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コンモト



またまた『涙はロンド』より
 執念深い
 執念深いという言葉はあまり良い響きをもっていませんが、私は非常に勝ち気で「悔しい」なんてことは人一倍覚えているのです。
 だから、八年前ある先生が「どこの馬の骨に二百万円も出すんだ」と校長に食ってかかった時、校長に食ってかかったということは私に言ったってことでしょう。それを今もって腹の中に抱いています。
 あの時、社会科の先生ですけれど「オレたちは五年も前から世界大地図を校長に頼んでいるのに、まだ買ってもらえない。あんなの八千円くらいで買えるんですよ、校長!吹奏楽は二百万ですよ、どういうことですか、これは!」と言うんですよ。
 考えてみれば八千円のものを買ってやらないでいきなり二百万ですからね。
 それに、もうひとつ「吹奏楽ってえのは、オーボエが五十万だ六十万だと言ったって、ひとりしか吹けないじゃないか。印刷機、前から調子悪いのにちっとも買いかえてくれない。印刷機は一台で全校の生徒が恩恵を受けられるんです。どっちが重要だと思いますか」と、そういう論法なんです。皆さんも、きっとそういう場面に出合うことがあると思いますが、その時に私が答えのは「いや、オーボエという楽器は確かにひとりの生徒しか吹けないが、私たちは機会あるごとに演奏します。そうすれば、その音色は千二百人の生徒のひとりひとりの心の中に染み入っていくことでしょう。それは印刷して配られた紙と同じではないでしょうか」と反論したのです。
 そういう風に、実際に生徒が物として触れなければ役になっていないんだという考え方、これは間違いです。
 我々、日本人は知識の方ばかりを重視して、頭の良い生徒イコールいい生徒だとしてしまいがちです。そして、いい音楽を聴いたりいい絵を見たりして涙を流して感動するような生徒たちの評価というのは割合ないのです。それではいけないのです。知識と同じように、感動の評価もしてあげれなければいけない、そう思います。


・どうして世界大地図と印刷機を買ってからではダメだったのか、むしろそれが不思議。
校長先生がポケットマネーで出すならともかく、県立高校だし、金銭感覚をないがしろにしてよい学校でもないと思う・・・。
授業や学校運営に使うものに費用を捻出できないのに、1つの部活動にポンとお金を出せるのは何故なのか。
運動部にしても吹奏楽部にしても、全国大会に出場して優勝でもすれば、学校の名が挙がり有名になれるから?
指導者の誇りを満たせるものだから?

・立派な楽器がなければ高校生の心が育めないと思っているならば、それは違うと私は思う。

・感動の評価とは、「感動させる力」を評価するということだろうか、「感動する力」を評価するということだろうか。
感動は’評価’に値するものなんだろうか。’感動’は計れるものなんだろうか。
全国大会の成績=感動値、なのか。
金賞とったら体育が5になるのは、吹奏楽部の生徒が「感動する生徒」たちで、他の生徒は「感動しない生徒」だからなんだろうか。

・幼い子供は見てもらうのが好きである。
お父さんお母さんでも、おじいちゃんおばあちゃんでも、先生でも、お友達のママでも、近所のおばさんでも、「ねえ見てて」と言って何かして見せる。
幼い子供がすることだから、大人にとってはたいしたことではない。本当に些細なことだったりするけれど、子供は目を輝かせながら「見て見て」と言うのである。
大抵の大人は「わーすごいね」「出来るようになったんだね」と驚いたり褒めてあげたりする。大げさに言えば感動したふりをする。
これは定型のやり取りである。
大人に見てもらったら丸ごと承認されることを子供も半分知っている。知っていてやるのだ。
注目してもらい、承認をもらい、子供は安心感と自己肯定感を得る。そうやって根拠のない自信を育んでいく。

・自己肯定感とはあるがままの自分の価値を認める感情。「自分は愛されている」「何をしなくても存在するだけで価値がある」と思えるのが自己肯定感である。

・幼い子供の「見て見て」からの自己肯定感獲得は条件反射みたいなものであろう。
<パプロフの犬>という有名な実験がある。
パブロフという研究者が犬の唾液分泌について調べていた。
餌を与える自分や飼育員の足音を聞くだけで犬の唾液分泌量が増えることにパブロフは気付いた。
これは持って生まれた生理的な反射ではなく、経験や訓練によって獲得する反射行動とされている。
  ①子供「見て見て」→②大人が見て褒めてくれる→③自己肯定感
これを繰り返すことによって、やがては①②をしなくても、自己肯定感を持てるようになる。
もちろん特別な行動や言葉がなくても日常生活の中から受け身的に自己肯定感を獲得したりもするが、「見て見て」という子供の行動は積極的に自己肯定感を育てるチャンスでもある。

・ちょっとややこしいのだが、子供を条件付きに褒めたのでは自己肯定感は育まれないとも言われる。
何かノルマを達成した時だけ褒める、何かがとても上手に出来た時だけ褒める、良い成績を収めた時だけ褒める、言うなれば大人がリードする褒めである。(見て見ては子供がリードする)
これでは何か特別なことがないと自分は認められないのだと思ってしまう。
あるがままの自分の価値を認める自己肯定感に対し、こちらは自己重要感と言う。
何か特別な能力を身に付けた自分に価値を認める感情である。
大人の地位や肩書なんてものも、この自己重要感に関わるものである。
  ①何か達成して褒められる経験→②自己重要感→③褒められるようにまた頑張る
この場合、①がなくなると、②③を維持しにくい。自己肯定感とはそこが大きく違う。

・自己肯定感が低く、自己重要感が高い人の場合、何か特別なことが出来る自分に価値があるという思いに支配されるようになる。
そして、価値がある自分が何でもコントロール出来るという少々歪んだ認識を持つようにもなる。
これを心理学においては全能感(万能感)と言う。
心理学用語で、「自分が何でもできる」という感覚を意味する語。特に子どもの発達段階において、しばしば見られる現象である。躁病や自己愛性パーソナリティ障害の構成要素の一つとされることもあり、自身の能力を過大評価してこの感覚を持つことによって、対人関係などに問題が生じる場合もある。万能感とも言う。

・「見て見て」と言っていた子供も次第に「見ないで」に変わっていくのが通常の発達過程である。
見られていなくても「自分は大人に愛されている」「何をしなくても存在するだけで価値がある」という一定の自己肯定感を獲得し、今度は「自分は他の人とは違うんだ」「自分は自分なんだ」という自我を確立させていく。
「自分は他の人とは違うんだ」というのは全能感から来るものではなく、良くも悪くも違いを認識するということである。人は誰一人同じではない。

・自我の確立を経て、自分と他人の違いを認識し、見えない壁を作ったり、見えない線を引くわけだが、その違いを超えて再結合するのが恋愛であったり結婚だったりするのかもしれない。

・現代社会は承認欲求が肥大化した社会であると言われる。
幼い子供だけでなく、大人までが常に承認を求め、誰かに認めてもらいたがっているという。
これは自己肯定感の欠如なんだろうか、それとも自己重要感を獲得したいということなんだろうか。





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by yumimi61 | 2019-07-30 17:20

プロコン

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騒音とか何か

前回引き続き『涙はロンド』より
 ひそやかさ 私の日本音楽のすべて
 私が日本の音楽を演奏するのは、心から日本の音が好きだからです。
 何の飾り気もない素朴で清楚で折れてしまいそうな音が好きだからです。
 村の祭りに吹く青年たちの笛の音が、大きさも長さも、その上、穴の位置までそれぞれ違う自作の篠笛で吹く、音程の合わない音色がたまらなく好きなのです。


なんと!そうだったのか・・・

 ところがどうでしょう。今や私達の街は、どこも騒音で埋めつくされてしまいました。ガナリ立てる宣伝カー、工事場のパワーシャベル、自動車のヒステリックなクラクション。山に行ってさえ、肩に掛けたラジオでヴォリューム一杯に流行の音楽を流す若者たち。その上、近頃は腕時計にまでベルがつくようになりました。計算器から音楽が鳴りだしたりします。そんな必要があるのでしょうか。見たくない時には目を閉じればすみますが、騒音に対して、いちいち耳を抑えているわけにはいきません。聴きたくない音でも、否応なしに耳に飛び込んできます。まさに現代は音の暴力です。


街の公園では腰に引っ掛けたラジオでヴォリューム一杯に国会中継の音声を流すオジサマ方もいますよ、先生!

 かつて、私たち日本人は、虫の音、風のささやきに耳をそば立てたではありませんか。風流なんて言葉もありました。その耳、その心は、いったいどこに行ってしまったのでしょう。風鈴の音に涼しさを求めるなんて人はいなくなってしまったのでしょうか。


・ご近所のピアノの音、窓を開けて音楽を聴いている子供部屋から外に放たれる音、電動芝刈り機の音、赤ちゃんの泣き声、幼い子供の騒ぎ声、若者が花火に興じる音。
生活の音であり、時にそれは微笑ましい音でもあるが、やっぱり騒音になることも間違いない事実であり、苦情が出たりトラブルになることもある。
ライフスタイルが違えば尚更。

・子供が小学生の時に少年サッカーをやっていて、私は学年リーダーを担当していたことがあった。
上の学年のリーダーに急ぎで連絡をしたほうがよい案件があった。
今はそういう連絡にも携帯電話(LINEやメール)が使われるようになったが、当時はまだファックスや電話が主流だった。
緊急の連絡だったので(そう思ったので)、21時を過ぎていたが私は電話をした。
しかし叱られてしまった。うちには高齢のおばあちゃんがいてもう寝ている時間なので、この時間に電話が鳴るのは迷惑だとはっきり言われたのである。
同学年のメンバーのお母さんたちとは22時でも23時でも電話したりし合っていたので、ついつい私の判断が甘くなってしまった。

・交代勤務をしている知人は、夜勤で昼間寝なければならない時にはインターフォンを切ってしまうと言っていた。
そうでなくても交代勤務者が昼間に十分に睡眠をとるというのは難しいわけだが、やっぱり音で起きてしまうからだということだった。

・そういう私も子供が赤ちゃんの時にはやっと寝付いた子供がインターフォンなんかで起こされないように、インターフォンや電話を切ったことがあった。

・私は風鈴が好きで夏になると買ったりしてしまうが、風鈴もそよかぜの時はいいのだけれど、強風の時にはチリチリチリチリ絶え間なく鳴り続けていて騒音になってしまうので、あまり風が強い時はおろしたりしていた。
紐が切れるレベルや風鈴ごと落っこちるレベルで風が吹く時もありますからね。

・物音や人影に敏感で、来客があったり、道を人が通ったり、インターフォンが押されると、けたたましく鳴く犬。だから犬は番犬などと言われるわけだが、その犬の鳴き声も聞く人が聞けば騒音だろうと思う。
うちの犬は耳が遠くなり、物音に敏感に反応するということがなくなったので、その意味では犬も私も以前よりは平穏に暮らせている。

・今は雷の凄まじい音が轟いている。(18:06)

・メスの蚊が嫌うとされる17kHz付近の高周波数のモスキート音を発生させるモバイルバッテリーがある。
一般的に聴力が落ちてくる30代以降は、その高い周波数が聴こえにくくなると言われている。
私の姪っ子はまだモスキート音が聴こえると言うのだが、私には聴こえなかった・・
聴こえなければどうってことないが(むしろ本当に効果があるのかと疑ってしまうくらいだが)、聴こえる人には苦痛となる音もあるんだろうなぁと思った。


器楽 vs 声楽

1979年に大木先生が群馬大学の音楽専攻の学生を対象に行った講演の中の話。
チンドン屋と呼ばれるたびに
 吹奏楽というのは、今までブラスバンドと呼ばれ方をされ、どうもチンドン屋の親方のように思われてきました。ガチャガチャ、ドンチャカやっているのが吹奏楽であるという風に思っておられる方がいらっしゃいます。吹奏楽というのは、オーケストラと同じように、ひとつの芸術の分野なのです。決してオーケストラの一段下の音楽ではありません。
 この大学に長年おられ、数年前に退官されたA先生という私の先生は、未だに「吹奏楽なんてのはチンドン屋よ」って私に言います。「あなた、なぜ声楽やらないのよ。合唱指導をそろそろ(チンドン屋はもうやめて)やりなさいよ」って、お会いするたびにおっしゃいます。(笑)声楽の優秀な弟子(?)が未だにチンドン屋をやっているのが残念でたまらないという風に(笑)眉を寄せて・・・・。
 しかし、私はA先生が「吹奏楽なんてのは、チンドン屋よ」と言っているうちは、チンドン屋を続けようと決心しています。(笑)「吹奏楽って素晴らしいものね」って言ってくれたら、そのときはやめよう(笑)と、そのくらいに考えています。
 一生、音楽を友として、音楽を生活の糧としている人が、「吹奏楽なんてチンドン屋よ」なんて言っているのは、とても悲しいことですし、寂しいことです。私はここでA先生の悪口を言うつもりはありませんが、そういった先生方が大変多いのは事実です。特に合唱、声楽指導をされている先生方の中に・・・・。
 それは大きな間違いだということを、声に大にして言いたいのです。


・チンドン屋は街中で営利にて宣伝活動を行うグループ。
器楽にしても声楽にしても、職業にして生活の糧にするという意味では「営利」である。
だけどこの講演は教員を目指す教育学部の音楽専攻の学生を対象に行われたもので、当時は兼務だったとはいえ大木先生も教育委員会の指導主事であった。A先生は教員を養成する立場にあったということにある。
音楽の教員も「音楽を生活の糧としている人」と言えるかもしれないが、職場にある音楽自体は営利ではない。
だって音楽を奏でる主役は生徒や学生だから。
同じ声楽を学んだとしても、オペラ歌手と合唱指導する教員では、営利非営利はじめいろいろと異なる点がある。
それと同じでチンドン屋と吹奏楽部指導する教員も違う。
上の話、それがごちゃまぜになっているので、噛み合いそうもない話だと思います(笑)。

・合唱やオペラ歌手はあまり屋外で声張り上げて歌わない。
楽器は結構屋外でも奏でる機会があるが、場合によっては騒音になりかねない。例えどんなに上手なレベルの演奏であっても。
また生徒や学生に限らず合唱は営利であることが少ないような気がする。それに比べたらバンドというのは多くの場合営利である。
なんかその辺りのことと、税金が投入されている国公立の教育者としての立場が、A先生のチンドン屋発言の根底にあるのではないかなぁと思うけれど、単にライバル視かもしれませんね。

・生徒や学生の場合だと、やっぱり運動部の大会の応援に駆り出される(頼まれもしないのに行く!?)ブラスバンドが引っかかる人にとっては引っかかるかもしれないなぁと思う。
そもそもの問題として、本当に応援を目的に行っているのかという点。
応援と称して、そこを自分達の舞台にしているだけではないのかということ。
同じ学校の生徒なんだから一石二鳥だと言えば、まあそうかもしれないけれど。
純粋にスポーツを楽しみたいのに外野が煩すぎるという人だっているかもしれないし、選手ではなくて音楽の方が目立ってしまうかもしれない。
ひとつ間違うと、プレーをしている人の立場をつぶすことにもなりかねない。

・でもそうなってしまう一因に、世の中運動部ばかりが取り上げられてチヤホヤされやすいということがあるからだと思う。
進学だって就職だって運動部のほうが有利になることが多い。
文化部だって頑張っているんだから、もっと注目されたいと思う気持ちも理解できる。
柔軟な心を
 先生というのは、どうしても規則一点張りで「こういう規則があるからいけません」ということになりがちです。常に規則で生徒の要求をはねつけてばかりいるのではなく、時に応じて人間らしさといいますか、血の通った対処の出来る先生になってほしいと思います。
 例えば、この間、吹奏楽コンクールの全国大会へ出発する時、若い体育の先生がとんで来て楽器の積み込みを手伝ってくれたのです。そして出発する時に「ガンバレよ、お前たち全国大会で金賞取ったら、体育は全員5にしてやるぞ」と言って先生を励ましてくれたのです。実際、金賞を取ったら本当に全員5にしてくれたのです。
 そういうのは、教育委員会から言えばいけないことです。だって、体育が下手なのに、吹奏楽が良く出来たからといって(笑)5を、それもそのクラスの吹奏楽部全員にくれるというのはおかしな話で、私は立場上、ほんとは「先生、それはいけない。そんなことをやっては」と体育の先生に指導しなければいけないのでしょうけれど。私は内心「ああ、こういう先生もいるのか」って、逆に感激しているのです。


・上の5の話、私は個人的に結構引いた。
吹奏楽部以外の生徒やその親が知っても引くのでないだろうか。
高校だから当時も絶対評価だったんだろうか。相対評価だったらとんでもないことだと思うから。それに何と言っても公立の高校ですよ。
音楽が5とかいう話ならばまだしも、体育が5って・・・。
でもだからこそやっぱり、世の中の運動部と文化部の扱いの違いという問題や1つ何か秀でたら他の何もかもが良くなってしまって本当にいいのかという問題が根底に横たわっているように強く感じたりもする。

・ちょっと話は逸れるけど、絶対評価ならばその学校の学年やクラスに幾つ5が出てもよいということになる。でも絶対評価にしても相対評価にしても、他校との比較に耐えうる数値ではないので、それが高校受験や大学受験などに使われて、合否に影響するとするならば大いに疑問を感じる。




 
by yumimi61 | 2019-07-29 16:50

コンクール

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💘先日来アイドルの恋愛禁止について書いてきたが、私に初めて恋愛禁止の衝撃を与えたのが上の写真の本だった。

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🎼『涙はロンド』は、とある高校の吹奏楽部の顧問が書いた本である。
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👨 筆者の大木隆明は、1972年~1980年の9年間、群馬県内の県立高校の吹奏楽部を率いていた。
その間、県大会では9年連続金賞を受賞。
全国大会でも、銅賞2回、銀賞2回、金賞3回と7年連続で入賞を果たしており、金賞は3年連続(1978-1980)だった。


🎶 9年経ったところで、大木先生は県の教育委員会に呼ばれた。
注意を受けるために呼ばれたわけではなく、教育委員会への異動ということである。
特定の高校の指導だけでなく、県下全部の高校を指導してほしいと口説かれたらしい。
全国大会5年連続金賞を受賞し、招待演奏を果たすことを目指していた大木先生にとっては青天の霹靂。
「これでは生徒達が可哀想です。あと2年置いて下さい。それが無理ならあと1年でいいから。」
「あと1年経てば生徒が可愛くなくなるのですか。そんなことはないでしょう。それなら1年でも早い方がいい。」
こうして1981年には教育委員会へ異動し指導主事(専任)となった。


✍『涙はロンド』は教育委員会へ異動した1981年末(12月26日)、及び1982年初頭(2月12日)に発行されたものである。
発行所は「一音入魂の会」とあるが、吹奏楽部OBを中心としての自費出版である。


💴 初版、500冊で出版費用は65万円。1冊あたり1,300円(原価)。
しかしそれを1000円で販売してしまった・・・よって1冊あたり-300円にて原価割れ。
500冊で15万円の赤字!
さすがにこれ以上赤字は重ねられないと思ったのか、どこかから注意が入ったのか、第二版では原価で販売したらしい。


🎤 大木先生は1979年に群馬大学の音楽専攻の学生を対象に講演を行った。
実は大木先生は1977年から教育委員会の指導主事を兼務していたのだった。
その講演より。
 皆さんこれから卒業されて中学校の先生になられる方、たくさんいらっしゃると思います。現在、中学校で吹奏楽部のない学校は群馬県では10本の指に入るくらいではないかと思います。
ですから現場に出ると吹奏楽部の指導をやらなければならないという場面が必ず出てきます。その場合に「私は声楽が専門ですから」「私はピアノが専門でして・・」なんて言うのは、とてもいけないことです。
現実にそこに何十万かの費用をかけた楽器があるのですから、それは通用しないわけです。
理科とか社会の先生だったら「私は地学が専門だ。私は歴史が専門だ」と言っていられますが、音楽の場合は声楽が専門でも器楽を指導しなければならない場合もあるし、そういうことで逃げる先生になっては生徒が可哀想です。



🎺 私は小学生の時からトランペットとトロンボーンをやっていた。
きっかけは小学校の教師からの勧めだった。金管楽器は学校にあった。貸し出しもしていて家にも持ち帰ることが出来た。
小学校では基本的に全ての教科を担任が教えることになる。
だから当時は分からなかったが、大学での養成課程が教科別なので小学校の教師にも専門教科というものがあるそうだ。
また小学校教員養成課程でも中学や高校の教員免許も取得しているのだそうだ。(そういえば、小学校から中学校へ異動になる先生もいますね!)
実際に教員になってからは教科ごとの研究会みたいなものもあるらしい。
私が最初に金管楽器を習った小学校の教師の専門が音楽の器楽だったかどうかは今もって分からないが、ともかく何事においても非常に厳しいことで有名な先生で、確かに厳しかった。
夏休み明けに学校を休んだ私に「健康管理がなっていません」という手紙をよこしたのもその先生である(女教師)。


💑『涙はロンド』には「全国大会初金賞までの歩み」を、定期演奏会で発表した生徒の原稿にて紹介している。
その中で恋愛禁止に触れられていた。

 私達のバンドにとって大きな危機が一度だけありました。札幌(1975年の全国大会開催地)から帰ったあと、突然先生が私達の指導をやめると言われたのです。
それは私達部員同士で数組のペアが出来てしまったことに対してです。
先生は「恋もしたいです。ついでに全国一になりたいですなんて虫が良すぎる。全国制覇をそんな甘っちょろい考えでいる者に付き合っちゃあいられない」と言って指揮棒を投げ捨ててしまいました。
先生は「部活動は、男女が学年の垣根を越えてみんなで力を合わせることに意義があるのだ。特定の人を作ってふたりで行動するのは部ではない」と言います。
部員の話し合いは揉めに揉めました。
「恋愛の自由を認めないなんて、先生の考え方は古い。練習さえしっかりやれば、あとは干渉されたくない」という人もいました。
しかし結論的には「恋愛などにうつつをぬかしているということは、練習に没頭していない証拠だ」ということになりました。
そして泣きながら先生のあとを追いかけ「先生、もう一度考え直してください。明日からしっかりやります。朝の練習も遅刻しません。どうか私達を見捨てないで下さい」と必死で頼みました。
夜空には12月の星が冷たく輝いていました。男子も泣いています。
先生の目にも涙が光っていました。先生は涙がこぼれないように空を見上げながら、とぎれとぎれに私達に話してくれました。
「私はムゴイことを君達に言っているのかもしれない。でも中途半端は嫌なんだ。どうせ青春を吹奏楽に賭けるなら、トコトンやろうじゃないか。そうすればきっと素晴らしい青春を捕まえることが出来る筈だ」
私達は気が付くと先生と固く手を握り合っていました。
 雨降って地固まるの例え通り、その日から先生と私達の間に何か通じ合うものが出来始めました。それは本当に暖かな信頼という絆であったろうと思います。



💔先生自身もこのように書いている。
異性のことなどにうつつをぬかしている者に全国制覇など出来る筈はないし、いや、出来ては困るし、そんなことに考え悩んでいる者に付き合ってはいられない。というのが私の本音なのです。



😻 多感な時期にこの本を読んだ私は、とにかくこの恋愛禁止が衝撃的だった。
そして私は吹奏楽の道へは進まなかった。(ということでもないんですが、まあそう言った方が流れ的にはいいかなぁとか思ったりして)


🌹 ページがバラバラに外れてしまうほど何度も何度も読んで出した結論だった。(バラバラに外れたのは何度も何度も読んだからではなく、コストを抑えたせいですかね?)


💖 まだ沢山の時間が残されていて、何にだってなることも可能で、未来が手を広げて待っていてくれるような若い時には、往々にして未来なんて見えないし、見ないものでもある。
皮肉なことだなぁと思うけれど、今という時の瞬間瞬間を生きていて、過去も未来も持っていないのが青春なんだろうと思う。


✨ 若い時に、好きな人がいるのに想いを届けられなかったり、想いが届かなくて振られちゃったり、すごく幸せな時を過ごしてはずなのに破局しちゃったりすると、もう一生が終わってしまったような気になって落ち込んだり悩んだり、死んでしまいたくなったりもする。
大人から見れば、いずれまた好きな人が現れるよとか、いつか別の幸せが訪れるものだから心配ないとか、自分もそんな日々があったけれど違う人と結婚して忘れたとか思ったりして、若い人の悩みは随分大げさにも感じられるかもしれない。
でも大人だって、いよいよ一生が終わってしまったような気になって落ち込んだり悩んだり、死んでしまいたくなったりもすると思う。
死に近づいているだけ若い時よりも現実味がある落ち込みや悩みになるだろう。
だけど大人は過去を持ってもいるから、そのぶんだけ若い人よりは幅があって、過去という経験から少しだけ未来を紡ぎだせたりもするのではないかなぁと思う。


💙 大人が客観的に見て一般論を語れば、高校生の時に恋愛禁止だったからと言って、それは人生を左右するようなことではない。
むしろやっぱり、過去も未来も持っていない青春の中を生きている若者の恋愛は、他の経験(可能性)を潰しかねない。
その意味において私は、小中学校が共学で、高校が女子高で良かったと思っているくらいである。共学の高校へ通えば良かったという後悔や憧れは今も昔も全くない。
恋愛の自由と言うけれど、相手のいる恋愛って他人に縛られなくてもある意味全然自由ではないと思うから。
だけどそれは他の事にも当てはまるわけで、過去も未来も持っていない青春の中を生きている若者が、恋愛でないにしても何か1つのことだけに心血注ぐということは、他の経験(可能性)を潰しかねないということは肝に銘じる必要があるだろうとも思う。
でもそれを含めて、後先考えられないのが青春と言われればまさにそうであり、それが眩しいと言えばまったくその通りでもある。


🎰 全国コンクールも、学校の大会も、同じ価値に置いておけるのが青春を生きている若者の素晴らしさだと私は思う。
全国コンクールの優勝でも学校の大会の優勝でも同じように喜びを爆発させ、失敗したり負ければ同じように悔しがり泣く。
それこそが若者の美しさであり眩しさだ。


💗 場所で、人で、物で、今という時を比較して優劣を付ける時、人は今を生きることを手放すことになる。

 
💦 大木先生が教育委員会へ異動となり学校を辞めることを生徒達に告げた場面😭

 もうその後は、何を話しても泣き声と「嘘だ、そんなのないよ。行かないで、先生!」という声にかき消される。泣きじゃくる生徒達、号泣とはこういうのを言うのか、15・16才の少年少女達が、我を忘れて泣いている。泣くことにしか自分の気持ちを表現できない。互いに肩を抱き合い、頭をくっつけ合って泣く女子。こぶしで涙を拭き、肩を震わせる男子。頼る目、すがりつく目、それぞれが恨めしそうに私を見つめる。私の心に入ってくる。
 どれくらい時間が経ったろう。力なく立ち上がった部員達は、私の為に精一杯最後の演奏をしてくれた。涙が口の中に入り、鼻水がたれ、音が思うように出ない。
 最後の曲は「贈る言葉」だった。
「悲しみこらえて、ほほえむよりも、涙涸れるまで泣くほうがいい。人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできるのだから。さよならだけでは淋しすぎるから、愛するあなたへ贈る言葉」
 副指揮者の白沢(副部長)が「泣いていちゃダメじゃないか、ちゃんと吹けよ」と言う。彼もまた泣きながら棒を振っている。やっと最後までたどり着いた拙い演奏であったが、私は、生涯でこれほど感動的な演奏を聴いたことはなかった。私も涙がとめどなく流れ放心したような生徒の一人ひとりを強く抱きしめ、手を握り、「頑張れよ、頑張れよ」というのがやっというありさまだった。「別れたって、君達は僕の教え子だ。一生僕の教え子だ。」ハンカチをびっしょりに濡らして、私も泣きわめいていた。
 その夜は、どうにも辛くて、悲しくて、寂しくて寝付かれず何度、寝返りを打ったことか。流れる涙は耳に入りそして枕を濡らした。「あの時こうしてやれば、ああしてやれば」と思い出されることはすべて後悔ばかりであった。涙は悲しみを流してくれるものだと思っていたのに、逆に悲しみを募らせるものであった。



🎁『贈る言葉』と言っても吹奏楽部だから当然に音だけである。
言葉など無くても聞かせるのがオーケストラや吹奏楽だろう。
だけど生徒達が私的な場で最後に先生に聞かせたのはコンクールでやった曲ではなく『贈る言葉』だったというのだ。
そしてコンクール入賞の常連で、3年連続金賞に導いた先生が、やっと最後までたどり着くような拙いその演奏を生涯一番感動的だったと言い、本には小さく歌詞まで書かれていた。
そのことが私の胸を打った。


🍃 ”君が君のバラのために失った時間こそが、君のバラをかけがえのないものにしているんだよ。” 『星の王子様』より




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by yumimi61 | 2019-07-28 11:27

半グレ

「白か黒で答えろ」という 難題を突き付けられ~ 
「オフホワイト」
共通点は・・十字架✚!?


半グレとは何か?

半グレのグレは、白と黒の間の「グレーゾーン」という意味と、「愚連隊」のグレ、非行に走るというような意味の「グレる」を合わせた造語で、ジャーナリストが最初に用いたとか。

この半グレと呼ばれる組織(集団)は暴力団とは違い、むしろ暴力団みたいな仁義を重んじるような古い体質の組織を馬鹿にするような風潮もあるらしい。
じゃあ何故につるんでいるのかと言えば仲間意識ということになるらしい。元暴走族や遊び仲間、先輩後輩という関係で繋がった集団。
上下関係が全くないかと言えば、そんなことはないだろうけれども、暴力団のように組織が大々的なピラミッド構造にはなく、さらに下克上的なことも結構あるようである。
暴力団のようながっちりとした組織でないだけに、組織の実態を把握するのが容易ではないようだ。

(半グレは)日本の各地にその例が見られ、様々な局面において暴力団と対峙する勢力となり、時に暴力団を圧倒してきた。東京の「関東連合」がそうした“半グレ集団”の典型とされている。ほか、中国残留孤児の2世ならびに3世を中核構成員とする「怒羅権」や、大阪の繁華街・ミナミで傷害事件などを繰り返しているアマチュア格闘技団体(「強者 つわもの」)などが“半グレ集団”の例に挙げられてきた。
→「強者」は警察に解散届を出して個人の活動に切り替えたり、日本以外でも活動をするようになっているとか。


シノギ(収入源)

組織が収入を得る手段としては、振り込め詐欺などの特殊詐欺、みかじめ料の徴収、窃盗や強盗、闇金融、クラブ経営(+ぼったくり)、芸能プロダクション経営、風俗店経営やAVプロダクション経営、出会い系サイト運営、貧困ビジネス(ホームレスや生活保護受給者、請負労働者など社会的弱者や困窮者を顧客にして稼ぐビジネス)などの他、解体業、産廃業者、不動産業などに就いてる者もいるとのこと。


半グレや準暴力団も反社会的勢力

半グレも当然に反社会的勢力に含まれる。
後述(引用)するが、警察はこれを「準暴力団」として位置づけるようになった。
準暴力団に指定されている団体は、東京の8団体と2017年に大阪府警が指定した2団体の計10団体が準暴力団と見なされている。
しかし暴力団対策法や暴力団排除条例の適用は受けない組織でもある。

*準暴力団*
暴走族の元構成員などを中心とする、暴力的な不法行為を繰り返している反社会的集団。
暴力団にみられるような明確な上下関係をもった組織ではないが、人的、資金的な面で暴力団などの犯罪組織と密接な関係をもつものもある。
これまで半グレという俗称でよばれていたが、2013年(平成25)3月、警察庁は暴力団対策法に基づく指定や認定としてではなく、暴力団に準じる治安を脅かす新たな反社会的勢力と位置づけ、集団の実体解明と取り締まりを強化するよう全国の警察に通達を出した。
準暴力団に該当する団体としては、1973年(昭和48)ごろ結成され、2003年(平成15)に警視庁へ解散届を出した暴走族「関東連合」の元メンバーや、中国残留日本人孤児の二世が中心となって1988年(昭和63)ごろに結成された暴走族「怒羅権(ドラゴン)」などがあり、これらと関係をもつグループや同様の集団も全国各地に存在しているとみられている。
 準暴力団の団体数や構成員は詳しくわかっていないが、近年、繁華街や歓楽街において続発している暴行、傷害、恐喝などの犯罪の中心であるとされる。また、多くはみかじめ料や特殊詐欺などを収入源としていると考えられており、一部は既存の暴力団と連携して犯罪組織化した例もある。



半グレの象徴的存在「関東連合」

元は暴走族なので歴史はそこそこ古い(1973年結成)。

メンバーには、貧困や差別など暴力団に足を踏み入れる必然性の低い東京都内世田谷区や杉並区などの教育熱の高い地域で比較的裕福な家庭に育った者が多い。 

1990年代、チーマーとの暴力的抗争を経て渋谷の非行少年界を制圧した関東連合は、やがて六本木へと進出、クラブを影響下に置いてゆく。
2000年代にかけてチーマーやイベントサークルを暴力を背景に牛耳ったうえで彼らのいわば“後ろ盾”となり、それらを大企業とのビジネスに結びつけるなどで勢力を伸張、時のオレオレ詐欺の流行がその勢力拡大に拍車を掛ける。夜の街を舞台にいわゆる“ヒルズ族”などの実業家らとの交友関係をも築き上げ、凶暴性のみならず人脈の面でも他のグループと一線を画す存在になっていった。


OB(元メンバー)同士が強い絆で結束しているとされ、東京都内の渋谷・六本木・西麻布・新宿のいわゆる地下社会にて一定の勢力を誇っており、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその名が登場してきた。
歌舞伎役者の市川海老蔵 (11代目)を巻き込んだ2010年の「海老蔵事件」をきっかけとして全国的に知られる存在となったと見られている。

「六本木クラブ襲撃事件」(2012年)の首謀者と目される人物の統率グループは、渋谷や六本木等でクラブを経営するなどしていた世代の後続にあたり、多くが飲食業や不動産業などの正業を有する昭和50年代生まれを中心とした50人程度から成る集団であった。このグループは関東連合の“第三世代”とされ、そのメンバーには数億円から数十億円の現金を有する者もいるという。

芸能人との関係も広く噂される。


集団の曖昧さ

組織自体が曖昧であるため実態が把握しにくいということを先に述べたが、それは犯罪においても同様である。
集団暴行などが報じられたが、そういう集団で暴行して死に至らしめたような場合、誰が致命傷を負わせたのか特定が非常に難しくなる。
暴力団の抗争で拳銃で殺害するというような分かりやすさはない。

凶器も銃ならば明らかに殺意を感じるところだが、素手とか灰皿とかカラオケのリモコンとかビール瓶とかバットとか角材などが凶器では「喧嘩であり、殺意はなかった」と言い張られると、殺意の立証は困難になる。
従って人を死に至らしめながら、誰も殺人罪に問われないというようなことまで起きかねない状態である。
現に刑期は軽いことが多く、執行猶予が付くことも少ないないのだとか。

少し前に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に少し触れた。

女子高生を拉致監禁して強姦したり激しい暴力を加えるなどして死に至らしめた事件だが、殺人・猥褻目的略取誘拐・逮捕監禁・強姦などの各罪状で逮捕されたのは4人の少年だった。
しかし現場となった家は事件以前より不良グループのたまり場となっており、さらにその少年達は暴力団などとも関わりがあって、1ヶ月以上に亘った監禁期間にその家に出入りした人物は100人近くいて、強姦に加わったのは20人近くいるとも言われている。
さらに現場には2名ほど女性がいて積極的に事件に関与していたが逮捕には至らなかったという情報もある。

下記のとおり、裁判に基づく事件当初の詳しい記述にも逮捕された少年4人(A・B・C・D)以外にもEやFという人物が登場している。
しかしながらEやFは逮捕されなかったということになる。


この事件も集団であったがゆえに、且つ長期間に亘る暴行だったため、様々な立証が難しく、事件の凄惨さから最低限の逮捕者は出したものの、逮捕にすら至らなかった人物がいたという見方もできる。
暴力団のような組織化された上下関係ではない少年の緩い集団だけに、逮捕された者からすれば、同じことをしてどうして自分達だけがという思いを持っても不思議はない。
逆にそれが後々武勇伝になったり、箔を付ける事にもなりかねない。

主犯格として逮捕された少年は、後に特殊詐欺を行っていたようだ。

主犯格の少年Aは、2009年(平成21年)に刑務所を出所した後、養子縁組をして名前を変えた。
Aはキックボクシングのジムに通い、よく後輩をバーベキューやキャバクラに連れて行っていた。BMWを乗り回して高級腕時計やブランド品を身に着けていた。
「暴力団とつながりがある」「都内の振り込め詐欺グループには知り合いが多い」と吹聴し、マルチ商法で儲けていた。セックスの話が大好きで、「100均の縄で女を縛るのが好き」と語っていた。
2013年(平成25年)1月、加害者元少年Aが振り込め詐欺で警視庁池袋警察署に逮捕された。無作為に全国の個人宅に電話をかけ、『パチンコ必勝法』の情報料名目で現金を騙し取る詐欺グループの一員として、池袋の銀行で金をおろす「受け子(出し子)」をしていたとみられるが、完全黙秘を貫いたため、詐欺グループの解明が出来ないまま2013年(平成25年)1月31日付で不起訴処分となり釈放され、その後は消息不明となった。






by yumimi61 | 2019-07-27 00:03

反社会的勢力

第一次安倍政権における指針(2007年6月)

「反社」とか「反社会勢力」などと略されていることも多いが、正式名は「反社会的勢力」である。
これにはちゃんと定義がある。
暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人。

昨日私はこのように書いた。
反社会的勢力に仁義があるかはよく分からないけれど、映画とは観る限りヤクザ社会(暴力団社会)などは仁義(ヤクザ社会の倫理観)が重んじられる社会ですよね?
定義的には暴力団も反社会的勢力に含まれる組織である。

政府(犯罪対策閣僚会議幹事会)は今から12年前の2007年6月に『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について』『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針』という文書を公表した。
ではその時の首相は誰だったのかと言えば安倍首相である。
ちょうど第一次安倍政権の時だった。
 第一次安倍政権(改造含む) 2006年9月26日~2007年9月26日


安倍首相の突然の辞任(2007年9月)とテロ特措法

2007年8月27日に改造内閣が発足したが、それからほどなくして辞任した。

9月9日、豪州・シドニーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し、「(給油継続のため)全力を尽くし、職を賭していく考えで理解を得ていく。」「すべての力を振り絞って職責を果たしていかなければならない。」「そのことで私が職責にしがみつくということはない。」と給油が継続できない場合は内閣総辞職する覚悟であることを示唆した。

9月10日召集の第168回国会で安倍は「職責を果たし全力を尽くす」と所信表明演説を行なった。しかし9月12日の正午過ぎにテロ対策特別措置法の延長が厳しくなったこと、野党との党首会談で問題を解決できそうもないことなどを受け国会対策委員長の大島理森に首相辞任の意向を伝え、午後2時からの記者会見で正式に首相辞任の意向を表明した。

「テロ特措法」のテロとは、2001年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件」のことである。
その衝撃的な事件を受けて、アメリカは反テロで一致団結し、反テロ戦争に向かった。そして国連をはじめとする国際社会もアメリカに追従し支援に動いた。
「テロ特措法」は、憲法9条の縛りのある日本がアメリカなど諸外国が行う対テロ戦争において攻撃・侵攻を援助(後方支援)することについて定めた法律。
可決成立したのは小泉内閣だった。
2007年(平成19年)11月1日までという期限付きの法律だったため、第一次安倍政権の時には失効が迫っていた。
期限付きの法律を延長するかどうかで大揉めしたと言えば、1960年1970年の安保闘争を思い出さずにはいられない。


安保闘争の因縁

安保闘争の時には、騒動を収めるために、反社会的勢力が政権によって動員される事態となった。(安倍首相の祖父である)岸首相が頼ったのがフィクサーと言われロッキード事件にも関わったとされる児玉誉士夫。

岸首相は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内のアイク歓迎実行委員会委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣した。松葉会の藤田卯一郎会長、錦政会の稲川角二会長、住吉会の磧上義光会長、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組の尾津喜之助組長ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。

さらに右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸首相自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。そこで岸首相は創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。


右翼団体や暴力団など反社会的勢力を使って、左翼を抑え込もうとしたのが安倍首相の祖父である岸首相だった。
左翼vs安倍首相、これは因縁の対決の構図と言える。
その安倍首相が、法律の、しかもテロ特措法という少々厄介な法律の、期限延長に直面していた。
そのような時期に政府は『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について』を公表したのだ。


政界のフィクサー児玉誉士夫の圧力のかけ方

ところで最近、芸能事務所の圧力がどうこうとも言われているが、児玉誉士夫は圧力をかける時に傘下のメディアを使ったそうだ。
利用された大手メディアに博報堂がある。
その中に児玉は次の二つの目的を持ったセクションを作った。
一つは、博報堂の取引先を児玉系列に組み込む。
もう一つは、その系列化された企業に持ち込まれるクレームを利用してマスコミを操作し、なびかないメディアには広告依頼を回さない。
このセクションは広告会社として品位に欠けた。そこで、当時の博報堂の持ち株会社であった伸和の商号を、1975年に博報堂コンサルタントへ変えて、また、定款にも「企業経営ならびに人事に関するコンサルタント業務」の項目を加えて、この元親会社に業務を請け負わせた。
役員は、広田隆一郎社長の他に、町田欣一、山本弁介、太刀川恒夫が重役として名を連ねた。
広田は、福井純一博報堂社長の大学時代ラグビー関係者で、警視庁が関西系暴力団の準構成員としてマークしていた人物。
町田は、元警察庁刑事部主幹。
山本は元NHK政治部記者。
太刀川は塚本素山ビルの等々力産業社長で児玉側近の第一人者であった。


すきやばし~
安倍首相の辞任に話は戻る。


安倍首相、病気辞任を隠していた!?

内閣官房長官の与謝野馨が首相辞任会見直後に安倍が述べなかった重大な辞任理由として健康問題があることを直ちに補足したものの、海外メディアを含めて「敵前逃亡」「政権放りだし」「偽りの所信表明」などとさんざんな酷評をこうむる事態となった。

安倍は9月13日から体調不良(病院が公表した病名は機能性胃腸障害)を理由に都内にある慶應義塾大学病院に入院していた。辞任表明会見後の最初の記者会見を9月24日17時から病院内で行い、国民に対する謝罪を表明し、病気辞任であることを正直に述べるべきであったことを率直に認めた。またチーム安倍の空中分解を辞任理由とする説については、会見後の質疑応答で完全否定している。 この11日間の入院期間中に安倍は一度も病院外へ出ることはなかったが、政府は安倍とは連絡が取れる状態であることを理由に首相臨時代理を置かなかった。首相としての執務は病室の隣の部屋で行なっていたという。


このように安倍首相は志半ばで(?)辞任し、再び首相に返り咲いたのは2012年の暮れだった。そして今日に至る長期政権となっている。


企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について
 近年、暴力団は、組織実態を隠ぺいする動きを強めるとともに、活動形態においても、企業活動を装ったり、政治活動や社会運動を標ぼうしたりするなど、更なる不透明化を進展させており、また、証券取引や不動産取引等の経済活動を通じて、資金獲得活動を巧妙化させている。

今日、多くの企業が、企業倫理として、暴力団を始めとする反社会的勢力*1と一切の関係をもたないことを掲げ、様々な取組みを進めているところであるが、上記のような暴力団の不透明化や資金獲得活動の巧妙化を踏まえると、暴力団排除意識の高い企業であったとしても、暴力団関係企業等と知らずに結果的に経済取引を行ってしまう可能性があることから、反社会的勢力との関係遮断のための取組みをより一層推進する必要がある。

言うまでもなく、反社会的勢力を社会から排除していくことは、暴力団の資金源に打撃を与え、治安対策上、極めて重要な課題であるが、企業にとっても、社会的責任の観点から必要かつ重要なことである。特に、近時、コンプライアンス重視の流れにおいて、反社会的勢力に対して屈することなく法律に則して対応することや、反社会的勢力に対して資金提供を行わないことは、コンプライアンスそのものであるとも言える

さらには、反社会的勢力は、企業で働く従業員を標的として不当要求を行ったり、企業そのものを乗っ取ろうとしたりするなど、最終的には、従業員や株主を含めた企業自身に多大な被害を生じさせるものであることから、反社会的勢力との関係遮断は、企業防衛の観点からも必要不可欠な要請である

本指針は、このような認識の下、反社会的勢力による被害を防止するため、基本的な理念や具体的な対応を取りまとめたものである。


企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針
 
1 反社会的勢力による被害を防止するための基本原則

○ 組織としての対応

○ 外部専門機関との連携

○ 取引を含めた一切の関係遮断

○ 有事における民事と刑事の法的対応

○ 裏取引や資金提供の禁止


2 基本原則に基づく対応

(1) 反社会的勢力による被害を防止するための基本的な考え方

○ 反社会的勢力による不当要求は、人の心に不安感や恐怖感を与えるものであり、何らかの行動基準等を設けないままに担当者や担当部署だけで対応した場合、要求に応じざるを得ない状況に陥ることもあり得るため、企業の倫理規程、行動規範、社内規則等に明文の根拠を設け、担当者や担当部署だけに任せずに、代表取締役等の経営トップ以下、組織全体として対応する。

○ 反社会的勢力による不当要求に対応する従業員の安全を確保する。

○ 反社会的勢力による不当要求に備えて、平素から、警察、暴力追放運動推進センター、弁護士等の外部の専門機関(以下「外部専門機関」という。)と緊密な連携関係を構築する。

○ 反社会的勢力とは、取引関係を含めて、一切の関係をもたない。また、反社会的勢力による不当要求は拒絶する。

○ 反社会的勢力による不当要求に対しては、民事と刑事の両面から法的対応を行う

○ 反社会的勢力による不当要求が、事業活動上の不祥事や従業員の不祥事を理由とする場合であっても、事案を隠ぺいするための裏取引を絶対に行わない

○ 反社会的勢力への資金提供は、絶対に行わない

(2) 平素からの対応

○ 代表取締役等の経営トップは、(1)の内容を基本方針として社内外に宣言し、その宣言を実現するための社内体制の整備、従業員の安全確保、外部専門機関との連携等の一連の取組みを行い、その結果を取締役会等に報告する。

○ 反社会的勢力による不当要求が発生した場合の対応を統括する部署(以下「反社会的勢力対応部署」という。)を整備する。反社会的勢力対応部署は、反社会的勢力に関する情報を一元的に管理・蓄積し、反社会的勢力との関係を遮断するための取組みを支援するとともに、社内体制の整備、研修活動の実施、対応マニュアルの整備、外部専門機関との連携等を行う。

○ 反社会的勢力とは、一切の関係をもたない。そのため、相手方が反社会的勢力であるかどうかについて、常に、通常必要と思われる注意を払うとともに、反社会的勢力とは知らずに何らかの関係を有してしまった場合には、相手方が反社会的勢力であると判明した時点や反社会的勢力であるとの疑いが生じた時点で、速やかに関係を解消する

○ 反社会的勢力が取引先や株主となって、不当要求を行う場合の被害を防止するため、契約書や取引約款に暴力団排除条項*2を導入するとともに、可能な範囲内で自社株の取引状況を確認する

○ 取引先の審査や株主の属性判断等を行うことにより、反社会的勢力による被害を防止するため、反社会的勢力の情報を集約したデータベースを構築する。同データベースは、暴力追放運動推進センターや他企業等の情報を活用して逐次更新する。

○ 外部専門機関の連絡先や担当者を確認し、平素から担当者同士で意思疎通を行い、緊密な連携関係を構築する。暴力追放運動推進センター、企業防衛協議会、各種の暴力団排除協議会等が行う地域や職域の暴力団排除活動に参加する。

(3) 有事の対応(不当要求への対応)

○ 反社会的勢力による不当要求がなされた場合には、当該情報を、速やかに反社会的勢力対応部署へ報告・相談し、さらに、速やかに当該部署から担当取締役等に報告する。

○ 反社会的勢力から不当要求がなされた場合には、積極的に、外部専門機関に相談するとともに、その対応に当たっては、暴力追放運動推進センター等が示している不当要求対応要領等に従って対応する。要求が正当なものであるときは、法律に照らして相当な範囲で責任を負う。

○ 反社会的勢力による不当要求がなされた場合には、担当者や担当部署だけに任せずに、不当要求防止責任者を関与させ、代表取締役等の経営トップ以下、組織全体として対応する。その際には、あらゆる民事上の法的対抗手段を講ずるとともに、刑事事件化を躊躇しない。特に、刑事事件化については、被害が生じた場合に、泣き寝入りすることなく、不当要求に屈しない姿勢を反社会的勢力に対して鮮明にし、更なる不当要求による被害を防止する意味からも、積極的に被害届を提出する。

○ 反社会的勢力による不当要求が、事業活動上の不祥事や従業員の不祥事を理由とする場合には、反社会的勢力対応部署の要請を受けて、不祥事案を担当する部署が速やかに事実関係を調査する。調査の結果、反社会的勢力の指摘が虚偽であると判明した場合には、その旨を理由として不当要求を拒絶する。また、真実であると判明した場合でも、不当要求自体は拒絶し、不祥事案の問題については、別途、当該事実関係の適切な開示や再発防止策の徹底等により対応する。

○ 反社会的勢力への資金提供は、反社会的勢力に資金を提供したという弱みにつけこまれた不当要求につながり、被害の更なる拡大を招くとともに、暴力団の犯罪行為等を助長し、暴力団の存続や勢力拡大を下支えするものであるため、絶対に行わない。

3 内部統制システムと反社会的勢力による被害防止との関係

会社法上の大会社や委員会設置会社の取締役会は、健全な会社経営のために会社が営む事業の規模、特性等に応じた法令等の遵守体制・リスク管理体制(いわゆる内部統制システム)の整備を決定する義務を負い、また、ある程度以上の規模の株式会社の取締役は、善管注意義務として、事業の規模、特性等に応じた内部統制システムを構築し、運用する義務があると解されている。

反社会的勢力による不当要求には、企業幹部、従業員、関係会社を対象とするものが含まれる。また、不祥事を理由とする場合には、企業の中に、事案を隠ぺいしようとする力が働きかねない。このため、反社会的勢力による被害の防止は、業務の適正を確保するために必要な法令等遵守・リスク管理事項として、内部統制システムに明確に位置付けることが必要である。


*1
 暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である「反社会的勢力」をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である。

*2 契約自由の原則が妥当する私人間の取引において、契約書や契約約款の中に、(1)暴力団を始めとする反社会的勢力が、当該取引の相手方となることを拒絶する旨や、(2)当該取引が開始された後に、相手方が暴力団を始めとする反社会的勢力であると判明した場合や相手方が不当要求を行った場合に、契約を解除してその相手方を取引から排除できる旨を盛り込んでおくことが有効である。


ゴロゴロに注意

反社会的勢力とは、暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人と定義されている。
具体的な組織としては、次のものが「反社会的勢力」として強く疑われる、あるいは「反社会的勢力」と見做される。
暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団など。

暴力団は比較的分かりやすいのかもしれない。
だけど暴力団を辞めているOBや暴力団という鎧は脱いだ反社会的な個人や会社もあるということ。
さらには一見(一部の人にとっては)素晴らしいことをしていそうだが、実は反社会的な行為を行っているということもある。

【会社ゴロ】
企業やその従業員の醜聞(スキャンダル)を口外しない代償(口止め料)などと称して、当該企業に対して金品の交付を要求する行為、あるいは、こうした行為を繰り返す者(ゴロツキ)を指す。企業ゴロとも言われている。

街宣右翼などと結託し、街宣車で本社や営業所、株主総会の会場、あるいは繁華街などに押しかけ執拗にスキャンダルを糾弾するなど、あるいは逆にほめ殺しなどを行うことでターゲットの企業イメージに打撃を与えようとする。怪文書の流布や三流ゴシップ誌を利用した攻撃なども行われる。
警察庁は、総会屋や社会運動標榜ゴロなどと並んで、会社ゴロを企業対象暴力として位置づけ、対策を講じ、企業からの相談に応じている。

【社会運動標榜ゴロ】
社会運動を仮装し、又は標榜して、不正な利益を求めて暴力的不法行為等を行うおそれがあり、市民生活の安全に脅威を与える者のこと。
反社会的勢力の威力を利用して行政対象暴力や民事介入暴力で不当な利益を得るものであり、社会問題となった。

人権問題や環境問題に名を借りて企業などに不当な要求をすることもあるし、地域密着型で行政機関や病院などがターゲットになることもある。他に交通事故や不動産トラブルなどへの介入や関与もある。

【政治運動標榜ゴロ】
政治団体としての登録を行っている団体だが、実際は政治活動が主目的でなく単純な利得行為や詐欺・恐喝など他の目的で行っているもの。政治の名を借りて、企業への不当な要求、社会運動標榜ゴロ、街宣活動などを行う。

【特殊知能暴力集団】
暴力団との関係を背景に、その威力を用い、又は暴力団と資金的なつながりを有し、構造的な不正の中核となっている集団のこと。警察用語。
反社会的勢力と連携して、法律などの専門知識を悪用して、株価操縦やインサイダー取引などで証券市場や企業から金品の要求を繰り返している。この集団に現職の税理士や弁護士が加わることもある。


かつて安保闘争の時には、左翼 vs 政権―右翼 という構図があったわけだが、現在において反「反社会的勢力」と言う場合には、右翼でも左翼でも敵になる可能性があるということ。
経済的利益を追求するのであれば思想なんか関係ない。思想があったとしても目的に対しては手段でしかない。




by yumimi61 | 2019-07-26 16:11

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会いに行けるアイドル、拒否らないアイドル

なぜ恋愛や結婚が不利になるのかと言えば、取りも直さずアイドルは恋愛や結婚の対象であるからなんだろうと思う。
それが客観的に見て現実的かどうかは別として、実はアイドルというのは昔から手の届かない雲の上の存在ではなく、恋愛や結婚の対象になるくらいファンにとっては身近な存在なのである。


そんなアイドルに気にいられたり近づくためにファンが簡単にできることは、そのアイドルのためにお金を使う優良な顧客になること。次に会いに行くことだと前述した。
近年において「会いに行けるアイドル」というコピーが、さもさも特別感漂う感じで使われていたが、これは少しも特別なことではない。

昔も今もライブやショーに行けば会えるわけである。
ライブやショーの会場(箱)が小さければ小さいほど、必然的に距離は縮まる。
アイドルは誰でもが出入りできるスーパーマーケットに来たり、イベント会場に来たり、観光地に来たりもする。とても雲の上の存在とは思えない。身近である。
同年代が企画運営するような学園祭にも来る。つまり単なる学生が仕事のオファー(仕事を提供すること)ができるような存在である。
スケジュールを調べて出入り待ちすることも可能である。
ファンクラブに入れば、特別に会える特典が与えられることもあるだろう。
芸能事務所が半ば公認した私営ファンクラブなども存在した。
学校に通う年齢のアイドルならば通学もしている。公共交通機関を利用することも、その辺の道を歩いていることもあるだろう。
学校で他の人と一緒に学校生活を送っていたりもする。


そんな自分達に近いアイドルたちが、自分(ファン)がお金を出したり応援すれば、嫌な顔もせず応えてくれるのだ。
一般的に学校などではそうもいかないだろう。
好意を寄せた男子や女子に、「他に付き合っている人がいる」「こっちにはそんな気はないのでお断り」「嫌い」「キモイ・ウザイ」なんてことを平気で言われかねないし、無視されることもあるだろう。
だけどアイドルはそういうことをファンに対して言わない。
むしろ笑顔で「ありがとう」「嬉しい」とか言ってくれたり、「皆さん(=あなた)が応援してくれたおかげです」なんてことを言う。
例え方に問題があるかもしれないけれど(でも例えるけど)、客観的にみた時に、学校などの異性は相手を簡単に殺すと例えることが出来る。アイドルは相手を生殺し状態にしておく。


芸能事務所が「コンダクト・リスク」を避けるために恋愛禁止を指示したとすれば、近さというのは仇になる。
アイドルに求められる要素、アイドルが売れるため(芸能事務所が売り出すため)に重要な要素である<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>であることは、芸能事務所が果たすべきリスクマネジメントにとっては非常に厄介な要素という、半ば矛盾した状態にある。


リスクマネジメントとしての差別化

アイドルとして売れることと、芸能事務所やアイドルのリスクは、背中合わせ。
近さは仇になるので、少し遠い存在であることをアピールするようになる。
要は簡単に学校では見かけないような男子女子を作り出せばよい。
活動の距離感を変えずに、遠い存在をアピールする簡単な方法は見た目改造である。

(校則では禁じられているであろう)パーマをかけたり、長髪にしたり、しっかり化粧をしたり、歯を矯正したり、永久脱毛したり、もっと差別化をはかれば整形をするなど全体を整えたりと。
フワフワヒラヒラしたような衣装を着せたり、不自然に露出した服装を着せてみたり、ヒールを履かせたり。

アイドルはトイレに行かないという話を聞いたことはないだろうか。
これもアイドルサイドから出たものだろう。これは言葉による差別化。
「キモイ・ウザイ(汚い・臭い・下品?)」と言う代わりに、「アイドルはトイレに行きませんっ!」と言う。
トイレに行く(排泄をする)という、毎日欠かさず何度も行う当たり前の行為をしないんですよ~と嘯くことで、あなた達とは違うアピールをしている。


アイドルという商売の衰退

しかしそうして差別化を図れば、やはり「身近な存在」からも次第に離れていくことになる。
アイドルに求められる要素、アイドルが売れるため(芸能事務所が売り出すため)に重要な要素である<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>を失ってくるわけだから、アイドルとしての成立が難しくなってくるのだ。
人びとは遠い存在である「アイドル」には惹かれないのだ。

また時代が変わったことによって、見た目差別化が有効ではなくなってきた。
要するに、パーマや長髪や化粧、歯を矯正したり永久脱毛することプチ整形、自由な服装などが学校に通う学生にとっても珍しいことではなくなって、アイドルだけのものではなくなった。
その意味において世の中は均一化し、再びアイドルは別に遠い存在ではなくなり、差別化が行き詰まった。
しかし一方で会場(箱)が平均的に大きくなったり、都市部での活動を主にするというような傾向もあり、活動における距離感はかつてより遠くなった。
近さと遠さで相殺されてしまうので、抜きんでる特徴が無い。


再び勃興したアイドル

近年の「会いに行けるアイドル」は、その行き詰まったアイドル界の打開策だったのだと思う。
小さな箱で、毎日欠かさずに、アイドルがショーを行っている、これは「距離の近さ」の提供である。
世の中の見た目差別化は限界を迎えているので、アイドルたちは<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>を維持できている。
しかも最近流行の集団アイドルは学校のクラスをイメージしやすい。

「距離の近さ」というのは「接触具合」と言い換えることもできるが、その接触を、実際に肌と肌の接触(握手)や言葉のやり取り(会話)として、ファンに提供したのが”握手会”なるものだろう。
握手する機会というのは昔からないわけではないが、出来る人が限られていた。抽選で当たった人とか、ファンクラブで熱心に活動している人とか、特別に時間とお金をかけ最前列を確保した人とか。
でもそうではなくて、一定額を出せば誰でも平等に握手できる権利を提供したのが”握手会”だった。

そうして再びアイドルを<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>に近づけ、一時期衰退化したアイドルという商売を再び勃興させた。
身近に引き寄せたことや集団作戦、さらには世の中の均一化が功を奏して、近年のアイドル界は<アイドルを恋愛や結婚の対象として見ている人>だけでなく、<自分もアイドルになりたい人>も呼び込み、そうした人に支えられているようにも感じられる。


強かな戦略

あまり近づけすぎるとリスクにもなり、反感を買いかねない。
よって子供のスポンサーである親や祖父母、あるいは子供ではないファンの信頼を得ることは変わらずに大事なはずで、信頼を得るための1つの方法として公的な存在が使われるということがあるかもしれない。
芸能事務所などが政財界の有力者と懇意にしているとか、芸能事務所関係者が公的な仕事を引き受けているとか、アイドルが国や社会に認められている観があるテレビ局の仕事を多くしているなど。

首相の催しに招待されて一緒に写った写真を公開することなんかもそれに当たる気がする。
政治家ですら党首など有力政治家とのツーショット写真などを利用してアピールしたり、選挙になれば応援に来てもらう、それと似たようなこと。
安倍首相が芸能人と写真を撮ったということが話題になっていたことがあり、首相が人気者の力を借りているような論調でしか語られていなかったが、首相と一緒に写真を撮った芸能人は国家権力のお墨付きをもらったようなものであり、効果というか威力はそちらのほうが遥かに強い気がするが。

そこでじゃあ反社会的勢力と一緒に写真に収まったらどうか?
よく言われるように、反社会的勢力が人気者の力を借りて自分をより大きく見せたいということも確かにあるかもしれない。
では逆はどうだろうか。反社会的勢力のお墨付きをもらった芸人(芸能人)。
芸能人にとっての反社会的勢力のお墨付きの効果や威力は私にはよく分からないが、まあ皆無ということはないのだろうと思う。
反社会的勢力に仁義があるかはよく分からないけれど、映画とは観る限りヤクザ社会(暴力団社会)などは仁義(ヤクザ社会の倫理観)が重んじられる社会ですよね?
だからお付き合いが発覚した芸能人が「もうそんなことは絶対しません、反省しています」というよりも、「そんなら芸能界辞めますわ」と言った方が、ヤクザ社会にとっては痺れる仁義なんじゃないでしょうか。違うのかしら。


別の自分?自分は自分?

アイコン(icon)は肖像・偶像・聖像・記号のこと。
コンピューター世界でのアイコンは、ファイルやプログラムやアプリなどを絵や記号で表したものである。

アイドル(idol)は神像・偶像・むやみにあがめられる崇拝の対象・虚像(実際とは異なる作られたイメージ)のこと。

アイコンとアイドルに共通するものは’偶像’である。アイコンの’記号’も実像とは言い難いので’虚像’に似たところがある。
ということは、アイコンとアイドルに共通するものは’偶像’と’虚像’ということになる。
偶像
 1 木・石・土・金属などで作った像
 2 神仏をかたどった、信仰の対象となる像
 3 あこがれや崇拝の対象となるもの

日本のアイドルは、恋愛・結婚相手を象徴化した存在。もっと分かりやすく言えば恋愛や結婚相手の理想像と言っても良い。
どこにでもいるような平凡さと、その気になればいつでも会えるような身近さを有し、決して自分を拒否らない存在。いつも明るく朗らかに前向きで、汚い言葉は使わず後ろ向きなことも言わず、感謝の気持ちを持って一生懸命生きている人。しかし時にか弱いから、守ってあげなければという気持ちにもさせるというような。
わざと普通の人とは違う格好したり、トイレに行かないなんておかしなことを言ったりして、時々は遠い世界に行っちゃうけれど、それは虚像だということもちゃんと知っているから大丈夫だよハニー、なんて感じで’虚像’まで取り込める。
もっとも存在自体が虚像でしょ、という冷めた意味でも’虚像’は使えるけれども。

現代ではインターネットのSNSなどにもアイコンが存在する。
この場合のアイコンとはプロフィール画像のことを言う。
TwitterにもFacebookにもInstagramにもLINEにも存在する。
多くのブログにも存在していて、このブログの右上にもある。
アイコンは、自分を表すものであり、自分の写真でも良いし、動物でも物でも何でもよい。自分を表してなくても咎められることもないだろう。
オンラインゲームなどには画面上に表示されるアバター(化身・分身)なんてものもある。これも自分に似せたものを作っても良いし、まったく似ていなくても構わない。

遠い時代には、絵でも写真でも文章でも、なんとか実像を残すことを夢見て、努力を重ねた日々があったのだろうと思う。
現代人は偶像や虚像を作り出すことが得意で、すっかりそれに慣れてしまったと言えるだろう。
化粧に修正加工に切り取り、いざとなったら動物にだって物にだってなれるし、自分の分身が受け答えしてくれたりもする。
ウソもホントもあることを、醜くも美しい世界であることを、誰もが良く知っている。
それはアイドルでもアイドルでなくても同じだから、アイドルの差別化が尚のこと難しい時代であり、恋愛禁止によってリスクマネジメントするなんてことが通用する時代ではないのかもしれない。


168.png期間限定でアイコン(プロフィール画像)を変えてみた。写真は今年の4月12日に撮ったもの。あの4月の雪の2日後、ナツと一緒。


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by yumimi61 | 2019-07-25 14:36

コンダク

このシリーズ(?)は「恋愛禁止」から始まったものだ。
アイドルや芸能事務所には恋愛禁止の掟(約束事)があるという話を一度くらい聞いたことがあるのではないだろうか。
実際にそのようなことがマネージメントサービスを提供する会社(芸能事務所など)をはじめとして、レコード会社、広告代理店(ひいては広告を依頼する企業)、テレビ局などの契約に盛り込まれているのかどうなのかまでは知らない。

闇営業問題に関連して吉本興業が芸人と契約を交わしていないということが言われていたが、恋愛禁止もそれと同じで単なる口約束なのか、慣例を誰かが勝手に押し付けているだけのか、それとも世間一般の雰囲気というか思い込みというか、かくあるべしという願望に過ぎないのか、よく分からないところでもある。


契約は文書にして残しておこう

世間(テレビ界)では吉本興業の話題が盛りあがっているようだが、ああいうゴタゴタがないように文書によって契約を交わしておくことは大事だという反面教師にはなる。

吉本興業は契約解除時のファックスでマネジメント契約と言っていたので、それを信じればより吉本興業と芸人の間で雇用契約は結んでいないのであろう。
従ってファミリーと言っても、会社と従業員という主従関係にあるのではない。
マネジメント契約を結んでいた芸人は個人事業主か個人事務所(個人の会社)を持っているはずだ。
吉本興業と芸人はビジネス上は対等な立場であるべきもので、親子という例えもおかしい。

マネジメント契約は、その内容によって、委任契約か請負契約(業務委託契約)のどちらかに当たる。
私人・私企業の契約は口約束でも当事者同士では有効である。
しかし健全な企業では口約束で物事を進めるということはまずない。
公的な仕事や公衆性(社会性)の高い仕事、リスクの高い仕事などでは尚更である。

吉本興業は契約を交わしていないと盛んに言われていたが、契約解除のあたりから急にそういう話題は聞こえてこなくなって、実際そのところがどうだったのか、芸人によって扱いが違ったということなのか、さっぱり分からないが、前述したように文書による契約ではなく口約束(口頭説明)でも成立はする。
しかしながら後々、認識の相違などが発覚浮上してきた場合や、今回のように何か問題が起きた時に、「そうとは思っていなかった」とか、言った言わない論争になったりで、揉める元になる。
文書などが残っていない約束は、第三者が中立的な立場でその約束(契約)内容を確認して、和解に導くということも難しくなる。
揉めた当事者同士の話し合いで解決せずに争いごとが世に出た時には、規模や財務レベルが上の力ある会社の方が大抵不利になる。
前にも書いたが作用反作用の原理。


どうして恋愛してはいけないの?

前回は労働するにあたっての約束事に「恋愛禁止」を盛り込むとしたら、どこだろうという話で、次の3か所が考えられると挙げた。
 ①雇用契約(就業規則)の中に恋愛禁止条項がある。
 ②業務上の管理者の指揮命令の中で指示される。
 ③企業間の契約の中に恋愛禁止条項が盛り込まれる。


そこで今日はアイドルや芸能事務所の「恋愛禁止」について考えてみたい。
まず考えたのは、「恋愛禁止」の掟が実際に存在するとして(余談だけど社内恋愛禁止とかもあるよね?)、なぜアイドルは恋愛が禁止されなければならないのか、芸能事務所はなぜ恋愛禁止を指示するのか、ということである。

昨日は②に該当するものとして、未成年を相手とする学校や塾の教師や講師などを例にした。。
業務内(業務を通して出会った者)の恋愛を内規で禁止するといったことも考えられるし、規則で定めていなくても倫理上そのような強い風潮もある。
規則倫理違反が発見された時には、場合によっては解雇されたり法的に処罰されることもあるだろう。
幾ら恋愛は自由意志と言っても、業務上関わるのが子供という場合、子供が正当な判断を下せるとは限らず、力関係においても弱いため、業務を管理する側は子供サイドを保護する必要がある。
よって業務に従事する者に対して高い職業倫理が求められる。


「コンダクト・リスク」という金融用語がある。
市場の一体性(integrity)の信頼を損ねる、あるいは顧客保護を脅かす一連の行為(conduct,コンダクト)が生じる可能性を指す。
顧客の正当かつ合理的な期待に応えることが金融機関の第一の責務であるという認識に立ち、顧客対応、金融機関同士のやり取り、市場における活動を行うことが、金融機関に期待される<コンダクト(一連の行為)>と定義されている。
そのコンダクト(一連の行為)が適切に行われなくなるリスクが「コンダクト・リスク」である。
すなわち金融機関が、顧客保護・市場の健全性・有効な競争に対して、悪影響を及ぼす行為を行うリスクである。

芸能事務所が実際にどういう理由で「恋愛禁止」にしているのかは知らないが、芸能事務所の「コンダクト・リスク」は金融機関の「コンダクト・リスク」にも通じるものがあると思う。
芸能事務所にとって顧客保護・市場の健全性・有効な競争に悪影響を与えるのは恋愛ということだ。


まだ〇〇だから

一頃はアイドルと言えば青春期真っ只中の青少年(女性を含んでいます)だったが、ロリコン社会を反映してかアイドルもどんどん低年齢化し、時代が進むと高齢化社会に合わせるかのように今度はアイドルも高齢化してまだアイドルなのか・・という状態もあるようである。
それだけアイドルの幅もファン層の年齢も広がっているようなので、うっかりしたことも言えないけれど・・

青少年のアイドルのファン(顧客)は同年代か年下ということが多かった。
つまりファン(顧客)も未成年である可能性が高い。
未成年を相手とする学校や塾の教師や講師などを例に、業務管理側は子供を保護すべきだと述べた。
それと同じ理由でまずファン(顧客)が保護されなければならない。
子供が正当な判断を下せるとは限らず、力関係においても弱いため。
そして芸能事務所の場合、仕事をさせている者が未成年ということもあるだろう。つまり同時にそちらも保護する必要がある。


市場の健全性を担保するための恋愛禁止

例えばアイドルとファン(顧客)が恋愛関係になったとする。
そういう例があると、市場のファン(顧客)は、アイドルと恋愛関係になれるんだなぁ、なりたいなぁと思う。
若いうちならば、そういう例がないにしても、夢みたりするだろう。根拠のない自信は若さの特権でもある。
そしたらどういう行動をとるか。

まず一番簡単に出来ることは、気に入ってもらえるように優良な顧客になることだろう。
(気に入ってもらうために良い子になるのは子供の得意技である)
優良な顧客とはお金を落としてくれるお客さん(ファン)であるわけだが、そういうことはわりと子供でも知っているものである。
だけど問題は子供に財力がないこと。
極端な場合、お金欲しさに犯罪などに手を染めかねない。

次に会いに行くことを考えるだろう。ライブやショーなどを観に行ったり、極端な場合には四六時中追い掛け回すようになるかもしれない。
そういうことをするには当然かなりの費用がかかるし、時間も必要。
親に反対されれば、親の目を盗んで内緒で行ったり、学校を休んだり、家出したりすることもあるかもしれない。
そちらに夢中になることで、学業や習い事に身が入らなくなることもあるかもしれない。
ダフ屋につかまったり、慣れない都会に出てきて犯罪に巻き込まれるかもしれない。
子供らしい生活という健全さから次第に離れていくことになる。
そうなってくると親も快くは思わなくなる。
親や祖父母というものは子供の大事なスポンサーであるからして、そうした大人の反感を買ってスポンサーを失うことは芸能事務所にとっても望ましいことではない。


有効な競争力を失う時

アイドルが恋愛をしたり結婚すると商品価値が下がるというようなことは昔から言われている。
仮に同じようなレベルで競い合っていたアイドルが2人いたとしたら、恋愛や結婚をしたほうがアイドルとしての競争には不利とになる、これがアイドル界の有効な競争に悪影響を与えるということ。

なぜ恋愛や結婚が不利になるのかと言えば、取りも直さずアイドルは恋愛や結婚の対象であるからなんだろうと思う。
それが客観的に見て現実的かどうかは別として、実はアイドルというのは昔から手の届かない雲の上の存在ではなく、恋愛や結婚の対象になるくらいファンにとっては身近な存在なのである。

もしも全く恋愛や結婚の対象とはみておらず、単にその人の容姿がとても好きなだけとか、純粋に歌や演技など芸術的才能に惹かれていたり、作品をこよなく愛しているとするならば、相手が恋愛しようが結婚しようが関係ない。
もちろんそういう形で成立している芸能人とファンの形も沢山あると思う。
でも若いアイドルに限らず、結婚すると人気が落ちるというのは結構年齢がいっても現実的にあるらしいのだ。私は正直そんなものなのかと驚いたけれども。別に不倫目指せばいいじゃない ←勢いで言った冗談ですから。(吉本興業社長の二の舞か・・)


失われた時を求めて

恋人や配偶者がいても、誰かの熱烈なファン(顧客)という人はいると思う。
もしファン(顧客)がみな芸能人を恋愛や結婚の対象と考えているならば、恋人や配偶者は心穏やかではないだろう。
でもそうではないカップルや夫婦もたーくさんいるわけで。
他の異性(芸能人)にわーきゃー言っている恋人や配偶者を、その他の異性のライブやショーに平気で送りだしたり(お金も出したり?)、ケースによっては一緒に行ったりするわけだ。
恋人や配偶者そっちのけで(?)、映画を観たり、テレビを観たりして、時には一緒に観ることもあるかもしれない。
それは、他の異性(芸能人)が独身でも結婚していても、そんなに違いがない気もするが、そのあたりはよく分からない。
でもとにかく有効な競争力を失わない場合もある。
それは何故なんだろう。
有効な競争力を失わない理由は芸能人側にあるのだろうか。
それとも顧客側にあるのだろうか。
それともやっぱり恋愛や結婚は関係ないという人は一部の特殊な顧客であって、一般的には有効な競争力を失ってしまうのだろうか。
有効な競争力を失うとまでは言わずとも、それまでに比べれば多少競争力を落としたりするものなんだろうか。





by yumimi61 | 2019-07-23 15:26

コンセプ

先日、このような例をあげた。
私は看護師・保健師・第1種衛生管理者の資格を持っているので、企業の安全衛生管理業務や健康管理業務を行うことが可能である。
B社という従業員が300名の会社があった。
300名の労働者がいれば、産業医や衛生管理者が選任されていて、安全衛生委員会などが行われているはずである。
B社にはそれらとは別に健康管理室(保健室)があるものの、今現在そこには誰もスタッフが常駐していない状態である。
本来は専門スタッフがいたほうが望ましい(とB社の経営者は考えている)。


この時にB社が健康管理室に専門スタッフを置く方法は次の通り。

 1.自社で看護師や保健師を採用(雇用)する。
 2.派遣会社から看護師や保健師の資格を持つ人材を派遣してもらう。
 3.従業員に対する健康管理・応急処置・健康相談業務を、外部の業者に業務委託する。
 4.看護師や保健師と委任契約を結ぶ。


【雇用契約と業務管理】
私が1~4の方法にてB社で働く場合、それぞれどこと雇用契約を結び、どこの指揮命令を受けて任される業務を行っていくか。
 1.B社に雇用され、B社の指揮命令下で働く
 2.人材派遣会社に雇用され、B社の指揮命令下で働く
 3.外部業者に雇用され、外部業者の指揮命令下で働く
 4.個人事業主であり雇用関係にはないフリーな立場、自分の判断で働く

【労務管理】
雇用関係と任された業務に関しては上記の通りになるが、労務管理はまた少し異なる。
労務管理とは給与や労働時間、福利厚生や教育など業務の周辺に存在するもの。
安全に効率的に、会社が不当に不利益を被らず且つ従業員が働きやすいような環境を整えるという重要な役割を担っている。
 1.B社の就業規則に従い、B社に管理される。
 2.人材派遣会社の就業規則(労働契約)に従い、人材派遣会社に管理される
 3.外部業者の就業規則に従い、外部業者に管理される
 4.自分の判断のもと自分で管理する(個人事業主は労働基準法の対象外でもある)

【企業間の契約】
B社の仕事をするにあたって行うべきこと
 1.自社だから特別なことは必要ない
 2.B社と人材派遣会社の間で労働派遣契約を結ぶ
 3.B社と外部業者の間で請負契約(業務委託契約)を結ぶ
 4.B社と私(個人事業主)の間で委任契約を結ぶ
   ※もしも私が会社を持っていたならば→B社と外部業者(私の会社)の間で委任契約を結ぶことも出来る


恋愛禁止を強要することは可能か

さてさて、やっと恋愛禁止話に漕ぎ着けました。
労働するにあたっての約束事に「恋愛禁止」を盛り込むとしたら、どこだろうという話である。
考えられるところ。
 ①雇用契約(就業規則)の中に恋愛禁止条項がある。
 ②業務上の管理者の指揮命令の中で指示される。
 ③企業間の契約の中に恋愛禁止条項が盛り込まれる。

①の雇用契約(就業規則)の中だとすると、会社が従業員に対して恋愛禁止を強要しているということになる。
これは人権侵害と大問題になるだろう。
そういう就業規則があると聞いたこともない。
よってこれは現実的ではない。

②はどうだろうか。これはあり得るだろう。
例えば業務上、未成年を相手とする学校や塾の教師や講師などである。
業務内(業務を通して出会った者)の恋愛を内規で禁止するといったことも考えられるし、規則で定めていなくても倫理上そのような強い風潮もある。
規則倫理違反が発見された時には、場合によっては解雇されたり法的に処罰されることもあるだろう。
幾ら恋愛は自由意志と言っても、業務上関わるのが子供という場合、子供が正当な判断を下せるとは限らず、力関係においても弱いため、業務を管理する側は子供サイドを保護する必要がある。
よって業務に従事する者に対して高い職業倫理が求められる。

③の契約は、請負契約(業務委託契約)や委任契約ということになるが、この契約は当事者間で詳細を詰めるものであり、それが法律違反に該当するものでない限りどんな取り決めも可能である。
ここで問題になるのは「恋愛禁止」が法律違反に該当するかどうかという点である。
しかし法律違反が行われていても刑事と民事では手続きが異なる。国や地方公共団体の機関(例えば警察や検察)が犯罪かどうかや違法性を捜査して裁判等で処罰を決定するのが刑事事件で、私人や企業間の一般的なトラブルは民事事件である。離婚や相続などの家族内のトラブルはとくに家事事件と呼ぶ。

民事であるということ

民事事件は、私人・私企業同士のトラブルなので、不服がある人が裁判を起こして事件となる。
トラブルになっても当事者双方が合意すれば裁判を起こさずに解決することもあるし、裁判を起こした後でも和解することがある。
逆を言えば、当事者双方が「恋愛禁止」に納得して契約に盛り込んだのであれば、そもそもトラブルにはならないはずであり、よって例えばその契約事項が一般的に見て人権侵害の憲法違反だと思えても、基本的には第三者が口を挟めるものではない。
契約をしておきながら、約束事を守れなかったら、守れない方が契約不履行で、何らかのペナルティを受ける必要があるだろう。

私人・私企業というものには、それだけ選択や決定に自由と権利があるということである。
だからこその落とし穴もある。
その最たるものが契約する両者の知識や認識に差が大きい場合。
一方の都合の良いように丸め込まれて不当な契約を結ばされかねない。
その場合も、不当であることに気が付けば、その時点で話し合ったり、裁判を起こしたりすればよいということになる。
よって本当に深刻な問題は、不当であることに気が付かないこと。不当であることに気が付いても、何の手も打てない関係や状況に陥っていることだろう。

例えばどんな関係か?
●契約した双方が対等な関係ではなく、一方がすっかりマインドコントロールされている状態。(だから不当な形で業務を続けていても気が付かない)
●契約した双方が対等な関係ではなく、一方が高圧的支配下にある状態。(不当だと気が付いても言い出せない、話し合いや裁判に持ち込めない)
●契約した双方の会社などの規模や財務レベルの差が大きくて、契約を解消したり見直せない状態。(不当であることは分かっているが仕事を失いたくないと思っていたり、何らかの借りや恩があって萎縮してしまう)
●会社や個人が相手に何らかの弱みを握られており、相手の機嫌を損ねたくない状態。
●契約相手の会社や個人が社会的権力者(例えば政治家)や反社会的勢力であったり、それらに通じていて、報復が怖い場合。


社会的第三者がもたらす弊害

刑事事件に該当しない民事のトラブルの場合には、基本的には第三者が口を挟めるものではないということを先に述べた。
近年の社会的な問題な1つとして、第三者が騒ぎすぎる(黒白を付けたがる、自分の意見や主張をしたがる、世論を一方向に向けたがる)ことが挙げられる。

そういうとネットの時代だからとネットだけが攻撃されやすいが、テレビや週刊誌も同じである。
ネットや週刊誌は参加(見る人)が限られるが、テレビというのは幼い子供や老人を含めて一番不特定多数の人が見る可能性があり、見ることを避けにくいものでもある。
その意味においては一番影響力が大きいというか弊害が大きい。
テレビ局(放送局)というものは、NHKに限らず、放送免許や放送法が関わっており、完全に私企業とは言い難いところがある。国のお墨付きという公的な側面が多分にある。
さらに大企業がスポンサーになっていることが多く、社会的なお墨付きも得ている観がある。
このようにステータスを持ち、スタンダードを形作り得る点が、インターネットの書き込みや週刊誌の記事とは一線を画すところだと思う。

そうしたテレビはじめ、週刊誌やインターネットが、第三者が口を挟めるものではない民事のトラブルさえも大々的に扱って糾弾したりする。
しかも事実が捻じ曲げられた糾弾もある。
あえてそうしているのか、無知や誤解なのか、その暴走は留まることを知らず閉口したくなる時もある。
法治国家である日本では私的制裁は禁じられています。
多くの場合、ネット民も週刊誌の記者もカメラマンも、テレビのキャスターもアナウンサーもコメンテーターも、当事者でもなければ裁判官でも担当弁護士でもない。


社会的第三者の役割

上には社会的第三者の弊害を書いたが、しかし全くその役割がないとも思わない。
そこが難しいところですね。

ではどんな重要な役割があるかと言えば、、、
本当に深刻な問題は、不当であることに気が付かないこと。不当であることに気が付いても、何の手も打てない関係や状況に陥っていることだろう。
不当な立場に置かれているのに気が付かないでいる個人や会社、不当であることに気が付いても何の手も打てない関係や状況に陥っている個人や会社、それを救えるのは社会的第三者なんだろうと思う。

当事者や捜査機関が手を付けられなかったり解決できないでいるようなことに光を当て、外側から改善へ手引きする。
当事者同士の話し合いや裁判が内科的治療ならば、社会的第三者による告発は外科的治療になるだろう。

しかし外科的治療は侵襲が大きい。
社会的第三者はそれだけのことをするのだという認識のもと、十分な知識を持った上で、取材などを重ね、基本的には中立の立場を崩さず、臨む必要があるだろう。



 

by yumimi61 | 2019-07-22 15:42

soft fruit

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🍓最近サプリか何かのCMで桑の実がスーパーフードとやっているんだけど、桑の実って「ドドメ」だよね?
ドドメってスーパーフードだったんだ。
子どもの時にもっと食べておけば良かった。(十分ですよ?)

🍓ブルーベリーは目に良いと言いますね。
目が悪くなった?と言えば政治家のポスターですよね?
以前、某政治家の常掲ポスターが某アナウンサーにちょっと似ていると書いたことがありますが、今貼られている選挙ポスターも某アナウンサーにちょっと似ている。
選挙ポスターは今日までか。

🍓生のラズベリーはスーパーに流通しないソフトフルーツ。(冷凍は売っている)
生のものはスーパーどころか直売所などでも難しい。
熟しやすくてあっという間に柔らかくなってしまうから。
日本では梅雨時期が実がなる時期なのだけれど、木で熟したものは雨にも弱いのです。

🍓チョーヤの梅酒のCMは見たことがありますか?
カウンター越しにバーテンダーと女性客がいて、女性客が「最高の幸せってなんですか?」と訊くCMです。
あれを見るたびに気になるのは、どうやってグラスから梅を取りだしたのかということ。
スプーンも箸も何も置いてはいない・・・ということ指を入れて出した・・・?
しかも会話の時間的にみて、かなり迅速な作業だと思われ・・・
今でしょ!?
全体に流れる雰囲気と、見えてはいないが想像させるシーンの、ギャップがありすぎて、見るたびに困惑する。

🍓そのCMのバーテンダー役は、NHKの『透明なゆりかご』という医療ドラマで、ドラマの舞台だった由比産婦人科の院長先生をやってた俳優さん。
優しい良い先生だったよね。
私がその俳優さんを観たのはそれが初めてだったので、由比先生のイメージが強くて、ユーチューバーのタイガになっていた時には、一瞬引いた。先生・・(笑)

🍓先日インターネット上でIDなどを設定する機会があり、設定を終えた翌日にそれを使った。
さすがに翌日なのでIDもまだ覚えていたが、ちゃんと紙に控えてもあった。
IDを入力したところで、次にパスワードを入れてくださいと出た。
パスワード・・・って?(パスワードはパスワードです!?)
なんとパスワードを設定した覚えがないのだった。
しかし仮パスワードが発行されたことを思い出して、スマホを見ながらそれを打ち込んだ。結果は不一致。
もうひとつこれかなぁというものを打ち込んでみたがそれも不一致。
あんまり次々とパスワードを入れ怪しく思われて使用禁止にでもなったら面倒だと思い、サービスセンターに電話した。
だけどこの段階でも私には「パスワードを設定した」という記憶が全くなかった。
パスワードは当然その電話では教えてもらえない。どうしても思い出せない場合には再設定になるというが、簡単にその場で再設定というわけにもいかないらしい。
そこで私はパスワードを連続して入力しても怪しまれない(使用禁止にならない)回数を聞いて、「頑張ってみます」と電話を切った。

🍓人間はランダムな英数字の文字列を記憶することが得意ではないだろう。
だからパスワードや暗証番号などについつい誕生日や電話番号やペットや子供の名前などを使ってしまうのだ。
そして得意ではないからこそ、同じものを使いまわす。
しかしそれ以上に、人間はランダムな英数字の文字列を作成することが苦手であると思う。
何故かと言えば、人間が有機体だからである。
*有機体*
生命現象をもっている個体、つまり生物。有機体においては各部分が互いに関係をもつとともに全体との間に内面的な必然的連関をもち、単なる部分の寄せ集めではない一つの統一体をつくる。広義には、こうした有機体の本質に類比させて社会・国家・民族をもいう。 〔organism; organic body の訳語〕
必然的連関を持つという特徴のある有機体だからこそ、自分や文字相互に関連のない単なる文字の羅列を作成することに対して、意識的にせよ無意識的にせよ、ある種の抵抗感を抱くのだ。人間の得意分野ではない。

🍓人間はランダムな英数字の文字列を作成することよりは、まだランダムな英数字の文字列を記憶することのほうが受け入れやすい。
それは「このランダムな英数字の文字列は、私のこれのパスワード」というふうに、新たに関連付けを行って記憶するからである。
その時点で「全く無意味な文字列の羅列」ではなく、「私のパスワード」に変わる。
ただ文字列の並び自体は自分とは関係ないものなので、それを記憶できるかどうかは、人それぞれであり、使う頻度などにも影響を受ける。

🍓猫がキーボードの上を歩いたことによって出来た文字列を、それを知らない人間が見ると、とうとうこの人は錯乱してしまったかと思う。というのは一昨晩のNHKのドラマ。

🍓パスワードの記憶のなかった私は、仕方なく記憶にある他で用いているパスワードを入れてみた。
やっぱり不一致だった。
IDの記憶がしっかりあるのにパスワードの記憶が皆無であるということ、これは結構恐ろしかった。まさにその部分だけ綺麗に切り取られたように「無」なのである。
一部分だけ完全に記憶が欠如してしまっている。まるで解離性健忘のようだ。
味覚障害を起こしていたこともあって、今度は記憶にまで及んだのかと思った。

🍓入力をやめ、もう一度設定場面を思い出し、冷静に考えてみた。
私はパスワードの記憶がない、そしてパスワードを設定した記憶もない。でもIDの記憶はある。
・・・・ということはパスワードはIDと同じなのではないか。そう思いついた。
そしてパスワードにIDを入れてみたのだ。
もっともIDとパスワードでは設定可能な最大文字数が違っていた。
私はIDを最大文字数で設定していた。
パスワードの最大文字数はそれよりも少なかったので、IDを入力しても文字数全部は収まらない。
パスワードの最大文字数までしか入力できないということだが、文字数を超えてキーボードを叩いてもエラーが出るわけではない。勝手に入力終了しているだけのこと。
一字一句文字数を数えながら打っていけば気が付くだろうが、覚えているものを空で打っているので気が付かない。
結果、やっぱりIDと同じパスワードで設定されていた(文字数はパスワードのほうが少ない)。

🍓IDやパスワードやメールアドレスなどを設定する時、確認のためにということで同じものを繰り返し入力することが多い。
特に今回は仮パスワードも発行され、それを入力した場面もあった。
結局同じようなことを何回も繰り返すことになるが、それが当然だと思っている自分もいる。
そういう状態のなか、新パスワードを入力してくださいという場面で、私は深く考えずに再びIDを入力したのであろう。
つまり指示をよく読まず確認せずに入力したという私のミスである。
それがエラーにならず、すーっと通ってしまった。
そのような設定場面では入力間違いなどエラーがあれば、次には進めなかったりして作業が終了することはない。
従って設定が終了したということは問題なく作業し終えたものと、こちらも思い込んでしまう。
新パスワードと思って入力したものはなかったのに、設定終了が通知されたので、私自身もそのことに気が付かず、不思議にも思わなかったということなんだろう。
しかもその日はその設定終了後の場面から、新たにIDとパスワードを入力しなおさなくても、直接問題なくログインできたので、尚のこと気が付かなかった。
こうして私からパスワードの記憶が消えてしまっていたというわけである。






by yumimi61 | 2019-07-21 11:30

コンサル

今日もまだアイドルの恋愛禁止話はお預けです。もったいぶっているわけではありません。大したことを書くつもりはないですので。


家政婦は見た

『コンプラ』に職業紹介事業(人材紹介)と労働者派遣事業(人材派遣)があるということを書いた。
引用したWikipediaの「職業紹介事業」の説明に次のように書かれていた。
民間による職業紹介事業で扱われる職種としては、看護師やマネキン、芸能関係などがある。看護師に限ったものは「ナースバンク」などと称されることがある。また、家政婦に特化した「家政婦紹介所」、マネキンに特化した「マネキン紹介所」、配ぜん人に特化した「配膳人紹介所」(若しくは、サービスクリエーター)などがある。

それで思い出したが『家政婦は見た』というドラマ。
主人公が”大沢家政婦紹介所”で家政婦の仕事を紹介してもらい、そこから展開されるドラマである。
私は2時間ドラマを何回か見たことがあるが(市原悦子さんが亡くなった時の追悼再放送も観た)、家政婦さんたちは”大沢家政婦紹介所”に住み込んでいた。
そして毎朝そこから勤務先のお宅へ出かけるという仕事の仕方であった。
個人宅から家政婦の依頼を受けたり、お金の管理をしているのは”大沢家政婦紹介所”の会長さん。
会長さんが大沢という名字らしいので、会長さんが”大沢家政婦紹介所”の経営者なんだと思う。
家政婦たちは給与を”大沢家政婦紹介所”の会長さんから貰っていた。
つまり、”大沢家政婦紹介所”は、「職業紹介事業」を行っているのではなくて、「労働者派遣事業」を行っているのだなぁと思った。
もしも「職業紹介事業」ならば、雇用関係を結ぶのは家政婦を依頼した御宅と家政婦であって、求職者が住み込み希望ならば住み込み家政婦を求めている御宅が紹介されるべきである。
会社の名称(大沢家政婦紹介所)と事業内容が異なっていて、紛らわしいというか誤解を与えそうだなぁという感想を持った。


ドクターX

紹介所のドラマと言えば医療ドラマの『ドクターX』もそうである。
あれは”神原名医紹介所”という所から大門ドクターが大病院に派遣されて仕事をするというドラマだった。
大門ドクターが「あきらさん」と呼んでいるのが所長の神原晶。所長もあけわりの元ドクター。大門ドクターと紹介所内でよく一緒に麻雀していた人である。
大門ドクターに仕事を探してくるのは、その所長のようだ。
ドラマの最後に決まって病院長に報酬の請求書を突きつけているのも”神原名医紹介所”の所長さん。
ドラマの中で大門ドクターは”神原名医紹介所”にての給料制だと言っていた。麻酔医の城之内ドクターは歩合制と言っていた。

【オープニングのナレーション】
・2016年、白い巨塔の崩壊は留まるところを知らず、命のやり取りをする医療は迷走を極めていた。
有名大学病院がブランド力の強化に奔走し、一方、高いスキルを持つ外科医は高額な金で海外に流出。
医学界はさらなるグローバルな弱肉強食の時代に突入した。
そんな中、どこの組織にも属さないフリーランス、すなわち一匹狼のドクターが現れた。
たとえばこの女。群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ。
外科医・大門未知子、またの名をドクターX。

・2017年、崩れかけた白い巨塔は再びその権力を取り戻し、命のやり取りをする医療は本来あるべき姿を完全に見失った。
そんな中、どこの大学医局にも属さないフリーランス、すなわち一匹狼のドクターが現れた。
たとえばこの女。群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ。
外科医・大門未知子、またの名をドクターX。


一度でもドラマを観てしまうと、「いやいや、彼女、フリーランスじゃないし」と思ってしまうのだ。
フリーランスとは早い話、個人事業主である。
大門ドクターはそうでなくて、”神原名医紹介所”と雇用関係を結んでいる医師である。
会社名が紹介所という名称ながら、「職業紹介事業」を行っているのではなくて、「労働者派遣事業」を行っている。
『家政婦を見た』と全く同じ様式である。
主人公が紹介所に住み込んでいるのも同じなのか、そこまでは私が観た限りのドラマでは分からなかったが。(城之内ドクターは自分の家に住んでいるぽかった)
とにかくドラマ全体の辻褄が合っておらず、医療ドラマということを考えると看過できない。

日本の医療は診療報酬制度に則っており、多くの国民は医療保険という皆保険の恩恵に与っている。
保険診療と保険外診療を併用することは原則として禁止されており、もし手術を自由診療にするならば入院や他の処置など全体が自由診療となってしまう。
そうなれば患者は莫大な費用がかかる。
そんな需要がこの日本にどれほどあるのか。現実離れしすぎている。
しかも手術が終わった段階で、”神原名医紹介所”の所長が病院長に請求書を提示し、病院長はたった今報酬額を知ったかのように驚いているが、事前に報酬や責任などの契約を結ばずに生命に関わる手術を外部に委託したなんてありえない。
多額の報酬を外部業者に払っておいて、患者は健康保険での診療を希望していたので既定の診療代しか病院に入ってこないとなれば、病院はたちまち経営危機に陥ってしまう。

医療行為というのは本来は委任契約に該当し、真摯に確実に行為を遂行することに努めるものの、結果に対して責任を取る必要はないのである。
だから成功報酬として上乗せするなんてことは出来ない。
手術をしても、手術が成功しても、患者が死亡することはある。
そもそも永遠の命などないのだから、いつかは皆死んでしまうわけだけれども。
死んだら幾ら、1年生きたら幾ら、5年生きたら幾ら、そういうものはなく、手術という仕事に対して費用が発生するだけなのだ。
もし成功報酬を上乗せしているとするならば、手術時の成功がゴールではないのに、5年どころか1年も待たずに、手術だけを絶対的な価値として多額の報酬をせしめる”名医紹介所”や、それに応じる病院は医療や健康をなんだと思っているのだと言いたい。

大門ドクターが派遣事業所である”神原名医紹介所”から派遣されたドクターだとすると、雇用契約は”神原名医紹介所”との間にあり、給料もそこからもらうわけだが、派遣先の指揮命令には従わなければならない。
従って「いたしません」とか好き勝手なことを言ってる場合じゃないのだった。
病院の指揮命令に従わない派遣労働者なんてすぐにクビだろうと思う。
ドラマではそうなっていないところがおかしい。病院はよっぽど”神原名医紹介所”に弱みを握られているのか・・という怖さしかない。


企業の働かせ方、労働者の働き方の選択肢

私は看護師・保健師・第1種衛生管理者の資格を持っているので、企業の安全衛生管理業務や健康管理業務を行うことが可能である。

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看護師・保健師ではなくて、看護婦・保健婦時代です。すみません・・


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そこで一つの例をあげてみたい。
例えば、B社という従業員が300名の会社があったとする。

労働安全衛生法にて、労働者の健康障害や労働災害を防止するために、全ての会社に健康診断が義務付けられ、50名以上の労働者がいる職場では産業医と衛生管理者を選任し、衛生委員会や(業種によっては)安全委員会を設置することが義務付けられている。
従って300名の労働者がいれば、産業医や衛生管理者が選任されていて、安全衛生委員会などが行われているはずである。

B社にはそれらとは別に健康管理室(保健室)があるものの、今現在そこには誰もスタッフが常駐していない状態である。
企業の健康管理室(保健室)は法的に設置義務があるものではないので、誰も居なくても構わないと言えば構わない。
応急処置や健康相談などが必要な場合には衛生管理者などがその都度出向いて行ってもよいし、産業医が来社した時に使ってもらうということもできる。
だけど部屋を作ったくらいなので、本来は専門スタッフがいたほうが望ましい(とB社の経営者は考えている)。

この時に経営者が採れる方法。
 1.自社で看護師や保健師を採用(雇用)する。
 2.派遣会社から看護師や保健師の資格を持つ人材を派遣してもらう。
 3.従業員に対する健康管理・応急処置・健康相談業務を、外部の業者に業務委託する。
 4.看護師や保健師と委任契約を結ぶ。


この時にもし私が個人事業主(フリーランス)として働くことを希望するならば、選択肢は4しかない。
私はB社の健康管理室にスタッフが不在であるということを聞きつけて、B社に委任契約を売り込みに行く。
それで話がまとまれば、委任契約を結ぶことになる。
契約締結後には、私はB社と契約した日数・時間だけ出社し、健康管理・応急処置・健康相談業務を行う。
B社と雇用関係にあるわけではないので、B社に指揮命令されて日々の業務をこなすわけではない。
任された仕事を自分の判断と力量で淡々と行えばよいのである。
委任契約なので結果や質に対する責任はない。従業員の健康が格段にアップしたなどいう成果(結果)を出す必要は別にない。
報酬は、単に1ヵ月幾らと設定することも出来るし、基本料+相談1件幾ら+応急処置1件幾らなどと細かく設定することも可能である。

しかし前述したように、そもそも個人事業主とは取引(契約)はしないという会社もあり、私は断られる可能性もある。

私が会社を個人経営していたらば、個人事業主ではないので話がまとまるかもしれないし、個人経営では心許ないと断られるかもしれない。


上にも書いたが会社は従業員に健康診断を受けさせることが義務付けられている。
そして労働安全衛生法に基づく各種健康診断の結果報告書を労働基準監督署に提出しなければならない。
また労働災害(通勤災害含む)が発生した場合にも報告義務があるし、労災保険の手続きなどもある。
そうした法律で義務付けられている健康診断業務や報告書の作成などは請負契約や業務委託契約の範囲になってしまうので、委任契約だけでは出来ない。
もしも私に請負契約の範囲の仕事をする意思があっても、個人事業主(フリーランス)では受けることが出来ないのだ。
2人以上の会社組織ではないと請負契約(業務委託契約)は結べない。

さらに言えば、もし私が会社を経営していてB社の健康診断業務や報告書の作成などを請け負ったとしても、私の会社が自社で健康診断を提供できなければ、結局のところ健康診断自体は外部の業者に依頼することになり、二重の請負(業務委託)になってしまう。
 ×会社⇒外部業者(健康診断業務や報告書の作成などを請け負い)⇒外部業者(健康診断の実施を請け負い)

しかし会社に雇用された従業員として、あるいは会社に派遣されている派遣労働者として健康診断業務を担当し、自分で計画し外部業者の選定と打ち合わせを行って請負契約を結ぶという形態ならば、健康診断の実施は外部業者が行っても、二重の請負(業務委託)契約にはならない。
 〇会社(雇用関係にある者が健康診断業務や報告書の作成)⇒外部業者(健康診断の実施を請け負い)

大企業ならば社内診療所に医療スタッフを雇用していて健康診断が社内で出来るという所もあるくらいである。
 〇会社(雇用関係にある者が健康診断業務や報告書の作成)⇒会社(社内診療所で健康診断を実施)

このように会社(会社と雇用関係にある者)が行う必要がある業務も存在する。




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by yumimi61 | 2019-07-19 15:58