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雅俗混淆

出来ない集団

前記事が耳と目の話だったので、今回は鼻のこと。

芥川龍之介の『鼻』は元話があり、その話を参考にして、そこから展開した話になっている。
『今昔物語』の「池尾禅珍内供鼻語」および『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材としている。
『今昔物語』の「池尾禅珍内供鼻語」と『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」は、同じ内容の話である。


京都に禅智内供という高僧がいた。熱心にお勤めされる僧で、そのせいか寺は繁盛し、多くの人が訪れ、弟子の法師もたくさんいた。
その高僧は鼻が長く、15~18㎝はあった。
(但しどうやら元々鼻の形体が大きいというわけではなく、腫れて大きくなっているようである。ある対処をすれば普通の人と同じサイズになるのだが、それでも2,3日もするとまた大きくなってしまうのだった)
大きな鼻の時には、鼻が口を塞いでしまうために食事がしにくい。そこで弟子の法師に鼻を持ち上げさせていた。しかしコツがあるようで、誰でも上手にサポートできるわけではなく、1人の弟子法師が担当していた。彼がいなければ食事は抜いていたほどだった。
ところがその弟子法師が体調を崩し、その役目が出来なくなってしまった。さてどうしたものかと困っているところに、1人の寺童(召使の少年であり弟子法師よりも地位は低い)が「私は今までの法師よりも上手に出来ます」と名乗りを挙げた。
その寺童は見た目が良かったので、他の者に比べると上の者から呼ばれることが多かった童だった。そして今回も呼ばれることになった。
実際やらせてみると、「今までの法師よりも上手である」と禅智内供も大満足。
ところが急に寺童は自分の鼻がムズムズしだし、大きなくしゃみをしてしまい、持っていた鼻が椀の中に・・・結果、禅智内供が食べていた粥が大散乱。
禅智内供は怒った。「情のない乞食小僧め!私ではなくもっと位の高い人の御鼻を持ち上げていてもこんなことをするのか。出て行け!」
追い立てられた寺童は隠れて言った。
「この世にあんな鼻をしている人が他にあるものか」
これを聞いた弟子法師たちも隠れて大笑いしましたとさ。

という話です。(私が要約・解釈したものです)

=鼻対処法=
たらいに湯を沸かし、蓋をして、その蓋に鼻が入るだけの穴を開ける。
そして鼻を茹でる(温める)。よって鼻の色は濃い紫になる、
その鼻を人が踏む。するとぶつぶつした穴ごとに煙のようなものが出てくる、さらに踏むと穴から白い虫が出てくるので、それを取り出す。
その後に、また鼻を湯に入れて茹でると鼻が小さくなる。


どうでしょうか。白い虫と書いてあるけれど角栓っぽくもないですか?
そうでなければ、粉瘤とかガングリオンとか脂肪腫とか、あるいは化膿しているか。
あるいはあるいは、気にし過ぎて触ったりいじったり対処しすぎで、腫れているだけとか。

食事時に鼻を持ち上げるにはコツがあったようなのだが、このコツというのは平常心ではないだろうか。
白い粥から白い虫を想像してはダメなのである。例え想像しても平常心を保たなければならないのである。
グロテスクな腫れ物と白い粥という組み合わせに、気持ち悪いと感じたり不快に思い、心乱して手元を狂わせたり、ムズムズしてははいけないのである。
すなわち、1人以外の弟子法師はそれが出来なかった。そして寺童にも出来なかった。
でも出来ないと言っても、その寺童は「気持ち悪い~」と言って逃げ出したわけではない。
くしゃみなんてものは不可抗力なので、禅智内供も怒ったりせずに許すべきだったが、それが出来なかった。
それだけではなく、わざと恥を書かせたのではないかと言う被害妄想的な意識に陥っている。
さらに言えば、「突然のことだから禅智内供も怒りの感情が抑えられなかったんだろう、仕方ない」と禅智内供の怒りを受容すれば良かったのだけれど、それが出来なかった。寺童は陰口を叩き、弟子もそれに乗ったということになる。
人間は緊張感のない時または緊張感を持った時、修羅場や追い込まれた時など、要するに予定外の出来事が起こった時に本性や本音が出るというけれども、結局のところ、高僧や繁盛している寺であっても、その本性や本音は俗世間と何ら変わるところなく、俗っぽい’出来ない集団’に成り下がることもあるというお話である。


他人の不幸は蜜の味

ダ・ヴィンチニュース
【1分間名作あらすじ】芥川龍之介「鼻」——不幸を乗り越えた人を素直に祝福できない自分はいませんか?

 禅智内供(ぜんちないぐ)という僧は顎の下までぶら下がった腸詰のような巨大な鼻を持つことで有名で、長年彼はその大きな鼻をコンプレックスに感じて苦しんでいた。ある秋の日、京から帰ってきた弟子が医者から鼻を短くする方法を教わってきたと言うので、内供はこれを試すことに。

 熱湯で鼻を茹で、それを弟子が踏む。そして出てきた脂を毛抜きで取り、再度茹でる。すると顎下まであった鼻は嘘のように萎縮し、常人のサイズと同じようになったのである。これでもう以前のように他人から嘲笑されることはなくなると安堵した内供だったが、2、3日経つうちに彼は意外な事実を発見した。

 鼻が短くなった彼を見た人々が、あろうことか以前にも増して笑うのである。内供は初め、これは顔が急に変わったせいだと思ったが、それだけでは説明のつかないような人々の嘲笑の様子に気味悪さを覚える。彼は再び塞ぎ込み、果てにはかつての長かった鼻を恋しがるまでになる。

 人の心には互いに矛盾した2つの感情があり、他人の不幸に同情するが、その人がどうにかして不幸を切り抜けることができると、今度はどこか物足りなさを覚え、もう一度不幸に陥れたいといったある種の敵意さえも抱くようになるのだ。その後内供は熱を出して寝込み、彼の鼻は元の大きさに戻る。こうなればもう誰にも笑われない、と清々しい気分になった。




芥川龍之介は、禅智内供が鼻を苦にした最大の理由は、食事の不便さではなかったと書いている。プライドを傷つけられるのが耐え難かったというのだ。
町の人達は、あの鼻だから妻になる女もいないだろうし、出家できたのかもしれないから、普通の鼻でなかったことは寺や僧になるうえではむしろ幸せなことだと思っていたそうである。(明治時代までは僧の妻帯は禁じられていた)
しかし本人はそんな幸せには露いささかも満足していなかった。ありきたりの幸せを望んでいたのである。
そして自意識過剰とも言えるほどに鼻のことが気になって気になって仕方なかった。

上のあらすじにあるように、自意識だけでなく他者の勝手気ままな振る舞いについても、次のようにも書かれている。
人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。


何だかんだ言っても不幸なんてものは自分や自意識が作り出すものであるという話とも受け取れるし、人間には裏表があるから真摯な態度や優しさや情けなども仮面に過ぎないという話にも受け取れる。
寺でも神社でもキリスト教でも新興宗教でもいいけれど、俗世間で宗教が繁盛するのは人間に不幸や悩みがあるからこそ。皆が皆幸せになったら商売あがったり。不幸な人が多いほど宗教繁盛。
それと同じで、社会的価値ある成功者を生み出すためには、多くのそうではない平凡であったり貧しかったりする価値のない落伍者が必要なのである。
でもそんなことを言っても、大衆受けするわけがない。


(続く)





by yumimi61 | 2019-09-16 13:13

往古来今

無駄骨を折る?

「芥川賞」で名高い芥川龍之介は日本一有名な作家であろう。
ではあなたはその著作をどれくらい読んだことがありますか?
おおかた、タイトルが挙がるのは、教科書に掲載されたこともある定番作品(有名作品)『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』程度ではないだろうか。
しかも、それがどういう話だったかと訊かれれば、これまた(さてどういう話だったっけ・・?)というような感じになるではないだろうか。

私は読書が足りないとか覚えが悪すぎるとか言いたいわけではない。
私自身はたぶん上に挙げた定番作品よりもう少し読んだことがあると思う。
でも私も、1つ1つどういう内容だったかと訊かれれば、ほぼ即答は出来ない。
なにも芥川作品だけではない。
私が買って今なお家の本棚に収まっている、芥川より新しい時代の作家の小説だって、どんな話だった?と訊かれれば、どれもこれも答えることは出来ないと思う。
つまり読んだ本の大部分は、その内容をことごとく忘れていく。

だとしたら、身を削りながら(?)、話を組み立て言葉を選び、推敲を重ねて完成させた小説に、いったいどれほどの意義があるのかという話にもなりかねない。
このことは、「学校の勉強が将来何の役に立つのさ」という話にも通じるものがあるかもしれない。


記憶(記録)と意識の関係

テレビでドラマを観ていたら、「刑事さんたちは保育園や幼稚園の先生のことをどれほど覚えていますか?覚えていないでしょ。私達はその程度のもなんです」というようなセリフ(保育園の先生役)があって、私はその言葉が胸に刺さった。
自分が保育園や幼稚園の時だった時の先生を覚えていますか?
確かに誰一人覚えていない。
名前、顔の輪郭、人物像、何もないに等しい。先生に教えてもらったこと、先生と遊んだこと、全く記憶にない。
ただ私はその時代に病気で入院をしたことがあり、何か月か園を休んでいた。復帰した時に園の先生の1人が私の登園手帳(出席ノート)にシールをいっぱい貼ってくれた出来事は覚えている。でもその先生の名前も顔も覚えていない。
登園していないのでシールが貼られなかった白いだけのカレンダーページがあったのだけれど、そこをどんどんシールで埋めてくれたのである。
今思えば、そんなことをしたら登園手帳の意味が全くないと言えばないんですけどね(笑)。
小中校だと誰一人覚えていないということはないけれど、覚えていない先生の方が多いと思う。

では何がどうやって強固な記憶に繋がるのだろう。
英語の覚え方ではないけれど、動きか、単純な反復か。それとも意外性か。個人の精神や感情と関係があるのかないのか。記憶もまた誰もが等しく経年劣化していくに過ぎないのか。

どちらにしても人は記憶というものにやや信頼を置きすぎなのかもしれないと思う。
人間の記憶なんて’その程度のもの’である。
だからこそ記憶媒体(記録媒体)が発達したとも言える。
記憶媒体(記録媒体)は人間が記憶を失うことを防ぐ。
だけどもともとが「その程度の記憶力しかない人間」だから、当然のことながら記憶媒体(記録媒体)によって人間の記憶は大きく左右されてしまう。
そのうえ人間は、記憶媒体(記録媒体)を用いて、いかようにも出来事を作り込んでいくことが可能である。
よって記憶媒体の出来事が事実と言えるかどうか、記憶媒体によって補強されている人間の記憶が正しいものかどうかと言えば、怪しいと言わざるを得ない。
少し前に、悲しみという実体のない意識が創り出した世界について書いたけれど、事実(記憶・記録)と意識の世界もボーダレスである。


河童には耳がない?

私は今回、芥川龍之介と河童について書くために、『河童』を読み直した。
そして大変驚いたことがあった。
河童には耳がないと書かれていたのだ。
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耳がない?
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耳がないと書かれていたのは、河童の国に迷い込んだ主人公が詩人の河童と音楽会に行く場面である。17に分かれた章の7章目。

(略)
 クラバツクは盛んな拍手の中にちよつと我々へ一礼した後、静にピアノの前へ歩み寄りました。それからやはり無造作に自作のリイドを弾きはじめました。クラバツクはトツクの言葉によれば、この国の生んだ音楽家中、前後に比類のない天才ださうです。僕はクラバツクの音楽は勿論、その又余技の抒情詩にも興味を持つてゐましたから、大きい弓なりのピアノの音に熱心に耳を傾けてゐました。トツクやマツグも恍惚うつとりとしてゐたことは或は僕よりも勝つてゐたでせう。
(略)
 クラバツクは全身に情熱をこめ、戦ふやうにピアノを弾きつづけました。すると突然会場の中に神鳴りのやうに響渡つたのは「演奏禁止」と云ふ声です。僕はこの声にびつくりし、思はず後をふり返りました。声の主は紛れもない、一番後の席にゐる身の丈抜群の巡査です。巡査は僕がふり向いた時、悠然と腰をおろしたまま、もう一度前よりもおほ声に「演奏禁止」と怒鳴りました。それから、――
 それから先は大混乱です。「警官横暴!」「クラバツク、弾け! 弾け!」「莫迦!」「畜生!」「ひつこめ!」「負けるな!」――かう云ふ声の湧き上つた中に椅子は倒れる、プログラムは飛ぶ、おまけに誰が投げるのか、サイダアの空罎や石ころや噛ぢりかけの胡瓜さへ降つて来るのです。僕は呆つ気にとられましたから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも興奮したと見え、椅子の上に突つ立ちながら、「クラバツク、弾け! 弾け!」と喚きつづけてゐます。のみならずトツクの雌の河童もいつの間に敵意を忘れたのか、「警官横暴」と叫んでゐることは少しもトツクに変りません。僕はやむを得ずマツグに向かひ、「どうしたのです?」と尋ねて見ました。
「これですか? これはこの国ではよくあることですよ。元来画だの文芸だのは……」
 マツグは何か飛んで来る度にちよつと頸を縮めながら、不相変静に説明しました。
元来画だの文芸だのは誰の目にも何を表はしてゐるかは兎に角ちやんとわかる筈ですから、この国では決して発売禁止や展覧禁止は行はれません。その代りにあるのが演奏禁止です。何しろ音楽と云ふものだけはどんなに風俗を壊乱する曲でも、耳のない河童にはわかりませんからね。
「しかしあの巡査は耳があるのですか?」
「さあ、それは疑問ですね。多分今の旋律を聞いてゐるうちに細君と一しよに寝てゐる時の心臓の鼓動でも思ひ出したのでせう。」
(後略)


これはいったいどういうことか。
河童という生き物には耳がないということなのか。
それとも、音楽を聴く耳を持たない河童もいるという意味か。
あるいは作曲者や演奏者など音楽家の中には耳がない者がいて、ひどい演奏がされることもあるから、演奏禁止があるという意味か。
河童と主人公の会話が成立しているということは、河童という生物に耳(聴力)が全くないとは思えない。
ということは、聴く耳のない河童がいる、誰にでも分かる良い音楽を提供できる耳を持たない河童の音楽家がいるということか・・・
でもそうだとしたら、画や文芸を見る目がない河童がいたっておかしくないと思うのだけれど・・・
ならば、耳を持たない音楽家はいるけれど、目を持たない画家や文芸家はいないということ?


何のために、誰のために、書くのだろうか

芥川龍之介が執筆活動を始めたのは1914年。東京帝国大学在学中のことである。
そして翌年1915年には『羅生門』を発表した。
上に教科書にも掲載される定番作品(有名作品)として挙げた芥川龍之介の代表作は初期のものである。

『羅生門』 1915年10月
(1915年12月に夏目漱石門下生となる)
『鼻』   1916年1月  ←この作品を夏目漱石が絶賛
『蜘蛛の糸』 1918年
 ・
 ・
 ・
『河童』 1927年
『蜃気楼』『歯車』『或阿呆の一生』『西方の人』『続西方の人』 1927年
自殺 1927年

※1922年には自殺を決心したことを小穴隆一に打ち明けようと思っていた。
1925年に実際に打ち明けた。


書いたからといって読まれるかどうか分からず、読んだからといって理解されているかどうかは不明で、読んだと言っても記憶には残らない。
いったい何のために、誰のために書くのか、そう思っても不思議はない。


夏目漱石なくして芥川龍之介なし

夏目漱石の門下生になった後に発表した最初の作品を夏目漱石が絶賛したという。
ではどのように絶賛したのか見てみよう。

サライ
夏目漱石、無名の文学青年・芥川龍之介の短編小説に仰天する【日めくり漱石/2月19日】
より
《あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)ていなくって、自然そのままの可笑味(おかしみ)がおっとり出ている所に上品な趣があります。それから材料が非常に新らしいのが眼につきます。文章が要領を得てよく整っています。敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます。しかし「鼻」だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんな事に頓着しないで、ずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です》

芥川龍之介の短編小説『鼻』を激賞する、日本文学史上、不可欠の手紙である。


『鼻』を読んだ夏目漱石が芥川龍之介に宛てた手紙だそうだが、大衆受けしないということが思いのほかはっきりと書かれており、私はこれを一般的な意味での絶賛や激賞と捉えるには少し抵抗があるが、いかがでしょうか。

この手紙によって、まだ一介の文学青年に過ぎなかった龍之介は大きな自信を得た。創作に取り組む心構えというものも教えられた。加えて、このあと続けて、一流雑誌の『新小説』や『中央公論』から龍之介のもとに執筆依頼が舞い込む。これも漱石の推薦があったことは想像に難くない。前者は漱石門下の鈴木三重吉が編集顧問に名を連ね、後者は漱石山房に頻繁に出入りしていた滝田樗陰(たきた・ちょいん)が編集長をつとめていた。

こうして、まもなく龍之介は大正文壇の寵児となっていく。のちに、この時期のことを回想し、龍之介は次のように書いている。

《夜は次第に明けて行った。彼はいつか或町の角に広い市場を見渡していた。市場に群(むらが)った人々や車はいづれも薔薇色に染まり出した》(『或阿呆の一生』)

漱石のもとに出入りする前の龍之介は、『羅生門』などの佳作を発表しても、仲間うちからもまったく評価されなかった。それどころか、かえって「小説を書くのはもうやめたらどうか」と意見の手紙を出してくる者まであったのである。


素晴らしい作品であるが大衆受けはしないと断言し、しかしそんなことは気にせずに邁進すべきとアドバイスしておきながら、広い市場に引っ張り出したのもまた夏目漱石だった。
「私は作品を評価しないし、大衆受けもしないであろう」、そう言われれば諦めが付いたかもしれないし、あるいは反発心がバネになったかもしれない。
でもそうではなかった。ある意味、生殺し、生煮え状態に置いたのである。
群衆は眼中に置かない方が身体の薬です、そう書いておきながら、群衆の目前に引きずり出した。
そのことをどのように受け取ったらよいのか、若い青年はどう感じただろう。
そしてその夏目漱石は、芥川が市場デビューしたその年、つまり1916年12月には亡くなる。
船頭もいないオールもない船は、徒広い海を彷徨うしかなかったのではないか。


感性を仕事にすること、個人の幸せを追求することの難しさ

――彷徨う作家、芥川は煩悶したはずだ。

大衆に受けずとも、大衆に嫌われても、自分の書きたいものを書いていくべきなのか。
命を削って、お金にも名誉にもならないものを、なぜ書く必要があるのだろう。はたして書き続けることが出来るんだろうか。
いやそうではなくて、命を灯し続けるために書かずにはいられないということか。

それともやはり大衆に迎合すべきだろうか。
お金も名誉も手に入れれば、幸せな人生が待っているのではなかろうか。
大衆に歓迎されないものは自己陶酔と自己満足にしか過ぎない霞のようなものかもしれない。
そもそも生活していくにはお金や物質が必要であろう。それを得るために書くならば結局、大衆に迎合しても己のために書くということに他ならない。
いや違うかもしれない、一人ならもっと気楽であろう。家族を養うために稼がなければならないのだ。
書くことは信念でも思想でも風刺でも批判でも評論でもない、ただ単に仕事であるということかもしれない。




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by yumimi61 | 2019-09-15 11:07

釈根灌枝

・私は夏の胡瓜(きゅうり)が結構好きなのだが、今年は春に夏野菜の胡瓜苗を1本も植えなかった。
だから当然1本たりとも生らない。
(当然と書いたけれど、植えなくてもカボチャとかプチトマトとか前年に落ちた種から勝手に生えてくる野菜もある。ゴーヤも何年かは勝手に生えてきたけど、今年は出なかった)
いつぞやの夏なんてあまりにも胡瓜が出来過ぎて、乾燥胡瓜まで作ろうとしたほどだったのに。
それでも夏野菜なので時期になればスーパーでも直売所でも安く売られるのが常だが、今年の夏は売っている胡瓜もあまり安くなかった。
さらに、例年は実家に行くと、お隣の方が胡瓜をくれたりすることもあるのだが、今年は1回しか貰わなかった(とはいえ、いつもいろいろとありがとうございます)。
ということは、今年の夏は胡瓜が不作だったんだと思う。
日照不足か、なんだかんだ言っても夏野菜には気温が足りなかったということか。

・胡瓜と言えば、かつて私は郷里というタイトルでひとしきり胡瓜のことを書いたことがある。
過去記事『郷里』(2008年9月17日)

・日本語でカッパと言えば、「河童」か「合羽」である。
「河童」は、日本の妖怪。魑魅魍魎。
「合羽」は、雨合羽、レインコートのことである。
「河童」は、英語でもKappa(日本のものだからそのまま)。もしくはJpanese specterとかJapanese monstarとか?
「合羽」(勝羽と書いた時代もあったらしい)は、Raincoat。レインコートがカッパと呼ばれるようになったのは、ポルトガル語のcapa由来。capaはポルトガルのキリスト教宣教師が着ていたマントのことだそうです。

・芥川龍之介は『河童』という小説に「どうか Kappa と発音して下さい」というサブタイトルを付けた。
ということは、河童を「かっぱ」ではなく、例えば「かわわらべ」とか「かわわら」とか「かわわらわ」とか読んでいたこともあったのかなあ?(山童と書いて、「やまわら」や「やまわらわ」と読む)
それともただ単に日本語ではなくて英語にしてという意味だろうか。

・日本語ではなくて英語、でひとつ閃いたことがある。
それは、利根川。
川の流域面積日本1位、川の長さ日本2位。
利根川は群馬県大水上山(標高1,840m)に源を発し、関東地方の北西部より関東平野を南東に流れ、千葉県銚子市において太平洋に注ぐ日本を代表する大河川です。流域面積は我が国最大であり、水源から河口までの支川を含めた流路延長は約6,700kmになります。古くから人々の生活を支え、親しまれ、今でも首都圏の水利用はその大半を利根川に依存しています。(国土交通省関東地方整備局)
利根川は、Tone River、つまり利根(Tone)は英語だと、トーン!
音に関係したトーンとなるわけですよ。


芥川龍之介の囘想 小穴隆一
『河童の宿』より

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久米は芥川のいたづらをみると、芥川が河童が馬に蹴とばされたところを畫くのを待つてて、どれと言ふなり芥川龍と書き、似てゐるだらうと言つてゐた。本郷の江知勝で三人が飯を食つた時のあそびである。


僕はまだ河童をみてもをらず、河童といふものが地上に棲息するかどうかも知らないが、「君、つらつら考へてみるとたつた四人の客では、風呂の釜も毀れるのがあたりまへだよ、君、」とあとで芥川が言つてゐた布佐行、そもそも書く會をやらばやの僕ら、僕らはなぜ芥川の伊豆箱根説を退けて布佐行を擇んでゐたのか、いまにして思へば、僕らは芥川を河童の畫の名題の妙手、小川芋錢のゐる牛久沼のほとりへ無意識に誘つてゐたといふことになるが、僕ら芥川、碧童、遠藤たちの四人が、我孫子で降りて、布佐の辨天を振出しに、青い物のない景色にもひるまず、川の流れに沿つてただ歩きに歩き、日暮れて行きつくところで泊つた旅籠屋、ああいふのが河童の宿かも知れない。大の男が四人もそろつて冬の利根川べりを何なすとなく、何話すとなく、終日歩るきそのまた翌日も歩いてゐたといふことは、全くもつて利根の河童に化かされてゐたのかも知れない。
河童の宿の主は、釜が毀れてゐるからすまないが錢湯に行つてくれと湯札をだした。(湯にはいかなかつたが、女郎屋の入口を皆で見てすぐ戻つた。)旅籠賃があまりに安いので、それ相當に、四人の頭で壹圓の茶代をだすと、手拭のかはりに敷島四個をうやうやしく盆の上にのせてよこした。僕はその旅籠屋を河童の宿と思つてゐるが、宿の主のはうでは僕らを河童だと思つてゐたのかも知れない。
なぜならば、女中は四人の床を昨夜は並べて敷いておいた、朝になるとそれが昔のロシヤ帝國の旗のやうに襷になつてゐた。僕らはほの暗い電燈の下を中心にして臥せりながら、顏をつき合せて卷紙に歌、句、畫などを畫いてゐただけであつたのであるが、人の寢るその恰好にはそれ相應の恰好があらうといふもので、僕らのやうな眞似をしてゐるものこそ、宿の人には利根の河童にみえたかも知れない。




前記事に芥川龍之介が自殺を決心した後に詠んだとされる短歌を紹介した。
  この句⇒ 橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭  芥川龍之介

その短歌と同じく’橋の上’という言葉が入る俳句がある。
  水洟も郷里艶めく橋の上   飯田龍太

飯田龍太
1920年7月10日 - 2007年2月25日
山梨県出身の俳人。飯田蛇笏(俳人)の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。


1920年生まれだから、芥川龍之介が死んだ時には彼はまだ7歳。もっとも父親も俳人だったけれども。
この歌を取り上げたのは、’橋の上’が芥川の短歌と共通していたからだけではなく、’水洟’も共通しているから。
芥川を想ってか、何かしらの影響を受けて詠んだものではないかなぁと私は想像するけれど、決して想像の域は出ない。
次の俳句は芥川龍之介が詠んだ水洟の俳句である。

  水洟や鼻の先だけ暮れ残る  芥川龍之介

辞世の句とも言われているが、実際に自殺直前に創作した俳句だったのかどうかは分からない。
自殺する前日(深夜)に、芥川は同居の伯母に「これを明日主治医に渡してほしい」と託したそうであり、そこに書かれていた俳句だったという。そして前書きに「自嘲」とも書かれていたそうである。

主治医は下島勲という人物であり、彼も医師でありながら俳句を詠んだ俳人であった。
1870 - 1947年。日本の医師、俳人。号は空谷(くうこく)。
長野県伊那郡原村(現・駒ケ根市)出身。上京後苦学して商業学校、ついで東京慈恵医院医学校を卒業し軍医となる。日露戦争などに従軍して陸軍一等軍医となり、1907年軍隊を退く。東京の田端に医院・楽天堂を開業。書画・俳句などを通じて芥川龍之介・室生犀星・久保田万太郎・菊池寛・板谷波山・萩原朔太郎ら多くの文士・彫刻家・画家などと親交を深めた。芥川とは特別懇意になり主治医としてその最後を看取った。また郷里の伊那に埋もれていた井上井月を紹介した。甥に下島連がいる。


俳句は575のたった17文字の世界である。
だからぶっちゃけ誰か知らない人の詠んだ俳句を心底理解することなんて到底無理な話である。
その人を本当によく知っていて、その人がどんな状況やどんな心境でいた時に、いつどこで詠んだが分かって、初めてぼんやりとその意味が見えてくるのではないだろうか。





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by yumimi61 | 2019-09-13 17:50

引古証今

そんなものが何になる!

詩人の死ぬや悲し   萩原朔太郎

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟(しげき)し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞(はに)かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈(はげ)しく言つた。
 「著作? 名声? そんなものが何になる!」

 独逸(ドイツ)のある瘋癲(ふうてん)病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
 あの傲岸(ごうがん)不遜(ふそん)のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁(し)みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める為(ため)に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞(うつろ)な悲しいものであつたらう。
 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」

 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚(ばくりよう)たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷(とうごう)大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為(な)すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。

 それ故(ゆえ)に諺(ことわざ)は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善(よ)しと。だが我我の側の地球に於(おい)ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!
 
(『行動』1934年11月号)



鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し。
人の将に死なんとする、その言うや善し。

『論語』より

<意味>
鳥の死にぎわの悲鳴には、人の胸をえぐるような悲痛さがこもっている。
人が死を前にして言うことばには、真実がこもっている。


鳥がまさに死ぬ間際に発する鳴き声は物悲しく、人の胸を打つ。
同様に、人間がまさに息を引き取ろうとしている時に口にする言葉は、誰の胸をも打つし、悪いものなどない。
なぜなら、その内容がどのようなものであれ、その人にとっては偽りがなく、真理を含んだ言葉であるからである。
また、人間本来の善性に立ち戻っているからだとも言える。



芥川賞でお馴染みの芥川龍之介は、1927年に自殺した。享年35歳。
日本一有名と言っても過言ではないだろう作家は自殺によって亡くなっており、35年しか生きなかったのだ。
彼は「芥川賞」をどう思うのだろうか。


芥川龍之介と室生犀星と萩原朔太郎

萩原朔太郎は群馬県生まれの詩人である。
今年の2月に室生犀星のことを書いた時に登場した。
過去記事『小景異情』『抒情

萩原朔太郎と室生犀星は1913年以来親友だった。
そして、芥川龍之介が自殺した当時、室生犀星は芥川邸の近所に住んでいたのだという。

死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。

また、死の直前に
「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭」
と河童に関する作を残した。



餓鬼(芥川の俳号)の句

「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭」が死の直前に残したとあるが、1920~1922年頃に書かれたと思われる芥川龍之介の手帳の中に記されていたものという説もある。
もっとも小穴隆一の回想によれば、芥川は1922年には自殺を決めていたという。

 芥川は十五年の四月十五日に自決することを僕に告げた。さうしてその後しばらく僕らは鵠沼で暮らしたが、その鵠沼で芥川は星が一つ足りない北斗七星を畫いて、それに、霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉、と書いて「君、これがわかるか、」と言ふので「わかるよ、」と言ふと、畫いたものを座布團の下にさしいれていつた。星一つ落してゐるのは、この世から消えゆくことを言つてゐるのだが、霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉といふ句は、十一年の晩秋、僕の足の痛みがリウマチといふ下島のみたてであつたので、しばらく伊香保にいつてゐることになつたときに、芥川が留別の句として示したものであつた。
 芥川は、僕が足を病み隻脚となる、さうして、義足で一人歩きができるやうになるのを待つてやうやく心の底を告げた。
 芥川は退院してからの僕に、「僕はあのとき、どうしようかと思つたよ、」と言つてゐたが、あのときといふのは、芥川が留別の句を僕に示してゐたときのことで、芥川は僕に先きに死なれたらどうしようと思つたと言ふのであつた。

(十五年は大正15年で1926年、十一年はその4年前で1922年)

小穴隆一
日本の洋画家、随筆家、俳人。
両親は長野県出身で、小穴は父の任地の長崎県において生まれた。小学校を終えるまでは北海道函館市で暮らし、その後は開成中学校にすすんだが、洋画家を志して中退した。
1919年、瀧井孝作(俳人、小説家)に連れられて芥川龍之介邸を訪れ、以後芥川の親友となる。芥川の遺書にも名前が出てくる人物。


橋の上ゆ 胡瓜なくれは(投ぐれば) 水ひひき(響き) すなはち見ゆる 禿(かぶろ・かむろ)の頭

「橋の上ゆ」を「はしのうえゆ」と読めば、6文字でいきなり字余りで語呂が悪い。「橋上ゆ」で5文字にしても良かったと思うけれど、本当に「の」が入っていたのかしら。

意味としては・・
橋の上から胡瓜を投げれば水が響き その時に見える禿の頭(→河童)
ということになりそうだ。
河童の好物は胡瓜として知られている。


小説『河童』

 前出の小穴によれば、芥川は小説『河童』を書上げればもういつ死んでもよいと言っていたそうである。

『河童』どうか Kappa と発音して下さい。
芥川龍之介が1927年(昭和2年)に総合雑誌『改造』誌上(3月号)に発表した小説である。

当時の日本社会、あるいは人間社会を痛烈に風刺、批判した小説であり、同じ年の芥川の自殺の動機を考える上でも重要な作品の一つであるといえる。芥川の晩年の代表作として有名で、芥川の命日7月24日が「河童忌」と呼ばれるのもこのためである。

副題には「どうか Kappa と発音して下さい。」という半ば不可解な言葉が記されている。

物語は、ある精神病患者の第二十三号が誰にでも話すという話を語ったものであるとして進められる。3年前のある日、彼は穂高山に登山をしに行く。その途中で彼は河童に出会い、河童を追いかけているうちに河童の国に迷い込む。

上高地の河童橋は本作以前に存在しており、むしろ「河童」橋の名称の方が本作の着想に影響を与えたと思われるが、本作の発表および芥川の自殺によって、より知名度が上がることになった。



河童橋(かっぱばし)
長野県松本市安曇上高地の梓川に架かる木製の吊橋。
1891年(明治24年)に初めて橋が架けられた。全長37m、幅3.1m、長さ36.6mのカラマツ製の橋。中部山岳国立公園内の標高約1,500mに位置する。この橋から穂高岳、焼岳などの山々を望むことができる。上高地を象徴するのシンボルの一つである。毎年4月27日にアルペンホルンの演奏と共に橋の袂で『上高地開山祭』が開催されている。

河童橋という名前の由来には諸説あり、
昔ここに、河童が住みそうな深い淵があったため。
まだ橋のなかった時代、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていたから。
などがある。
1927年、芥川龍之介が小説『河童』の中で、上高地と河童橋を登場させたこと(および芥川が同年に自殺したこと)でより有名になった。



死の前に残した作品

『河童』を書き終えたらいつ死んでも良かったはずなのに、その後にもちょこちょこと書いている。

『河童』と同時期、あるいはその後に書かれた短編小説。
『誘惑』『蜃気楼』『浅草公園』『歯車』『或阿呆の一生』(『河童』以後の発表で早い順。死後に発見され発表された作品もあり)

『蜃気楼』
芥川龍之介の短編小説。初出は『婦人公論』1927年3月号。芥川が自殺する半年前に書かれた作品で、当時芥川をはじめとした文学者たちが逗留することで知られた湘南の鵠沼を舞台とし、主人公の「僕」が「芋粥」という短編を書いているなど私小説的な雰囲気が色濃い。また志賀直哉の『焚火』の影響を受けているという指摘が複数ある。 副題は「或は『続海のほとり』」。『海のほとり』は1925年の芥川の短編で、やはり「僕」が友人と海辺をふらつくという物語である。
この晩年の掌編はごく短いものであるが「歯車」などに劣らぬ数の評論が書かれており、三島由紀夫もこの作品を「不思議と」好む人間の多いことを記している。


『歯車』
芥川龍之介の小説。芥川は1927年(昭和2年)服毒自殺を図るが、生前に第一章が雑誌「大調和」に発表され、残りは遺稿として発見された。『河童』、『或阿呆の一生』、『西方の人』と並ぶ晩年の代表作で、遺稿中では唯一の純粋な小説である。執筆期間は1927年3月23日から4月7日までとされる。ストーリーらしいストーリーはなく、芥川を自殺に追い詰めたさまざまな不気味な幻視、関連妄想が描かれている。

「僕」は知り合いの結婚披露宴に出席するため東京のホテルに向かう途中、レエン・コオト(レインコート)を着た幽霊の話を耳にする。その後事あるごとに季節はずれのレエン・コオトが現れ、「僕」は段々と不気味になってくる。披露宴後そのままホテルに逗留して小説を執筆しだしたとき、「僕」は、義兄がレエン・コオトを着て轢死したことを知る。
レエン・コオトだけでなく、復讐の神、黄色いタクシー、黒と白、もぐらもち(もぐら)、翼(飛行機)、火事、赤光など、過去の罪の残像とも、死の予告とも知れないものが繰り返し現れることに、「僕」はおびえ、苦しみ、夜の東京の街を逃げ回るように彷徨する。ときおり「僕」の視界には半透明の歯車が回るのが見える。やがて「僕」はホテルを出て、家へ帰るが、激しい頭痛をこらえて横になっていると、妻は「お父さんが死にそうな気がした」と言う。

妻の文は後年、追想記でこの作品のラストシーンが事実であったことを明かしている。


『或阿呆の一生』
芥川龍之介作の短編作品。雑誌『改造』1927年10月号に掲載された。
1927年の芥川自殺後に見つかった文章で、自分の人生を書き残したと思われている。友達への遺書の中に、この事が詳しく記されてある。冒頭部分には久米正雄宛ての文章がある。
「先輩」として谷崎潤一郎、「先生」として夏目漱石、発狂した友人として宇野浩二が登場する。
断章の総数は51。



芥川は自殺の前日に脱稿したのは『続西方の人』というエッセイ・評論。
続とあるようにその前に『西方の人』を書いている。

『西方の人』
芥川龍之介のエッセイ、評論。1927年8月、雑誌『改造』に初出。1927年7月10日に書き上げられ、「続」と銘打たれた『続西方の人』(『改造』1927年9月)は、自殺前夜に脱稿された。読み方には「せいほうのひと」、「さいほうのひと」の両説がある(青空文庫では後者を採っている)。

芥川が自裁を前にしてクリストの一生を自身の一生となぞらえ、あるいは対置しながら描いたものとされる。新約聖書の福音書、特にマタイ福音書をベースに、項目を拾い出し、37の短い章が立てられている。「西方の人」が語られる時は、必然的に「作者の死」と深く関わってくる。「作者の自画像=クリスト」なのか、あるいは「クリストと作者の距離」があるのかという議論が繰り返されてきた。芥川の作品の中でも特に論評が多い作品である。

又、作品の末尾に描かれるクリストの最後を表現した「折れた梯子」が、「天上から地上へ登る」と形容されている事から、生への希求が表現されていると主張する一派が生まれた。「地上から天上へ登る」の誤記ではないかとする人たちとの論争は、平行線のまま解消されていない。最近は当時の言説全体からの位置づけなどが課題になっている。






by yumimi61 | 2019-09-12 17:12

コンジェスチョン

自殺2か月前のツイート
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あなたならどうですか?

自殺した高橋まつりさんのお母さんは、「命より大切な仕事はありません」と言いつつも、「自分の命より大切な愛する娘」とも言っている。

そこで私は考えてみた。
何を考えたかと言うと、「自分の命より大切な愛する娘」ということである。

1)自分は妊娠していて、自分のお腹の中には女の子がいたとする。
私はその胎児を愛している。胎児であっても私にとっては「大切な愛する娘」である。
だけど医師から「その子供を産んだら、あなたは死ぬかもしれません」と言われた。
「どれくらいの確率で死にますか?」と私は訊く。
この時、医師の返答が、「50%の確率です」だったなら・・・私は出産に臨むかもしれない。
だけど「99%死にます」とか「80~90%の確率で死にます」と言われれば・・・出産しない方を選ぶような気がする。
ということは、「大切な愛する娘」よりも「自分の命」を選択したことになる。「自分の命より大切な愛する娘」であるとは言えなくなるだろう。
しかもこれ、他にもすでに子供がいるかどうか、自分の代わりに子育てをしてくれる人がいるかどうかによっても選択は異なるだろう。
私的には胎児が男の子か女の子は関係ないと思う。

⇒動植物ならどうか?
親が生きようが死のうが、他のきょうだいがいようがいまいが、子育てする人がいてもいなくても、ちゃんと生まれ育つ保証があってもなくても、出来たものは生み落とすという選択肢しかない。


2)自分の子供が重病に罹患したとする。
救える可能性があるのは臓器移植のみで、母親である私が適任であることが分かった。
しかし医師はこうも言う。
「但し現在の医療技術ではお子さんにもあなたにも生命の危険が伴います」。
「生命の危険の確率は?」「ともに50%くらいです」
正直、このケースのするしないの選択は、いろんな意味で怖いし悩むと思う。
そしてこの場合、周囲の目を気にしたり、社会の雰囲気に流されたりしそうな気がする。
もっともこれも他にもすでに子供がいて、その子が何歳で、自分の代わりに子育てをしてくれる人がいるかどうかなどにも影響されるだろう。

⇒動植物ならどうか?
自然界では臓器移植なんかしない。
不幸にも病気になったら死んでいくしかない。
でもそこに人間が介在すれば、人間と同じような治療が行わることはある。だけど人間は動植物の意思なんか確認しない。人間本位、人間の都合で、するしないを決定する。

3)目の前で自分の子供が殺されそうになっているとする。
この場合にはすぐに抵抗するだろう。
あれこれと考えて行動を起こすということではなく、たぶん咄嗟に身体が動いたり声を発したりする。これはもう本能だと思う。

⇒動植物ならどうか?
動物も子供が幼いうちにはそうすると思う。
でもそれは動物の種類とか、オスとメスによっても違うのかもしれない。
植物は自分ではめったやたらに動けないし声も出せないから、そもそも不可能。自分の子供という区別もつかないかもしれない。

4)自分の子供が殺されたとする。
自分の命よりも大切な子を殺されたから、返り討ちや死刑覚悟で直接的な反撃(復讐)に出るかどうか。
私はとても出来そうにない気がする。
私は死刑制度について思いを巡らせるとき、死刑の執行ボタンを被害者の遺族に押させたらどうかということを考える。もちろん希望する遺族者にだけという条件で。
被害者が極刑を望むと言っているのはよく見聞きするけれど、それですっきりするのかどうか。少しは復讐になるのかどうか。少しは悲しみが癒えるのかどうか。

⇒動植物ならどうか?
弱肉強食の自然界に悲しみや復讐心ってあるのだろうか?興味ある。
自分の子供が殺されたというケースでないにしても、動物が人間に刃向ってくる時などは、何かしら恨みつらみを抱いているものなのか。
そんな精神や感情は全くなく、本能的行動であったり、ただ単に大きさの違いや力の強弱や生活様式の差が人間にとって好からぬ結果を生じてしまうだけなのか。

5)自分の子供が自殺したとする。
自分の命より大切で愛していた子供だった。だから後追い自殺するか。
たぶんしないし、自分も死にたいなぁと思っても出来ないと思う。
でもそれは、平常心だからそう思うだけであって、心が病気になって本当に疲れてしまったら、何も考えられずに死んでしまうこともあるんだろうか。
それはそうなってみないと分からないことだとも思う。

⇒動植物ならどうか?
動植物に自殺ってあるのかなぁ?
細胞レベルの自殺ならあるけれども。
人間も含めて多細胞生物である動物や植物には、アポプトーシスと呼ばれる細胞の自殺がある。この細胞の自殺もプログラミングされていて、生命維持には効果的に働いていると考えられているものである。
単細胞にはそれがない。
地球の初期の生物は全て単細胞であった原核生物や原生生物だったとされる。
つまり死が身近ではない生物の時代があったということである。
単細胞生物
単細胞ということで、単純な生物だと判断するのは大きな間違いである。単一の細胞だけで世渡りする彼らは、多細胞生物の細胞より遙かに複雑で、全体の多様性も極めて広い。また、原生生物の場合、個々の機能のための特別な器官のようなものを発達させるものも少なくない。
単細胞の限界としては、体を大きくするのが困難だったことが挙げられる。
単細胞で大きくなることの問題点の一つは、大きくなると核の支配を細胞全体に行き渡らせることが難しい点にもあるらしい。 また、乾燥への対応も難しいようだ。しかも陸では体を支えるのがさらに困難である。単細胞で大きなものはなく、乾燥に対しては休眠で耐えるもの以外にはないようである。


わたし?

私は若い時に目を腫らして出勤したことがあるよ。
目が腫れたのは殴られたわけじゃなくて前の晩に泣いたから。
朝になって瞼がぷっくり腫れていて焦って冷やしたりなんだりするのだけれど、後の祭り。
上司に「どうした、何かあったか?」くらいは、言われたような気がする。
わたし「いえ、何もありません。え?め?腫れてます?もともとこんな感じですよ、奥二重だし」

あまり泣くと次の日に形跡が残る。学校や女子社会ではそれをそんなに気にしたこともなかったけれど、会社では何となくばつが悪い。
だけど泣きたい時もある。
それでどうしたらよいのか、対策をリサーチしたら、目をこすったり涙を拭いたりしないで泣けば腫れないらしいということが分かった。
涙放置、垂れ流し泣き。決して人には見せられない。
社会で生きて行く女は人には見せない顔を持つ。な~んて。


何のために、誰のために、生きるのか

上に書いた単細胞生物は細胞分裂によって個体が増えていく。
これを無性生殖と呼ぶ。クローンはこのタイプになる。
生殖細胞が融合して、遺伝子を交換し、新たな個体を発生させる有性生殖ではない。
よって無性生殖では基本的に親と同じ性質の個体が発生する。
単一の細胞だけで新しい個体を生み出す単細胞生物は、多細胞生物より遙かに複雑な細胞を持っている。
だからこそ無性生殖が可能であるとも言える。

STAP細胞は多細胞生物の体細胞からクローンを作ろうとしたのである。無性生殖を目指したということであるが、多細胞生物の細胞はそれに耐えうる細胞ではないはず。

多細胞生物が無性生殖を目指すとしたら、一番可能性が高いのは栄養生殖だろうと思う。自身の栄養器官で子を作っていく方法。
イチゴの苗は匍匐茎で、ラズベリーの木は地下茎でどんどん増えていくのだけれど、これも栄養生殖という無性生殖である。
栄養体として分化した器官が、繁殖のために分化した形をとっていく。
でもどんどん増えると言っても、もちろん環境が整っていなければ増えることにも育つことにも限界がある。イチゴやラズベリーには土がなかったらダメだし、土地の酸性度が変われば成長に影響を与えかねないし、水が一滴も降り注がなければ枯れてしまうかもしれないし、光のない暗黒の世界ではダメだろうし、適度な気温も必要だし、周囲に他の強く勢いのある逞しい植物が生い茂って光や栄養や水分を奪われ続けたらちゃんとは育たない。


原子の地球に生まれた生命体は単細胞1つであり、そこから全て進化してきたのか。
それとも幾つかの単細胞生物が同時に生まれ、進化の系統は複数あったのか。
はたまた、最初から単細胞生物と多細胞生物がいて、初めから枝分かれした状態で置かれたのか。
この辺りの違いによって、必然なのか偶然なのか、創造主の意図なのかそうでないのか、といった考えも変わってくるような気がする。

もし原子の地球にいたのは単細胞生物のみで、そこから多細胞生物、すなわち多種多様な植物や動物や人間が誕生してきたとするならば、多細胞生物になることで半永久的な命を手放したということが言える。

一人の人間はとても弱いけれどそれでも みんながみんなが集まれば強くなれる~♪
という歌があるけれど、多細胞生物の1つの細胞もまた、それほど強いものでも優秀なものでもない。だからこそ寄せ集まって何かを可能にしたり強くなったりする。
細胞1つのサイズを大きくすると弊害が生じてしまうので単細胞生物は複雑な細胞を持ってはいるが、大きくなることは難しい。
細胞が1つではなく寄せ集まった多細胞生物は、必然的に単細胞生物よりもサイズは大きくなる。
そしてこのことを考えつめていくと、動植物にとってサイズが大きいということは、実は生命体としての弱さの裏返しなのではないかと思う。
細胞がそれほどまでに集まらなければ生き延びられなかったからこそ、大きくなったということである。

有性生殖となり、半永久的な命を手放し、弱く単純な細胞の集まりである生命体(種)が生き延びようとする時、どうするか。
なるべく条件の良い、つまり、弱点を補いあうことが可能な遺伝子(生殖相手)を求めて残そうとするのではないだろうか。
もちろん意識的にそんなことは考えていないけれど、無意識はそれを知っているというか。細胞レベルでは知っているというか。
無意識を心や直観と言い換えてもよいかもしれない。
少なくとも人間は生殖相手が誰でも良いなんてことはないはずだし、沢山産めば産むほど良いとも思っていない。
そこに愛や選択を介在させるわけだが、本当に大切なのは目の前に並べられた見てくれや条件ではなくて、心や直観に忠実であることなんだろうなぁと思う。
心や直観に忠実になって無意識や細胞レベルで知っていることに辿り着く必要があるが、様々な情報が溢れていて、いろんな人間がいて、自分の心や直観というものも分かりにくくなっていると思うし、そもそも1人では完結しないことでもある。
よって愛や選択を介在させる性や生は最初から心許なく、生命体として他の動植物と比較した場合にはリスクが高いことは間違いない。

でもまあ、人間は誰のために何のために生きているのかと言えば、愛や選択のために生きている、ということになる。





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by yumimi61 | 2019-09-10 14:00

コンシール

時間外労働と自由度

電通事件はどちらも時間外労働の多さによる労働の過酷さが問題視されたわけだが、時間外労働時間についてはあくまでも推定時間となっている。本人より申告されていた時間外労働の時間はもっと少ない。

男性社員の1ヶ月あたりの残業時間は147時間にも及んだとされる
遺族側弁護士の推計によると、1ヶ月の時間外労働は約130時間に達し、過労死ラインといわれる80時間を大幅に越えていた。電通は労使協定で決められた残業時間を越えないよう、勤務時間を過少申告するよう指示していたとみられる

推定時間外労働時間(本人が申告してた時間ではなく実際にはこれくらい残業していただろうと遺族やその弁護士が推定した時間)が130時間や147時間は確かにかなり多いが、これが純粋に時間外労働だけの時間なのか、それとも休日出勤した時間も時間外労働時間としてまとめているのか、そのあたりはこの記述では分からない。
とにかく、もしも製造業の現場作業者がこんなに時間外労働したら、健康を損なうのは必至である。

男性の方は日中は広告勧誘企業や制作会社との連絡や打ち合わせに追われ、企画の起案や作成を時間外に行っていたそうで、会社で徹夜をしたこともあったようだが、この場合には、仮眠や食事など本来は労働時間に含まれない時間が挟まれていると考えられる。
こういう働き方の場合には、外出先で私用を挟んだり、会社に居たが途中抜けして私用を済ませるなどといったことも十分に考えられ、会社にいた時間=労働時間ではないことが多くなる。
営業職など外出が多い職種、社内の福利厚生施設が閉まってしまう時間にも労働している従業員、日常的に深夜まで残業している、あるいは徹夜する従業員などは、上記のような理由でタイムレコーダーだけで労働時間を管理することができないため、みなし労働制の対象にしたり、労働時間や残業時間を申告制にしたりする。
そうなると、仕事をするもしないも、申告するもしないも、本当に本人次第なところがあり、一筋縄ではいかない。

自宅に帰ってこないというのはもっと曖昧で、会社にいたのか、同僚と食事したり飲んでいたのか、趣味や遊びに興じていたのか、恋人の住まいに入り浸っていたのか、いろんな理由が考えられ、全て時間外労働していたとは言い切れない。

時間外労働時間にしても、所定労働時間が実働7時間の会社の従業員が、一般的によくある実働8時間と同じだけ働けば、それだけで1時間残業したことになる。
1ヶ月毎日そうしたとして、1ヶ月の所定労働日が20日ならば、20時間の残業が付くことになる。
もともと就業規則上の条件が良い会社では、そういうことになるのだ。
休日出勤は時間外労働とは通常別にカウントして手当ても変わってくるものだが、事件記事だからとざっくり時間外労働に含めたとすれば、月に4回土曜日に出社して8時間働けば、32時間の労働時間となる。
9時半出社で、8時間勤務(うち1時間残業)して、18時半に退社。その他、月に4回土曜日に出社した。これだけで20時間と32時間で52時間の時間外労働となる。


残業をする理由と健康度

残業が多いという人にもいろいろな人がいて、心身の健康状態も様々である。

①どちらかと言えば好きで残業をしていて、心身ともに健康
 ・残業代目当て
 ・自宅に帰りたくない症候群(帰宅恐怖症、帰宅拒否症)
 ・会社や仲間といるのが好き
 ・とにかく仕事が好き

②どちらかと言えば好きで残業をしているが、心身の状態はあまり良くない
 ・残業代目当て
 ・家に帰りたくない症候群(帰宅恐怖症、帰宅拒否症)
 ・会社や仲間といるのが好き
 ・とにかく仕事が好き

③仕方なく残業をしているが、とりあえず心身は健康
 ・残業代目当て
 ・こなすべき仕事が終わっていない
 ・使命感や責任感に駆られ、且つ時間内に納得した仕事が出来ない
 ・定時退社しにくい(残業する者が非常に多い、性格的に定時退社に気が引けて出来ない)
 ・残業は上司の命令
 ・上司という立場、あるいは管理職であり部下より先に帰るわけにはいかない

④仕方なく残業をしていて、心身の状態もあまり良くない
 ・残業代目当て
 ・こなすべき仕事が終わっていない
 ・使命感や責任感に駆られ、且つ時間内に納得した仕事が出来ない
 ・定時退社しにくい(残業する者が非常に多い、性格的に定時退社に気が引けて出来ない)
 ・残業は上司の命令
 ・上司という立場、あるいは管理職であり部下より先に帰るわけにはいかない
 
従業員の健康管理をする立場から考えれば、指導や調整を一番しやすいのは④、一番しにくいのは①である。
③と②はケースバイケースで、どちらがとは、はっきりと言いにくい。
上司と部下の組み合わせが、①上司&④部下という場合には、様々な面においてリスクが高くなる。①上司&③部下も予備軍である。


問題の本質はどこにあるのか

様々な情報から読み取った印象では、電通の自殺した2人の若い従業員は、残業を好きでやっていたようではない。
入社してまだ1年2年というところであり、何をするにも他の従業員よりも不慣れで手際が悪く時間がかかり時間外にずれこみ、時間外労働が増えたという可能性もなくはない。
特に近年の新入社員は、社会人や会社人としてのあれこれや仕事の基本的なノウハウを教える研修期間・試用期間が長くなる傾向にあるという話も聞く。
身体的な健康には特段異常はなかったようだ。
心の健康度は外部からは計りにくい上、時期によっても違うことが考えられる。さらに亡くなってからの推測はバイアスもかかりやすい。よって何とも言えない。
でも上記の状態に当てはめれば、③か④だったと考えられる。

④という状態にあって、本人あるいは周囲が不調を認識しており、さらに不調の原因が会社にあったならば、然るべき対応を取りさえすれば最悪の事態は避けられた可能性もある。
不調を発見したり相談したり、指導や調整をするといった対応に関しては、やはり大企業の方が進んでいるはずである。
よって認識していながら、その対応を会社が怠ったということになれば、大企業だけに批判されても仕方ない。

③の場合は、残業負荷は大きかったかもしれないが、とりあえず心身の健康は保たれていたとなると、ただちに自殺に至るとは考えにくい。健康な状態から突発的に死んでしまうことまでは予想できない。


懸念されるのは、時間外労働にばかり注目してしまうと、他の問題や真の自殺原因、自殺の引き金になった出来事を覆い隠してしまう恐れがあるということ。
この世の中にはいろんな人がいるから、同等の、あるいはもっと多くの時間外労働をしていても自殺しない人もいる。
そんなのは当たり前だと言うかもしれないが、だとしたら彼らもまた自殺しなかった可能性だってあるということになる。

(注)私は決して時間外労働を無条件に是認しているわけではありません。


命より大切な仕事はありません vs 命より大切な仕事はあります!?

亡くなった高橋まつりさんのお母さんはシンポジウムで「命より大切な仕事はありません」と訴えた。
「命より大切な仕事はあります」と主張したのは、この夏7月の参院選に千葉選挙区から出馬した平塚正幸さん(37歳)。
この方、「NHKから国民を守る党」から出馬したようなのだが、「NHKから国民を守る党をぶっ壊す党」代表らしい。

NHKなんちゃら党はNHKをぶっ壊す党とかなんとかという名称じゃなかったんでしたっけ?
「NHKから国民を守る党」の党派の「NHKから国民を守る党をぶっ壊す党」?
すみません、ちょっと混乱して、意味がよく分からないのですが、どういうことなんでしょうか。

政見放送の経歴放送(ナレーション)では・・・
 千葉県選挙区 NHKから国民を守る党 平塚正幸 37歳
 NHKから国民を守る党をぶっ壊す党代表
 「さゆふらっとまうんど」という名の社会活動家
 YouTuber
 千葉出身

「NHKから国民を守る党」から出馬しておきながら、「NHKから国民を守る党」にも今回は自分にも投票しなくてよいと言っているのですが、ではなんでここから出馬?
また、よく「NHKから国民を守る党」の候補になることが許されましたよね?
スクランブル放送には反対しているようで、「NHKから国民を守る党」に幾つか質問したけれど返答がなかったみたいだけれど、そのお詫びに出馬させてもらったとか?

さゆふらっとまうんどHP ブログ
 命より大切な仕事はあります。
 より部分抜粋

それは自分が生まれてきたことによってこの世に残した未来が、自分が生まれてこなかった未来より、良い社会に変えるという仕事です。
つまり、公益を社会に残すということです。
しかもこれは人間が漏れなく持っている生まれてきた目的であり、責務です。

我々が生まれきた目的は、公益を後世に残すことです。
それは人が生まれきた目的ですから、命と同等またはそれ以上に価値があることなのです。
私の言う「仕事」に命を懸けずして、なぜ人は生まれてきたと言えるのでしょうか?
人は、生まれてきた責任を全うしなければ生きている意味はありません。
生まれてきた目的を果たさずして生まれてきた意味はないのですから、命より大切な仕事はあるのです。

逆に、後世に地獄を受け渡す助けをして死んでいくのなら、「貴方は生まれてこなければよかった」ということになってしまいます。
自分可愛さに目先の楽に甘んじ、命を後世の幸福に受け渡せないのなら、存在は公害ですから「貴方は未来の為に生まれてこなかったほうがよかった」、「貴方が生まれてこなかったほうが未来はよいものになっていた」ということになります。

「命より大切な仕事はない」という言論は、個人を大切にするという言論から個人主義、自分さえ良ければよいという社会風潮へと誘導されています。

確かに、人の命は尊い。
しかし、それは命を正しい方向に擦り減らし、「公益に寄与しなくては、生まれてきた意味、生きている意味などないんだ」、という強さがあって初めてその尊さが生まれます。
命を尊いものにするのも、軽いものにするにも、すべて当人の行動次第です。
何もしない人または、公益とは逆の方向に動く人を、「貴方の命は尊い。生まれてきた意味があった。」ということはありません。
それらの人達に対して公益有る人間等も含めて一律に等しい価値であるはずがないのです。
人は等しくチャンスと教育を受ける権利、人権を持っていますが、本人の行動次第でその人の価値の重みが変わるのは事実としてみるべきです。
本人の行動次第では生きる価値がない人間になることができるのです。

生物の普遍性に沿った人の公益ある行動の一つは、子孫を残すということでしょう。
しかしながら、その生まれた社会環境が、人の善意に沿って形作られた社会設計でなければ、後世の行動が「公益にならないように誘導される」ということになってします。

我々は、我々の為に生まれてきたのではありません。
後世の為に生まれてきたのです。
後世が、自分自身と同一と捉えられるなら、それは自分の為とも言えるでしょう。
命より大切な仕事はあるのです。

死をもってしてでも公益を生み出し、未来への責任を果たす。その自害、自殺を私は悪いことであるとは思っていません。
自分の命は自分の物であり、それをどうゆう形で終わらせるかも当人の自由であるべきだと私は思っています。死んだらそれで終わりです。目の前に自殺しようとしている人がいたら私は止めるでしょう。しかし、本人の意思を一番に尊重すべきだと思います。人はいつか死ぬのです。人は自由なくこの世に生まれてくるのですから、死ぬ自由があっていいのではないかと思っています。自分の意志で生まれてきたのではないのですから、自分の意志で終わりを選んでもいいのではないかということです。



以下、記事の解説 だそうです。


電通の仕事は、公益にはなりませんから、公益有る命より大切な仕事とは言えないでしょう。
電通(時事通信)は、民放マスコミの報道の指揮系統として機能しています。
電通社員の死の原因は複合的なもののはずです。その原因を一つに絞るということは、他の複合的原因の隠れ蓑にする行為です。

なぜ死んだのか?
このたった一つの問題を掘り下げれば、電通の闇だけでなく、社会毒や愚民化政策などから世界構造までもが見えてくるのです。
それらまで掘り下げて考え行動することが、死者を重んじ、今を生きるものができるより意味のある行動です。

このお母さんは娘を無くした悲しみから「命より大切な仕事はない」と言っているのは明らかです。お気持ちはお察しいたします。
しかし、その発言が労働基準法をより企業にとって厳しいものに変えることで、内部留保を抱えている大企業しか営めない「企業のNWO化」の流れを推し進める方向への変化の契機に寄与してしまっていることもまた事実でしょう。

もし私が殺されたら、私の死を当たりにした母親は同じことを思うかもしれません。
しかし、それが「僕の生き方なんだよ。悲しまないで。ごめんね。」
としか言いようがありません。
「何をして生きていくか。」それは当人の意思であったはずなのです。
子を産んだ瞬間に、子の死を見る可能性もまた同時に生まれるのです。
そして同時にその本人が自らの意思をもって歩んでいくこともまた受け入れなければいけません。


私も先日、スティーブ・ジョブズの「死はたぶん、生命の最高の発明。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。」とも言っていたスピーチを紹介し、地球や生命体の持続には死が最大の貢献になるという話を書いた。
その考え方に似ていると言えば似ているが、少なくとも私は「そもそも有機体システムに精神や感情が存在することが最大の謎にあたる」と思っていて、人間は公益を社会に残すよう努めるべきとか良い社会に変えるべきとか、そういう類の話で書いたつもりはない。

高橋まつりさんのお母さんは、「命より大切な仕事はありません」と言いつつも、「自分の命より大切な愛する娘」とも言っている。






by yumimi61 | 2019-09-09 16:09

コンテント

もうひとつの電通事件

若い人は知らないだろうし、若くない人も多くは忘れて記憶がない、あるいは知らないだろうと思うけれど、電通は高橋まつりさんの前にも若い従業員の自殺で騒がれたことがあった。
この時は労基法違反で会社が起訴されたということではなく、自殺した男性の家族が会社を相手取って民事訴訟・損害賠償請求を起こしたのである。
知らないし忘れただろうと書いたけれど、この件は社会に一定の影響を与えた。

電通事件
1991年8月27日に電通の社員が過労により自殺した事件、およびこの社員の長時間労働について使用者である電通に安全配慮義務違反が認定された判例である。
「過労自殺」という概念はこの事件によって初めてクローズアップされるようになったといわれる。

電通に入社して2年目の男性社員(当時24歳)が、自宅で自殺した。男性社員の1ヶ月あたりの残業時間は147時間にも及んだとされる。
遺族は、会社に強いられた長時間労働によりうつ病を発生したことが原因であるとして、会社に損害賠償請求を起こした。これは、過労に対する安全配慮義務を求めた最初の事例とされ、この訴訟をきっかけとして過労死を理由にした企業への損害賠償請求が繰り返されるようになったといわれる。
2000年、この裁判は同社が遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審した。
判決では、酒席で上司から靴の中に注がれたビールを飲むよう強要されたり、靴の踵で叩かれるなどの事実も認定された。


1991年に自殺して、裁判の結審は2000年。
会社も争ったので、最高裁までもつれ込んだ。
遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審したからまだ良いようなものの、裁判は時間もお金もかかり、一個人がこれをやるとなると負担は大きいだろう。


新旧波及

ヤフー知恵袋 2017年1月9日より
Q
1991年に起きた電通事件の被害者大嶋一郎氏の父親久光氏の勤務先を教えてください。
電通は超一流企業ですが、大嶋氏の出身大学は東京都内にある一般私大です。
電通は、コネ入社を行うことで有名な企業なので、政財界の偉い方のご子息ではないか興味があります。
私も同時期に同様な加重勤務で「過労死」こそは免れましたが、自殺未遂を起こし、今でも「うつ病」の後遺症で苦しんでおります。
私は、以前「障害年金の給付」を求めましたが、認められませんでした。
しかし、2015年に起きた電通事件で、政府の対応は一変しましたので、救済が受けられるのではないかと期待しております。私は東大卒ではありませんが、都内の超一流私大の出身です。
今回の電通事件での対応は、政府が働き方改革実現会議を提言していることが影響しているとは思いますが、 被害者が東大卒で、可愛い女性であるためとの、「ひがみ」もあり、質問する次第であります。
被害者のプライバシーに関することで申し訳ありませんが、訴訟を起こした事件であり、その程度の内容は オープンにしても差し支えないと思っております。よろしくお願いいたします。


1991年に自殺した電通の従業員は、1966年(昭和41年)11月生まれの男性。
1990年3月に明治学院大学の法学部を卒業。
浪人か留年か、それとも留学や休学があったのか分からないが、1966年生まれで1990年3月の卒業では、ストレートよりは1年遅い。
(高橋まつりさんもストーレートより1年遅く大学卒業し入社しているが、1年間北京の大学に留学していたということなので、その期間なんだろうと思う。文科省を通した留学のようだけど、留学先で取得した単位が日本で在籍している大学の単位に出来なかったということになる)
1990年4月に電通に入社。同年6月、ラジオ局ラジオ推進部に配属される。

就職後も彼は自宅で両親とともに暮らしていた。
入社時及び定期健康診断でも色覚異常以外の異常所見はなかった。

配属当時は当日中に帰宅していたが、8月頃より翌日の午前1,2時頃に帰宅するようになった。
さらに帰宅時間はどんどん遅くなり11月頃になると翌日の午前4,5時頃の帰宅になっていた。
それ以降は社内で徹夜し帰宅しない日や父親が利用していた東京都港区所在の事務所に泊まる日が出てきた。
初年度の有給休暇は10日与えられていたが、取得したのは0.5日だったという。

2年目の1991年になると、自宅には帰宅しない日が多くなった。
帰宅したとしても朝帰り(7時頃)で、8時頃には再び自宅を出た。
(余談だけど、テレビ朝日のドラマ『警視庁・捜査一課長』の捜査一課長も自宅に帰ったと思ったら、電話が来てまたすぐに仕事に戻るというのがお約束パターン。奥さんが用意したご飯も食べずに出て行くが、奥さんは刑事の鏡刑事の妻の鏡みたいに寛容で優しい。完全に時代に逆行した描写であり観ているだけでヒヤヒヤするが、猫とのシーンが和むので結構好きな場面でもある)


当時の電通の労働環境

彼の主な業務内容は、広告勧誘企業関係者と制作会社との連絡・打ち合わせ、企画の起案と作成だった。
上司の評価は悪くなかった。(文書として残っている)
1990年秋に会社が行った調査において本人は、企画が通った時の喜びなどを記していた一方、不満としては慢性的に深夜まで残業あることを挙げていた。

1990年当時の電通の就業規則では次のように決められていた。
 ・就業時間 9時30分~17時30分(うち休憩時間1時間)で実働7時間
 ・休日 原則として週2日

一般的に多い就業時間は、8時から17時まで、8時30分から17時30分、9時から18時までで、うち休憩1時間の実働8時間というもの。
実働時間を減らしている場合には休日が週1日となる会社も決して少なくなかった。
それに比べると電通の規則の実働7時間、休日週2日、これは法定労働時間よりも短い。

法定労働時間
1日につき8時間、1週間につき40時間を超える労働をさせてはならない。

法定労働時間ぎりぎり実働8時間を就業規則で定めている企業がほとんどだが、大手広告代理店の電通は実働7時間としていた。
実働8時間の場合の最低年間休日日数は105日である。これも最低ラインを採る企業が少なくなかった。

また労基法の改正により1988年よりフレックスタイム制が導入可能になったので、1990年にはフレックス制度が導入されている企業や適用される部署もあった。
フレックスタイム制では始業及び終業の時刻を該当労働者の決定に委ねることが出来る。
この場合、清算期間(1ヶ月以内の期間で、労使協定で定めた期間)を平均し、1週間あたりの法定労働時間(1日につき8時間、1週間につき40時間)を超えない範囲内において、1週又は1日の法定時間を超えて労働させることができる。

さらに36協定(労働基準法36条)というものがある。
労働基準法第36条では、法定労働時間の例外として、あらかじめ労働組合等と使用者が書面による協定を締結し届け出ることによって、法定労働時間を超えた時間外労働や休日労働をさせることができる。
当時は、この協定を締結して、労働基準監督署に届け出れば、実質上限なく時間外労働に従事させることができた。


残業上限と実際

労働基準法第36条に基づき、電通と労働組合で締結された36協定において、男子従業員の時間外労働の上限は1日につき6時間30分と定められていた。
1日という単位では、電通の所定就業時間が17時30分までだったので、そこから6時間半の残業が可能、すなわち深夜0時までは残業が出来ることになっていた。
但し月間の上限も定められていたので、1ヶ月毎日それだけ残業していたら36協定違反となる。
当時、ラジオ推進部では1ヶ月に付き60時間または80時間を1ヶ月の残業時間上限にしていた。

一口に36協定違反といっても、協定というのは労使双方が納得して結ぶものであるので、結んだ協定に関しては両者双方に義務や責任が生じてくるものであろう。
従って、一方的に違反することを強要された場合以外は、違反についても両者双方に責任が生じてくるものと考えられる。

電通では予め所属長より残業許可を得てから残業することと決められていたが、実際には事後報告が少なくなかったとのこと。
自殺した彼の残業時間がどうだったかと言うと、会社に申告された残業時間は月間残業時間を超えている月もあるし、超えていない月もあった。(但し実際の残業時間はもっと多かったらしい)

彼に限らず、労使間で36協定を結んでいるにも関わらず、それを超える残業時間を申告する者もいた。一方、実際の残業時間よりも少ない申告(過少申告)をしていた者も少なくなかった。
個人や部署によって、残業時間、残業の在り方や申告に大きな差が有り、このことは会社と労働組合の協議においても問題として挙がっていた。
会社側は残業する従業員へのフォローの一環として、夜22時~朝5時の深夜帯に業務に従事した者に対しては就業規則で定めた所定労働時間を例外的に取扱う制度を設けていたほか、午前0時以降に業務を終了したが朝定時に出勤しなければならない従業員に対しては会社負担でホテル宿泊も提供されていた。
しかしそれらの制度は新入社員にはあまり利用されていなかった。


亡くなった1991年8月の出来事

1990年4月入社の彼は、1991年4月からは入社2年目ということになる。

彼はその年の8月3日~5日(月~水曜日)の3日間、旅行のために会社を休んでいる。
8月1日2日が土日なので、合わせれば5連休ということになる。

8月24~26日(月~水曜日)は、取引先企業が長野県内で行う行事に立ち会うため長野県に出張した。
前日8月23日(日曜日)も会社に出勤しており、18時頃に自宅に帰宅。そして22時頃に自家用車で長野県に向けて出発したという。
この辺りがどうもおかしいのである。一般的な社会常識(会社常識)からすると不可解である。

都内から長野県への出張が電車など公共交通機関利用でも社有車でもなく自家用車移動だった。
出張の移動時間は労働時間には含まれないため、時間外手当なども付かなくなる。(但し必要な荷物を運搬したり監督したりする場合には含まれる)
ガソリン代や高速料金は出張旅費として精算出来たかもしれないが、自身で夜間に長距離を運転するとなれば一時も休めない状態であり心身への負担はかなり大きくなる。また万が一事故を起こした場合などには保険の問題なども生じてくる。

前日に出発しているわけだが、前泊にしては出発が遅すぎる。
そして宿泊先がラジオ推進部班長の別荘だったというのだ。
会社の出張で、会社が前泊を認めていたならば、ホテルに宿泊すべきだろう。
出張に行って上司の別荘に宿泊なんて公私混同もいいところではないか。
これは本当に業務出張だったのか?

自宅に帰宅したのは8月27日の朝6時頃。「体調が悪い、病院へ行く」と弟に話していた。同日9時頃に欠勤すると会社に連絡。10時頃に風呂場で首を吊って亡くなっているのが発見された。

自殺後に行われた裁判などでは、残業の多さなどから遅くとも8月上旬頃までにうつ病になっていたとされた。
8月24~26日の長野での行事が終わり肩の荷が下りてほっとした反面、終わることのない長時間労働の日々を思うとむなしくなり、うつ状態が悪化して、衝動的・突発的に自殺に至ったと認められた。

彼は1991年8月に入ってから、「自分に自信がない」「自分が何を話しているのか分からない」「眠れない」と言うようなことがあったそうである。これは別荘上司の回顧によるものである。
またその上司は長野の別荘で彼の異常な言動に気が付いたとも証言している。
どちらも自殺後の発言であり、ある意味”死人に口なし”状態である。



150.png 明日に続きます。台風が無事に通り過ぎますように)



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by yumimi61 | 2019-09-08 10:16
人々の感情に訴えるものは何か?

電通の若い女性従業員が自殺し、電通が労働基準法違反容疑で書類送検されたということで、ニュースを賑わしていたことが一時あった。

2015年(平成27年)12月25日、新入女性社員が、社員寮から飛び降りて自殺(過労自殺)した(享年24)。
この社員は2015年4月の入社後、デジタル・アカウント部に配属され、インターネット広告を担当していたが、本採用後の10月以降に仕事量が急増。遺族側弁護士の推計によると、1ヶ月の時間外労働は約130時間に達し、過労死ラインといわれる80時間を大幅に越えていた。電通は労使協定で決められた残業時間を越えないよう、勤務時間を過少申告するよう指示していたとみられる。女性社員個人のTwitterには過労だけでなく、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントの被害を窺わせる書き込みがされていた。
2016年(平成28年)9月30日、三田労働基準監督署は、この社員が自殺したのは長時間労働によりうつ病を発症したのが原因と判断し、労働災害(労災)を認定した。


マスメディア、電通という有名な大手広告代理店(日本最大、世界5位の広告代理店)、新入社員、若く美人な女性、そんな女性がクリスマスの日に自殺。
自殺の原因が過労(長時間労働)にあったとして労災認定される。自殺との因果関係が公的に認められたに等しい。
そして電通に捜査が入り書類送検されるはめになり裁判沙汰になった。
労基法違反が罰金刑とする略式命令ではなくて、正式に起訴されて公開裁判になることは極めて異例であった。
このように、そうでなくても人目を引く要素が満載である。

しかし一方、長時間労働があり労災認定もされ、会社側が裁判で糾弾されたということで、きわめて四角四面な型にはまった自殺にもなった。
言い方を変えると、社会性を帯びた自殺というか、お役所的な自殺というか。
お役所的というのは、恋愛の悩みや痴情のもつれ、親子の確執などきわめて私的な原因による自殺ではなく、公に繋がるというかお役所仕事を呼び込む要素がある自殺という意味。
よって報道から受ける自殺の印象もかなり固いものとなった。

しかしながらこの一件、少し多角的にみると、最初に持つ固い印象とは違う感じも受けるのだ。


なぜオーソドックスな選択や努力をすべきなのか、それはいらぬ疑いを掛けられないためである

『週刊朝日』で働きたかった高橋まつりさん 
電子書店パピレス(犬耳書店)ルポ・エッセイ
  『電通の深層』著:大下栄治 発行:イースト・プレス


書店だけに(?)著作権に厳しくコピーが出来ない状態になっており、さらに著作権についても次のような記述があるので、文章はリンク先に飛んで読んでください。

株式会社パピレスが提供する著作物は全て、著者若しくは、出版社等の著作権保有者から、株式会社パピレスが自動公衆送信の許諾を得ています。
自動公衆送信においては、お客様が個人的に利用される場合に限り、公衆回線/専用回線を通して著作物をお客様の端末に表示すること、複製保存することが認められています。

著作権保有者の同意を得ない下記の行為は、著作権及び著作者人格権侵害となるため、禁止します。
(1) 著作物の全部または一部を修正、変更、翻案、編集、切除等、改変する行為
(2) 著作物の全部または一部を解析したり、派生物を制作する行為
(3) 著作物を第三者に複製、複写、頒布、貸与、譲渡、自動公衆送信する行為

万一、上記に該当する行為が行われた場合、著作物に埋め込まれた著作権管理情報を用い、然るべき処置をとらせていただくことがあります。
なお、ホームページ自体の著作権は株式会社パピレスに属します。



上記のルポ・エッセイ(ドキュメント)によれば、かつて『週刊朝日』の編集長を務めていた山口一臣さんという方は高橋まつりさんと親交があったそうなのだ。
高橋さんは大学生(東大)の時に、『週刊朝日』でアルバイトをしていたそうであるが、そのきっかけが東京大学の入学式の模様を伝えるテレビの情報番組だったという。彼女はインタビューされ、「将来は週刊朝日で働きたい」と答えていた。
それをテレビで見ていた週刊朝日の編集部員がすぐさま編集長に報告。
編集長は直ちに編集部員を集めて「この子を探し出してきて」と命じた。
それから1ヶ月後、別の編集部員が知り合いの伝手を辿って、めでたく彼女を週刊朝日編集部に連れてきた。
彼女は編集長の「アルバイトをしないか」に二つ返事し、以来、卒業するまでそこでアルバイトをしていたとのこと。

東大入学生として偶然にインタビューを受けていた名も分からぬ学生だったということだが、東大の合格発表の際に、すでに『週刊ポスト』のグラビアにも取り上げられてもいたそうで、だったらすぐに見つかるんじゃない?と思うけれども。その伝手で見つかったということなのでしょうか。


高橋まつりさんは静岡県出身。
彼女のお母さんは、彼女が中学2年生の時に、子供(彼女と弟)を連れて家を出た。以来、市営住宅に暮らしていた母子家庭だった。
その中学時代に一発奮起して東大を目指すことを決めたという。
環境の変化は心境の変化をもたらしたということなのでしょうか。

高校は静岡県沼津市にある加藤学園暁秀高校に進んだ。私立の中高一貫校なので高校から入学したということになる。
高校には、特進クラス、進学クラス、アルファクラス、バイリンガルクラスがあり、どこのクラスにいたのかは分からない。
バイリンガルコースは英語で授業を行うようだ。

国際バカロレア資格認定校である。また、文部科学省からスーパーイングリッシュランゲージハイスクールに指定されていた。 国語以外の授業を全て英語で行うバイリンガルコースがメディアでも紹介された

偏差値は特進クラスで62、バイリンガルクラスで58である。
この偏差値は静岡県内の私立高校では上位2,3の偏差値であるが、静岡県全体でみると上位は公立高校が占めているため287校中の28位となる。
かつてはどこの県でも公立高校の受験には学区制というものが存在していて、現住所地に縛られ、どこでも好きな学校を受験できるという環境にはなかった。今はその学区制が撤廃され、全県制になっているところが多い。群馬県もそうだし、静岡県も同様である。
縛りが無い状態で、中学時代から東大を目指していたならば、上位公立高校への進学(沼津市への通学が希望ならば沼津東とか)のほうがはるかに現実味があったと思うのであるが・・。
学校関係者の皆様、生徒・学生諸君、大学進学アドバイザーの方々いかがでしょうか。
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(表の出典)http://www.katoh-net.ac.jp/GyoshuHS/university-02.php

さらに一般的な感覚からすると、母子家庭になってから中高一貫の私立校の高校に入学するというのは、いろんな意味で何かと大変な気もする。
母子家庭だった高橋家は裕福ではなく、まつりさんが中学高校時代に家で読んでいた週刊朝日は離れて暮らす祖父が自分が読み終わったものを送ってくれていたのだという。
そんな家庭環境であったが、特待生となり高校の3年間授業料は免除であり、本人はそれを自慢にしていたという。
公的に母子家庭救済制度があるので高校の学費的には母子家庭となったことが幸いしたのだろうか。
でも授業料だけじゃないもんね。
私立高校の多くには特待制度があるのも確かだが、対象となる人数やその範囲は学校によって違う。学校授業料だけを免除するのか、施設費(学校給付金)も免除するのか、さらには修学旅行費も免除するのかなど、学校や成績などによって違う。免除されていたのが純粋に授業料だけとすれば、公立高校より費用はかかる。
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(表の出典)https://hoken-kyokasho.com/public-hs-fee


北京の清華大学に中国政府奨学金で留学

高橋まつりさんは逆境を乗り越え、東京大学に現役で合格したという。
そして大学3年の時には北京の大学に1年間ほど留学していたそうだ。

お母さんの発言より
娘は、高校卒業後、現役で大学に入学しました。大学3年生の時には、文部科学省の試験に合格し、1年間、北京の大学に国費留学しました。帰国後も学問にはげみ、持ち前のコミュニケーション能力を活かし、就職活動にのぞみました。そして、早い時期に内定をもらい、大手広告代理店に就職しました。
娘は「日本のトップの企業で、国を動かすような、様々なコンテンツの作成にかかわっていきたい。自分の能力を発揮して、社会に貢献したい」と夢を語っていました。


上記のルポ・エッセイ(ドキュメント)によれば、清華大学に1年間、中国の国費で留学していたそうだ。
だとすれば、中国政府奨学金留学生だろう。
学費の他、住居費や生活費まで支給されて、もちろん返済は必要ない。
募集ルートは複数あり、倍率は比較的低い。
「そんなに美味しい(儲かる)投資はありません!」と詐欺への注意喚起では言っているけれど、そんなに美味しい条件だとしたら、知らない間にお礼奉公が約束させられているとかないのかしら?


メディア露出と女子力

週刊朝日編集部でアルバイトをしていたので、企画やセッティング、取材なども行っていたそうである。
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週刊朝日のインターネット配信番組ではアシスタントとしてレギュラー出演。
またテレビ東京の『くだまき八兵衛』にも出演していたことがあったそうだ。

『くだまき八兵衛X』は、2010年4月15日から2012年9月27日までテレビ東京系で放送されていた深夜トークバラエティ番組である。
当初は、中島知子、名倉潤、河本準一が居酒屋の中で素人客と5分間相席し悩みを聞くのがコンセプトだった。 しかし、客の悩みを聞くのではなく特定の特徴を持った出演者を集めて私生活や経験談などを話させる内容に変化。 恥部を暴露攻撃されて動揺する様を辱め喜ぶパターン等が主体。

演出・プロデューサーがあの俳優さんと同じ水谷豊というお名前なのですが、同姓同名の演出プロデューサーがいるようですね。

自殺する数日前のツイッター。
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命より大切な仕事・・

2016年11月9日、厚生労働省が主催する「過労死等防止対策推進シンポジウム」が開催され、高橋まつりさんのお母さん(幸美さん)も登壇して心境などを語った。

弁護士ドットコムニュース
高橋まつりさん母「社員の命を犠牲にして優良企業と言えるのか」過労死シンポ発言全文
より一部抜粋

幸美さんによると、まつりさんは2015年10月、「今週10時間しか寝ていない、会社辞めたい」「休職するか退職するか自分で決めるのでお母さんも口出ししないでね」と話していたという。また、11月には、電通事件と呼ばれる1991年の電通若手社員の過労自殺の記事に触れ、「こうなりそう」と語っていた。

自殺する直前の12月、「大好きで、大切な母さんさようならありがとう、人生も仕事も全ても辛いです。お母さん自分を責めないでね。最高のお母さんだから」とメールが送られてきたことを打ち明け、声をつまらせた。

幸美さんは、「自分の命よりも大切な愛する娘を突然亡くしてしまった悲しみと絶望は、失った者にしかわかりません。だから、同じことが繰り返されるのです」と語ったうえで、過労死や過労自殺の防止に向けた今後の対策について、「残業時間の削減を発令するだけでなく、根本からパワハラを許さない企業風土と業務の改善をしてもらいたい」と強調した。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

「年末には実家に帰るからね、お母さん、一緒にすごそうね」と言っていたのに、「大好きで、大切な母さん、さようなら、ありがとう、人生も仕事もすべて辛いです。お母さん自分を責めないでね。最高のお母さんだから」とメールを残して亡くなりました。

社員の命を犠牲にして業績を伸ばして、日本の発展をリードする優良企業と言えるでしょうか。有名な社訓には、「取り組んだら離すな、殺されても離すな、目的を達成するまでは」とあります。命より大切な仕事はありません。娘の死はパフォーマンスではありません。フィクションではありません。現実に起こったことなのです。

娘が描いていたたくさんの夢も、娘の弾けるような笑顔も、永久に奪われてしまいました。結婚して、子どもが生まれ、続くはずだった未来は失われてしまいました。私が今、どんなに訴えかけようとしても、大切な娘は二度と生きて戻ってくることはありません。手遅れなのです。

自分の命よりも大切な愛する娘を突然亡くしてしまった悲しみと絶望は、失った者にしかわかりません。だから、同じことが繰り返されるのです。今、この瞬間にも、同じことが起きているかもしれません。娘のように、苦しんでいる人がいるかもしれません。

「命より大切な仕事はありません」 このちょっと有名になった言葉はこのシンポジウムでお母さんによって語られたものであった。

「命より大切な仕事はありません」という言葉に対比させて「自分の命よりも大切な愛する娘を突然亡くしてしまった悲しみと絶望」という言葉を用いたのか、それとも偶然にどちらにも’命より大切’という言葉が入ったのか分からないけれど、その2つの想いをまとめると「愛する娘を生み育てるということは、自分の命より大切な仕事」ということになりはしませんか?
これも挙げ足を取っているのはではなく真剣な問いというか疑問です。


(本題はこれからなのですが、日付も回りましたので、今日はこのへんで終わりにしたいと思います)



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by yumimi61 | 2019-09-06 21:53

コンファウンド

存在意義

人間は誰のために何のために生きるのだろうか。
普段はそれほど意識せずに暮らしているけれど、生きることは死に向かうことである。
「仏教ウェブ入門講座」の中にも書いてあったけれど、これは随分いろんなところでいろんな人が言っている。私自身も前に書いたことがあるような気がする。

マハトマ・ガンジー
明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。

スティーブ・ジョブズ
スタンフォード大学卒業式(2005年6月)のスピーチより抜粋
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした


私達は大きな有機体というシステムに組み込まれた一部であって、だからこそ死がないと困るわけである。死が無ければ循環しないのだ。
死が無ければあらゆるものが使い果たされていくだけで、新しい生命は生まれなくなり、システム自体がどんどん古臭くなって終わりに向かう。
死があることで持続可能となっている。

有機体というシステムに意味なんかない。ただそこに存在しているだけ。
意味があるとすればそれはシステムを構築した創造主の意思であるということになり、その意思を信じるかどうかは人それぞれ。どちらにしても現代においてはこれは宗教の領域ということになろう。
創造主は何か意味を持って有機体システムを生みだしたのかどうか。
それとも有機体システムは偶然に生じた産物なのか。
はたまた私達は見ている世界は、「実体」がないに等しく、壮大な「意識」の世界に過ぎないのかとか。

ジョブズは、人間を含めて有機体というシステムに意味などない、あるとすればそれは創造主が組み込んだものだから、あなたはすでにそれを知っているはずだ。すなわちあなたの嘘偽りない心や直観こそがあなたの存在する意味であるし、システムにとっての意義であるということが言いたいのだと思う。
悲しいかな有機体システムの中に生きるものにとって最大の貢献は死であるということになる。
たとえ地球上の全ての生命体が絶滅したとしても、長い長い目で見ればいずれまた何かが始まるはずなのだ。だって今私達が暮らしている世界はそうやって起こってきたのだろうから。
個でなく有機体として見た場合には、死は終わりではなく始まりなのだ。

多くの人間は、有機体というシステムに、地球に、人間に、自分に、意味がないと認識することに関して耐え難い。
神に与えられたとか、神によって運命づけられているという考えを拒絶する人もいる。
だから必死で生まれた意味や生きる意味を探し、有意義な自分を目指す。


最大の謎

この世界の最大の謎は、なぜ人間は精神や感情などといったものを持っているのかということである。
人間を含めて有機体というシステムに意味などない。1人の人間は一時的にそこに存在しているだけ。その存在は死んで初めて意味を持つ。
死は当たり前なもので、死が最大の貢献となる、そんな世界にどうして精神や感情などといった半ば実体のないものが必要だったのか。

考えられる理由は1つ。新しい生命を誕生させるため。
精神や感情を介在させないと新しい生命は生まれない仕組みが人間には与えられた。
人間だって植物のように、他の動物が受精させたり、空気(風)で受精させたりする方法でも良かったはずなのに、そうではない。
動植物に人間のような精神や感情があるかどうかは分からないけれど、ないと仮定すれば、人間だって精神や感情を介在させない生殖法を選択しえたはずだ。それを選択すれば、有機体システムに精神や感情などといったものは全く必要なかった。
精神や感情を存在させなくても有機体システムは十分に機能したはずなのだ。

人間は新しい生命を誕生させるために愛のような精神や感情を持たされたとして、ではどうして当たり前であるはずの死に対しても心が動き感情が高ぶるのか。
人の死(時には動物や植物や物にまで)に悲しみを覚え、時には絶望や怒りの感情が起こることもあるだろう。
それは人間のポーズに過ぎないのだろうか。悲しみという実体のない意識が創り出した世界。
実体のない世界だから、実際に深く悲しんでいる人、何となく悲しい気持ちがしたけれどすぐに忘れる人、悲しんでいるふりをしている人などが混在している。
実体がないというのは、物が胸に当たったせいで胸が痛い、何かに強く頭をぶつけたから頭がおかしくなる、そういうことではないということである。

新しい生命を誕生させるため以外の精神や感情は、想定以上に人間の精神や感情が暴走した結果から生じたものだろうか。
本来与えられたものを超えて、様々なものに様々な感情を生じさせてしまった、いわゆる想定外の事態が起きているとか?

違う観点でみれば、地球は生命体の無い世界だとして誰が困るのかと考えた時、別に誰も困らないような気がする。
無でもよいのに生命体が有る世界が造られ、さらに精神や感情を持つ生命体がある。
その創造にはやはり創造主の何らかの意思(意図)があったのだろうか。
私達が実験をして何かを確かめたり発見したりするように、創造主も何かを試したり比べたりしようと思ったのか。


グローバルとは何か

『全地球カタログ』(Whole Earth Catalog)
アメリカ合衆国で発刊された、ヒッピー向けの雑誌。WECと略される。

1968年に、スチュアート・ブランドによって創刊された。ヒッピー・コミューンを支えるための情報や商品が掲載されていた。
創刊号の表紙を飾ったのは、1966年にブランドが起こした運動が功を奏してNASAから発表された、宇宙に浮かぶ地球の写真である。
『宝島』『遊』『POPEYE』など日本の主要なサブカルチャー雑誌にも大きな影響を与えたとされる。

1974年に、『Stay hungry. Stay foolish.(ずっと無謀で)』という言葉を裏表紙に飾って廃刊した。この言葉を、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式の式辞で、卒業生に贈る言葉として紹介した。


スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。


2004年にがんを告知された翌年のスピーチである。
治癒の見込みがほとんどなく、もって半年だろうと告げられたとスピーチで語っているが、亡くなったのは2011年。
人間はいずれみな死ぬということをよく分かっていて、死を常に覚悟しながら、告知から7年生きたということだ。
このことをどう考えたらよいのだろうと、思う。



(先が長くなりそうなので、記事を変えて続けます)






by yumimi61 | 2019-09-06 13:33

数字の当て方の間違い

前の記事の本文中の数字の当て方に一部誤りがありました。
ピラミッドを上から数えるか下から数えるかで数字が変わってしまうわけですが、それが一部逆になっていました。
大変失礼いたしました。
前記事はすでに訂正済みですが、こちらでも再度訂正しておきます。


前記事に載せた図と文
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①「自己実現の欲求」(自分の持つ能力や可能性を最大限発揮したいという欲求)

②「承認の欲求」(集団から価値ある存在と認められたいという欲求)

③「所属と愛の欲求」(自分が社会に必要とされていると感じたいという欲求)

④「安全の欲求」(安全・健康・暮らし・経済的安定の欲求)

⑤「生理的欲求」(食事・睡眠・排泄など生命を維持するための欲求)


上の図と文と数字を合わせたもの
e0126350_22303415.jpg



【前記事の本文の訂正箇所】

近年の社会的傾向として承認欲求が肥大化しているということが言われる。承認欲求は②(←④になっていました)の段階である。
では承認を強く求める人々は、③「所属と愛の欲求」を本当に満たしているのだろうかという疑問が生じる。
一生涯孤独で完全に引きこもっている状態を除けば、家庭、学校、会社、サークルなど誰にだって所属しうる場所はあるはずだ。独身だって親きょうだいがいたり恋人がいたりするだろう。
では③「所属と愛の欲求」(恋人や家族を持ちたい欲求)(自分が社会に必要にされていると感じたい欲求)とは何だろうか。
所属する場所があり、家族や恋人がいさえすれば、③「所属と愛の欲求」は満たされるものなんだろうか。

もっと言えば、④(←②になっていました)「安全の欲求」(安定した仕事に就きたい)(安全・健康・暮らし・経済的安定の欲求)だって十分に満たされている人がどれほどいるのかとも思う。
客観的な収入でも資産でもなく欲求だから、幾ら貰っても何を持っていても、何か心配がある以上、欲求が十分に満たされているとは言えないのではないだろうか。
昇給しない給与、非正規雇用の増加、物価や税金の上昇、年金の不安、老後の不安、異常気象や地震への不安、交通事故や巻き込まれへの不安、暴動や戦争への不安など挙げれば安全欲求への不満・不安だって限りなくありそうである。

結局のところ、進歩や発展や科学が寄与できたのは、⑤(←①になっていました)の生理的欲求に対してのみだけなのではないだろうか。
未だにそれさえも満たせない国があると盛んに喧伝されている状況だから、進歩や発展や科学は地球や人間という有機体にほとんど力が及ばないということになる。
それが現実なのだ。
人間が有機体に影響を与えるなんていうのは買いかぶりすぎで、人間が有機体に影響を与えるのではなく、人間は有機体に全くといって歯が立たないのではないか。
だからこそ人間は宗教というものを求めることになったのではないだろうか。
それとも⑤(←①になっていました)の欲求充足に寄与したことが有機体に悪影響を与えたと言わなければならないのだろうか。



言いたかったのは、進歩や発展や科学は、一番下位(⑤)の要求にしか寄与してこなかった、あるいは有機体にはほとんど無力なのではないかということでした。






by yumimi61 | 2019-09-04 22:52