山シーズンで比較するとデナリ山頂よりも約300〜450m程高い。気圧は夏よりも冬のほうが一段と低くなり、冬のデナリ山頂の気圧は夏のヒマラヤ7000m超に相当する。

冬にはジェット気流の影響からしばしば時速160km(秒速44m)の風が吹き下ろし、さらにデナリ・パスのような風が集まる地形ではベンチュリ効果によって風速が倍増することもある。





by yumimi61 | 2018-08-30 14:52

Mix

次のYouTube動画は、NHKスペシャル「そして5人は帰らなかった~吾妻連峰・雪山遭難を辿る」
(1994年5月8日放送) 。




吾妻連峰雪山遭難事故
1994年(平成6年)2月13日早朝から翌日にかけて福島・山形両県にまたがる吾妻連峰が猛吹雪に見舞われ、登山者5名が低体温症で死亡した事故。吾妻連峰での山岳遭難事故としては最悪の事故となった。

群馬県の吾妻とは全く違う場所。群馬の吾妻は「あがつま」と読むが、福島・山形の吾妻連峰は「あづま」と読む。

パーティーは30代から60代の男性2人と女性5人。リーダーは登山歴30年で山岳ガイド資格もある新聞社勤務の男性。リーダーは同じルートを以前に二度経験しており、メンバー全てに登山経験があった。三連休を利用して山スキーで福島市の高湯より吾妻連峰を縦走し、山形県米沢市の滑川温泉に到着するルートだった。

この遭難事故は「気象遭難」に分類されるもので、不運による時間のロス、天候判断のミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより厳しい気象条件下に晒される状態に陥り低体温症を引き起こしたことが主な要因である。さらに霧の平での「道迷い遭難」の要素もあった。

2017年の遭難原因(遭難の様態)で「悪天候」(気象遭難)は0.6%でしかない。
標高が高い所の気温が低いこと、冬山の雪が深いこと、春山に雪が残っていること、それ自体は特別なことではなく、別に「悪天候」というわけではない。
上記の遭難は疑似好天(疑似晴天)に遭遇している。
この疑似好天が誘因となった遭難は上記遭難以外にも、また上記遭難以後もある。大量遭難に繋がりやすい。

疑似好天
悪天候と悪天候の狭間で一時的に晴れ間が広がること。疑似好天とも言う。発生の代表的なケースは、寒冷前線の通過に伴い低気圧と寒気の狭間で晴天になり、その後急速に天候が悪化するというもの。


7人のパーティーで生き残ったは2人。男性と女性が1人ずつ。
男性のリーダーと、女性4人が亡くなった。
動画を見た感じでは、生き残った2人は体力や気力ともに並々ならぬものがあったのではないかと思った。
つまり元々いろんな意味で差があったパーティーだったのではないだろうか。

動画のコメントには厳しいものが並んでいる。
生存者に向かう刃もある。
決して多くはない確率的にはとても低い当事者になったという厳しい現実に麻痺して生きていくか、厳しい現実を背負って生きていくか。
それは多くの登山家に、高いレベルで登山をする者にほど、突きつけられる命題ではないだろうか。

登山に限らず、死ぬことよりも生きていくことのほうが辛いという現実は存在するのかもしれない。


上記の遭難にはもう1つ大きな特徴が挙げられている。
責任を持った仕事で忙しい最中での登山だったこと。
忙しい中での登山だったためで準備がおざなりで、他人任せのところがあった。
貴重な3連休での登山を無駄にしたくなかったという思いもあった。
休み明けには何が何でも出社しなければならないという使命感や呪縛によって焦り無茶をした。
人数が増えれば増えるほど、ベテランやガイドがいるほど、誰かやっているだろう、誰か準備しているだろうという油断や甘えが発生する。
そのくせ会社には自分の代わりがいないと思ってしまう。
それが悪循環を招いた遭難だったらしい。


憧れのトムラウシで… ~検証 夏山遭難8人凍死~(テレメンタリー 2009年放送)
※テレメンタリーはテレビ朝日系列の全国24社が共同で制作するドキュメンタリー番組


トムラウシ山遭難事故
2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となった。

同ツアーは募集型企画旅行形態で国内外の登山ツアーやエコツーリズムを取り扱う旅行代理店アミューズトラベル株式会社(本社:東京都千代田区神田駿河台、観光庁長官登録旅行業第1-1366号)が主催した企画旅行であった。旅程ではトムラウシ山や旭岳などを2泊3日で縦走する予定であり、50~60代の客15人(男性5人、女性10人)とガイド甲(添乗員兼ガイドリーダー)、乙(メインガイド)、丙(サブガイド)の3人が参加していた。ガイドのうち甲、丙の2人は今回のコースは初めてだったという。


ツアーであり人数が多い。参加者の体力や経験などには個人差があるだろうが、それがどの程度のものなのか分からない。団体行動であるがゆえに1人に何かあっただけで全体のロスに繋がってしまう。(このケースの場合、低体温を助長した)
動画では長時間一か所に留まったことが致命的だったと述べている。
夏ではあったが北海道ということで本州の気候とは違ったわけだが、ほとんどの参加者がそれを事前に身をもって知ることはなかった。

どんな形式の登山であろうと、遭難というものは救助依頼が行われるようでないと表には出てこないものだが、会社に雇われたガイドなどが引率する場合には会社という組織が付いていながら「自分の判断ミスが責められる」「失職するかも」「会社に迷惑をかけてしまう」などの理由から何とか事を収めようと却って無理をしてしまいやすいのかもしれない。
要するに組織というものが登山や遭難に対して有効に機能しない。
会社組織が参加者に「安心」を提供するわけだが、会社は利益を上げなければならない組織でもある。
「利益」と「安心安全」が比例しないことは多々ある。

総じて言うと、この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、(天候判断のミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより)厳しい気象条件下に晒される状態に陥り低体温症を引き起こしたことが主な要因。

・アミューズトラベル社のリーダーやガイドによる天候判断のミス
・同リーダーやガイドが早めに引き返す決断をしなかったミス
・リーダーやガイド同士の(にわかづくりのチームで互いにあまり面識がなく、おまけに事前の打ち合わせもしなかった者同士の)現場での連携不足・協議不足
・アミューズトラベル社がリーダーやガイドに対して一応文言上は「現場では安全優先」と言っていたものの実際には経済優先のプレッシャーを感じさせ安全後回しになってしまう環境を放置していたこと
・アミューズトラベル社がガイド役らの選定を適切に行なわなかったこと
・アミューズトラベル社がツアー参加希望者の中から参加者を登山力量に応じて選ぶやり方が甘かったこと(経験不足の登山客をツアーに参加させない判断をしなかったこと)
・ガイドらが現場で(朝に山小屋等から出発する前などに)ツアー客に対して出すべきであった 着用すべき防寒着の種類などについての指示の不足・確認不足
・ツアー客自身の登山に対する自覚不足や遭難対策の不足
・参加者全員の 低体温症に対する無知・認識不足(ツアー客らは全員低体温症を知らず自分がその状態になっても(概念すら知らないので)自覚せず、ガイドらもその詳細を知らず、あっけなくその状態に陥るものだという認識がなかったこと)
等々の要因・原因が重なって起きた事故である。



このガイドは天候を全く考えていなかったわけではない。
テレビ、携帯(ネット)、ラジオで天気予報を見たり聞いたりしている。
だがそれは遭難を防ぐことには繋がらず、結果的に気象遭難してしまう。

7月13日
・天気予報を部屋のテレビで確認、ガイドの一人が14日は大丈夫だが15日、16日は崩れるだろうと予測。

7月14日
・夕食後、スタッフ3人での打ち合わせが行われる。携帯電話の天気サイトで天気予報を確認したところ、明日午後には寒冷前線が通過し天気が悪化することを知り、雷を怖れ出発時間を30分早める決定をする。18時過ぎに就寝。

7月16日(事故当日)
・午前3時半起床。午前5時の出発予定であったが、天候悪化のため雨と風が強く、待機。リーダーは天気の回復具合や出発直後の雪渓の登りを考慮し、出発を30分遅らせる判断をし全員に伝える。 ガイドらはラジオで十勝地方の予報「曇り、昼過ぎから晴れ」と聞き、午後から天候は好転すると見越して出発を決定。
5時半、リーダーが今日はトムラウシ山には登らず、迂回コースをとると伝える。「僕たちの仕事は山に登ることじゃなく、皆さんを無事山から下すことです」と説明。 

因みに、旭岳の別パーティもこのパーティと同じ天気予報を聞いていたが、山の天気が平地より遅れてくるとの経験則から夕方まで荒れると見越して、中止の決断をしたことで遭難しなかった

かつて登山の際はラジオの気象通報を聞いて天気図を書いた。
登山には天気図が書けたり読めたりすることが必須だった。
最近はネットでいつでも情報が取れ、人気の高い登山者の多い山々のネット環境は比較的整っているので、天気図なんて用いているのは高校や大学の山岳部くらいだろうか。それももはや・・という感じなんだろうか。
だけど天気サイトが教えてくれる天気はせいぜいピンポイントな山の麓の天気である。
山の中、山の上の天気は、それと同じではない。
天気図から、あるいは経験から、予測しなければならない。




by yumimi61 | 2018-08-28 12:22

Rope

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人の命を守る物は、人の命を殺す物にもなる

人を救う愛が、人を殺すこともある



命綱:命綱とは、落下事故の可能性を伴う作業を行う際、落下防止のために装備されるロープやワイヤーの事を指す。転じて、危機的な状況で最低限の保身を維持するためのものなどを指す。 

クライミングロープ:ロープのうちクライミングに使用するものをいう。 以前はザイル(ドイツ語:Seil )と呼ばれることが多かった。 

アンザイレン(コンティニュアスビレイ):登山者同士がクライミングロープで身体を結ぶことを「アンザイレン」(ドイツ語:Anseilen )という。この時以降、両者は互いに危機を救い、行動と生命をともにする旨誓うことを求められる。気のあった者同士、または熟達者同士であれば、例え相手の姿が見えなくても相手がどんな状況でどんな思考をしているのか、理解できる。すなわちクライミングロープはただ一本の綱であるに留まらず互いに意思や状況を伝える神経となる。

ハイキングやトレッキングといった気楽な場合は別として、日本の山岳でも岩登り、冬季高山、滝の多い沢などでは極めて重要な道具である。「一人が滑落した場合もう一人も引きずり落とされるのではないか」の疑念を解消するのが確保技術である。補助用具が発達して用法さえ習得すれば比較的容易に確保できるようにはなっているが、登攀技術の中でも難しくよく訓練して習熟する必要がある。

氷河は少しずつ動いていて割れ目が至る所にあり、新雪で埋まってしまえば見えるものばかりではないから、氷河上で行動する際は傾斜がない場所でもアンザイレンするのが常識である。ヨジアス・ジムラーは16世紀末にはこの必要性を説いていたが、アルプス黄金時代のガイドは必ずしも氷河の上でロープを使用することを好まず、客である登山家と意見が対立した。エドワード・ウィンパーは「一つには他の山案内たちから冷やかされるのを恐れているからである」とつまらぬ見栄のために生命を軽視する愚かさを指摘し「こんなに簡単で、そして効果の大きい、ロープを結び合うという用心を、捨てて顧みないということに対して、私は声を大きくして反省を促したい」と言っている。



山岳での死亡事故の多くは滑落死であると言われる。
但し遭難の原因として一番多いのは道迷いである。

(2017年警視庁統計より)
●遭難原因
 道迷い 40.2%
 滑落 16.8%
 転倒 15.1%
 病気(低体温症・高山病・高体温症など) 7.5%
 疲労 5.6%
 その他(転落・雪崩・野生動物襲撃など) 14.8%
●遭難の多い都道府県
 長野県(292件)・北海道(236)・山梨県(161)・東京都(155)
 以下、富山(131)、静岡(128)、神奈川(123)、新潟(108)、群馬(104)、兵庫(100)と続く

山岳遭難者数 3111人
死者・行方不明者数 354人

山岳遭難の個々の遭難は、海洋遭難に比べるとあまり大きく報道されないが、海洋遭難よりも圧倒的に数が多く日本だけでも毎年2,000件以上の山岳遭難と数百名におよぶ死者・行方不明者が出ており、非常に深刻な状態にある。

(参考までに同年の交通事故)
交通事故発生件数 約47万件
交通事故による負傷者数 57万人
24時間以内の交通事故死亡者数 3694人

年間の交通事故件数は遭難件数の比ではなく、死亡者数も10倍も多い。
遭難が非常に深刻な状態ならば、交通事故はもっと深刻な状態と言ってもよいが、両者が大きく違うのは死亡率だと思う。
統計から見れば、ひとたび何かあったら死ぬ確率は山での遭難のほうが遥かに高い。
但しこれも統計に騙されてしまうところはある。
交通事故の場合は自損でも他損でも警察や保険会社が入ることが多く、あらゆる事故を網羅しやすい。
お金に絡んで件数がずるずると吊り上げられてくるのである。(吊り上げというのは埋もれずに把握できるという意味です)
だけど遭難は救助依頼があったもの以外の数は把握しにくい。


八ケ岳滑落 救助現場から複数ザイル 数人ずつつながる? 毎日新聞 2018年3月27日
 長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳(2805メートル)で25日、関西の登山グループの男女7人が滑落し3人が死亡した事故で、救助現場に複数のザイル(登山用ロープ)が残っていたことが27日、捜査関係者への取材で明らかになった。数人ずつつながった状態で滑落したとみられる。

 事故を巡っては、病院関係者が「7人全員が1本のザイルでつながっていた」と軽傷者から聞いたと話していた。ザイルは通常、1本で2人を結び、滑落しても踏みとどまれるよう一方を岩場などに固定しながら進む。

 県警は7人全員が滑落した原因について負傷者から話を聞くなどして調べており、難所の岩壁を登っている途中で滑落したとみている。
 事故現場に詳しい地元の山岳遭難防止対策協会の関係者らによると、滑落現場は雪が氷状になり滑りやすい岩場。事故の数日前に雪が降り、積雪があったとみられる。


上は今年の3月末に長野県の八ケ岳連峰阿弥陀岳で起きた遭難事故。
八ヶ岳連峰や北アルプスなど標高は高いがわりとよく整備されており、時期や天候を読み間違わず、アクシデントがなく無茶をしなければ、標高のわりに安全と言えるかもしれない。

山岳遭難は八ヶ岳や白馬岳など整備され人気のある山でも起きている。人気のある北アルプスでは特に多数発生している。


とやま山歩記 西穂高岳より部分的に抜粋
※西穂高岳は長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる標高2909 m の飛騨山脈(北アルプス)の山

 13名のパーティーと3名(4名だったか?)のパーティーとすれ違う。13名のパーティーは先頭と最後尾を除いた11名がザイルを結んでいた。

独標から二つめの小ピークを降りたところで2人組のパーティーに出あう。この人達もアンザイレンしている。だが何故か気休めにしか見えない。
 この後、2組のパーティーと出会うが、やはりザイルを結んでいた。私はどうしてもコンティニュアスビレイは好きになれない。
 ザイルに結ばれているという安心感だけでだらだら歩いているのを見ると道連れザイルにしか見えない。
 だが恋人となら話は別だ。絶対守ってやるという強い気持ちでザイルを結ぶ...って、一言多かったようです(^_^;)

屋上で数枚の写真を撮って、慌てて16時のロープウエイに乗った。登山者は皆無。ここは観光地なのだ。
 ふと、朝方の事を思い出す。いっしょのロープウエイに乗り合わせた大学生風の二人組の登山者がいた。いったん外に出てから「中止、中止」と言いながら戻ってきた。煮詰まった播隆汁を食べているときだった。すぐ横でパンを食べ出す。
 「行かないのか?」と問いかけると「下見だからいいんです」と言う。「それじゃー下見にもなっていないだろう」と言いかけたが思いとどまった。だいたいその恰好は何だ?防寒着を着込み、リュックにはスノーシューまで縛り付けてある。
 「せめて独標まで行こう」と言うと「最高でも西穂山荘までです」とヘラヘラしている。おまえ達は登山者の恰好をした観光客か?と思ったのだった。
 そうなのだ、ここは登山基地ではない、観光地なのだ。



草加山の会 勉強会「ヒマラヤを駆け抜けた男ー山田昇」より一部抜粋


昭和53年、群馬岳連としてダウラギリ峰8167mの南東稜を初登攀する。このルートはフランス、スイス、アメリカ、と多くの隊に攻撃されるが難攻不落を誇り、世界最強のアルピニスト、ラインホース、メスナーさえさじを投げた。ヨーロッパ、アメリカのアルピニストから「自殺ルート」と呼ばれた大変困難なルートであった。しかし登頂はしたが尊敬する先輩の死に直面し涙を流す、これを機に山田昇はアルピニストとして一変し、日本最強のアルピニストに変貌して行く。

何と云っても山田昇の強さは8000m峰登頂12回の内、エベレスト、k2、と世界第一、第二の高峰を含め5座を無酸素で登頂していることである。今日の様にルートも装備も整備されていない時代、正に自力でベースキャンプから山頂に至るのであり、大変な事である また同年63年には135日間で世界5大陸の最高峰を登りつくしてしまう。この様な偉業を成し遂げるには多くの岳友の協力がなくしては在り得ない。山田昇が如何に信頼され、多くの岳友に愛されて居たかが良く判る。孤独なアルピニストでは決して行い得ない偉業である。 山田昇は8000m峰を9座、合計12回登っているが、8000m峰アンナプルナ南壁で、2人の岳友を次々と亡くしてしまった事による、自責の念は強かった様だ。
8000m峰最後のアタックの時は、自分の身は自分で守るしかなく、とても他人を助ける余力など無い、ザイルは岳友を引きずり落とす役目しかない。この為、一般的に最後のアタックではザイルを結ばない、おのおのが自分を自分で守るのだ。しかし山田はその事に吹っ切れない気持ちがあり、マナスルでは遅れた友を厳冬期の8000mの山稜で待ち、最後の雪稜をトップでザイルを結び2人で山頂に立っている。

悲劇は突然やって来る、昭和53年から11年間に渡り、毎年の様にヒマラヤの高峰を登り続けた日本最強のアルピニスト山田昇も平成元年2月、岳友3人と厳冬のマキンレーに39歳の若さで散ってしまう。氷壁の下で3人の遺体はザイルで結ばれていた。なぜアンザイレンしたのかと思う多くの岳人もいる、「友を思う気持ちが人一倍強く、誰からも好かれた山田昇の最後にふさわしい」遭難現場にたどり着いた先輩がもらした言葉である。




事件の当事者になることも、事故で死ぬことも、確率的にはとても低い。
本当の意味でそれを知りえる人は決して多くないのだ。
何か特別な衝撃を受けたようなふりをして、飢えた野生動物のようにそれを食い荒らし、あるいは何事もなかったかのように通りすぎてゆく。
誰が死のうと何が起ころうと、時間は平等に流れ、生も死も記憶の彼方に押し流してゆく。

死に近い場所がある。死に近い職業がある。
身近に沢山の死が存在しても、やがてその厳しさに順応し、麻痺していく。

死を遠ざける人がいる。生を預ける人がいる。
生きることに関わらず、死を見ずして、誰よりも悲しみの当事者になる人がいる。

誰もが明日ないかもしれない生を行きながら、それでも多くの人は明日に届いて、今日を生きていく。
明日が来ない日を体験できるのは、誰でも一生に一度だけ。
明日がないことを考えるのは短いほうが幸せだろうか、長いほうが幸せだろうか。考えないほうがもっと幸せだろうか。





by yumimi61 | 2018-08-27 14:02

矜持

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高い塀を乗り越え
時には熱にうなされ
辿り着くのは禁断の扉

染まる頃は現世の終わり
はなはだの径庭を
そういう君に感化され
ああ うつし世の儚さよ

忘れないとあの人に伝えて
さあ行こう 
五常の鐘の音を背に





by yumimi61 | 2018-08-24 21:07

条々(4)

中之条と首相と新元号とミレニアム

中之条町は小渕元首相の出身地で選挙地盤(選挙区)。
娘の小渕優子さんが父親の地盤を引き継いだ。
ちなみに小渕元首相は「平成」の元号を発表した方。当時は官房長官。1989年1月7日のこと。

新元号の発表は、国民的な注目を集めていたこともあり、小渕は「平成おじさん」として広く知られるようになった。小渕が「平成」と書かれた色紙が収納された額を掲げるシーンは、昭和から平成への時代変遷を象徴する映像として平成後期の現在でも多く利用されている。

小渕首相は首相在任中に倒れ、疑惑を残したまま臨時代理が小渕内閣を総辞職させた。

低空飛行の支持率からスタートした政権だが、自由党・公明党との連立などで政権基盤は安定し、長期政権も視野に入っていた。しかし2000年(平成12年)4月2日に脳梗塞を発症した。
小渕は意識が判然としないまま、当日夜、順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院したとされる。そして、執務不能のため内閣官房長官の青木幹雄を首相臨時代理に指名したとされる。しかし青木の首相臨時代理就任に関しては、脳梗塞で既に意識を完全に失っていたかもしれない小渕本人に果たして指名を行うことができたのかと、野党・マスメディアに「疑惑」として追及された。

「疑惑」の張本人であり小渕首相の臨時代理でもある青木自身が「脳死ではないのか?」との記者からの異議申し立てを却下したため、また、担当医師たちが曖昧な説明ないし指名は不可能だったと思わせる説明しかしなかったため疑惑は残り、後任の森喜朗総裁誕生の舞台裏と併せて「五人組による密室談合政治」と批判される原因となった。

4月5日、小渕首相が昏睡状態の中、青木首相臨時代理は小渕内閣の総辞職を決定した。内閣総理大臣の在職中の病気を理由とした退任は1980年(昭和55年)6月に急逝した大平正芳以来20年ぶりのことであった。
 
その後も小渕の昏睡状態は続き、意識を回復することのないまま、倒れてから約1か月半を経た同年5月14日午後4時7分に死去。62歳だった。


私が『枝条』というタイトルを付けた2008年5月14日の5月14日は中之条出身の小渕元首相が亡くなった日付でもあった。
また、私は以前、夢の中で「4月15日」と「5月14日」という日付を見たことがある。
日付だけだったのでそれが何を意味するのかはよく分からなかった。

過去記事より
「4月15日」は、以前私が「5月14日」とともに夢で聞いた日付なのです。「415」
マイケルのアルバム"Blood on the Dance Floor" のリリースが5月14日。「514」
4月15日にはタイタニック号が沈没した日。東京ディズニーランドの開園日でもある(あの写真も!)。
5月14日は沖縄返還の前日。

沖縄と言えば、小渕首相は沖縄サミットを3ヶ月後に控えていた時期に倒れた。
小渕首相の発案で発行が決まったという沖縄サミットとミレニアム記念(2000年記念)の「二千円紙幣」は何故だかさっぱり流通せず、まるで抹殺されたかのような現状である。


草津町出身の政治家と言えば

草津町も中之条町と同じ吾妻郡。
その草津町出身の政治家に山本一太さんがいる。いっちゃん!?(それはやめなさい?)
一太さんは安倍首相のツイッターの中の人らしい(自由民主党総裁ネット戦略アドバイザーと書くべきなのかな)。
私は山本一太議員のことも何回か書いてきたので、どんなことを書いたっけなあと探してみたら、なんと「相馬原の想い出」の後に登場する記事があった


山本一太ライブツアーの紹介

なんと一太さん、今年ライブツアーを行っている!
整形政経セミナー?
そうでした。もとい、山本一太議員の政経セミナー&ライブツアーです。
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ポスター写真は山本議員のブログより。

リンクした先で、山本一太オリジナル曲『世界がどんなに変わっても』が聴くことが出来ます。
ポスター写真もらったから言うわけではないけれど、意外にもすごく良い!(意外には余計だ?)上手!(素人には言われたくない?)

ゲストの面々もなかなか凄いけれど、これ無料なのかあ。
(君に出会うためにここに生まれてきた!?)
ゲストへの謝礼あるいは出演料とか会場使用料とか誰がどこから出すんだろう。
「政治家の大先生に会場使用料なんか頂けませんっ」とか?
自民党群馬県参議院選挙区第三支部の活動費?まさかプール金じゃないでしょうねえ?
ポケットマネーとか?
税金?政治活動?





by yumimi61 | 2018-08-23 23:04

条々(3)

布袋さんの自家用ヘリって?

ヘリコプターのことを書いていて思い出したことがある。
かつてTwitter上でなされていた茂木健一郎さんと群馬県出身で現在はイギリス在住のギタリスト(元BOΦWY)布袋寅泰さん(今井美樹さんの旦那様)の怪しげな会話。

会話は私が書き取り、こちらの記事にに載せています。
一番の問題は「布袋さんの自家用ヘリ」が何かということです。

どこに向かっていたかと言うと新潟県・夏の花火が有名な(?)長岡市。
「エンジン01文化戦略会議」の文化活動のためである。
「エンジン01文化戦略会議」について何度か書いているが、知らないという方は この辺りの記事を参照してみてください。
「エンジン01文化戦略会議」の文化活動は全国の都市を回って開催される。

過去記事より)
こちらでは文化活動へ出かける際の羽目を外した会話を紹介した。
文化活動は「エンジン01文化戦略会議」という催しで、
役員や会員はこちらの著名な方々
作家の林真理子さんが幹事長で、副幹事長にはAKB48プロデューサーの秋元康さんのお名前もあり。
こんな活動をしていまーす。(回し者ではないでーす)
オープンカレッジと称して日本全国の都市を回り、夜な夜などんちゃん騒ぎ。
様々な都市に手を付けておくと、季節折々、各地から物産品が送られてきて食べる物には困らないとか。(もともと困らないわよ!!?)

布袋さんと茂木健一郎さんがやけにハイだった長岡の時には、
林真理子さんはAKBに扮して歌い踊った。
そこになんと本物のAKBも登場し3曲披露。プロデューサー権限での出動といったところか。枕営業も嫌とは言えぬ・・!?
価値観が多様な時代だから、ファンを確保したり宣伝したりしてもらうのもなかなか大変なんだろうなぁ。


「是非我が県に、我が都市に」と誘致するのか、半ば強制の持ち回りや押し付けなのか、切っても切れないコネクション関係なのか。
山根リストじゃないけれど、文化人・芸能人御一行の接待も大変かもしれないですね。

私が「エンジン01文化戦略会議」について再三書くきっかけとなったのが、あの2人の会話(自家用ヘリ発言)だったのだ。
「エンジン01文化戦略会議」がチャーターしたヘリだったのか何なのか。


なぜ空を飛ぶのか、なぜ山に登るのか

前記事に「ぐんま県境稜線トレイル」は吾妻郡だけではなく利根郡みなかみ町も含んでいるという話を書いた。
全線開通を記念して中之条町で公演が行われたという記事も転載した。
講師は日本テレビの『世界の果てまでイッテQ!』という番組で登山部顧問を務める貫田宗男氏だったそう。

私は沼田市出身の登山家・山田昇を知っていた。
でも彼は1989年2月23日頃、アメリカのマッキンリーで39歳で亡くなった。
沼田の山田りんご園という観光りんご園の息子だった。

1989年当時、8000m峰14座を完登していた登山家は、1986年秋に達成したラインホルト・メスナー(42歳・イタリア)と、翌1987年秋に達成したイェジ・ククチカ(39歳・ポーランド)のみで、山田昇は9座登頂で世界3番手につけていた。

そういう栄誉や名誉みたいなものとは遠いところにいた人だったと思うけれど。

情熱さえあれば
努力さえすれば
山登りほど自分の夢をかなえてくれる
スポーツはほかにない (山田昇)


言い換えると・・
どんなに情熱があっても努力をしても夢は叶わない
情熱や努力だけでは勝てない
もっと言えば実力があっても勝てるとは限らない
ということでよいでしょうか。

TV映画出演等
1986年6月7日 毎日放送『植村直己物語』
1988年5月5日 日本テレビ『開局35周年記念特番 チョモランマがそこにある!』


毎日放送『植村直己物語』
「植村直己物語」は1986年6月7日に公開された日本映画。製作は毎日放送、電通。配給は東宝

植村直己物語撮影隊
『植村直己物語』では数々の極地ロケのために当時の一流の登山家が集められ、カメラマンを含む11名の撮影隊が組成された。1985年10月30日、隊員のうち7名ものメンバーがエベレストに登頂した。しかし下山中3名が遭難しかけた。
八木原圀明 - 植村直己物語撮影隊隊長
宮崎勉 - 植村直己物語撮影隊副隊長
山田昇 - 登攀隊長・スタント
名塚秀二
三枝照雄
阿久津悦夫
木本哲
佐藤光由
小西浩文
小林俊之
斉藤安平


八木原、宮崎、山田はじめ、群馬県出身で群馬の山岳会関係者が多い。

日本テレビ『開局35周年記念特番 チョモランマがそこにある!』
1987年2月北京において、日本・中国・ネパールの三国首脳によって「三国友好登山」の議定書が調印された。ネパール側からとチベット側から同時に登攀を始めて、エベレストの頂上で交差してそれぞれ反対側に降りていくという計画がたてられ、チョモランマ・サガルマータ三国合同交差縦走隊が結成された。
中国側からの第1次登攀隊には山田昇(日本)、ツェリン・ドルジ(中国)、アン・ハクパ(ネパール)、ネパール側からの第1次登攀隊にはTVクルーの山本宗彦,中村進,三枝照雄が選ばれた。1988年5月5日にそれぞれの1次隊が登頂を目指した。この様子は日本テレビ開局35周年記念特番『チョモランマがそこにある!』で生中継されたが、山田ら縦走隊3人のペースが予想外に速かったことと、TV撮影隊員の出発・到着が大きく遅れたために、山田らは山頂で1時間も待機したが頂上で落ち合うことはできず、頂上から中継されたのはTV隊の3人だけだった。
2次隊(三谷統一郎等)も控えていたが、1次隊が成功と見做されて2次隊による交差は行われなかった。その後山田昇は短期での5大陸最高峰登頂を目指し、僅か135日間でマッキンリー、モンブラン、アコンカグア、キリマンジャロを登頂した。



中之条町の嵩山(たけやま)の石

群馬県の防災ヘリ「はるな」が墜落した場所は中之条町(合併前は六合村)。
私はブログの記事タイトルに中之条町を意識して付けたタイトルがある。
2008年5月14日『枝条』
ちょろっと石のことを書いたが、中之条については触れなかった。
後日改めて石と中之条の関係を書いた。
2012年2月3日『条』
次男が中之条町の嵩山(たけやま)という霊山で石を拾ってきたことがあったのだ。
嵩山(たけやま)は合併前も中之条町。
亡くなった消防隊員が属していた吾妻広域消防本部は東吾妻町の原町という中之条寄りの所にあって、その消防本部から北に少し行った所に嵩山(たけやま)はある。

その石は動物の絵が浮かび上がっているように見えた。
私が次男が石を拾ってきたことを知ったのは帰宅してからのことで、私は次男が何故その石を拾ってきたのかは聞かなかったし、動物が浮かび上がっているように見えるという話もしなかった。


キャベツと言えば嬬恋ですね

上でリンクした『条』という記事では、 山崎まさよしさんの『One more time , One more chance』という曲についても書いている。
この歌、中之条でも撮影が行われた『月とキャベツ』という映画の主題歌だったそう。
私はこの歌を2010年に初夢で聞いた。そのことを書いたのである。

今年の6月17日の午後に群馬県内震源の地震があり、渋川市で震度5弱を観測した。
この日、山崎まさよしさんは夕方から渋川市民会館でライブだったそうだ。


中之条町のプール

「水の事故:5歳男児 プールで溺れ重体 群馬・中之条」 2012年08月16日 毎日新聞
 16日午前11時20分ごろ、群馬県中之条町の「町ふれあい町民プール」で、東京都町田市金森の幼稚園児、佐藤滉太(こうた)君(5)がプールに沈んでいるのを遊泳中の男性(37)が発見。連絡を受けた女性監視員(17)が119番した。滉太君は病院搬送されたが意識不明の重体。
 同施設には50メートルプール(水深1.2〜1.5メートル)と幼児用プール(水深70センチ)の二つがあり、滉太君は母(36)の実家に帰省中で、母と兄(7)の3人でプールを訪れ、兄弟で幼児用プールで遊んでいた。


「5歳男児、プールの底で発見…意識不明の重体」 2012年8月16日 読売新聞
 5歳の男児がプール(50メートル)の底で沈んでいるのを、ほかの遊泳客が発見した。
 プールサイドから約5メートル付近の水深約1メートル30の場所で見つかった。
 プールの中には当時、約80〜100人がいて混雑していた。


「プールで男児救助で感謝状」 2012年9月7日 読売新聞
 中之条町の町営「中之条町ふれあい町民プール」で8月16日、家族で遊びに来ていた男児(5)がプールの底で沈んでいるのが見つかった事故で、吾妻署は6日、男児を発見、救助した男性に感謝状を贈った。

 感謝状を受け取ったのは、太田市新田市野井町の獣医師飯塚賢一さん(37)。事故当日、飯塚さんは家族と一緒にプールを訪れ、子供2人をおんぶなどしながらプールの中を歩いていたところ、水底に男児が横たわっているのを発見。急いで男児をプール脇まで引っ張っていき、係員に知らせた。さらに室内に運ばれた男児に水を吐かせて人工呼吸するなどの処置をとった。男児は意識不明の重体で、渋川市内の病院で治療を受けたが、8月下旬に意識が回復し、6日に退院した。

 飯塚さんは、同署の林和夫署長から緊張した面持ちで感謝状を受け取った。林署長が「男児が助かったのは、初期の手当てが適切だったから」と話すと、事故後も男児の具合を気にしていたという飯塚さんは、「当時は夢中だったが、獣医師の経験も役立った。助けようとした人たちの努力が無駄にならずに良かった」と話した。

 感謝状授与の後、飯塚さんは同署の依頼で、署員約25人を前に今回の経緯を説明。人形を使い当時の状況を再現し、「水を出すのは、肺に空気を入れるために最初に必要なこと。皆さんもこのような事態になったらやって下さい」とアドバイスしていた。
 









by yumimi61 | 2018-08-23 12:33

条々(2)

群馬県防災ヘリ「はるな」墜落の犠牲者と墜落地点

犠牲者9人
 東邦航空の従業員2人
 県防災航空隊の職員2人
 吾妻消防隊員5人

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地図はあえて古いものを使った。現在は6町村となっている。
2006年に「吾妻町」と「東村」が合併し、「東吾妻町」となった。
2010年に「中之条町」と「六合村」が合併し、「中之条町」となった。
六合村は「くにむら」と読む。

今回の事故で犠牲になった消防隊員5人が所属していた吾妻広域消防本部は赤丸の付近にある。旧吾妻町、現東吾妻町。
東吾妻町だが中之条町に近い場所。

墜落した場所は左上の×の付近。旧六合村、現中之条町。長野県との県境近くであるが、群馬県地図として見るとちょうどぽこっと出っ張っている位置。

左下の×は1985年に日本航空123便が墜落した場所である。長野県と山梨県の県境近く。埼玉との県境とも遠くはない。
異変を感じた海上からこんな内陸に大型旅客機は飛行してきたのだ。
途中には横田基地があり、そこに着陸を試みたふしもあった。

上の地図で青丸は榛名湖。
8月12日の私の投稿で一番上に載せた写真は榛名湖。
榛名湖も高崎市と東吾妻町と榛東村の境目近くにある。
この近辺も合併が進んでいて現在榛名湖は高崎市に属している。
榛名湖の右下あたりに榛東村という村があり、陸上自衛隊の相馬原駐屯地がある。
1月の噴火で亡くなった自衛隊員(49歳)はこの駐屯地の第12旅団第12ヘリコプター隊に所属していた。でも契約隊員(有期雇用)みたいな感じだったのだと思う。
青森県出身で陸自隊員だったが一度は辞めていた方。
青森で陸自と言えば、明治時代の八甲田雪中行軍遭難事件を思い出すが、その遭難と今年の噴火、どちらも1月23日の出来事だった。


稜線トレイルと飛行ルート

左上の県境に重ねた黒線は「ぐんま県境稜線トレイル」。
県境の登山道を1本の道として結びつけた稜線100km超のロングトレイル。こんなに長いのは国内唯一だそうだ。
これが墜落翌日の8月11日に全線開通予定だった。
防災ヘリはこのトレイルの視察にいったということだった。
しかし長いトレイルなので吾妻管轄だけでは収まらない。利根郡のみなかみ町も含んでいる。
視察に行った群馬県の防災ヘリは、みなかみ町に入らない飛行ルートを予定していた。
群馬県がメインならばトレイル全部を見ても良かったはずだが、そうしなかったということは、この飛行は吾妻メインだったということになる。

群馬県は飛行計画を国土交通省に予め提出していたが、その飛行ルートは上の地図にオレンジ色で入れたラインのような感じであった。
県境沿いを飛行するがみなかみ町に入らないルート。もっと言うと、長野県と新潟県境あたり迄ということになる。新潟県境に入らないルート。

西吾妻福祉病院を飛行ルートに入れなかった怪

ヘリコプターの出発地点は群馬ヘリポート。9時15分発。
このヘリポートは前橋市のはずれのほうにあり、高崎市や玉村町との境界近く。
国交省に提出した予定ではここで9人が搭乗することになっていたが、吾妻消防隊員5人はこの出発ヘリポートでヘリに乗らなかった。
確かに東吾妻町から前橋のはずれまで自動車で行くとなると、下道なら1時間半くらいで朝で渋滞していればもっとかかるかもしれないけれど、関越自動車道を使えば1時間かからずに行けるだろうと思う。
ただ結局視察場所が地元なので無駄足と言えば無駄足。
彼らがヘリに乗り込んだのは西吾妻福祉病院だった。
場所は上の地図の左上方にある紫丸の辺り。東吾妻町でも中之条町でもなく長野原町にある。草津町寄りに位置する。
ヘリポートを有している病院なのだ。
吾妻メインの視察で管轄内のヘリポートも有している病院を利用するのだから、別に隠すことはなく計画にそう書いて提出すれば良かったと思うが、何か不味い事情でもあったのか、単に面倒だったのか忘れたのか、途中で拾っていくことを常々重要視していなかったのか、何故か記載しなかった。
実は私、以前ドクターヘリについての記事でこの病院のことを書いている。

群馬県でドクターヘリの要請が多い地域は、前橋市と吾妻広域である。

前橋市は県中心部。但し市町村合併により赤城山(旧富士見村内)も前橋市となった。

一方、吾妻広域は県北西に位置する山間部である。
北側は新潟県、西側は長野県に接している。
中之条町・東吾妻町・長野原町・嬬恋村・草津町・高山村の6町村から構成され、市を有していない。
市がないので地域全体の人口も少なく、県内で一番少ない地域となっている。
中之条町は小渕元首相の出身地。
建設問題で揺れた八ッ場ダムは長野原町内に位置する。
人口は少ないが、草津温泉、万座温泉、北軽井沢などの観光地や別荘地を有しているために観光客で賑わう。
スキー場やゴルフ場も多数ある。

(略)

吾妻地区でもう1つ注目すべき病院は「西吾妻福祉病院」である。
吾妻地区の西側の町村(草津町・長野原町・嬬恋村)が設立し、運営を「公益社団法人 地域医療振興協会」に委託している。
2002年に開院した比較的新しい病院。病床数111床。
敷地内にヘリポートを有しており、ドクターヘリを利用した高次医療機関への救急搬送に積極的である。
「地元住民における新規患者増加は見込まれない為、観光客や別荘族を増やすよう行政との連携(温泉療養相談ボランティアなど)を図る」といった策が病院運営プランに盛り込まれている。



重なるミス

9時15分 群馬ヘリポート出発 4人搭乗)
(西吾妻福祉病院を経由して5人を乗せる)
10時1分 この時間の確認を最後に消息を絶つ
11時15分 飛行計画の着陸予定時間
11時19分 ヘリコプターの着陸を国交省に報告※

※ヘリコプターは着陸のたびに国交省に報告することが義務付けられており、予定から30分経っても報告がない場合には捜索手続きが開始するという。

西吾妻福祉病院を経由して消防隊員を乗降させることを計画書に盛り込んでなかったばかりか、ヘリコプターが着陸もしていないのに着陸したと報告していたことについては驚きを隠せない。
捜索を遅らせるための仕業とすら思えてしまうミスの重なりである。

飛行計画の提出と着陸報告は、群馬県の職員が行ったのではなく、県から防災ヘリ業務を委託されていた東邦航空の従業員(県防災航空隊に派遣されていた)が行っていた。


見えない壁?

8月11日9時より「ぐんま県境稜線トレイル」のオープニングセレモニーが谷川岳天神平で開催される予定だったが、前日視察に出た防災ヘリの墜落を受けて中止となった。

谷川岳天神平は利根郡みなかみ町のほうに属する。
天神平スキー場はゴールデンウィークの頃までスキーが出来るスキー場であるが、ここは東武鉄道のグループ会社である谷川岳ロープウェー株式会社が運営している。
また谷川岳は遭難が非常に多い山として知られている。

谷川岳の頂部は二峰に分かれており、それぞれトマの耳(標高1,963m)、オキの耳(標高1,977m)と呼ばれる。

谷川岳は初級者から上級者向までの変化に富む登山コースを有し、年間4万人を越える登山者が訪れる。しかし危険個所の多さと急激な気候変化が影響し、遭難者の多い山としても知られる。

一ノ倉沢などの谷川岳の岩場は、その険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられ、ロッククライミングの聖地となっている。山麓はスキーの聖地でもあり、谷川岳天神平スキー場は関東でも有名なスキー場である。
また、谷川岳ロープウェイが東麓から山稜付近(天神尾根)までを繋いでおり、冬場はスキー客と登山客が同じゴンドラで天神平を目指すことも少なくない。山稜の天神平駅のそばにはレストハウスがあり、簡単な食事も提供されている。

谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて中央分水嶺のために天候の変化も激しく遭難者の数は群を抜いて多い。ただし遭難者の多くは一ノ倉沢などの岩壁からの登頂によるもので一般的なルート(天神尾根)は殆ど危険な箇所もなく遭難者も少ない。

1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2012年(平成24年)までに805名の死者が出ている。ちなみに8000メートル峰14座の死者を合計しても637名であり、この飛び抜けた数は日本のみならず世界の山のワースト記録としてギネス世界記録に記載されている。
こうしたところから、谷川岳は「魔の山」「人喰い山」「死の山」とも呼ばれる。遭難の防止のために群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されている。


谷川岳での救助の中心となるのは県警の沼田署谷川岳警備隊。
航空機が必要となれば航空隊も出動する。地元山岳会なども協力したりする。
みなかみ町にもヘリポート(ノルン水上スキー場)があり、合同救助訓練などを行っている。
吾妻にも山があり観光地もあり冬は寒く降雪がある地域だが、谷川岳のような難しい救助活動に比べれば難易度は高くないと思うので(比べるものでもないと思うけれど)、そういう微妙な関係性もあったんだろうか。

ぐんま県境稜線トレイル 国内最長100キロ、山の日に開通 登山家・貫田さん、中之条で記念講演 /群馬
(会員限定有料記事 毎日新聞2018年6月29日 地方版 群馬県)

充足感得られる登山を

 群馬、長野、新潟県境の尾根筋を1本で結ぶ国内最長(約100キロ)の「ぐんま県境稜線トレイル」が、8月11日の「山の日」に全線開通する。これを記念し、日本テレビの人気バラエティー番組「世界の果てまでイッテQ!」の登山部顧問を務める「天国じじい」こと貫田宗男氏が27日、中之条町で講演した。【杉直樹】

 県などでつくる検討委が企画し、県内外から約190人が耳を傾けた。





by yumimi61 | 2018-08-21 14:13

条々

防災ヘリの行方不明と墜落

8月10日、群馬県の防災ヘリ「はるな」が中之条町の山中に墜落した。
一報は「草津白根山付近で行方不明となっている」だった。
今年1月に噴火し自衛隊員1名が亡くなったのが草津白根山の本白根山だったから、白根と聞いてそれを思い出した人もいたかもしれない。

それだけではない。
この季節に行方不明や墜落と聞けば、どうしても1985年8月の日本航空123便墜落を思い出してしまうが、日本航空の従業員の95%があの事故を知らない世代だというから、思い出すのは地域限定の少数派というのが現実かもしれない。

事故の後に僕らは生まれた、事故を知らずに僕らは育った

事故を知らない世代というのは、1985年以降に生まれたと解釈してよいのだろうか。
1985年生まれは今年33歳になる。
記憶があるかどうかという観点から言えば、5歳くらいまで記憶というのは残っていることのほうが稀で、残っていたとしても幼少期の記憶はかなり断片的で正確性には乏しい。ましてや自分と何ら関係のない出来事であれば、記憶として残しておく必要などほとんどない。
そう考えると現実的には33歳よりももう少し上の世代でも事故を知らないはず。
でもそういうあやふや線は引きにくいので1985年を境にしていると思うが。
従業員の95%が1985年以後の生まれ(今年33歳以下)ということは、日本航空は若い会社なんだあとしみじみする。

定年がある企業はそれほど高齢化していなかった

ちなみに東証1部上場企業の従業員の平均年齢は40歳を少々上回る感じであり、年々平均年齢が0.2歳程度上昇している。
ソフトウェア、サービス業、小売の企業などでは比較的平均年齢が低い。平均で36歳ほど。
平均年齢が最も高いのが電力・エネルギー業界で42歳を上回っている。
但し同じ業種でも平均年齢が高い会社も低い会社もあり、平均はあくまでも平均(無理やり出してみた平均)と見た方がよさそうだ。
従業員年齢を20~60歳とすれば、単純にその真ん中は45歳となる。
高齢化とか少子化とか言われて久しいが、上場企業の従業員平均年齢は45歳よりも若い。10年くらい前に団塊の世代(1947-1949年生まれ)が一気に定年を迎えたからかな。
近年は少しずつではあるが高齢化に向かっているということになるが、団塊ジュニア世代(1971-1974年生まれ)が定年を迎えるころに再び企業の平均年齢は若返るのでは。

日本の自衛隊員の平均年齢は36歳くらいだとか。
諸外国の軍隊の平均年齢は30歳ほどだというから、日本の自衛隊は高齢化している!?


社会人として事故と向き合う?

生まれを基準にしてきたが、事故を知らない世代というのは、その時点で従業員だったか否か、とも考えることが出来る。
この場合、1985年の事故時に従業員だった人の95%がすでに退職したということになる。
1985年から33年。当時20歳の従業員ならば53歳。
60歳定年として、中途採用や退社は考えなければ、当時27歳から上の人は全て会社を去ったということになる。  
53歳以上の人の割合が5%ということ。
20代、30代、40代、50代、定年までの4世代を均等割りすれば25%だから、やはり日本航空は比較的若い会社と言えよう。 

パイロットはどうだろうか

会社名     人数  平均年齢  勤続年数  平均年収
JAL(日本航空)  1,839人 43.6歳 19.5年 16,364,000円
ANA(全日空)  2,061人 45.3歳 21.9年 19,344,000円
スカイマーク     206人 42.5歳 2.8年 7,514,000円
スカイネットアジア  98人 43.2歳 5.4年 12,062,215円
※平成27年3月現在(ANAホールディングスは平成25年3月現在)各社有価証券報告書より

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上の表(年収ガイド‐航空機操縦士より)、2016年と2017年では勤続年数と年収が随分違う。たった1年で。
それにしてもパイロットという職業は近年稀にみる男性社会なんだなあ。
やっぱり一人前になるまでが大変ということだろうか。
ちなみに自衛隊は女性自衛官が現在5%代で、2030年までに9%にすることを目標にしているらしい。

厚生省の統計ではパイロットは全ての職種の中で一番平均年収が高い職業となっている。2位が医師。
パイロットの場合、年齢での平均年収差はあまり見られない。(但し60歳を超えるとガクンと減る。年収は年棒ではないので労働時間との関係もあり)
機長と副操縦士では年収差がある。会社規模での差もあるようだ。

年功序列が嫌われ若さが持て囃されることはよくある。
企業でもなんでも平均年齢の高さは自慢にはならない昨今である。
プロスポーツ界では身体的能力の限界もあり平均年齢はどうしたって若くなる。
東京医科大の不正問題で女性の扱いや女性医師の専門が少し話題になっていたようだが、医師においては外科医は生涯現役が難しいという現実がある。
外科医は45歳くらいまでにその後の身の振り方を決めなければならないかもしれない。
医学生が免許を取得し一人前と呼ばれるようになるには30歳くらいになっている。
さらに極めたいならば卒後10~15年は急性期病院で研鑽を積むことが奨励される。そうするとストレートでいっても34~39歳となってしまう。
女性が妊娠出産をするならば多くはその前となるだろうから、研修研鑽期間にブランクが出来るとか、両立が難しくなるとかいうことはあると思う。
でもそれを理由にこっそりと女性の合格率を下げておくのはおかしい。東京医科大は外科医養成がメインなんだろうか。
正当な理由だと思うならば正々堂々とそうした現実と差別があることを受験生に周知しておけばよいのだ。受験料収入のためだかなんだか、それを黙っているのは卑怯。(もっとも点数順に合格させると入試要項などに書いてある大学もないと言えばないけれど。勝手に皆がそう思っていただけだという話になる)
閑話休題。
事故が起きた時にパイロットの年齢とベテランパイロットであったことが報じられていることがよくあるが、パイロットにとって年齢や経験ってどう捉えればよいのだろうか?

パイロットの種類

航空法で定められた民間のパイロット資格。
①自家用操縦士
②准定期運送用操縦士 ・・・副操縦士専用資格(2013年新設)
③定期運送用操縦士 ・・・国内線・国際線の定期航路便の機長になるにはこれが必要
④事業用操縦士

④の事業用操縦士は、遊覧飛行、報道、農薬散布などの事業目的、警察や消防など公的機関における航空機を操縦する資格である。
この資格によって自家用機や定期便の副操縦士も可。
航空機の種類によって、飛行機、回転翼航空機、飛行船及び滑空機と分かれている。ヘリコプターならば回転翼航空機である。
事業用や定期運送用は自家用操縦士の資格と違って外国で取得したライセンスを国内用に書き換えることは出来ない。国土交通省の国試をパスする必要がある。

群馬県の防災ヘリを運航していたのは東邦航空(設立年月日は1960年7月7日)

1960年 - 三ツ矢航空として発足。
1967年 - 東邦航空と社名変更し、その後はヘリと固定翼を併用した総合的な運航会社として発展してきた。

東邦航空株式会社は、日本で唯一のヘリコミューター輸送を行っている航空会社である。

高速回転翼航空機である「シコルスキーS-76」でヘリコミューター輸送を行っている。また、ヘリコプターを使用した山小屋への物資荷上げや、送電線建設、遊覧飛行なども行っている。2011年にはドクターヘリ事業を開始した。川田工業の連結子会社である。
(川田工業の株式保有比率66.6%)

かつてはヘリコプターを使用した民間山岳遭難救助活動も行っており、2000年には山岳救助部門を有限会社トーホーエアーレスキューとして分社化したが、2002年にヘリコプターを利用した民間山岳救助のパイオニア的存在であった同社代表の篠原秋彦が救助活動中の事故により死亡し、山岳遭難救助から撤退した。

<主要取引先>
##官公庁
国土交通省(東北地方整備局、関東地方整備局、北陸地方整備局)、環境省、林野庁、日本気象協会

##都・県
岩手県、山形県、群馬県、東京都、新潟県、富山県、静岡県、奈良県、和歌山県、東京都島しょ振興公社

##新聞社・通信社
産業経済新聞社、日本経済新聞社、信濃毎日新聞、河北新報社、山形新聞社、共同通信社

##放送局・放送関係
日本放送協会、NHKアイテック、日本電気、池上通信機、ソニー、加藤電気工業所、電気興業、デンロコーポレーション、東通インターナショナルNNN系列:日本テレビ放送網、テレビ信州、宮城テレビ放送ANN系列:テレビ朝日、静岡朝日テレビ、長野朝日放送、新潟テレビ21、東日本放送JNN系列:東北放送FNN系列:フジテレビジョン、仙台放送

##観光
藤田観光、ジェイティービー、白馬観光開発、苗場山観光、東海フォレスト、北アルプス山小屋組合

##その他
大日本コンサルタント、アジア航測、JR東日本、日本ケーブル、NIPPO、新日本製鐵、神戸製鋼所、王子木材緑化、日清医療食品石原コーポレーション合同会社





by yumimi61 | 2018-08-20 17:21

五里四方

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意志未来
自分が形作る未来があるとどこかで信じていた
たぶん生まれた時から

意志未来
望んだものは手に入れられるものと誰もが一度は
この世を疑わなかった

私はここを この場所を 自分で選んだの?
あなたは 私の希望を知って 私を選んだの?
あなたの望みは 私で叶ったの?
私はあなたに どんな未来を作ってあげられたの?

おはようと言うあなたに預けて
おやすみと言って明日を強く抱きしめる
今日がどんな日でも変わらないものがあればよいのに
終わりはいつでも少し寂しいものだから

有終の美などいらない
誰かの声が聞こえてくる気がして耳を塞いだ
軽すぎて重すぎる それが宿命ならば
重すぎて軽すぎる それが運命ならば

どんなに欲しても届かない場所に思いを馳せる
そこはどう?
誰も彼も見知らぬ顔に問う
予定通り時間きっかり 幕引きくらい自分で極めたいのに

意志未来
自分が形作る未来があると今でもどこかで
意志未来
望んだものはもうここにあると


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by yumimi61 | 2018-08-19 11:45