人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

夏🌄

*下に追記しました。

🍞 昨日パンをもらったー!
e0126350_11050677.jpg

🍮とあるお宅に、「お盆が近いので仏様にでもあげてください」と水菓子を持っていった。
何を持って行こうか悩んだのだけれど、安易に(?)水菓子にした。

🍪 群馬から帰省する時に何を手土産にするかという季節的な話題がある。
昔は「旅がらす」が多かったのだが、最近は「ハラダのラスク」が人気。
群馬から帰省するわけではなかったが、そんなわけで、とあるお宅に何を持って行こうか悩んでいた時に私も「ハラダのラスク」が頭に浮かんだのだが、安易に(?)水菓子にした。

🍈 この先の話はもう予想できるかもしれないが、そしたら”乃が美の高級「生」食パン”を貰ってしまったわけである。パンの他にメロンも貰った!!

💴 ”乃が美の高級「生」食パン”を買ったことのなかった私は、いったい幾らするんだろうという好奇心がフツフツと湧き・・・
金額を調べるなんて下品な行為だとは思いつつ、スマホで即効調べました。(即効と言っても、さすがにその場ではありませんよ)
貰ったのは1本(2斤) 864円(税込)のものでした。

🔪 メロンって幾らくらいだっけ?あーもう考えない。ざっくり半返しということにしておきましょう。
それにしても救いだったのは「ハラダのラスク」にしなかったことだ(なんで?だってそれじゃあパンにパンだよ?)、そう思って自分を納得させた。

📺 そういえば前にNHKの『ドキュメント72時間』でパン屋さんの回があって、贈答用に使ったりもすると言っていたことを思い出した。
それと同じなのかなぁと思って、そっちも調べてみたら、そっちは’バターと生クリームをふんだんに使ったデニッシュ食パン’で、違うものだった。
「眠らないパン屋 聖夜の贈り物」←この回です。

🆙 デニッシュパンって美味しいけど、たぶんいろいろ摂りすぎちゃうよね。
バターと生クリームをふんだんに使ったらたぶんすご~く美味しいのよ。
でももう勢いで1斤とか食べちゃいけない年齢なんだわ・・・

📦 摂りすぎと言えば、”ペヤングソース焼きそば超超超大盛GIGAMAX”はご存知ですか?
私はコンビニのレジ横で初めて目撃したのだけれど、まず容器が大きい。ということは中味も多いということだ。(amazonのケースもある?amazonの箱はどうしてあんなに余裕を持たせるんだろうか)
カロリーは2142kcal・・・
「1日1食までにして下さい。カロリー摂取基準を上回る恐れがあります。」とも書いてある。
いったいどういう消費者をターゲットにしているのだろうか。手軽にお安くエネルギー(カロリー)摂取層!?

⤴そうでなくてもカップ焼きそばってカロリーが高いんですよね。カップラーメンより高かったりする。
お湯を捨てるし、スープを飲むということもないし、高カロリーな具がたっぷり入っているわけでもないの、どうしてカロリーが高いんだろう。
考えられるのはソースしかないですよね!?

☀ 先日あまりに暑いので、美味しいアイスコーヒーと美味しいカキ氷を作ろうと思って、ロックアイスを1袋買ってきた。
だけどあまりに暑かったので、お湯とか沸かさずにすぐに飲みたいなぁと思って、ペットボトルのアイスコーヒーを買った。
家に帰って、買った荷物を仕舞わないままに、大きいグラスにロックアイスを目いっぱい入れて、ペットボトルのアイスコーヒーを注ぎ、ミルクとして東毛酪農低温殺菌牛乳63度を適度に加えて、ごくごくと7割方一気飲みした。あぁ~

🔌 次はカキ氷。
子供が成長しいなくなったので使わなくなっていたカキ氷機を、流し台の下の奥の方から引っ張り出した。
氷を入れて、コンセントを差し込み、上から押せばよいだけ。
さて氷を入れようと思って、ここぞという所を回したり引っ張ったりしたが、うんともすんともしない。
長いこと使っていなかったから固まちゃった?何度試しても外れないし開かない。
氷が溶けちゃうー(ロックアイスは出しっぱなし)
いよいよ説明書まで出す羽目になった。
そしたらなんと!説明書にロックアイスは使用禁止と書いてあった・・・うそぉなんでー
で、結局説明書を読んでも開け方は分からなかった。
ここではっとした。あの黄色い物体がもしかして?(カキ氷の箱には入っていなかったが、流しの下に歯の付いた黄色い容器も置いてあったのだ)
その黄色い物体が氷を入れるもので、それを先に本体にはめてから、私が必死に分解しようとしていた押さえ機で押せば良かったのでした。

🍧 ひるまずロックアイスを入れてオン。
空回り、ショリショリ、そしてまた空回り。
何度かトライしたが、片手に乗るくらいの量しか削れなかった。
角氷はOKと書いてあるカキ氷機なのに、どうしてロックアイスじゃダメなの?

🍧 ちなみに蜜の味はコーラにしました。

🆒カキ氷が思いのほか少量になってしまったので、上記のアイスコーヒーを全部で3杯飲んだ。

🍺 大人の夏の飲み物と言えばビールでしょうか?
それとも今どき季節は関係ないのかなぁ。
私はビールのCMがやたら多いような気がするのだけれど、気のせいでしょうか。
しかも季節関係なく流れている気がする。酒席は1年を通してあると言えばそうだけど。
しかもしかもCMでは「うまい」というのがほぼ定番になっており」(美味しい派すら少数という状態)、他に表現しようがないのかという感じを受ける。

🍻 私はビールがあまり好きではない。350ml缶でも1本は飲めない。アルコールが飲めないタイプではなくて、ビールは量が飲めないタイプである。
だけど暑い夏とかお風呂上りとか喉が渇いた時にキーンと冷えたビールを飲むと、さっぱりで刺激的で、一口目は美味しく飲める。(今は飲んでませんけど)

🚬 タバコは健康に悪いと徹底的に非難され忌避されるのに、お酒があれだけ容認される風潮というのも今一つ理解できない。
どっちがどうということよりも、そのバランスの悪さが気になるのだ。
タバコが万病のもとだとするならば、お酒も負けず劣らず万病のもとである。
=アルコールによる健康障害など=
がん(口腔がん、咽頭・喉頭がん、食道がん、肝臓がん、大腸がん、乳がん)、肝障害、膵炎、高尿酸血症(痛風)、メタボリックシンドローム(高脂血症、高血圧、高血糖)、循環器疾患、脳卒中、免疫低下による肺炎など感染症、胃食道逆流炎、アルコール依存症、うつ病、アルコール認知症、一気飲み死、飲酒運転、暴力や暴言など不祥事。

💊 確かに「酒は百薬の長」という言葉がある。では酒が何に効果的なのかというと、一時的な「リラックス効果」や「ストレス解消」である。
ストレスというのは、人のエネルギーを減退させて消耗させるものであり、様々な疾病のリスクにもなる。しかし同時にハングリー精神なんて言葉があるように、エネルギーの源になることもある。
つまりすごくアバウトな意味での「百薬の長」であり、例えば炎症を抑えるとか、痛みを止めるとか、血圧を下げるとか、何か明確な薬効があるわけではない。
その意味においては、タバコだって何だって一時的な「リラックス効果」や「ストレス解消」にはなるのである。何がストレス解消になるのかは人ぞれぞれ違うだけのことで。

‍👰 先日報告されたおめでたい話に水を差すようで申し訳ないけれど、妊娠が分かっていてビールのCMに出演、あるいは放映させたのは問題があるだろうと思う。
後先考えられない若者ではなく、日本を代表する国会議員、報道関係者、広告代理店、大手企業が関わる出来事なのに、誰も問題視しなかったのか。何に驚いたって私はそれに一番驚いた。

🏥 産婦人科医も看護師や保健師なども、妊娠・授乳中は少量であっても飲酒は避けるように指導している。
ビールにも「妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児、乳児の発育に悪影響与えるおそれがあります」と表示されているはずだ。
飲酒は、胎児の形態異常や脳萎縮、胎児発育不全、妊産婦のうつ病などの悪化と関係あることが国内外の多くの研究報告から示されている。
飲酒の量や時期に関係なく胎児には不可逆的な悪影響を及ぼす可能性がある。

👩‍❤️‍👨 今回おめでたを報告した彼女のビールのCMはわりと最近見かけるようになったように感じていたので、いつからオンエアされているのかと調べてみたら7月6日からとあった。発表の1ヶ月前ということになる。
妊娠が安定期に入ったので発表したということであったが、安定期とは一般的には妊娠中期(5~8ヶ月)(16~28週)のことを言う。
もし妊娠16週に入ったところで妊娠が順調であることを確認してすぐに発表に至ったとするならば、受精は4月末~5月上旬、妊娠に気が付くのは早ければ5月中旬、妊娠を希望する(妊娠の可能性のある)女性ならば一般的には遅くとも5月下旬には気が付くだろうと思う。
ちなみにこの計算では、予定日は来年の1月20日前後です。

❓ CMのお話があり、契約を結んで、撮影をしたのが、妊娠の分かった5月より遅かったのか早かったのか、それは私には分からない。
しかし少なくとも妊娠が分かった時点でCM関係者に報告して、報告を受けた側はオンエアする前にストップすべきである。
こっそり中絶をするとかいうならともかく、結婚して出産するというならば、隠しておいたっていずれ分かることである。
そうなれば当然ビールのCMに疑問符が付く。

👶 飲酒は妊娠率を低下させることも知られている。
妊娠を希望する男女は過度の飲酒量は避けるべきだし、過度と言うほどの量は飲まないにしても毎日飲酒するようなことは避けた方が賢明である。
妊娠授乳中や妊娠する可能性が高い女性はもちろんのこと、この妊娠率低下の観点からも妊娠出産適齢期である男女はCMには使いにくいはずである。

👪 今気が付いたけど、よっぽど早産でない限り、オリンピックイヤーにベビーちゃん誕生だね。
お・め・で・た・い(お、しか合ってないじゃないか?)
招致では青、ママでは赤。(これはどうでしょうか?)
あっ妻が抜けてた。
招致では青、妻では白、ママでは赤。

🎆 今も遠くで打ち上げ花火の音がしているけれど(今は20:45)、昨日は群馬では前橋と新田で花火大会があった。偶然にどちらも流し見した。
結構遠くの道とか橋の上とかでみんな観てるのね。

💣 信号待ちの時にスマホで写真撮ってみたら、キノコ雲みたいになっちゃった。(そうでもないかな?)
e0126350_20483799.jpg

🚙 去年も新田の花火が終わったくらいの時間に近くの道を車で通ったら、道がすごく混んでた。
その渋滞で、(あ~今日は新田の花火だったのかぁ)と気が付き、(しまった、それが分かっていれば違う道を行ったのに)と後悔しつつ、渋滞の中を進むと・・・歩道(路肩)に突っ込んでいる自動車(ミニバン)が1台あった。
え?もしかして?そう、花火渋滞というより事故渋滞ぽかった。

🍜 歩道に突っ込んでいると言っても、アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢者の事故ではない。
車道と歩道(路肩)を分ける縁石に乗り上げていたのだった。
前のタイヤと後ろのタイヤの間に縁石が入ってしまって、前にも後ろにも動かない状態。だから少し車道に車体が出っ張っていて、それで走行車は速度を落としたり一時停止したりするので渋滞してたというわけ。
なんでそんな所に突っ込んだかと言うと、切れ目を間違えたんだと思う。
ちょっと離れた所に切れ目があって、ラーメン屋さんの駐車場だったから、たぶんラーメン屋に入店しようとして、切れ目を間違えて乗上げというパターンですね。

❄ 切れ目を間違えて縁石に乗り上げてしまった車は、数年前に違う場所(コンビニの駐車場入り口付近)で見かけたこともある。その人は何とか自力で脱出しようと涙ぐましい努力をしていた。雪が降る中での出来事だった。

📱 左折時に入角度を間違えて縁石に乗り上げている車も見たことがある。インに入りすぎて縁石に縦に乗り上げていた。その人は車を見ながら携帯電話で誰かと話をしていた。

🎧💥 それにしても花火の音って大きいですよね。心配になるくらいに。

117.pngビールのCMの話で「うまい」が「上手い」になっていたので訂正。「上手い」だと日産のCM方式みたいだなあと思ってしまった。ビールの作り方が上手い!みたいな感じで。
つまり日産方式というのは、CM出演者が広告主であるはずの日産に語りかけるパターン。
皆さん、あれを聞いて違和感を感じませんか?
私は何度聞いても馴染めないのです。どうして大衆に訴えるはずのCMで日産が鼓舞されているんだろうと。逆にちょっと不安を感じてしまう印象なんですよね。





... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-08-11 11:15

コンスマ

聞き流し教材で英語が習得できるか?

「人種のるつぼ」と呼ばれる国に比べたら日本は単一民族であり、国民の間にそこまでの差がない。
しかしながら日本には数多の英語教材が存在する。
それだけ英語の習得が難しく、あの手この手が繰り出されているという証である。
また中学校・高校・(大学)、近年では小学校において、英語の授業を義務付けても、いつまで経っても英会話ができる民族にならないと、嘆いたり落胆したりしている。
でもそれは日本語の音域と生理学的な原因に由来していて仕方ない面が多い。

そんな中、近年では言語の周波数に注目した教材もだいぶ増えてきた。
先日私が写真を載せた英語の本も周波数のことが「英語は目と耳を使おう」というページにちょこっと書かれている。
CMで見かけることがあるスピードラーニングもやはり周波数に注目しているらしい。
聴き取れなかったり意味が分からないからといって、スピードを落としたり考え込む必要はない、とにかく大量の英語を聞き流すことを推奨している。

それが何に効果的かと言うと、日本語とはかなり違う高周波帯の言葉(音)を、脳に言語であることを認識させることに効果的なのだ。
たとえ高周波の音を聞くことが出来ても、脳がその音を言語と認識しない限り、言葉を理解して会話することは出来ない。
つまり「大量の英語を聞き流す」のは、高周波帯の会話に慣れるための基本のキ。

どこの国の赤ちゃんも言葉を話すことは出来ない。だけど言葉は教え込まなくても、一般的には日常生活に不自由ないくらいには自然に身に付くものである。
それは赤ちゃんや幼児が生活の中で大人の言動を繰り返し繰り返し見たり聞いたりしているからである。
つまり「英語は目と耳を使おう」「体で英語を覚えよう」というのは、’この音はただの騒音ではなく何か意味のある音なんですよ’、’今聞いているのは意味ある言葉なんですよ’、ということを脳に刷り込むのに効果的なのだ。

但し英語を習得したい大人が、赤ちゃんのように愛に包まれながら、刷り込みにたっぷりと時間を掛けられるかと言ったら、それはなかなか難しい。
子供であっても、赤ちゃんのような生活はとっくに卒業していて、やらなければいけないことは、あれやこれやあるわけだから、これもまたなかなかに難しい。
そして元々の言語(国語)が違っていて、すでに先にそれを獲得してしまっている場合、特に日本語のように違いが大きな言語の場合には、別途持っていない音(子音など)を新たに覚えて獲得する必要があるので、聞き流しだけで英語をマスターすることはやっぱり難しい。

眠りながら聞いても効果があるとする教材も、スピードラーニングも、周波数と刷り込みを重視したという点では同じであるが、効果は疑わしい。
動きながら話しているのを何度も何度も見たり、表情のある会話を何度も何度も見たりすることで、だんだんと音に意味づけがなされてゆき、言葉を獲得していくので(少し前に書いた条件反射に似ている)、動きを見ずに聞くだけでは、音楽をただぼーっと、あるいは寝ながら聞いているのと変わらない。
それでも繰り返し聞けば、その音に慣れて不快に感じることが減ったり、部分的に記憶できることもあるかもしれないが、それだけでは、言語を獲得して理解・生成するには程遠い。


騒音性難聴

加齢による聴力低下は避けられないものである。
補聴器も聴力を改善するものではなく、対症療法に過ぎない。
一度失われた聴力を元に戻すのはほとんどの場合困難である。
但し前回書いたように、加齢による聴力低下は語音弁別能の低下ももたらし、さらには言葉を理解する力まで失ってしまうので、その進行を防ぐために早期に補聴器を付けて脳を刺激し続けることが大事なわけである。

加齢性の難聴は「老人性難聴」と呼ばれ、感音性難聴に1種に該当するが、「騒音性難聴」も感音性難聴である。

騒音性難聴は、文字通り騒音の曝露によって難聴を来たすものである。
かつてはもっぱら労働現場で扱われた難聴であった。
労働現場における難聴には災害性難聴と騒音性難聴がある。
災害性難聴は爆発事故などが起こった時など、巨大な音によって聴力を損失するもの。
騒音性難聴は、慢性的な騒音暴露による聴力損失。

災害性難聴と騒音性難聴は、騒音の大きさdB×時間に相関する。
災害性難聴のような急性難聴は100~120dBを超える大音量で短時間に起こる。
騒音性難聴のような慢性難聴は長期間(5~15年)騒音にさらされることによって起こり、徐々に進行するというよりは比較的に一気に悪化する。しかしその後の進行は緩やかになる。でも騒音環境を変えないと、他の周波数域にも広がり、老人性難聴のような状態になることもありうる。

職場では労働安全衛生法に基づいて、雇い入れ時健康診断と定期健康診断で選別聴力検査というものを実施している。
これはオージオメーターにより1000Hzと4000Hzについて一定の音が聴こえるかどうかの聴き取り検査である。
1000Hzが会話域、4000Hzが高音域という位置づけ。
以下の音の大きさで検査をしている。
  雇い入れ時 1000Hz-30dB  4000Hz-30dB
  定期健康診断 1000Hz-30dB  4000Hz-40dB
 (参考まで学童の健康診断 1000Hz-30dB  4000Hz-25dB)

また騒音が著しい職場では、定期健康診断とは別に騒音特殊健康診断が努力義務ながら課せられている。
これは等価騒音レベル(一定期間の平均的な騒音レベル)が85dB以上の職場で働く労働者が対象である。
(音の大きさの目安は昨日のグラフを参照。商店街などは90dB付近、太鼓の音は100dBになっていた)
こちらの検査は努力義務なので行っていない企業もあると思われるが、全国的な有所見率は15%強くらいな感じ。

騒音性難聴の特徴は、まず4000Hz付近の聴力が低下してくるということにある。
これは日本語の会話や楽器の周波数ではないため、騒音性難聴で聴力低下を来たしても、すぐには気が付かないことも少なくない。
よって検査で早期に見つける。
4000Hzは高音域になるが、人間の耳が本来聴き取りやすい音は2000~5000Hz付近である(このため初期の携帯電話のベル音はこの辺りの音が採用されたというのは昨日書いた)。
その感度の良いところの周波数の聴力が落ちるのだから、すぐには気が付かなくても何かしら生活上支障が出てくるはずである。


今どきの騒音性難聴

近年問題になっているのは、「ヘッドフォン(イヤフォン)難聴」や「娯楽性騒音難聴」である。
WHOは世界の若者の11億人が難聴リスクにあると警鐘を鳴らしている。
すぐすぐに騒音性難聴を発症しないにしても、加齢による難聴に加速度がつくのではないかと私は考えている。
 騒音の大きさdB×時間に相関する・・・
しかももはや今の若者だけに限らず、中年期に足を踏み入れて聴力が落ちかけているところでの曝露もリスクを増大させることは間違いないだろう。

「ヘッドフォン(イヤフォン)難聴」「娯楽性騒音難聴」「従来の騒音性難聴」「老人性難聴」、すべて感音性難聴である。
感音性難聴の原因は、内耳、蝸牛神経、脳にある。

【ヘッドフォン(イヤフォン)難聴】
スマートフォンや携帯型のパーソナル音楽プレーヤーが普及して、ヘッドフォンやイヤフォンで音楽を聴く人が増えた。
一昔前ならば音楽はラジカセやステレオといったもので聴くことが多かった。
大音量で聴くと、親とか近隣から苦情が来るので、そこまで大きな音は出せない。深夜に聴く時などはボリュームを絞らざるをえない。
イヤフォンもヘッドフォンも存在したが、性能が今ほどは良くなかったため、却って音が悪くなり、耳も痛くなるので、好んでは使わないという人が多かったと思う。

ヘッドフォンやイヤフォンでは、音源から鼓膜までの距離が近い。
奥に挿入するタイプのものだと、ほとんど間隔がないに等しい状態であり、通常よりも聴覚を損傷する危険性が高くなる。
しかもその状態で結構大音量で聴いていたりする。

何かが音を出す場合には、必ず振動を伴う。
その振動が周りにある空気を押し出し、押し出された空気は圧縮されるため、空気の濃い部分が出来て隣の空気を押す。
このように振動(空気の圧縮)が波のように伝わっていく。
これが人間に届くと、鼓膜が音の振動をキャッチし、耳小骨が振動を増幅して、蝸牛の中のリンパ液を振動させ、リンパ液の振動により有毛細胞が刺激を受けて刺激を電気信号に変換し、その電気信号を蝸牛神経が脳に伝達する。
これが音を聴くということなのだ。

内耳の有毛細胞に生える「聴毛」が音の振動で揺れると電気信号が脳に伝わるが、この「聴毛」は非常に繊細なもので、大きな音(振動)に長時間晒されると、傷ついたり抜け落ちたりしてしまうらしい。
そうなると音の振動をキャッチできなくなり、結果音が聴こえないという状態になる。

ヘッドフォンやイヤフォンの最大出力音圧レベルは、100~120dBくらい。
ヘッドフォンやイヤフォンをしたままでも会話が聞き取れるくらいの音量なら65dBくらい。
電車内の騒音は70~95dBなので、電車内で聴く場合にはこれ以上の大きさにしてしまっている恐れがある。

騒音性難聴の原因になる音の大きさは85dB以上。
この大きさでいつも聴いていれば、音源が耳元で近い分だけ、労働現場などよりも騒音性難聴が起こるのは早い。
騒音性難聴は5~15年くらい晒されると起こると前述したが、ヘッドフォンやイヤフォンの場合、トータル8時間の曝露を超えれば起こってくるとされる。
100dBならば、たった15分で起こる。
これはもはや災害性難聴レベル(急性難聴)ということになる。


【娯楽性騒音難聴】
ライブハウス、クラブ、音楽イベント、スポーツ観戦などで大音量を聴くことによって起こってくる難聴。
こちらは、音の大きさがさらに大きい。

ライブ会場などでは140dBを超えるような大音量が出されていることがある。
特にスピーカー前などは危険である。
飛行場の滑走路のそばで120dB付近、サイレンで130dB付近、つまりそれを超えてくる音量を浴びることになる。
この音量だと、一瞬でも不可逆的な難聴を発症する恐れがある。
また先に述べたように100~120dBでも数分~数十分の間、その音量に晒されれば急性難聴となる。

加えて、耳の構造は複雑で機能も繊細であり、単に音の大きさだけでなく、寝不足や疲れ、ストレス、飲酒なども発症に関わるとされる。
これらは脳の自律神経に影響を与えるからである。
従って、難聴の他、耳鳴りやめまいなどの症状が出ることもある。
ライブイベントやスポーツ観戦する際には、体調を整えて、発症リスクを少しでも抑えることも大事である。


聴覚障害

私の母は難聴で身体障害者手帳の交付を受けている。
補聴器の購入に補助金が出るということで申請したらしい。
補聴器は一般的なものでも15~30万円くらいかかります。
e0126350_23580342.jpg
聴覚障害は、2級・3級・4級・6級があり、一番重度の両耳が全ろうで2級。
障害者手帳4級の場合、そして公共交通機関も利用しない、ディズニーランドにもUSJにも行かないような母には、補聴器補助金以外にはそれほどメリットはなかったのだけれど、NHKの受信料や携帯電話料金は割引や免除になります。

交付されたのは2012年だから7年前。
くも膜下出血になって手術をしたのは2008年12月のことなので、今年の12月で11年経つ。
聴こえにくくなったのはくも膜下出血の4年後くらいからということになるが、母は2年目くらいからひどいめまいと吐き気に襲われたことが度々あって、2回くらいは救急搬送されたこともあった。
原因は頭部ではなく(CT検査では取り立てての問題はなく)、よく分からなかった。めまいとか聴力とかは本当にデリケートで診断とか改善とかなかなかに難しいものがあると痛感した。
今はそういうめまいや嘔吐はなくなったようだ。
その代わりというか何というか、聴力は以前より落ちている。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-08-09 16:02

コンパス

今日は音の話です。

人間の可聴領域

この地球にはいろいろな音があるけれど、人間の耳が聴き取れる音には限界がある。
人間の可聴領域は100(感度が良ければ20)Hz~20000Hzである。もちろん個人差がある。
一般論としては、低周波ほど感度が鈍くなり(聴き取り難くなり)、高周波ほど感度が高い(聴き取りやすい)。
人間の耳の感度が良い音(聴き取りやすい音)は2000~5000Hz付近で、このため初期の携帯電話のベル音はこの辺りの音が採用されたそうだ。
e0126350_15211282.jpg
加齢による低下

個人差があると書いたが、加齢によって可聴領域は低下する。
一般的には高周波の音が聞こえにくくなってくる。
30歳以降には聴力の低下が始まり、60歳以降では著しく低下してくる。

下のグラフで右軸が周波数。年代が上がるほど右下がりのグラフになっているのが分かると思うが、これは高周波の音が聞こえにくくなってくるということを意味している。

e0126350_15062556.jpg
先日モスキート音(→蚊よけになる音)のことをちょっと書いたけれど、あれが17kHz(=17000Hz)である。
上のグラフは右端が8000Hzとなっているので、モスキート音はさらにずっと高い音である。
興味のある人は、こちらのサイトでモスキート音を提供しているので、聴いて確かめてみてください。私は10kHzしか聴こえないです。

グラフ縦軸は音の大きさ。
聴力検査では小さい音が聞こえるかどうかということも調べるが、70歳以降では高周波音より聴き取りやすいはずの低周波音も小さい音では聴こえにくくなるということである。
聴力レベルの下に書いてある「サイレン」「深夜の郊外」などの記述は、それらの物が出す音、あるいはその環境での音レベルが、通常どれくらいかを示している。
30dB以下の音が聴こえなくなったら、補聴器を検討するレベルと言われている。


オーケストラの周波数(音程・ピッチ)

楽器は放っておくと音程が狂ってしまうし、温度や湿度でも音程が変わってしまう。演奏の仕方でも音程は変わる。
オーケストラのように幾つもの楽器が音を出してハーモニーを奏でるのに音程がそれぞれ違うというのも困る。
従ってチューニング(音合わせ)をして音程を合わせる。
どうやって合わせるかと言うと、オーボエが吹くA(ドレミのラ)の音に合わせる。
このA(ドレミのラ)の音は440Hzだそうだ。
1オクターブ上がると倍の880Hzになる。
440Hzと書いたけれど、これはアメリカの主流で、日本のオーケストラは442Hzが標準だそうである。ヨーロッパはもっと高いとか。
こうした世界では、2くらい誤差の範囲でしょ、というわけにはいかないようである。

e0126350_16263139.jpg
楽器の音はうるさい!?

オーケストラのピッチは440Hzで、1オクターブ上がっても880Hz。
楽器によって出せる音域は多少変わるが、楽器というものは周波数的にはそれほど高い音ではない。
日本語の音域くらいの音だから、日本人が会話しているくらいの周波数である。
それほど大きな音でなくても聴こえるのに、楽器は人間が話している声より大きな音が出る。
周波数的に言えば、楽器演奏は拡声器を通しての会話をずっと近くで聞いているようなことなのである。

しかも言葉ならば、何を言っているのかなぁと聴き取ろう(理解しよう)という意識が働く。
つまり人間はそちらにも意識が振られる。右脳左脳で言えば、言葉を理解しようと左脳が働く。
しかし楽器演奏だけの場合、言葉の意味を理解しようとする必要もない。
意識が振られないだけに、うるさいと感じれば、その気持ちが分散されることなく「うるさいー!」になってしまうわけだ。


言語の周波数

グラフには日本語の音域(周波数)を書き入れたけれど、言語によって音域が異なる。
e0126350_17535594.png
誰が決めたのか分からないけれど、今ではすっかり英語が世界共通語として扱われ、日本人も必死に学んでいるわけだが、日本語の周波数と英語の周波数は全く違う。重なる部分もない。
アメリカ英語になると、もう少し周波数が低くなり、これだと日本語とも一部重なる周波数がある。

ちなみに上の図にはないが、韓国語は125~2000Hzと日本語に一番近い。
韓国語は比較的分かりやすいと言う日本人、日本語は比較的分かりやすいと言う韓国人は少なくないと思うが、これはやはり音域がとても近いからという理由が考えられる。
ということは、どちらも英語には少し遠い音域であるということで、だから日本と韓国は英語習得の面でもライバルになる。
中国語は500~3000Hzであり、アメリカ英語に近い。だから言語的に両国はわりと馴染みやすい。


日本人の特色

日本語は他の言語に比べると周波数が低い。
上のグラフには日本人に聞こえる会話の音域をえんじ色で書き入れた。
日本語の音域(周波数)は125~1500Hzだが、もう少し高い周波数の会話でも聴き取ることは一応可能である。
もう少し高いというのはどれくらい迄かという4000~6000Hzくらい迄である。
この範囲内には多くの言語が含まれてくるが、英語の周波数はこれを軽く超えるので、聴き取れない音が非常に多くなり、結果何を言っているのか分からないということになる。
但し同じ英語でもアメリカ英語の場合は、4000Hz内に収まるので日本人でも聴き取りが可能な言語である。

しかしながら年齢による聴力低下があるので、いつまでも高周波の会話が聴き取れるわけではない。
年代別グラフの線の上側は聴こえないということである。
日本語の音域ならば、通常の会話において聴こえない部分が出てくるのは70代以降なのだが、それより高い音域(要するに外国語)だと問題なく聴くことが出来そうなのは30代まで。
それ以降は聴こえない音が出てくる。
加齢による聴力低下は高周波帯から起こってくるので、高周波帯言語の国の高齢者は日本人よりも聴き取りにくくなる。
外国の先進国の補聴器の普及率は、軽く日本の普及率の倍を超える。
特に高いのがやはり高周波帯の言語である英語を使うイギリスである。
よって日本人が年をとってから英会話をマスターしようと思っても、まず無理である。

日本人は他国の方々から比べると概して声も小さい。
旅行者のマナーがどうこうという話で外国人は声が大きいとか話題にしている(文句を言っている)ことを耳にすることがあるが、もともと話し声の大きさが違うので致しかたない面がある。
何もわざと大声を出しているわけではなく、彼らにしたら通常モードなのである。(もっとも旅行で気分が高揚してカップルになることも声が大きくなってしまうこともあるだろうけれども)
日本人が小さい声なのだ。
従ってその声に慣れてしまっていると、大きな声を聴いた時に会話ではなくて騒音として認識してしまうということが出てくる。
またあまりに大きな声だと、音は聞こえても言葉の内容が理解できないというようなことも起こってくる。

オーケストラではないけれども、チューニングでもして音程を合わせないと、同じ英語でも狂いが生じて、すんなり入って来ないということも起こる。
英語とアメリカ英語の周波数はかなり違うのだから、イギリス人とアメリカ人が真の意味で通じ合うのはなかなか難しいはずである。
それと同じで日本人の英会話がいくら上達したとしても、周波数が違っていて独特であるということは十分に考えられ、その場合はやはり上手く届いていない可能性がある。

日本人英語、いわゆるカタカナ英語とでも言うか独特の英語もまず届かないであろう。
英語を喋っていても、本気で聴こうと思ったら通訳が必要というパターンである。
周波数や声の大きさだけでなく、英語をはじめとした外国語には母音が付かない子音が多い。さらに日本語にはない子音も多数存在していて、日本人はこれに全く慣れていないので、聴き取りも発音も難しい。
だからこそ日本人は日本人の英語、あるいはアジア人などが話す英語が比較的聴き取りやすいのである。


脳が言語として認識するということ

言語の理解と生成を司るのが言語中枢であり、それは大脳の左半球にあって、その領域を言語野と呼ぶ。
この言語野は固有の周波数内の音しか言語として認識しないため、それ以下あるいはそれ以上の周波数の音が聞こえたとしても、言語以外の音として処理され、感覚野に送られてしまう。

日本人でも4000~6000Hzの周波数の会話を聴き取ることが可能と書いたが、それには言語野が言語として認識するくらい、その周波数の言語に慣れ親しんでおく必要がある。
この周波数帯の音がほぼ問題なく聴こえるはずなのは30歳くらいまでだから、それまでにその高い周波数の会話を浴びて、脳が言語として処理できるくらいにしておかなければならないのである。
英会話は子供のうちから、というのは一理あるのだ。
しかし前述したように、それが日本人英語で、英語は話しているつもりだけれど、日本人ゆえに実は周波数はそれほど高くないという場合には、子供の頃から英語漬けにしても外国人との会話は難しくなると思われる。


語音弁別能と理解力

脳が言語と認識して、相手が何か言葉を話しているということは分かったとする。
しかしその会話音が聴こえても、ところどころ聴こえない音があったり、はっきりと聞き取れない音があったりすれば、全体として何と言っているのか分からなくなる。こうなると生活はだいぶ不自由になってくる。
加齢による感音性難聴というのはこの状態になる。
周波数の違う言語に慣れ親しんだ人同士の会話でも起こることである。

単に音ではなく、言葉として聴き取る(聞き分ける)能力を、語音弁別能と言う。
音を大きくするということは補聴器で出来るわけだが、言葉を聴き取る能力(語音弁別能)を低下させてしまうと、これはもう元には戻らないと言われている。補聴器で改善されるものではない。
さらに語音弁別能が低下すると次第に、言葉を忘れてしまうというか言葉自体を理解する力も落ちてくる(→筆記しても意味が分からなくなるというようなことになってくる)。

それを予防するために補聴器は早期に使用した方がよいと言われている。
「補聴器は効果がない」と言う高齢者は少なくないのだが、聴こえなくなってからでは遅くて、ときどき聴こえにくいなぁくらいの時に始めないと補聴器の効果もあまり出ないんだそうだ。

私の母は数年前から難聴気味で、最近はそれが進んでいる。
母はくも膜下出血で開頭手術をしており、今もシャント(脳に過剰に溜まる脳脊髄液を腹腔に流す管)が通っている。
その後に聞こえにくさが出てきたので、加齢による難聴に加え、そうした病気や手術などの影響もあるのだと思うけれども、「何か言っているということは分かる(声・音は聞こえる)が、何と言っているのかよく聞き取れない」と言う。
病院で補聴器専門店を紹介してもらい、検査をした上で補聴器を作って使った時期もあったが、そこまで聴こえるようになったという感じはなかったそうだ(音が耳元で反響して聞こえにくいというようなことを言っていた)。また母のシャントは補聴器や携帯電話などは気を付けて使う必要があって面倒だったり心配だったりしたこともあったのだろう。余談だがシャント(磁石のバルブ)が入っているのでMRIも出来ない。


周波数の低い言語を使う日本人が外国語で外国人と会話しようと思ったら、まず高周波帯の会話を脳に言語であることを認識させる必要があり、さらに早期に日本人であるがゆえ(日本語を使っていたがゆえ)に聴こえない音を無くして語音弁別能を獲得しなければならない。その上ではじめて言葉は理解できるようになるし、かみ合った会話が可能となる。そして少し大きめの声で会話するよう心掛ける。
これが一度出来たとしても、30歳以降は高周波帯の音を聴く力が落ちてくるので、獲得した言語から遠ざかってしまうと尚のこと語音弁別能は低下しやすい。
例え現地でその国の言語に浸かっていたとしても、ある程度の年齢になれば、かなりの人が聴力を落とすので補聴器など対策が必要となる。
外国語習得って大変ですね。


(明日もまた音の話が続きます)






# by yumimi61 | 2019-08-08 15:36

コンポジ

昨日載せた『涙はロンド』の目次の最後に、「さし絵 大木隆明」と書いてあったのにお気づきでしょうか。
あの絵は大木先生が描いたものだったんですね。
ほんとは絵が好きだったりして?(笑)

e0126350_15414538.jpg
↑ 
これは第二部「すべてに王道なし」と第四部「生徒からの手紙」の挿絵です。


e0126350_15532385.jpg
↑ 
これは第四部「生徒からの手紙」の終わりで、あとがきの前。
涙なんか知らない、いつでも微笑みを、そんな君が好きだと、あなたはささやく~♪


e0126350_15580454.jpg
↑ 
これは第一部「涙はロンド」と第三部「第十五回定期演奏会の原稿から」の挿絵。


吹奏楽部の甲子園「普門館」

 右往左往 全国大会初金賞
 イヤーな予感がした。東京上野の本郷大通りからちょっと奥に入った旅館の前に降り立った時、玄関の看板に「合唱部様」と書いてあるではないか。
 おれ達吹奏楽部だぞ。電話で予約した時「練習場はありますか」と聞いたら「はいはい、ありますよ。大きな部屋がありますから、安心していらして下さい」と調子のよい返事だったので大船に乗ったつもりで来たのに、案内された部屋は、生徒が十五名ほどで一杯になってしまうくらいのものであった。
 宿の主人に聞くと、すっかり合唱部だと思っていたと割と平然と言う。早速の近くの学校を借用に出掛ける。しかし、近所に音が迷惑だからと貸してくれない。途方に暮れた。全国大会を明日に控えて練習するところがないなんて何たること。宿の主人の悪知恵で、近くの東京大学の構内に入らせてもらうことにする。
 大きな大学で、入り口があちこちにあり、三三五五生徒達は楽器を抱えて構内に入って行った。ところが、まだ一人も音を出さないうちに、守衛にとがめられ「他人のうちに無断で入るとは何事ぞ、不法侵入で訴える」と脅かされ、すごすご引き揚げてくるではないか。
 これでこの計画も簡単につぶれた。
 さて、次の作戦会議で、今度はちょっと遠いが、不忍の池の周りはどうかということになった。ぞろぞろ旅館に戻ってきた生徒達を、素早くそちらへ行くよう指示する。ついでに「お巡りさんが来たら、吹かないで池の魚でも見ているふりをするように」なんてくだらない注意を与えて、それでも、生徒は誰一人不平を言わない。真剣である。
 一時間ほど経って、不忍の池へ行ってみると、パート別にロングトーン、音階練習、ハーモニーの練習などをきちんとやっている。
 近くの道路を自動車がいっぱい走っているため、その騒音で生徒達の音がかき消され、思ったよりうるさくない。見渡すと、お巡りさんも木陰に自転車を止めて、彼らの練習を眺めている。
 整然とした彼らの練習風景を対岸から見ていると、環境の悪いことなど全く気にしていないようで、私の生徒でありながら頼もしさを感じた。
 さて、翌日の練習のことで考え込んでしまった。やはりコンクールの当日であるから全員で合奏くらいしなければならない。
 夕食後、厚い電話帳をめくって、やっと上野公園管理事務所というところを探し当てた。「公園の中でも道路のような、人が通行するところでなければいいですよ。広いんだからどうぞやって下さい。」という快い返事に一安心。
 早起きし、上野公園裏の線路脇の広場で全員音出しを始めた。
 こう書くと簡単だが、六トン車一杯の楽器、それも布団に二重、三重にくるんであるあの楽器の出し入れは実に大変なのである。
 ところが、ものの五分としないうちに、すぐ前の寺の住職が血相を変えて来て「あんたが責任者か。こんなところで朝早くから音を出されては困る。朝の読経が全然聞こえない。すぐ引き揚げてくれ」とひどく叱られてしまった。
 仕方なく今度は、科学博物館の前の森の中に移動。もう、やけくそである。関係者が来ないうちに早くやっちゃおうと基礎練習もすべて省略して、すぐに課題曲と自由曲を吹き始める。
 東京というところは面白いところで、この早い時間にもう我々の練習を見学に来ている人がいる。なぜか写真を撮る人もいる。私の足もとに座り込んで、下から私の顔を見ている人もいる。いつのまにか大勢の人が我々の演奏を囲んでいる。いくら日曜日とはいえ、まだ朝の六時半である。それも十月の寒い朝である。やっている曲といえば、この場所に全くふさわしくない「能面」である。かれこれ三十分くらい練習できたろうか。やはり来た。おっちゃんが自転車で。「あんたは誰に断ってここで演奏しているのか。何?管理事務所に?私は連絡を受けていない。すぐにやめなさい」
 こんな具合で、ついには大切な全国コンクール前の貴重な時間は無情にもつぶされてしまった。
 ところが皮肉なことに、こんな状態で出場した全国大会であるが、なんと初金賞を受賞してしまったのである。わからないものだ。
 いや、わかったのかな。コンクール直前の練習は、あまり関係ないってことが。


全日本吹奏楽コンクールは、中学・高校・大学・職場(一般)の4部門がある。
地区予選があるので(ない地域もあるらしい)、勝ち上がらないと全国大会には出場できない。
大木先生は高校の吹奏楽部を率いていたわけだから、当然に高校の部に出場していた。
上の記述にある初金賞を受賞したのは1978年のこと。
この時の会場は東京都杉並区にあった「普門館」だった。

普門館というのは立正佼成会という宗教団体が所有しているホールである。収容人数は5000人弱。
1967年9月に着工し、約2年8ヶ月の工期を経て1970年4月28日に落成した。こけら落としは日本フィルハーモニー交響楽団による特別公演。東京佼成ウインドオーケストラの本拠地でもあった。
1977年に指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率い、同館で来日公演を行った。しかしホールがあまりに巨大で、コンサート専用のホールとして設計されたホールでないため響きが悪く、聴衆の失望を招き、1979年の再来日時にはカラヤンが反響板を新たに作るよう要求した。
立正佼成会所有ホールではあるが、「文化、学術、芸術活動の普及と発展に貢献する」という佼成会方針の下、同会の活動拠点としてのみならず音楽コンサートで多くの人々に幅広く利用されていた。


中学と高校の部の会場が普門館に固定されたのは、実は1977年のことである。
それまでは開催場所は各地域を巡っていた。
だから1978年にはまだ東京開催コンクールの出場にそれほど慣れていなかったというわけである。
各地域の会場キャパシティは普門館の半分にも満たない所が多かった。
生徒が出場するとなれば、保護者や学校関係者、OBや友人などが集まる。大学や一般よりも集客力がある。
そこで生徒部門はキャパの大きい普門館に固定したわけだが、それが影響して回を重ねていくちに普門館が吹奏楽部の甲子園と言われるようになった。

部活動における吹奏楽への知名度が高まり、従来から高校入試にあった吹奏楽推薦のほか、普通科吹奏楽コースを設置する高校が増え、音楽活動としての芸術よりもコンクール中心の競争が優先される場合が多い。

普門館開催の最後は2011年。
東日本大震災をきっかけに耐震性に問題があることが分かったからだ。
そして会場は名古屋国際会議場センチュリーホールに移った。


誰かの熱狂は誰かの騒音、誰かの生真面目さは誰かの迷惑

「右往左往 全国大会初金賞」にも書いてあることから分かるように、誰かにとってはどんな素晴らしい音楽・演奏であっても、誰かにとっては騒音でしかないということも多々ある。

「右往左往 全国大会初金賞」は現地での大会直前の練習についての話だが、こんな例もある。

全日本吹奏楽コンクール全国大会では毎年熱心な聴衆で埋め尽くされる。ただ、一部の過度に熱狂的な聴衆のマナーはしばしば問題にされる(顕著な例としては、演奏が終わるか終わらないかのところで残響を無視して奇声をあげる者が毎年いる事があげられる)。

奇声とは何か言うと、「ブラボ~~~~!」というあれである。
知らない人が聞けば、いきなり何を叫んでいるのかと驚くこと必至。
それがフライング気味に起こるからなお性質が悪いということになる。
全ての演奏が終えた後の、張り詰めた緊張が未だ残るような一瞬の静寂を愛する者にとっては、甚だ迷惑なものとなる。
掛け声や拍手が大きければ大きいほど良い演奏だったと審査員が思い込むに違いないと気合を入れてわざとやっているのではないかと勘繰りたくなる時もあるだろう。


全国津々浦々

第三部「第十五回定期演奏会の原稿から」より
 翌五十年(1975年)の全国大会は札幌でした。父兄の方々、学校のご尽力により往きは飛行機で行くことが出来ました。初めて乗る飛行機に心躍らせました。演奏はベストを尽くしたにもかかわらず、結果は無残にも銅賞でした。
 泣きじゃくる私達に札幌郊外でジンギスカン料理を御馳走してくださった藤生校長先生は「全国大会で負けて泣くようになったか。以前は参加するだけで満足していたのに」と逆に「きっと近いうちに全国一になるだろう」と言って慰めてくれました。
※この札幌大会の後に、先に書いた大きな危機(部員同士で数組のペアが出来る♡)があり、私が当時衝撃を受けた恋愛禁止と相成るわけである。

1975年の札幌大会は初金賞の3年前。
群馬県は日本の真ん中くらいに位置するけれど、それでも日本列島の北端である北海道は遠い。
でもそう考えると、もっと西にある学校にとっては、もっと遠い。
さらに考えれば、この年はたまたま北海道だったけれど、北海道や沖縄や九州の学校では、大体の場合、遠くに出向かざるを得ない。
それはすなわち費用もかかるということである。

生徒が「父兄の方々、学校のご尽力により」と述べているが、多くの場合、その費用はOBや後援会などの寄付で賄われるのではないだろうか。
吹奏楽部は人も然ることながら楽器を遠方まで運ぶだけで一仕事である。
公立の学校では予算的にそんなに余裕はないはずだし、急に大きい出費というのもなかなか難しいだろうと思う。

吹奏楽の楽器が高いという話が最初の頃に出てきたが、それだけでなくどこかに所属して活動するということは、それ以外の費用もかかる。例えば合宿や大会参加費用など。

またまたサッカーの話になるが、少年サッカーにも費用のあまりかからないスポーツ少年団タイプと費用がかなりかかるクラブチームがある。
中学生になっても費用のあまりかからない部活動と費用がかなりかかるクラブチームがある。高校生でも同じである。
クラブチームは月々の月謝も高いし、合宿などもあるので費用が結構かかる。海外に合宿や遠征に行くクラブチームもある。ユニフォームのみならずトレーニングウェアやバッグもクラブのものを購入しなければならなかったりする。
そうなるとそこまでの費用は出せないという家庭も出てくる。
部活動では基本的にはそこまではかからない(はず)。
でも全国大会に出るとなれば、やっぱり費用がかかる。

近年では個人で旅行など行く機会も多く、修学旅行すらバリエーションが出来たけれど、それでも初めての新幹線、初めての飛行機という生徒は少なくないし、そもそも修学旅行費用の積立をしていたりする(一括払いもできるけれども)。
どこの家庭でも、いつでも好きな時に、まとまったお金が出せるわけではない。
その意味からすると、部活に所属していても、肩身の狭い思いをする生徒もいるだろうし、寄付が集まらない学校ならば全国大会には出ない、出場しない方が良いということにもなりかねない。

それでも開催地が全国で持ち回りならば、「今年度は近い所で開催される」ということもあるだろう。
それを東京とか、どこか一つに固定してしまうと、北海道や沖縄は毎度毎度開催地が遠い場所ということになる。


下記青字は開催地を変える大学と一般の部の説明。
近年では、東京文化会館・大阪府立国際会議場・アクトシティ浜松・宇都宮市文化会館など同一の会場で複数回開催される例もある一方で、Kitara・ミューズ・りゅーとぴあ・びわ湖ホールなど音響に優れた音楽専用のホールを会場として開催される例もある。

中学・高校の部とは違い、コンサートホール・反響板を備えている多目的ホールで開催されることが多いものの、大阪府立国際会議場・仙台サンプラザなど響かないホール・横に長いホール・配置が重要なホールで開催されることもある。

毎年会場を変えているため、会場の特性を把握出来ないまま本番に臨む団体がほとんどである。この場合、必然的にホールを知っている地元支部の団体が有利となる。
持ち回り開催のため、このような問題がある。


持ち回りのためにホールを知っている地元支部が有利になることを問題としているが、持ち回りなんだから別にそれでいいのでは?という考え方も出来る。
国体でもオリンピックでも開催した所が強いのは当たり前に捉えられている。それとも「威信をかけて」とか開催地区の賞レース熱が過熱するから問題ということでしょうか。



本物の音を知らない!?

音響に優れた音楽専用ホールとか反響板とかいった話が出てきたが、同じ人達が演奏しても、環境(場所)によって聴こえ方が違うということである。
音楽にしてもテレビにしても、最近では写真や動画などもそうだけれど、様々な機材を使って調整し、さらに編集加工をして作品を作り出す。
要するに’ありのまま’ではない。
それが良いか悪いかは別にして、何もしない音がいつでもどこでも心地よいわけではないという一つの証明になる。

『涙はロンド』には、練習場所を借りるため学校に掛け合ったが、近所に音が迷惑だからと断られたと書いてある。
最近起きた元官僚が息子を殺してしまったという事件も学校の音がきっかけとなっている。
すなわち今も昔も、狭い所に住宅その他がひしめく都市部の学校ほど、思い切り練習が出来ないということである。
もちろんエアコン完備で窓を閉め切っても大丈夫とか、防音装置が入っているという学校もあるだろうけれど、ここでもやっぱり費用のかけられない学校ほど練習が出来ないということになる。(例え楽器を揃えたとしても!)

「同じ高校生だから」「同じ中学生だから」ということで一概に比較することは決して出来ない難しさがある。
この点からも競争重視の芸術やスポーツは考えものなのだ。





... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-08-06 15:45

コンボ

心を揺さぶるもの

生涯でこれほど感動的な演奏を聴いたことはなかったー
『涙はロンド』の大木先生は、自分が異動することになった時に生徒たちが最後に演奏した『贈る言葉』を、生涯一感動的な演奏だったと書いた。

私も少年サッカーと中学生のサッカーを9年間に亘って沢山観てきた。
高校サッカーも社会人サッカーもJリーグサッカーも国際試合も生で観戦したことがある。テレビでの観戦、あるいはテレビのスポーツニュースなどでやっている得点シーンや感動的なシーンの視聴を含めれば、もっと沢山の試合を観たことがある。
だけど私が、生涯で一番感動した試合は、長男が中学のサッカー部にいた時の中体連の地区予選の1試合である。しかもその時の試合会場は偶然にも自校の校庭だった。

前に書いたことがあるけれど、サッカー界は公式の試合に出場しよう思えば全ての年齢で選手登録が必要であり、クラブチームと中学校の部活チーム両方に登録することはできない。
サッカーの人気が上がり各地にクラブチームが出来ると(Jリーグクラブだけでなくクラブチームは沢山ある)、少年サッカーをやっていた子供の中にはクラブチームに進む子も出てきた。
しかしクラブチームの活動は放課後毎日というわけにはいかない。だから中学の部活にも所属して練習してもいる。(しかし大会出場チームは別であり連携練習などは意味がないし、練習に対するモチベーションも異なる)
長男の少年サッカーの同級生は結構クラブチームに進んだので、上級生が卒業すると中学の部活動のチームは下級生を入れても11人に満たない状態になった(8人)。(クラブチームの子を入れれば、余裕で11人を超える、しかも小学生時代にはチームメイトだった子もいるという複雑さがある)
2年前には県大会で優勝したサッカー部だったのに、数年後には11人にも満たないチームになると誰が思っただろうか。
そういう状況だったので、部長だった長男はじめ生徒達もいろいろ大変なこともあったんだと思う。部活チームは前を向けなかったこともあったんだろう。顧問の先生にひどく叱られ、試合だったにもかかわらず、「生徒たちを全員帰しましたから」と電話をもらったこともあった。(え!?)
でも、それでも最後まで面倒を見てくれると信じていたのに、顧問の先生は長男たちが3年になった春に異動した。(え・・)
新顧問はサッカー経験ゼロ(野球経験あり)の新米教諭と女性教諭。
だからそれ以降は、試合に関しては監督(指導者)がいないようなものだった。
感動的だった試合は、そんな試合の1試合だった。
センターバックの長男が後輩にその位置を任せ、自分が前に上がった。
コーナーキックからのヘディングを狙うのかと思いきや、コーナーキックをした子との息の合ったプレイで足で決めた。
そこからガラリと試合の流れが変わった。そして3年生全員が得点を決めた、普段は決めないような子まで。そしてそして逆転勝利。
あの感動を文章で伝えることはたぶん出来ないと思う。(こちらにも書きました)
でも私は確かに、まさに魔法というか奇跡というか、素晴らしい試合を見せてもらった。
その試合には勝ったが結局地区予選で敗退、県大会(県予選)にも縁のない中学サッカーだった。
だけど私の中では、後にも先にもあれを超える試合はない。


仲間と一緒に・・・・・・・・

投げ過ぎによる故障が心配で(?)県予選の決勝に登板しなかったことが話題になっていたピッチャーのことも高校のことも詳細は全く知らなかったので、今日ちょっと調べてみた。
そしたら県立高校なんですね!

BASEBALLTRIP 佐々木朗希が大船渡を選んだ理由は?大船渡高校の野球成績と特色 2019年1月12日 より

佐々木朗希が大船渡を選んだ理由

佐々木朗希選手は大船渡中学校の時からストレートの球速は健在で、141㎞/hを計測していたようです。
また東北大会では準優勝を果たしています。
この実績には全国の強豪校が黙っておらず、ラブコールがあったようです。
ラブコールに踏み切った高校の中には、2018年には春夏連覇を果たした大阪桐蔭の名前もあったようです。
数々の強豪校からの誘いを断って、地元の大船渡高校へ入学を決めた理由が、
中学の野球が楽しくて。その仲間と一緒に甲子園に行きたい」
とのこと。
マンガみたいな展開で感動的ですね。
また佐々木選手のコメントからは「野球を楽しみたい」という思いが含まれているようにも思えます。
これが野球の本来のあるべき姿のような気がします。 
勝利に対して貪欲になることは当然のことですが、野球を楽しむというスポーツの本質を理解しているコメントですよね。
中学時代の仲間と地元の高校へ進学を決めたということは、大船渡高校は寄せ集めの野球部ではないということが予測できますね。 


大船渡高校の歴代成績は?

大船渡高校が甲子園に出場した経験は春1回、夏1回です!
どちらも1984年のことで、春のセンバツではベスト4まで勝ち上がり、夏の甲子園では初戦敗退を喫しています。
それ以降は甲子園からは遠のいている高校です。
しばらくは予選で1,2回戦敗退から脱出できない状態が続いていました。 
筆者も高校時代(2008~2010年)、よく大船渡高校とは練習試合をしたものですが、良い選手が揃っていて、決して弱いというイメージはありませんでした。
それでもなかなか勝利ができない状態を切り抜けたのは佐々木選手が入学してから。
かなり成績を上げてきています。
2018年秋季大会では岩手県ベスト4にまで上り詰めました。 
佐々木選手の甲子園への挑戦は3年の夏のみです。
最後のチャンスをつかみとってほしいですね。 
※赤文字、太文字、イエローマーカーは元記事によるもの。


バランス

e0126350_15092289.jpg

これが『涙はロンド』の目次である。
第二部の「すべてに王道なし」は、1979年(2回目の金賞を受賞した年)に群馬大学教育学部の音楽専攻の学生に対して行った講演の記録になっている。
29~75ページの46ページ。

第三部は定期演奏会の生徒の原稿。
第四部は生徒の手紙。
よって出版するにあたって書いたのは、第一部のみということですね。
9~29ページの20ページ。

なんと!そうだったのか・・・の
何の飾り気もない素朴で清楚で折れてしまいそうな音が好きだからです。
村の祭りに吹く青年たちの笛の音が、大きさも長さも、その上、穴の位置までそれぞれ違う自作の篠笛で吹く、音程の合わない音色がたまらなく好きなのです。

という発言は、第一部に収められている記述でした。






# by yumimi61 | 2019-08-05 17:17

一昨日、スカウト勧誘?された。
e0126350_10531926.jpg

こっち?
e0126350_10573853.jpg

まさかこっちとか?
e0126350_10593367.jpg

169.png

先日「ゆとり教育」のことを書いた。
その時に載せた狭義の「ゆとり教育」の方針に次のようなものがあった。
②多くの知識を一方的に教え込む教育を転換し,子どもたちの自ら学び自ら考える力の育成を重視すること。

世界的にはそれよりずっと以前に、これに似た教育改革「新教育運動」が起こったことがある。
「新教育」(英語: New Education)または「新学校」(英語: New School)をキーワードに19世紀末のイギリスではじめられた教育改革運動のこと。
19世紀末から第一次世界大戦後にかけて、イギリスからフランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、ロシア、インド、中国及び日本、並びにその他の国々に展開された。ただし思想においても教育実践の手法においても一様でなく、ルソー、ペスタロッチ及びフレーベルの思想の継承発展により、書物を通じての主知主義の教育に対する児童の自主的で、主体的な活動を尊重するという児童中心主義の考え方に共通点が有る。


169.png

リトミックという言葉を聞いたことがあると思うが、リトミックという音楽教育は上記の「新教育運動」の中から生まれてきた。
リトミック(フランス語: rythmique、英語: eurhythmics)
新教育運動の絶頂期に、スイスの音楽教育家で作曲家でもあったエミール・ジャック・ダルクローズが開発した音楽教育の手法。開発者の名から、「ダルクローズ音楽教育法」ともいう。

当時、ハンブルクなどを中心に、国語や美術、体育、音楽の教育を、訓練・調教ではなく、子ども本人が自ら進んで学び、その感覚を体感的に身に着けていくための情操教育、芸術教育が叫ばれ、ダルクローズは、そのために楽器の演奏訓練を早期から闇雲にやらせるのではなく、音を聞き、それを感じ、理解し、その上で楽器に触ってみる、音を組み合わせて音楽を作ることの楽しさを身体全体で味わわせ、その喜びの中で、音を出し、奏で、そこから旋律を作っていくことへの興味と音感を育んでいこうとした。

日本の音楽教育の草分けで、作曲家・指揮者の山田耕筰も、自らダルクローズを訪ね、大いに影響を受けたという。
こうしたリトミック教育は、舞踏、演劇の表現能力のトレーニングにも利用され、また幼児教育、障がい児教育にも盛んに取り入れられている。
一部に、知育と組み合わせて英才教育としての効果を説く幼児教室や教育産業もあるが、それはリトミックの本来の趣旨にはないものである。


一部に知育と組み合わせて英才教育としての効果を説く幼児教室や教育産業もある、と書いてあるが日本ではどうしてもその傾向が強くなる。
勉強にしても音楽にしてもスポーツにしても、興味を満たすためや楽しみのだめでなく、人より秀でることが目指される。
それには早期教育が必要だと叫ばれ、幼いうちから何かを徹底的に学ぶように仕向けられる。
明確に効果(結果・成績)が示されるものでないと、行う意味や意義がないと半ば思っているふしがある。
リトミックへの認識も似たようなものなのである。プリスクールのようなイメージなのかもしれない。


169.png

NPOグリーンズ 2019.04.12 学習するコミュニティに夢を見て 信岡良亮 より

学ぶこと = 自分が深掘りしたい問いについて、主体的に探求すること
勉強すること = すでに誰かが知っている正解について、早く理解すること。

ではなぜ僕らは大人になるにつれて、そんな好奇心をなくしてしまうのか?
それは「自分の問い(不思議に思うこと)について学ぶことよりも、他者の期待に応えるために、他人から迫られて勉強ばかりに時間を奪われてしまう」からだと思うのです。

「学習性無力感」という言葉があります。例えば2m飛べるノミを高さ50cmの透明な箱の中にいれて、ずっと天井に頭を打ち続けると、箱から出した時に50cmしか飛べなくなるという実験がありますが、これはノミが「50cm以上飛ぶとよくないことが起こる、または自分は50cmしか飛べない」ということを学習した結果というのです。

僕たちは大学まで含めると20年くらいの時間、ずっと「自分で問いを持つことは時間の無駄」であって「早く暗記して、なぜ勉強するのかの問いを持つよりも単語を一つでも覚えること」ばかり学習していきます。自分で問いを探求するということに対して、僕らは無力感を覚え、無駄だという感覚ばかりを学習してきてしまっているのです。

「なぜ勉強しないといけないか、それはいい大学に入るため。なぜいい大学に入らないといけないか、それはいい会社に入るため。なぜいい会社に入る必要があるのか、それはいい老人ホームに入るためらしいよ」。

なんとも笑えないアメリカンジョークみたいな話ですが、そもそも僕らはなぜ学習するのでしょうか? さらに一歩進んで、いい墓を入るためなのだとしたら、大学にいくお金でよいお墓を買ったほうが早くて安いです。

だからこそノミの天井を外して、改めて考えてみたい。そもそもなぜ学習するのか?それはお勉強という意味でなく、なぜ僕らは学ぶのか、という問いだとすると僕の仮説は「自分の人生を豊かにするため」ではないかと思います。

ではあなたにとって、「豊かな人生とはどんなものか?」、この問いは大切な問いですが、大切なだけに簡単に応えられません。何よりも僕にとって豊かな人生と、あなたにとって豊かな人生はきっと絵に描いたら全く違うものになると思います。


なぜという問いを続けていくと「良い老人ホームに入るため」に行き着くという話は、私もどこか別の場所で見たか聞いたかしたことがあります。
良い(いい)というのは、人より良いということなのか、それとも今より良い(つまり親の生活よりも良い生活)ということなのか。
あるいは単純に人は常に、食べて生きて行くこと=そのための収入、に不安を感じているということなんだろうか。
学習する(音楽でもスポーツでも)理由の背景にあるのがランクの話ならば、そんなに良くなくても大丈夫と言えるかもしれないが、生きるか死ぬかということならば、学習しなくてもよいとは安易に言えない。
社会の中にはそれが混在していて、また両者は意外にも簡単に行き来する。

169.png


高校野球のピッチャーが投げ過ぎて肩を故障するかもしれない、だから投球や出場を制限すべきとかすべきではない、という話。
問題点を洗い出してみた。

1)まず高校野球を行っている選手がみなプロ野球選手を目指しているのかという問題がある。
高校生活を豊かにするために野球を行ってもよいはずなのに、部活動はそれを許さない?外野(世間)がそれを許さない?例えば、物凄い速い球を投げられるピッチャーが科学者を目指していたって、公務員を希望していたって別にいいじゃないか。そういう選手は皆無であるという前提の話なのか。

2)肩を故障すると言うけれど、その故障は、プロ野球選手として致命的な故障なのか、プロ野球以外の野球も出来ない故障なのか、それとも良いランクの野球選手にはなれそうもない故障なのか。あるいは日常生活に支障をきたすような故障なのか。将来的、例えば高齢になった時に大きな不自由をもたらすことが予想される故障なのか。

3)野球は個人競技ではなくて団体競技である。個人のレベルも目的も目標も違うだろうと思う。でも団体である以上、団体として理念やポリシーがあるだろう。それが共有され、納得して所属しているんだろうかという問題がある。また外から口を挟む場合、それを重視して発言しているのかという問題も。

野球の先にあるのが必ずプロ野球選手で、高校野球はプロ野球選手の養成所(専門学校)なのか? 一般的な目線では、これがひとつの違和感になっている。
さらに・・・
「なぜ野球をしないといけないか、それは強い少年野球チームに入るため。なぜ強い少年野球チームに入らないといけないか、それは野球の強い高校に入るため。なぜ野球の強い高校に入る必要があるのか、それは甲子園大会に出場するため、なぜ甲子園大会に出場しないといけないのか、それは日本のプロ野球チームにスカウトされるため、(なぜ日本のプロ野球チームにスカウトされる必要があるのか、それは大リーグに移籍するため)」
この論理の中にある場合で、甲子園大会に出場しなくても日本のプロ野球チームからスカウトされるとするならば、甲子園大会に出場する必要はなくなる。無理に暑い中で連投する必要はない。最小努力の法則。
もはや甲子園大会で活躍するまでもなく、スカウトたちが早くに才能を見極めてくれて、獲得に蠢いている。とするならば、教育や学習はすべて就職のためにあるようなものとなる。


169.png

ダルクローズ理論は「動きを通じて音楽の諸概念を教える」という理論である。ある種類の動作およびその相似形の動作で音楽の概念を表現することによって、音楽表現に関する一貫した自然な感覚を得るのである。身体そのものをよく調律された楽器へと変えることが、確かで鮮やかな音楽の基礎を身につけるのに最も適しているとダルクローズは考えたのだ。

リトミックの提唱者は、動きを通じて音楽の諸概念を教えるという考えを持っていたようだが、実は英語にも似たような理論がある。
動いて英語を身に付けるというもの。
e0126350_15194342.jpg
私は結構いろんな種類の英語を覚えるための本を持っているのだけれど、上の写真はその中の1冊。
「世界中の教師からの反応」なんてページもあるけれど、私は英語教育法を検討していたわけではなく、自分が覚えるために買いました。しかもいきなり上級編(笑)。
だって中は全て写真右上のような感じで、上級編でも絵が多かったから(笑)。
で、覚えられたかと言うと、覚えられません。たぶん私の努力が足りないんだと思います。

e0126350_15364761.jpg
e0126350_15380058.jpg


# by yumimi61 | 2019-08-04 10:54

Nest

e0126350_23102467.jpg
🐝 昨日載せようと思って忘れた写真。
蜂の巣が入っている蜂蜜。
喉にいいですよ!?

👶 さっきテレビ番組表を見たら、今晩NHK総合で『透明なゆりかご』の再放送やってるよ。0時から2時17分まで。

📺 先週の土ドラはいつもと雰囲気が違い、こんな夜更けに食べ物の話っぽかったので、今回はパスしようと思ったんだけど、今日もちらっと見てみたら違うドラマになっていた。なんでー







# by yumimi61 | 2019-08-03 23:11

スイコン

最小努力の法則

目標を達成するためには、通常幾つかの方法が存在する。
人間は結果的に最も少ない努力で到達できる方法を選択する、というのが最小努力の法則である。
言い換えると、目標を達成する方法は最小努力で済む方法が選ばれるべきであるということにもなる。(効率の良さ)

次の実験は、最小努力の動物実験として知られている。

ガラスの仕切り板を挟んで、片側には空腹の動物、片側に好物の餌を置く。
ガラスで仕切られているものの、完全な仕切りではなく端の方には抜け穴がある。つまり周囲を見回し、少し遠回りすれば、餌に有り付ける状況。
動物はまずガラスの仕切り板に気付かず餌に直進して激突してしまう。ガラスに阻まれて餌の所まで辿り着かない。
愚かな動物は何度も同じ過ちを繰り返すが、当然餌にはあり着けない。学習しないということである。(もっとも力の強い動物と強度の弱いガラスの組み合わせならば、繰り返しの衝突で強行突破できることもあるかもしれないけれど)
しかし賢い動物は、一度あるいは数回ガラスにぶつかった段階で、他の方法を考える。そして直進するのではなく端に迂回すれば餌に到達できることに気づいて、餌に辿り着くことが出来る。


直進して何度も何度もガラスに衝突することも、一旦立ち止まり周囲を見回して迂回路を発見することも、ともに前進を選択していることには変わりない。
前進しようとしていることを「努力」とするならば、どちらの動物も「努力」をしている。でも結果は違う。
直進して何度も何度もガラスに体当たりするのは、「最小努力」ではない。
動く距離こそ短いかもしれないが、繰り返しと体当たりには大きなエネルギーが必要でダメージも伴う。いつかは力尽きて動けなくなってしまう。


パレート(不均衡)の法則

イタリアの経済学者ヴィルフレート・パレートが1897年に発見した法則。
パレートは、イタリアの国土の80%が人口の20%の人々によって所有されているという事実に気づいたのだった。
そこでこの不均衡の研究を始めると、社会の所得の約8割は2割の高額所得者が占めているという所得分布のほか、様々なものに当てはまることが分かった。

そして50年以上経ってから、ジョセフ・ジュランというルーマニア生まれの品質管理工学者(品質管理の世界的第一人者)がこの考え方をビジネスに応用して「パレートの法則」と名づけた。
品質管理の専門家であるため品質管理からのアプローチであり、製造不良の大半は、数ある原因の中のほんの一部に起因していると説明したのである。
戦後の日本の工業製品の品質向上に大きく貢献した人物と言われている。

【パレートの法則の例】
・会社の生産量の80%は、全従業員の20%がもたらしている。
・20%の商品が、総売上の80%を稼ぎ出す。
・20%の上得意客が、総売上の80%をもたらしている。
・持ち時間の20%で、成果の80%を生み出す。
・サイト訪問者の上位20%が、アクセス総数の80%を占めている。
・納税者の上位20%が、税金総額の80%を負担している。


例では80%と20%と記されているが、パレートの法則自体は、80:20と明確に分かれるものではない。
ジュランは「肝心な少数と取るに足らない大多数」と表現している。
「投入」にしても「原因」にしても「努力」にしても、ほんの僅かな部分が、「産出」「結果」「報酬」の大部分をもたらすことになる、ということである。


働きアリの法則

パレートの法則から派生した法則。2-6-2の法則ともいう。

●働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。(←パレートの法則)
・働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
・よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
・よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
・よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
・サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
<

このアリの現象は、反応閾値によるものだという研究報告がなされた。
反応の良い(反応閾値が低い)アリほど一生懸命に働くハチだそう。

イソップ寓話を持ち出すまでもなく働き者としてのイメージが強い、アリ――。そんな“定説”に一石を投じる『働かないアリに意義がある』がいま話題になっている。著者である長谷川英祐さんに、アリが示唆する組織のあり方について聞いた。TKCグループ 戦略経営者(2012年1月号より)

――おととし12月に出版されたご著書である『働かないアリに意義がある』が10刷を超えるベストセラーになっています。そもそもどんな経緯でこの本は生まれたのでしょうか。

長谷川 働かないアリの研究は以前からやっていて「働かないアリだけを集めると一部は働くようになる」という研究結果を学会で発表すると反響が大きく、新聞の取材を受けたりしていました。それで「常に働かないアリがいないとコロニー(集団)が長続きしない」という学会での発表を聞きつけた出版社から、執筆の打診を受けたのがきっかけです。
 なぜかよくわからないのですが、働かないアリの話はとにかく一般の人に受けがいい。この本の内容は完全に生物学の話題で、組織運営自体を論じているわけではありません。われわれが研究している基礎科学の領域は、すぐに世の中の役に立つことを研究しているわけではないので、多くの人たちに関心を持ってもらうことがとても重要です。本の表紙に“身につまされる最新生物学”とうたっているとおり、アリの世界でも人間社会同様、裏切りや戦争、はては過労死まであります。きっと読者の方々はアリの社会を人間社会に置き換えて読まれているのではないでしょうか……。


アリの法則はハチでも当てはまるそうである。

ハチによくある誤解が、生殖能力のある女王蜂がメスで、働き蜂がオスというのものだが、働き蜂も全てメスである。(これはアリでも同様)
働き蜂もメスだが交尾しての生殖能力はない。しかし女王蜂が死ぬと卵を産むことはある(無精卵)。この場合、生まれてくる蜂は全てオス。
では雄蜂はなにをやっているのかというと、女王蜂の交尾相手でしかない。それ以外の仕事は一切しない。だけど雄蜂も相当数いるので交尾できない雄蜂は働き蜂に追い出さてしまうとか。
このように蜂の世界は人間や他の動物と生態やコミュニティが全く違うので、蜂の世界の話をそのまま人間社会にあてはめるのは、残念ながら少々無理がある。


あなたが産まれてくれたことが幸せ、あなたが生きていることが幸せ

 毎日、三度三度飯を食って夜になったら寝るなんてことは、犬だってブタだってやってることです。そんなのはついでに生きているってことです。それでは人間として恥ずかしいじゃないですか!そして、皆さんにお願いしたいのは、努力した人を正しく評価して欲しいということです。


では、病気を持っていて、食べて寝ることしか出来ない人は、人間として恥ずかしい?
障害を持っていて、食べて寝る事しか出来ない人は、人間として恥ずかしい?
犬やブタはついでに生きている?
そんなことを言っているわけでも、言いたかったわけでもないのだろうと思う。
でもそういう批判が想像できなくもない文章である。

有意義じゃなければ、結果や成績を残さなければ、生きている資格がないのだろうか。
今日もご飯が食べられて良かったと、今日もぐっすり寝られて良かったと思うことはいけないことなんだろうか。
賞やメダルやお金が貰えなかったら、人間は幸せではないんだろうか。
パラリンピックに出て活躍するような障害者ばかりが持ち上げられるのは、彼らがついでに生きている人ではなくて、そうでない障害者はついでに生きているような人だからなんだろうか。

どんな人にだって困難や悩みはあるはずで、それを乗り越えて成し遂げられた目標は、みなそれぞれに価値があると思う。
でも大きな努力が優れた結果をもたらすとは限らないのも事実。
ガラス板に何度も衝突するように大きなエネルギーが必要でダメージも伴い死んでしまうような努力が最大限評価されて、最善の方法を尽くした最小努力は評価に値しないというのもおかしな話である。
努力した人を正しく評価するって、とっても難しい。


「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の誤用

古代ローマの詩人デキムス・ユニウス・ユウェナリスの著作『風刺詩集』の中の一節。
元はラテン語。orandum est, ut sit mens sana in corpore sano

一般には「健全なる精神は健全なる身体に宿る」(A sound mind in a sound body) と訳され、「身体が健全ならば精神も自ずと健全になる」という意味の慣用句として定着している。しかし、これは本来誤用であり、ユウェナリスの主張とは全く違うものである。

そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩である。ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすれば「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」(It is to be prayed that the mind be sound in a sound body) と語っており、これが大本の出典である。

以上の背景から、単に「健やかな身体と健やかな魂を願うべき」、つまり願い事には慎ましく心身の健康だけを祈るべきだという意味で紹介されることがあるが、それも厳密には誤りである。健全な精神については数行に渡って詳細に記述されており、ユウェナリスがローマ市民に対し誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていたことが窺える。

その後しばらくは本来の正しい意味で使われていたが、近世になって世界規模の大戦が始まると状況は一変する。ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄しながら、軍国主義を推し進めた。その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いている。『アシックス』はこの語をアレンジした頭文字を社名にしている。



理性と本能

 花が咲くと、花の部分しか見ないでしょう。そうではなくて、花が咲くためには根っこがあるんだってこと。私は自分の名前が大木という名前だからよく部員に「大木(タイボク)っていうのはなあ、ただ外見だけで判断してはいけない。枝だけ見て、枝振りがいいなんて言ってはいけない。その枝の何倍っていう根っこが、地中深く大地を支えているのに気づかなければいけない」と言います。
 白鳥が水に浮いているのを見て「ああ、白鳥がきれいだ」なんて言うけれど、水面の下では休みなく足が動いているんだっていう話、聞いたことがあるでしょう。それから、ソロ(独奏)をやっている人は非常に目立つけれど、ソロの陰で和音を支えている人が必ずいるのです。また満塁ホームランは打った人が拍手喝采をうけるけれど、その前に、一塁、二塁、三塁を埋めた選手がいるんだってこと。そういうことに心を配ってくれる人になってほしいと思います。


これはもっともなことだけれども、行き過ぎると、特に学校のようなところでは、「ソロはやめましょう」ということになる。
「ゆとり教育」のもと実際にそういうことが各地で起こった。

満塁ホームランは、一塁二塁三塁を埋めた選手がいなければ満塁ホームランにはならない。これももっともである。
でももしホームランを打つ選手がいなければ、満塁ホームランには絶対にならないのもまた事実である。
例えばワンアウトで併殺打だったり、ツーアウトで三振すれば、一塁二塁三塁の選手はホームベースを踏むことすらない。
ホームランは、例え走者が一人もいなかったとしても、すぐに1点入る。
ホームランってそれくらい威力があるという現実も片一方にある。

いくら平等を掲げても、結局人間や社会はそれでは満足しないのだ。
だから競うスポーツが好まれるのだし、受験戦争が加熱したんだし、本当の戦争だってなかなかなくならない。
「ゆとり教育」と言ったって、みな学校の外にゆとりではないものを求めた。
校外での競争に時間を割くためのゆとりだったのだと言われれば、まあそうなのかもしれないが。
人間は競って勝ったり優越感を持つことが本能レベルで好きなんじゃないかと思う。
それともそれは本能なんかじゃなくて、例えば子育てとか教育とか、何かをどこかで間違えた結果なんだろうか。


お礼回り?お礼参り?

 最後に・・・・・・・・
 私が常に生徒に言っている言葉です。
    生きているということは、だれかに借りを作ること
    生きて行くということは、その借りを返しにいくこと
 生きて行くということは、自分の意志が入るのです。ただ、のんべんだらりと飯を食って寝るというのでは、それはただ生きているということです。「生きて行く」という強い意志のにじみ出た生徒になれと常に言っています。


私はお金の借りは返したほうが良いと思うタイプですが、生きている中でうっかり(?)私に借りを作ってしまったと思っている人がいれば、その借りは返してくれなくても大丈夫です。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-08-02 15:42

エアコン

「ハングリー」と「ゆとり」

「ハングリー」と「ゆとり」、まるで正反対な立場のようなのに、どちらも努力が大事?

今回もまた『涙はロンド』より。
 努力と言うと、またかと言うが
 先ほど執念という話をしましたけれど、「今に見てろ」「ようし!」「ちくしょう!」とか、そういったものを腹の中に持って毎日の努力をしていくということが、いってみれば大切なことだと思います。


ハングリー精神という言葉がある。
ハングリー(hungry)は、空腹なこと、飢えていることである。
生理的な飢えの他、精神的な意味合いでも使う。

スティーブ・ジョブズ氏が2005年スタンフォード大学の卒業式に招かれ、スピーチで"Stay hungry, stay foolish"と語った。
’hungry’や’foolish’は、飢えと愚かさ。
’foolish’は知能が低い、知識がない、頭が悪いという意味ではない。世界大学ランキングの上位校で世界中から優秀な学生が集まり、合格も極めて難しいとされるスタンフォード大学の卒業式で使ったくらいだから、それはそうだろう。
意識的に愚かであれということである。簡単に常識的な選択をするな、王道を行くなというような。
ということはですよ、スタンフォード大学に進学して卒業するなんてことは、"Stay hungry, stay foolish"とは程遠い感じがしますね。そうでもないですか?

一方日本ではその頃「ゆとり教育」が行われていた。
「ゆとり教育」は正式名称ではなく、実は始まりや期間には諸説ある。
狭義には2002年~2010年代初頭まで行われていた教育。

=狭義の「ゆとり教育」の方針=
① 豊かな人間性や社会性,国際社会に生きる日本人としての自覚の育成を重視すること。
② 多くの知識を一方的に教え込む教育を転換し,子どもたちの自ら学び自ら考える力の育成を重視すること。
③ ゆとりのある教育活動を展開する中で,基礎・基本の確実な定着を図り,個性を生かす教育の充実を図ること。
④ 各学校が創意工夫を生かし特色ある教育,特色ある学校づくりを進めること

ゆとり教育は、1980年度から施行された学習指導要領による教育方針であるが、1992年度から施行された新学力観に基づく教育や、2002年度から施行された「生きる力」を重視する教育をゆとり教育であると定義する人もいる。

1970年代までに学習量が過剰に増大した学校教育は「詰め込み教育」と呼ばれ、知識の暗記を重視したため「なぜそうなるのか」といった疑問や創造力の欠如が問題視され、このような学習方法はテストが終われば忘れてしまう学力(剥落学力)であると批判された。このため思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型、過程重視型の教育方針が求められた。

また、加熱した「受験競争」により学校教育においても学力偏差値が重視されるようになったが、1992年に公立中学校で偏差値による進路指導が禁止され、1993年には中学校校内にて実施する一斉業者テストが禁止された。また過剰に競争をさせたり、過剰に自由を奪う学校のあり方は子供のストレスや非行などの学校をとりまく諸問題の要因だとして「子供を学校に縛り付けている」「子供にも自由が必要」などの批判を受けた。

2002年度施行の学習指導要領では「生きる力」への転換重視「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。教科書では実験、観察、調査、研究、発表、討論などが多く盛り込まれ、受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られた。


では実際、何年生まれの人が狭義の「ゆとり教育」世代なのかと言うと、、、
移行期を含めない純ゆとり教育期間が含まれる年代は、1987年生まれ~2001年生まれ。
純ゆとり教育期間に教育を受けたのが一番長いのは、1993年~1995年(厳密に言うと1996年4月1日まで)生まれの人である。

・1993年生まれ 小3~高3の10年
・1994年生まれ 小2~高3(中2のみ移行期に該当)の10年
・1995年生まれ 小1~高3(中2と中3のみ移行期に該当)の10年

うちの長男は1995年生まれで、中学校の卒業式の日に東日本大震災が発生した。
つまりこの1993年~1995年生まれの人は、ある種異様な社会空気の中で高校生活を送った世代でもある。

ゆとり教育では、授業時間を減らし、相対的評価から絶対的評価に変わった。
同じ学校の同じ学年または同じクラスの同級生と比較して評価を付けるのではなく、個人の目標に達しさえすれば、通知表の評価が上がるようになった。
簡単に例えれば、テストで90点採っても評価4の子供もいれば、テストで50点採っても評価4の子供もいるということになる。
いわゆる「努力」を評価する比重が高まった。
努力を軸にすれば平等かもしれないが(努力が見えるのか計れるのかという問題もあるが)、点数という軸では全然平等ではないのが、絶対評価である。
結果、学力が低下し、ゆとり教育は失敗だったと言われるようになる。
学力の低下というのは、当然に評定平均ではなく、全国学力テストの結果である。
絶対評価で個々の評価は上がっても(もちろんその逆で相対的に成績が良くても個人の評価が上がらない人もいる)、全体的な学力は落ちたということなんだろう。

また「ゆとり教育」のもとでは平等という考えが非常に強まり、徒競走などで順位を付けないとか、誰か一人が主役になるような学芸会などは行わないなど、過度に競争を避ける傾向も強くなった。
結果として競走社会である現実社会と学校という場に大きな乖離が生じてしまった。
「学校教育のゆとり」と「平等の物足りなさ」から、塾にしても習い事にしても子供達はどんどん学校の外に出て行った。
褒めて伸ばす教育というようなことが盛んに持て囃され流行しだしのも「ゆとり教育」の頃だと思うが、これも少々間違えた解釈で使われるようになり、自己肯定感ではなく自己重要感の比重が大きくなってしまった。


吹奏楽部はハングリーだったのか?

他のものを抑えて赴任そうそうに200万円もの予算を付けてもらった吹奏楽部(大木先生)は客観的に見てハングリーと言えるんだろうか。そうは思えない。

だとするならば、「今に見てろ」「ようし!」「ちくしょう!」は、他の教員に文句を付けられたことに対する個人的な恨み。
あるいは、音楽が一般的には受験の教科ではないため、主要教科から外れたところの教員であることを余儀なくされていることへの積年の恨み。
あるいは、頭の良さでも、チヤホヤされる運動部でもない、文化部を率いている者として、文化部を卑下する社会に対する恨み。
あるいは高い楽器を個人で購入出来る人と出来ない人がいるという格差への恨み。

恨みや怒りは時に大きなエネルギーになる。

「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と語ったのは、青色発光ダイオード(LED)の開発で2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏。

恨みや怒りのエネルギーを、特定の誰かや何かに直接向けて言い返すとか乱暴を働たり危害を加えるといった行動をとるのではなく、もっと大きなものに向ける。
それが「見返す」という復讐であり、恨みや怒りのエネルギーで以って目指すものが大きければ大きいほど見返しの度合いも大きくなる(と本人は感じているはず)。昇華の一種だと思う。
すなわち高く強い権威や権力に認められること、ひいては社会に肯定され称賛されることが一番の見返しとなりやすい。
直接的に何か犯罪行為を行う復讐ではなく、昇華させるわけだから、それはそれでとても意味があるとは思う。
ただ恨みや怒りがエネルギーの源になっているので、平常心や理性を失ってしまい、「どんな手を使っても見返してやる」というようなことも起きかねないし、恨みや怒りのエネルギーで社会を振り回すことにもなる。

恨みや怒りのエネルギーを社会に向けて何か行動を起こす。
その一方は賞レースに勝ってチヤホヤされるというような昇華であるが、その反対を考えれば誰でもよかった無差別殺人なんかにも当てはまりそうな感じがする。


努力ってなんだろう

 初めに、本日の話は「努力」という話で結論を出すと言いました。・・・努力というのは、毎日五時間も六時間も全力で頑張って、一年三百六十五日毎日ですよ、それを努力して五年。五年間やって、それでも出来なかったら「私には才能がなかった」「私は運が悪かった」と口にしても良いと思いますが、二ヶ月や三ヶ月やって出来ないからと言って「親からの遺伝だからしょうがない」(笑)そういう風に言うのは、とってもみじめなことです。毎日、死ぬほどの努力をして五年。松平さんは十年と言いました。彼は世界一ですからそうでしょう。
 五年やってうまく行かなかったら、これは方向転換を考えるのも仕方ないと思うけれど、二ヶ月や三ヶ月やっただけで「運が悪かった」「才能がなかった」なんていうのは負け犬の言うことで、本当の努力はしてないのです。努力していない人に限って、全国優勝したとかって聞くと「運が良かったねぇ」なんてホザくんです。川上元監督が言っています。「あれほどの努力を人は運と言い」川上さんは九年連続プロ野球で日本一となった人です。あの人が「運が良かったね」なんて言われたんでしょうね。あれだけ努力して取った日本一なのに人は運と言った。「あれほどの努力を人は運と言い」・・・・残念だったでしょうね。


ブリタニカ国際大百科事典
・一般的には,外的な誘因よりも意志または意図によって維持される心的,身体的な活動と,その際に生じる主観的な緊張感をさす。

デジタル大辞泉
・ある目的のために力を尽くして励むこと。

大辞林
・心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。

精選版 日本国語大辞典
・力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。

辞書を読んでも、同じような違うような説明が書かれている。
「努力した」と言うのに必須な要件はあるのかないのか、あるとしたらそれは何なのか?
意思や意図なのか、力なのか、心なのか、休んだり怠けたりしないことなのか・・・分かったような分からないような・・
頑張ること、根性、熱中、継続、苦労、そうしたものとほぼ同じなのか、それとも全然違うのか・・
努力って結構曖昧。

もっとも『涙はロンド』は1981年に書かれたものであり、38年も前のものだ。
よって「時代が違う」の一言で片づけられそうである。
(とは言っても絶対評価は努力が重視されるわけだから、そう古臭い話でもない気もするけど)

私が中学高校の頃、卒業する時に友達や先生にサイン帳を書いてもらうというのが流行っていた。もっと後の年代はプロフィール帳になったらしい。
私の高校卒業時のサイン帳にとある男性教師が’突破’と’努力’と書いてくれた。
体育の教師であったが、担任だった時もあった。部活動では陸上部の顧問をしていたが当時の陸上部は(私の記憶では)数名しか部員がいなくて可哀想なくらいだった。

作家の村上春樹氏は、努力という言葉が好きではないと何かに書いていた。日本人は明けても暮れても努力という言葉が好きで呆れるとか辟易するとかいうような感じで。
ーあれは努力じゃなくてただの労働だ。俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ。ー『ノルウェイの森』より

意図や意思によって維持されるもの、主体的に目的的に行うこと。
運ばれるもの、与えられるもの、授けられるもの。


(努力の話はまだ続くのですが、明日になります)






# by yumimi61 | 2019-08-01 17:45

コンモト



またまた『涙はロンド』より
 執念深い
 執念深いという言葉はあまり良い響きをもっていませんが、私は非常に勝ち気で「悔しい」なんてことは人一倍覚えているのです。
 だから、八年前ある先生が「どこの馬の骨に二百万円も出すんだ」と校長に食ってかかった時、校長に食ってかかったということは私に言ったってことでしょう。それを今もって腹の中に抱いています。
 あの時、社会科の先生ですけれど「オレたちは五年も前から世界大地図を校長に頼んでいるのに、まだ買ってもらえない。あんなの八千円くらいで買えるんですよ、校長!吹奏楽は二百万ですよ、どういうことですか、これは!」と言うんですよ。
 考えてみれば八千円のものを買ってやらないでいきなり二百万ですからね。
 それに、もうひとつ「吹奏楽ってえのは、オーボエが五十万だ六十万だと言ったって、ひとりしか吹けないじゃないか。印刷機、前から調子悪いのにちっとも買いかえてくれない。印刷機は一台で全校の生徒が恩恵を受けられるんです。どっちが重要だと思いますか」と、そういう論法なんです。皆さんも、きっとそういう場面に出合うことがあると思いますが、その時に私が答えのは「いや、オーボエという楽器は確かにひとりの生徒しか吹けないが、私たちは機会あるごとに演奏します。そうすれば、その音色は千二百人の生徒のひとりひとりの心の中に染み入っていくことでしょう。それは印刷して配られた紙と同じではないでしょうか」と反論したのです。
 そういう風に、実際に生徒が物として触れなければ役になっていないんだという考え方、これは間違いです。
 我々、日本人は知識の方ばかりを重視して、頭の良い生徒イコールいい生徒だとしてしまいがちです。そして、いい音楽を聴いたりいい絵を見たりして涙を流して感動するような生徒たちの評価というのは割合ないのです。それではいけないのです。知識と同じように、感動の評価もしてあげれなければいけない、そう思います。


・どうして世界大地図と印刷機を買ってからではダメだったのか、むしろそれが不思議。
校長先生がポケットマネーで出すならともかく、県立高校だし、金銭感覚をないがしろにしてよい学校でもないと思う・・・。
授業や学校運営に使うものに費用を捻出できないのに、1つの部活動にポンとお金を出せるのは何故なのか。
運動部にしても吹奏楽部にしても、全国大会に出場して優勝でもすれば、学校の名が挙がり有名になれるから?
指導者の誇りを満たせるものだから?

・立派な楽器がなければ高校生の心が育めないと思っているならば、それは違うと私は思う。

・感動の評価とは、「感動させる力」を評価するということだろうか、「感動する力」を評価するということだろうか。
感動は’評価’に値するものなんだろうか。’感動’は計れるものなんだろうか。
全国大会の成績=感動値、なのか。
金賞とったら体育が5になるのは、吹奏楽部の生徒が「感動する生徒」たちで、他の生徒は「感動しない生徒」だからなんだろうか。

・幼い子供は見てもらうのが好きである。
お父さんお母さんでも、おじいちゃんおばあちゃんでも、先生でも、お友達のママでも、近所のおばさんでも、「ねえ見てて」と言って何かして見せる。
幼い子供がすることだから、大人にとってはたいしたことではない。本当に些細なことだったりするけれど、子供は目を輝かせながら「見て見て」と言うのである。
大抵の大人は「わーすごいね」「出来るようになったんだね」と驚いたり褒めてあげたりする。大げさに言えば感動したふりをする。
これは定型のやり取りである。
大人に見てもらったら丸ごと承認されることを子供も半分知っている。知っていてやるのだ。
注目してもらい、承認をもらい、子供は安心感と自己肯定感を得る。そうやって根拠のない自信を育んでいく。

・自己肯定感とはあるがままの自分の価値を認める感情。「自分は愛されている」「何をしなくても存在するだけで価値がある」と思えるのが自己肯定感である。

・幼い子供の「見て見て」からの自己肯定感獲得は条件反射みたいなものであろう。
<パプロフの犬>という有名な実験がある。
パブロフという研究者が犬の唾液分泌について調べていた。
餌を与える自分や飼育員の足音を聞くだけで犬の唾液分泌量が増えることにパブロフは気付いた。
これは持って生まれた生理的な反射ではなく、経験や訓練によって獲得する反射行動とされている。
  ①子供「見て見て」→②大人が見て褒めてくれる→③自己肯定感
これを繰り返すことによって、やがては①②をしなくても、自己肯定感を持てるようになる。
もちろん特別な行動や言葉がなくても日常生活の中から受け身的に自己肯定感を獲得したりもするが、「見て見て」という子供の行動は積極的に自己肯定感を育てるチャンスでもある。

・ちょっとややこしいのだが、子供を条件付きに褒めたのでは自己肯定感は育まれないとも言われる。
何かノルマを達成した時だけ褒める、何かがとても上手に出来た時だけ褒める、良い成績を収めた時だけ褒める、言うなれば大人がリードする褒めである。(見て見ては子供がリードする)
これでは何か特別なことがないと自分は認められないのだと思ってしまう。
あるがままの自分の価値を認める自己肯定感に対し、こちらは自己重要感と言う。
何か特別な能力を身に付けた自分に価値を認める感情である。
大人の地位や肩書なんてものも、この自己重要感に関わるものである。
  ①何か達成して褒められる経験→②自己重要感→③褒められるようにまた頑張る
この場合、①がなくなると、②③を維持しにくい。自己肯定感とはそこが大きく違う。

・自己肯定感が低く、自己重要感が高い人の場合、何か特別なことが出来る自分に価値があるという思いに支配されるようになる。
そして、価値がある自分が何でもコントロール出来るという少々歪んだ認識を持つようにもなる。
これを心理学においては全能感(万能感)と言う。
心理学用語で、「自分が何でもできる」という感覚を意味する語。特に子どもの発達段階において、しばしば見られる現象である。躁病や自己愛性パーソナリティ障害の構成要素の一つとされることもあり、自身の能力を過大評価してこの感覚を持つことによって、対人関係などに問題が生じる場合もある。万能感とも言う。

・「見て見て」と言っていた子供も次第に「見ないで」に変わっていくのが通常の発達過程である。
見られていなくても「自分は大人に愛されている」「何をしなくても存在するだけで価値がある」という一定の自己肯定感を獲得し、今度は「自分は他の人とは違うんだ」「自分は自分なんだ」という自我を確立させていく。
「自分は他の人とは違うんだ」というのは全能感から来るものではなく、良くも悪くも違いを認識するということである。人は誰一人同じではない。

・自我の確立を経て、自分と他人の違いを認識し、見えない壁を作ったり、見えない線を引くわけだが、その違いを超えて再結合するのが恋愛であったり結婚だったりするのかもしれない。

・現代社会は承認欲求が肥大化した社会であると言われる。
幼い子供だけでなく、大人までが常に承認を求め、誰かに認めてもらいたがっているという。
これは自己肯定感の欠如なんだろうか、それとも自己重要感を獲得したいということなんだろうか。





... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)



# by yumimi61 | 2019-07-30 17:20

プロコン

e0126350_16315624.jpg


騒音とか何か

前回引き続き『涙はロンド』より
 ひそやかさ 私の日本音楽のすべて
 私が日本の音楽を演奏するのは、心から日本の音が好きだからです。
 何の飾り気もない素朴で清楚で折れてしまいそうな音が好きだからです。
 村の祭りに吹く青年たちの笛の音が、大きさも長さも、その上、穴の位置までそれぞれ違う自作の篠笛で吹く、音程の合わない音色がたまらなく好きなのです。


なんと!そうだったのか・・・

 ところがどうでしょう。今や私達の街は、どこも騒音で埋めつくされてしまいました。ガナリ立てる宣伝カー、工事場のパワーシャベル、自動車のヒステリックなクラクション。山に行ってさえ、肩に掛けたラジオでヴォリューム一杯に流行の音楽を流す若者たち。その上、近頃は腕時計にまでベルがつくようになりました。計算器から音楽が鳴りだしたりします。そんな必要があるのでしょうか。見たくない時には目を閉じればすみますが、騒音に対して、いちいち耳を抑えているわけにはいきません。聴きたくない音でも、否応なしに耳に飛び込んできます。まさに現代は音の暴力です。


街の公園では腰に引っ掛けたラジオでヴォリューム一杯に国会中継の音声を流すオジサマ方もいますよ、先生!

 かつて、私たち日本人は、虫の音、風のささやきに耳をそば立てたではありませんか。風流なんて言葉もありました。その耳、その心は、いったいどこに行ってしまったのでしょう。風鈴の音に涼しさを求めるなんて人はいなくなってしまったのでしょうか。


・ご近所のピアノの音、窓を開けて音楽を聴いている子供部屋から外に放たれる音、電動芝刈り機の音、赤ちゃんの泣き声、幼い子供の騒ぎ声、若者が花火に興じる音。
生活の音であり、時にそれは微笑ましい音でもあるが、やっぱり騒音になることも間違いない事実であり、苦情が出たりトラブルになることもある。
ライフスタイルが違えば尚更。

・子供が小学生の時に少年サッカーをやっていて、私は学年リーダーを担当していたことがあった。
上の学年のリーダーに急ぎで連絡をしたほうがよい案件があった。
今はそういう連絡にも携帯電話(LINEやメール)が使われるようになったが、当時はまだファックスや電話が主流だった。
緊急の連絡だったので(そう思ったので)、21時を過ぎていたが私は電話をした。
しかし叱られてしまった。うちには高齢のおばあちゃんがいてもう寝ている時間なので、この時間に電話が鳴るのは迷惑だとはっきり言われたのである。
同学年のメンバーのお母さんたちとは22時でも23時でも電話したりし合っていたので、ついつい私の判断が甘くなってしまった。

・交代勤務をしている知人は、夜勤で昼間寝なければならない時にはインターフォンを切ってしまうと言っていた。
そうでなくても交代勤務者が昼間に十分に睡眠をとるというのは難しいわけだが、やっぱり音で起きてしまうからだということだった。

・そういう私も子供が赤ちゃんの時にはやっと寝付いた子供がインターフォンなんかで起こされないように、インターフォンや電話を切ったことがあった。

・私は風鈴が好きで夏になると買ったりしてしまうが、風鈴もそよかぜの時はいいのだけれど、強風の時にはチリチリチリチリ絶え間なく鳴り続けていて騒音になってしまうので、あまり風が強い時はおろしたりしていた。
紐が切れるレベルや風鈴ごと落っこちるレベルで風が吹く時もありますからね。

・物音や人影に敏感で、来客があったり、道を人が通ったり、インターフォンが押されると、けたたましく鳴く犬。だから犬は番犬などと言われるわけだが、その犬の鳴き声も聞く人が聞けば騒音だろうと思う。
うちの犬は耳が遠くなり、物音に敏感に反応するということがなくなったので、その意味では犬も私も以前よりは平穏に暮らせている。

・今は雷の凄まじい音が轟いている。(18:06)

・メスの蚊が嫌うとされる17kHz付近の高周波数のモスキート音を発生させるモバイルバッテリーがある。
一般的に聴力が落ちてくる30代以降は、その高い周波数が聴こえにくくなると言われている。
私の姪っ子はまだモスキート音が聴こえると言うのだが、私には聴こえなかった・・
聴こえなければどうってことないが(むしろ本当に効果があるのかと疑ってしまうくらいだが)、聴こえる人には苦痛となる音もあるんだろうなぁと思った。


器楽 vs 声楽

1979年に大木先生が群馬大学の音楽専攻の学生を対象に行った講演の中の話。
チンドン屋と呼ばれるたびに
 吹奏楽というのは、今までブラスバンドと呼ばれ方をされ、どうもチンドン屋の親方のように思われてきました。ガチャガチャ、ドンチャカやっているのが吹奏楽であるという風に思っておられる方がいらっしゃいます。吹奏楽というのは、オーケストラと同じように、ひとつの芸術の分野なのです。決してオーケストラの一段下の音楽ではありません。
 この大学に長年おられ、数年前に退官されたA先生という私の先生は、未だに「吹奏楽なんてのはチンドン屋よ」って私に言います。「あなた、なぜ声楽やらないのよ。合唱指導をそろそろ(チンドン屋はもうやめて)やりなさいよ」って、お会いするたびにおっしゃいます。(笑)声楽の優秀な弟子(?)が未だにチンドン屋をやっているのが残念でたまらないという風に(笑)眉を寄せて・・・・。
 しかし、私はA先生が「吹奏楽なんてのは、チンドン屋よ」と言っているうちは、チンドン屋を続けようと決心しています。(笑)「吹奏楽って素晴らしいものね」って言ってくれたら、そのときはやめよう(笑)と、そのくらいに考えています。
 一生、音楽を友として、音楽を生活の糧としている人が、「吹奏楽なんてチンドン屋よ」なんて言っているのは、とても悲しいことですし、寂しいことです。私はここでA先生の悪口を言うつもりはありませんが、そういった先生方が大変多いのは事実です。特に合唱、声楽指導をされている先生方の中に・・・・。
 それは大きな間違いだということを、声に大にして言いたいのです。


・チンドン屋は街中で営利にて宣伝活動を行うグループ。
器楽にしても声楽にしても、職業にして生活の糧にするという意味では「営利」である。
だけどこの講演は教員を目指す教育学部の音楽専攻の学生を対象に行われたもので、当時は兼務だったとはいえ大木先生も教育委員会の指導主事であった。A先生は教員を養成する立場にあったということにある。
音楽の教員も「音楽を生活の糧としている人」と言えるかもしれないが、職場にある音楽自体は営利ではない。
だって音楽を奏でる主役は生徒や学生だから。
同じ声楽を学んだとしても、オペラ歌手と合唱指導する教員では、営利非営利はじめいろいろと異なる点がある。
それと同じでチンドン屋と吹奏楽部指導する教員も違う。
上の話、それがごちゃまぜになっているので、噛み合いそうもない話だと思います(笑)。

・合唱やオペラ歌手はあまり屋外で声張り上げて歌わない。
楽器は結構屋外でも奏でる機会があるが、場合によっては騒音になりかねない。例えどんなに上手なレベルの演奏であっても。
また生徒や学生に限らず合唱は営利であることが少ないような気がする。それに比べたらバンドというのは多くの場合営利である。
なんかその辺りのことと、税金が投入されている国公立の教育者としての立場が、A先生のチンドン屋発言の根底にあるのではないかなぁと思うけれど、単にライバル視かもしれませんね。

・生徒や学生の場合だと、やっぱり運動部の大会の応援に駆り出される(頼まれもしないのに行く!?)ブラスバンドが引っかかる人にとっては引っかかるかもしれないなぁと思う。
そもそもの問題として、本当に応援を目的に行っているのかという点。
応援と称して、そこを自分達の舞台にしているだけではないのかということ。
同じ学校の生徒なんだから一石二鳥だと言えば、まあそうかもしれないけれど。
純粋にスポーツを楽しみたいのに外野が煩すぎるという人だっているかもしれないし、選手ではなくて音楽の方が目立ってしまうかもしれない。
ひとつ間違うと、プレーをしている人の立場をつぶすことにもなりかねない。

・でもそうなってしまう一因に、世の中運動部ばかりが取り上げられてチヤホヤされやすいということがあるからだと思う。
進学だって就職だって運動部のほうが有利になることが多い。
文化部だって頑張っているんだから、もっと注目されたいと思う気持ちも理解できる。
柔軟な心を
 先生というのは、どうしても規則一点張りで「こういう規則があるからいけません」ということになりがちです。常に規則で生徒の要求をはねつけてばかりいるのではなく、時に応じて人間らしさといいますか、血の通った対処の出来る先生になってほしいと思います。
 例えば、この間、吹奏楽コンクールの全国大会へ出発する時、若い体育の先生がとんで来て楽器の積み込みを手伝ってくれたのです。そして出発する時に「ガンバレよ、お前たち全国大会で金賞取ったら、体育は全員5にしてやるぞ」と言って先生を励ましてくれたのです。実際、金賞を取ったら本当に全員5にしてくれたのです。
 そういうのは、教育委員会から言えばいけないことです。だって、体育が下手なのに、吹奏楽が良く出来たからといって(笑)5を、それもそのクラスの吹奏楽部全員にくれるというのはおかしな話で、私は立場上、ほんとは「先生、それはいけない。そんなことをやっては」と体育の先生に指導しなければいけないのでしょうけれど。私は内心「ああ、こういう先生もいるのか」って、逆に感激しているのです。


・上の5の話、私は個人的に結構引いた。
吹奏楽部以外の生徒やその親が知っても引くのでないだろうか。
高校だから当時も絶対評価だったんだろうか。相対評価だったらとんでもないことだと思うから。それに何と言っても公立の高校ですよ。
音楽が5とかいう話ならばまだしも、体育が5って・・・。
でもだからこそやっぱり、世の中の運動部と文化部の扱いの違いという問題や1つ何か秀でたら他の何もかもが良くなってしまって本当にいいのかという問題が根底に横たわっているように強く感じたりもする。

・ちょっと話は逸れるけど、絶対評価ならばその学校の学年やクラスに幾つ5が出てもよいということになる。でも絶対評価にしても相対評価にしても、他校との比較に耐えうる数値ではないので、それが高校受験や大学受験などに使われて、合否に影響するとするならば大いに疑問を感じる。




 
# by yumimi61 | 2019-07-29 16:50

コンクール

e0126350_11262482.jpg
💘先日来アイドルの恋愛禁止について書いてきたが、私に初めて恋愛禁止の衝撃を与えたのが上の写真の本だった。

e0126350_11441082.jpg
🎼『涙はロンド』は、とある高校の吹奏楽部の顧問が書いた本である。
e0126350_11502056.jpg
👨 筆者の大木隆明は、1972年~1980年の9年間、群馬県内の県立高校の吹奏楽部を率いていた。
その間、県大会では9年連続金賞を受賞。
全国大会でも、銅賞2回、銀賞2回、金賞3回と7年連続で入賞を果たしており、金賞は3年連続(1978-1980)だった。


🎶 9年経ったところで、大木先生は県の教育委員会に呼ばれた。
注意を受けるために呼ばれたわけではなく、教育委員会への異動ということである。
特定の高校の指導だけでなく、県下全部の高校を指導してほしいと口説かれたらしい。
全国大会5年連続金賞を受賞し、招待演奏を果たすことを目指していた大木先生にとっては青天の霹靂。
「これでは生徒達が可哀想です。あと2年置いて下さい。それが無理ならあと1年でいいから。」
「あと1年経てば生徒が可愛くなくなるのですか。そんなことはないでしょう。それなら1年でも早い方がいい。」
こうして1981年には教育委員会へ異動し指導主事(専任)となった。


✍『涙はロンド』は教育委員会へ異動した1981年末(12月26日)、及び1982年初頭(2月12日)に発行されたものである。
発行所は「一音入魂の会」とあるが、吹奏楽部OBを中心としての自費出版である。


💴 初版、500冊で出版費用は65万円。1冊あたり1,300円(原価)。
しかしそれを1000円で販売してしまった・・・よって1冊あたり-300円にて原価割れ。
500冊で15万円の赤字!
さすがにこれ以上赤字は重ねられないと思ったのか、どこかから注意が入ったのか、第二版では原価で販売したらしい。


🎤 大木先生は1979年に群馬大学の音楽専攻の学生を対象に講演を行った。
実は大木先生は1977年から教育委員会の指導主事を兼務していたのだった。
その講演より。
 皆さんこれから卒業されて中学校の先生になられる方、たくさんいらっしゃると思います。現在、中学校で吹奏楽部のない学校は群馬県では10本の指に入るくらいではないかと思います。
ですから現場に出ると吹奏楽部の指導をやらなければならないという場面が必ず出てきます。その場合に「私は声楽が専門ですから」「私はピアノが専門でして・・」なんて言うのは、とてもいけないことです。
現実にそこに何十万かの費用をかけた楽器があるのですから、それは通用しないわけです。
理科とか社会の先生だったら「私は地学が専門だ。私は歴史が専門だ」と言っていられますが、音楽の場合は声楽が専門でも器楽を指導しなければならない場合もあるし、そういうことで逃げる先生になっては生徒が可哀想です。



🎺 私は小学生の時からトランペットとトロンボーンをやっていた。
きっかけは小学校の教師からの勧めだった。金管楽器は学校にあった。貸し出しもしていて家にも持ち帰ることが出来た。
小学校では基本的に全ての教科を担任が教えることになる。
だから当時は分からなかったが、大学での養成課程が教科別なので小学校の教師にも専門教科というものがあるそうだ。
また小学校教員養成課程でも中学や高校の教員免許も取得しているのだそうだ。(そういえば、小学校から中学校へ異動になる先生もいますね!)
実際に教員になってからは教科ごとの研究会みたいなものもあるらしい。
私が最初に金管楽器を習った小学校の教師の専門が音楽の器楽だったかどうかは今もって分からないが、ともかく何事においても非常に厳しいことで有名な先生で、確かに厳しかった。
夏休み明けに学校を休んだ私に「健康管理がなっていません」という手紙をよこしたのもその先生である(女教師)。


💑『涙はロンド』には「全国大会初金賞までの歩み」を、定期演奏会で発表した生徒の原稿にて紹介している。
その中で恋愛禁止に触れられていた。

 私達のバンドにとって大きな危機が一度だけありました。札幌(1975年の全国大会開催地)から帰ったあと、突然先生が私達の指導をやめると言われたのです。
それは私達部員同士で数組のペアが出来てしまったことに対してです。
先生は「恋もしたいです。ついでに全国一になりたいですなんて虫が良すぎる。全国制覇をそんな甘っちょろい考えでいる者に付き合っちゃあいられない」と言って指揮棒を投げ捨ててしまいました。
先生は「部活動は、男女が学年の垣根を越えてみんなで力を合わせることに意義があるのだ。特定の人を作ってふたりで行動するのは部ではない」と言います。
部員の話し合いは揉めに揉めました。
「恋愛の自由を認めないなんて、先生の考え方は古い。練習さえしっかりやれば、あとは干渉されたくない」という人もいました。
しかし結論的には「恋愛などにうつつをぬかしているということは、練習に没頭していない証拠だ」ということになりました。
そして泣きながら先生のあとを追いかけ「先生、もう一度考え直してください。明日からしっかりやります。朝の練習も遅刻しません。どうか私達を見捨てないで下さい」と必死で頼みました。
夜空には12月の星が冷たく輝いていました。男子も泣いています。
先生の目にも涙が光っていました。先生は涙がこぼれないように空を見上げながら、とぎれとぎれに私達に話してくれました。
「私はムゴイことを君達に言っているのかもしれない。でも中途半端は嫌なんだ。どうせ青春を吹奏楽に賭けるなら、トコトンやろうじゃないか。そうすればきっと素晴らしい青春を捕まえることが出来る筈だ」
私達は気が付くと先生と固く手を握り合っていました。
 雨降って地固まるの例え通り、その日から先生と私達の間に何か通じ合うものが出来始めました。それは本当に暖かな信頼という絆であったろうと思います。



💔先生自身もこのように書いている。
異性のことなどにうつつをぬかしている者に全国制覇など出来る筈はないし、いや、出来ては困るし、そんなことに考え悩んでいる者に付き合ってはいられない。というのが私の本音なのです。



😻 多感な時期にこの本を読んだ私は、とにかくこの恋愛禁止が衝撃的だった。
そして私は吹奏楽の道へは進まなかった。(ということでもないんですが、まあそう言った方が流れ的にはいいかなぁとか思ったりして)


🌹 ページがバラバラに外れてしまうほど何度も何度も読んで出した結論だった。(バラバラに外れたのは何度も何度も読んだからではなく、コストを抑えたせいですかね?)


💖 まだ沢山の時間が残されていて、何にだってなることも可能で、未来が手を広げて待っていてくれるような若い時には、往々にして未来なんて見えないし、見ないものでもある。
皮肉なことだなぁと思うけれど、今という時の瞬間瞬間を生きていて、過去も未来も持っていないのが青春なんだろうと思う。


✨ 若い時に、好きな人がいるのに想いを届けられなかったり、想いが届かなくて振られちゃったり、すごく幸せな時を過ごしてはずなのに破局しちゃったりすると、もう一生が終わってしまったような気になって落ち込んだり悩んだり、死んでしまいたくなったりもする。
大人から見れば、いずれまた好きな人が現れるよとか、いつか別の幸せが訪れるものだから心配ないとか、自分もそんな日々があったけれど違う人と結婚して忘れたとか思ったりして、若い人の悩みは随分大げさにも感じられるかもしれない。
でも大人だって、いよいよ一生が終わってしまったような気になって落ち込んだり悩んだり、死んでしまいたくなったりもすると思う。
死に近づいているだけ若い時よりも現実味がある落ち込みや悩みになるだろう。
だけど大人は過去を持ってもいるから、そのぶんだけ若い人よりは幅があって、過去という経験から少しだけ未来を紡ぎだせたりもするのではないかなぁと思う。


💙 大人が客観的に見て一般論を語れば、高校生の時に恋愛禁止だったからと言って、それは人生を左右するようなことではない。
むしろやっぱり、過去も未来も持っていない青春の中を生きている若者の恋愛は、他の経験(可能性)を潰しかねない。
その意味において私は、小中学校が共学で、高校が女子高で良かったと思っているくらいである。共学の高校へ通えば良かったという後悔や憧れは今も昔も全くない。
恋愛の自由と言うけれど、相手のいる恋愛って他人に縛られなくてもある意味全然自由ではないと思うから。
だけどそれは他の事にも当てはまるわけで、過去も未来も持っていない青春の中を生きている若者が、恋愛でないにしても何か1つのことだけに心血注ぐということは、他の経験(可能性)を潰しかねないということは肝に銘じる必要があるだろうとも思う。
でもそれを含めて、後先考えられないのが青春と言われればまさにそうであり、それが眩しいと言えばまったくその通りでもある。


🎰 全国コンクールも、学校の大会も、同じ価値に置いておけるのが青春を生きている若者の素晴らしさだと私は思う。
全国コンクールの優勝でも学校の大会の優勝でも同じように喜びを爆発させ、失敗したり負ければ同じように悔しがり泣く。
それこそが若者の美しさであり眩しさだ。


💗 場所で、人で、物で、今という時を比較して優劣を付ける時、人は今を生きることを手放すことになる。

 
💦 大木先生が教育委員会へ異動となり学校を辞めることを生徒達に告げた場面😭

 もうその後は、何を話しても泣き声と「嘘だ、そんなのないよ。行かないで、先生!」という声にかき消される。泣きじゃくる生徒達、号泣とはこういうのを言うのか、15・16才の少年少女達が、我を忘れて泣いている。泣くことにしか自分の気持ちを表現できない。互いに肩を抱き合い、頭をくっつけ合って泣く女子。こぶしで涙を拭き、肩を震わせる男子。頼る目、すがりつく目、それぞれが恨めしそうに私を見つめる。私の心に入ってくる。
 どれくらい時間が経ったろう。力なく立ち上がった部員達は、私の為に精一杯最後の演奏をしてくれた。涙が口の中に入り、鼻水がたれ、音が思うように出ない。
 最後の曲は「贈る言葉」だった。
「悲しみこらえて、ほほえむよりも、涙涸れるまで泣くほうがいい。人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできるのだから。さよならだけでは淋しすぎるから、愛するあなたへ贈る言葉」
 副指揮者の白沢(副部長)が「泣いていちゃダメじゃないか、ちゃんと吹けよ」と言う。彼もまた泣きながら棒を振っている。やっと最後までたどり着いた拙い演奏であったが、私は、生涯でこれほど感動的な演奏を聴いたことはなかった。私も涙がとめどなく流れ放心したような生徒の一人ひとりを強く抱きしめ、手を握り、「頑張れよ、頑張れよ」というのがやっというありさまだった。「別れたって、君達は僕の教え子だ。一生僕の教え子だ。」ハンカチをびっしょりに濡らして、私も泣きわめいていた。
 その夜は、どうにも辛くて、悲しくて、寂しくて寝付かれず何度、寝返りを打ったことか。流れる涙は耳に入りそして枕を濡らした。「あの時こうしてやれば、ああしてやれば」と思い出されることはすべて後悔ばかりであった。涙は悲しみを流してくれるものだと思っていたのに、逆に悲しみを募らせるものであった。



🎁『贈る言葉』と言っても吹奏楽部だから当然に音だけである。
言葉など無くても聞かせるのがオーケストラや吹奏楽だろう。
だけど生徒達が私的な場で最後に先生に聞かせたのはコンクールでやった曲ではなく『贈る言葉』だったというのだ。
そしてコンクール入賞の常連で、3年連続金賞に導いた先生が、やっと最後までたどり着くような拙いその演奏を生涯一番感動的だったと言い、本には小さく歌詞まで書かれていた。
そのことが私の胸を打った。


🍃 ”君が君のバラのために失った時間こそが、君のバラをかけがえのないものにしているんだよ。” 『星の王子様』より




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-07-28 11:27

半グレ

「白か黒で答えろ」という 難題を突き付けられ~ 
「オフホワイト」
共通点は・・十字架✚!?


半グレとは何か?

半グレのグレは、白と黒の間の「グレーゾーン」という意味と、「愚連隊」のグレ、非行に走るというような意味の「グレる」を合わせた造語で、ジャーナリストが最初に用いたとか。

この半グレと呼ばれる組織(集団)は暴力団とは違い、むしろ暴力団みたいな仁義を重んじるような古い体質の組織を馬鹿にするような風潮もあるらしい。
じゃあ何故につるんでいるのかと言えば仲間意識ということになるらしい。元暴走族や遊び仲間、先輩後輩という関係で繋がった集団。
上下関係が全くないかと言えば、そんなことはないだろうけれども、暴力団のように組織が大々的なピラミッド構造にはなく、さらに下克上的なことも結構あるようである。
暴力団のようながっちりとした組織でないだけに、組織の実態を把握するのが容易ではないようだ。

(半グレは)日本の各地にその例が見られ、様々な局面において暴力団と対峙する勢力となり、時に暴力団を圧倒してきた。東京の「関東連合」がそうした“半グレ集団”の典型とされている。ほか、中国残留孤児の2世ならびに3世を中核構成員とする「怒羅権」や、大阪の繁華街・ミナミで傷害事件などを繰り返しているアマチュア格闘技団体(「強者 つわもの」)などが“半グレ集団”の例に挙げられてきた。
→「強者」は警察に解散届を出して個人の活動に切り替えたり、日本以外でも活動をするようになっているとか。


シノギ(収入源)

組織が収入を得る手段としては、振り込め詐欺などの特殊詐欺、みかじめ料の徴収、窃盗や強盗、闇金融、クラブ経営(+ぼったくり)、芸能プロダクション経営、風俗店経営やAVプロダクション経営、出会い系サイト運営、貧困ビジネス(ホームレスや生活保護受給者、請負労働者など社会的弱者や困窮者を顧客にして稼ぐビジネス)などの他、解体業、産廃業者、不動産業などに就いてる者もいるとのこと。


半グレや準暴力団も反社会的勢力

半グレも当然に反社会的勢力に含まれる。
後述(引用)するが、警察はこれを「準暴力団」として位置づけるようになった。
準暴力団に指定されている団体は、東京の8団体と2017年に大阪府警が指定した2団体の計10団体が準暴力団と見なされている。
しかし暴力団対策法や暴力団排除条例の適用は受けない組織でもある。

*準暴力団*
暴走族の元構成員などを中心とする、暴力的な不法行為を繰り返している反社会的集団。
暴力団にみられるような明確な上下関係をもった組織ではないが、人的、資金的な面で暴力団などの犯罪組織と密接な関係をもつものもある。
これまで半グレという俗称でよばれていたが、2013年(平成25)3月、警察庁は暴力団対策法に基づく指定や認定としてではなく、暴力団に準じる治安を脅かす新たな反社会的勢力と位置づけ、集団の実体解明と取り締まりを強化するよう全国の警察に通達を出した。
準暴力団に該当する団体としては、1973年(昭和48)ごろ結成され、2003年(平成15)に警視庁へ解散届を出した暴走族「関東連合」の元メンバーや、中国残留日本人孤児の二世が中心となって1988年(昭和63)ごろに結成された暴走族「怒羅権(ドラゴン)」などがあり、これらと関係をもつグループや同様の集団も全国各地に存在しているとみられている。
 準暴力団の団体数や構成員は詳しくわかっていないが、近年、繁華街や歓楽街において続発している暴行、傷害、恐喝などの犯罪の中心であるとされる。また、多くはみかじめ料や特殊詐欺などを収入源としていると考えられており、一部は既存の暴力団と連携して犯罪組織化した例もある。



半グレの象徴的存在「関東連合」

元は暴走族なので歴史はそこそこ古い(1973年結成)。

メンバーには、貧困や差別など暴力団に足を踏み入れる必然性の低い東京都内世田谷区や杉並区などの教育熱の高い地域で比較的裕福な家庭に育った者が多い。 

1990年代、チーマーとの暴力的抗争を経て渋谷の非行少年界を制圧した関東連合は、やがて六本木へと進出、クラブを影響下に置いてゆく。
2000年代にかけてチーマーやイベントサークルを暴力を背景に牛耳ったうえで彼らのいわば“後ろ盾”となり、それらを大企業とのビジネスに結びつけるなどで勢力を伸張、時のオレオレ詐欺の流行がその勢力拡大に拍車を掛ける。夜の街を舞台にいわゆる“ヒルズ族”などの実業家らとの交友関係をも築き上げ、凶暴性のみならず人脈の面でも他のグループと一線を画す存在になっていった。


OB(元メンバー)同士が強い絆で結束しているとされ、東京都内の渋谷・六本木・西麻布・新宿のいわゆる地下社会にて一定の勢力を誇っており、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその名が登場してきた。
歌舞伎役者の市川海老蔵 (11代目)を巻き込んだ2010年の「海老蔵事件」をきっかけとして全国的に知られる存在となったと見られている。

「六本木クラブ襲撃事件」(2012年)の首謀者と目される人物の統率グループは、渋谷や六本木等でクラブを経営するなどしていた世代の後続にあたり、多くが飲食業や不動産業などの正業を有する昭和50年代生まれを中心とした50人程度から成る集団であった。このグループは関東連合の“第三世代”とされ、そのメンバーには数億円から数十億円の現金を有する者もいるという。

芸能人との関係も広く噂される。


集団の曖昧さ

組織自体が曖昧であるため実態が把握しにくいということを先に述べたが、それは犯罪においても同様である。
集団暴行などが報じられたが、そういう集団で暴行して死に至らしめたような場合、誰が致命傷を負わせたのか特定が非常に難しくなる。
暴力団の抗争で拳銃で殺害するというような分かりやすさはない。

凶器も銃ならば明らかに殺意を感じるところだが、素手とか灰皿とかカラオケのリモコンとかビール瓶とかバットとか角材などが凶器では「喧嘩であり、殺意はなかった」と言い張られると、殺意の立証は困難になる。
従って人を死に至らしめながら、誰も殺人罪に問われないというようなことまで起きかねない状態である。
現に刑期は軽いことが多く、執行猶予が付くことも少ないないのだとか。

少し前に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に少し触れた。

女子高生を拉致監禁して強姦したり激しい暴力を加えるなどして死に至らしめた事件だが、殺人・猥褻目的略取誘拐・逮捕監禁・強姦などの各罪状で逮捕されたのは4人の少年だった。
しかし現場となった家は事件以前より不良グループのたまり場となっており、さらにその少年達は暴力団などとも関わりがあって、1ヶ月以上に亘った監禁期間にその家に出入りした人物は100人近くいて、強姦に加わったのは20人近くいるとも言われている。
さらに現場には2名ほど女性がいて積極的に事件に関与していたが逮捕には至らなかったという情報もある。

下記のとおり、裁判に基づく事件当初の詳しい記述にも逮捕された少年4人(A・B・C・D)以外にもEやFという人物が登場している。
しかしながらEやFは逮捕されなかったということになる。


この事件も集団であったがゆえに、且つ長期間に亘る暴行だったため、様々な立証が難しく、事件の凄惨さから最低限の逮捕者は出したものの、逮捕にすら至らなかった人物がいたという見方もできる。
暴力団のような組織化された上下関係ではない少年の緩い集団だけに、逮捕された者からすれば、同じことをしてどうして自分達だけがという思いを持っても不思議はない。
逆にそれが後々武勇伝になったり、箔を付ける事にもなりかねない。

主犯格として逮捕された少年は、後に特殊詐欺を行っていたようだ。

主犯格の少年Aは、2009年(平成21年)に刑務所を出所した後、養子縁組をして名前を変えた。
Aはキックボクシングのジムに通い、よく後輩をバーベキューやキャバクラに連れて行っていた。BMWを乗り回して高級腕時計やブランド品を身に着けていた。
「暴力団とつながりがある」「都内の振り込め詐欺グループには知り合いが多い」と吹聴し、マルチ商法で儲けていた。セックスの話が大好きで、「100均の縄で女を縛るのが好き」と語っていた。
2013年(平成25年)1月、加害者元少年Aが振り込め詐欺で警視庁池袋警察署に逮捕された。無作為に全国の個人宅に電話をかけ、『パチンコ必勝法』の情報料名目で現金を騙し取る詐欺グループの一員として、池袋の銀行で金をおろす「受け子(出し子)」をしていたとみられるが、完全黙秘を貫いたため、詐欺グループの解明が出来ないまま2013年(平成25年)1月31日付で不起訴処分となり釈放され、その後は消息不明となった。






# by yumimi61 | 2019-07-27 00:03

反社会的勢力

第一次安倍政権における指針(2007年6月)

「反社」とか「反社会勢力」などと略されていることも多いが、正式名は「反社会的勢力」である。
これにはちゃんと定義がある。
暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人。

昨日私はこのように書いた。
反社会的勢力に仁義があるかはよく分からないけれど、映画とは観る限りヤクザ社会(暴力団社会)などは仁義(ヤクザ社会の倫理観)が重んじられる社会ですよね?
定義的には暴力団も反社会的勢力に含まれる組織である。

政府(犯罪対策閣僚会議幹事会)は今から12年前の2007年6月に『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について』『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針』という文書を公表した。
ではその時の首相は誰だったのかと言えば安倍首相である。
ちょうど第一次安倍政権の時だった。
 第一次安倍政権(改造含む) 2006年9月26日~2007年9月26日


安倍首相の突然の辞任(2007年9月)とテロ特措法

2007年8月27日に改造内閣が発足したが、それからほどなくして辞任した。

9月9日、豪州・シドニーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し、「(給油継続のため)全力を尽くし、職を賭していく考えで理解を得ていく。」「すべての力を振り絞って職責を果たしていかなければならない。」「そのことで私が職責にしがみつくということはない。」と給油が継続できない場合は内閣総辞職する覚悟であることを示唆した。

9月10日召集の第168回国会で安倍は「職責を果たし全力を尽くす」と所信表明演説を行なった。しかし9月12日の正午過ぎにテロ対策特別措置法の延長が厳しくなったこと、野党との党首会談で問題を解決できそうもないことなどを受け国会対策委員長の大島理森に首相辞任の意向を伝え、午後2時からの記者会見で正式に首相辞任の意向を表明した。

「テロ特措法」のテロとは、2001年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件」のことである。
その衝撃的な事件を受けて、アメリカは反テロで一致団結し、反テロ戦争に向かった。そして国連をはじめとする国際社会もアメリカに追従し支援に動いた。
「テロ特措法」は、憲法9条の縛りのある日本がアメリカなど諸外国が行う対テロ戦争において攻撃・侵攻を援助(後方支援)することについて定めた法律。
可決成立したのは小泉内閣だった。
2007年(平成19年)11月1日までという期限付きの法律だったため、第一次安倍政権の時には失効が迫っていた。
期限付きの法律を延長するかどうかで大揉めしたと言えば、1960年1970年の安保闘争を思い出さずにはいられない。


安保闘争の因縁

安保闘争の時には、騒動を収めるために、反社会的勢力が政権によって動員される事態となった。(安倍首相の祖父である)岸首相が頼ったのがフィクサーと言われロッキード事件にも関わったとされる児玉誉士夫。

岸首相は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内のアイク歓迎実行委員会委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣した。松葉会の藤田卯一郎会長、錦政会の稲川角二会長、住吉会の磧上義光会長、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組の尾津喜之助組長ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。

さらに右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸首相自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。そこで岸首相は創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。


右翼団体や暴力団など反社会的勢力を使って、左翼を抑え込もうとしたのが安倍首相の祖父である岸首相だった。
左翼vs安倍首相、これは因縁の対決の構図と言える。
その安倍首相が、法律の、しかもテロ特措法という少々厄介な法律の、期限延長に直面していた。
そのような時期に政府は『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について』を公表したのだ。


政界のフィクサー児玉誉士夫の圧力のかけ方

ところで最近、芸能事務所の圧力がどうこうとも言われているが、児玉誉士夫は圧力をかける時に傘下のメディアを使ったそうだ。
利用された大手メディアに博報堂がある。
その中に児玉は次の二つの目的を持ったセクションを作った。
一つは、博報堂の取引先を児玉系列に組み込む。
もう一つは、その系列化された企業に持ち込まれるクレームを利用してマスコミを操作し、なびかないメディアには広告依頼を回さない。
このセクションは広告会社として品位に欠けた。そこで、当時の博報堂の持ち株会社であった伸和の商号を、1975年に博報堂コンサルタントへ変えて、また、定款にも「企業経営ならびに人事に関するコンサルタント業務」の項目を加えて、この元親会社に業務を請け負わせた。
役員は、広田隆一郎社長の他に、町田欣一、山本弁介、太刀川恒夫が重役として名を連ねた。
広田は、福井純一博報堂社長の大学時代ラグビー関係者で、警視庁が関西系暴力団の準構成員としてマークしていた人物。
町田は、元警察庁刑事部主幹。
山本は元NHK政治部記者。
太刀川は塚本素山ビルの等々力産業社長で児玉側近の第一人者であった。


すきやばし~
安倍首相の辞任に話は戻る。


安倍首相、病気辞任を隠していた!?

内閣官房長官の与謝野馨が首相辞任会見直後に安倍が述べなかった重大な辞任理由として健康問題があることを直ちに補足したものの、海外メディアを含めて「敵前逃亡」「政権放りだし」「偽りの所信表明」などとさんざんな酷評をこうむる事態となった。

安倍は9月13日から体調不良(病院が公表した病名は機能性胃腸障害)を理由に都内にある慶應義塾大学病院に入院していた。辞任表明会見後の最初の記者会見を9月24日17時から病院内で行い、国民に対する謝罪を表明し、病気辞任であることを正直に述べるべきであったことを率直に認めた。またチーム安倍の空中分解を辞任理由とする説については、会見後の質疑応答で完全否定している。 この11日間の入院期間中に安倍は一度も病院外へ出ることはなかったが、政府は安倍とは連絡が取れる状態であることを理由に首相臨時代理を置かなかった。首相としての執務は病室の隣の部屋で行なっていたという。


このように安倍首相は志半ばで(?)辞任し、再び首相に返り咲いたのは2012年の暮れだった。そして今日に至る長期政権となっている。


企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について
 近年、暴力団は、組織実態を隠ぺいする動きを強めるとともに、活動形態においても、企業活動を装ったり、政治活動や社会運動を標ぼうしたりするなど、更なる不透明化を進展させており、また、証券取引や不動産取引等の経済活動を通じて、資金獲得活動を巧妙化させている。

今日、多くの企業が、企業倫理として、暴力団を始めとする反社会的勢力*1と一切の関係をもたないことを掲げ、様々な取組みを進めているところであるが、上記のような暴力団の不透明化や資金獲得活動の巧妙化を踏まえると、暴力団排除意識の高い企業であったとしても、暴力団関係企業等と知らずに結果的に経済取引を行ってしまう可能性があることから、反社会的勢力との関係遮断のための取組みをより一層推進する必要がある。

言うまでもなく、反社会的勢力を社会から排除していくことは、暴力団の資金源に打撃を与え、治安対策上、極めて重要な課題であるが、企業にとっても、社会的責任の観点から必要かつ重要なことである。特に、近時、コンプライアンス重視の流れにおいて、反社会的勢力に対して屈することなく法律に則して対応することや、反社会的勢力に対して資金提供を行わないことは、コンプライアンスそのものであるとも言える

さらには、反社会的勢力は、企業で働く従業員を標的として不当要求を行ったり、企業そのものを乗っ取ろうとしたりするなど、最終的には、従業員や株主を含めた企業自身に多大な被害を生じさせるものであることから、反社会的勢力との関係遮断は、企業防衛の観点からも必要不可欠な要請である

本指針は、このような認識の下、反社会的勢力による被害を防止するため、基本的な理念や具体的な対応を取りまとめたものである。


企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針
 
1 反社会的勢力による被害を防止するための基本原則

○ 組織としての対応

○ 外部専門機関との連携

○ 取引を含めた一切の関係遮断

○ 有事における民事と刑事の法的対応

○ 裏取引や資金提供の禁止


2 基本原則に基づく対応

(1) 反社会的勢力による被害を防止するための基本的な考え方

○ 反社会的勢力による不当要求は、人の心に不安感や恐怖感を与えるものであり、何らかの行動基準等を設けないままに担当者や担当部署だけで対応した場合、要求に応じざるを得ない状況に陥ることもあり得るため、企業の倫理規程、行動規範、社内規則等に明文の根拠を設け、担当者や担当部署だけに任せずに、代表取締役等の経営トップ以下、組織全体として対応する。

○ 反社会的勢力による不当要求に対応する従業員の安全を確保する。

○ 反社会的勢力による不当要求に備えて、平素から、警察、暴力追放運動推進センター、弁護士等の外部の専門機関(以下「外部専門機関」という。)と緊密な連携関係を構築する。

○ 反社会的勢力とは、取引関係を含めて、一切の関係をもたない。また、反社会的勢力による不当要求は拒絶する。

○ 反社会的勢力による不当要求に対しては、民事と刑事の両面から法的対応を行う

○ 反社会的勢力による不当要求が、事業活動上の不祥事や従業員の不祥事を理由とする場合であっても、事案を隠ぺいするための裏取引を絶対に行わない

○ 反社会的勢力への資金提供は、絶対に行わない

(2) 平素からの対応

○ 代表取締役等の経営トップは、(1)の内容を基本方針として社内外に宣言し、その宣言を実現するための社内体制の整備、従業員の安全確保、外部専門機関との連携等の一連の取組みを行い、その結果を取締役会等に報告する。

○ 反社会的勢力による不当要求が発生した場合の対応を統括する部署(以下「反社会的勢力対応部署」という。)を整備する。反社会的勢力対応部署は、反社会的勢力に関する情報を一元的に管理・蓄積し、反社会的勢力との関係を遮断するための取組みを支援するとともに、社内体制の整備、研修活動の実施、対応マニュアルの整備、外部専門機関との連携等を行う。

○ 反社会的勢力とは、一切の関係をもたない。そのため、相手方が反社会的勢力であるかどうかについて、常に、通常必要と思われる注意を払うとともに、反社会的勢力とは知らずに何らかの関係を有してしまった場合には、相手方が反社会的勢力であると判明した時点や反社会的勢力であるとの疑いが生じた時点で、速やかに関係を解消する

○ 反社会的勢力が取引先や株主となって、不当要求を行う場合の被害を防止するため、契約書や取引約款に暴力団排除条項*2を導入するとともに、可能な範囲内で自社株の取引状況を確認する

○ 取引先の審査や株主の属性判断等を行うことにより、反社会的勢力による被害を防止するため、反社会的勢力の情報を集約したデータベースを構築する。同データベースは、暴力追放運動推進センターや他企業等の情報を活用して逐次更新する。

○ 外部専門機関の連絡先や担当者を確認し、平素から担当者同士で意思疎通を行い、緊密な連携関係を構築する。暴力追放運動推進センター、企業防衛協議会、各種の暴力団排除協議会等が行う地域や職域の暴力団排除活動に参加する。

(3) 有事の対応(不当要求への対応)

○ 反社会的勢力による不当要求がなされた場合には、当該情報を、速やかに反社会的勢力対応部署へ報告・相談し、さらに、速やかに当該部署から担当取締役等に報告する。

○ 反社会的勢力から不当要求がなされた場合には、積極的に、外部専門機関に相談するとともに、その対応に当たっては、暴力追放運動推進センター等が示している不当要求対応要領等に従って対応する。要求が正当なものであるときは、法律に照らして相当な範囲で責任を負う。

○ 反社会的勢力による不当要求がなされた場合には、担当者や担当部署だけに任せずに、不当要求防止責任者を関与させ、代表取締役等の経営トップ以下、組織全体として対応する。その際には、あらゆる民事上の法的対抗手段を講ずるとともに、刑事事件化を躊躇しない。特に、刑事事件化については、被害が生じた場合に、泣き寝入りすることなく、不当要求に屈しない姿勢を反社会的勢力に対して鮮明にし、更なる不当要求による被害を防止する意味からも、積極的に被害届を提出する。

○ 反社会的勢力による不当要求が、事業活動上の不祥事や従業員の不祥事を理由とする場合には、反社会的勢力対応部署の要請を受けて、不祥事案を担当する部署が速やかに事実関係を調査する。調査の結果、反社会的勢力の指摘が虚偽であると判明した場合には、その旨を理由として不当要求を拒絶する。また、真実であると判明した場合でも、不当要求自体は拒絶し、不祥事案の問題については、別途、当該事実関係の適切な開示や再発防止策の徹底等により対応する。

○ 反社会的勢力への資金提供は、反社会的勢力に資金を提供したという弱みにつけこまれた不当要求につながり、被害の更なる拡大を招くとともに、暴力団の犯罪行為等を助長し、暴力団の存続や勢力拡大を下支えするものであるため、絶対に行わない。

3 内部統制システムと反社会的勢力による被害防止との関係

会社法上の大会社や委員会設置会社の取締役会は、健全な会社経営のために会社が営む事業の規模、特性等に応じた法令等の遵守体制・リスク管理体制(いわゆる内部統制システム)の整備を決定する義務を負い、また、ある程度以上の規模の株式会社の取締役は、善管注意義務として、事業の規模、特性等に応じた内部統制システムを構築し、運用する義務があると解されている。

反社会的勢力による不当要求には、企業幹部、従業員、関係会社を対象とするものが含まれる。また、不祥事を理由とする場合には、企業の中に、事案を隠ぺいしようとする力が働きかねない。このため、反社会的勢力による被害の防止は、業務の適正を確保するために必要な法令等遵守・リスク管理事項として、内部統制システムに明確に位置付けることが必要である。


*1
 暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である「反社会的勢力」をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である。

*2 契約自由の原則が妥当する私人間の取引において、契約書や契約約款の中に、(1)暴力団を始めとする反社会的勢力が、当該取引の相手方となることを拒絶する旨や、(2)当該取引が開始された後に、相手方が暴力団を始めとする反社会的勢力であると判明した場合や相手方が不当要求を行った場合に、契約を解除してその相手方を取引から排除できる旨を盛り込んでおくことが有効である。


ゴロゴロに注意

反社会的勢力とは、暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人と定義されている。
具体的な組織としては、次のものが「反社会的勢力」として強く疑われる、あるいは「反社会的勢力」と見做される。
暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団など。

暴力団は比較的分かりやすいのかもしれない。
だけど暴力団を辞めているOBや暴力団という鎧は脱いだ反社会的な個人や会社もあるということ。
さらには一見(一部の人にとっては)素晴らしいことをしていそうだが、実は反社会的な行為を行っているということもある。

【会社ゴロ】
企業やその従業員の醜聞(スキャンダル)を口外しない代償(口止め料)などと称して、当該企業に対して金品の交付を要求する行為、あるいは、こうした行為を繰り返す者(ゴロツキ)を指す。企業ゴロとも言われている。

街宣右翼などと結託し、街宣車で本社や営業所、株主総会の会場、あるいは繁華街などに押しかけ執拗にスキャンダルを糾弾するなど、あるいは逆にほめ殺しなどを行うことでターゲットの企業イメージに打撃を与えようとする。怪文書の流布や三流ゴシップ誌を利用した攻撃なども行われる。
警察庁は、総会屋や社会運動標榜ゴロなどと並んで、会社ゴロを企業対象暴力として位置づけ、対策を講じ、企業からの相談に応じている。

【社会運動標榜ゴロ】
社会運動を仮装し、又は標榜して、不正な利益を求めて暴力的不法行為等を行うおそれがあり、市民生活の安全に脅威を与える者のこと。
反社会的勢力の威力を利用して行政対象暴力や民事介入暴力で不当な利益を得るものであり、社会問題となった。

人権問題や環境問題に名を借りて企業などに不当な要求をすることもあるし、地域密着型で行政機関や病院などがターゲットになることもある。他に交通事故や不動産トラブルなどへの介入や関与もある。

【政治運動標榜ゴロ】
政治団体としての登録を行っている団体だが、実際は政治活動が主目的でなく単純な利得行為や詐欺・恐喝など他の目的で行っているもの。政治の名を借りて、企業への不当な要求、社会運動標榜ゴロ、街宣活動などを行う。

【特殊知能暴力集団】
暴力団との関係を背景に、その威力を用い、又は暴力団と資金的なつながりを有し、構造的な不正の中核となっている集団のこと。警察用語。
反社会的勢力と連携して、法律などの専門知識を悪用して、株価操縦やインサイダー取引などで証券市場や企業から金品の要求を繰り返している。この集団に現職の税理士や弁護士が加わることもある。


かつて安保闘争の時には、左翼 vs 政権―右翼 という構図があったわけだが、現在において反「反社会的勢力」と言う場合には、右翼でも左翼でも敵になる可能性があるということ。
経済的利益を追求するのであれば思想なんか関係ない。思想があったとしても目的に対しては手段でしかない。




# by yumimi61 | 2019-07-26 16:11

アイコン

会いに行けるアイドル、拒否らないアイドル

なぜ恋愛や結婚が不利になるのかと言えば、取りも直さずアイドルは恋愛や結婚の対象であるからなんだろうと思う。
それが客観的に見て現実的かどうかは別として、実はアイドルというのは昔から手の届かない雲の上の存在ではなく、恋愛や結婚の対象になるくらいファンにとっては身近な存在なのである。


そんなアイドルに気にいられたり近づくためにファンが簡単にできることは、そのアイドルのためにお金を使う優良な顧客になること。次に会いに行くことだと前述した。
近年において「会いに行けるアイドル」というコピーが、さもさも特別感漂う感じで使われていたが、これは少しも特別なことではない。

昔も今もライブやショーに行けば会えるわけである。
ライブやショーの会場(箱)が小さければ小さいほど、必然的に距離は縮まる。
アイドルは誰でもが出入りできるスーパーマーケットに来たり、イベント会場に来たり、観光地に来たりもする。とても雲の上の存在とは思えない。身近である。
同年代が企画運営するような学園祭にも来る。つまり単なる学生が仕事のオファー(仕事を提供すること)ができるような存在である。
スケジュールを調べて出入り待ちすることも可能である。
ファンクラブに入れば、特別に会える特典が与えられることもあるだろう。
芸能事務所が半ば公認した私営ファンクラブなども存在した。
学校に通う年齢のアイドルならば通学もしている。公共交通機関を利用することも、その辺の道を歩いていることもあるだろう。
学校で他の人と一緒に学校生活を送っていたりもする。


そんな自分達に近いアイドルたちが、自分(ファン)がお金を出したり応援すれば、嫌な顔もせず応えてくれるのだ。
一般的に学校などではそうもいかないだろう。
好意を寄せた男子や女子に、「他に付き合っている人がいる」「こっちにはそんな気はないのでお断り」「嫌い」「キモイ・ウザイ」なんてことを平気で言われかねないし、無視されることもあるだろう。
だけどアイドルはそういうことをファンに対して言わない。
むしろ笑顔で「ありがとう」「嬉しい」とか言ってくれたり、「皆さん(=あなた)が応援してくれたおかげです」なんてことを言う。
例え方に問題があるかもしれないけれど(でも例えるけど)、客観的にみた時に、学校などの異性は相手を簡単に殺すと例えることが出来る。アイドルは相手を生殺し状態にしておく。


芸能事務所が「コンダクト・リスク」を避けるために恋愛禁止を指示したとすれば、近さというのは仇になる。
アイドルに求められる要素、アイドルが売れるため(芸能事務所が売り出すため)に重要な要素である<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>であることは、芸能事務所が果たすべきリスクマネジメントにとっては非常に厄介な要素という、半ば矛盾した状態にある。


リスクマネジメントとしての差別化

アイドルとして売れることと、芸能事務所やアイドルのリスクは、背中合わせ。
近さは仇になるので、少し遠い存在であることをアピールするようになる。
要は簡単に学校では見かけないような男子女子を作り出せばよい。
活動の距離感を変えずに、遠い存在をアピールする簡単な方法は見た目改造である。

(校則では禁じられているであろう)パーマをかけたり、長髪にしたり、しっかり化粧をしたり、歯を矯正したり、永久脱毛したり、もっと差別化をはかれば整形をするなど全体を整えたりと。
フワフワヒラヒラしたような衣装を着せたり、不自然に露出した服装を着せてみたり、ヒールを履かせたり。

アイドルはトイレに行かないという話を聞いたことはないだろうか。
これもアイドルサイドから出たものだろう。これは言葉による差別化。
「キモイ・ウザイ(汚い・臭い・下品?)」と言う代わりに、「アイドルはトイレに行きませんっ!」と言う。
トイレに行く(排泄をする)という、毎日欠かさず何度も行う当たり前の行為をしないんですよ~と嘯くことで、あなた達とは違うアピールをしている。


アイドルという商売の衰退

しかしそうして差別化を図れば、やはり「身近な存在」からも次第に離れていくことになる。
アイドルに求められる要素、アイドルが売れるため(芸能事務所が売り出すため)に重要な要素である<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>を失ってくるわけだから、アイドルとしての成立が難しくなってくるのだ。
人びとは遠い存在である「アイドル」には惹かれないのだ。

また時代が変わったことによって、見た目差別化が有効ではなくなってきた。
要するに、パーマや長髪や化粧、歯を矯正したり永久脱毛することプチ整形、自由な服装などが学校に通う学生にとっても珍しいことではなくなって、アイドルだけのものではなくなった。
その意味において世の中は均一化し、再びアイドルは別に遠い存在ではなくなり、差別化が行き詰まった。
しかし一方で会場(箱)が平均的に大きくなったり、都市部での活動を主にするというような傾向もあり、活動における距離感はかつてより遠くなった。
近さと遠さで相殺されてしまうので、抜きんでる特徴が無い。


再び勃興したアイドル

近年の「会いに行けるアイドル」は、その行き詰まったアイドル界の打開策だったのだと思う。
小さな箱で、毎日欠かさずに、アイドルがショーを行っている、これは「距離の近さ」の提供である。
世の中の見た目差別化は限界を迎えているので、アイドルたちは<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>を維持できている。
しかも最近流行の集団アイドルは学校のクラスをイメージしやすい。

「距離の近さ」というのは「接触具合」と言い換えることもできるが、その接触を、実際に肌と肌の接触(握手)や言葉のやり取り(会話)として、ファンに提供したのが”握手会”なるものだろう。
握手する機会というのは昔からないわけではないが、出来る人が限られていた。抽選で当たった人とか、ファンクラブで熱心に活動している人とか、特別に時間とお金をかけ最前列を確保した人とか。
でもそうではなくて、一定額を出せば誰でも平等に握手できる権利を提供したのが”握手会”だった。

そうして再びアイドルを<恋愛や結婚の対象になるくらい身近な存在>に近づけ、一時期衰退化したアイドルという商売を再び勃興させた。
身近に引き寄せたことや集団作戦、さらには世の中の均一化が功を奏して、近年のアイドル界は<アイドルを恋愛や結婚の対象として見ている人>だけでなく、<自分もアイドルになりたい人>も呼び込み、そうした人に支えられているようにも感じられる。


強かな戦略

あまり近づけすぎるとリスクにもなり、反感を買いかねない。
よって子供のスポンサーである親や祖父母、あるいは子供ではないファンの信頼を得ることは変わらずに大事なはずで、信頼を得るための1つの方法として公的な存在が使われるということがあるかもしれない。
芸能事務所などが政財界の有力者と懇意にしているとか、芸能事務所関係者が公的な仕事を引き受けているとか、アイドルが国や社会に認められている観があるテレビ局の仕事を多くしているなど。

首相の催しに招待されて一緒に写った写真を公開することなんかもそれに当たる気がする。
政治家ですら党首など有力政治家とのツーショット写真などを利用してアピールしたり、選挙になれば応援に来てもらう、それと似たようなこと。
安倍首相が芸能人と写真を撮ったということが話題になっていたことがあり、首相が人気者の力を借りているような論調でしか語られていなかったが、首相と一緒に写真を撮った芸能人は国家権力のお墨付きをもらったようなものであり、効果というか威力はそちらのほうが遥かに強い気がするが。

そこでじゃあ反社会的勢力と一緒に写真に収まったらどうか?
よく言われるように、反社会的勢力が人気者の力を借りて自分をより大きく見せたいということも確かにあるかもしれない。
では逆はどうだろうか。反社会的勢力のお墨付きをもらった芸人(芸能人)。
芸能人にとっての反社会的勢力のお墨付きの効果や威力は私にはよく分からないが、まあ皆無ということはないのだろうと思う。
反社会的勢力に仁義があるかはよく分からないけれど、映画とは観る限りヤクザ社会(暴力団社会)などは仁義(ヤクザ社会の倫理観)が重んじられる社会ですよね?
だからお付き合いが発覚した芸能人が「もうそんなことは絶対しません、反省しています」というよりも、「そんなら芸能界辞めますわ」と言った方が、ヤクザ社会にとっては痺れる仁義なんじゃないでしょうか。違うのかしら。


別の自分?自分は自分?

アイコン(icon)は肖像・偶像・聖像・記号のこと。
コンピューター世界でのアイコンは、ファイルやプログラムやアプリなどを絵や記号で表したものである。

アイドル(idol)は神像・偶像・むやみにあがめられる崇拝の対象・虚像(実際とは異なる作られたイメージ)のこと。

アイコンとアイドルに共通するものは’偶像’である。アイコンの’記号’も実像とは言い難いので’虚像’に似たところがある。
ということは、アイコンとアイドルに共通するものは’偶像’と’虚像’ということになる。
偶像
 1 木・石・土・金属などで作った像
 2 神仏をかたどった、信仰の対象となる像
 3 あこがれや崇拝の対象となるもの

日本のアイドルは、恋愛・結婚相手を象徴化した存在。もっと分かりやすく言えば恋愛や結婚相手の理想像と言っても良い。
どこにでもいるような平凡さと、その気になればいつでも会えるような身近さを有し、決して自分を拒否らない存在。いつも明るく朗らかに前向きで、汚い言葉は使わず後ろ向きなことも言わず、感謝の気持ちを持って一生懸命生きている人。しかし時にか弱いから、守ってあげなければという気持ちにもさせるというような。
わざと普通の人とは違う格好したり、トイレに行かないなんておかしなことを言ったりして、時々は遠い世界に行っちゃうけれど、それは虚像だということもちゃんと知っているから大丈夫だよハニー、なんて感じで’虚像’まで取り込める。
もっとも存在自体が虚像でしょ、という冷めた意味でも’虚像’は使えるけれども。

現代ではインターネットのSNSなどにもアイコンが存在する。
この場合のアイコンとはプロフィール画像のことを言う。
TwitterにもFacebookにもInstagramにもLINEにも存在する。
多くのブログにも存在していて、このブログの右上にもある。
アイコンは、自分を表すものであり、自分の写真でも良いし、動物でも物でも何でもよい。自分を表してなくても咎められることもないだろう。
オンラインゲームなどには画面上に表示されるアバター(化身・分身)なんてものもある。これも自分に似せたものを作っても良いし、まったく似ていなくても構わない。

遠い時代には、絵でも写真でも文章でも、なんとか実像を残すことを夢見て、努力を重ねた日々があったのだろうと思う。
現代人は偶像や虚像を作り出すことが得意で、すっかりそれに慣れてしまったと言えるだろう。
化粧に修正加工に切り取り、いざとなったら動物にだって物にだってなれるし、自分の分身が受け答えしてくれたりもする。
ウソもホントもあることを、醜くも美しい世界であることを、誰もが良く知っている。
それはアイドルでもアイドルでなくても同じだから、アイドルの差別化が尚のこと難しい時代であり、恋愛禁止によってリスクマネジメントするなんてことが通用する時代ではないのかもしれない。


168.png期間限定でアイコン(プロフィール画像)を変えてみた。写真は今年の4月12日に撮ったもの。あの4月の雪の2日後、ナツと一緒。


e0126350_23433162.jpg


# by yumimi61 | 2019-07-25 14:36

コンダク

このシリーズ(?)は「恋愛禁止」から始まったものだ。
アイドルや芸能事務所には恋愛禁止の掟(約束事)があるという話を一度くらい聞いたことがあるのではないだろうか。
実際にそのようなことがマネージメントサービスを提供する会社(芸能事務所など)をはじめとして、レコード会社、広告代理店(ひいては広告を依頼する企業)、テレビ局などの契約に盛り込まれているのかどうなのかまでは知らない。

闇営業問題に関連して吉本興業が芸人と契約を交わしていないということが言われていたが、恋愛禁止もそれと同じで単なる口約束なのか、慣例を誰かが勝手に押し付けているだけのか、それとも世間一般の雰囲気というか思い込みというか、かくあるべしという願望に過ぎないのか、よく分からないところでもある。


契約は文書にして残しておこう

世間(テレビ界)では吉本興業の話題が盛りあがっているようだが、ああいうゴタゴタがないように文書によって契約を交わしておくことは大事だという反面教師にはなる。

吉本興業は契約解除時のファックスでマネジメント契約と言っていたので、それを信じればより吉本興業と芸人の間で雇用契約は結んでいないのであろう。
従ってファミリーと言っても、会社と従業員という主従関係にあるのではない。
マネジメント契約を結んでいた芸人は個人事業主か個人事務所(個人の会社)を持っているはずだ。
吉本興業と芸人はビジネス上は対等な立場であるべきもので、親子という例えもおかしい。

マネジメント契約は、その内容によって、委任契約か請負契約(業務委託契約)のどちらかに当たる。
私人・私企業の契約は口約束でも当事者同士では有効である。
しかし健全な企業では口約束で物事を進めるということはまずない。
公的な仕事や公衆性(社会性)の高い仕事、リスクの高い仕事などでは尚更である。

吉本興業は契約を交わしていないと盛んに言われていたが、契約解除のあたりから急にそういう話題は聞こえてこなくなって、実際そのところがどうだったのか、芸人によって扱いが違ったということなのか、さっぱり分からないが、前述したように文書による契約ではなく口約束(口頭説明)でも成立はする。
しかしながら後々、認識の相違などが発覚浮上してきた場合や、今回のように何か問題が起きた時に、「そうとは思っていなかった」とか、言った言わない論争になったりで、揉める元になる。
文書などが残っていない約束は、第三者が中立的な立場でその約束(契約)内容を確認して、和解に導くということも難しくなる。
揉めた当事者同士の話し合いで解決せずに争いごとが世に出た時には、規模や財務レベルが上の力ある会社の方が大抵不利になる。
前にも書いたが作用反作用の原理。


どうして恋愛してはいけないの?

前回は労働するにあたっての約束事に「恋愛禁止」を盛り込むとしたら、どこだろうという話で、次の3か所が考えられると挙げた。
 ①雇用契約(就業規則)の中に恋愛禁止条項がある。
 ②業務上の管理者の指揮命令の中で指示される。
 ③企業間の契約の中に恋愛禁止条項が盛り込まれる。


そこで今日はアイドルや芸能事務所の「恋愛禁止」について考えてみたい。
まず考えたのは、「恋愛禁止」の掟が実際に存在するとして(余談だけど社内恋愛禁止とかもあるよね?)、なぜアイドルは恋愛が禁止されなければならないのか、芸能事務所はなぜ恋愛禁止を指示するのか、ということである。

昨日は②に該当するものとして、未成年を相手とする学校や塾の教師や講師などを例にした。。
業務内(業務を通して出会った者)の恋愛を内規で禁止するといったことも考えられるし、規則で定めていなくても倫理上そのような強い風潮もある。
規則倫理違反が発見された時には、場合によっては解雇されたり法的に処罰されることもあるだろう。
幾ら恋愛は自由意志と言っても、業務上関わるのが子供という場合、子供が正当な判断を下せるとは限らず、力関係においても弱いため、業務を管理する側は子供サイドを保護する必要がある。
よって業務に従事する者に対して高い職業倫理が求められる。


「コンダクト・リスク」という金融用語がある。
市場の一体性(integrity)の信頼を損ねる、あるいは顧客保護を脅かす一連の行為(conduct,コンダクト)が生じる可能性を指す。
顧客の正当かつ合理的な期待に応えることが金融機関の第一の責務であるという認識に立ち、顧客対応、金融機関同士のやり取り、市場における活動を行うことが、金融機関に期待される<コンダクト(一連の行為)>と定義されている。
そのコンダクト(一連の行為)が適切に行われなくなるリスクが「コンダクト・リスク」である。
すなわち金融機関が、顧客保護・市場の健全性・有効な競争に対して、悪影響を及ぼす行為を行うリスクである。

芸能事務所が実際にどういう理由で「恋愛禁止」にしているのかは知らないが、芸能事務所の「コンダクト・リスク」は金融機関の「コンダクト・リスク」にも通じるものがあると思う。
芸能事務所にとって顧客保護・市場の健全性・有効な競争に悪影響を与えるのは恋愛ということだ。


まだ〇〇だから

一頃はアイドルと言えば青春期真っ只中の青少年(女性を含んでいます)だったが、ロリコン社会を反映してかアイドルもどんどん低年齢化し、時代が進むと高齢化社会に合わせるかのように今度はアイドルも高齢化してまだアイドルなのか・・という状態もあるようである。
それだけアイドルの幅もファン層の年齢も広がっているようなので、うっかりしたことも言えないけれど・・

青少年のアイドルのファン(顧客)は同年代か年下ということが多かった。
つまりファン(顧客)も未成年である可能性が高い。
未成年を相手とする学校や塾の教師や講師などを例に、業務管理側は子供を保護すべきだと述べた。
それと同じ理由でまずファン(顧客)が保護されなければならない。
子供が正当な判断を下せるとは限らず、力関係においても弱いため。
そして芸能事務所の場合、仕事をさせている者が未成年ということもあるだろう。つまり同時にそちらも保護する必要がある。


市場の健全性を担保するための恋愛禁止

例えばアイドルとファン(顧客)が恋愛関係になったとする。
そういう例があると、市場のファン(顧客)は、アイドルと恋愛関係になれるんだなぁ、なりたいなぁと思う。
若いうちならば、そういう例がないにしても、夢みたりするだろう。根拠のない自信は若さの特権でもある。
そしたらどういう行動をとるか。

まず一番簡単に出来ることは、気に入ってもらえるように優良な顧客になることだろう。
(気に入ってもらうために良い子になるのは子供の得意技である)
優良な顧客とはお金を落としてくれるお客さん(ファン)であるわけだが、そういうことはわりと子供でも知っているものである。
だけど問題は子供に財力がないこと。
極端な場合、お金欲しさに犯罪などに手を染めかねない。

次に会いに行くことを考えるだろう。ライブやショーなどを観に行ったり、極端な場合には四六時中追い掛け回すようになるかもしれない。
そういうことをするには当然かなりの費用がかかるし、時間も必要。
親に反対されれば、親の目を盗んで内緒で行ったり、学校を休んだり、家出したりすることもあるかもしれない。
そちらに夢中になることで、学業や習い事に身が入らなくなることもあるかもしれない。
ダフ屋につかまったり、慣れない都会に出てきて犯罪に巻き込まれるかもしれない。
子供らしい生活という健全さから次第に離れていくことになる。
そうなってくると親も快くは思わなくなる。
親や祖父母というものは子供の大事なスポンサーであるからして、そうした大人の反感を買ってスポンサーを失うことは芸能事務所にとっても望ましいことではない。


有効な競争力を失う時

アイドルが恋愛をしたり結婚すると商品価値が下がるというようなことは昔から言われている。
仮に同じようなレベルで競い合っていたアイドルが2人いたとしたら、恋愛や結婚をしたほうがアイドルとしての競争には不利とになる、これがアイドル界の有効な競争に悪影響を与えるということ。

なぜ恋愛や結婚が不利になるのかと言えば、取りも直さずアイドルは恋愛や結婚の対象であるからなんだろうと思う。
それが客観的に見て現実的かどうかは別として、実はアイドルというのは昔から手の届かない雲の上の存在ではなく、恋愛や結婚の対象になるくらいファンにとっては身近な存在なのである。

もしも全く恋愛や結婚の対象とはみておらず、単にその人の容姿がとても好きなだけとか、純粋に歌や演技など芸術的才能に惹かれていたり、作品をこよなく愛しているとするならば、相手が恋愛しようが結婚しようが関係ない。
もちろんそういう形で成立している芸能人とファンの形も沢山あると思う。
でも若いアイドルに限らず、結婚すると人気が落ちるというのは結構年齢がいっても現実的にあるらしいのだ。私は正直そんなものなのかと驚いたけれども。別に不倫目指せばいいじゃない ←勢いで言った冗談ですから。(吉本興業社長の二の舞か・・)


失われた時を求めて

恋人や配偶者がいても、誰かの熱烈なファン(顧客)という人はいると思う。
もしファン(顧客)がみな芸能人を恋愛や結婚の対象と考えているならば、恋人や配偶者は心穏やかではないだろう。
でもそうではないカップルや夫婦もたーくさんいるわけで。
他の異性(芸能人)にわーきゃー言っている恋人や配偶者を、その他の異性のライブやショーに平気で送りだしたり(お金も出したり?)、ケースによっては一緒に行ったりするわけだ。
恋人や配偶者そっちのけで(?)、映画を観たり、テレビを観たりして、時には一緒に観ることもあるかもしれない。
それは、他の異性(芸能人)が独身でも結婚していても、そんなに違いがない気もするが、そのあたりはよく分からない。
でもとにかく有効な競争力を失わない場合もある。
それは何故なんだろう。
有効な競争力を失わない理由は芸能人側にあるのだろうか。
それとも顧客側にあるのだろうか。
それともやっぱり恋愛や結婚は関係ないという人は一部の特殊な顧客であって、一般的には有効な競争力を失ってしまうのだろうか。
有効な競争力を失うとまでは言わずとも、それまでに比べれば多少競争力を落としたりするものなんだろうか。





# by yumimi61 | 2019-07-23 15:26

コンセプ

先日、このような例をあげた。
私は看護師・保健師・第1種衛生管理者の資格を持っているので、企業の安全衛生管理業務や健康管理業務を行うことが可能である。
B社という従業員が300名の会社があった。
300名の労働者がいれば、産業医や衛生管理者が選任されていて、安全衛生委員会などが行われているはずである。
B社にはそれらとは別に健康管理室(保健室)があるものの、今現在そこには誰もスタッフが常駐していない状態である。
本来は専門スタッフがいたほうが望ましい(とB社の経営者は考えている)。


この時にB社が健康管理室に専門スタッフを置く方法は次の通り。

 1.自社で看護師や保健師を採用(雇用)する。
 2.派遣会社から看護師や保健師の資格を持つ人材を派遣してもらう。
 3.従業員に対する健康管理・応急処置・健康相談業務を、外部の業者に業務委託する。
 4.看護師や保健師と委任契約を結ぶ。


【雇用契約と業務管理】
私が1~4の方法にてB社で働く場合、それぞれどこと雇用契約を結び、どこの指揮命令を受けて任される業務を行っていくか。
 1.B社に雇用され、B社の指揮命令下で働く
 2.人材派遣会社に雇用され、B社の指揮命令下で働く
 3.外部業者に雇用され、外部業者の指揮命令下で働く
 4.個人事業主であり雇用関係にはないフリーな立場、自分の判断で働く

【労務管理】
雇用関係と任された業務に関しては上記の通りになるが、労務管理はまた少し異なる。
労務管理とは給与や労働時間、福利厚生や教育など業務の周辺に存在するもの。
安全に効率的に、会社が不当に不利益を被らず且つ従業員が働きやすいような環境を整えるという重要な役割を担っている。
 1.B社の就業規則に従い、B社に管理される。
 2.人材派遣会社の就業規則(労働契約)に従い、人材派遣会社に管理される
 3.外部業者の就業規則に従い、外部業者に管理される
 4.自分の判断のもと自分で管理する(個人事業主は労働基準法の対象外でもある)

【企業間の契約】
B社の仕事をするにあたって行うべきこと
 1.自社だから特別なことは必要ない
 2.B社と人材派遣会社の間で労働派遣契約を結ぶ
 3.B社と外部業者の間で請負契約(業務委託契約)を結ぶ
 4.B社と私(個人事業主)の間で委任契約を結ぶ
   ※もしも私が会社を持っていたならば→B社と外部業者(私の会社)の間で委任契約を結ぶことも出来る


恋愛禁止を強要することは可能か

さてさて、やっと恋愛禁止話に漕ぎ着けました。
労働するにあたっての約束事に「恋愛禁止」を盛り込むとしたら、どこだろうという話である。
考えられるところ。
 ①雇用契約(就業規則)の中に恋愛禁止条項がある。
 ②業務上の管理者の指揮命令の中で指示される。
 ③企業間の契約の中に恋愛禁止条項が盛り込まれる。

①の雇用契約(就業規則)の中だとすると、会社が従業員に対して恋愛禁止を強要しているということになる。
これは人権侵害と大問題になるだろう。
そういう就業規則があると聞いたこともない。
よってこれは現実的ではない。

②はどうだろうか。これはあり得るだろう。
例えば業務上、未成年を相手とする学校や塾の教師や講師などである。
業務内(業務を通して出会った者)の恋愛を内規で禁止するといったことも考えられるし、規則で定めていなくても倫理上そのような強い風潮もある。
規則倫理違反が発見された時には、場合によっては解雇されたり法的に処罰されることもあるだろう。
幾ら恋愛は自由意志と言っても、業務上関わるのが子供という場合、子供が正当な判断を下せるとは限らず、力関係においても弱いため、業務を管理する側は子供サイドを保護する必要がある。
よって業務に従事する者に対して高い職業倫理が求められる。

③の契約は、請負契約(業務委託契約)や委任契約ということになるが、この契約は当事者間で詳細を詰めるものであり、それが法律違反に該当するものでない限りどんな取り決めも可能である。
ここで問題になるのは「恋愛禁止」が法律違反に該当するかどうかという点である。
しかし法律違反が行われていても刑事と民事では手続きが異なる。国や地方公共団体の機関(例えば警察や検察)が犯罪かどうかや違法性を捜査して裁判等で処罰を決定するのが刑事事件で、私人や企業間の一般的なトラブルは民事事件である。離婚や相続などの家族内のトラブルはとくに家事事件と呼ぶ。

民事であるということ

民事事件は、私人・私企業同士のトラブルなので、不服がある人が裁判を起こして事件となる。
トラブルになっても当事者双方が合意すれば裁判を起こさずに解決することもあるし、裁判を起こした後でも和解することがある。
逆を言えば、当事者双方が「恋愛禁止」に納得して契約に盛り込んだのであれば、そもそもトラブルにはならないはずであり、よって例えばその契約事項が一般的に見て人権侵害の憲法違反だと思えても、基本的には第三者が口を挟めるものではない。
契約をしておきながら、約束事を守れなかったら、守れない方が契約不履行で、何らかのペナルティを受ける必要があるだろう。

私人・私企業というものには、それだけ選択や決定に自由と権利があるということである。
だからこその落とし穴もある。
その最たるものが契約する両者の知識や認識に差が大きい場合。
一方の都合の良いように丸め込まれて不当な契約を結ばされかねない。
その場合も、不当であることに気が付けば、その時点で話し合ったり、裁判を起こしたりすればよいということになる。
よって本当に深刻な問題は、不当であることに気が付かないこと。不当であることに気が付いても、何の手も打てない関係や状況に陥っていることだろう。

例えばどんな関係か?
●契約した双方が対等な関係ではなく、一方がすっかりマインドコントロールされている状態。(だから不当な形で業務を続けていても気が付かない)
●契約した双方が対等な関係ではなく、一方が高圧的支配下にある状態。(不当だと気が付いても言い出せない、話し合いや裁判に持ち込めない)
●契約した双方の会社などの規模や財務レベルの差が大きくて、契約を解消したり見直せない状態。(不当であることは分かっているが仕事を失いたくないと思っていたり、何らかの借りや恩があって萎縮してしまう)
●会社や個人が相手に何らかの弱みを握られており、相手の機嫌を損ねたくない状態。
●契約相手の会社や個人が社会的権力者(例えば政治家)や反社会的勢力であったり、それらに通じていて、報復が怖い場合。


社会的第三者がもたらす弊害

刑事事件に該当しない民事のトラブルの場合には、基本的には第三者が口を挟めるものではないということを先に述べた。
近年の社会的な問題な1つとして、第三者が騒ぎすぎる(黒白を付けたがる、自分の意見や主張をしたがる、世論を一方向に向けたがる)ことが挙げられる。

そういうとネットの時代だからとネットだけが攻撃されやすいが、テレビや週刊誌も同じである。
ネットや週刊誌は参加(見る人)が限られるが、テレビというのは幼い子供や老人を含めて一番不特定多数の人が見る可能性があり、見ることを避けにくいものでもある。
その意味においては一番影響力が大きいというか弊害が大きい。
テレビ局(放送局)というものは、NHKに限らず、放送免許や放送法が関わっており、完全に私企業とは言い難いところがある。国のお墨付きという公的な側面が多分にある。
さらに大企業がスポンサーになっていることが多く、社会的なお墨付きも得ている観がある。
このようにステータスを持ち、スタンダードを形作り得る点が、インターネットの書き込みや週刊誌の記事とは一線を画すところだと思う。

そうしたテレビはじめ、週刊誌やインターネットが、第三者が口を挟めるものではない民事のトラブルさえも大々的に扱って糾弾したりする。
しかも事実が捻じ曲げられた糾弾もある。
あえてそうしているのか、無知や誤解なのか、その暴走は留まることを知らず閉口したくなる時もある。
法治国家である日本では私的制裁は禁じられています。
多くの場合、ネット民も週刊誌の記者もカメラマンも、テレビのキャスターもアナウンサーもコメンテーターも、当事者でもなければ裁判官でも担当弁護士でもない。


社会的第三者の役割

上には社会的第三者の弊害を書いたが、しかし全くその役割がないとも思わない。
そこが難しいところですね。

ではどんな重要な役割があるかと言えば、、、
本当に深刻な問題は、不当であることに気が付かないこと。不当であることに気が付いても、何の手も打てない関係や状況に陥っていることだろう。
不当な立場に置かれているのに気が付かないでいる個人や会社、不当であることに気が付いても何の手も打てない関係や状況に陥っている個人や会社、それを救えるのは社会的第三者なんだろうと思う。

当事者や捜査機関が手を付けられなかったり解決できないでいるようなことに光を当て、外側から改善へ手引きする。
当事者同士の話し合いや裁判が内科的治療ならば、社会的第三者による告発は外科的治療になるだろう。

しかし外科的治療は侵襲が大きい。
社会的第三者はそれだけのことをするのだという認識のもと、十分な知識を持った上で、取材などを重ね、基本的には中立の立場を崩さず、臨む必要があるだろう。



 

# by yumimi61 | 2019-07-22 15:42

soft fruit

e0126350_11280336.jpg

🍓最近サプリか何かのCMで桑の実がスーパーフードとやっているんだけど、桑の実って「ドドメ」だよね?
ドドメってスーパーフードだったんだ。
子どもの時にもっと食べておけば良かった。(十分ですよ?)

🍓ブルーベリーは目に良いと言いますね。
目が悪くなった?と言えば政治家のポスターですよね?
以前、某政治家の常掲ポスターが某アナウンサーにちょっと似ていると書いたことがありますが、今貼られている選挙ポスターも某アナウンサーにちょっと似ている。
選挙ポスターは今日までか。

🍓生のラズベリーはスーパーに流通しないソフトフルーツ。(冷凍は売っている)
生のものはスーパーどころか直売所などでも難しい。
熟しやすくてあっという間に柔らかくなってしまうから。
日本では梅雨時期が実がなる時期なのだけれど、木で熟したものは雨にも弱いのです。

🍓チョーヤの梅酒のCMは見たことがありますか?
カウンター越しにバーテンダーと女性客がいて、女性客が「最高の幸せってなんですか?」と訊くCMです。
あれを見るたびに気になるのは、どうやってグラスから梅を取りだしたのかということ。
スプーンも箸も何も置いてはいない・・・ということ指を入れて出した・・・?
しかも会話の時間的にみて、かなり迅速な作業だと思われ・・・
今でしょ!?
全体に流れる雰囲気と、見えてはいないが想像させるシーンの、ギャップがありすぎて、見るたびに困惑する。

🍓そのCMのバーテンダー役は、NHKの『透明なゆりかご』という医療ドラマで、ドラマの舞台だった由比産婦人科の院長先生をやってた俳優さん。
優しい良い先生だったよね。
私がその俳優さんを観たのはそれが初めてだったので、由比先生のイメージが強くて、ユーチューバーのタイガになっていた時には、一瞬引いた。先生・・(笑)

🍓先日インターネット上でIDなどを設定する機会があり、設定を終えた翌日にそれを使った。
さすがに翌日なのでIDもまだ覚えていたが、ちゃんと紙に控えてもあった。
IDを入力したところで、次にパスワードを入れてくださいと出た。
パスワード・・・って?(パスワードはパスワードです!?)
なんとパスワードを設定した覚えがないのだった。
しかし仮パスワードが発行されたことを思い出して、スマホを見ながらそれを打ち込んだ。結果は不一致。
もうひとつこれかなぁというものを打ち込んでみたがそれも不一致。
あんまり次々とパスワードを入れ怪しく思われて使用禁止にでもなったら面倒だと思い、サービスセンターに電話した。
だけどこの段階でも私には「パスワードを設定した」という記憶が全くなかった。
パスワードは当然その電話では教えてもらえない。どうしても思い出せない場合には再設定になるというが、簡単にその場で再設定というわけにもいかないらしい。
そこで私はパスワードを連続して入力しても怪しまれない(使用禁止にならない)回数を聞いて、「頑張ってみます」と電話を切った。

🍓人間はランダムな英数字の文字列を記憶することが得意ではないだろう。
だからパスワードや暗証番号などについつい誕生日や電話番号やペットや子供の名前などを使ってしまうのだ。
そして得意ではないからこそ、同じものを使いまわす。
しかしそれ以上に、人間はランダムな英数字の文字列を作成することが苦手であると思う。
何故かと言えば、人間が有機体だからである。
*有機体*
生命現象をもっている個体、つまり生物。有機体においては各部分が互いに関係をもつとともに全体との間に内面的な必然的連関をもち、単なる部分の寄せ集めではない一つの統一体をつくる。広義には、こうした有機体の本質に類比させて社会・国家・民族をもいう。 〔organism; organic body の訳語〕
必然的連関を持つという特徴のある有機体だからこそ、自分や文字相互に関連のない単なる文字の羅列を作成することに対して、意識的にせよ無意識的にせよ、ある種の抵抗感を抱くのだ。人間の得意分野ではない。

🍓人間はランダムな英数字の文字列を作成することよりは、まだランダムな英数字の文字列を記憶することのほうが受け入れやすい。
それは「このランダムな英数字の文字列は、私のこれのパスワード」というふうに、新たに関連付けを行って記憶するからである。
その時点で「全く無意味な文字列の羅列」ではなく、「私のパスワード」に変わる。
ただ文字列の並び自体は自分とは関係ないものなので、それを記憶できるかどうかは、人それぞれであり、使う頻度などにも影響を受ける。

🍓猫がキーボードの上を歩いたことによって出来た文字列を、それを知らない人間が見ると、とうとうこの人は錯乱してしまったかと思う。というのは一昨晩のNHKのドラマ。

🍓パスワードの記憶のなかった私は、仕方なく記憶にある他で用いているパスワードを入れてみた。
やっぱり不一致だった。
IDの記憶がしっかりあるのにパスワードの記憶が皆無であるということ、これは結構恐ろしかった。まさにその部分だけ綺麗に切り取られたように「無」なのである。
一部分だけ完全に記憶が欠如してしまっている。まるで解離性健忘のようだ。
味覚障害を起こしていたこともあって、今度は記憶にまで及んだのかと思った。

🍓入力をやめ、もう一度設定場面を思い出し、冷静に考えてみた。
私はパスワードの記憶がない、そしてパスワードを設定した記憶もない。でもIDの記憶はある。
・・・・ということはパスワードはIDと同じなのではないか。そう思いついた。
そしてパスワードにIDを入れてみたのだ。
もっともIDとパスワードでは設定可能な最大文字数が違っていた。
私はIDを最大文字数で設定していた。
パスワードの最大文字数はそれよりも少なかったので、IDを入力しても文字数全部は収まらない。
パスワードの最大文字数までしか入力できないということだが、文字数を超えてキーボードを叩いてもエラーが出るわけではない。勝手に入力終了しているだけのこと。
一字一句文字数を数えながら打っていけば気が付くだろうが、覚えているものを空で打っているので気が付かない。
結果、やっぱりIDと同じパスワードで設定されていた(文字数はパスワードのほうが少ない)。

🍓IDやパスワードやメールアドレスなどを設定する時、確認のためにということで同じものを繰り返し入力することが多い。
特に今回は仮パスワードも発行され、それを入力した場面もあった。
結局同じようなことを何回も繰り返すことになるが、それが当然だと思っている自分もいる。
そういう状態のなか、新パスワードを入力してくださいという場面で、私は深く考えずに再びIDを入力したのであろう。
つまり指示をよく読まず確認せずに入力したという私のミスである。
それがエラーにならず、すーっと通ってしまった。
そのような設定場面では入力間違いなどエラーがあれば、次には進めなかったりして作業が終了することはない。
従って設定が終了したということは問題なく作業し終えたものと、こちらも思い込んでしまう。
新パスワードと思って入力したものはなかったのに、設定終了が通知されたので、私自身もそのことに気が付かず、不思議にも思わなかったということなんだろう。
しかもその日はその設定終了後の場面から、新たにIDとパスワードを入力しなおさなくても、直接問題なくログインできたので、尚のこと気が付かなかった。
こうして私からパスワードの記憶が消えてしまっていたというわけである。






# by yumimi61 | 2019-07-21 11:30

コンサル

今日もまだアイドルの恋愛禁止話はお預けです。もったいぶっているわけではありません。大したことを書くつもりはないですので。


家政婦は見た

『コンプラ』に職業紹介事業(人材紹介)と労働者派遣事業(人材派遣)があるということを書いた。
引用したWikipediaの「職業紹介事業」の説明に次のように書かれていた。
民間による職業紹介事業で扱われる職種としては、看護師やマネキン、芸能関係などがある。看護師に限ったものは「ナースバンク」などと称されることがある。また、家政婦に特化した「家政婦紹介所」、マネキンに特化した「マネキン紹介所」、配ぜん人に特化した「配膳人紹介所」(若しくは、サービスクリエーター)などがある。

それで思い出したが『家政婦は見た』というドラマ。
主人公が”大沢家政婦紹介所”で家政婦の仕事を紹介してもらい、そこから展開されるドラマである。
私は2時間ドラマを何回か見たことがあるが(市原悦子さんが亡くなった時の追悼再放送も観た)、家政婦さんたちは”大沢家政婦紹介所”に住み込んでいた。
そして毎朝そこから勤務先のお宅へ出かけるという仕事の仕方であった。
個人宅から家政婦の依頼を受けたり、お金の管理をしているのは”大沢家政婦紹介所”の会長さん。
会長さんが大沢という名字らしいので、会長さんが”大沢家政婦紹介所”の経営者なんだと思う。
家政婦たちは給与を”大沢家政婦紹介所”の会長さんから貰っていた。
つまり、”大沢家政婦紹介所”は、「職業紹介事業」を行っているのではなくて、「労働者派遣事業」を行っているのだなぁと思った。
もしも「職業紹介事業」ならば、雇用関係を結ぶのは家政婦を依頼した御宅と家政婦であって、求職者が住み込み希望ならば住み込み家政婦を求めている御宅が紹介されるべきである。
会社の名称(大沢家政婦紹介所)と事業内容が異なっていて、紛らわしいというか誤解を与えそうだなぁという感想を持った。


ドクターX

紹介所のドラマと言えば医療ドラマの『ドクターX』もそうである。
あれは”神原名医紹介所”という所から大門ドクターが大病院に派遣されて仕事をするというドラマだった。
大門ドクターが「あきらさん」と呼んでいるのが所長の神原晶。所長もあけわりの元ドクター。大門ドクターと紹介所内でよく一緒に麻雀していた人である。
大門ドクターに仕事を探してくるのは、その所長のようだ。
ドラマの最後に決まって病院長に報酬の請求書を突きつけているのも”神原名医紹介所”の所長さん。
ドラマの中で大門ドクターは”神原名医紹介所”にての給料制だと言っていた。麻酔医の城之内ドクターは歩合制と言っていた。

【オープニングのナレーション】
・2016年、白い巨塔の崩壊は留まるところを知らず、命のやり取りをする医療は迷走を極めていた。
有名大学病院がブランド力の強化に奔走し、一方、高いスキルを持つ外科医は高額な金で海外に流出。
医学界はさらなるグローバルな弱肉強食の時代に突入した。
そんな中、どこの組織にも属さないフリーランス、すなわち一匹狼のドクターが現れた。
たとえばこの女。群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ。
外科医・大門未知子、またの名をドクターX。

・2017年、崩れかけた白い巨塔は再びその権力を取り戻し、命のやり取りをする医療は本来あるべき姿を完全に見失った。
そんな中、どこの大学医局にも属さないフリーランス、すなわち一匹狼のドクターが現れた。
たとえばこの女。群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ。
外科医・大門未知子、またの名をドクターX。


一度でもドラマを観てしまうと、「いやいや、彼女、フリーランスじゃないし」と思ってしまうのだ。
フリーランスとは早い話、個人事業主である。
大門ドクターはそうでなくて、”神原名医紹介所”と雇用関係を結んでいる医師である。
会社名が紹介所という名称ながら、「職業紹介事業」を行っているのではなくて、「労働者派遣事業」を行っている。
『家政婦を見た』と全く同じ様式である。
主人公が紹介所に住み込んでいるのも同じなのか、そこまでは私が観た限りのドラマでは分からなかったが。(城之内ドクターは自分の家に住んでいるぽかった)
とにかくドラマ全体の辻褄が合っておらず、医療ドラマということを考えると看過できない。

日本の医療は診療報酬制度に則っており、多くの国民は医療保険という皆保険の恩恵に与っている。
保険診療と保険外診療を併用することは原則として禁止されており、もし手術を自由診療にするならば入院や他の処置など全体が自由診療となってしまう。
そうなれば患者は莫大な費用がかかる。
そんな需要がこの日本にどれほどあるのか。現実離れしすぎている。
しかも手術が終わった段階で、”神原名医紹介所”の所長が病院長に請求書を提示し、病院長はたった今報酬額を知ったかのように驚いているが、事前に報酬や責任などの契約を結ばずに生命に関わる手術を外部に委託したなんてありえない。
多額の報酬を外部業者に払っておいて、患者は健康保険での診療を希望していたので既定の診療代しか病院に入ってこないとなれば、病院はたちまち経営危機に陥ってしまう。

医療行為というのは本来は委任契約に該当し、真摯に確実に行為を遂行することに努めるものの、結果に対して責任を取る必要はないのである。
だから成功報酬として上乗せするなんてことは出来ない。
手術をしても、手術が成功しても、患者が死亡することはある。
そもそも永遠の命などないのだから、いつかは皆死んでしまうわけだけれども。
死んだら幾ら、1年生きたら幾ら、5年生きたら幾ら、そういうものはなく、手術という仕事に対して費用が発生するだけなのだ。
もし成功報酬を上乗せしているとするならば、手術時の成功がゴールではないのに、5年どころか1年も待たずに、手術だけを絶対的な価値として多額の報酬をせしめる”名医紹介所”や、それに応じる病院は医療や健康をなんだと思っているのだと言いたい。

大門ドクターが派遣事業所である”神原名医紹介所”から派遣されたドクターだとすると、雇用契約は”神原名医紹介所”との間にあり、給料もそこからもらうわけだが、派遣先の指揮命令には従わなければならない。
従って「いたしません」とか好き勝手なことを言ってる場合じゃないのだった。
病院の指揮命令に従わない派遣労働者なんてすぐにクビだろうと思う。
ドラマではそうなっていないところがおかしい。病院はよっぽど”神原名医紹介所”に弱みを握られているのか・・という怖さしかない。


企業の働かせ方、労働者の働き方の選択肢

私は看護師・保健師・第1種衛生管理者の資格を持っているので、企業の安全衛生管理業務や健康管理業務を行うことが可能である。

e0126350_18465858.jpg

看護師・保健師ではなくて、看護婦・保健婦時代です。すみません・・


e0126350_18480288.jpg


そこで一つの例をあげてみたい。
例えば、B社という従業員が300名の会社があったとする。

労働安全衛生法にて、労働者の健康障害や労働災害を防止するために、全ての会社に健康診断が義務付けられ、50名以上の労働者がいる職場では産業医と衛生管理者を選任し、衛生委員会や(業種によっては)安全委員会を設置することが義務付けられている。
従って300名の労働者がいれば、産業医や衛生管理者が選任されていて、安全衛生委員会などが行われているはずである。

B社にはそれらとは別に健康管理室(保健室)があるものの、今現在そこには誰もスタッフが常駐していない状態である。
企業の健康管理室(保健室)は法的に設置義務があるものではないので、誰も居なくても構わないと言えば構わない。
応急処置や健康相談などが必要な場合には衛生管理者などがその都度出向いて行ってもよいし、産業医が来社した時に使ってもらうということもできる。
だけど部屋を作ったくらいなので、本来は専門スタッフがいたほうが望ましい(とB社の経営者は考えている)。

この時に経営者が採れる方法。
 1.自社で看護師や保健師を採用(雇用)する。
 2.派遣会社から看護師や保健師の資格を持つ人材を派遣してもらう。
 3.従業員に対する健康管理・応急処置・健康相談業務を、外部の業者に業務委託する。
 4.看護師や保健師と委任契約を結ぶ。


この時にもし私が個人事業主(フリーランス)として働くことを希望するならば、選択肢は4しかない。
私はB社の健康管理室にスタッフが不在であるということを聞きつけて、B社に委任契約を売り込みに行く。
それで話がまとまれば、委任契約を結ぶことになる。
契約締結後には、私はB社と契約した日数・時間だけ出社し、健康管理・応急処置・健康相談業務を行う。
B社と雇用関係にあるわけではないので、B社に指揮命令されて日々の業務をこなすわけではない。
任された仕事を自分の判断と力量で淡々と行えばよいのである。
委任契約なので結果や質に対する責任はない。従業員の健康が格段にアップしたなどいう成果(結果)を出す必要は別にない。
報酬は、単に1ヵ月幾らと設定することも出来るし、基本料+相談1件幾ら+応急処置1件幾らなどと細かく設定することも可能である。

しかし前述したように、そもそも個人事業主とは取引(契約)はしないという会社もあり、私は断られる可能性もある。

私が会社を個人経営していたらば、個人事業主ではないので話がまとまるかもしれないし、個人経営では心許ないと断られるかもしれない。


上にも書いたが会社は従業員に健康診断を受けさせることが義務付けられている。
そして労働安全衛生法に基づく各種健康診断の結果報告書を労働基準監督署に提出しなければならない。
また労働災害(通勤災害含む)が発生した場合にも報告義務があるし、労災保険の手続きなどもある。
そうした法律で義務付けられている健康診断業務や報告書の作成などは請負契約や業務委託契約の範囲になってしまうので、委任契約だけでは出来ない。
もしも私に請負契約の範囲の仕事をする意思があっても、個人事業主(フリーランス)では受けることが出来ないのだ。
2人以上の会社組織ではないと請負契約(業務委託契約)は結べない。

さらに言えば、もし私が会社を経営していてB社の健康診断業務や報告書の作成などを請け負ったとしても、私の会社が自社で健康診断を提供できなければ、結局のところ健康診断自体は外部の業者に依頼することになり、二重の請負(業務委託)になってしまう。
 ×会社⇒外部業者(健康診断業務や報告書の作成などを請け負い)⇒外部業者(健康診断の実施を請け負い)

しかし会社に雇用された従業員として、あるいは会社に派遣されている派遣労働者として健康診断業務を担当し、自分で計画し外部業者の選定と打ち合わせを行って請負契約を結ぶという形態ならば、健康診断の実施は外部業者が行っても、二重の請負(業務委託)契約にはならない。
 〇会社(雇用関係にある者が健康診断業務や報告書の作成)⇒外部業者(健康診断の実施を請け負い)

大企業ならば社内診療所に医療スタッフを雇用していて健康診断が社内で出来るという所もあるくらいである。
 〇会社(雇用関係にある者が健康診断業務や報告書の作成)⇒会社(社内診療所で健康診断を実施)

このように会社(会社と雇用関係にある者)が行う必要がある業務も存在する。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-07-19 15:58

サブコン

前回、闇営業問題に関連して会社と労働者の雇用契約などについて書き、今回はアイドルの恋愛禁止について書く予定だったが、その前に業務委託についても書いておこうと思う。

請負契約について

↓これは前回私が書いたもの。

職業紹介事業(人材紹介)と労働者派遣事業(人材派遣)の大きな違いは、登録した人(人材)が誰と雇用契約を結ぶかなのである。
例えばだけど、吉本興業が有料職業紹介事業(人材紹介)を行っていて、芸人がテレビの仕事を紹介され、それが決定すれば、雇用契約(労働契約)を結ぶのはテレビ局と芸人である。芸人は吉本興業に紹介料というか登録料の規定料金を支払う。
もし吉本興業が労働者派遣事業(人材派遣)を行っているならば、芸人がテレビの仕事をすることになったとしても、雇用契約(派遣契約・労働契約)はあくまでも吉本興業と芸人の間にあり、仕事をした芸人は吉本興業から報酬(給料)を貰う。



その他に、「請負契約」という形態もある。
テレビ局で例えるなら、テレビ局がドラマやアニメやドキュメンタリーを放送したいと思った時に、その制作を自社にて自社スタッフを使って行うのではなく、外部の会社にそっくりお任せすることである。

 テレビ局(制作依頼)⇒A制作会社(受注して制作)

この場合、テレビ局とA制作会社は雇用契約にあるのではない。
両者は原則的に対等な立場にあり、ビジネスのやり取りを行う。業務内容・費用・納期などを取り決め(契約)した上で受注側は業務を進めていく。
これを民法上の「請負契約」と言う。
当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

つまり次の2要素がある契約が「請負契約」であり、例えば期日まで完成しなかった場合や仕事に大きな欠陥が見つかった場合には、違約金や賠償金などペナルティが課せられる。
①受注側は約束の仕事を期日までに完成しなければならない。
②発注側は完成した仕事に対して報酬を支払わなけれならない。

この「請負契約」の場合には、その労働に従事する者は、請け負った側と雇用契約(労働契約)を結ばなければならないことになっている。

 テレビ局(制作依頼)⇒A制作会社(受注して制作)
              ×テレビ局と雇用関係にある者
              〇A制作会社と雇用関係にある者

上記のようにA制作会社が「請負契約」として受注した仕事の場合、本来はテレビ局と雇用関係にある者(テレビ局の雇用主の指揮命令を受ける立場にある者)が従事してはいけないのである。
従事するならばA制作会社と雇用契約を結び、A制作会社の雇用主の指揮命令を受ける必要がある。雇用関係にあれば、労働者の給料(報酬・労働対価)はその雇用主から出される。
発注側のテレビ局が請負会社であるA制作会社の労働(労働者)に直接指揮命令している場合は、偽装請負と判断されることになる。
テレビ局がA制作会社と派遣契約を結び、テレビ局が雇用する労働者を派遣労働者としてA制作会社に送りこむのであれば問題はクリアされる。


委任契約について

「請負契約」は完成品に対しての責任が発生するが、「委任契約」にはその責任がない。

民法上の(準)委託契約
受注した業務に関して、「行為の遂行」を目指した契約。

請け負った業務を真摯に確実に遂行すれば、その役割を果たしたことになる。
質や結果には責任を持つ必要はない。

分かりやすいところで言えば、どこかの商店や会社が会計業務を税理士や会計士に依頼する、これが委任契約にあたる。
請け負った税理士や会計士が、日々の売上、仕入れの記録や管理、会計帳簿の作成、監査、税務業務や相談など、その商店や会社の資金管理を行う。
(「税務書類の作成」「申告書の作成」「財務諸表監査」など法的義務に基づく納期のある完成品が必要な場合には請負契約となる)
税理士や会計士が相談に乗ったりアドバイスすることはあるだろうけれども、その商店の経営や財務状況(利益など)に対しては責任を持たない。
赤字の会社の会計業務を請け負ったからと言って、黒字化する責任はない。
顧客が出来なかったり苦手だったり、人手不足でそこまで手が回らなかったりすることを、代行するだけのことである。
税理士や会計士が個人事業主であろうと、どこかの税理士事務所や会計事務所の従業員であろうと、税理士や会計士が依頼側の商店などと雇用契約を結ぶわけではないので、依頼者の指揮命令を受けて労働するのではない。
依頼した側は代行してもらった仕事に対しての報酬を個人税理士・会計士なり事務所に支払う必要がある。
税理士事務所や会計事務所の税理士・会計士ならば、あくまでも事務所の仕事の一環ということになり、事務所から給与をもらう。


業務委託契約について

一般的には「業務請負契約」という名称のほうが馴染みがあるかもしれない。
ただ日本の法律では「業務委託契約」という契約は規定されていない。
「業務委託契約」は、「請負契約」や「委任契約」の2つを根拠にしていると捉えられている。
異なる契約を根拠にしていることからも分かるように、これこれこういうものが業務委託契約だという決まりがない。
業務委託と受託する当事者同士が責任の所在含め事細かに取り決めを行う契約を「業務委託契約」と呼ぶ。

但しこの場合も、業務委託した側が、受託先でその仕事に従事している労働者を直接指揮命令してはいけない。
請負契約と同じで、その仕事に従事する労働者は受託業者と雇用契約を結んでいる者である必要がある。

こんな例はいかがでしょうか。

 テレビ局がニュース番組制作(司会進行を業務委託)⇒芸能事務所(受託)

この場合、芸能事務所と雇用関係にある者がそのニュース番組の司会進行者となる。
事前にテレビ局と芸能事務所との間で、期間や報酬や責任など様々な取り決めを行う(業務委託契約)。
この契約の中では、司会進行者に対して、請け負った司会進行業務含め労働の指揮命令ができるのは芸能事務所であってテレビ局ではない。テレビ局が行うと違法となる。
だけど実際のところ1つの番組は司会進行だけで成立するものではなく、番組制作に携わる労働者の指揮系統が違うというのは非常に難しいというかなんというか、現実味がない。
非常に非効率的だし、同じことをするのに管理者が余分に必要になり、結局コストも余計にかかることにもなる。
つまりそうやって制作している番組は違法臭い。

テレビ局と芸能事務所が派遣契約を結び、司会進行者が派遣労働者としてテレビ局に送りこまれるならば、テレビ局の指揮命令下で司会進行業務を行うことが出来る。
但しこの場合も司会進行者は芸能事務所と雇用契約を結んでいる必要があり、司会進行者に対しての報酬(給与)は芸能事務所から出る。
労働者を必要とする会社と労働者の間に入る派遣会社(この場合なら芸能事務所)は、当然手数料を取る。
テレビ局と派遣会社で取り決めた報酬がそのまま労働者の給与になるわけではない。
労働者がどういう形態で幾ら給与(報酬)が貰えるのかは、派遣会社とそこに雇用された労働者の雇用契約による。


偽装請負

「請負契約」や「業務委託契約」において、次のようなことが行われている場合は、偽装請負で違法である。

①業務を依頼(発注)した会社が、その業務やその業務に携わる労働者に対して、指揮命令しているケース

②業務を請け負ったはずの会社が形式的な責任者を置いているだけで、実際に業務をこなしているのは発注側の会社

③業務を請け負った会社がその業務を行う労働者に個人事業主を選んだり、発注側の会社とその個人事業主とで契約を結ばせるもの。

例⇒上に書いたテレビ局のニュース番組の司会進行を芸能事務所が業務委託した場合に、司会進行者として送りこまれた人物が個人事業主ではダメということ。芸能事務所と雇用契約を結んでいる者でなければならない。
それならば、直接その人物(個人事業主)とテレビ局とで「請負契約」や「業務委託契約」を結ばせればよいと思いがちだが、これもダメである(一人請負の禁止)。

④請負会社が複数介在する契約

例⇒テレビ局のニュース番組の司会進行を芸能事務所が業務委託したが、今度はその芸能事務所が請け負った業務をフリーアナウンサー事務所にさらに業務委託し、フリーアナウンサー事務所からテレビ局に司会進行者がやってくるというようなこと。
発注したテレビ局にしたら契約した会社以外から司会進行者がやってくるわけだから契約違反であるし、その司会進行者の使用者(雇用主)が誰なのか分からない状態となってしまうので、これもダメである。
フリーアナウンサー事務所がマネージメント会社で、フリーアナウンサーは個人事業主なんて場合には③にも該当し、さらにダメである。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-07-18 17:06

コンプラ

恋愛禁止は本当なのか?

アイドルや芸能事務所には恋愛禁止の掟(約束事)があるという話を一度くらい聞いたことがあるのではないだろうか。
実際にそのようなことがマネージメントサービスを提供する会社(芸能事務所など)をはじめとして、レコード会社、広告代理店(ひいては広告を依頼する企業)、テレビ局などの契約に盛り込まれているのかどうなのかまでは知らない。

闇営業問題に関連して吉本興業が芸人と契約を交わしていないということが言われていたが、恋愛禁止もそれと同じで単なる口約束なのか、慣例を誰かが勝手に押し付けているだけのか、それとも世間一般の雰囲気というか思い込みというか、かくあるべしという願望に過ぎないのか、よく分からないところでもある。


仕事ではないのでは?

ついでなのでアイドルを置いておいて吉本興業の話をすれば、吉本興業がマネージメントサービスを提供するだけのマネージメント会社ならばマネージメント契約を結ぶべきだし、そうでなくて芸人を従業員として考えているならば正規であっても非正規であっても雇用契約を結んで労働基準法に則るべきである。派遣会社という位置づけならば派遣契約を結ぶ必要がある。
給料・報酬の多い少ないが問題なのではなく(契約によっては最低賃金が保障されなければならないが、そうでない契約も可能である)、有耶無耶にしていることが問題。
サービスを提供する側は規定料金を支払ってもらう必要がある。
要するに吉本興業がマネージメントサービスを芸人に提供しているならば、その対価を芸人に支払ってもらわなければならないのだ。お金を支払う側は会社側ではなくて芸人の方である。芸人が仕事で得た報酬でそのマネージメントサービス料を相殺するということはできる。


某芸人さんが反社会的勢力のパーティー?会合?お誕生会だっけ?に出席して歌を歌ったと報道されていたけれど、歌手でもない芸人(本職は漫才師?)が歌を歌っている段階で仕事じゃないじゃん、と私は思いました。出席者によるカラオケ大会?JASRACも調査したほうがいいんじゃないですか?
パーティーでも結婚式でも誕生会でもよいけれど、仕事として受けるならば仕事の内容を明らかにして依頼されるのが普通だと思う。司会をやってほしいとか、余興に漫才を披露してほしいとか、歌を何曲歌ってほしいなどと依頼されるのが一般的ではないだろうか。
そして仕事ならば、いつどこで行われて、どれほどの時間を拘束されて、その対価が幾らなのか、出席者はどのような人なのかということは当然気にするはずである。
会社の上司にでも「ともかく行ってくれ」と命令される下っ端従業員ならばともかく個人事業主ならば、それはそれは気にする必要があることのはずだ。
でももしそれが友人の主催するパーティーや結婚式だったならば対価を期待したり要求したりはしないであろうし(相手が気を使って御心づけを下さることはあるだろうけれども)、出席者が誰かなんてことも詮索する必要もない(出席者は友人の関係者なはずだから)。
どのようなことを行ったらよいか打ち合わせくらいするかもしれないが。
こう考えていくと、報道されている内容の出来事を仕事と位置付けることに無理があるような気もしてくるけれど、いかがでしょうか。

友達とか、友達の友達とか、知り合いとか、そういう個人的なお付き合いの一環であり、動いたお金は労働の対価(規定料金)ではなく、御心づけであったと捉えられる。従って仕事上の関係よりも一層親しさを感じてしまうのである。


御心付け文化とチップシステム

日本では御心付けという風習がある。
結婚式やお葬式の時、旅館や料亭やレストランを利用した時、引っ越しを依頼した時、バスをチャーターした時など、規定料金を支払うのとは別にスタッフ個人にお礼や感謝の気持ちとして「御心付け」という金銭を渡すというもの。
外国のチップに似ているが、金額は日本の「御心付け」のほうが一般的には高額である。
現代では既定の料金にサービス料として盛り込まれていることが多いのでだいぶ廃れてきてはいるが、結婚式やお葬式の御心付けは根強く残っている。また舞妓さんに心付けを渡す場合があるように一部界隈(芸能の世界)などでも根強く存在しているのではないだろうか。
それと御心付けとは言わずチップと言っているだろうけれど、クラブ(銀座のクラブとかホストクラブとかキャバクラとかのクラブ)でもそうした慣習がある。これなんか下心と捉えられてもおかしくはない。
本来、サービス料金が規定料金に含まれている場合には、その上に御心付けやチップを渡す必要は全くないそうである。
ともかく、そうして個人に渡った金銭は、個人が懐に入れるケースもあるし、会社が回収するケースもあるらしい。

労働の対価なのか、個人的な金銭のやり取りなのかによって、税金の扱いも変わってくる。
1000円以下程度の金額ならばともかく、万単位になってくると、収入に影響してくる。
会社から貰っている給与の他に、会社の仕事をしたにもかかわらず個人的に貰っている心付けが結構あって、それを申告していないとすれば社会制度的な問題になってくる。社会保障にも関係する。
脱税と捉えられても仕方がないし、渡した人は脱税の手助けをしていることにもなってしまう。
上記の反社会的勢力のパーティーではないけれども、もし御心付けが1年間で110万円を超えてくるような場合には、個人的なやり取りだとしても贈与税が関わってくるので、やはり未申告ならば違法となる。

外国のチップは労働賃金の一部として給与システムに組み込まれているそうだ。つまり個人のチップ収入を雇用主に報告しなければならない。
顧客と直に応対しチップを多く受け取る機会が多い部署で働く従業員は、その分だけ給料が最初から低く設定されていて、チップがなければ生活にも響く。
だからサボらず腐らず相手が気持ちよくチップを弾んでくれるように頑張って仕事をしなければならないということである。
チップをもらう機会の少ない部署ではその分だけ給与は高めに設定されている。


職業紹介事業(人材紹介)か、労働者派遣事業(人材派遣)か

上に私は、吉本興業が派遣事業という扱いならば派遣契約を結ぶ必要があると書いたが、芸能事務所は職業紹介事業であるとも言われることもある。しかしながらこの辺りも曖昧になっていると思う。

職業紹介事業とは
就職・転職・日雇いアルバイトやパートの仲介を行う事業の、行政における呼称である。一般的には「人材紹介」と呼ばれている。隣接する事業に、労働者派遣事業がある。

主に、各種技術系エンジニア・研究者や経営全般、法務、財務など社業のマネジメント(社業一切を任せる社長の例もある)といった職種に利用されており、これらは、初期から、民間による職業紹介事業で扱われている。「人材バンク」や「転職エージェント」などと呼ぶ場合、この分野の職業紹介事業を指すことが多い。

上記の技術系や経営管理系以外の職種で、民間による職業紹介事業で扱われる職種としては、看護師やマネキン、芸能関係などがある。看護師に限ったものは「ナースバンク」などと称されることがある。また、家政婦に特化した「家政婦紹介所」、マネキンに特化した「マネキン紹介所」、配ぜん人に特化した「配膳人紹介所」(若しくは、サービスクリエーター)などがある。
芸能プロダクションにおいては、モデル部門のみ、またはその部門を併設しているところでは、有料職業紹介事業所にあたるが、芸能人(俳優、タレント、歌手、声優)などは、個人事業者であっても労働基準法における労働者には該当せず、労働時間規制など、労働法制上の多くの保護は受けられない。しかし、芸能人が未成年者である場合、児童福祉法の保護法制の対象となる。

技術系でも、医療関連の職業紹介については、製薬メーカーの医薬情報担当者を除き、規制緩和まで許認可が下りなかったこともあり、扱っている業者は極めて少ない。
また、いわゆる現業・技能系のブルーカラー職種についても、医療関連同様に規制緩和が遅かったため、扱っている業者は極めて少ない。


職業紹介事業(人材紹介)と労働者派遣事業(人材派遣)の大きな違いは、登録した人(人材)が誰と雇用契約を結ぶかなのである。
e0126350_18240085.jpg
図の出典:奥山労務行政事務所

例えばだけど、吉本興業が有料職業紹介事業(人材紹介)を行っていて、芸人がテレビの仕事を紹介され、それが決定すれば、雇用契約(労働契約)を結ぶのはテレビ局と芸人である。芸人は吉本興業に紹介料というか登録料の規定料金を支払う。
もし吉本興業が労働者派遣事業(人材派遣)を行っているならば、芸人がテレビの仕事をすることになったとしても、雇用契約(派遣契約・労働契約)はあくまでも吉本興業と芸人の間にあり、仕事をした芸人は吉本興業から報酬(給料)を貰う。


雇用契約と副業と個人事業主

雇用契約(労働契約)を結び、その契約が有効であるうちに、そことは違う所で仕事をすれば副業ということになる。
副業をしてよいかどうかは雇用契約による。
副業が認められている場合で、副業も雇用契約による給与収入だった場合には金額に関わらず確定申告が必要となる。
それ以外の副業での所得の場合は年間20万以上で確定申告が必要となる。

個人事業者は個人で成立するものなので雇用契約はない。
芸人が個人事業主で、個人的に仕事を獲得して行ったならば、その仕事に関する責任は全て自分が負うべきもので、吉本興業は関係ないということになる。

社会的信頼があるのは個人事業主よりも法人(会社含む)である。それは融資などを考えても分かること。
個人事業主は開業届を出せば誰でもなれる。出さなくても給与所得ではなく事業所得があれば個人事業主となる。
会社や法人はそれだけでは済まない(規模は問わない。零細企業でも個人経営でも会社であり法人である)。
企業によっては個人事業者とは取引をしないと決めているところもあるくらいに社会的信用度は違ってくる。


企業コンプライアンス

近年コンプラことコンプライアンスが非常に重視されているが、コンプライアンスとは企業コンプライアンスのことである。

企業コンプライアンス(regulatory compliance)とは、コーポレートガバナンスの基本原理の一つで、一般に企業の「法令遵守」または「倫理法令遵守」を意味する概念。ビジネスコンプライアンスという場合もある。
企業倫理(経営倫理)や企業の社会的責任(CSR、corporate social responsibility の略)と密接に関連する概念である。

このコンプライアンスに違反することをコンプライアンス違反と呼び、コンプライアンス違反をした企業は、損害賠償訴訟(取締役の責任については株主代表訴訟)などによる法的責任や、信用失墜により売上低下などの社会的責任を負わなければならない。
2000年代半ばには「コンプライアンス」を「社会的要請への適応」と捉えるフルセット・コンプライアンス論が登場した。


社会的責任を全うするためのものということもあるが、一方では、企業が自らを守っていくためのプロテクターのようなものとも言える。
コンプライアンスが重視されるということは、社会の危険度は増しているということだろう。

では企業とは何かということを言えば、株式会社などの会社はもちろんのこと、家族経営や個人経営などの零細企業、個人事業主も全て企業に含まれる。
 企業>法人>会社>個人事業主

一般的に規模の大きな会社や公的な法人ほど社会的信用も高いであろうから、それを損なった時の信用失墜度や責任も大きくなってくる。作用反作用の原理。
但し規模の大きな会社や公的な法人ほど体力がある。
信用失墜度や責任が大きくても、ある程度の回復力も持っており、再起も可能である。従業員個人ではなくて会社や法人の話である。
個人事業者の場合、もともとの信用度がそれほど高くないので、失うものもそこまで大きくない。だから違った意味で再起が可能である。
でもそれほど体力がないのも確かなので、信用というものは大事にするに越したことはない。



(アイドルの恋愛禁止について思うことは次回にでも)


... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-07-16 13:52

e0126350_11175998.jpg
初春令月 気淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
初春の令月にして 気淑(よ)く風和ぐ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き  蘭は珮後(はいご)の香を薫らす


写真の花は蘭、実家に咲いているウチョウラン。無香。
写真を撮ったのは6月であり、この時はまだほとんど蕾の状態だけど。今はもう花は咲き終えた。
蘭は蘭でも日本の山野に自生する蘭の1種。

私は新元号「令和」の典拠に関しての記事で蘭(蘭とは何か)について取り上げた。
古い時代に屋外に咲いていた蘭だとすれば、このように小型の可憐な花だったと思われる。
蘭が梅の季節に屋外で咲くことはまずないけれど、万が一咲いていたとしても、香りの花である梅を差し置いて蘭が香ることはない。

e0126350_15345871.gif

初春の令月にして 気淑(よ)く風和ぐ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き  蘭は珮後(はいご)の香を薫らす

↓これは前に書いたことだけれど、私はこのように解釈している。
香りの良い梅の花は自らの香りを忘れて化粧に精を出し、香りなど必要としない蘭は自ら趣味の悪い香りを燻らせている。梅や蘭は比喩であり、人間、おそらく女と男の比喩ではないだろうか。
それを筆者は快く感じてはいない。


そしてその時には書かなかったことがある。
それは、鏡前(きょうぜん)と珮後(はいご)は、前と後ろ(背後)という意味でもあるのではないのかということ。
梅(女性)は男性の粉を誘い、蘭(男性)は女性の香を一段と際立たせるという意味。
もともと香りのある梅(女性)が一段と薫るのだから、これはもう素の香りではないということになる。

今はほとんど使われないが「粉をかける」という言葉がある。
もちろん粉は抽象的な意味だけれど、あえて具現化して言えば麻薬とか媚薬とかを使って知らず知らずのうちにその気にさせるということを思わせる。
「粉をかける」の意味としては男女の間で(同性愛の人ならば同性間でも)、思わせぶりな素振りをして誘惑したり、気があるふりをすること。
もっとも’ふり’ではなくて実際に気持ちがあるから行う場合もあるとは思うが。
よくあるのは、お店のホステスやホストがお客さんに対して行ったり、不埒な恋を目的にした誘いなど。
ストレートな告白やら求婚ではなくて、婉曲的な言葉やあえて誤解を誘うような言動、また漂う雰囲気でその気にさせるというものなので、後々逃げや言い訳が可能であり、揉め事や修羅場に予防線を張っておくという見方も出来る。
後々可能な言い訳としては、「単なる遊びだった」とか「合意の上だった」とか「相手から誘われた」とか「相手が勝手に貢いだ」とか「相手だってまんざらでもない様子だった」とか「自分はそんな気(下心)は全くなかった」とか。
相手を弄んで騙したのだとしても、はっきりと騙したという証拠(言葉、今ならば音声テープとか)がなく、例えば裁判沙汰などになっても状況証拠しかない状況である。だから詐欺師という認定ができずに逃れられるというわけ。

e0126350_15345871.gif

言葉を持たずに生まれた赤ちゃんがやがて言葉を発するようになる。
フロイトやユングに師事した心理学者らによれば、人間は言葉を覚えて初めて空を飛ぶ夢を見るのだと言う。
それはどういう事かと言えば、大きな視野と俯瞰の視点を持つということ、大きな世界に羽ばたき出すということ。

『夢分析』(新宮一成著、岩波新書)の著者は、夢を見る理由を「忘れていた幼年期の記憶を呼び戻し、自らの存在の根源を再確認すること」と考える。例えば「乳幼児期に初めて言葉を話せるようになることが空飛ぶ夢の源泉である」という。つまり、「新しい人生の段階にさしかかり、その段階にふさわしい言語活動に参入できるかどうかが不安になった時、かつて言葉を話せるようになった時の記憶が呼び戻される。そして、空を飛ぶ夢を見ることで、かつてはできたではないか――と自分に言い聞かせている」というわけである 。

しかしその代わりに失うものがある。それは小さく固有な視点と感覚である。
私が「あなた」と書いたり言ったりする時の「あなた」と、他の誰かが「あなた」と書いたり言ったりする時の「あなた」は決して同じではない。
にもかかわらず「あなた」という同じ言葉で表現できてしまう。
別に「あなた」の部分は「あなた」でなくても人間でなくても構わない。例えば「蘭」でも同じこと。
私の家に咲いて私が見たり触ったり嗅いだりする「蘭」と、言葉としての「蘭」。そこにはギャップがある。
「ウチョウラン」にまで範囲を狭めても根本的には同じこと。
共通語である言葉は、個人がそのものに持つかけがえのない性質色彩を削ぎ落してしまう。
どんなに修飾しても自分が感じたままを言葉にすることは不可能と言っても良いくらいで、よほど意識しない限り、様々な想いや感覚は言葉にした時から言葉という形の枠に嵌め込まれ、自分の言葉によってすら自らの想いや感覚まで失いかねないのだ。
他人の言葉を見聞きする時には尚更である。

e0126350_15345871.gif

フロイトとユングを描いた、イギリスのデヴィッド・クローネンバーグ監督による『危険なメソッド/A Dangerous Method』という映画が2011年に公開された(日本では2012年公開)。
1993年のノンフィクション本『A Most Dangerous Method』の舞台版である『The Talking Cure』(2002年)を原作としており、その脚本家でもあるクリストファー・ハンプトン自らが脚色した。

Cinema Cafe.net 実話!ユングとフロイト…偉大な心理学者の関係と、歴史の陰にあるスキャンダルより
ジークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユング。心理学界における永遠の二大巨頭である彼らの名前は知っていても、2人のデリケートな関係性について詳しく知る人はそれほど多くはないかもしれません。『危険なメソッド』は、フロイトとユングの出会いから蜜月時代、そして決別までの軌跡をたどったヒューマンドラマ。2人の関係の変化には一人の女性の影があったことにまで踏み込んだ、ちょっとスキャンダラスな物語なので、心理学に興味のない方であっても、歴史の陰にあるミステリアスな“三角関係”にはきっと興味を持つことでしょう。

同じ精神世界に興味を持ち、同じ時代に生きた2人は、一時は師弟関係にありました。1856年生まれの精神分析学の大家(フロイト)と、彼を慕い、彼の提唱する“談話療法”に刺激された1875年生まれの若き精神科医(ユング)という、立場や年齢の違いこそあれ、精神分析の研究に熱心な2人は、ユングのもとに訪れたひとりの患者をきっかけに、20世紀初頭に出会ったのです。

精神世界に神秘性を感じていたユングと、あくまでも“性”に執着し科学として確立させたいフロイトには、様々な考えの違いがありましたが、初対面で13時間も対話や議論を続けたほどの意気投合ぶり。チューリッヒとウィーンと遠く離れてはいても、友情を育み続け、フロイトにして「君が私の後継者だ」とユングに告げさせるほど信頼し合っていたのです。ところが、そんな交流は長く続きませんでした。実は、その原因となったのが、2人が出会うきっかけとなった患者・ザビーナ。彼女こそ、2人の蜜月時代を終わらせた張本人なのです。

ユングが最初にザビーナに会ったとき、彼女は幼少期から続く性的なトラウマでヒステリー状態に苦しんでいました。その原因を、フロイトの“談話療法”で突き止めることに成功したユングは、彼女が好転していることをフロイトに報告しに行くことで精神分析の大家と出会うことになるのです。ユングは常に冷静で感情を抑圧した姿で描かれていますが、実はザビーナと出会った後、自らの内なる欲望を目覚めさせ、彼女と一線を越えてしまいます。自らも精神科医を目指す聡明で美しいザビーナとユングの会話、フロイトとユングによる夢分析、医師でありながら快楽主義者で患者たちと関係を持つことに罪を感じないグロスとの会話などから、ユングの微妙な変化が感じ取れます。その変化は、彼の内面に葛藤を生み出すのですが、それにより、フロイトとの関係にも変化が生じてしまう様子が、静かに描かれていくのが本作の見どころ。

歴史の中では、2人が1913年に長旅を共にしていたとき、互いの夢を分析し合っていたときに激しくぶつかり、破局したとも言われています(映画にもこの辺りの描写があります)。その後、ユングはショックから精神的な混乱に見舞われるのです。こういった経験を通し、彼が確立したのが分析心理学。フロイトの確立したものは“精神分析”と呼ばれ、それぞれへの支持を表明するとき、「ユング派」、「フロイト派」とされるようになったのです。
歴史上は2人の決別は学問上の理論の違いだったとの印象も受けますが、実はもっと根源的な人間性の違いによるものだったのかもしれない、と思わせるのが本作です。

2人について、ユングを演じたマイケル・ファスベンダーはこう語っています。「ユングは何事にもオープンだったが、フロイトは心理学の1つの形態に重きを置いていた。全ての神経は性の起源から生じるとする考え方だ。ユングはそこに疑問を感じていたと思う。ユングはフロイトをとても尊敬していたが、彼はいつも二番手だし、フロイトの哲学で言えば、ユングは“父親を殺して後を引き継ごうとする人間”だ」。「彼らもただの人間だし、僕たちがお互いにしているようなことをしている。彼らにも同じ欲望と嫉妬があるし、その多くがこの映画で描かれている。彼らは優秀な人間だが、エゴだってある。エゴと共に、たくさんの個性が様々な形で、彼ら自身を暴き出していくんだ。もしこの2人の男が、互いの凄まじいエゴを乗り越えていたら、おそらく僕たちは心理学や人間の心についてもっと丸みのある考えに出会えただろう。2人が彼らの関連性をもつために互いの意見を許容していたら、面白いことになっていただろうね」。

フロイトとユングの存在の陰に、運命の女が存在していて、こんな決別の物語があったというのは、まさに心理学界史上最大のスキャンダル。このほとんど知られていなかったスキャンダラスな史実を映像化したのは、『デッドゾーン』、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で知られる鬼才デヴィッド・クローネンバーグ。フロイト、ユング、ザビーナの関係について「とても奇妙な三角関係だ」と語っています。「師弟関係だったユングは、フロイトのことを父親のように思い、事実手紙には何度もそう書いている。だから2人の物語に僕は興味をそそられた。そこに70年代まではほとんど名前も知られていなかった、ひとりの女性が関わってくる。彼女はユングの患者となり、彼と不倫し、そして彼の保護下で、精神分析学に興味を抱き、最終的にはフロイト派の分析医となり、フロイトのもとに行く。とても奇妙な三角関係だった。彼女はフロイトと性的な関係は結ばなかったが、それでもこの三角関係のそれぞれの辺に愛があった。ユングとフロイトの間も含めてね。彼らの間には驚くべき愛情と友情があった。ザビーナはその真ん中にいたんだ」。


29歳とまだ若い精神科医(分析医)だったユングとヒステリー()患者だった女性ザビーナが、すでに精神科医の大家だったフロイトの提唱した治療法(談話療法)を通して、医師と患者という一線を越えてしまう。ユングには妻がいて俗にいう不倫関係となったのだ。
しかし・・・
ザビーナとユングとの関係が公になりふたりは離れ、ザビーナはフロイトに師事する。ザビーナはロシア人と結婚、妊娠し、生活は安定する。ユングの妻は精神が不安定なユングに会ってほしいとザビーナを招待する。ザビーナがユングと話すと、ユングは現在も患者を愛人にしていると言う。ザビーナはその愛人は「私に似ているか?」と訊く。ユングは「似ていない」と答える。しかし、愛人は「精神分析医を目指しているユダヤ人女性」だという。それを聞いたザビーナは帰途の車中で涙を流す。ユングとザビーナの関係は愛だったのか、転移・逆転移だったのか?

e0126350_15345871.gif

Wikipediaに転移・逆転移だったのか?と書いてあるが、心理学における転移とは。
S.フロイトが見いだした心的現象のひとつ。〈感情転移〉とも訳される。
自我の防衛を目的とする心的機制の一つで、ある特定の対象に向けられた感情または態度を、別の対象に向け変える機制をいう。一般には人から人への転移である感情転移(転嫁)をさす。
たとえば精神分析療法の過程において、患者の幼児期における重要な人物(たとえば両親)に寄せた感情、欲望、観念などが分析者に向けて展開されること。
このような人間関係の一様態は、あらゆる人間関係の中で本来多かれ少なかれみられるものであり、たとえば特定の人物が知らず知らずのうちにあたかも親のように見立てられたりすることはよくある。
ただ精神分析療法においては、患者は感情を自由に表出することが許容され、しかも治療者は中立的態度を堅持するために転移が濃密で純粋な形で起こってくる。


クライエントが他の人に寄せていた感情をカウンセラーに向けてしまうのが転移なら、その逆、カウンセラーが他の人に寄せていた感情をクライエントに向けてしまうのは逆転移である。

)以前も書いたが(今年3月10日『日光』でクララとハイジの話)、精神医学の「ヒステリー」は怒りを爆発させたり猛烈に騒ぎだすような状態を言うのではない。現在はヒステリーとは言わず、「転換性障害」や「解離性障害」と呼んでいる。

転換型
先立って心理的葛藤やストレスがあり、知覚の麻痺や、運動系のけいれんなどを起こすなど感覚や運動系の症状が多様な場合。あるいは失声や、発声困難など単一の症状の起こる場合。
解離型
外傷的なストレスの強い体験を想起できなくなり通常の物忘れを超えた健忘が起きるとか、あるいは、突如放浪し、過去の記憶を忘れてしまっている。








# by yumimi61 | 2019-07-14 11:25 | 新元号「令和」の典拠

2000問題(10)

民間企業が運営する老人ホームや住宅
●健康型有料老人ホーム(16ホーム)
●シニア向け分譲マンション(数は少ない)
●サービス付き高齢者向け住宅(7372物件)
●住宅型有料老人ホーム(9413ホーム)
●介護付き有料老人ホーム(4298ホーム)
←公的な特養ホームに一番近い民間運営なホーム(介護保険の「特定施設入居者生活介護」の認定を受けている)
●グループホーム(1万3685ホーム)
※詳細は2000問題(8)を参照

介護保険3施設
■特別養護老人ホーム(通称:特養) 7705ホーム
■介護老人保健施設(通称:老健) 4181施設

■介護療養型医療施設⇒介護医療院(2018年4月より) 介護療養型医療施設は1700施設ほど
※詳細は2000問題(9)を参照


介護保険外の公的な施設

低価格で高齢者が生活ができる施設。
所得など幾つかの条件をクリアしないと入所できない。
自治体が費用をサポートしていて、自治体や社会福祉法人が運営しており、入所の判定に行政が関わっている。

▲養護老人ホーム(1000施設くらい)←特別養護老人ホームとは違う!
(入居条件)現在の環境では生活が難しく、経済的にも問題がある65歳以上の高齢者で、かつ市区町村長によって決定を受けた人 ・・年齢は特例あり
(入居一時金)なし
(月額利用料)0~10万円
       1年間の収入が27万円までの人は利用料なし。
       以降は収入によって利用料が変わってくる。
       年収120万円(月収10万円)前後で利用料は6万円台くらい。
但し、利用者からの徴収額が必要経費にも満たない場合は、扶養義務者が費用を負担することになっている。その場合も扶養義務者の経済状況に応じる。

・最後の砦とも言われるくらいの施設であり、無年金で収入もない高齢者、年金が僅かしか受給できていないが支援してくれる身寄りもない高齢者、ホームレスな高齢者、認知症や障害があるが在宅介護や施設入所も出来ていない高齢者なども受け入れれる。

・困窮したら、あるいは困窮している人を見かけたら、まずは市区町村の窓口、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター、民生委員、養護老人ホームなどに相談してみる。

・介護を目的とした施設ではないので、基本的には介護の必要のない自立した高齢者を対象とする。
但し外部の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)を介護保険で個別に利用することは出来る(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)ようになったので、要支援な高齢者、あるいは途中で介護が必要になった場合にも軽度のうちは入所可能(受け入れは自治体にもよる)。

・日常生活全般の基本的なサポート、健康管理、社会復帰のための助言や指導などが受けられる。またレクリエーションやイベント、サークル活動などを行い地域交流を積極的に行う施設もある。

・2005年まではかかる費用の半分を国が負担していたが、現在は市区町村が全額負担している。そのため施設数は増えない、財政難の市区町村では入所決定しない(措置控え)、退所してもらう(措置外し)が行われているとも言われる。よって入所のハードルはなかなかに高いかもしれない。


▲軽費老人ホーム(A型・B型・ケアハウス)

A・B型(合わせて270ホームくらい)
(入居条件)家庭環境や住宅事情などにより自宅にて生活することが困難な60歳以上の高齢者
(入居一時金)0~数十万 ・・保証金(敷金)という扱いで清掃修繕費や滞納分を除いて退去時に返金される
(月額利用料)6~17万円  ・・低所得者は優遇される
       
・60歳以上で独居に不安があるが、身寄りがなかったり、家族による援助が受けられない人などが入居できる。
夫婦でも入居可で、その場合には夫婦のどちらかが60歳以上でなければならない。
また月収が35万円未満でなければならないという条件がある。
A型は食事提供あり、B型は食事提供がないため自炊できることが条件。

・A・B型ともに基本的には介護の必要ない人が対象だが、外部の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)を介護保険で個別に利用することは出来る(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)。

・月額利用料の内訳
A型 サービス提供費+居住費+食費+日常生活費
B型 サービス提供費+居住費+日常生活費
本人もしくは扶養義務がある家族の世帯年収などによって減額措置がある。

ケアハウス<一般型・介護型>(合わせて1800ホームくらい)
(入居条件)
一般型は家庭環境や住宅事情などにより自宅にて生活することが困難な60歳以上の高齢者
介護型は65歳以上の高齢者でなおかつ要介護度1以上
(入居一時金)0~1千万円 
(月額利用料)6~20万円  ・・低所得者は優遇される

・一般型は介護サービスが付かない。但し外部の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)を介護保険で個別に利用することは出来る(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)。

・介護型は介護サービスが含まれており、介護スタッフによる介護サービスが受けられ、要介護度が上がっても退去する必要はなく、終の棲家となり得る。

▲都市型軽費老人ホーム
(入居条件)身体機能の低下により自立した日常生活を営むことについて不安があると認められる60歳以上の高齢者
(入居一時金)なし
(月額利用料)10~13万円  

・都市部は地価が高く、居住費が安く抑えられないことが多く、低価格での提供が困難になるか、運営が厳しくなるという実情がある。またある程度面積のある用地の確保が難しかったりするために、居室面積等の特例を設けて利用料の低廉化を図った施設である。
端的に言えば、安く抑えるために基準よりも居室や施設の空間が狭いということになる。

・利用料は入居者本人や扶養義務のある家族の世帯収入・課税状況にもとづき決定される。
生活保護受給者でも利用できる範囲内に設定するよう指針がある。

・次の地域で導入されているが、思うようには進んでいないらしい。
首都圏:東京23区、武蔵野市、三鷹市、横浜市、川崎市、川口市の特定地域
近畿圏:大阪市、京都市、守口市、布施市、堺市、神戸市、尼崎市、芦屋市の特定区域
中部圏:名古屋市の特定区域

▲シルバーハウジング
(入居条件)60歳以上(夫婦の場合はどちらかが60歳以上)の高齢者、障害者世帯
(入居一時金)なし
(月額利用料)1~10万円 ・・低所得者は優遇される

・手すり、バリアフリー、緊急通報システム設置など、高齢者に適した仕様になっている公営住宅である。

・「ライフサポートアドバイザー」と呼ばれる生活援助員が約30戸に1人の割合で配置されており、生活や福祉に関する相談・安否確認・緊急時対応などを行ってくれる。

・介護が必要になった時には、個別に介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)を介護保険で利用する(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)。

・居住する自治体に申し込むが、所得や資産や住宅困窮度を加味した上で抽選となるらしい。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-07-12 17:14

2000問題(9)

前回記事2000問題(8)では民間施設の説明をした。

民間企業が運営する老人ホームや住宅
●健康型有料老人ホーム(16ホーム)
●シニア向け分譲マンション(数は少ない)
●サービス付き高齢者向け住宅(7372物件)
●住宅型有料老人ホーム(9413ホーム)
●介護付き有料老人ホーム(4298ホーム)
←公的な特養ホームに一番近い民間運営なホーム(介護保険の「特定施設入居者生活介護」の認定を受けている)
●グループホーム(1万3685ホーム)


民間企業が運営しているが、この民間企業には公的な施設を運営している社会福祉法人も含まれる。
公的な介護保険施設と民間施設という異なる形態の施設を同じ社会福祉法人が運営している場合もあるということである。

介護保険の「特定施設入居者生活介護」の認定を受けていない有料老人ホームなどでは介護保険を利用した介護サービスの提供をすることは出来ない。
出来るのはせいぜい食事の提供と見守りをはじめとする生活支援である。
それ以上の介護が必要になれば、外部の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)に個別に依頼する必要がある。そうなると費用は2重に発生する(しかし保険分のサービスは1~3割自己負担で済む)


介護保険3施設
介護保険を利用し比較的低価格で、介護を受けながらの生活ができる。
社会福祉法人、医療法人、自治体などが運営している。

■特別養護老人ホーム(通称:特養) 7705ホーム ←社会福祉法人の運営がほとんど
(入居条件)65歳以上で要介護3以上(特例はあり)
(入居一時金)なし
(月額利用料)5~14万円

2000問題(6)の~施設入所の場合~に書いた通り

・入所者100人に付き、医師1人(非常勤で可)、看護師は3人常勤(但し夜間の配置義務はない)。
介護度が重くなる分には構わないが、本格的な医療ケアが必要な場合には入所できなかったり退所が必要になることもある。


■介護老人保健施設(通称:老健) 4181施設 ←医療法人が運営していることが多い
(入居条件)65歳以上で要介護1以上(特例はあり)
(入居一時金)なし
(月額利用料)8~15万円

・月額利用料の算出方法は基本的には特養と同じ。
①介護保険の施設サービス費(基本料)+②居住費+③食費+④施設独自の加算やサービスの利用代
介護度、居室タイプ、所得や資産の有無によって料金は変わる。
介護保険施設サービス費(保険が適用される基本料部分)が特養より若干高い。

・特養と異なる点は、特養の場合には洗濯代が基本料①に含まれるが、介護老人保健施設では含まれないので洗濯サービスを利用すれば利用代④がかかる。
また病院における差額ベッド代に該当する2人部屋・個室などの特別室を利用した場合には「特別室料」が加算される。幾ら加算されるかは施設や部屋によって異なる。例えば1日5000円の特別室料が付けば、1ヶ月それだけで15万円となり、他の費用を足せば30万円近くになってしまう。

・特養は生活施設であり終身利用が基本であるが、介護老人保健施設は在宅復帰を目指すための施設であり、リハビリや医療ケアを行うという点が大きく違う。医師と看護師による医療体制が整っている。理学療法士や作業療法士もおり、リハビリも充実している(とはいえ病院でのリハビリほど時間をかけない)。

・目的が目的の為、終身利用は出来ない。原則は3ヶ月。
3ヶ月ごとに入所継続判定が行われ、延長は長くても半年程度(1年以内)。

・入所者100人に付き、医師1人常勤、看護師は9人常勤。こちらも夜間の配置義務はないが、多くの場合は夜勤もしている。
医療のスタッフがいるので医療ケアに対応できるが、老健での医療対応(入所者の薬・注射・点滴・処置・急性疾患で病院を受診したときの検査や薬にかかる費用)は医療保険が使えず施設の持ち出しとなる。
もっとも原則的に医療に関わる費用がもともと介護保険に請求する報酬に含まれているという考え方ではある(包括。’まるめ’と呼ばれている)。
出来高制ではないので医療報酬の高い医療ケアや高額な薬や注射が必要な入所希望者は敬遠される可能性もある。

・認知症があると受け入れを敬遠する施設もある。

*介護療養型老人保健施設(通称:転換老健)
入院するほど症状は重くないものの、介護認定を受けていて、さらに経管栄養・喀痰吸引・皮膚潰瘍や手術創のケアなど一定の医療ケアが必要であり、既存の介護老人保健施設では対応の難しい高齢者を受け入れるための施設。
医師は老健と同じで入所者100人に対して1人だが、看護師は入所者6人に対して1人が義務付けられおり、100人ならば16人必要となり、老健よりも医療スタッフが多くなる。
これも介護保険で賄われ、入所者の費用は老健と同じくらいか、やや高いくらい。
運営側からすると医療と介護保険給付の関係から健全な財政運営がなかなか難しく施設数が増えていかない。


■介護療養型医療施設⇒介護医療院

介護療養型医療施設(療養病床とも呼んでいた)は2017年度末での廃止が決まったものの、2024年3月末までの移行期間が設けられており、まだ現存しているので、まずはその説明から。

介護療養型医療施設(2種類あり)←医療施設という位置づけであり多くは医療法人が運営している
 ①介護療養病床・・・介護保険で入居できる公的な施設サービス
 ②医療療養病床・・・医療保険が適用される →そのため多床室であれば差額ベッド代(居住費)は必要なく、その分だけ安くなる

①は介護が必要な高齢者のための病床であり、入所する人は特養などと同じように在宅での介護が困難な要介護者である。急性疾患からの回復期にある要介護な高齢患者を医学的管理下に置いてケアすることを想定していた。
喀痰吸引、胃ろう、経鼻栄養、酸素吸入といった医学的管理が必要な高齢者の他、認知症患者や終末期の患者を受け入れている所もある。
ターミナルケアを行っている場合もあるが、終身利用を基本とはしていない。
医療施設なので生活空間や生活支援は他の高齢者施設(老人福祉施設)よりも劣る場合が多い。
 (入居条件)医学的管理の必要な要介護1以上の高齢者(65歳以上)
 (入居一時金)なし
 (月額利用料)10~20万円
②は長期的に医療療養が必要な高齢者のための病床。慢性疾患患者など。

ところが①と②の「医学的管理下」と「医療療養」が区別しずらいというか、区別されていない実態もあった。どちらにも医療の必要性の高い患者と低い患者が混在しており、医療なのか介護なのか明確に線引できない状態にあった。(にもかかわらず使われる保険が①と②では違う)
医療施設と言いながら介護が行われていて介護保険が利用されるという、医療と介護のスタッフや保険の役割に課題があった。
さらに①は医療を必要としなくなった時点で退所することを想定していたが、実際は長期に亘るケースが少なくなく健全な財政運営が難しくなったり、また②において医療は必要ないが介護の必要な患者が長期に亘って入所していると医療保険を圧迫する。
そうしたねじれ問題が浮上して①並びに②の一部の廃止が決まり、新施設に移行することになった。よって介護療養型医療施設の新設はすでにされていない。

介護医療院
2018年4月から創設が始まった新しい施設である。(ただし今のところ全くの新設ではなく、介護療養型医療施設や介護老人保健施設からの転換が進められている)

①「日常的な医学管理」と「看取り・ターミナルケア」等の医療機能
②「生活施設」としての機能
つまり「医療」「介護」「生活」を備えた介護保険施設ということである。
状態に応じて介護医療院Ⅰと介護医療院Ⅱに振り分けられる。
いずれにしても介護医療院であれば介護保険法に基づく公的な施設となる。
しかし医療を提供する以上、完全に医療法から離れるわけにはいかず、同時に医療法上の医療提供施設ともなっている。
だから根本的な問題はあまり大きく変わらないような気もするが・・・。
医師や看護師は介護療養型医療施設と同等、あるいは老健以上にいる。
月額利用料は10~20万円くらいらしい。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-07-11 17:34

大当たり!

e0126350_20314473.jpg

e0126350_20333196.png
私の妹は元SMAPの森くんのレースを観たことがあるそうなのです。
それを聞いた私は言いました。
「森くんって言ったってさぁ、みんなヘルメットにレーシングスーツなんだから正直誰が誰か分からないでしょ?」
「ううん、分かる」
「どうして?」
「脚の長さが違う」
「そうなんだ・・・」

こんなことで人を判断してはいけませんか?

ちなみに私の妹、ミスチルのファンでもなかったですが、SMAPのファンでもありませんでした。(あしからずご容赦くださいませ)

e0126350_20333196.png
バクチと言えばパクチー。
私はどうしてもパクチーの良さが分からず、何故あんなに流行ったのか今もって全く理解できないでいます。
和物洋物問わずハーブ類は嫌いではなく、むしろ好きなほうですが、パクチーだけはダメです・・。
そう訴えたところ、パクチーは好き派と嫌い派がはっきり分かれるそうです。
嫌い派の人達は「カメムシの味がする」と・・・
そうなんだ・・カメムシ、食べたこと・・

e0126350_20333196.png
先日味覚のことをちょこっと書きましたが、どうやら私本当に味覚障害を起こしてしまったようなのです。
何を食べてもたいして味がしません。
甘味と塩味が特に感じられないのです。砂糖と塩を直に舐めても、ほとんど甘くもしょっぱくもない。
そのくせ何も食べていない時は、口の中ではいつも微かに塩味がしていて、水やお茶を飲んだら仄かに塩水っぽくなります。
今ならパクチーが食べられるかも!?

e0126350_20333196.png

先日ソニープラザと元号のことも書きましたが、現在のプラザ(PLAZA)はソニー傘下ではなくなっています。
それから「令和」という元号ですが、私のパソコンやスマホでももちろん漢字変換は出来ます。

「令和(れいわ)」は平成10年発売の「MS-IME 98」から辞書に登録されていた【調査終了】

次の元号「令和(れいわ)」が、発表前からWindows 10の漢字変換辞書に登録されていたようだったので、古いバージョンのWindowsを含めて“何年前から「令和」が日本語変換辞書に入っていたのか?”を調べました。詳しい経緯は、以下の記事に書いています。
マイクロソフトは新元号「令和」を知っていた!?なんと〇年前からWindowsの日本語変換辞書に登録済み!

Windows 10からWindows 95まで、できるだけさかのぼって調べたところ、変換辞書に「令和」が入ったのは1998年(平成10年)3月13日に発売された「Microsoft IME 98(MS-IME 98)」からのようです。
しかし、初期状態では変換候補に出てきません。IMEツールバーで「人名/地名」に切り替えることで「れいわ」の変換候補として「令和」が出ます。

(略)
ということで、1998年3月発売のMS-IME 98で「人名地名辞書」に追加された「令和」が、Windows 10に搭載のMS-IMEの「標準拡張辞書」までずっと受け継がれてきた、ということのようです。

「令和」が「れいわ」という読みで登録された経緯については、推測するしかありません。「令和」という地名は無いようですが、「令和」というお名前の方はいらっしゃるようです。なので、「人名」として辞書に登録された可能性が高いでしょう。

しかし、男性の名前としては一般的に「のりかず」「のりやす」「よしかず」などと読まれ、女性の名前としては「れな」「れわ」と読まれるようです。

いずれにしても、「令和」という名前の方は珍しいと思われます。そのため、ひょっとするとマイクロソフトはユーザー登録された氏名をMS-IMEの辞書に追加していたのではないでしょうか。「令和」で「れいわ」という読みの方がWindows 95を購入してユーザー登録したのか、「令和」という漢字のみがユーザー登録され、マイクロソフトが自動もしくは手入力で「れいわ」として辞書に追加した、という経緯ではないかと思われます。








# by yumimi61 | 2019-07-10 20:54

2000問題(8)

民間企業が運営する老人ホームや住宅

●健康型有料老人ホーム(16ホーム)
(入居条件)自立
(入居一時金)0~数千万円
(月額利用料)10~40万円

・入浴施設(露天風呂など)、トレーニングルーム、ライブラリー、ビリヤード・麻雀・カラオケ・囲碁・将棋などのプレイルームなど設備が充実している。
職員による食事提供や家事支援(洗濯や掃除)、安否確認あり。
イベントやサークル活動などが盛ん。

・健康な高齢者が対象であり、介護が必要になった時点で退去となることがほとんど。


●シニア向け分譲マンション(数は少ない)
(入居条件)自立
(購入費)数千万~数億円  ・・住宅ローン利用可
(月額費用)管理費や水道光熱費、修繕積立金など10~30万円

・自分で部屋の所有権を持つことになるので、売却や賃貸が可能で、相続財産となる。固定資産税がかかる。

・バリアフリーで、レストラン、理美容室、売店、医務室、トレーニングルーム、プール、シアタールームなど共有スペースが充実していることが多い(物件によって異なるが)。

・食事提供やコンシェルジェによる家事サービス(洗濯や掃除)がある物件が多い。

・あくまでもマンションなので、介護が必要になったら、外部の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)に依頼する(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)。しかし重度の要介護状態になり、介護者が同居していなければ、在宅での介護は難しくなる。


●サービス付き高齢者向け住宅(7372物件)
(入居条件)自立・要支援・要介護(入居の条件は原則的には自立、重度の要介護状態になると対応不可となる所もある)
(入居一時金)0~数百万円  平均値:25.2万円
(月額利用料)10~30万円  平均値:15.5万円

・サ高住には「安否確認」と「生活相談」サービスを提供するという基準があり、日中は専門スタッフが常駐しており、夜間の緊急対応サービスもある。

・食事の提供や家事サービス(洗濯や掃除)、入浴の介助、外出サポートなどの生活支援は物件によって違う。
なかには介護型サ高住(特定施設入居者生活介護の指定を受けているサ高住、この場合は専門家による介護あり)もある。
また併設している介護サービス事業所や外部の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)を介護保険で個別に利用することは出来る(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)。


●住宅型有料老人ホーム(9413ホーム)
(入居条件)自立・要支援・要介護
(入居一時金)0~1億円  平均値:98.4万円
(月額利用料)10~40万円  平均値13.8万円

・原則的に終身利用。

・生活相談、見守り等のサービスはあり。食事提供しているホームもある。

・家事支援や介護が必要な場合は、外部や提携の介護サービス事業所(居宅介護⽀援事業所)に依頼する。自宅にいて訪問介護やデイサービスやホームヘルパーを利用する場合と同じ(費用は別途発生するが保険限度額内ならば1~3割負担)。

・2018年11月に鹿児島の住宅型有料老人ホームで入居者が6人死亡したという報道があり、8~9月に介護職員が全員退職したことが原因のように伝えられており、私は見解がおかしいと記事にしたことがあるが、施設の形式からするとここに該当する施設であり、介護付きのホームではない。
個々にどのような契約がなされていたのかまでは知る由もないが、非常に大きな誤解を与えかねない報道であった。


●介護付き有料老人ホーム(4298ホーム) ←公的な特養ホームに一番近い民間運営なホーム
(入居条件)要支援・要介護
(入居一時金)0~1億円  平均値:353.3万円
(月額利用料)10~40万円  平均値22.3万円

・介護付き有料老人ホームとは、民間運営の有料老人ホームの中で行政から「特定施設入居者生活介護」の指定を受けた施設であり、24時間常駐の専門スタッフによる介護サービスが付いている。

・施設は「介護専用型(要介護認定を受けた人のみ)」「混合型(自立・要支援・要介護のどれでも可)」の2タイプある。
原則的に65歳以上の高齢者であり、終身利用。


●グループホーム(1万3685ホーム)
(入居条件)認知症の要支援2~要介護5の65歳以上の高齢者
(入居一時金)0~数百万円 
(月額利用料)15~30万円  

・認知症に特化した施設で、施設と同一の市区町村に住民票がある人しか入居できない(地域密着型)。

・ユニット制で1ユニット5~9人で、1つの施設につき2ユニットまでというアットホームな運営がなされている。

・認知症高齢者の自立を促し進行を遅らせることを目指し、家事などは分担制で行う。

・認知症に理解の深いスタッフが揃っているが、看護師などの常駐はない。

・健康状態や身体機能が悪化して、医療や介護の負担が大きくなると、原則として入居の継続が難しくなる。(認知症の人が特養や介護付き有料老人ホームに入所した場合は悪化しても入居継続可能であるということが異なる点)

・受け入れ定員が少人数のため待機者が多い。また少人数ユニット制のため入居者同士で相性が悪かった場合には調整がしずらい。

・2016年8月に北日本を直撃した台風で、岩手県にて豪雨災害に巻き込まれて9人の入所者が死亡してしまったのが、川の近くのグループホームだった。同じ法人が運営する隣にあった介護老人保健施設では被害者が出なかった。運営者は同じであり同じ敷地に幾つかの施設があるからと言っても連携が取れるとは限らないことを露呈した。グループホームの少人数と小規模(建物も小さめ)が裏目にでた形となった。


入居一時金とは?

入居一時金は「前払い家賃」という扱いになっており、捨て金という扱いにはなっていない。
次の3つの方式がある。

①全額前払い
平均余命やこれまでの入所者のデータをもとに入居期間を想定し(→償却期間となる)、その期間の賃料の総額を前払いするもの。想定よりも長生きした場合にも追加の支払いは必要ない。
全額前払いなので、 月々の賃料の支払いもなし。

『やすらぎの郷』 の老人ホームはこれ方式のような気もするが、それとももっと独自な料金システムなんだろうか。

②一部前払い
①と同様に賃料総額を算出するものの、入居時に支払うのはその一部であり、残金を入居してから月々支払っていく。

③月払い方式
前払金なしで、賃料を毎月支払い続ける。
前払い金がない代わりに敷金が発生することもある。敷金は賃料の6か月を限度としている。

同じ施設で比較すれば、月々の支払いは、③>②>①と高くなり、さらに割高でもある(同じ入居期間ならばトータルの支払いが高くなる)。
一番多いのは②タイプである。
しかし最近は前払い金なしで月々の支払もそれほど高くない施設も増えている。特に地方では。

入居想定期間満了とならずに亡くなったり退去した場合には、入居一時金が戻ってくることもある。
戻るか否か、またその金額は、施設の償却方法の設定や個々の入居期間などによって違う。
 関係するのはコレ→★想定入居期間(償却期間) ★初期償却の有無と償却率(15~30%の間で設定されていることが多い)

【例】
入居一時金500万円(②の一部前払い方式であり月々の支払あり)
償却期間5年
初期償却有りで、償却率は25%

この場合、500万円×25%=125万円が初期償却される金額である。
たとえ入居の翌日に亡くなったとしても、この125万円は戻ってこない。
では想定の5年以内に亡くなったら、幾ら戻ってくるのか?
それが次の式で算出できる。

入居一時金×(1-初期償却率)÷償却月数×(償却月数-入居月数)=返還金

ちょうど入居2年で亡くなったとすると・・・
  500万円×(1-25%)÷60月×(60月-24月)=225万円
ちょうど入居4年で亡くなったとすると・・・
  500万円×(1-25%)÷60月×(60月-48月)=75万円

このように償却前に亡くなった場合には返金されるが、それほど長い償却期間は設定されていないのが一般的。


平均の限界

上に幾つか全国平均の金額を平均値として載せた。
しかし都道府県差が非常に大きく、個人が利用を考える上では、この平均値はほとんど参考にならないと言ってもよいくらい。
都道府県ごとの平均金額をみれば、ずば抜けて高いのは東京都。他を寄せ付けない高さである。
全国的にはとても低い県もある。群馬県は低い方である。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-07-09 17:13

2000問題(7)

特別養護老人ホームってどんなところ?

特別養護老人ホームは看護師の常駐が義務付けられている。医師は非常勤で可。
常時介護が必要だが家庭でそれを受けられない高齢者(65歳以上の原則要介護3以上の人)の生活施設である。
治療やリハビリを主目的にしているわけではない。(リハビリが目的の1つである施設は介護老人保健施設。これについては後述する)

私は学生時代に短期間ではあるが、特別養護老人ホームに体験実習に行ったことがある。
短期間であったにもかかわらず、なかなかしんどい実習だった。
自分が若かっただけに老人ホームという場所が日常と全く異空間であったことと、匂いなど環境的なこと、さらに受け持ったのが認知症で寝たきりだった入所者さんだったこと(ひょっとしたら寝たきりではなかったのかもしれないが、ベッドに横たわっていた姿しか覚えていないし、ベッドでの食事介助だった)。
行った日に挨拶や自己紹介をするも次の日には全く覚えておらず、さらに私を親戚の誰かと思い込んで話しかけてくる。否定しても通じないし、お財布(お金)がどうこと言い出したような気もする。
どうしてよいのか分からず、最後は適当に話に乗っておいたように思う。
あれが認知症の人と接した初めての経験だったが、とにかくあの時私は老人ホームでは働けないと思ったことを強く印象に残している。
もっとも私が行った実習というのは今思えば、1人の入所者に対して看護師+介護士の両方の役割を担ったものであり、実際には(現在は)そのように働き方はしないはずである。
とは言っても介護士の行う仕事というのは、病院に入院している人ならば看護師が行うことでもある。

近年幾つかの特別養護老人ホームに行く機会があったが、正直私が抱いていた昔のイメージとは違った。
まず匂いがそれほど気にならなかった。昔はとにかく何より匂い(どこが匂うとか誰が匂うとかいう次元ではなく施設全体の匂い)でダメそうだったのだ。
また多床室(4人部屋)も病院のそれよりはずっと広くて快適そうな空間であった。
これが全国すべてにあてはまることかどうかは全く自信はない。
都心と地方では施設の広さも違うかもしれない。
都会は地方よりも需要が高いだけに早くから施設が整備されだし、今現在は老朽化が進んだ施設が多いかもしれず、古くからある施設で改築や改装をしていなければ、そこまでの快適さはないかもしれない。
だから何とも言えないし、ひょっとしたらそれは私が若くなくなったというだけのことかもしれないが(今の若い介護士たちがどのように感じているのかは分からないが)、私がかつて特養から受けたほどの強烈なイメージはなかった。


ハイスペックな老人ホーム!?

2017年にテレビ朝日でお昼の時間帯に放送していた『やすらぎの郷』というドラマを御存知だろうか。
この続編が今年4月から放送されている。私は今年のは残念ながら見れていないのだが、2017年に放送されていたのはほぼ観たと思う。

『やすらぎの郷』
俳優や歌手、ミュージシャン、脚本家などの昭和世代にテレビの世界で活躍した人物だけが入居する、東京近郊の老人ホーム「やすらぎの郷 La Strada(ラ・ストラーダ)」を舞台に、“家族の絆”・“友情”・“愛情”・“死”などをテーマに、現在のテレビの在り方に対する批判も盛り込み、ユーモラスかつシリアスに描く。
テレビ朝日が設けるシルバー向けの新・帯ドラマ枠『帯ドラマ劇場』の第1作として放送された作品で、脚本家の倉本聰が「夜のゴールデンタイムに若者向けのドラマが数多く放送され、大人の観るドラマが少ない」として本作を企画、その企画を受け入れたテレビ朝日が「大人のための帯ドラマ」枠を新たに創設した。


ドラマ自体は面白くて良いものだったけれど、このドラマに出てくる老人ホームから「老人ホーム」をイメージしてしまうと、なんだかいろいろ見誤るような気がする。
私は特養に実習に行く以前、<特養>も<有料老人ホーム>も一緒くたに「老人ホーム」だった。当時は今ほど老人施設に種類はなかったと思うけれども、それでも老人ホームの種類なんて興味もないし知らなかったのである。

上に書いてある通り、俳優や歌手、ミュージシャン、脚本家などの昭和世代にテレビの世界で活躍した人物だけが入居できる老人ホームという、そもそも設定が現実離れしたものであり、見世物としては面白いが、普通に生活している人の参考になるものだったり、参考にしてよいものではない。
詳しいことは忘れてしまったが、ドラマ設定では、入所時に資産をすべて施設を運営している法人に預け、法人がそれを運用して稼ぎ出したり資本にして施設を運営していくというシステムだったように思う。だから月々幾ら支払うというような料金システムではない。
では入所条件の資産は幾ら以上なのか?、全員が平等に一定額を拠出すればよいのか、テレビ界で活躍したと言っても活躍の度合いをどうやって計るのか計らないのか(活躍度は資産額に比例するのか?)、単に知名度なのか、仲間内の集いなのか、その辺りは良く分からなかった。

これを参考にしてはいけない大きな理由はみな元気だから。
老人ホームに入らなくても生活していけそうな自立した高齢者で、事実老人ホームには入っていないであろう俳優や歌手が演じている。(介護認定なんて関係ない世界っぽいけれど、皆さん介護認定非該当にあてはまりそうだ)
特養ではなく有料老人ホームという点を加味しても、逼迫感や孤独感があまり感じられない。
車椅子とか、がんとか、認知症とか、そういう元気とは反対側にあるものも出てくるにはくるが、現実を知っている者にとっては綺麗に描かれ過ぎていて、いまいちピンとこない。
願望を込めて逼迫感や孤独感を感じる必要のない老人ホームを描いたのだと言われれば、ああそうかぁと思うけれども、それはやっぱりとても狭い世界の中に留まってしまうだろうと感じる。その狭い世界の話なんだとと言われれば、返す言葉はありません。

このドラマを観た後に、NHKのドキュメント72時間で「海が見える老人ホーム」という回を観た。しばらくして偶然に再放送まで観てしまった。
『やすらぎの郷』の老人ホームはここがモデルになったのではないかと思った。
もっとも特養同様に私は全国の有料老人ホームを津々浦々見学したことがあるわけではないので、その意味では短絡的な感想かもしれないけれど。

ドラマにしても、NHKのドキュメントにしても、1人で暮らすのが困難になったから、あるいは家族が介護するのか難しくなったから、老人ホームに入所したという感じではないのだ。
老後の選択肢の1つとしての老人ホームへの入所。終の棲家を選び、そこに転居し、1人であるいは夫婦で生きていくことを決めたということ。
持家を売却してその資金を使って入居金を支払って入所したというようなことを話していた人がいたと思うので、おそらく結構な額の入居金を支払わなければならない所であろうと思う。
そうした選択肢があることを、そうした選択をすることを否定するつもりは毛頭ない。NHKに出てきた老人ホームも入所者が何百人もいる巨大な施設だと言っていたような気がする。それだけの人が現にそこで生活をしているのだから、否定しようもない。
だけど年金が心配、老後の備えが心配という人が多数を占める国で、それがメジャーであるのはおかしいと思う。
それともそういう所に入所したいからこそ、老後の備えが足りるか不安であると人々は思っているのだろうか?そのあたりがよく見えない。




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-07-08 18:23

ささやか

e0126350_11170431.jpg

・KIMONO×?→KIWAMONO〇?

・10年以上ぶりくらいに「とんかつトミタ」に行ったのだが、お店のお客さんがほぼすべてテーブル席だった。(座敷席だとタモリさんお勧めの?素晴らしい河岸段丘の景色が眺められる)
そういう私もテーブル席だった(笑)。ちなみに夜ではありません。
出てきたお茶に微かに塩気とまったり感を感じて、蕎麦湯系な何か?と思ったくらいだったので、おかわりのお茶を注ぎにきてくれたアルバイト(多分)の女性に「緑茶ですか?」と訊いたら緑茶とのこと。その後みてたら給茶機からポットに入れていた。

・続とんかつ。
付いてきたタレの量が私には少なくて足りなかったのだけれど、テーブルの上にタレが置いてない・・。きっと言えば足してくれたのだと思うけど、気が小さい私は言い出せなかった。
しかもタレの味があっさりというか、かなり薄い気がしたのだけれど、気のせいなんだろうか。
お茶から始まって、私は自分の味覚がどうにかなってしまったのかと心配するはめになった。なんかいろいろ衝撃だった。

・味覚に異変が起きたのかもと思ったのにはもうひとつわけがある。
よく直売所や道の駅などに手作り系のお弁当や惣菜やパンやお菓子などが売っていると思うけれど、私が時々行くところで、パンというかケーキというかが半額で売っていた。
それは私的には定価だと買わないのだけれど半額なら買ってしまう物。
とんかつより少し前に、半額売りのそれを買って食べた。
それがこれまでと味が違ったのである。何がどう違うのか言うと、甘みがかなり薄くなった。
確かに以前には少し甘しぎるかなという感じはしたが、今度のは甘みが少なくて何か物足りない。
その時は糖質制限ブームに乗って砂糖を減らしたと信じて疑わなかった私だったが、とんかつを食べて私の味覚が狂ってしまったのかもしれないと不安を感じたわけである。

・考えてみたらまだあった。
「甘さ濃厚バナナ」を買った。食感は確かに「甘さ濃厚バナナ」っぽいのだけれど(実がもっちりと程よくしまっている)、肝心の甘さがない!
ほんとに私の味覚どうにかなっちゃったんだろうか。
さくらんぼも甘くなかったのよ。

・先日公園を歩いていたら、後ろから歩いてきた男性に追い抜き際に「あまり木に近づかないほうがいいですよ」と声を掛けられた。
「何かいるんですか?」
「マダニ」
私はお礼を言って木から離れた。

・パソコンにスマホに紙の文字、どうしても普段は近くの小さな文字を凝視することが多いので、外に出た時はなるべく遠くのものを見るように心がけている。
しかし人はそんなに前向きに生きられない。気が付くと下を向いて歩いている。
その時は右斜め前にトラックが駐車していた。タイヤの少し上あたりの位置に星形★の反射板のようなものが付いていたので、それを見ていたら、その横にステッカーが貼ってあって何やら文字が並んでいた。
完全に後方からは読めないであろう物陰に貼ってあった。
それを読んでみると・・・「最大積載量 女子高生が喰えるだけ」と書いてあった。
ん?パン運搬車?と思って顔を上げてトラックをまじまじ見ると、よく工事現場などに出入りする砂などを積載するトラックだった・・・。

・ソニープラザに行ったら、♡のTシャツが目に入ってきた。
手に取ってみると、♡の下にHaleiwaと書いてあった。
はっ!令和?

・今気が付いたけど「令和」って「れいわ」では漢字変換しないんですね。あたりまえか。
私もそろそろパソコン買い直さなきゃ。

・ソニプラで売ってた2000円くらいのテディペアが可愛くて触り心地がよくて欲しかったけれどさすがに踏みとどまった。

・スマートフォンも3月頃にちょっと調子悪くて買い換えようかなぁと考えていたのだが、3月というのは学生が買う時期でショップが混んでいるだろうと思って騙し騙し使っていたが、その後調子が復活して今に至る。
しかし寿命はそう長くないと思われるので、ある日突然OMGになる前に買い換えようかと悩んでいる(バックアップしていない)。

・7payでの不正利用が報道されているが、その報道がある少し前に、知り合いがクレジットカートを不正利用されたそうだ。
私もその話を7pay報道の前に聞いていた。
そのケースではクレジット会社から「利用しましたか」という確認の電話が入ったそうなのである。
金額は8万円くらいだったらしいが身に覚えはなく、すぐにカードを止めてもらったらしい。
カードは手元にあるそうなので、ネット上でクレジット情報が漏れた(抜かれた)ということなんだろう。
被害はコンビニのスマホ決済だけではないようですのでご注意を。とはいっても、クレジットカードというだけで大丈夫なんだろうと信用しちゃうところはありますよね。






# by yumimi61 | 2019-07-07 11:22

2000問題(6)

前回はショートステイについて書き、例として「要介護4で、ユニット型個室で、30日滞在して、合計130,500円」という数字を出したが、これは居住費や食事の負担軽減に該当しない人の金額である。
では要介護4がどんな程度かと言うと、介護はかなり大変な状態だと思ってよい。

要介護度認定のランクの目安
(おおまかな目安。身体機能と認知機能の兼ね合いなどもあり、認定と下記状態が必ずしも一致しているとは限らない。身体は動かすことが出来て行動能力はあるが認知機能に問題があり危険行動があるなどといった場合には、目が離せない状態が続くので、要介護認定は上がりやすいと言われている)

要支援1
排泄や食事はほとんど自分でできるが、身の回りの世話の一部に介助が必要。(状態の維持・改善の可能性の高い状態)

要支援2
食事、トイレなどはできるが入浴などに一部介護が必要な状態。(要介護になるおそれがある状態)

要介護1
生活の一部に部分的介護を必要とする状態。排泄、入浴、着替えなどに一部介助が必要な状態。

要介護2
排泄、入浴などに一部もしくは全て介助が必要で、着替えに見守りなどが必要な状態。

要介護3
重度の介護を必要とする状態。排泄、入浴、着替えについて全て介助が必要な状態。認知症に伴う問題行動が見られる。

要介護4
最重度の介護を必要とする状態。排泄、入浴、着替えについて全て介助が必要な状態。認知症に伴う問題行動が一層増える状態。

要介護5
寝たきりの状態。生活全般にわたって全面的な介護が必要な状態。


年金で足りる?足りない? 
~在宅介護の場合~

身体的機能の衰えがメインの人の介護4の場合には、行動能力はかなり低下しており、まず歩行が難しく、車椅子での生活を余儀なくされる。車椅子に乗れば自分で動かして移動できる人もいるが、出来ない人もいる、
臥床と離床(場合によって体位交換)、排泄(オムツ利用)、入浴、衣服着脱、洗面や歯磨き(入れ歯の手入れ)、投薬など全面的な介助が必要。
食事は見守りや部分介助を行えば、自分で食べられることが多い。
在宅で介護するならば、誰か介護できる家族がいて、さらに介護保険でホームヘルパーや訪問看護。訪問入浴サービスなどを頼み、時々ショートステイを利用するといった感じになるだろう。

ショートステイを使わない在宅での介護の場合の費用は、介護保険の限度額内で収められると思うので、1割負担ならば3万円で済む。
ショートステイを使って30日預ければ、13万円ほどかかる。但し、この13万円の中には食事もおやつも紙おむつ・パット代も洗濯代も含まれてくるので、他に費用はほとんどかからない。
在宅の場合は、少なくとも紙おむつ代は別途必要となる。
食費や洗濯は他の家族と一緒で割安で済むかもしれないが、要介護者に適した食事や栄養計算した食事を毎回作るのは手間となるので、その部分をホームヘルパーに依頼するとか工夫が必要かもしれない。

ともあれ、1ヶ月に13万円かかったとしても、年金をこれ以上受給しているならば、マイナス(赤字)になることはない。
10万円の年金受給で、収支をマイナスにしないように収めるならば、ショートステイの日数を調整すればよいということになる。
5万円の年金受給でも介護保険内のサービスならば受けられるし、紙おむつ代も出るだろう。ただ比較的長く泊まりで預かってもらうということが難しくなってくる金額なので介護をする家族の負担は重くなる。
しかし前記事に書いた通り、これが非課税世帯などで負担軽減に該当すれば、そもそも13万円もかからない。13万かかるところが8万円以下になる。さらに前記事ではユニット型で計算したが、多床室の施設を選べばユニット型よりもさらに自己負担額は少なくて済む。


~施設入所の場合~
ショートではなくてロングな施設入所の話。
施設と言っても最近はいろいろなタイプの施設があるが、「年金と備え(蓄え)と老後」を柱にした話をしてきたので、最初にまず特別養護老人ホーム(特養)を取りあげたい。
何故かと言えば、ロングな施設入所は間違いなく特養が一番安いから。
まず初期費用(入居一時金や敷金など)は一銭も必要ない。
初期費用は必要ないが、特養に入所するにあたっては終の棲家とする覚悟が必要である。要するに死ぬまでそこで生活するということである。(これは初期費用の必要な有料老人ホームなども同じである)

初期費用が必要ない上に月々かかる費用も他と比べると安いのが特別養護老人ホーム。
かかる費用はショートステイと同じ仕組み。

①介護保険の施設サービス費(基本料)+②居住費+③食費+④施設独自の加算やサービスの利用代

①施設介護サービス費(基本料)は こちらの記事の下部に書いた居宅サービスの1ヶ月の限度額よりも安くなる。

①施設介護サービス費(基本料・・・要介護度と居室タイプによって決まる。30日分の料金
      多床室  ユニット型個室
     従来型個室 ユニット型準個室
要介護1  16,710円  19,080円

要介護2  18,750円  21,090円

要介護3  20,850円  23,280円

要介護4  22,890円  25,290円

要介護5  24,870円  27,300円

②居住費と③食費の基準料金は、前記事に書いたショートステイの場合と同じである。そして負担軽減制度も同じにある。(有料老人ホームではこれは適用されない)
①の介護サービス費は自己負担限度額を超えた部分が還元されるのも、前記事に書いたようにショートステイその他のサービスと同様である。

すなわち、特別養護老人ホームならば、5~14万円/月で生活できるということである。
料金に幅があるのは、要介護度、所得や資産、居室タイプが違うからである。
この月々の料金を年金で賄えるかどうかは、年金受給額が個々に違うので人それぞれということになるし、世帯の形や意向(要するに自分の年金以外にも収入があるかどうかや家族が出すかどうか)や家族の健康状態によっても違う。
年金で足りないけれど貯蓄はあるという場合には貯蓄で補うという方法もある。その場合は月々不足金額に12か月掛けて、さらに残り生きられそうな年数を掛けて、どれくらい貯蓄が必要なのかを考える必要がある。


特養に入れるのは要介護3以上
新たに特養に入所する人は、原則要介護3以上と定めている。
だから「そんなに安いならもう特養に入るわ」と要介護1の人が申し込んでもダメである。

しかしこれにも例外があって、要介護1・2であっても、やむを得ない事情により特養以外での生活が著しく困難であると認められる場合には、市区町村の適切な関与の下、施設ごとに設置している入所検討委員会を経て、特例的に認められることがある。
勘案されるやむを得ない事情とは、認知症や精神障害・知的障害などを伴い、日常生活に著しく支障を来たしていて、さらに在宅での生活が困難という事情。高齢や病弱で家族による支援が期待できず、地域でのサービスも手薄な場合や家族に虐待されているなど心身の安全が脅かされている場合など。


待機問題
「特養入れなかった、日本死ね」とか書いたら、誰か政治家さんが取り上げてくれるかなぁ。「老害、おまえが死ね」とか集中砲火を浴びそうで怖いですね。
(今が可愛い盛りの待機児童やその親御さんたちが、やがていつの日かそんなことを言い出さないことを願うばかりです)
それは冗談ですけれども、保育園と同じように特養にも待機問題がある。

入所したいから申し込んですぐに入れるわけではない。
なにせ基本的に入所者がお亡くなりにならないとベッドが空かないわけですから。

東京都では待機(申込者)が1000人を超える特養はざらにある。
地方、例えば群馬県ならば100~300人といったところ。
しかしこれ、申し込んだら必ずそこに入所しなければならないということはない。キャンセルが可能である。
人によっては余裕をもって1人で幾つもの特養に申し込んでおく。
だから待機人数を全部足した数が純粋な待ち人数ではない。かなりの数のダブリがあるとみていい。(保育園の場合はそういうことはないんですか?)
住所地の特養に申し込まなければならないという決まりもないので(どのみち特養入所時には住民票を施設に移す)、ダブリは全国に亘るということになる(そうは言っても個々人がダブらせているのは同一都道府県内の施設せいぜい近隣都道府県や子供が住んでいる場所、あるいは出身地などだと思うけれども)。

入所は申し込み順(先着順)ではない。
空きが出来ると申込者などから緊急性や必要性(優先度)を施設側が検討して入所者を決定する。入所優先度判定指針なるものがあり、それに照らし合わせて検討していくらしい。
だから申込み段階と状態が変わったような場合には施設に連絡しておいたほうがよい。
入所要件は要介護3以上であるが、実際に入所する人は要介護4や5の人が多い。

でも待ちきれずに有料老人ホームに入所したり、健康状態が変わって入院したり、お亡くなりになられたり、他の特養に入所できていたりして、「入所が決定しました」と連絡を入れても、多い時には10人近く空振りになることもあるらしい。


特養、実は空いている?
特養に入所するかどうかは、同居家族あるいは近くに家族が住んでいて介護してもらえるかどうかによって変わる。
つまり核家族や単身世帯の多い都市ほど必然的に需要も多くなるはずである。
だから地域的になかなか入所できない地域もあれば、そうでもないという地域もある。

あとベッドが空いていても入所させられない事情もある。
それは介護職員や看護師の不足である。
常駐させなければならない職種と入所に対する人数が決められているので、それが満たせない場合には入所者数を増やすわけにはいかなくなる。最悪運営が出来なくなる。
病院などもそうだけど、人材不足というのは利用者にとってはもちろんのこと経営にとっても深刻な問題となる。

さらに公的な特養などは基準があり自由に価格設定が出来ず、さらに入所者数は一定なので、特養という施設だけで大きな利益を出すことはなかなか難しいだろうと思う。
利益がでなければ職員の待遇も良くはならない。そうなれば増々人材不足を助長する。
そんなわけで今は病院や他の施設やサービス事業所を経営・運営している法人が特養も運営していることが多かったりもする。


一方、(これは介護サービス全般に言えることだけれど)、対象が無限ではなく(高齢者の数と要介護認定を受けた人の数)、介護保険で利用できるサービスの限度額が決められているので、高齢化社会だからと言って闇雲に施設やサービス事業所を作っても、利用者は分散され、介護人材も分散され、運営が上手くいかないということも出てくるだろうと思う。
また様々な施設が出来ることによって、利用者側にとっては、お得なサービスが分からなくなったり見えなくなってしまうことも十分に考えられる。
せっかく社会保障していてもそれが活用できていないケースもありそうである。



... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-07-05 16:20

2000問題(5)

介護保険では好きなサービスを好きなだけ受けるというわけにはいかない。
上限は介護度によって違うので、その金額内でサービスを受ける。(超えた部分を全額自己負担すれば上限金額を超えてサービスを受けることは可能である)

どうして上限が設けられているのか言えば、介護保険から支出が膨大になり保険が破綻しないように。
それからサービス事業所や施設の不足や介護人材の不足があるため。
あともうひとつ、身体機能を保って、ADL(日常生活動作)レベルやQOL(クオリティ・オブ・ライフ;生活の質)を低下させないためには、なんでもかんでも手を貸したり代行してあげればよいというわけではないからという理由も付け加えておきたい。
使わない機能は低下する。筋力も使わなければ低下する。専門職が支援や介護を全て引き受けてしまったら家族とは疎遠になるかもしれない。
もちろん介護認定を受けるような人は、原因となる疾病などそれなりに理由があって身体機能が低下したり、低下が進行したりしてしまうことが多いし、家族が介護を十分に出来ない事情もある。しかしそれでも人間である以上、可能な限り維持させる方向で努力すべきという側面もある。


前回このように書いて保険内で使える介護費用(上限額)と自己負担額を載せた。
この金額は施設に入所せずに、基本的に自宅で生活しながら受ける介護サービスの費用である。(居宅サービスや在宅サービスなどと言う)
この中には一時的に施設預かってもらうショートステイも含まれる。

【ショートステイ】
一時的というのはどれくらいかと言うと、1日から可で、連続しての預かり(利用)が最高30日までと決められている。
もしも連続して30日を超えるようならば、超えた期間(31日目)は全額自己負担となる。
とはいっても、他の利用者などもいるので、全額自己負担するからと言っても施設側に受け入れられるとは限らない。
介護保険が関わるものは、病院の自由診療や介護保険を使わない完全有料な施設でのショートステイと違って費用を施設が自由に設定できるわけではなく、施設側が受け取る金額は全額利用者自己負担であろうが介護保険から支払われようが別に変わりなく、利用者自己負担が施設にとってメリットになるわけではない。
むしろ長期で受け入れることはショートステイの本来の目的に沿わないことから施設側が減算されてしまい、少し損してしまうことになる。

利用は数か月前からの予約によることが多いので、急な依頼の場合には受け入れ可能な施設がなく利用できない場合もある。但しキャンセルなども多いらしいので、担当のケアマネジャーに相談してみる価値は十分にある。
介護者が介護できない時にしか預けられないと思っている人もいるかもしれないが、取り立てて用事が無くても介護者の息抜きのために預かってもらうことも出来るし、普段1人暮らしの高齢者が利用することもできる。
体調管理や環境管理が難しい厳寒期や酷暑期などは利用が多いらしい。
何か商売をしている家ならば忙しい月末や決算期、農家ならば農繁期などといった時期にも積極的に利用される。
1年に何度も利用する場合、毎回同じ施設のショートステイを利用しなければならないということはなく、違ったところでも構わない。どこにせよその都度施設と契約は取り交わされる。

その他、ショートステイの利用は原則的に、要介護認定の有効期間(認定には半年~2年の有効期間が定められており期間を終了する頃に見直しが行われる)の半分の日数を超えてはいけないとされている。
例えば有効期間が1年間(365 日)の場合には、トータルで183日以上のショートステイの利用はできないということになる。

介護保険内(限度額内)でショートステイを利用可能な1ヶ月における日数の目安
(他の介護サービスを利用しなかった場合)

要支援1  9~10日
要支援2  17~18日
要介護1  24~27日
要介護2  24~27日
要介護3  26~28日
要介護4  30日
要介護5  30日


=ショートステイの費用=
①介護保険の施設サービス費(基本料)+②居住費+③食費+④送迎費+⑤施設独自の加算やサービスの利用代

上記のように介護保険の介護サービス費(施設サービス費・基本料)の他に居住費と食費が必要となってくる。
居住費や食費は自己負担扱いであり介護保険の限度額には含まれない。
従って、施設に滞在する場合には、それだけ費用がかかってくる。
介護については利用者に合わせて必要な介護を全て行ってくれるので安心感は高い。

④は家族などが送迎をすれば必要ない。⑤の有無は施設によって違い、加算部分は自己負担分(1割など)の支払いであり、独自サービス(例えばヘアカットとか)はその利用料金を支払うことになる。

①の基本料は介護度と自己負担割合によって違い、負担割合1割ならば500~1,000円/日程度である。(介護度が重くなるほど高くなる)

②居住費は施設の部屋の形態によって料金が違う。
それぞれ基準額が定められているので、多くの施設がこの金額に準じている。
  ユニット型個室 1,970円/日
  ユニット型準個室 1,640円/日
  従来型個室 1,150円/日
  多床室 840円/日
※ユニット型というのは、少人数グループ(10人以下)をひとつの生活単位(ユニット)として区分けして、1ユニットごとに専用の居住空間と専任の職員を配置するスタイル。国はユニット型を推奨しているらしく、新しく出来る施設はこのタイプが多い。
ユニット空間それぞれに、それぞれの個室と、個室を出た所(中央)に食事や共同作業をするスペースやテーブルがある。
従来型個室型は、ベッドは個室にあるが、食事や共同作業は1箇所の大スペースで行うというタイプ。
多床室はベッドも個室ではない、いわゆる大部屋(4人部屋など)で、食事や共同作業は1箇所の大スペースで行うというタイプ。

③食費 1,380円/日 ・てん施設によって多少異なる

介護度4で、ユニット型個室で、30日滞在した場合
 基本料 1,000円×30日=30,000円 ←限度額内
 ユニット型個室 1,970円×30日=59,100円
 食事 1,380円/日×30日=41,400円
 合計 130,500円


介護保険外の有料施設でのショートステイは、1泊2日で8,000~20,000円程度らしい。
ホテルに泊まるのと同じくらいの費用であるも、ホテルと違うのは介護サービスが付いていること。
もし30泊31日滞在すれば、単純計算では24~60万円にもなる。長期割引でもう少し割安にはなるとか、1ヶ月という単位での料金があるかもしれないけれども。
介護保険利用施設で空きがないけれどどうしても預かってほしいという事情があって、1泊2泊の短期ならば使えるかもしれない。


=居住費と食費の負担軽減=
先に述べたようにショートステイを利用する際の居住費と食費は自己負担扱いとなるが、所得と資産が要件に当てはまる世帯の利用者の場合には、「介護保険負担限度額認定」を受けることで、負担を軽減することが出来る。
認定を受けたいという人は役所に申請に行く。

要件
(1)生活保護受給者
(2)老齢福祉年金受給者(昔あった制度なので対象者はもうあまりいない)
(3)世帯全員が住民税非課税であること(世帯には事実婚の配偶者も含まれる)
   参考:<年金受給者のみの高齢者の住民税が非課税となる受給額>
      ・65歳未満の場合  年金受給額が年間105万円未満
      ・65歳以上の場合  年金受給額が年間155万円未満


上の(1)~(3)のいずれかに該当しても、次に該当する場合には認定されない。

●住民税非課税世帯でも、「世帯分離」している配偶者が課税されている場合。
「世帯分離」はその名の通り、世帯を分けること。
戸籍とは関係なく、住民基本台帳を分ける手続きであり、住所を変えることもなければ引っ越す必要もなく、扶養から外れる必要もない。生計が別であるという意味合いが大きい。
介護費用が安くなるとして、これを行う人が最近増えているらしい。
世帯の所得によって負担割合や限度額が変わることから、世帯を分けて所得を小さくするというわけ。
多いのは2世帯で暮らす一家が、親世帯と子世帯で世帯を分離するものであるが、夫婦で世帯分離しているケースもある(この場合、住所が違うケースもある)。
しかし夫婦の世帯分離において、一方が課税されている場合には、負担軽減対象外となる。

資産の総額が単身世帯では1000万円以上、夫婦世帯では2000万円以上ある世帯。
資産とは、預貯金(普通・定期)、有価証券(株式・国債等)、金や銀(積立購入含む)等の購入先の口座残高によって時価評価が容易な貴金属、投資信託、タンス預金(現金)、負債。

所得だけでなく資産をみて負担軽減するかどうか決めるという制度が介護保険では2015年から導入されている。
そこで設定されている資産額が世帯で2000万円なのだ。
現在2000万円以上の貯蓄がある高齢世帯(単身世帯は除く)は42.8%である。この世帯は今現在所得が低いとしても負担軽減は受けられない。


=軽減の度合いは3段階&高額介護サービス費の自己負担限度額=

第1段階 生活保護受給者、老齢福祉年金受給者
•食費の負担限度額 300円/日
•居住費の負担限度額
 ◦ユニット型個室 820円/日
 ◦ユニット型準個室 490円/日
 ◦従来型個室(特養)320円/日
 ◦従来型個室(老健・療養型)490円/日
 ◦多床室 0円

第2段階 合計所得金額と課税年金収入額と非課税年金収入額の合計が年間80万円以下の被保険者
•食費の負担限度額 390円/日
•居住費の負担限度額
◦ユニット型個室 820円/日
 ◦ユニット型準個室 490円/日
 ◦従来型個室(特養) 420円/日
 ◦従来型個室(老健・療養型) 490円/日
 ◦多床室 370円/日

第3段階 上記以外の非課税世帯に属する被保険者
•食費の負担限度額 650円/日
•居住費の負担限度額
◦ユニット型個室 1310円/日
 ◦ユニット型準個室 1310円/日
 ◦従来型個室(特養) 820円/日
 ◦従来型個室(老健・療養型) 1310円/日
 ◦多床室 370円/日


上の方に書いた、「要介護4で、ユニット型個室で、30日滞在して、合計130,500円」だった方が、もし年金10万円/月の非課税な単身者で、資産が1000万円以下だとすると・・・(第3段階)
 基本料 1,000円×30日=30,000 ⇒24,600 ←非課税世帯のため高額介護サービス費の自己負担限度額に当てはまり減額※
 ユニット型個室 1,310円×30日=39,300円
 食事 650円/日×30日=19,500円
 合計 83,400円
  ↓
 47,100円の負担軽減となる。

要介護4の生活保護受給者がユニット型個室で30日滞在したならば・・・(第1段階)
 基本料 1,000円×30日=30,000円 ⇒15,000円 ←生活保護のため高額介護サービス費の自己負担限度額に当てはまり減額※
 ユニット型個室 820円×30日=24,600円
 食事 300円/日×30日=9,000円
 合計 48,600円

※但し基本料部分の減額は料金を支払う時に減額されるのではなく、市区町村の窓口で申請して、払い戻されるのは約3か月後となる。(領収書は捨てずにとっておきましょう)
負担限度額認定を受けた人の居住費と食費は利用料請求の段階で減額されている。


高額介護サービス費の自己負担限度額
e0126350_18302188.jpg




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)
# by yumimi61 | 2019-07-04 13:27