人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

<   2019年 02月 ( 18 )   > この月の画像一覧

虐待ー⑨治ると治まる

人々の意識

虐待には精神障害が潜んでいる可能性が高い。
こう書くと「精神障害」を他人事と考えている人が多いため、「虐待」も遠ざけてしまい、何か特別な人がしでかすことであり自分や自分の家族には無関係のように考えがちであるが、そんなことはないのである。
(再掲)
「精神障害」は一般的であり、WHOは世界の多くの国々において3人に1人が、OECD諸国では2人に1人が、人生のある時点において精神障害を経験するとしている。

精神障害の障害は、英語ではdisorderである。日本語では無秩序・混乱・乱雑などの意味あり。
無能・無力・(身体などの)不利な条件・障害・ハンディキャップなどの意味があるdisabilityとは違う。
disorder は disease(疾患・疾病)より軽い失調状態を意味している。


しかしながら「精神障害」や「精神疾患」に対する偏見は根深い。
特に長いこと偏見に晒されてきたのが精神分裂病。日本では2002年より統合失調症という名称に変更された。
(この疾患にまつわり、アメリカの医療ドラマ『ER』の日本のNHKでの放映において、2話が放映中止となったことがあった。2001年にBSハイビジョンとBS2では放映されたが、2002年の総合での再放送では放映されなかった)

学会では、平成14年(2002年)に「統合失調症」という呼称を採用。精神病が「病」ではなく、「症候群」であることを広く呼びかけました。
前年の平成13年(2001年)には、WHOが、精神分裂病の疾患概念を、「慢性進行性に人格が荒廃する不治の病」から、「最近の進歩した薬物療法と心理社会的介入をすれば、初発患者の約半数は完全かつ長期的に回復する」へ改めるという動きがありました。
こうした影響下でなされた、平成17年(2005年)の精神保健福祉法の改正では、正式に「統合失調症」へと呼称が変更されます。


統合失調症(精神分裂病)については後で改めて書きたいと思っているが、偏見をなくすために名称を変え、精神病が「病」ではなく「症候群」であることを広く呼びかけた。
偏見を解きたいという気持ちは分からなくないが、現実的に統合失調症は、その有症期には他の精神障害とは少し様相の違う症状を呈す。
もちろんその程度は様々である。一般的には(個人的な関わりがなかったり専門職でなければ)異常とは見えない人もいる。
だが医学的には(見る人がみれば、診断できる人が診断すれば)少し様相の違う症状(認知機能障害、幻聴や幻覚、妄想など)が認められる。だから診断がつくとも言える。
統合失調症の患者の一部は自らが危害を加えられるような幻聴や幻覚や妄想を持つため、それから身を守るため他者に危害を加えてしまうことがある。
本人にとっては正当防衛的な行動であるが、他者から見ればそうした事実がない、つまりそれも症状の1つと判断される。

これを「精神障害」や「症候群」として一括りにしてしまうと、統合失調症(精神分裂病)への偏見が緩まるよりも、他の「精神障害」に対する偏見が強まってしまうだろうと思う。
うつ病などはありふれたものであるが、それがひどく特別なものになり、強力に薬剤による治療が施されるというようなことになりかねない。

また統合失調症の患者でなくても「危害を加えられるかもしれない」といような恐怖や不安を持つことはあるだろう。虐待されている側、いじめられている側なんか、むしろこちら側になるだろう。
「幻聴・幻覚・妄想」と「恐怖や不安」を明確に見極められるか、そこに偏見が入りこまないかという問題もある。
「幻聴・幻覚・妄想」だけを問題視すれば、想像だって、夢だって、根拠のない自信だって、イメージトレーニングだって、暗示だって、思いつきやひらめきだって、心配性だって微妙なものとなるので、そこには総合的な判断が必要となる。


精神障害や精神疾患に完治や治癒はない

精神障害は基本的には、性質とか傾向とか症候(症状)のようなものである。

例えば、「気管支ぜんそく」は疾患(病)であるが、「咳」は症状であり疾患(病)ではない。
綺麗好き(潔癖症)は性質や傾向であり、疾患(病)ではない。
心配性も性質であり、疾患(病)ではない。
だけどその程度が明らかに度を超えていたり、それによって社会生活に支障が出るようであるならば、それは単なる症状であっても問題となってくる。本人も周囲の人も大変である。
その状態を「病的」と表現することもあるだろう。病的な咳、病的な綺麗好き、病的な心配性といった具合に。
「病的な咳」ならば検査などで疾患名が付くこともあるが、診断はなかなか難しい。

現実的なことを言えば、本人や周囲の人に大変なのは「疾患(名)」ではなくむしろ「症状」なのだ。(疾患の先に死が見える場合にはまた少し話が変わってくるけれども)
でも症状だけでは満足できずに「疾患名(名)」を知りたがるという傾向も強い。

なぜ精神障害や精神疾患に完治や治癒はないのか?
そもそも、性質や傾向に対して「完治した」「治癒した」とは言わないし、症状が「完治した」「治癒した」とも言わないからである。
性質や傾向が「変わった」、症状が「治まった」といった感じになろう。
「治る(完治・治癒)」は原因が除去されて現象が再度出ないことであり、「治まる」は症状などが鎮まることである。
「病的な咳」が治まったとしても、その先一生涯「咳」が出ないなんてことはないし、再び「病的な咳」が起こる可能性も否定は出来ない。
症状は「治まる」ことはあっても、「完治する(二度とそれが起こらない)」ことはない。

「身体のこの部分に原因(病巣)がある」と言えないのが精神障害や精神疾患である。
だから視覚的に検査的に客観的に、病巣やそれが取り除けたのをはっきりと確認できるものではない。
自分的あるいは社会生活に支障をきたすような症状が出なくなれば、それでOKなのだ。だからそれを「社会的治癒」と言うことはある。


寛解

医学的には寛解(かんかい、英: Remission)という語を用いる場合がある。
これは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指す。
すなわち、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なす。

とくに「社会的寛解」の意味でその語を用いることの多い統合失調症においては、その症状により日常生活を含めた社会的な活動がほとんど影響されない程度にまでよくなった場合にそのように言う。しかし、その状態を保つために薬を服用し続けなくてはならないなど、一般的な感覚としては明らかに治癒とは異なる。

また、体質の問題であり、原則的には治癒しないとされるアレルギー疾患の場合にも用いられることがある。たとえば花粉症の場合、臨床的に3シーズン連続して症状を表さない場合に寛解したと考える。しかし、体質が変化していなければ再発の可能性はあり、こうしたことが治癒とイコールかどうかといえば、異なると言わざるを得ない。

白血病においても寛解という語が用いられる。治療によって末梢血や骨髄に白血病細胞が観察されなくなった時点で寛解とするが、その時点では白血病細胞は依然として存在するため、寛解後療法を行う。通常、完全寛解後5年再発が見られなかったときに治癒したとされる。



完全(100%やゼロ)って難しいのであった

おなじ「がん」でありながら、なぜ白血病など血液のがんだけに「寛解」という用語を用いるのか。
それは「外科的に切除できないがん」だからだろう。

手術でがん(腫瘍)を切除する。
その際、肉眼でも顕微鏡でも腫瘍が取り除けたことが確認できれば「治癒切除」ということになる。「完全切除」「R0切除」とも言う。
「治癒切除」に代わるのが、血液のがんにおいては「寛解」ということになる。

「治癒切除」「寛解」した時点では「完治した(完全治癒)」とは言えない。
体のどこかに微小ながん細胞が残っていて、後にまた「がん」として発見される(再発する)可能性があるからである。
心配でとても完治したとは言えないわけである。長時間観察して恐る恐る完全治癒を宣言するわけである。
その期間が5年。術後5年間再発がなければ完治したと見做すことにしている。(乳がんの場合は10年)
便宜上そう取り決めただけの話である。
手術をはじめとして治療の効果があったかどうかという治療成績の1つには「5年生存率」が用いられているが、これも5年後に生存しているかどうかで、その前に再発していても、その後に再発しても関係ない。5年生存率では再発率は分からない。


ちょっと話は変わるが、水ぼうそう。
ワクチン接種でも罹患してでも良いけれど、水痘・帯状疱疹ウイルスに対する免疫を持つ。
この場合、免疫を持つということは、ウイルスが潜伏することである。
加齢や免疫の低下に伴って、潜んでいたウイルスが再び活動を始めることがある。これが帯状疱疹として現れる。






by yumimi61 | 2019-02-28 17:05 | 虐待
一部と全部、誰が何をみるか

欧米では日本以上に医療が細分化されている。
専門の範囲が極めて狭いのである。その代わり、その分野については深みがある。
医療の細分化は特定の病気を深く診ることに貢献したが、一方で一人の人間として全体を捉えることが出来にくくなっている。
おそらくこれは医療分野だけの話ではない。
例えば、宇宙に有人飛行するなり滞在するとなれば、当然のことながら人間のあれこれだって大いに関わってくるわけだが、どうもその辺りがおざなりな印象を受ける。

また医療では検査機器が発達したため、機器に頼りすぎるきらいがある。
検査で何でもわかるという風潮が広く強まり、検査で異常がなければ問題を見つけられない。
検査には異常が出ない問題も存在するし、検査で異常が出ても専門的な治療は必要としないこともあるということをなかなか認めようとはしない。
要するにステレオタイプから外れたもの、パターンを認識できないものは、拾い上げられない。
さらに言えば、検査機器の開発や製造には人間が関わっている。その時点である方向性というのも定めてしまうものである。またミスもがゼロということもない。

欧米ではそうしたことへの反省もあり、もう何十年も前からプライマリ・ケア(Primary Care)を重視している。
プライマリ・ケアのに携わる医師は家庭医(アメリカ:Family Doctor、イギリス:General Practitioner)と言う。
この世に誕生してから(家庭医の中には出産も扱える医師がいる)高齢になるまでの全ての年齢の人を診る。男女も部位も問わず、身体的、精神的、社会的、どの側面からもアプローチする。
こうした「かかりつけ医(自分や家族の主治医)」を持つのが一般的である。

専門的には家庭医(アメリカ:Family Doctor、イギリス:General Practitioner)のことを総合診療医(Generalist)と言う。
欧米では医師はまずGeneralist(総合診療医)か Specialist(専門医)かを尋ねられる。Specialist(専門医)と答えたところで、はじめて何の専門なのかという話になる。いきなり「何の専門ですか?」とは訊かない。

欧米では、プライマリ・ケアが定着している。
精神障害を持つ人々について、欧州連合諸国においては過半数以上、アメリカでは約70%をプライマリ・ケア医が診療している。
また、世界精神保健連盟によれば、うつ病と不安障害だけで、プライマリ・ヘルス・ケア施設の全来訪者の1/4〜1/3を占めている。
経済協力開発機構(OECD)はプライマリケアに携わる総合診療医に対して、市民の精神保健について中心的な役割を果たすことを期待している。


日本では地域保健や産業保健がその役割を担ってきたが、対象者がとても多いことや、医学や社会との距離間など、地域差・産業差・企業差が大きいという課題もある。
また日本では細分化した専門性信仰、大病院信仰、検査信仰がとても強い印象を受け、プライマリケアへの社会的評価(地位)も低いような気がする。


精神科の専門性と特異性

家庭医と専門医という違いはある、しかしー

多くの国にて治療につながっておらず、先進国であろうと適切にうつ病と診断されていない事が多く、その一方ではうつ病と誤診されたために間違った抗うつ薬投与がなされている。 という現実もある。

それは、人間の心というものはそう簡単に理解(診断)出来るものではないということでもあると思う。

専門好きな日本でメンタル面を扱うのは精神科である。
専門という狭い世界の中には、特有の見解も問題も存在するだろうと思う。
専門家に素人が簡単に口出しできるならば専門の意味がないけれど、逆に狭い世界の中にばかりいるから他が見えないというか、それが当たり前になっていて見えなくなったり気付けないこともある。難しい問題ですね。

精神科は精神医学的な状態を扱う科である。神経科、精神神経科などは精神科の別称と考えて差し支えない。
読売新聞によれば、各精神科病院、各精神科医の間には大きな力量差が存在する。一因は、医師の勉強不足、経験不足である。

日本の医学生は主に統合失調症、うつ病を教わり、他の精神症状はほとんど教わらない(医師国家試験にも稀にしか出ない)。
多くは大学病院や関連病院で研修医として採用され、入院患者で研修する。修了後は病棟医として数年出向し、経験を積んで指導医となる。
その後、出向元に戻って外来患者を担当することになるが、内科や外科などと異なり、精神科の入院患者はほとんどが統合失調症なので、病棟医の経験を外来患者に応用するのは難しい。
その為、知識不足が原因で意味不明な診断がつくことがある。また、精神科では杜撰な診断や治療で患者が亡くなっても医師の責任を追及されることがないため、いい加減な診断や治療が蔓延している。

日本では精神科の治療責任を問うことは容易ではない。裁判においても「精神科は特別」だとしばしば言われる。
精神医療被害連絡会の中川聡代表は「通常の医療過誤裁判は、外科手術時のミス(過失)や管理上のミスを問う場合が多い。あくまで、過失は過失である。しかし、精神科の被害は、全く事情が異なる。それは、過失ではなく、そもそもの常識が間違っているのだ。本人達は、当たり前のことをやっていると思っている」と述べている。
被告側に立つ医師の意見書には、日本の精神科では多剤大量処方も常識だと記載されている。被害者側に立つ医師はほとんどいない。ごく稀に意見書を引き受ける医師もいるが、極端に逸脱した例の場合だけである。

※「神経科、精神神経科などは精神科の別称と考えて差し支えない」と書いてあるが、同じ神経が付いても神経内科や神経外科は脳・神経科学分野であり、精神科とは違う。
また昨今は心療内科とかメンタルクリニックなどと謳っている病院もある。心療内科は’心も体も’の心身医学を実践している診療科ということになるが、精神科というと受診に抵抗が強い人もいるので名称を変えている的な要素も多分にあり、どちらかというと精神科寄りである。

※「精神科の入院患者はほとんどが統合失調症なので」と書いてあるが、近年の入院患者に占める統合失調症の割合は60%ほどである。30年くらい前だと70%くらいあったかもしれない。


問題は利益追求か薬理学知識不足か、それとも単なる誤診か!?

日本の精神科の診療報酬は、特に外来患者では保険診療上の「通院精神療法」が重要な報酬源となる。30分未満が330点、30分以上が400点であり、5分でも330点、60分でも400点である(1点=10円)。現行の診療報酬体系は「沢山の患者を診た方が儲かる」「丁寧にじっくり診ると儲からない」構造になっており、薬物療法に偏る一因になっている。時間の掛かる心理療法は儲からない。

でもお金のことを考えてばかりいるわけでもないらしい。

多剤大量処方に陥る原因は、単純に薬を多く投与したほうが効果が高くなるだろうという、医師の誤った思い込みである。そのため、薬理学的な考慮のない、危険性を無視した投薬がままみられる。

精神科医療においては、精神科医による薬理学の知識不足が多剤大量処方の原因として指摘されている。そのため、これらの薬が精神疾患を完治させるわけではないにもかかわらず、目先の症状の変化に気を取られて、同じような薬を何種類も処方することになる。そして、それぞれの薬の量が限度用量以内であれば、全体として過剰投与になっているとは認識されくにい。精神科で使用される薬には主なものとして抗精神病薬、抗うつ薬、気分安定薬、興奮剤、抗不安薬/睡眠薬などがあるが、深く考えずにそれぞれのカテゴリーの薬を複数ずつ処方すれば、ほぼ自動的に多剤となってしまう。こうした薬では減薬時に離脱症状が生じることがあり、減薬も困難となることがある。


精神科だけに限らない問題のような気がするが・・・

2010年に国際麻薬統制委員会(INCB)は、日本でのベンゾジアゼピン系薬物の消費量の多さの原因に、医師による不適切な処方があると指摘している。

厚生労働省は2010年に自殺うつ病対策チームを発足し、日本では諸外国より精神科での多剤投与が多く、これが、過量服薬(オーバードーズ)による自殺未遂が後を絶たない素因になっていると指摘されている。


— 柿沢未途 - “衆議院厚生労働委員会”. 1. 第175回国会. (2010-08-03)

 現在、厚生労働省で、自殺・うつ病対策プロジェクトチームの会合が開かれております。(中略)ここで議論のテーマになったのが、精神科や心療内科で処方される向精神薬の多剤大量服用が自殺を引き起こす要因になっているのではないか、こういう状況をどうするかということに関してだったというふうに聞いております。

 これは不審死の行政解剖を行っている東京都監察医務院の監察医、水上創医師の論文でありますけれども、表を見ていただきたいと思います。衝撃的な数字です。自殺という事例の中、三百十七例ありますけれども、実はこの自殺という事例の中をたどっていただくと、中毒物質という一覧の中で、バルビツレート類というところからその他及び詳細不明の向精神薬、ずらずらっと並んでいる、これは全部、禁止薬物とかではなくて、精神科で処方されている向精神薬を服用してのケースであります。実に三百十七例中二百八十九例までがこうした向精神薬を服用した上で自殺を図られた、こういうケースだとこの水上医師の論文の表は示しているわけであります。また、この論文中では、この向精神薬を多剤併用して、相互作用等の要因が自殺を引き起こした可能性が高いということが指摘をされています。
 ことし六月、厚生労働省で、向精神薬の処方に関する注意喚起をしておられますけれども、精神科医療の現場では、こうした形で複数の向精神薬を医師向け添付文書の適量を超えて大量に処方する、いわゆる多剤大量処方がまかり通ってしまっている現状がある。諸外国では、今や単剤処方が主流で、日本のように、多剤大量処方が精神科において広く行われることは異常とも言われております。


2014年度の診療報酬改定から、一定の上限を超えた処方に対する診療報酬が減算されることになった。


精神科の治療

治療は大きく分けて3つである。
身体的な治療(向精神薬による薬物療法、脳に直接働きかける電気けいれん療法など)、
言語や行動を介した治療(認知行動療法などの心理療法、作業療法など)、
社会的な環境調整である。
精神疾患の種類や重症度により治療法は異なる。

患者本人や家族などの周囲の人間に協力を持ちかけることも治療法の一つである。
全ての疾患において患者教育は重要である。患者には、健康的な食事、運動、生活リズム、ストレス管理技法を指導する。
社会的ネットワークも重要であり、患者には可能な限り、通常の社会的・教育的・職業的な活動を継続するよう助言する。

日本での課題は、診断が適切に鑑別されていないことに加えて、適切な薬物療法がされておらず、薬物以外の対応も行われないことである。



「卵(患者)が先か鶏(医者)が先か」ということにもなってしまうが、日本では薬や外科的治療などがないと患者側も満足しない風潮が強い。
「あの医者、薬も出さなかったけど大丈夫か」とか「あの医院は何にもしてくれないな、どうせ出来ないんだろ」とかいうことになり、ヤブ医者呼ばわりされて悪評がたちそうである。
最新の検査機器がずらりと並び、薬を沢山出してくれたり、「早く見つけて良かったですね、すぐに切りましょう」とか言われれば安心するのである。
精神科ではさすがに「切ったりはったり」は出来ないので、薬ということになる。

治療にあまり長い時間をかけたくないという患者の希望もあるだろう。
精神科なんかに長く通いたくない、学校や会社を休んでいるならば長期に亘りたくない、短期間にぱぱっと治してほしいと思っている。
患者の希望だけでなく家族や社会の圧力や不理解・不寛容も存在する。

だから精神科を受診する場合には、患者側も薬での治療を期待しているという側面もある。


カウンセリングや宗教


一方でやはり精神科には行きにくいという人も多いと思う。
そこでもう少しハードルを下げて、カウンセラーを頼んだりするかもしれない。
例えば育児に悩んでいる人だったら、育児カウンセラー、心理カウンセラー、チャイルドカウンセラー、ファミリーカウンセラー、子育てカウンセラーなるものが目に留まる。
しかしこれらカウンセラーも問題がないわけではない。

「自称心理カウンセラー」「自称○○カウンセラー」「カウンセラー類似者」による、偽カウンセリングや高額自己啓発セミナー、およびそれによる消費者被害が問題となっている。
これは、「カウンセラー」という言葉は、「コンサルタント」「アナリスト」「エンジニア」などと同様に多分野で用いられる呼称であるため、臨床心理士などの心理職に限らず、称すること自体は業種・職種を問わず可能であることとも関わっている。


カウンセラーの中には臨床心理士という肩書きを示している人もいるが、これも自称である可能性もある。
また「臨床心理士」というのは民間資格であり、近年創設されることが決まった国家資格「公認心理師」とは違う。

公認心理師は臨床心理士にとって変わるものではなく、臨床心理士の資格は今後も残り、公認心理師と共存していくものと考えられている。

一般の人には(医療関係者や福祉関係者でも)、公認心理師、公認心理士、認定心理士、臨床心理士、心理療法士、心理士、心理カウンセラー、カウンセラー、相談員、セラピスト、メンタルケア心理師、メンタリストなどなどいろんな人達がいて、実施する行為の違いがよく分からない面もあるだろうと思う。

資格の有無・種類だけでなく、学位の取得による専門性の裏付けや、学会への所属による学術的な自己研鑽の傾向も、カウンセラーの能力や資質を判断する手がかりとなるが、海外のニセ学位を金銭で購入したり、いわゆる自称学会に名目上のみ所属したりという悪質なカウンセラーも散見される。これは、「学位商法(ディプロマミル/ディグリーミル)」の存在や、「学会」を名乗ることへの法的規制がないことが影響している。  

もうひとつ気を付けてほしいのは宗教の勧誘。
たいてい最初に「宗教の勧誘しています」とは言わない。
「家族・親子・夫婦・病気などについて悩んでいることはありませんか」というような感じで近づいてくる宗教団体は少なくなく、本当に悩んでいる人や精神的に不安定となっている場合には簡単に引き込まれてしまうことがある。
宗教を否定するつもりはないけれど、生命・身体・人生・生活の根幹に関わることなので1人で決めないほうがいいと思う。

あと食品というか飲み物というか薬というか、なんかよく分からないものを「これが効くんです」とか言って飲ませたり食べさせたり斡旋したりする場合もあるので気を付けましょう。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。(yumimi61)

by yumimi61 | 2019-02-26 13:53 | 虐待
出産後(あるいは妊娠中から)産褥期(産後6~8週)に発症する精神障害を「産褥期精神障害」と呼ぶ。

(1)マタニティ・ブルーズ ・・・正常の範囲内
(2)産後うつ病
(3)産後躁病
(4)双極性障害(躁うつ病)
(5)全般性不安障害
(6)強迫性障害、パニック障害
(7)産褥期精神病 ・・・ disease(疾患・疾病)

上記「産褥期精神障害」の中で一番多いのは、ホルモンバランスの影響が大きいマタニティ・ブルーズを除けば、産後うつ病である。
出産を経験した女性の10%ほどが発症している。
生後1年以内に起こる実母による虐待死は、「産褥期精神障害」が潜んでいる可能性が高いと考えられている。


「精神障害」は身近なもの

「精神障害」は一般的であり、WHOは世界の多くの国々において3人に1人が、OECD諸国では2人に1人が、人生のある時点において精神障害を経験するとしている。

OECD諸国においては、労働年齢のおおよそ20%が軽中程度の精神障害を罹患しており、平均で市民の15%が精神保健問題にて医療機関を受診している。


OECD諸国(Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構 加盟35国)
(EU)
イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フィンランド、スウェーデン、オーストリア、デンマーク、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、アイルランド、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、エストニア、スロベニア、ラトビア
(EU外)
日本、アメリカ合衆国、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、ノルウェー、アイスランド、トルコ、韓国、チリ、イスラエル。

精神障害の中では「うつ病」がもっとも身近である。
有病者数は世界で3.5億人ほどで一般的であり、世界の障害調整生命年(DALY)において第3位(4.3%)に位置づけられる。
しかし多くの国にて治療につながっておらず、先進国であろうと適切にうつ病と診断されていない事が多く、その一方ではうつ病と誤診されたために間違った抗うつ薬投与がなされている。
WHOはうつ病の未治療率を56.3%と推定し、mhGAPプログラムにて診療ガイドラインおよびクリニカルパスを公開している。



季節性情動障害(Seasonal Affective Disorder; SAD)

冬季うつ病 (Winter Depression)、季節性うつ病(Seasonal depression)とも言う。
西洋圏や日本では一般に、秋か冬に発症し春になると治る。(夏型では秋には治るが、こちらはタイやインドで一般的である)
うつ病の10~-20%が季節性うつを経験している。

10〜11月頃に始まり、3月頃には自然に治るものの、毎年毎年反復しやすい。20〜40歳の比較的若い女性に起こりやすい。
ヨーロッパなどの高緯度の地域や冬季に発症することが多いことから日照時間が発症の原因となっているという説が有名だが、そのメカニズムは良く分かっていない部分もある(諸説ある)。
日照が原因の1つと考えられているため、うつ病や睡眠障害の治療や対症療法、または予防的に光療法や日光浴が行われたり推奨されている。

母子保健事業に携わる者は、「20〜40歳の比較的若い女性に起こりやすい」というところに注目すべきだと思う。
発症しやすい年齢が出産をする女性の年齢とほぼ重なる。
従って秋から冬に出産した産婦、北国の産婦、日照差のある地域間での転居などは注意が必要である。
(ちなみに私は20代前半頃、どんよりとした日が続く梅雨の季節が憂鬱で、梅雨期がとても長く感じた)


動物や植物は光周性を持つ

光周性
昼の長さ(明期)と夜の長さ(暗期)の変化に応じて生物が示す現象である。北半球では、昼の長さ(日長)は夏至で最長となり、冬至で最短となる。生物は、このような日長変化を感知することで、季節に応じた年周期的な反応を行うと考えられている。

日長の変化が動植物のホルモン生成と分泌に影響して生じると考えられている。

動物・植物を問わず、多くの生物で光周性が認められる。動物では渡りや回遊、生殖腺の発達、休眠、毛変わりなど、植物では花芽の形成、塊根・塊茎の形成、落葉、休眠などが光周性によって支配されている。中でも花芽の形成と光周性の関係については最も研究が進んでおり、有名である。

そろそろ桜の開花時期が話題になる時期であるが、通常より気温が高い年に乱れ咲きが取り上げられることがあり、花の開花は気温が決めていると思いがちであるが、一番大きく影響を与えているのは日長時間の季節変動である。

年周期的に変化する外的要因には、日長のほかに気温があるが、気温は日長に比べて不安定な要因であり、日によってはしばしば一か月前や後の平均気温を示すこともめずらしくない。したがって、気温の変化によって花芽の形成や落葉などの時期が決定されてしまうと、季節はずれの時期に花が咲いたり、葉が落ちたりしてしまうことになりかねない。生物の年周期的な反応は、花芽の形成にしろ生殖腺の発達にしろ、生存上重要なものが多い。

なお、動物の夜行性・昼行性やオジギソウの葉の開閉などの、一日を単位とする周期的反応は日周性と呼ばれ、生物の体内時計による。


体内時計は俗に言う「時差ボケ」に関わっている。
人間の体内の器官は規則正しいリズムで働いており、このリズムが時差により乱されると体調に変化が現れる。
「時差ボケ」は通常、数時間以上の時差がある地域間を飛行機などで短時間で移動した際に起こる、心身の不調状態。
「魔の3週目」の新生児は明暗の変化・違いによって「時差ボケ」のような状態になっていると考えられる。
夜間にも短時間で寝たり起きたり繰り返さなければならず、昼間に仮眠することもある出産直後の母親たちもまた体内時計が乱れてしまいがち。


ダーク・ホルモン(Dark Hormone)

人間を含め動植物の光周性に関与しているのが「メラトニン」というホルモンである。
人間の場合、脳から全身に分泌され、身体をリラックスさせる効果があり、眠りに導くことが出来るため、良い睡眠には必須なホルモンとされる。

「メラトニン」は昼間はほとんど分泌されず、日が暮れて暗くなると盛んに分泌されるようになる。つまり身体中に「暗さ」を伝達する役割を持っている。そのためダーク・ホルモンと呼ばれることもある。
昼と夜の時間が季節によって変われば当然「メラトニン」の分泌時間も変わる。動植物は「メラトニン」の長短によって季節を知る。


メラトニンの前のセロトニン

「メラトニン」の材料となるのが「セロトニン」というホルモン。
従って「メロトニン」が夜にたくさん分泌されるためには、「セロトニン」が日中にしっかりと分泌される必要がある。
この2つのホルモンの循環が大切である。
睡眠や生体リズムの他にも、気分そのもの、ストレス、食欲、体温調節などにも関わっている。

昼間のセロトニン ⇒ 夜間のメラトニン

昼間が明るく夜間が暗いならば、昼間や夜間をそのままの意味で受け取ってもらって構わないが、人間の環境はそうでないことも多い。
光周性は単に昼間であり夜間であれば良いとよいということではなく、光の明暗が関与している。
「メラトニン」は暗い環境でより多く分泌され、「セロトニン」は明るい環境でより多く分泌される。
目から入った光が脳の深部にある松果体という部位に作用して、ホルモン分泌に影響を与える。
夜間に目から光が入れば「メラトニン」分泌は減るし、昼間に光が入らなければ「セロトニン」が分泌が減る。
また携帯電話などから発せられる電磁波は「メラトニン」を分解してしまうとも言われている。

昼間のセロトニン⇒(15時間)⇒夜間のメラトニン

「セロトニン」が「メラトニン」に変わるには15時間必要だと考えられている。
例えば、22時の15時間前は7時、24時の15時間前は9時である。
すなわち朝に日差しや光(明るさ)を浴びないと就寝時間に合わせて十分な「メラトニン」が分泌されなくなってしまう。
12時ごろに1日の最初の光を浴びたということになれば、「メラトニン」が分泌しだすのが深夜3時頃になり、その時間くらいまで寝付けないという状態になりやすい。また次の日は朝早くに起きなければならないとしても、その時間にはまだまだ「メラトニン」が盛んで起きにくいということになってしまう。

さらに言うと、「セロトニン」「メラトニン」というホルモンを作るためには栄養成分も必要である。
 ・炭水化物
 ・トリプトファン(タンパク質に多く含まれる)
 ・ビタミンB6


一説によると

上でも少々触れたが人間が生活している環境は、照明やカーテンや住居などにより、明るさが自在にコントロールできるため日長時間の季節変動を感じにくく、すでに日長時間を感知する力が退化しつつあるのではないかとも言われている。
日長時間を感知する力とは、動植物のように「メラトニン」の長短によって自然に季節を知る力、すなわち季節感知力ということになるが、動植物の生存上重要なものとされているこの能力を現代人はもはや失っていると言うのである。
動植物のように季節による「メラトニン」の長短(季節による分泌差異)がなくなっていること。

ところがなんと冬季うつ病になる人はこの力がまだ残っているらしい。
冬季うつ病は、妊娠出産年齢とも重なる「20〜40歳の比較的若い女性に起こりやすい」ということと考え合わせると、ちょっと奥深い感じがある。


日の出と日照と冬季うつ

冬季うつ病の人は季節による「メラトニン」の長短(季節による分泌差異)がまだ残っているとするならば、そうでない人と、どこで差が出るかというと、冬季うつ病の人はどうも夏の朝の日照を感じやすいようなのだ。
夜に分泌される「メラトニン」の分泌量を、冬季うつ病と健常者、夏と冬、で比べると分泌開始8時間後から差が出る。
8時間後から冬季うつ病の人の夏の分泌量が少なくなる、ということは冬季うつ病の人のほうが夏は早くに日照を感じ始めるということになる。
普通の人は夏も冬も「メラトニン」の分泌に差がないけれど、冬季うつ病の人は夏と冬に差がある。その差は「メラトニン」の分泌開始から9~10時間後に顕著となる。
冬季うつ病の人は体内に夏時間と冬時間を持っているということである。


下の●は、朝日を浴びた時間によって差が顕著になる時間が変わるので、その時間を追ったもの。

●6時に朝日を浴びる⇒(15時間後)⇒21時にメラトニン分泌開始⇒6~7時に夏と冬のメラトニン分泌の差が顕著になる(夏のほうが少ない)

●8時に朝日を浴びる⇒(15時間後)⇒23時にメラトニン分泌開始⇒8~9時に夏と冬のメラトニン分泌の差が顕著になる(夏のほうが少ない)

ヨーロッパには夏時間と冬時間があり、夏時間を1時間早め、冬時間で元に戻すけれど、うつ病対策的には冬時間を1時間遅らせたほうが良いような気がする。
ヨーロッパの冬は日の出が8時過ぎ9時過ぎなので、6時でも8時でも朝日を浴びることはもとより不可能である。(日本の冬の日の出は6時代後半で7時に近い。6時に朝日を浴びることは難しい)
従ってヨーロッパでも日本でも冬季の午前中はエンジンがからず体調不良に繋がりそう。冬季うつの人はその典型と言える。


ではこの場合の「日照」とはどれくらいのレベルの日差しなのかと言うと、直射日光で物の影ができる程度。
影が出来ないような日照は「日照時間」にはカウントされない。
(ちなみに日長時間とは日の出から日没までの時間のことで、天気が悪くて人間の目に太陽が見えなくても日長時間が左右されることはない)
だから1日の日長時間よりも日照時間のほうが少し少ないのが普通。
夏は朝から影が出来るような強い日差しが降り注ぐ日が多いが、北国の冬ではそうもいかないであろう。
単に日長(日の出日の入り)だけでなく、十分な明るさを提供する日照も重要である。






by yumimi61 | 2019-02-25 13:13 | 日光浴について

虐待ー⑥「魔の3週目」

薬にも毒にもなる、そして、どうにもならないことが多い見知らぬ誰か

3週目の赤ちゃんのお母さん(ネット内Q&Aより)
虐待しそうです。
助けて下さい。
生後3週間の男の子が泣いてばかりいます。
主人がいるときは何故かあまり泣きません。
主人は今日夜勤です。
ミルクもあげたばかりでオムツも変えたばかりです。
腹が立って殴りそうです。
生まなければ良かったです。
主人が喜んでくれたので嬉しいですが、私的には子供いなくても良かったです。
一年間育休予定ですが、とっとと預けて仕事復帰したいです。
でも3ヶ月になるまでは預かってくれるところがありません。
それまで持ちそうにありません。
どなたか、楽になる知恵を貸して下さい。
自分が産んだのに無責任で申し訳ないです。
不快に思われた方がいらしたらすみません。
ただ、赤ちゃんってもっと寝てくれるかと思っていたので、辛いです。


(投稿者の)補足
未熟な母親で情けないですが、たくさんの暖かい回答ありがとうございます(;_;)疲れすぎて炊飯器の蓋を閉め忘れたまま米炊いてたりと家事もグダグダでいっぱいいっぱいでした。知恵袋だけが唯一の息抜きです。愛情を持てず育てているので、息子に障害が出ないか心配になりました。これから接し方を変えます。今からでも遅くないでしょうか?この3週間、主人がいない時は息子を可愛がってなく事務的に世話してました。反省してます。

(投稿に対する回答の1つで、投稿者が選んだベストアンサー)
こんにちは。
知恵袋を拝見し、どうしても質問者様の質問に回答したくて初めて登録しました。1児の母です。
不快だなんてとんでもないですよ。
私自身産んだばかりの時、「泣き声がうるさいなっ!何で泣いてばかりいるの?何なの?何が言いたいの?」オムツ代えたし、ミルクあげたし、何で泣いているのかわからず、夫も毎日仕事が深夜までで赤ちゃんと私この世で2人だけ、私が全責任を負わされたような気がして泣いてばかりいました。
今思うと私自身が育児に慣れていないだけだったような気がします。
赤ちゃんにも生まれつき性格ってあると思います。よく寝る子寝ない子、よく泣く泣かないなど。
旦那様の前で泣かないのはほとんどの赤ちゃんがそうだと思いますよ!
答えは簡単です。お母さんが大好きだからです。「甘えられるのはお母さん」と赤ちゃんも分かっています。
1ヶ月、そして3ヶ月もすればお母さんも赤ちゃんも変わりますよ!!
もう少し一緒にがんばりませんか?
赤ちゃんを殴っても余計泣くだけですよ!もっとイライラします!
それより、優しい声であやしてあげてください。
赤ちゃんはお母さんが大好きです!
寝ても覚めてもお母さんですよ!
あなたを選んで生まれてきたはずです!
お母さんの代わりはいません!
質問の答えになっていないですね、ごめんなさい。
でも1人じゃないですよ!
一緒にがんばりましょう!!

あなたは絶対に虐待なんてしない方だと思います。
補足を拝読し思いました。
とってもまじめな方なんだと思います。あなたなら愛情持って育てられますよ!遅くなんてありません。
かわいい赤ちゃん、沢山抱っこしてあげてくださいね。


見知らぬ誰かの言葉に救われたり励まされて大変な時期を乗り越え、その後うまくやっていけるようになることもあると思う。
でも悩んで投稿しているお母さんは、励まされ肯定され、それに応えるかのごとく善い人を演じてしまう可能性もある。演じているという意識はなく、本当にその時はそう思っているのだとも思う。
だが再び赤ちゃんが泣きやまないというような事態が起こる。繰り返し繰り返し起こるとする。
それでも善き自分を維持できるか、虐待しそうな自分を抑えられるか、それはやはり別問題だと思うのだ。
息抜き中の後悔している最中の自分と、自分を乱す事が起こっている最中の自分とは、同じではないだろう。だからこそお母さんたちは自分でも戸惑っているのだから。

あなたは絶対に虐待なんてしない方だと思います。
補足を拝読し思いました。
とってもまじめな方なんだと思います。あなたなら愛情持って育てられますよ!遅くなんてありません

こう言っては厳しいが、通りすがりでろくに知りもしないであろう投稿者のことを肯定したこの箇所、もしもこの投稿者が自分を抑えられなかった時には、この言葉は逆にとても重荷になる。肯定したつもりが一転、完全否定に回ってしまう。


魔の3回生ならぬ魔の3週目

赤ちゃんが何をしても寝てくれず泣き止まなくなる。
お母さんたちがそう訴えるのが多いとされる生後3週目。そこから2~3週間続くという。
統計をとっているわけではないので、本当にそういう傾向があるのかどうかは分からない。
そのように訴えるお母さんが一定数いる。

その原因としてよく語られるのが外界認識説。
お母さんのお腹の中にいた赤ちゃんは光の届かない暗い世界にいた。
それが出生により光の届く世界(外界)で生きていくことになる。
生後1ヶ月未満の新生児は視力はないが明暗は認識できる。
生後2週目まではまだ光を感じる力が弱いので、お腹の中にいた時のように自分のペースで起きたり寝たりを繰り返す。
しかし次第に明るさを認識する力が強くなり、赤ちゃんも昼と夜があることを認識しだす。
つまり、これまで居た場所と違う場所に自分はいるということを赤ちゃんがはっきりと認識し出すのがちょうど3週目頃からではないかは考えられている。
その違いにまだ慣れておらず赤ちゃんが不安を感じてしまうということである。
生後2ヶ月(8週目~10週目)頃より家族の生活からも昼夜のリズムを認識するようになり、その生活リズムに同調してくる。
生後3~4ヶ月頃には、昼に起きている時間と夜に寝ている時間がまとまってくるようになる。

上の投稿にもあるが、お母さんだと泣いて、お母さん以外の家族だと泣かないというのもよく聞く話であるが、これは赤ちゃんが「この人が私にこれまで暗さを提供していた人」だということを分かっているからではないだろうか。
暗さを提供していた人が一転明るさをもたらしている、この状況というか変化をすぐには受け入れられず、とても不安になってしまうということ。

この外界認識説があたっていれば、これはもう仕方ないことで、赤ちゃんに慣れてもらうしかない。一生暗闇の中で生きていくわけにはいかない。
お母さんは一時的なものと思って我慢するしかない。
お母さん以外で泣き止むのだったら、積極的に(出来る範囲で)協力してもらえばよいと思う。

それからお母さん以外の人がいると泣かないという場合には、お母さんの「自分1人で赤ちゃんといることの不安」を赤ちゃんが感じ取って赤ちゃんも不安になっている可能性も大いにある。


我に返ったお母さんたち

出産後2週頃まではホルモンバランスが安定せずに、出産したお母さんたちは落ち込みやすい。
自分の気持ちでいっぱいいっぱいなので他人のことまで気が回らない。この他人には赤ちゃんも含まれる。
赤ちゃんを毎日毎日見ているようで見えていない。
しかし3週目くらいになるとホルモバランスが落ち着いてきて、ふと我に返る。
そしてはじめて冷静に「赤ちゃん、なんでこんなに泣いているの」と思う。
我に返ったので冷静に対処する。おむつ交換したり授乳したり、大人として母親として出来る限りのことをいろいろとやってみる。
しかし赤ちゃんは泣きやまない、寝てくれない。どうしてなのよーと思う。
要するに、赤ちゃんの状態はそれまでと大して変わったわけではないが、お母さんの受け止め方が変わる時期だとも考えられる。


マタニティ・ピンクからの目覚め

上に書いたことと反対のようでいて似ている現象。
待ちに待った赤ちゃんが生まれてきて、赤ちゃんは可愛いしで、お母さんも家族も気持ちが高揚している。気分がハイな状態(躁状態)とでも言おう。
だから何をされても許せちゃう感じ。
でも薬物などを用いないハイな状態というのは永遠には続かない。
さすがに2週間も経つと気持ちも落ち着いてくるし、身体的な無理も限界となってくる。
そうするとハイ状態で行っていたことが出来なくなり、許せていたことが許せなくなる。
これも我に返った、平常モードに戻ったというわけである。
だからいろんなことが急に大変になってくる(大変に感じるようになる)。

また家族のハイ状態が醒めたことにより、何か急に自分が見捨てられたような突き放されたような気持になることもあるだろうと思う。そして急激に孤独感を感じてしまう。
その不安や落ち込みが赤ちゃんに伝播する。
またハイ状態からの醒めで急に赤ちゃんが可愛く見えなくなるということもあるかもしれない。


産褥期精神障害

妊娠・分娩によっておこった母体の変化(全身および性器)が、妊娠前の状態に完全に戻るまでの期間(6~8週)を産褥期(さんじょくき)と言う。

出産後(あるいは妊娠中から)産褥期までに発症する精神障害を「産褥期精神障害」と呼ぶ。
遺伝や既往が関係していることもあるが、ない場合もあり、どちらにしても出産を契機に発症してしまうのでこう呼ぶ。
精神障害の障害は、英語ではdisorderである。日本語では無秩序・混乱・乱雑などの意味あり。
無能・無力・(身体などの)不利な条件・障害・ハンディキャップなどの意味があるdisabilityとは違う。
disorder は disease(疾患・疾病)より軽い失調状態を意味している。
(7)だけが disease(疾患・疾病)に該当する。

(1)マタニティ・ブルーズ ・・・正常の範囲内
(2)産後うつ病
(3)産後躁病
(4)双極性障害(躁うつ病)
(5)全般性不安障害
(6)強迫性障害、パニック障害
(7)産褥期精神病

うつ病と躁病だけに産後が付いているが、普通のうつ病や躁病と異なる病態(精神障害)があるわけではない。他の産後が付いていない障害も産褥期間だけの特別な病態があるわけではない。
産褥期精神病も産褥期間に発症した統合失調症などのこと。


・うつ病は気分の落ち込み、不安、意欲低下、不眠などが主症状。

・躁病はうつ病の反対な状態であるが、躁病は単独での発症よりも、うつ病とセットで発症することが多いと考えられている。
躁病は気分が異常に高揚し、夜も眠らずに、支離滅裂な言動を発したり、危険を顧みなくなるような状態になる期間(病相)のこと。

・双極性障害はうつ(無気力)と躁(ハイテンション)を繰り返す。
出産前に既往のある人は、出産によって再発しやすい。

・全般性不安障害は、過度で制御できない(多くは理由のない)不安のために日常生活に多大な影響を及ぼしてしまう不安障害。
診断には症状が最低6か月以上継続し、社会的・職業的・その他の面で実際に不全を及ぼしている必要がある。

・強迫性障害は、不合理な考えやイメージが頭に繰り返し浮かんできて、それを振り払おうとして何度も同じ行動を繰り返してしまうという障害。
パニック障害は、突然強い恐怖や不安に襲われて、動悸やめまい、呼吸困難などが発生する。一度発作があるとまた発生するのではないかは不安を持つようになる。また発作まではいかないが逃げ場ない状況に強い恐怖や不安を感じて、そういう場所にいられなくなったりする。
産褥期の場合には、うつ病に併存していることが多い。

・産褥期精神病
症状は不眠や気分の急速な変動などに始まり、新生児に対する不安や妄想を訴えるようになり、幻聴、幻覚、幻視、興奮、錯乱などをきたす本格的な精神病状態になる。
産後数日内のうちに発症することが多い。遅くとも数週間以内に発症する。
頻度は1000回の出産に1~2例(率にして0.1~0.2%)。


産後躁病(双極性障害の躁)は上に書いたマタニティ・ピンクの躁状態とは異なる。
ハイな気持ちで育児に向かうか否かが決定的な違い。
具体的に言うと、出産を機に躁病になったお母さんは、活力に満ちあふれ、たとえ初産婦でもあっても自信たっぷりで、自分がとても偉くなったような気分にもなる。
活動的で一晩中起きていたりするが、育児に向かっているわけではなく、赤ちゃんの世話は却って疎かになる。他にやらなければならないことがあるなどと言い出す。
家の中を整理しなければならないと思い込み、実際に始めたりするが、これも却って散らかすはめになる。
陽気で機嫌はよいが、突飛な思い付きで行動するので、それを制されたりすると怒りっぽくなり、ひどくなると暴れる。
本人のやる気はあるのに、日常生活にも育児にも向かない状態となっている。

生後1年以内に起こる実母による虐待死は、「産褥期精神障害」が潜んでいる可能性が高いと考えられている。






by yumimi61 | 2019-02-24 16:21 | 虐待
それも虐待!?

虐待による死亡数のグラフをこちらの記事(『世相』)に載せた。
いわゆる虐待死(心中以外の虐待死)が平均50人/年くらい。
「心中以外の虐待死」の被害児童は0歳児が半数を占め、8割は3歳以下であり、小学校入学前の児童が圧倒的に多い。

虐待加害者は実母が半数を超える。その次に多いのが実父である。その次が複数(父+母など)による虐待。その次がその他であるが、これに内縁関係にある人や同居人が含まれる。養父母は実父母よりも絶対数が少ないこともあるが、虐待加害者になっているケースはとても少ない。

親子心中(無理心中)で死亡してしまった児童を「心中による虐待死」として別にカウントしている。
心中は、経済的不安や親自身の病気、親の失望感や絶望感、子供の障害などから、親が将来を悲観し子供を道連れに死のうとすることである。
「心中以外の虐待死」よりは数は若干少ない。
こちらは「心中以外の虐待死」よりは年齢がばらけて、小学生や中学生年齢の子供との心中もある。

その他おそらく虐待には数えられていない「子殺し」もあると思う。
虐待は主に傷害罪と保護責任者遺棄致死罪であると思うが、そうではなくて殺人事件(殺人罪)として扱われるもの。
子供の首を絞めて殺したとか、ナイフで刺して殺したとか、高所から落としたとかいう事例である。
そこに至るまでに虐待があったのか、それとも突発的なのか、抑えていたものが爆発したのか、個々の背景は不明だが、これも被害児の年齢はいわゆる虐待死よりは年齢がもう少し上がりそうな気がする。

また子供が虐待から逃れるために自殺するということもあるだろう。
要するに自殺の背景に虐待があったであろうという事例だが、これも自殺できるほどの年齢になっていたということになる。

子供を残して親が自殺してしまうこともある。

さらに言えば、子供(+妻あるいは夫)を残して家出し行方不明(音信不通)になる事例もあるだろう。


いま述べてきたことをまとめれば次のようになる。
・子を虐待
・親子心中
・子供を殺害
・子供が自殺(自殺背景に虐待がある場合)
・親が自殺
・子が行方不明(家出の背景に虐待がある場合)
・親が行方不明
(・子を産んだこと!?)

どれであっても、子供は親から何かしら被害を被る。
親子心中、親の自殺や行方不明の場合、その原因が子育てに悩んでいたといったものではなく別の理由だったとしても、子供への影響は大きい。それを心理的虐待と言うことだって出来なくはない。
それを言うならば、この世に誕生したことがすでに虐待(生まれてきたくなかった、あなた達の子供として生まれてきたくなかった)とか言い出す子供もいるかもしれないけれど。
大きくみれば親の離婚も虐待になり得る。(親の離婚を何らかの理由や不幸の原因にする子供は少なくない、大人になってからも)

虐待と殺害の違いは、子供に対して殺意を持ってその行為を行ったかどうかということになるだろう。でもそう考えると、親子心中は殺意を持って行っているのだから虐待の範疇にはない気がするが。心中の場合、罪状も殺人罪や殺人未遂罪となる。
「心中以外の虐待」にも殺人罪のケースがカウントされているんだろうか。


西日本新聞 2016年11月15日「親子心中は虐待」認識あるか 精神科医療と児童福祉 足りない連携 進まぬ対策 社会の考え方に問題は…
心中による子どもの虐待死と、心中以外の虐待死では加害動機の傾向が違う。9月に厚生労働省が発表した子どもの虐待死事例検証報告(2014年度分)によると、心中以外による虐待死は43件44人で、心中が21件27人。加害動機では、心中以外は子どもの存在拒否(31・8%)▽保護を怠ったことによる死亡(11・4%)▽しつけのつもり(9・1%)-などばらけているのに対し、心中は「保護者自身の精神疾患・精神不安」が59・3%と、一つの項目が高い割合を占める。

【心中以外の虐待死】
・子どもの存在拒否(31・8%)
・保護を怠ったことによる死亡(11・4%)
・しつけのつもり(9・1%)

【心中による虐待死】
・保護者自身の精神疾患・精神不安(59・3%)

転載した記事には加害動機が違うと書いてあるが、そうとも言い切れない。
精神疾患という言うといかにも病気な感じだけれど、精神が不安定な状態ならば誰だってなりうる。
うつ病(うつ状態)などは「心の風邪」とさえ言われるくらいである。
精神というとハードルが上がるが、メンタルとか心理状態とか言えばハードルは下がる。
従って、・子どもの存在拒否・保護を怠ったことによる死亡・しつけのつもりに、・保護者自身の精神疾患・精神不安がなかったとは言えない。


マタニティ・ブルース

いつも待ちわびてた
だけど月のものが来なくなり、いよいよ私も年貢の納め時かと思ったら
嬉しいのか悲しいのか分からなくなって涙がこぼれた
マタニティーブルース

ご飯の炊けた匂い
ほかほか温かくって、幸せってたぶんこんなことだって確信してたのに
唐突に生きることを拒絶したみたいに込み上げてくる吐き気
マタニティーブルース

私の中にいる私ではない誰か
ドメスティック・バイオレンスお構いなしに蹴っている
心も身体もこんなに腫れて膨らんでるけど愛してもいる
マタニティーブルース

これまでの私
何か1つでもちゃんと出来たことある?ないでしょ、ないわよ、ないって言って
ないってひどい、それでもあなたにはあるって言ってほしかった
マタニティーブルース

こんにちは赤ちゃん
あなたのその美しい鳴き声を子守唄に今は少しだけ眠らせて
昨晩私は一睡もしなかった・・遠のく意識落ちていくどこまでも
マタニティーブルース


マタニティ・ブルー(マタニティ・ブルーズ)

妊娠期間中や産後2週間くらいの間に起きる軽度のうつ症状および神経症状。
具体的な症状としては、疲れやすい、無気力、涙もろくなる、イライラしたり怒りっぽくなる、不安や寂しさが募る、不眠あるいは過眠、食欲減退あるいは食欲増進(過食)、セックスや夫に全く関心が持てなくなる、頭痛、胃痛など。程度の差はある。

出産が原因となる精神的ストレスおよび疲労、ホルモンバランスの変調、育児に伴う睡眠不足、環境や生活状況の変化、育児への不安などによる心理的な反応として、3人に1人程度の産褥(さんじょく)婦が経験する。
多くは一過性のもので短い間に回復がみられるが、重症となれば産後うつ病などの精神障害に陥る場合もあり、自殺企図につながったり、育児放棄や子への虐待などに発展してしまうケースもある。
なお、産後うつ病となるのは、出産を経験した女性のおよそ10人に1人といわれている。


マタニティ・ブルーの原因は複合的であるが、しかし特徴的なのはホルモン変動(ホルモンバランスの崩れ)が大きく影響していることである。
女性は月々の月経前(PMS:月経前症候群)や月経中、更年期などにも心と身体が不調となることがあるが、それもホルモン変動やバランスの崩れが大きな原因である。
それと同じように妊娠中と出産直後には心と身体に変化が起きやすい。


産後うつ

出産後2週間くらいまではホルモン変動や乱れの影響が強く、この時期までを「マタニティ・ブルー」と呼んでいるが、それ以上症状が長引くような場合には「産後うつ」と呼ばれるようになる。
「産後うつ」の場合、マタニティ・ブルーよりも環境的な要因が大きい。
また出産前の精神・心理状態(精神疾患既往歴)など個人的な要素も関わっている場合もある。

高齢出産(医学的な定義としては35歳以上の出産)、ワーキングウーマンの増大、核家族化、情報過多、承認欲求の肥大(他者との比較)などが産後うつを発症しやすい環境である。

高齢になるほどやはりどうしても妊娠出産による身体のダメージが大きく、痔や恥骨などの痛み、骨盤の違和感など外傷性のダメージからの回復はもとより、睡眠不足や疲労からの回復も遅い。
若い時ほど無理がきかないし、長期に無理を続けることも出来ない。従ってストレスもたまりやすい。
高齢出産などで出産までに結構な期間働いている女性は、新人から中堅に、あるいはすでに責任ある立場になっていることもある。その過程においてメンタル面での不調を感じたり、うつを経験していることもある。つまり既往的なものがあり、弾性や耐性が弱くなっていることも考えられる。
夫の年齢もそれなりに高齢の場合には、責任ある仕事を任せられていることも少なくなく、さらに出世競争の中にあったりすれば、そうそう休んでもいられないだろう。だから「イクメン」にはなかなかなりきれない。若ければ時代に乗れるが、時代に乗りきれないということ。
パワー満ち溢れる子供に対峙するには体力的には若い方が有利なのは女性も男性も同じ。無理がきかない。
逆に精神的には次第に大人になっていくはずであるが、同時に社会的な側面(世間体を気にする)を多く持ってしまうので思うようにはいかなくなる。

働いている女性では、育休に負い目を感じたり、休んでいることで自分だけが取り残されてしまうという焦りを感じたり、あるいは職場復帰がプレッシャーになったりで、必要以上にストレスがかかってしまうことがある。
また職場でバリバリ働いていた人や結果を出してきた人ほど完璧を求めやすい傾向にあるが、赤ちゃんや子供は思うようにはならず挫折感を味わう。こんなはずではなかったという強烈な経験をすることになる。

核家族化でサポートできる家族がいない。相談できる経験者もいない。御近所づきあいもしておらず仲間もいない。近所に同年代がいない。となれば、どうしても孤立しやすい。
ネットやテレビには情報が溢れているが、正しいことも正しくないこともあり何が本当か分からない。また情報が間違えていなかったとしても、それが求めているものの回答とも、その人に一番相応しいこととも限らない。
SNSなどに上がっている情報は嘘だったり盛ったり加工したりしたもの、ほんの一部分を切り取ったものであることが多いので、自分の現実と比べて必要以上に劣等感を感じやすい。
嘘偽りない情報や仲間があったとしても、子育て期のお母さんたちは比較での優劣に非常に敏感になっているので、不安や劣等感を感じやすい。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。(yumimi61)

by yumimi61 | 2019-02-22 16:31 | 虐待
女の「きょうだい」だったら、上の子は姉ということになりますよね。
あーね?
皆さん「あーね」を御存知でしょうか。
『アンネの日記』の「アンネ」ではありませんよ、「あーね」です。
息子に何か話しかけると、その返答が「あーね」ということがあったのです。
どうも「ああそうだね」とか「ああそれね」というような意味で使っているらしく、群馬界隈の若者語らしいのです。

そしたら最近「なんなん」が流行っていると聞いたので、「あーそれ、群馬語でしょ」と自信満々に言ってみたところ、「なんなん」というのは関西弁だと言うのです。なんなん、それ。
群馬の若い子普通に使ってますよね?「何なの?」「なにあれ!」というような意味合いで用いるのですが、関西弁由来?
群馬は語尾を「ん」で終わらせることが結構あります。
「なんなん」(なんなの)、「そうなん」(そうなの)、「来たん」(来たの)、「やめたん」(やめたの)、「したん」(したの)、「好きなん」(好きなの)などなど。
「この間、あの人が来たんね」(この間、あの人が来たのね)と、語尾「の」に「ね」を重ねるのも群馬っぽいとか。
「この間、あの人が来たんさ」と「ん」に「さ」を重ねるともっと群馬っぽいかも。

そこで「あーね」も関西弁なのかと調べてみたら、これは福岡をはじめ九州地方で使うらしいとあったの。



「上の子」「下の子」

私は長女である(2歳違いの妹がいる)。だから私もかつて「上の子」だった。
かつてと書いたが生きている限り「上の子」を降りることが出来ないのも事実である。

多くの上の子と同様に、子供の頃には「なんで私ばかり怒られるの」とか「私は全然悪くないのに」と思ったことがある、確かにある。悔しくて泣いたこともあると思う。
「子供の頃、ゆみちゃん(私)ばかり怒られていたよね、可哀想なくらいに」という従姉の大人になってからの証言もあるので、主観だけではなく客観的にも私はよく怒られていたんだと思う。
母親はとても厳しい人だった。でも優しい人でもあった。
子供の時には怒られた勢いにまかせてノートに「お母さん、〇ね」と書いたことがあるかもしれないが、毎日毎日恨みを募らせていたということは絶対にないし、大人になってから子供の時に怒られたことを恨んでいるということも全くない。
そもそも怒られた記憶も概ね小学生以降の記憶であり、それより幼い時代に怒られた記憶というのは記憶としては残っていない(人格形成に影響しただろうとかそういう話は別にして)。
また妹が憎かったということも怒られた子供時代にも全くない。むしろ妹とは仲が良かったほうである。

小学生以降には、勉強とかスポーツとか芸術関係とか、子供を評価する別の視点が出てくる。
子供の時には妹より私の方が上手く要領よく何でも出来たと思うので、その意味では私の方は親や他の人に褒められることが多かったと思う。幼い時と立場が逆転する。
ひいきされているみたいで妹に申し訳なく思ったこともあるし、「下の子」である妹は妹で姉と比較されるのは嫌だと思っていたはず。
この手の話もよく聞くことである。

最初の子である「上の子」は親が初めての育児で緊張状態の中、かなり気合も入れて育てるため、愛情を一心に注がれ(た時期があり)、同時にマニュアルに則って厳しく躾けられる(ことが多い)。
「上の子」は大人中心の世界、大人の感覚の中で育つ。だから比較的大人びてしっかりしていて我慢強く思いやりの気持ちを持つ傾向にある。
「上の子」と「下の子」というのは他人が見てもなんとなく分かるという声もよく聞く。
そうした「上の子」の特徴が他者から良く評価された場合には、親も育てた甲斐があったというもの。

しかし「上の子」の特徴が他者から評価されない場合には、「上の子」の特徴は「生意気」「ませてる」「可愛げがない」「子供らしくない」「鼻持ちならない」「我が強い(マイペース)」「はっきりしない(自己主張・自己表現しない)」という、どちらかと言えばよくないものに変わってしまう。
また他者からの評価があっても、親は「良い子を演じるのが上手い」とか「裏表がある」「要領ばかりいい」と思っていることがある。

昔から「出来の悪い(馬鹿な)子ほど可愛い」という言葉があるくらい。
出来の悪い、手のかかる子が、何だかんだ言いつつも、気になり可愛いということ。
それは何故なのか、突き止めれば出来の悪い子や手のかかる子は「自分の存在意義」を感じさせてくれる存在ということになると思う。
親としての承認欲求を満たしてくれる存在。
乳児などは、おむつを交換したら泣き止む、おっぱいやミルクをあげたら泣き止む、あやせば泣き止んで笑うなど、全身で分かりやすく親を承認する存在である。
親の承認欲求を親が要求したように満たさない子供は、親にとって可愛くない存在となり得る。

あまり可愛がられた記憶がないのに、大人になって(親に対しての)責任ばかりが付いて回り、割が合わないと思っている長男長女も少なくないのではないかなぁと思う。

世間一般にこうした「上の子」「下の子」の特徴があるので、逆に上の子なのに上の子らしくないということが親の神経を逆なでしたり、不安にさせたり心配になったりということもあるのかもしれない。



悩んだり苦しんだのはあなただけじゃない

虐待のステレオタイプやリスクファクターはあるが、本当にいろいろな要素が絡み合っており、こういう場合に起こる、と端的には言い難い。
正直、どこまでを虐待と言い、どこからを虐待と言わないか、そのあたりも難しい。
子育て期には、表面化しない暴力や恫喝は、それこそ当たり前のように存在しているはずだから。
暴力や恫喝と書けば自分とは無縁と思ったり、自分のは違うと認めない人も大勢いるかもしれないが、見る人によっては暴力や恫喝に該当するという例は山ほどあるだろうと思う。それなのにいつの間にか他人事になって別世界を見るような目で眺める。
逆に、過ぎてみれば些細な事や僅かな失敗を、いつまでも後悔したり、自分を責めている親も少なくないかもしれない。親子関係は子供が成人したとしてもなかなか切れず、そのしがらみはいつまでも付いて回る。おそらく日本ではアウトプットのレベルを子育てを含め親子関係に求める風潮が強い。血へのこだわりが存在するというか何というか。だから子育てが上手くいかないと自分の血が評価されないような気がするのだと思う。創造主としての神が前提にある欧米ではその意識が薄い。

そうは言っても死に繋がってしまう事例は現実にはほんの一握り。限りなくゼロに近い。(だから言って死んでしまう子を無視してよいとは言ってない)

平均して年に50人くらいの子供が虐待死する(心中は含まず)。(但しそのうちの2割近く、数にして10人程度は0日児、すなわち産んですぐに放置したり殺されたもの。中絶をしそびれた事例と言ってもよいだろう)
昨今の1年間の出生数はおおよそ100万人程度。
虐待死の統計における児童とは高校生年齢までを含むので、0~18歳として、×19で1900万人。
1900万人のうちの50人。50÷1900万=0.00000263 率にすると⇒0.000263%
1900万人のうちの40人(0日児を除いた)の場合、率にすると⇒0.000211%

ちなみに交通事故の1年間の死者数は昨年が3500人程度。(交通事故は右肩下がりに年々減っている)
総人口に対する死者数として、率にすると⇒0.003175%
虐待死の率とは桁が1つ違うので、分かりやすく言えば3%と30%くらいの違いがあるということになる(交通事故のほうが30%)。
交通事故死者数ゼロを達成するのに自動運転が不可欠ならば、子育てもロボットにしてもらったらよいのでは?介護に可能ならば子育ても可能でしょ?どう?
余談だけど、完全自動運転が達成された暁には、交通違反による罰金の収入が無くなりますね!その時は自動運転税でも導入すればいいかな。

ジャンボ宝くじで1等に当たる確率は0.00001~0.000005%くらい。
虐待死する確率よりもずっと低い。
でも宝くじを買う人は結構いる。それくらい身近なものでもある。
1等が当たった人を見たことなくても、みんな1等が当たることを夢見ている。
1等が当たっても当たらなくてもそこにある精神は同じと言っておこう。

子育てに悩む親はとても多い。でも虐待死に至るような事例は限りなく少なく、多くは親も子も怒涛の日々を何とか乗り越えていく。大丈夫であることがほとんどなのだ。
もちろんその大丈夫だった中には関係機関や関係者の努力によって救われたという事例も含まれるだろうけれども。
一方で中途半端な介入・仲介が不幸を招いてしまうことがあるのも事実。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。(yumimi61)


by yumimi61 | 2019-02-19 11:38 | 虐待
弱者としての経験

母子保健事業に携わる保健師は学生時代や新人の頃に、対象のお母さんにこう言われたりすることがある。
「子供も産み育てたこともないあなたに何が分かるのよ」
はっきり言われなくても、そう思っているだろうことをひしひしと感じてしまうこともある。
(かといってベテランが対応すればしたで、「あなたとは時代が違う」と言われたり思われるのがオチ)

そういう時には悔しさ半分情けなさ半分にこう思うのだ。
「人々は癌に罹ったことのない医師の診察を受けるじゃない、子供を産んだこともない産科医に子供を取り上げてもらうじゃない、弁護士は犯罪なんか犯したこと無いでしょ、保育士や教師だって子供を産み育てたことがない人がいる、それと同じことでしょう。出産や育児経験はないけれど、私達はその代わりにそういうことを人よりも学んできたし、そういう経験を持つ人と多く接してきた」と。

だけど自分が実際に妊娠出産や育児を経験すると、その気持ちが少し揺らぐ。
自分で経験しないと分からないことがあるということが分かってしまうから。
綺麗ごとでは済まないことがあり、頭で分かっていても出来ないことがあり、自分が一生懸命やっていても結果に繋がらないことがある。
「こんなに頑張っているのに、あーじゃないこーじゃない、うるさいっ!」と心の中で叫び、次の瞬間には「だけどこれで本当に大丈夫なんだろうか」と不安いっぱいになるというようなことが日常的起こってくる。

専門家は「経験に立脚しない専門性」を認めないわけにはいかない。
だけど「経験の大切さ」というか、「経験に立脚する専門性」の重要性を身を持って知ってしまう。
経験というのはサービスを与えたり正しさやノウハウを教示する側ではなくて、受ける立場としての経験である。
前者を強者とするならば弱者としての経験である。
学生時代や新人の頃というのはその世界の中では経験の浅い半人前の弱者として扱われるだろう。
しかしひとたび肩書き理論武装して外に出ればどんな者でも強者となってしまう。

昨今は弱者の経験を極端に嫌う傾向も強い。


4歳児の心の闇に悩むお母さん(ネット内のQ&Aより)

4歳の息子の心の闇を見てしまいました。長文です。下の子への嫉妬だと思いますが・・・

現在4歳の息子と1歳の娘がいます。
娘が生まれたばかりの頃は俗に言う赤ちゃん返りをしていましたが、ここ半年くらいは落ち着いていました。
息子はよく言えば優しい性格ですが、小心者で慎重、優柔不断なところもあります。
普段は優しいお兄ちゃんという感じで娘によく世話を焼いています。

なのですが、ある日私がたたみ終わった洗濯物をリビングから各部屋に運んでいたところ、私が少しいなくなった隙に息子が「○○ちゃん(娘)、これ全部ぐちゃぐちゃにしてもいいよ!こうやって」と言いながら私が畳んだ洗濯物をぐちゃぐちゃにしていたのです。息子が赤ちゃんの時以来そんなことされたことがなかったのでショックでしたが平静を装って「あれっ!?ぐちゃぐちゃになってる~!!」と言うとすかさず息子が「○○ちゃんがやったんだよ!!これは悪いことだよね!めっ!!」と言って娘の目のすぐ下のあたりにデコピンをしたのです。

これにはさすがに冷静さを失い、すぐに息子を怒鳴ってしまったのですが、こんな叱り方をしてしまって行動がエスカレートしてしまったらどうしようと今とても不安に思っています。


普段は下の娘がかわいそうなくらい上の子に合わせた生活を送っているのにまだまだ愛情不足のサインなのでしょうか?主人は週末も仕事のことが多く、子供が寝てから帰宅、起きるとすぐに出勤なので物理的にかまってやれないことも多々ありますが、自分なりに試行錯誤して過ごしてきただけに今回のこの行動はショックでした。私が気づいていなかっただけで過去にもあったかもしれません。

今回のこのケース、皆さんならどう対応しますか?


(投稿者の)補足
ご回答ありがとうございます。とても参考になります。今、最近の息子の変化を思い返していました。食事の時にお茶やスープをひっくり返す頻度が急増したのは偶然ではなかったのかもしれません。朝、おねしょしちゃった!と言うのに濡れているのはパンツとパジャマだけで、お布団は全く濡れていないことも何回かありました。起きた後わざとしたのかもしれません。もっと息子の心に寄り添う努力をしてみます。


(投稿に対する回答の1つ)
「○○ちゃんがやったの、見てたの?どうして止めたり、ママを呼んでくれなかったの?
赤ちゃんだから、やっちゃいけないことがわからないんだよ。めっ!はする必要ないし、するとしてもママがやる。」と言いますかね。
心の闇というか…性格も陰湿だなぁと思いました。

子供によりそうのは大前提として、お兄ちゃんとしての自覚や、新しいポジションを与えてあげてはどうですか?
「今度やったら、ママを呼んでね」と言って、呼んでくれたら
「良かった!お兄ちゃんが居てくれたから、ママ助かっちゃった!」
とお兄ちゃんとして立てる。

「○○はまだわからんちんだけど、お兄ちゃんはさすがだよね。やっぱりお兄ちゃんだけのことはある!」など誉め殺し、

「○○もお兄ちゃんみたいに優しい子になって欲しいな。良いお兄ちゃんが居て良かったね」
「○○はお兄ちゃんが大好きなんだね。優しいし頼りになるから、大好きだよね。ママもお兄ちゃんに助けてもらってるんだよ」

と上の子に聞こえるように下の子に話したり、
小さい子供とは違うスタンスで親から認められる、愛されることも、試してみてください。
赤ちゃん扱いしても、下にはかなわないのは本能的にわかりますからね。

具体例は良いけれども、この文章で投稿ママが一番心に残してしまうのは、「心の闇というか…性格も陰湿だなぁと思いました」だと思う・・・。


ストレスマックスなお母さん

あーもう上の子(3歳)に腹立ち過ぎて放棄したい。

本当に頭おかしくなる。
私も旦那もお手上げ状態。
今日とうとう引っ叩いた。
頑張ってるんだけど、伝わってくれない。
上の子に関わりたくない。
同じようになった人いますか?


(投稿に対する回答の1つで、投稿者の選んだベストアンサー)
私です!二歳児にですが。。
イヤイヤ期が始まった娘を性悪のどうしようもないやつだと思ってました。
正直、叩いたり怒鳴ったり突き飛ばしたり髪つかんで大声で説教したり挙げたらキリないです。

しかもすぐに後悔して子供に号泣しながら謝ったり、一人部屋にこもって泣いたり。。。
周りに相談しても引かれるしどうすればいいのかなんてわかってるけど、できません。毎回ヒステリック起こしてしまいます。

これ以上にないほどの嫌だと思う一年を過ごしてきました。
でもそろそろ三歳になるんですが子供がだんだん落ち着いてきて以前の絶望的な日常とおさらばかもという状態になってきました。

後悔してるけど振り返ってみると、あのときどう自分を保てばよかったのかわかりません。



上の子可愛くない症候群(?)のお母さん

最低な事を自覚した上での質問です。
釣りとかではなく本当に悩んでいます。

2児の母、上が男の子 下が女の子
3歳と1歳なので2歳差です。
下の子が産まれて1年2ヶ月が経とうとしてい ます。

本題に入ります。
それは下の子が産まれた瞬間、いきなり変わってしまったんです。
上の子が可愛くない、、愛せない、、優しくできない、、嫌い、、いらない、、
などこういう感情ばかりを持つようになりました。
それでも一時的なものだろうと思っていました。
でも1年2ヶ月、、その感情が全く変わる事がなく日に日に悪化する一方、、。
自分なりにいろいろ調べた結果、
上の子可愛くない症候群 と言うのが出てきました

自分にぴったりの名前だ、、と思いつつ見ていたら、やはり自分は上の子可愛くない症候群なのかと思いました。
ですが、私のようにここまで酷い感情を持つ方はあまりいないようにも思えたり、、
酷い時は シ◯ って思ったり産んだ事をすごく後悔するくらいです。
ほぼ毎日手もあげてしまいます。
主人は何も言いませんが今は厳しい時代なので周りから見たら完全に虐待でしょう。
本当に一緒に居られないと毎日思って居ます。
この感情を治すために一時的に離れる事も考えて施設…と言う候補も考えては居ますが、まずどこに問い合わせるのか、それすらもわかりません。

ちなみに、下の子は可愛くて仕方ないしたくさんの愛を自分なりに伝えて居ます。
愛おしいってこう言う事なんだ…と下の子を産んでから知りました。
ちなみに主人も下の子にしか、可愛いと言いませんし上の子にすごく当たりが強いので私と同じ事を思っているのかもしれません。
本当に最悪の事態になる前にどうにかしたいのですが、、どこから手をつけたら良いかわかりませんのでどなたかアドバイスをお願いします。
最低な悩みなのはわかって居ますが、今まで誰にも言えず、この事で鬱になり本当に辛くて耐えきれない状態での相談ですので、批判等のコメントはスルーします。


(投稿に対するたった1つの回答)
まずは地域の市役所で健康づくり課(名前は違うかもしれません)に相談してみては?
もし施設へとお考えならご主人の考えも聞いた上で相談した方がいいでしょう。
または、189にご連絡を。



上の子が愛せないお母さん

子供が二人います。上の子が大嫌いです。
最初は可愛くて「じゃあもう一人」と産みました。
二人目も可愛くて、できれば最終的には5人くらいほしいです。
でも、上の子だけはどうしても好きになれません。
子供は好きです。でも、彼女だけどうしても嫌いなのです。
育てていてつらくて仕方がありません。
客観的には素直で元気でかわいらしい子供だと思います。
ただ、個人的に言動や性格がどうしても受け入れられず、

かといって親としてまさか「大嫌い」などと言えるはずもなく、ただただとてもつらいです。
こんなときどうしたらいいでしょうか。


(投稿に対する回答の1つで、投稿者が選んだベストアンサー)
あ、これ、大丈夫ですよ。そんなに悩まないで。
女の子(特に一番上の)がすっごく嫌いになるお母さんって、結構います。
でも、これ個人差はあるけど、時間が解決してくれます。
こいつ、やなことするなぁ、と思っても、とりあえず深呼吸でもして冷静になるよう努力してみて。
そのうち大丈夫になるから。
自然に子供のほうが変わっていくから大丈夫。
大きくなって、話し相手になってくれるような女の子は、大抵、腹の立つ時期があるものです。


(投稿に対する別の回答)
一人で児童相談所へ行って、先生に相談してみたらどうですか?
子供も可哀想ですが、なんだかあなたも深く悩んでそうで凄く可哀想ですね。
きっと、真面目に子供のことを思って相談すれば、
「なんて親だ!」
なんて叱られないと思います。

あなたは心の病気なんですから、じきに良くなって二人とも愛せるようになりますよ。
だからそれまでできるだけ人前では、自分の子供を大嫌いなんて言わないでください。



孫可愛さに追い詰められたお母さん?

子供殺して私も死にたいです

私が一番上の子供を愛せないせいで、毎日否定し暴言を吐いてきたせいで、上の子が下の子にも同じ様な態度を取ります
それにイライラしまた暴言
もういやです
本当は笑っていたい
見守る事も笑顔でいる事もできない母親なんていらないし、こんな遺伝子を残してはいけないですよね
子供といると毎日毎日イライラしています
毎日大声で怒鳴っているせいで近所の方にも、最低な母親と思われていると思うと、合わせる顔もないです
子育ては原点の小さな頃の記憶を思い出す事で、我に返れると言いますけど
上の子は、義理両親に毎日朝から夜まで連れ出され、お泊まりや旅行。
私は産んだだけなので、思い出すとまたイライラが収まらなく、どうすればいいのか分からないです
悔しい
私の一番最初の初めての子供だったのに
大切に育てたかったのに!
ジジババが出しゃばって、私は鬱病にまでなったのに、ふざけんな!
もう悔しくて苦しくてでも取り戻せない
ジジババに対する怒りが全て上の子にいっちゃってるのもわかります。

最低ですよね
毎日苦しいです
どうすればいいのか本当に分からない
でももうすぐ上の子は小学校卒業だし、いっぱい 母親に甘えたかっただろうに、無償の愛をあげれず、抱きしめた事もない
子供の心を考えるとこれから真っ直ぐ育つ自信ないです
本当は殺して私も死にたいけど、自分の両親の事を考えると、私のせいで、頭がおかしくなったりしないかな。もう歳なのに、私が働いてお小遣いでもあげないと。
など死ぬに死に切れない
どうしたらいいですか誰か教えて下さい



今どきのお母さんも悩んでいる時は長文になる

上の子の育児に限界です。
上の子6歳
下の子6ヶ月の男の子2人です。
上の子は元々育てやすい子ではなく手がかかるヤンチャな子でした。だけど私にとっては可愛い所も沢山あり、それなりに子育てが楽しかったのですが、下の子が産まれてイライラする事が多くなりました。
例えば

寝ている赤ちゃんをすぐ起こす。
起きて泣きだしたら知らん顔で遊び出し私はぐずる赤ちゃんを再度抱っこして寝かしつける。
自分の遊びに飽きると赤ちゃんを扱いまわす。
ひっくり返したり、抱っこしたり、こちょこちょしたり、周りで踊ったり。
それも力が強く優しく触ってあげてと6ヶ月言い続けています。踊ってあやしてるつもりみたいですが、跳ねたり手足をバタバタしたり、赤ちゃんに当たらないかとか、踏んづけないかとか、
とにかく側に来るとヒヤヒヤして目を離せません。これが6ヶ月間続いています。
あと自分の事に関しては、とにかく我慢が出来ません。オモチャを買って家に付いてあけようねと約束しても車の中で開けます。
12時にお友達と待ち合わせしていると言うと
延々とまだまだ言い続け、待ち合わせの前に私の用事を例えば買い物とかクリーニング屋に行くとか、しようとするとウダウダギャーギャー言い出します。
何処かに出掛けると何か買って買ってとウルサいです。今日は一つ買って良いよ。と約束して行くと
二つが良いとか言い出します。
とにかくウダウダする事が多くて出掛けるのも嫌になるし、家にいれば退屈してうるさし、何をしてても上の子の存在が嫌になっています。

今日は何があっても怒らないで上の子との遊びを一緒に楽しもうと思って出掛けて、上の子も凄く楽しそうで良かったと思っていて、ちょっとおっぱいあげてくるからお父さんと交代するね!と言うとまたそこでウダウダ。
怒らず優しくしても駄目だし、何度も注意しても駄目だし、とにかく手に負えません。

最初は嫌な時もあれば可愛いと思える時もありましたが、徐々に頑張って可愛いと思うように努力している自分に気が付き最近では昔は可愛いと思っていた明るくて陽気な所でさえ嫌気がします。
このままでは下の子ばっかり可愛がってしまったりする母親になってしまいそうで怖いです。
何度言っても言う事を聞かない時や、それが危ない事に繋がる時など思わず手を挙げてしまう様にもなりました。もう力でねじ伏せる様な感じで解決する以外ない感じです。


とにかく上の子が嫌いになりそうです。
ちなみに幼稚園では普通の子で、お友達にも優しく自分が我慢して譲ってあげたりしているらしく
集団生活もちゃんと出来て、先生からは何も問題ないと言われています。
時々しか会わない友達などには、人懐っこいし良い子だねーと褒められる事がほとんどですが、
これがまたイライラします。
どうしてこんなに良い子に出来るのか。
使い分けしてる所も嫌です。
おばあちゃんの前ではいつもの息子で、おばあちゃんも本当うるさい、スーパーの買物に連れて行くのも嫌らしいです。

幼稚園の先生にも担任が変わる度に面談で
多動障害などの可能性はないか聞いていますが
そんなのは全くない。と言われます。
苦笑されました。
どうしたら息子は変わってくれるのでしょうか。
叱らず言い聞かせてもダメ。
沢山遊んでもダメ。
叱ってもダメ。
息子に素敵な大人になって欲しい。
沢山友達が出来て、息子の事を好きになって欲しい。沢山の笑顔を溢れる人生にして欲しい。
ただただそれだけなのに全く上手く行きません。

どうやったら息子と上手く付き合えるでしょうか。もう毎日毎日自分の息子に対する感情が嫌です。



自分もかつては上の子だったお母さん

上の子が下の子にものすごく嫉妬し、下の子のことを嫌いとか言ったり、いじめたりします。
私も、長子で、小さい頃弟が母に可愛がられ自分は可愛がられてないと感じていて、かなりいい年になるまでトラウマとなっていて、長女がかわいそうだから下の子をつくらないと決めていたくらいです。でも、そこまで思い悩んだ自分だからこそ、長女を思いやって気にかけてやることができるはず、と思い、自分も主人も歳なので、長女にも兄弟がいたほうがいいのかもしれないと思い直し、もう一人作りました。
でも、やはり次女はまだちいさく(9ヶ月)なにもできないし、なんにつけても待ったなしで、自分の方針でもあるはずだしどの育児書にも書かれている、上の子を優先してあげましょう、それがなかなかできないです。
それどころか、次女にひどく嫉妬してヒステリを起こしたり、苛めたりする長女を、かなりきつく怒ってしまうのです。
だれよりお姉ちゃんの寂しさをわかっているはずなのに、うまくいきません

なかよし姉妹に育てたいのに、この小ささ(三歳と9ヶ月)ですでにものすごいバトルです。
でも、まだ小さいからこそ、私の育てかたひとつかえることで仲良しに育てられるなら、やれることがあるなら、ぜひ経験者のかたに教えていただきたいです。
要領が悪くうまく立ち回れない私でも、上の子が寂しいと感じさせない方法も…。
自分のせいなのか、本人がもともと嫉妬深い性格というのもあるのか、わからないのですが。
来年度から年少さんですが、その前に満三歳児クラスに入れてしまったほうが、本人も気が紛れていいのでしょうか…




数例をピックアップしたが、上の子が下の子に嫉妬し意地悪したり赤ちゃん返りして困るという投稿よりも、むしろ上の子を愛せないと表現する投稿が多いくらい。

通常、下の子の方が手が掛かるものである。
上の子下の子が何歳かにもよるが、上の子は親の顔色を窺って行動できるようになる(それが良いか悪いかは別として)。
下の子はもし乳児ならば親の都合などお構いなしに昼も夜も泣く。
親がストレスを溜め怒りを生じさせてしまうのは、親の都合などお構いなしに訳も分からず昼も夜も泣く乳児である、この因果関係は分かりやすい。(介護なども同様の問題を孕んでいる)
虐待死した児童の半数は1歳未満であるので、このような因果関係はある程度裏付けられるだろうと思う。

だが「きょうだい」がいる場合、手のかかる乳幼児よりも上の子に憎しみや怒り、可愛くない、好きでないというような感情が向くことが結構な頻度である。

2018年3月に虐待死した結愛ちゃん(5歳)にも1歳半の弟がいた。
父親が逮捕されたが、父親の結愛ちゃんへの態度が豹変したのは下の子が生まれた後だったという。
このケースの場合、結愛ちゃんが母親の連れ子で、下の子は再婚した夫の実子であったという事情もあるが、下の子が誕生したことで家族は崩壊していった。
今回の心愛ちゃん(10歳)にも2歳になる前の妹がいた。
そして、このケースはどちらも、下の子の妊娠が発覚した後に結婚している。




by yumimi61 | 2019-02-18 12:13 | 虐待
一時保護の影響

小学3年生の2学期に(9月より)転校してきた少女が11月に児童相談所にて一時保護される。
沖縄県から引っ越してきたばかり。まだまだ地域にも学校にも友人にも、そしてお父さんのいる生活にも慣れきってはいないだろう時期。
そんな時期に家族から引き離されて、彼女は一時保護所で生活をし、そこから学校に通うはめとなってしまった。

例えば新しいお友達が出来たとして・・
「今日みあちゃんちに遊びに行っていい?」とお友達が訊く。
「私、今おうちにいないの」
「え~どこにいるの?」
「児童相談所」

それを聞いたお友達は家に帰ったらきっとお母さんか誰かに言うだろう。
「転校してきたお友達は児童相談所にいるって言うんだけどなんで?」と。

転居してきて間もない転校生が児童相談所暮らしをしている。だけど親も親族もいるらしい。・・・ってことは何?問題児っていうこと?それとも虐待されてるとか?とお友達の保護者は思う。
はっきりとしたことは分からないが「普通」ではないことを確信する。
友達や保護者の間にそうした噂が流れ、「あの子とは遊んじゃダメよ」「あの子に関わらないでね」と保護者が子供が言うようになるかもしれない。
保護者にしたらとばっちりが怖いから。

南青山に児童相談所の建設計画に猛反対する人がいるということが一時期ニュースを騒がしていたが、我が子のそばに児童相談所のお世話になるような親子がいるということは、青山の不動産の価値が下がることよりも、ある意味ずっと身近な問題である。
細かい事情は何ひとつ分からずとも偏見に晒されることは間違いない。

一時保護した2017年11月時点で、実際に女児がどれほどの暴力を受けていたのかは定かではない。
その一時保護が、その時点において、彼女の生命危機を救う役割を果たしたのかどうなのかという冷静な評価が必要だろうと思う。それほど危険な暴力行為が本当にあったのかどうかということである。
なぜその評価が重要なのかと言えば、一時保護は彼女のその後の人生に与える影響があまりに大きいからである。彼女は転校後の学校デビューや地域デビューに失敗したと言っても過言ではない。
「お父さんの暴力」から一時的に逃れられたとしても、その後の彼女には明るい未来は見えなかったと思う。


一時保護後の転校の意味

アンケートの「父親からの暴力」の訴えに半信半疑だった両親や親族。
12月末に一時保護から戻ってきた子供は、冬休み明けに学校には行きたがらなくなり、その疑念はさらに膨らんだ。
そこでアンケートのコピーを見せるように迫って、コピーを見せてもらい、両親は子供が自分自身で書いたことを確認した。
学校の先生や市教委が嘘をついていたわけではないということが分かった。
だからこそ、そこでそれ以上騒ぐことをやめて、父親は小学校を転校させたのではないだろうか。
世間体(主に同じ学校の保護者)を気にしたということも含めて、一時保護が与える影響を父親は分かっていたということにもなる。

父親本人に多少なりとも娘への暴力の自覚があったのかどうかということも気になるが、ともかく父親はもう一度リセットしようと思った。
「一時保護」という噂による偏見のない新たな学校で娘を再出発させてやりたかったんだろうと思う。
(但し、遠くに転居したわけではなく、転校先は隣接区の学校であり、学校間の距離が最短で1.5kmくらい)


千葉県野田市内での転校後、事件まで(小学3年生3学期~小学4年生2学期終わりまで)

報道された情報(つまりそれは特筆事項ということなんだろうと思うが)、その情報の中で、一時保護解除後の転校後から事件までの出来事として私が確認できたのは下記の2つだけだった。

・小学4年生の夏休み明け、2学期の始業式から1週間ほど沖縄県に滞在していることを理由に欠席。しかし1週間後には元気に登校した。

・2学期の終わり近くの面談でも父親は担任に「下の子の面倒をみてくれるようになったんです」と嬉しそうに話す。

すなわち、この情報だけでは、一時保護解除後から事件まで(小学3年生3学期~小学4年生2学期終わり)はそれほど大きな問題はなかったように見え、転校が功を奏したような印象さえ受ける。
ただ夏休み明けと冬休み明けに始業式から連続して欠席している。
沖縄の母親実家に滞在していることを理由に欠席していたようだが、それが事実だったのかどうか。
もしその事実がないとするならば、長期休み明けに学校に行きたがらないということがあったと推測できる。

学校にあまり行きたくない娘。
普通に学校に行かせたい親。
親は子供や第三者が思う以上に、子供が学校に行きたがらない、子供が学校を休むということに、精神的なダメージを受けるものである。欠席が長期になってくれば徐々に親のほうも追い詰められていく。
親がそのような心理状態にあって、もともとDV傾向を持つような人であれば、当然口調も強くなり手も出やすくなるだろうと思う。
そんな中でもし児童相談所から「長期欠席について」の連絡が入れば、再び一時保護がちらつき、1年あまり苦労して何とか築いてきたものが水の泡になると否定されたような気持にもなるかもしれない。
「またおまえが暴力を振るわれているとかなんとか訴えたのか!」と娘に疑惑の目を向けるかもしれない。なんと言っても前回の一時保護は娘本人の訴えから始まったものだったのだから。
そしてついには自分が抑えられなくなり激昂してしまった、と考えられる。

昨今「学校に行くのが辛いなら学校に行かなくてもいいよ」という大人は巨万といる。
だけどそれを自分の子供に言える、言い続けることが出来る親はそう多くない。
いたとしても「普通の親」とは見做されないだろう。
つまり「学校に行くのが辛いなら学校に行かなくてもいいよ」は他人事なのだ。






by yumimi61 | 2019-02-17 17:13 | 虐待
2008年4月~2009年1月のどこかで長女が誕生。
2009年9月、母子が沖縄県糸満市に転入。(母親の実家は沖縄県内にあり)<br>
2011年10月、夫妻が離婚。<br>
~~~~~~~~~~~~~離婚前及び、離婚から再婚までに長女と父親との接触はあったのか?
2017年2月に父と母が再婚。
2017年8月に次女を出産するまで母親は妊娠中。

【重要情報】
・母親は長女を21歳頃に出産、次女は30歳頃に出産(9年間のブランクあり)
・父親は40歳頃に次女が誕生したことになる
・沖縄の親族からの妻へのDV情報
・妻の出産の経過が正常ではない
・生まれた次女が低出生体重児だった
・その次女と長女を連れ、母親(妻)を残して先に転居した(8月転居には仕事や学校の都合があったかもしれないが、ハイリスクな生後間もない次女を母親や母親の親族から引き離して転居したことには大いに疑問が残る)


小学3年生の夏休み中、妹が誕生する。
小学3年生の夏休み中、沖縄県から千葉県に転居し転校。2学期より千葉県野田市内の小学校へ。
転校から2か月後11月に、学校で行われた市教委の「いじめアンケート」にて父親の暴力があると記入し、その翌日には一時保護され、年末まで続く。

一時保護は2017年11月7日~同年12月27日まで。
一時保護解除の条件は長女が親族宅で生活することで、2018年2月28日までは親族宅にで暮らしていた。 
この間に妹が生後6か月となる。


小学3年生の冬休み明け、3学期始業式から学校に登校しない。 
1月12日に両親と学校と市教委で話し合いを持つ。
この時に父親が「いじめアンケート」を見せるよう要求したが、市教委が子供の同意がないと見せられないと応答。父親が3日後に同意書を持参したため、コピーを渡す。その3日後に市内の別の小学校に転校。

小学3年生の3学期はじめ(1月18日)に隣接区の小学校に転校した。

・転校から約1か月後(2月26日)、児童相談所の職員が親族宅を訪問。父親が長女の署名入りの文書を職員に渡し、自宅に連れていきたいと訴える。
2日後(2月28日)に条件が解除され自宅に戻った。

・小学4年生の1学期は長期欠席などもなく特に問題なしか。(←この時期の情報はない)

小学4年生の夏休み中に妹が1歳となる。
小学4年生の夏休み明け、2学期の始業式から1週間ほど沖縄県に滞在していることを理由に欠席。しかし1週間後には元気に登校した。
2学期の終わり近くの面談でも父親は担任に「下の子の面倒をみてくれるようになったんです」と嬉しそうに話すなど問題は認められない。

小学4年生の冬休み明け、3学期の始業式から1週間ほど沖縄県に滞在していることを理由に欠席。予定の1週間が経過しないうちに欠席を1月いっぱいまで伸ばすことを父親が学校に連絡。
   ↓
この欠席中に死亡した(1月24日)。
※児童相談所が欠席把握した日と、父親がインフルエンザで会社を早退した日が同じ1月21日。

2019年2月に妹が1歳6か月となる。


もしもあなただったら・・?

例えば、あなたの子供が「お父さん(お母さん)に暴力を受けています」と学校(市教委)のアンケートに記入したとする。
担任の先生が面談をしたところ、叩かれる、10回くらい殴られた、お母さん(お父さん)のいないところで蹴られた、「てめぇ」「~しろ」というような怖いことを言われたと子供が訴えた。
そこで学校が児童相談所に連絡し、有無を言わせず一時保護が決定する。
あなたのところに「あなたがお子さんに暴力を振るっているとの通知がありましたので、お子さんを一時保護します」と連絡が来る。
暴力!? ←多少心当たりがある人も、全く心当たりは無い人もいるでしょう。
「誰がそんなことを言ってるんですか!」
「娘さんです」
「なんで娘がそんなことを言わなきゃいけないんですか。まだ9歳ですよ」
「学校でそう訴えました」
「じゃあ学校の先生が誘導尋問とかしたんでしょ!」
「いえ、無記名でも構わないアンケートに自発的に本人が書きました」
それを聞いてあなたは絶句する。

だけど権力は絶大。そのまま2ヶ月、子供は一時保護所預かりとなる。


アンケートを見たいというのは当然の欲求

一時保護が解除され自宅に(親族宅でもいいけれど)帰ってきたら、おそらく子供に訊くでしょう。
「本当に暴力を振るわれたなんてアンケートに自分で書いたのか?」「なんでそんなことを書いたのか?」とか、いろいろ子供に尋問する。
子供は黙り込む。すると・・「なんとか言いなさいっ!」ってな具合になること必至。
親に怒られるのが怖いと思えば子供は小さい声で「書いてない・・」とか「先生が書けって言ったから・・」というような嘘をつくかもしれない。すると・・「だって学校ではおまえが自分で書いたって言ってたぞ!」と言い返され、「お父さん、ごめんなさい」と謝ったりするかもしれない。
アンケートに書いたほど明確な態度は示さない(示せない)子供。子供も保護者も冷静さを失っている。
主観(自覚)と客観、加害者と被害者の意識というのは往々にして違うので、保護者も何が本当なのかだんだん分からなくなってくる。
子供だってアンケートを書いたことによって、突然親から2ヶ月も引き離されることになるとは微塵も考えていなかったであろう。一時保護後では「あんなこと書かなければ良かった」という後悔の念が生じている可能性もある。

この状態でもしも子供が「学校に行きたくない」と言い出したり、学校に行かせようとすると体調不良を訴えれば、保護者としては事の始まり「いじめアンケート」が俄然気になるだろう。
娘はいったいどんなアンケートにどんなふうに書いたのかと。それを教師や市の職員はどのように解釈したのかと。


守秘義務と知る権利の対決

「ひみつをまもります」と書いておいて親に見せるとは酷いという論調ばかりだった。
それが単なるアンケートに過ぎないならば秘密厳守は可能である。
だがそのアンケートで知り得た事実をもとに問題解決をしようと踏み込めば、当事者や関係者から事情を聴いたり働きかけをしなければならないのだから秘密は当然に漏れる恐れがある。
秘密は守りますもなにも、そもそも無記名でよいアンケートだった。無記名では他の何らかの方法で個人が特定できないかぎり何を書いても個人の秘密暴露にはならない。
それらを考え合わせると積極的に問題を解決しようという狙いを主に行っていたアンケートではないだろう。市教委の実態調査に過ぎない。

しかし少女はそのアンケートに記名して記入し、さらに「先生どうにかなりませんか」と訴えた。
この訴えをさすがに先生は無視することが出来なかった。
問題解決しようと踏み込めば、完全に秘密にしておくことは出来ない。
「お父さんの暴力」を解決するのに、お父さんをはじめ家族に何も知らせないで、いったいどのように対処するというのか。拉致して一生居場所を教えないくらいの方法しか思いつかない。そんなこと出来るわけがない。

医療従事者など厳しく守秘義務が課せられている職種がある。公務員も同様であろう。
しかし守秘義務というのは外部に漏らさないことであり、内部で情報共有することはある。
例えば病院では症例カンファレンスなどが行われる。院内では直接担当していなくても情報が共有されたりする。
看護師が見聞きした様子や患者から情報収集したものを、自分の胸の中にだけしまっておいたり、自分のメモ帳やパソコンに鍵かけて閉まっておいても、治療や看護には繋がらない。チームで24時間対応で治療や看護に携わっているのだから、それに必要なことだと思えば共有する必要がある。個人で出来ることには限界がある。

子供の親はPTAのPであり、チームの一員ということになる。
自治体と住民という観点から見ても、住民には情報公開請求の権利がある。
親権を有する保護者は、当然に子供のことを知る権利があるだろうと思う。
子供が作ったり書いたりしたものの著作権や所有権は、特別に許可を得ない限り、本人及び親権者にあるのであって学校や自治体にあるのではない。
(アンケートに著作権やら所有権は大げさかもしれないけれども、突き詰めればそういうことになる)


転校、お父さんのいる生活、下の子の誕生、年の差

(転居と転校)
大人にとっては単なる引っ越しであっても、子供にとって転校は一大イベント。それは人生の転機になると言っても良いくらい。
それまで馴染んてきた環境、培ってきた友人関係、その中で確立した自我、それらが全てリセット(初期化)されることを意味する。
何から何まで未知の環境に一人ぼっちで放り込まれるのだから大変でないわけがない。
しかも日本の最南端・沖縄県から関東の千葉県への転入転校。
環境の違いはかなり大きいはず。
気候、風景、言葉、食べ物、文化や風習、学校の雰囲気、授業(勉強)の進み具合などなど。
転入前と転入後の地域や学校によって授業の進み方が違うことはよくあり、小学生くらいだとそれがつまずきの原因になることもある。

女児のもともとの性格、学習態度や成績、転入した野田市の転入転出具合(転校生が多いのか少ないのか)などにも多少左右されるが、どんな場合であっても子供の負担は大きい。
登校する時や家に帰ってきても、年の近い、あるいは話の出来る兄弟姉妹がいないことも余計に孤独感を感じさせてしまうことになる。
こうした様々な違い、つまずき、孤独感などは、ひとつ間違うと学校での「いじめ」を呼び込んでしまうというリスクもある。

(お父さんのいる生活)
両親の変わらない転校であっても子供にとってはとても大変なことで、リスクの高い出来事となる。
従ってこれに親の再婚(新しいお父さんやお母さんとの生活)などといった事情が重なっていると、子供の大変さやリスクは倍増することになる。
今回の女児の場合、親が変わったわけではないが、再婚前に父親と接触があったのか否か。
もしほとんどなかったとすると、子供の意識としては「新しいお父さん」を迎えたという状態とほぼ同じ感じだったと思う。

(下の子の誕生)
さらにこのケース、再婚と同時に母親が妊娠しており、転居転校と同時に次女が誕生している。
他人の生活に口出すようで申し訳ないけれども時期的には最悪である。
一般的に下の子の誕生というものは上の子にとって歓迎できるものではない。親を下の子に盗られてしまったような気持になり、親が下の子ばかり可愛がっていると嫉妬心にかられる。上の子は試練の時を迎えることになる。
従って親は必要以上に上の子に気を使わなければならないが、そうは言っても新生児や乳幼児を抱えた親はやはり大変である。
その大変な時期に、大変な転居と転校が重なっているのだから、親も子も精神的な余裕があるわけがない。

(年の差)
またこの姉妹は9歳の年の差がある。
叱ったり我慢させるとしたら当然上の子となってしまう。上の子にいろいろと用事を言いつけたりするかもしれない。
上の子が乳幼児ならばまだ親も気を使ったり諦め感があるが、小学生にもなれば言って分からないということはないので、やはり強めな態度になってしまうと考えられる。

こうした背景や環境を考えると、上の子が問題行動を起こしても不思議はない。
それが実際にあったかどうかは分からないが、それによって親が余計にイライラとストレスを溜めていったり、なんとか矯正しようと試みたということは十分に考えられることである。






by yumimi61 | 2019-02-15 15:15 | 虐待

虐待死

2019年1月に小学4年生で10歳だった女児が生まれたのは2008年4月~2009年1月。


2008年4月~2009年1月のどこかで長女が誕生。
2009年9月、母子が沖縄県糸満市に転入。(母親の実家は沖縄県内にあり)
2011年10月、夫妻が離婚。


2016年12月5日前後、受精。(8月下旬を予定日として逆算)
2017年1月頃、妊娠に気が付く?(逆算した予定日と一般的な認識時期を考慮)

2017年2月、夫妻が再婚。
2017年7月、母親の親族が市の窓口に「母親へのDVと女児へのどう喝」を相談する。
  ⇒妊娠8~9ヶ月の妻に対してのDVがあったということになる。
 (→市は家庭訪問を計画するも父親からの連絡で延期)
 (→市は学校へ連絡)
2017年7月下旬の終業式、担任・父親・長女本人で三者面談。(→長女への虐待の事実確認できず)

=====夏休み=====

 (→父親が長女を連れて実家のある千葉県に帰省)
2017年8月中旬、母親の親族が再び市の窓口に「一家と疎遠になり子供が心配」と相談。
2017年8月中旬~下旬頃(期間は推測)、妻は沖縄県内で次女出産。
2017年8月下旬、父親は女児と次女を連れて野田市に転居。(妻はまだ入院中。妻に何があったかは分からぬがこれは正常な出産経過ではない。)

2017年9月、妻も野田市に転居。

2017年11月6日、千葉県の通学していた小学校のアンケートに長女が父親からの暴力を記入。
2017年11月7日、児童相談所が一時保護。
2019年11月8日、父親とその親族が小学校で「人の子を誘拐するのか」「暴力はふるっていない」「訴訟を起こす」と抗議。

2017年12月27日、近くに住む親族のもとで生活することなどを条件に一時保護を解除。 

=====冬休み=====

2018年1月始業式、長女が学校に登校しなかった。

2018年1月12日、学校・父親・母親・市教育委員会(指導課職員)で話し合いを行う。
(→父親が長女の書いたアンケートのコピーを要求。「訴訟を起こす」などと学校側の対応を非難)(←市教委が「子どもの同意がなければ見せられない」と説明)

2018年1月15日、父親が長女の同意書を持参して市教委に出向く。
(→市教委はアンケートのコピーを父親に渡す)

2018年1月18日、市内の別の小学校に転校。

2018年2月26日、児童相談所職員が長女が暮らす親族宅を訪問。
(→父親は職員に「お父さんに叩かれたというのは嘘です」「早く家族4人で暮らしたいと思っていました」と書かれた長女署名入り文書を提示し、「家に連れて帰る」と迫った)
2018年2月27日、父親が小学校へ「今後は妻が子どもの送り迎えをする」等と電話連絡。
2018年2月28日、児童相談所で「援助方針会議」を開催。親族宅から自宅へ戻すと決定した。

2018年3月19日、小学校で長女と児童相談所職員が面会。
(→「文書は強制的に書かされた」と明かしたが、「お父さんとお母さんに早く会いたい、一緒に暮らしたいと思っていたのは、本当のこと」とも述べる)


=====夏休み=====

2018年9月、「(妻の実家がある)沖縄にいる」とのことで、始業式から1週間欠席。1週間後には元気に登校した。

2018年12月(冬休み前)、小学校で保護者面談あり。父親は担任に「下の子の面倒をみてくれるようになったんです」と嬉しそうに話した。

=====冬休み=====

2019年1月7日、父親から学校に「(妻の実家がある)沖縄にいる。曽祖母と一緒にいさせたいので15日から登校する」と連絡。

2019年1月10日、長女の欠席について小学校が市(児童家庭課)へ連絡する。

2019年1月11日、父親が学校に「1月いっぱい休み、2月4日から登校する」と連絡。

2019年1月21日、児童相談所が小学校に連絡し、長期欠席を把握する。
父親はこの日の午後からインフルエンザを理由に事件当日まで仕事を休む。


2019年1月24日、23時10分頃に父親が110番通報、野田署員が現場で長女の死亡を確認した。(→死因は不明)

2019年1月25日、傷害容疑で父親逮捕。
2019年2月4日、傷害容疑で母親逮捕。



引き金は児童相談所の連絡か?

2019年の1月21日に児童相談所が長期欠席していることを把握したようなのだが、把握したことにより児童相談所が父親に連絡したのだろうか?
その情報はニュース記事を見たところなかったが、父親がこの日の午後から会社を休み、この日以降に虐待が顕著になり、結局虐待死に繋がったことを考えると、児童相談所が父親に連絡をしたことによって父親が逆上したと推測できなくもない。
前々から問題がなかった家庭ではないが、児童相談所の連絡が虐待死の引き金になった可能性が捨てきれない。
それとも児童相談所は長期欠席把握後、何も動かなかったのだろうか。
また父親は本当にインフルエンザに罹っていたという事実があるんだろうか。

事件後の報道を見聞きしていると、アンケートが父親を逆上させて虐待死に繋がったという印象操作が行われているような感じさえ受けるほどアンケートを見せたことを重視しているが、アンケートを見せてから虐待死までの期間は1年ある。
よく日付を聞いたり見れば分かることではあるが、ぱっと見聞きしただけでは、11月のアンケートを見せて3ヶ月後の1月に死亡したというふうにも受け取れてしまう。
この期間だとアンケートを見せたことが引き金のような印象を受けるだろう。
しかし実際は違うのである。


(とある投稿より)
こういう報道の仕方が
「アンケートの存在を知らなかった父親がアンケートを初めて見て激昂して…」とアンケートを見せたかどうかが直接虐待死につながっているかのような印象をもたらす。
実際は
アンケートの結果→学校が野田市に相談→野田市が児童相談所に連絡→児童相談所が一時保護→その約2か月後一時保護解除
という時系列があるのであって、「虐待の疑いあり」とされた理由を父親に言わずに保護するわけはなく、その時点ですでに父親には児相からアンケートの内容も、存在も知らされている。
さらにアンケートと、この虐待死には約1年の時間の経過があることもこういう報道の仕方では伝わりにくい。
誰がどう考えても問題にすべきは「一旦は一時保護が出来ていたのに、どういう経緯で少女を親元に帰すことを安全と判断したか」であり、間違った時系列で事件に対する間違った理解では全く本質への議論が抜け落ちてしまう気がする。



強権の行方

とある投稿に
誰がどう考えても問題にすべきは「一旦は一時保護が出来ていたのに、どういう経緯で少女を親元に帰すことを安全と判断したか」であり、
とあるが、簡単に言えば「一時保護」だからである。「一時」は一時であり「永久」ではない。

児童相談所は子供達が成長するまで温かく見守る生活の場を提供する施設ではないし、児童相談所の職員は保護した児童の保護者(養父や養母など)になれるわけでもない。
本来どんな理由があろうとも第三者が親や子供の承諾なしに(たとえあったとしても法的手続きを踏まずに)親から子供を奪うことなど許されない。それこそ逆に犯罪として訴えられる案件となる。
未成年の子供に対しては法的に親が親権(成年に達しない子を監護、教育し、その財産を管理するため、父母に与えられた身分上および財産上の権利・義務)を有しているし、経済的にも精神的にも未成年の子供が独り立ちするのは現実味がない。
だけど育児放棄や虐待など問題のある家庭も現実的に存在するので、明日生きていくこともままならないような子供を一時的に保護するわけだが、それには親権やその他の法律に対抗しうる、すなわち保護側にも法律の裏付けが必要である。
善意や使命だけでやれって言うのは無謀である。それこそ「だったらあなたたちがやったらいいじゃない」と言いたい。

紫色の文章は厚生労働省のホームページより
児童虐待防止法では、児童虐待に係る通告(児童虐待防止法第6条第1項)又は市町村等からの送致(児童福祉法第25条の7第1項第1号等)を受けた場合、子どもの安全の確認を行うよう努めるとともに、必要に応じ一時保護(児童福祉法第33条第1項)を行うものとされ、その実施に当たっては、速やかに行うよう努めなければならないとされている(児童虐待防止法第8条)。
 この場合の「速やかに」は、何時間以内などのといった具体的な期限を示すものではないが、事例によっては直ちに安全の確認、緊急保護の必要な場合もある。


しかしながら法律は絶対ではない。
時代が変われば、何かが変われば、良いと思って行ったことが悪いことになることもある。
優生保護法の強制不妊手術が現代では槍玉に挙げられている。
一時保護もかなり微妙なところがある。

上記の児童虐待防止法が法律的な裏付けであるが、あくまでも「努力義務」である。
「努力義務」
日本の法制上「〜するよう努めなければならない」などと規定され、違反しても刑事罰や過料等の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のことである。
遵守されるか否かは当事者の任意の協力にのみ左右され、またその達成度も当事者の判断に委ねられる。


簡単に言えばそこまで強い義務が課せられているわけでないということになる。
なぜそこまで強い義務が課せられないか。
一時保護を行使しようと思えば、他に類をみないほど強力な行政権限を振るうことになるからだろう。

職権による一時保護をするに当たって、まず留意すべきは、それが非常に強力な行政権限であるという認識を踏まえて適切に運用しなければならない、ということである。
児童福祉法においては、従来一時保護の期間は定められていなかったが、児童虐待防止法において、児童福祉法に基づく一時保護の期間を原則として2月に限ることとされた。
施設入所のように児童福祉法第27条第4項のような保護者の同意を要する旨の規定はなく(すなわち職権で実施できる)、
(児童福祉法第27条の3の規定からして、子どもの行動の自由を制限できると解されるので)子どもの意思にも反して実施できる。
関係者の意思に反して行う強制的な制度は、通常は裁判所の判断を必要とするが、児童福祉法の一時保護については裁判所の事前事後の許可も不要である。このような強力な行政権限を認めた制度は、諸外国の虐待に関する制度としても珍しく、日本にも類似の制度は見当たらない。


保護者の意思や同意も、子供の意思(自由)も無視することができて、裁判所の判断も許可も必要ない。
児童相談所の職権で実施することができる。
最高法規「憲法」に謳う人権やら個人の尊重(尊厳)を踏みにじるものだと訴えられかねない。

このように一時保護は強い行政処分なので行政不服申立ての対象となっており、保護者には不服申立権がある。
そのため児童相談所は、保護者に一時保護の事実を隠しておくことはできない。一時保護したことを告げ、一時保護所の所在地までも通知する必要がある。

厚生労働省はこうも書いている。
これまではややもすると、保護者の反発を怖れるあまり、職権一時保護を控える傾向があったことは否定できないが(例えば、職権一時保護は警察からの身柄を伴った通告の場合に限る、という運用をしていた児童相談所もあった)、それは誤りであって、あくまでも子どもの保護を重視しつつ、具体的な運用に配慮する、という姿勢が重要である。

机上で簡単に言うけどさ~という感じかな!?
厚労省だけでなく、皆さん、簡単に考え過ぎ。所詮他人事感は拭えない。(『絶対正義』観た方がいいよね?)
職員にだって家族があり子供だっているかもしれないんですよ。

ともかく2017年11月7日に一時保護して、2017年12月27日に解除したのは、定められている一時保護期間2ヶ月がそろそろ経過するという時期が来ていたのでお正月前に戻したということだろうと思う。
解除しないならば延長させる必要があるが、延長要件に該当しなければならない。
長いこと引き離すならば施設入所とかという話になる。

2ヶ月近く一時保護されていたということは、父親はいろいろ文句を付け法律もちらつかせて職員らを脅したということだが、肝心の「不服申し立て」を行わなかったということでもある。このあたりがなんともかんとも。
それとも申し立ては行ったが却下されたのだろうか。そういう情報は全然出てこないが。


様々なケース、様々な実態


IWJ Independent Web Journal
「虐待していなくとも…」親の同意なしで一時保護、親子の面会禁止のまま長期間隔離、子どもへの危険な薬物投薬 ~医師・弁護士らが児童相談所被害の実態を報告 2014.10.15
(佐々木隼也) から一部抜粋

   「まさに国内最大の拉致事件といっても過言ではない」——。

 児童相談所の「一時保護」が甚大な被害と人権侵害をもたらしているとして、10月15日、医師や弁護士らが厚労省に実態報告と改善の要望書を提出。その後厚労省記者会と、フルオープンの会場で2度にわたり記者会見を行った。
 要望書では、児童福祉法33条「一時保護」の規定が、通報が児童相談所に来るか、児童相談所が恣意的に「虐待」とみなすと、裁判所の令状や親の同意がなくとも、子どもを親元から強制的に引き離し、保護する権限があることを問題視。見直しを求めている。

 この問題に多く携わっている南出喜久治弁護士は、児童相談所が「一時保護」制度を濫用し、実際には虐待が行われていないケースでも、子どもを親の同意なく突然保護し、その後数ヶ月から最長数年間、一切の面会・通信(手紙・電話など)を禁止し、完全な隔離状態に置いている、とその実態を報告。さらに施設内では、殴る蹴るなど職員による虐待や、依存性の高い向精神薬の投薬などが行われているという。

 会見を主催したNPO法人「薬害研究センター」理事長で医師の内海聡氏によると、「母乳育児」をしていたり、「身体が小さい」といった理由だけで児童相談所に保護されたケースもあるという。

 会見では、実際に「虐待親」の判断をされ、生後2カ月の子どもを児童相談所に保護された矢野美奈さんも登壇。矢野さんは、虐待が行われていない、という事実が病院側の証言で判明したにも関わらず、子どもを返してもらえていないという。現在矢野さんは「一時保護」処分取り消しを横浜地裁に訴え、神奈川中央児童相談所と争っている。


■子どもへの危険な薬物投与


南出弁護士「子どもに薬を『飲め』と言っても飲まないから、食事に混入させている。子どもへの治療は『親権』によって立つ。しかし児相は勝手に薬物投与をし、親権侵害を行っている。親子の面会禁止の理由もここにある。親子を面会させると、薬物投与による子どもの激変、『目がトロッとしている』などの変化が分かってしまう。こうした悪事を隠蔽するために子どもを完全隔離をしている。

 なぜ薬物投与をするか。児童相談所は多くの収容者を少ない人数で管理している。その際に『大人しく言う事をきく』ことが一番管理がしやすい。だから薬物で大人しくさせる」

■「一時保護」1人につき30~40万円が国から支給される


南出弁護士「なぜ一時保護が増え続けるか。実は『保護単価』といって、保護1人につき30〜40万円、国から補助金が出る。予算請求した分を使い切らないと翌年から予算削減されてしまう。だから恣意的な一時保護や保護の延長が行われたりする。

 こうした実態を無視してマスコミは『児童相談所頑張れ』という報道のオンパレード。全国の児童養護施設にランドセルを配ったタイガーマスク騒動の後、すぐさま報道で出てきたのが児童養護施設にもっと予算を、という動きだった。

 報道される悪質な虐待、あれは暴行や障害、殺人などいわゆる『刑事事件』であり、本来は警察が捜査すべきもの。しかし警察は予算がないので何の捜査能力もない児童相談所に丸投げをする。警察が、子どもへの刑事事件の捜査を放棄しているといえる。

 後は家庭裁判所や弁護士の問題もある。児童相談所の予算の一部は、一時保護の後、施設入所措置を家裁に申し立てる弁護士、虐待認定をしたり、親の同意なく子どもに向精神薬を処方する児童精神科医にも報酬として支払われる。
 また、児童相談所が一時保護の更新を繰り返した後、児童養護施設への入所を請求する。この請求の承認率は98〜99%。児童養護施設送りになると『無条件で2年間』、子どもは隔離される。子どもにとって2年間がどういうものか。
 児童相談所の専門性の問題も。職員にはキャリアを積んだ人がいない。簡単な研修でカウンセラーになれる。つまり専門性がない。土木課にいた人間や役所の窓口だった人間が、ある日人事異動で職員となる。しかし専門性を高めるような予算は組まれない」
 

千葉県野田市の事件では柏児童相談所が一時保護期限を守り2ヶ月以内で戻し、その際にも自宅ではなく親族宅という条件を付けている。
最低限なことは行っていて、逸脱する余分なことは行っていないということになるが、今回世間はそれが不満だったわけである。
しかし上記のように行き過ぎる問題もある。
児童相談所の一時保護のような強力な行政処分を行わずとも、行き過ぎだとかおせっかいだとか、こちらの話を聞こうともしないとか、偏った知識や昔の知識だけを押しつけてくるとか、そういったクレームや文句は、母子保健事業を行う保健師なども日常茶飯事である。
学校の教員なんかもそうだろうし、もっと言えば祖父母だって攻撃対象になる。
家庭訪問を断られる、「結構です」と門前払い、受けてはくれるもののネットなどで非難されるなど。

同じことをしても従事する個人によっても違うだろうし、受け手によっても違うし、精神状態(虫の居所)によっても違う。
本当に行き過ぎなこともあるかもしれないし、ないかもしれない。
専門的な知識で行っていることは流行とは違うかもしれないし、受けての気に入るものではないかもしれない。
個人の自由と言われれば、それはもうその通りで、それ以上なんと言ってよいのやら。
専門家とはいえ誤診や誤った指導もあるだろう。専門家でなければ尚更である。




by yumimi61 | 2019-02-14 17:29 | 虐待