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一社提供

前記事に載せた福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は1970年に発生したものだが、動画の『日立テレビシティ ヒグマが襲った!秘境日高山脈にみる野生の恐怖』(TBS、1984年12月29日)はその14年後に製作放映されたものである。

日立テレビシティ
1982年4月21日から1986年4月12日までTBS系列局が編成していたTBS製作の単発特別番組枠である。日立グループではなく日立製作所の一社提供だったらしい。

一社提供と言えば、フジテレビの『サザエさん』が子供にもお馴染みだった。
番組が始まる前には、
「明日をつくる技術の東芝がお送りいたします」「いたしまーす」
「エネルギーとエレクトロニクスの東芝がお送りいたします」「いたしまーす」
終わりには、
「エネルギーとエレクトロニクスの東芝がお送りいたしました」
などとサザエさんやタラちゃんが言っていた。
その東芝の一社提供も1998年に終止符を打ち、今では東芝は提供そのものから外れたようだ。
TBSの東芝日曜劇場も有名だったけれど、こちらも2002年に一社提供ではなくなり、この4月に提供そのものから降りたようだ。

夏の甲子園における農業高校の躍進と、いろんな商売

大阪桐蔭高校が優勝し、秋田の金足農業高校が準優勝した、夏の全国高校野球選手権(夏の甲子園)。
史上初の2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭の快挙も吹っ飛ぶ、金足農業高校ブームは記憶に新しい。現在進行形と言うべきかな。

<農相>金足農に感謝状「若い農家に勇気を与えた」2018年9月4日 毎日新聞
 農林水産省は3日、夏の甲子園で準優勝を果たした金足農に、斎藤健農相からの大臣感謝状を授与した。同省によると、農業系高校の準優勝は戦後初。高校野球の活躍での大臣感謝状も、記録が残る限り初めてという

これはどう考えてもちょっとやりすぎ。
と思ったら、市長が「そんなことはない!」と異議を申し立てたとか。

金足農準優勝で訪れた「秋田」発信チャンス 英雄視、商業利用禁ずる高校球界に市長が異議 夏の甲子園
2018年8月30日

 金足農(秋田市)の「夏の甲子園」準優勝を契機に秋田を全国に発信する取り組みが検討される中、秋田市の穂積志(ほづみ・もとむ)市長は30日、高校野球の商業利用を禁ずる“学生野球の憲法”などについて、「第100回の記念大会でもあり、時代とともに変革される許容範囲もあるのでは」と疑問を呈した。

 秋田県民の期待が高かった凱旋(がいせん)パレードは、日本高等学校野球連盟(高野連)の内規で不可。高校生を「華やかに英雄視するのは誤った心情を与える」ためという。代わりに県大会の決勝戦を行った秋田市のこまちスタジアムで、選手たちを招いた「県民の集い」を開催する案が浮上している。

 県産品を全国に売り出そうとの検討も進む。「金足農を応援するつもりで『あきたこまち』を購入した」との声も県外に多かったからだ。だが、日本学生野球憲章には、高校野球を「商業的に利用しない」とあり、県の担当者は「どう売り出すかは悩ましい」とため息をつく。
 高野連の担当者は「野球のビジネス利用は不可。ただ学校としての取り組みを妨げるものではない」との見解を示した。
 金足農の生徒が開発に関わった「金農パンケーキ」(145円)を大手コンビニエンスストア、ローソンが再発売したことは容認されている。(藤沢志穂子)


「さすが実業高校!」・・とか言ってる場合!?
農業高校って各地元で野菜や花の苗売ったり、育てて収穫した野菜や果物や畜産系の商品を販売したりしてるんですよね。
地元では結構人気があってすぐに売り切れちゃうとか聞いたことあるけれど。ビギナーズラックみたいな人気なのかなあ。
全くの素人ではないけれど、プロ農家でもないから、物はそこそこ良いけれどお値段は高くないみたいなイメージがあるのかも。

あと台風で思い出したけど、青森のリンゴ農家と名乗る人が訪問販売に来たことがある。
「台風で~リンゴが落ちちゃってキズが少しできちゃったんですけど~味は全く変わらないですから。助けると思って買ってもらえないでしょうかあ~」←こんな感じのことを方言っぽいような訛った感じで言ってきた。
私は買わなかったけれど、これはどうも詐欺らしいです。
青森 りんご 詐欺 で調べてみてください。たくさん出てきます。
うちに来た人はキズがあると言っていたけれど、そう言わない訪問販売もあるらしく、強引なので購入すると不味かったりキズのある物だったりするらしい。
国民生活センターが注意喚起したこともある。

りんごやみかんの押し売りにご注意!(平成22年3月3日)
りんごやみかんなどの訪問販売に関するトラブルは年々増加しており、「断りきれず、大量の果物を買ってしまった」といった相談が全国的に拡大している(図1、参考資料)。
果物の訪問販売は昨年12 月より「特定商取引に関する法律」(以下、特定商取引法)の規制対象となったが、販売者名も連絡先も分からないことによるトラブルが発生し、また、そうしたケースがほとんどであり被害回復が難しいため、安易に購入しないよう消費者に注意を呼びかける。 



JA全農は夏の甲子園中継(BS朝日)の冠スポンサー!

実は全農(全国農業協同組合連合会)はBS朝日が放送している「全国高校野球選手権大会中継」(夏の甲子園の全試合を生中継)の冠スポンサーなのだ。
例えば今年の番組名称は「sports special 全農 第100回全国高校野球選手権記念大会」。

2012~2014年は、アンダーアーマー(Under Armour)というアメリカに本社のある会社が同番組の冠スポンサーだった。
創業者はメリーランド大学のアメリカンフットボール選手であったケビン・プランク。
・日本では、株式会社ドームが総代理店となっている。
・メジャーリーグベースボール(MLB) - 2020年から10年に及ぶパートナー契約を締結。
・読売ジャイアンツ - 2015年からユニフォームサプライヤー。
・日本バスケットボール協会 - バスケットボール日本代表のオフィシャルサプライヤー


2016年から冠スポンサーになったのが全農である。

全農(全国農業協同組合連合会)
北海道を除く日本全国の農業協同組合・経済農業協同組合連合会(経済連)・専門農協の連合会(専門連)などの連合組織。通称は「全農」「JA全農」、英語での正式表記はNational Federation of Agricultural Cooperative Associations、略称はZEN-NOH。
根拠法は農業協同組合法であり、生産資材や生活用品の共同購入・農畜産物の流通・加工・販売、農業に関する技術・経営に関する指導助言などを行っている。


日本銀行やNHK、日本赤十字社などと同様に根拠法に基づく組織なので、当然に国との関わりは強い。

(全農の組織改革)
2016年9月に第3次安倍第2次改造内閣下で設立された内閣府規制改革推進会議(議長:大田弘子政策研究大学院大学教授・みずほフィナンシャルグループ議長)から、11月に「農薬などの資材を農家に売る事業からの撤退」や「農産品の委託販売の廃止」などの組織改革を早期に行うよう迫る提言があり、結局、全農による自主的な組織刷新を行うという政府・自民党の農業改革案が了承されている。

自由民主党政務調査会農林部会長の小泉進次郎は「全農の体制こそ農家の経営の自由を奪う存在だ」という見解を表明し、首相の安倍晋三も「全農改革は農業の構造改革の試金石だ」と発言している。


今年はCMも作っちゃったよ!!

JA全農は、8月5日~21日に放送される「第100回全国高校野球選手権記念大会」(BS朝日)に冠協賛するにあたり、各都道府県を象徴する47種類のオリジナルコマーシャルを制作しました。

この47種類のコマーシャルは、各県の「生産者」が登場するほか、特産物、郷土料理、方言、観光資源で構成され、試合ごとに対戦校の都道府県のコマーシャルを放送します。(※雨天順延時は通常のコマーシャルとなる可能性があります。)

放送局 :BS朝日
協賛内容:中継番組への冠提供、47都道府県の47種類のオリジナルコマーシャル放送
試合数 :全55試合


高校野球ってNHKのものだと思ってた? 

全国高校野球選手権大会中継
朝日放送ラジオ(ABCラジオ)及び朝日放送テレビ(ABCテレビ)の制作で放送される「全国高等学校野球選手権大会」の中継番組タイトルである。正式には頭に「第○○回」が付く。いわゆる『夏の甲子園』の中継である。

番組は、AMラジオ、地上波テレビ、BSデジタル放送の3つのメディアによる同時中継、およびCSデジタル放送による録画放送により実施されている。
朝日放送ラジオが1952年の第34回大会に、朝日放送テレビが1957年の第39回大会にスタートして、それぞれ開局当初から半世紀にわたり続けられている番組である。

試合終了後の通路での勝利インタビューは、朝日放送ラジオと朝日放送テレビでは選手に対して行っている。勝利監督へのインタビューはNHKが行っているが、準決勝終了後のみ両局とも選手・監督それぞれにインタビューを行う。


朝日放送はテレビ朝日とは違う会社だが系列局である。

私の2015年夏の記事より)
毎日暑いですね。
高校野球の地区大会が盛り上がっている今日この頃ですが、わたくし凄いことを発見しました。
高校野球の春夏大会や甲子園と呼ぶ大会は「高校野球選手権大会」。
これは高校総体(インターハイ)とは違う大会です。
高校野球は高校総体を主催している高体連(全国高等学校体育連盟)に加盟していないのです。
高校野球の主催は、朝日新聞社と日本高校野球連盟です。
朝日新聞社の旗が時々目に入ることがありますね。

朝日新聞社といえばテレビ朝日を思い出します。同じ朝日ですし。
朝日新聞社の筆頭株主がテレビ朝日で、テレビ朝日の筆頭株主が朝日新聞社となっています。
それなのに高校野球ってなんでNHKが放映しているの?
高校野球100年とかなんとかという企画物まで。


何と言っても「朝日」は高校野球の主催者なのだ。

だけど昔は、新聞社とテレビ局の関係にねじれが起きていた。(腸捻転と呼んでいる)
=腸捻転状態=
朝日新聞と関係が深い朝日放送(大阪のテレビ局)はTBSとネット系列。 (朝日新聞―TBS)
毎日新聞と関係が深い毎日放送はNETテレビ(テレビ朝日の前身)や東京12チャンネル(テレビ東京の前身)とネット系列。 (毎日新聞―テレビ朝日・テレビ東京―日本経済新聞社)
1975年までこの状態が続いた。
朝日放送と毎日放送の提携関係を入れ替えたことによって、毎日新聞(毎日放送)―TBS、朝日新聞(朝日放送)―テレビ朝日、テレビ東京―日本経済新聞社という関係になった。


冠スポンサーと一社提供

朝日新聞が主催していて、朝日放送(大阪)を中心とした系列局が民法では独占中継しているのが高校野球。
その中継のうち、BS放送の全試合生中継の冠スポンサーがJA全農。
番組名に社名というか「全農」と入っているので、一社提供なのかと思ったが、アンダーアーマーの時は協賛企業がいたようだ。
全農になってからはよく分からない。

全国高校野球選手権大会中継
お願い:地上波・CSテレビ中継においては、一社提供番組や冠スポンサー番組でありませんので、スポンサーの記述は絶対しないで下さい(ラジオ・BSテレビも冠特別協賛付きですが、特別協賛社以外の複数協賛社の詳しい言及は極力しないようにしてください)。
(PJ放送番組での合意に基づく)


一社提供となれば提供する企業は当然それだけ費用がかかる。
本当にそんなに消費行動に与える効果があるんだろうかというくらい莫大な資金を投入することになる。
そのかわりスポンサー企業は意向を番組制作自体に強く影響させることも可能である。
力のある1つの企業が「全部持ちますよ」と言ってくれれば、他にスポンサーを探す必要もなく話は早い。
但しスポンサー企業やスポンサー企業が契約したCM出演者に何か問題が生じた場合や企業がスポンサーから降りてしまった場合には番組を続行したくても難しくなったり、一社の場合にはいろんな面で融通が利かなくなるといったようなリスクもあると思う。

その間に僕は何を失い、何を手に入れたんだろう

『どうぶつ奇想天外!』
お願い:スポンサーの過剰な記述およびゲスト解答者の記載はしないで下さい。

1993年10月16日から2009年3月29日までTBS系列局で放送されていた、TBS製作の動物をテーマにしたバラエティ番組である。全582回。放送内容から教養番組と見る向きもあるが、TBS公式サイトではバラエティに分類されていた。
本番組はペットとして飼われる犬、猫、猿といった、人間にとって身近な動物を取り上げる度合いが高かった。

TBSは1992年3月まで、同じく動物をテーマにしたクイズ番組『わくわく動物ランド』を放送しており、その制作を通じて得た「資産」をこの番組にも活かしていた。


この番組のロケで星野道夫という写真家がロシアでヒグマに襲われて亡くなった。

1996年8月8日深夜4時頃、ロシアのカムチャツカ半島で、取材のため滞在していた星野道夫が、設営していたテントでヒグマに襲われ、死去する事故が発生した。この事故の後、番組では星野を偲ぶ特番を放送。その中で「遺族の意思により、今後番組で星野に関することを取り扱わない」という旨を放送した。

星野 道夫(1952年9月27日 - 1996年8月8日) 43歳没
写真家、探検家、詩人。千葉県市川市出身。
慶應義塾高等学校卒業後、慶應義塾大学経済学部へ進学する。大学時代は探検部で活動し、熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦した。
慶應大学卒業後、動物写真家である田中光常の助手として写真の技術を学ぶはずだったが、助手としてはカメラの設置や掃除・事務所の留守番などの仕事ばかりで、2年間で職を辞した。

1978年、アラスカ大学フェアバンクス校の入試を受けた。入試では、英語(英会話)の合格点には30点足りなかったが、学長に直談判して野生動物管理学部に入学した。その後、アラスカを中心にカリブーやグリズリーなど野生の動植物や、そこで生活する人々の魅力的な写真を撮影した。しかしアラスカ大学の方は結局中退してしまう。1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。


北海道のヒグマ事故検証番組から12年後の悲劇

「ヒグマと鮭」をテーマに撮影するという企画は星野が持ち込んだらしい。
ロシアにクマを撮影に行く――『どうぶつ奇想天外!』という番組を私は見ていなかったのでよく分からないが、「本番組はペットとして飼われる犬、猫、猿といった人間にとって身近な動物を取り上げる度合いが高かった」という記述があったが、そうでない時もあったということだろうか。
星野はTBS撮影クルーとともにロシアのカムチャッカ半島に向かった。1996年7月25日のことである。
夏のバカンスシーズン、日本でも夏休みが始まったハイシーズン。
リスクも価格も跳ね上がる時期と言ってよいだろう。
イレギュラーとも言えるロケが何故この時期でなくてはならなかったのか。
「この時期は鮭が川を遡上するのでクマの餌が豊富で人を襲わない」星野はそのような見解を持っていたという。
日本では鮭の遡上は秋から冬。

撮影のためのキャンプ地はカムチャッカ半島南部のクリル湖畔。
TBSスタッフ3名とロシア人ガイド2名が同行していた。
そこには安全な施設(鮭観察タワー)もあったが、星野以外の5人は小屋に、星野はそこから数m程離れた所にテントを張り、1人でそこに泊まることを選択した。
ロシア人ガイドはすぐに小屋の食糧がヒグマにあさられていた形跡を発見していた。

7月27日、小屋の食糧庫にヒグマがよじ登っているのをアメリカ人写真家が目撃。ヒグマは星野のテントにも近づいた。ロシア人ガイドがクマ除け(撃退)スプレーをするもスプレーでは距離があり過ぎて効果なし。しかしヒグマは少しすると離れていき、その時は難を逃れた。
ガイドらは星野に小屋に移るように説得したが「襲わない時期」と取りあわなかったという。
アメリカ人写真家は宿泊場所を安全な施設(鮭観察タワー)に移した。

8月1日、同地にいた環境保護団体のグループがヒグマを目撃。
8月6日、再び星野のテント近くにヒグマが現れる。ガイドは強く小屋への移動を勧めたが、星野はこの時も聞き入れなかったという。

8月8日の深夜4時頃、星野の悲鳴とヒグマのうなり声が暗闇のキャンプ場に響き渡った。小屋から出てきたTBSスタッフは「テント!ベアー!ベアー!」とガイドに叫んだ。ガイドが懐中電灯で照らすとヒグマが星野を咥えて森へ引きずっていく姿が見えた。ガイドたちは大声をあげシャベルをガンガン叩いたが、ヒグマは一度頭をあげただけで、そのまま森へ消えていった。テントはひしゃげていてポール(支柱)は折れ、星野の寝袋は切り裂かれていた。ガイドが無線で救助を要請し、ヘリコプターで到着した捜索隊は上空からヒグマを捜索し、発見すると射殺した。星野の遺体は森の中でヒグマに喰い荒らされた姿で発見された。

この経過はTBSが作成した「遭難報告書」に基づくものである。
星野を襲ったヒグマは地元テレビ局の社長によって餌付けされていヒグマであり、さらにその年は鮭の遡上が遅れ気味で食糧が不足していたとも報告されている。

星野が死亡していることもあり、本当に星野が小屋に泊まることを拒否したのか、事件は回避出来なかったのか等の真偽は不明である。ガイドやアメリカ人写真家の証言と報告書との間に矛盾もあったことから、星野の友人らはTBSに対して公開質問状を送ったが、TBS側は報告書の一部間違いは認めたものの、事故を予測することはできなかったと回答している。また遺族の意向もあり、追加報告書の作成は見送ったとしている

事故後も番組が打ち切られることはなかった。





by yumimi61 | 2018-09-04 14:30

Meet

のぼるひと 2018年3月10日
【男性登山者必見】 山で女性に関わるマナー
 より部分抜粋

武勇伝は相手の経歴を聞いてから

山小屋の談話室で、聞いてもいないのに自分の山の経歴をペラペラと喋るAジェントルマンさん。
Aジェントルマンさんが厳しいといっていた山は特に困難なく登れていたらしいです。また、Aジェントルマンさんの雪山体験も、ほとんど初級レベルの山域ばかり語っていて退屈だったと呟いていました。

自分の登山経歴を語って、相手女性に「凄い人っ☆☆☆」と思ってもらいたい気持ちは痛いほど分かりますが、相手が自分を上回る猛者である可能性も否定できないので、まずは相手の経歴について探りを入れましょう。

ワイルドアピールもほどほどに

夏山で縦走中の話。その日は事前の天気予報でも荒天の予報でした。
Cジェントルマンさんは談話室で自らの体験を語り始めます。
「俺は今日●●源流を越えてきたんだけど、いや~流されるかと思ったよ。危機一髪って感じかな。沢が激流になっちゃってて。俺は何とか突破したんだけどさ…」

雨天予報だったため●●源流をあえて通らず、天気が本格的に荒れる前に尾根ルートを歩いてきた山女Dさんはこう思ったそうです。
「(リスク管理できていないのかな?)」

負けを素直に認めること

登山で勝ち負けや優劣を競うのは正直意味が無いとは思いますが。
▲ヶ岳でのお話。ロードバイクも趣味としている山女Fさんは、その日も快調に歩いていたそうです。
そんな中、疲れた様子で歩いていたEジェントルマンをいつもの歩行ペースで抜いたところ…
山女Fさんは語ります。
「その人、私の顔見て女ってわかったら、すごく必死にペース上げてついて来て…」

明らかに疲れているのにも関わらず、女に負けたくないという気持ちからか一生懸命ペースを上げようとしてくるEジェントルマン…。
山女Fさんは、頑張って歩けど追いつけないEジェントルマンさんの姿を振り返り、残念な気持ちになったらしいです。

距離感が大事

山で偶然出会った男性にペースを合わされ付きまとわれた。
こういうネタを聞かされたのは決して一回きりではなく、ことごとく評判が悪いですね。

山で出会った素敵な女子と、そのまま一緒に登山。あわよくばそれで仲良くなって…という関係の確立方法というのはイケメンとか超絶コミュニケーション能力を持っている人とか、我々よりも一歩先を行く人類にのみ許される技であり、滑舌が悪くて挙動不審のディーアイ(著者)のような人間が見ず知らずの山女子とご一緒しようとすると、高確率で迷惑行為になってしまいます。

彼女たちは基本的に外面だけは良いので、こちらの話に対しては「そうですかー」「凄いですね!」とか勘違いしちゃいそうな合いの手を入れてきますが、たいていは愛想笑いを浮かべて適当に相槌をうっているだけだったりします。
その場所ではニコニコ笑って相手をしていても、下山したら彼氏や友人相手に、ボロクソ言って愚痴っていると思っていただいても差し支えありません。

ディーアイは山で女子に話しかけてもどうせ「何こいつ…キモっ!」とか思われるんだろうな~、と積極的にマイナス思考が働いて、可愛い山ガールがいたとしても自分から話しかけるようなことは絶対にしません。空気のように扱うのが基本です。
おじちゃん、おばちゃんはフレンドリーで話しかけやすくて好きです。たまにアメちゃんとかお菓子くれるし。

仲間の安全を第一に

今ではすっかりたくましくなった山女Fさんが、登山初心者だった頃の体験。
SNS登山グループの中でも“比較的”経験豊富なGジェントルマンさんは、真っ先に雪渓をスタスタ渡って、他の仲間たちに言いました
「俺の後について来い!」

パーティの中には山女Fさんと同様、ほとんど素人同然の女子も何人かいて、恐々雪渓を渡ったそうです。
幸い足を滑らせて怪我をする人はいなかったらしいですが、「怖くて全然楽しくなかった」と、山女Fさんは言っていました。

ディーアイも昔、危なっかしいのを見たことがあります。
夏、北アルプスの穂高連峰、午後、雨の後で岩が濡れいている状態で、男女2人パーティが、涸沢岳から北穂高岳へと縦走しようとしていました。
女性の方は「怖い怖い」と半べそで、涸沢岳の最初の下りでほとんど固まっていましたが、男性の方は「そこに足置いて、三点支持で!」とか、女性が冷静に話を聞ける状態ではないのに関わらず、饒舌にアドバイスらしきものをしていました。
基本的に他人の登山スタイルに口は出さないディーアイですが、さすがに女性が可愛そうだったし、小屋にたどり着く前に暗くなったり、夕立に遭うリスクも十分に考えられる状況だったので、「あなたたちにはこの道は無理なので止めてください」と、言ってしまいました。

【おまけ】 山あるあるは一般には通用せず

ディーアイ「何日も山を歩く縦走登山では、フロ入りません。何日も入らないけど基本的にみんな同じだから気になりませんね~。ハハハ。あと、冬山って凍傷になるといけないから、ウンコした後でも手は洗わないですね~。それでおにぎり食っちゃう。ハハハ」

職場の一般女子「そうですか…(ドン引き)」

山の常識は世間の非常識。
山仲間の間では当たり前と思っていることでも、山に登ったことがない人からすると信じられない行為はあるようです。

「山ってどんなところ?何をしているの?」
という質問に対して、熱っぽくペラペラと語っても、場合によっては相手から
「なんか意味のわからないことをしているキモいオッサン」
というレッテルを貼られかねないので注意です。
結局のところ、山男は黙って山に登れ。ということでいいのかもしれません…
※上記文の著者はディーアイさん。信州在住の山好きな人。



福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件
1970年(昭和45年)7月に北海道日高郡静内町(現・新ひだか町静内高見)の日高山脈のカムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。
若い雌のヒグマが登山中の福岡大学のワンダーフォーゲル部員を襲い、死者3名を出した。


『日立テレビシティ ヒグマが襲った!秘境日高山脈にみる野生の恐怖』(TBS、1984年12月29日)






上記事件は1970年のことだから、すでに50年近く経つことになる。
その間、登山パーティーがクマに遭遇して死傷したという大々的な事件が報じられたことはないが、クマに遭遇して負傷したという登山家が皆無なわけではない。
また襲われはしなかったが、クマを目撃したことは何度もあるという登山家やハイカーはいる。
近年は山菜取りの人がクマに遭遇して死傷したり、民家がある麓にクマが出没したというニュースが報じられていることがよくある。
山間地に行くと防災無線でクマの目撃情報や注意喚起がなされていることがある。
すごくクマ被害が増えたような印象を抱いてしまう。

クマは人間が食べるものは何でも食べるらしいけれど、基本的には肉食ではない。要するに人間を食物とは考えていないということ。
上記の福岡大ワンダーフォーゲルを襲ったヒグマの胃の中にも人体の肉は見当たらなかったという。

何かに興味を持つ、じゃれている、甘噛みをする、強い警戒心を抱く、ライバル視する、敵対視する、取り合いをする、怒る、ストレスなどでイライラする、急に動くものに驚いたり本能的に反応する、人間でも普通に抱く感情や起こる出来事が、大きくて重量があり野生で育ったクマに起こればそれだけで人間にとっては脅威になってしまう。

では実際どれくらい被害があるのか。(環境省の数値より)
2008~2017年の10年をみると、被害人数は少ない年(2013年・2015年)で56人、多い年(2010年)で150人だった。
もちろんこれも警察や消防や自治体などに通報されたりして把握した数である。
死者は、3人,2人,4人,2人,1人,2人,2人,0人,4人,2人である。
全国で年間に最高でも4人しか死なない。全国民をベースにして率にしたらそれこそ限りなくゼロに近い。
被害者の中の死亡者割合も10%にはどこにも届かないので、遭難者の中の死亡者割合よりも少ない。
2016年の4人は秋田県の十和利山山麓で同じ頃に被害にあってあり、同一クマの仕業と考えられている。
死亡者4人の他に3人の負傷者がいて、これが日本の記録では史上3番目(戦後では最悪)(本州では最悪)の被害である。
このクマの胃の中には人体の一部があったとか。

全国民をベースにして率にしたら限りなくゼロに近いとしても、登山者ならば山に登ってクマに遭遇して襲われて死ぬ1人2人にはなりたくないと思うはずだ。
割合の低さと人間の恐れは必ずしも一致しない。
逆も言えて割合の高さと人間の恐れが必ずしも一致するとは限らない。

ちなみに昨今はかつて盛んに着用が推奨されたクマ除け鈴の効果は疑問視されている。
音にはクマを怯えさせたり遠ざける効果はないと見られている。
実際に被害者の中にはクマ除け鈴を着用していたという人が少なからずいるらしい。
近くにクマがいた場合には却って自分の居場所をクマに知らせる、気付いてもらう役割を果たしてしまうかもしれないとか。




by yumimi61 | 2018-09-03 14:38

Girl

比叡山女子大生殺人事件
1989年(平成元年)8月31日、京都を一人旅していた早稲田大学第二文学部5年の女子大生(事件当時25歳)が、京都市左京区八瀬秋元町の比叡山中で、現場近くの杉林でテント生活を送っていた男(犯行当時48歳)に強姦され、殺害、金品を強奪された事件。

犯人の男は2年前から比叡山の雑木林でテント生活をしていた。犯行当時のテントの位置は、根本中堂から横川中堂、秘宝館などのある横川(よかわ)地区への奥比叡ドライブウェイ峰道バス停西側で、東海自然歩道からさらに西へ少し入った杉林の中であった。南へ500mほどの場所に修行道場「居士林」(こじりん)がある

1989年8月31日、女性は京都の宿をチェックアウトし、バス・ケーブルカー・ロープウェイを乗り継いで、比叡山延暦寺を訪れた。比叡山を訪問後は、予め予約した名古屋の宿に向かう予定であった。根本中堂などを見学後、東海自然歩道を歩いて横川へ向かった。東海自然歩道は週末でも30人程度、平日は1日に10人ほどしか利用しない往来の少ない道であった。所持金が少なくなっていた犯人は金をたかるか奪う標的となる観光客を物色していた。昼下がりに、根本中堂から横川方面への東海自然歩道を歩いていた女性と出会う。犯人はしばらく女性と並んで歩き、地元住人を装って油断させ、旅の目的や予定を聞き出したうえで、横川駐車場でいったん別れている。犯人は1人で自然歩道の十字路に戻り、ビールを飲みながら女性が戻ってくるのを待った。

女性は東海自然歩道を歩いて帰る途中、犯人と再会する。犯人は観光客がよくこの十字路を通過することを熟知しており、女性が戻ってくるのを待ち伏せしていたのだった。すでに叡山ロープウェイやケーブル比叡駅がある比叡山頂行きの最終バスの時間は過ぎており、今後の行程の時間を気にした女性に対して、犯人は近道を案内するふりをして「けもの道」に女性を誘い入れた。東海自然歩道から300メートルほど入ったところで、女性を先に歩かせ、犯人がその背後に回る。突然、首を後ろから右腕で締め付けて女性を気絶させると、衣服をはぎ取って強姦に及んだ。さらに女性のリュックサックの口ヒモと自分が持っていた包帯を使って絞殺した。

比叡山は最澄が788年に薬師堂を開いて以来の日本仏教の聖地であり、国宝・根本中堂をはじめ大講堂、釈迦堂など三十余堂塔が建てられ、天台宗の総本山である。神聖なる山で起きた凶悪事件に関係者は衝撃を受けた。



山小屋OL殺人事件
1983年9月3日に、山梨県北巨摩郡須玉町増富の奥秩父連峰瑞牆山に1人で登山をしていたOL今井忍さん(22)を、山小屋の管理人・大柴勉(50)が強姦しようと殺害した事件である。

9月3日午後9時20分、山小屋に泊まっていた今井さんが、就寝前にトイレへと外へ出たところ、大柴はレイプしようと今井さんを100メートル西の山林へと引きずりこみ、下り斜面を悲鳴を上げながら逃げる今井さんのシャツを掴んで、手で口を塞いで窒息死させた。

9月4日午前5時30分、大柴は死体を遭難死に見せかけるべく発見場所へと運んだ。大柴は山梨県山岳連盟の中でもベテランだったが、1982年9月にも女性1人が泊まった際にわいせつ行為に及び、女性は別の山小屋に逃げ込むという騒ぎがあった。今井さん失踪の夜は別の客も数人宿泊しており、大柴の供述と他の客の証言の食い違いから、大柴が犯人として浮上した。

大柴の自供によると、3日午後9時20分頃、戸外のトイレに行く今井さんを乱暴しようと山林に連れ込んだが激しく抵抗されたためシャツの襟首を強く引いたところ坂道だったため首を吊った状態になり窒息死した。翌日未明に今井さんの遺体を担いで現場から100メートル離れた窪地に遺棄した。リュックや衣類は焼却したということだった。

大柴は両親と妻、娘の5人暮し。昭和52年、麓の増富ラジウム温泉観光協会経営の同小屋の管理人となった。宿泊客がいない時は須玉町の自宅に帰るような生活だった。性格は無口でおとなしいが、以前から同小屋で女性に悪戯したとの噂があった。地元では女性登山者に対して富士見平小屋には泊まらないように注意する人もいた。

警察は、今回の事件から4年前の昭和54年7月7日に、奥秩父の甲武信(こぶし)岳から燕山を目指して登山していたA子さん、B子さん2人が行方不明となり、同年8月4日と5日に甲武信岳手前の水晶山山頂付近で白骨化した2人の遺体が発見された不審死事件に関しても大柴が深く関係していると見て取り調べを行った。

2人の白骨化した遺体には後頭部と上腕部の骨折が認められた。衣類には鋭利な刃物で切られた傷跡があり、2人の所持金と腕時計は見当たらなかった。埼玉県警は転落死と他殺の両面で捜査したが結局未解決のままだった。

韮崎署は、2人の登山ルートが今回の事件と同じ登山ルートであるため大柴の犯行と見て追求したが、大柴は犯行を否認。結局確証もなく立件はできなかった。



エキサイトニュース 世界びっくりニュース 2015年6月11日
かつて甲府地域にあった奇習「旅娘輪姦」とは?
 

■「山小屋OL殺人事件」とは?

 1983(昭和58)年9月、山梨県にある奥秩父連峰・瑞牆山(みずがきやま)の山中にある雑木林の中から、女性の腐乱死体が発見されるという事件が発生した。後にこの事件は、付近の山小屋を管理する男が容疑者として浮上。同山小屋を訪れた登山客のOL(当時22)を乱暴して殺害していたことが判明する。世に言う「山小屋OL殺人事件」だ。

 実はこの事件が発覚した当初、地元民の間では、にわかに「ある噂」が囁かれるようになっていた。それは、かつて甲府地方を中心とした広範囲の地域において行われ、既に消滅していると考えられていた「旅人を襲い、輪姦する風習」が、時を経て「復活」したのではないか? というものである。

■門外不出の奇習・旅娘輪姦

 この「旅人を襲い輪姦する」という奇習が同地方で生まれた経緯や、具体的な時期などについては、判然としない部分が多い。

 一説によると、室町時代中期から江戸時代前期にかけて、甲信地方で賑わいをみせていた一連の鉱山事業において、関東各地からこの地へと流れつき、定住化していった鉱夫たちによって行われるようになったとも言われている。だが、その手段や呼び名、さらにはそれぞれに割り振られる役割分担などについては、点在するコミュニティごとに内々で決められた門外不出のものであった。このため、同地を研究している郷土史家たちですらも、この奇習に関する具体的な内容を知る者は少ない。
何代も続く地元旧家の子孫らによると、少なくとも戦前の昭和10年頃までは行われていたことが確認されているという。

 当時、標的となる若い娘の旅人が手に入ると、その参加者たちは「よばれる」(当地の方言で「ご馳走になる」の意味)と周囲に言い残しては、夜な夜な飛び出していったものなのだという。そして、彼らの目指すその先には、峠道で見知らぬ男たちに強引に連れ去られた若い娘たちが、仄暗い山小屋の中で、薄汚い男たちの手によって無造作にその肢体を弄られて、無念の涙を零していたのである。

■被害者の末路とは?

 この奇習において、被害に遭った女性が辿る道は、大きくわけて次のふたつだ。ひとつはそのまま身ひとつで温泉地などへと転がりこみ、流しの遊女(ヨタカ)となること。もうひとつは、そのまま男たちによって山中に打ち棄てられること、だ。

 いずれにしろ、当の被害者からすれば「地獄」でしかないが、後者について言えば、行為中に死亡してしまった場合などは、その女性を担ぎ、日頃、人々が訪れぬような山深い場所へと遺棄することが通例となっていたという。なお、その際に必要な遺体の運搬役は、外部への情報発信能力が強く制限されていた被差別部落民が借り出されていたとする話もある。

 なお、冒頭でご紹介した「山小屋OL殺人事件」において、犯人である山小屋の管理人は、女性を乱暴し、絞殺した後、登山道から約100メートルも下にある雑木林の中へと、女性の遺体を遺棄した。その場所は、はからずもかつて男たちが、旅娘の亡骸を無造作にうち棄てた場所の近くだったという。当時、古くからこの地に住む人々の多くが、あの奇習が復活したのではないかと考えたのも、さもありなんといったところである。
(文=戸叶和男)
奇習研究家? 奇習ライター?
時を経て思い出した「山小屋OL殺人事件」?


車社会での地方における成人になってからの生活はドアツードア(door to door)であることが多く、夜道を一人で歩く機会はそう多くない。
駅から自宅までとか日常的に夜道を歩く習慣がある場合にはやはり少し慣れてしまうと思うけれども、そういう生活をしていないと夜道を一人で歩くのは結構怖い。
以前夜に犬の散歩に行ったことがあるが、犬連れでも夜道は怖かったのでそれ以来夜には行かないことにした。
それから前に夜8時近くに選挙の投票に行ったことがある。
その時も歩いて行ったが、少し離れた後ろを歩く人がいて(ぞろぞろ人がいたのではなく夜道に2人という状況)、申し訳ないがとても怖かった。二度と投票には行かないと思った。二度と夜になってから歩いて投票には行かないと思った。


明るいというだけで怖さは薄れるものだが、山という所は基本的にはとっても人口密度が低いわけだから、昼間でも夜道と同じような危険が潜んでいる。
でも怖さを感じるというか警戒心を持つかどうかという点においてはやはり個人差が大きいと思う。
怖さや警戒心を持つ人にとっては2人きりの状態も嫌だろうし、男性複数のグループやパーティーと遭遇しても空恐ろしく感じてしまうことがあると思う。
女性の態度や歩き方が妙にぎこちなくなってしまい、男性側は警戒されていることを感じとって、かなり不愉快になるということもあるらしい。「そんなに怖ければ一人で来るな」という感じでしょうか。
現実的には安全で無事に帰ってこられるほうが圧倒的に多い。(といっても、真の実態はなかなか分からないところがあるけれども)
不幸な少数から何を学び、何を実践し、何を啓蒙するのか。登山に限らず難しいなあと思う。



あまり大っぴらに語られることはないが山にはトイレ(排泄)の問題も付き物である。環境的なことと、どこでいつどうやって行うかという問題がある。
排泄は人間の生命にとって重要な営み。また自分自身の意識でコントロールすることが難しいもの。そして人間の尊厳にも関わる行為。
だけどというか、だからというか、排泄の問題は厄介である。
慣れない人や女性にとっては特に。

息子が幼い時に野山で突然「トイレに行きたくなった」と言い出したことがあった(大のほうである)。適当なところに連れて行って「ここでしていいよ」と言ったが、まだそういう経験がなかったせいか、出たかったくせに「出ない、出せない」と言い出すのである。
慣れていない人はそう易々と出せない。
余談だが、介護を学ぶ人に「家で紙おむつをしてみて、そこで実際自分でしてみるように」という課題が出されると、おむつはしたものの出せなかったという人が少なくないそうである。
筋力が衰えた高齢者などは我慢したくても出てしまうわけだが、普段その必要のない人はそこでしなさいと言われても意識が止めてしまうようである。
そういう意味では排泄にはある程度は意識が関わっているとも言えるかもしれない。

通常の山小屋にはトイレが付いているので、登山口の公衆トイレと山小屋のトイレを利用する人が多いと思うが、そこまで我慢できない場合やそもそも山小屋やトイレが設置されていない山やルートを行く場合もある。
また不特定多数の人が使うあまり綺麗ではない臭いのきついトイレでは出来ずに、それだったら野のほうが良いという人もなかにはいる。
無防備になったり登山道から少し外れたりしなければならない排泄行為は、一人では上記のように襲われるという心配もある。
それ以外にも女性の場合は、排泄を少なくするために水分や食事を制限してしまうということがある。
水分不足やエネルギー不足で登山やハイキングをしていて、脱水症になったり、疲労で動けなくなったりしてしまうわけである。
また予定通りに下山できればなんとかなったが、天候やアクシデントで途中でロスした際には登山前や登山中に水分や食事を制限していたことによる水分・エネルギー不足が致命的になることもある。


山には女性ならではの危険性もあるので、女であることの主張はできれば避けたい。
だというのに「山ガール」ときた。
どうしても「山男」に対比させたいと言うならばら「山女」で十分だろうと思う。昔は「山女」だったはずだ。この場合の「山女」も「雪女」とか「山姥」みたいに化けて出そうな感じで使うべき。

旅の空 2010年8月2日 「山ガール」という言葉

ここ数ヶ月、「山ガールを紹介してほしい」とか「どこへ行けば山ガールに会えるのか」というような問い合わせが、マスコミからある。
山ガールの定義がなんなのかわからないし、先方の取材意図を聞いてみると、へー、そうなんだあと思うことしばしば。

「山ガール」という言葉を誰が言い出したのか知らないが、書名で初めて使ったのは、『田部井淳子のはじめる!山ガール』 (NHK出版)

私は、『はじめる!山ガール』の制作スタッフの一人で、ライティングを務めたが、書名決定編集会議の時は不在だった。
100名山ブームや中高年登山ブームを作り出したのは(仕掛けたという表現より作り出すのほうが、彼の場合ぴったり)彼だろうという超ベテラン編集長と、本誌担当の女性編集者(山に興味深々の硬派な行動派)を中心に、ほかの面々も加わって決めたと聞いている。
ある方面からは難色を示す意見もあったようだけれど、編集者が貫いた。
もし今年、「山ガール」が流行語大賞にノミネートされたら、檀上に上がるのは彼らだ。

その後、「山ガール」という言葉は、タレントやタレント的要素によって、一人歩きし始め広まっていった。それが作用するものは、必ずしも本誌作り手たちが意図していたものと一致はしない。けれど、流行とはそういうものだろうと思っている。
誰か一人が作り出すものではなく、時代のうねりなのだから。
※上記文の著者は柏澄子
1967年千葉県千葉市生まれ。登山全般および山岳地域に住む人たちをテーマにしたフリーランスライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド(ステージ2)

日本山岳協会認定ガイドには「自然ガイド」「登山ガイド」「山岳ガイド」という種類があり、それぞれステージがある。国際山岳ガイドやスキーガイドはさらに別資格となる。

田部井淳子(1939年9月22日 - 2016年10月20日)
日本の登山家。女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。福島県田村郡三春町出身。既婚。一男一女あり。旧姓は石橋。

1962年、昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中した。1965年、佐宗ルミエと共に、女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功した(12月19-20日)。

登山・アウトドアの活動が趣味の田部井政伸と山で出会い交際、1967年に結婚した。

1969年、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀クラブを設立した。翌年にアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功した。

1975年、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功。その後、日本女性で登頂したのは難波康子(1996)で、田部井が登頂成功した21年後である。ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞。

1988年、福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞を受賞した。

1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となった。同年文部省スポーツ功労賞を、1995年に内閣総理大臣賞を受賞した。1999年、旧ソ連7000メートル峰5座の登頂により、スノー・レオパードの称号を得た(日本女性初)。



それにしても何故ガールなんだろう?
女をウリにしないならば女やガールに拘る必要はないし、年齢をウリにしないならばガールに拘る必要もないと思うのだけれど。

=girlの意味=
★【用法】 現在 girl,gal,girl Friday と呼ばれることを嫌う成年女性が増えてきているので注意; ⇔boy

1.(通例 17‐18 歳までの)女の子,少女.
2.《口語》 (大人に対して未成年の)娘,未婚の女性.
3. (年齢に関係なく)娘.
4. 《口語》 (女の)恋人.
5.[通例複合語をなして] 女子従業員,女性労働者.
6.(特に若い女の)お手伝い.

girl Fridayは、(なんでもやってくれる重宝な)女子事務員,女性秘書,女性アシスタント 。
Fridayには、忠実な召し使い・片腕・秘書という意味があり。




by yumimi61 | 2018-09-02 16:07