2018年 02月 15日
日本国憲法の秘密-671- (外貨準備と貿易について)
178.png2007年9月までカテゴリーとタグ付終了しました。


Edward Rene David Goldsmith/エドワード・レネ・ デイビッド・ゴールドスミス(1928-2009)
フランスの哲学者、作家。
オックスフォード大学で政治学、哲学、経済学を修める。環境問題の運動家として活動し1969年に『The Ecologist(エコロジスト)』誌を創刊。

エドワードは金融一家に生まれ育ちながら産業社会と経済発展に反対しており、伝統的な人々(先住民や伝統民族)寄りの活動を行っていた。
ガイア仮説の早期提唱者の1人である。



エドワード・ゴールドスミスは1972年に『The Ecologist(エコロジスト)』の特別版として『A Blueprint for Survival(生存のための青写真)』を出版。後に書籍化され75万部以上売り上げ、エコロジー運動初期のキーテキストとなった。

このテキストに大きな影響を受けて同年「PEOPLE」という政治団体が自動車産業の盛んなイギリスのコヴェントリーで設立された。
エドワード・ゴールドスミスはこの政治団体のメンバーとなり、1974年と1979年に選挙に出馬もしている。

政治団体「PEOPLE」は、1975年に「Ecology Party」と改称し、1985年には「Green Party」となった。

Green Party of England and Wales(イングランド・ウェールズ緑の党)
イギリスの環境政党である。
1973年に結成されたPEOPLE党をルーツとする。これが1975年に環境党に、1985年に緑の党となり、1990年に現在の党名となった。
ヨーロッパ規模では欧州緑の党の、世界規模ではグローバルグリーンズのメンバーである。なおスコットランドにはスコットランド緑の党が、北アイルランドには北アイルランド緑の党が、それぞれ存在するため、イギリス全土にまたがる形での緑の党は存在しない。
全国規模の選挙では、比例代表制が導入された1999年欧州議会議員選挙で初めて当選者を出した。その後も2004年、2009年の欧州議会選挙で議席を獲得した。
2010年イギリス総選挙では小選挙区制の下でキャロリン・ルーカス党首が当選し、初めて下院に1議席を獲得した。翌2011年5月の地方選挙では、ブライトン市で前回比10議席増の23議席を獲得し、第1党となった。なおイギリスの地方議会で緑の党が最大政党となったのは、今回が初めてのことである。2015年イギリス総選挙、2017年イギリス総選挙でもそれぞれ1議席を獲得。


緑の党
環境主義、多文化主義、反戦などを主な主義、信条とする政党・政治勢力。
1970年代から世界各国で台頭してきた、エコロジー、反原発、反核、軍縮、反戦、人種差別撤廃、脱物質主義、多文化主義、消費者保護、参加型民主主義(草の根民主主義も参照)、フェミニズム、社会的弱者の人権などをテーマにした「新しい社会運動」の流れで結成が進んだ政治勢力。出身者の多くが市民運動家や環境保護に関心の高い市民であった。
ここに、さらに社会民主党、共産党、中央党などの既成政党から当選した政治家が離党して新党としての『緑の党」に合流した。このほか、左派系労働運動や民主化運動の活動家が加わっている。


エドワード・ゴールドスミスの環境主義的見解は、緑の党を支配するようになった左派やリベラル的な思想とは一致しなかった。


『A Blueprint for Survival(生存のための青写真)』を発表した翌年1973年に、エドワード・ゴールドスミスと『The Ecologist(エコロジスト)』編集部は、ロンドンから南西端のコーンウォール郊外に移住し、彼らはそこで農場を購入し、なるべく自給自足な比較的小規模なコミュニティを形成しようと17年の歳月を費やした(1990年まで)というから口だけではなく行動の人でもあったのであろう。

1977年、Central Electricity Generating Board (イギリス中央発電庁;1990年に民営化)がコーンウォールの原子炉を設置すると脅してきたため、エドワード・ゴールドスミスはそれを阻止するために訴訟に打って出た。
環境裁判となったわけだが、判決はCEGB(イギリス中央発電庁)に有利なものだった。しかし原子炉は設置されなかった。

1984年には大規模な水力発電ダムの破壊的影響に関する複数の報告書を執筆している。
彼らが問題にしているのは原子力(核)の脅威という部分的で断片的で曖昧なものではない。
熱帯地域の破壊、森林の荒廃、野生生物の絶滅、人間の貧困と飢餓(人口爆発)、これらは世界何処でも大規模な開発プロジェクトに関連して起こるものであるが、それが地球や生態系が自律して持っている「自己調節能力」「再編成力」「再生力」を奪うとしている。
生命や人類が出現した場所はその存続においても鍵となるはずと考えているのであろう。
「自己調節能力」「再編成力」「再生力」、これらの力は人間の即物的な科学技術によってどうこうできるものではないので、それらを失わないようにすることが生存のための青写真になると主張している。
恒常性、不変性、homeostasis、constancy。
エドワード・ゴールドスミスらは、地球環境の破壊を手助けしていると国際通貨基金(IMF)と世界銀行(WB)を長年非難してきた。


エドワード・ゴールドスミスには弟がいる。

James Michael "Jimmy" Goldsmith/ジェームズ・ミシェル・"ジミー"・ゴールドスミス(1933-1997)
フランス生まれで、フランスとイギリスの国籍を持つ億万長者の実業家 、欧州議会議員であり、政財界の大物として知られる。ユダヤ人であり、ロスチャイルド家の親戚である。
ジェームズはオリバー・ストーン監督の『ウォール街』における企業乗っ取り屋のラリー・ワイルドマン卿のモデルとなったと言われている。


彼の父はフランクフルトからパリを経由してイギリスに移住したユダヤ人で、イギリスで政治家になり、その後は事業家(高級ホテル)として活躍した。
教育と特別支援学校に大きな関心を示したり、ロシア帝国からのユダヤ人の移住に関わる団体を支援してユダヤ人保護委員会の移住委員会のメンバーでもあったというその人である。
息子2人はフランス・パリで生まれており、イギリスとフランス両方の国籍を持っており、ユダヤ人(ドイツ出身)というルーツも併せ持つ。

そのフランス生まれの2人の息子はイギリス育ちである。
ともにミルフィールド校(イングランド最大の共学寄宿制私立校)に入学。この学校はいわゆる「伝統的パブリックスクール」ではない。

「伝統的パブリックスクール」
13歳〜18歳の子供を教育するイギリスの私立学校の中でもトップの10%を構成するエリート校。
以前はその大部分が寄宿制の男子校であったが、現在は一部を除き共学制に移行している。イギリスのトップ大学に当たるラッセル・グループ、特にその頂点にあるケンブリッジ大学、オックスフォード大学などへの進学を前提とする。学費が非常に高く、入学基準が厳格なため、奨学金で入学を許された少数の学生以外は裕福な階層の子供達が、寮での集団生活を送っている。近年は、海外の金持ちの子供達がイギリスでの大学教育を見越して入学することが多くなっている。


伝統的パブリックスクールの頂点に君臨するのがイートン校。
階級社会の上流を形成する貴族の子弟が集まる。
イートン校からは19人の首相を輩出しているという。
ウィリアム王子とヘンリー王子の母校でもある。
創設者はフランス王も兼任したヘンリー6世。
ヘンリー6世は15世紀の王であり、イングランド国教会がカトリックから分離独立(16世紀前半のヘンリー8世の時)する前。要するにイギリスもまだカトリックが主流だった時代。

“The Battle of Waterloo was won on the playing fields of Eton.”
「ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた」

ナポレオンを破った著名な軍人ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの言葉として伝わった。
フランス革命の混乱の中から彗星のごとく現われた天才騎士ナポレオンは、王族貴族が幅を利かせるヨーロッパ諸国との戦いに次々と勝利し、ついにフランス皇帝にまで上り詰めた。
そのナポレオンの前に立ちはだかったのがイギリスで、ワーテルローの戦いはヨーロッパの今後を占う天下分け目の戦いになったということである。

ワーテルローという地はイギリスでもフランスでもなくベルギーである。
独立したベルギーに初代国王が即位したのは1831年のことで、この国王は現イギリス王室と同じドイツのザクセン・コーブルグ・ゴータ公国の公爵家から迎えられた。
一族からはイギリス、ベルギーの他、ポルトガルやブルガリアの君主も輩出した。また婚姻関係によってフランスをはじめ、ほとんどのヨーロッパ王室と親戚になっている。

フランス革命から誕生したナポレオンが率いた軍隊は広く国民全体から集めた兵士たちから成っていた。
一方ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーが率いたイギリスの軍隊はイートン校のようなエリート学校出身者たちが数多くいる。
「ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた」とはつまり、地位も学も品もない(?)フランスの軍隊とは育ちも教えも違うという意味なんだそうである。

その言葉を呟いたのは1825年、ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーが母校イートン校でクリケット観戦中だったとか。クリケットがサッカーになったりラグビーになったりもする。
その話が初めて出てきたのは本人の死後3年も経ってからだとか、後代ウェリントン公がそんなことは言っていないと否定したり、どうも出所には怪しさがつきまとう。
そもそもウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーはイートン校を中退しており卒業していないのだとか。
では誰の言葉かというと、実際はイギリス生まれのフランス人で、19世紀のリベラルなカトリック指導者、シャルル・ド・モンタランベール伯爵のものだそうである。

上記のようにナポレオン戦争は対上流階級という側面のある戦いでもあり、その戦いにはカトリック教会やロスチャイルド家が関与している。

そこに登場したのがナポレオン!ヨーロッパの王族や貴族はこの新しい敵を前に一致団結!!
この反ナポレオン勢力に資金を貸し付けたのがロスチャイルド家で、傭兵を貸し出したのがヘッセン家。
ナポレオンはカトリックの権威を利用しようとカトリックに近づく。
しかしナポレオンはイエズス会の残党がいたらしいロシアやプロイセンの反撃により失脚を余儀なくなされる。
ナポレオン撃破に貢献したのはカトリックということで教皇の地位も上がりイエズス会は晴れて復活。
かつてカトリックに対立したヘッセン家は傭兵と郵便支配(ナポレオン戦争のドサクサに紛れてタクシス家を掌中に収めた)で大儲け。ヘッセン家の財産はロスチャイルドがロンドンに移し守ってくれた。
両者win-winで万歳!!
この頃、フランスは親プロイセンで、イギリスは親オーストリアだった。フランスとイギリスは植民地戦争を行っていた。フランスとイギリスは因縁の仲である。
ナポレオンはカトリックを利用しようとして逆に利用される形になった。
イエズス会が復活したのはナポレオンが失脚した1814年のことである。
復活後のイエズス会は急激な成長を遂げた。



総括すると、伝統パブリックスクールの頂点イートン校は伝統的にカトリック系である。

ゴールドスミス家のフランス生まれの2人の息子はイギリス育った。
ともに伝統パブリックスクールとは異なるミルフィールド校に入学した。
兄はその学校を卒業し、世界有数の名門大学イギリスのオックスフォード大学に進学し学んだ。
弟はミルフィールド校からイートン校に転校するも、そのイートン校も中退し大学に進学することもなかった。

超名門大学に進学した兄エドワードだったが、大学で教授される決まりきった枠組みや意味がなくなるほど小さく分解してしまった学問を拒み、包括的な探求に勤しんだ。
卒業後、イギリス人としてドイツにて公務に携わった時期もあったが、その後はベンチャー企業を幾つも立ち上げては失敗に終わり、興味ある主題の研究に多くの時間を費やした。
30歳代(1960年代)には親しい友人と世界を旅し、そこかしこで伝統的な社会の破壊を直接目撃することとなり、いよいよ経済発展や工業化に否定的となり環境問題に傾倒していくわけである。
出版をはじめ以後の活動は40歳以降のことである。








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# by yumimi61 | 2018-02-15 12:39
2018年 02月 13日
日本国憲法の秘密-670- (外貨準備と貿易について)
イギリスで政治家になったゴールドシュミット家の一員、Francis Benedict Hyam Goldsmith/フランク・ベネディクト・ハイアム・ゴールドスミス (1878-1967)。
フランクフルト出身のユダヤ人。(ある意味ではドイツ人)
彼の父は1893年にフランクフルトを離れて、フランスを経由して1895年にイギリスに移住した。
彼が15歳の時である。それから10年後に地方議員として政治家のキャリアをスタートさせ、7年後に国会議員となった。40歳までの15年間が政治家であった時期である。(イギリス人でもある)
彼の妻はフランス人である。従って彼の息子はハーフである。
息子はフランス・パリで生まれており、イギリスとフランス両方の国籍を持っている。
そしてユダヤ人(ドイツ出身)というルーツも併せ持っていることにもなる。

<息子>
Edward Rene David Goldsmith/エドワード・レネ・ デイビッド・ゴールドスミス(1928-2009)
フランスの哲学者、作家。
オックスフォード大学で政治学、哲学、経済学を修める。環境問題の運動家として活動し1969年に『The Ecologist(エコロジスト)』誌を創刊。

エドワードは金融一家に生まれ育ちながら産業社会と経済発展に反対しており、伝統的な人々(先住民や伝統民族)寄りの活動を行っていた。
ガイア仮説の早期提唱者の1人である。

ガイア仮説 EICネット環境用語EICネット環境用語より
(ラインは私によるもの)
地球を自己調節能力を持ったひとつの生命体(有機体)であるとみなす説。イギリスの科学者(生物物理学、医学)であるジェームズ・ラブロックによって提唱された概念。
火星や金星など太陽系の他の惑星と異なり、地球上には20数%の酸素を含む大気が、長い歴史を通じて維持されてきた。この間、巨大隕石の墜落や氷河期-間氷河期の甚大な気候変動など、人為的な影響による環境破壊よりもはるかに多大な影響を及ぼす激しい変動に耐え、「生き延びて」きた。その歴史を、地球というひとつの生命体の自己調節システムによるものとみたて、人為的な地球環境への影響に対して科学技術による即物的な対応を図るよりも地球の大きな生命の流れに沿った判断をすべきとの主張
このような全体論的な地球のイメージは、生態系の固有価値を重視するディープエコロジーに大きな影響を与えた。


地球や地球に暮らす生命体はガイアの絶妙なバランスの上で成立している。
そのバランスがほんの少し、例えば数パーセントでも違ってしまえば、それを維持することはできない。
昨今の状況は社会の崩壊と地球の生命維持システムの不可逆的な混乱を招くだけであるので、それを食い止める必要があると主張する。
それは即物的な科学技術による解決は望めず、脱工業化によって可能であるとの提案だった。昔ながらの社会が地球にとっては良いということ。
人間は地球を壊せる能力を持つが、地球を再生する能力を持たない。言い換えれば、そういうことになろう。

エドワードが理想とした社会は、比較的小さな規模のコミュニティ、インパクトの少ないテクノロジー、人口コントロール、持続可能な資源管理、包括的かつ生態学的に統合された世界観と高度な社会結束力、 身体的健康、精神的な幸福や充足に特徴づけられる。

エドワードはそのような昔ながらの社会を提案しながら、自律的な生物圏同様のサイバネティクス(1047年アメリカの数学者ウィーナーによって創始された学問。生物および機械における制御・通信・情報処理などについて、両者を区別せず統一的に扱う)概念を研究していた。

現代で盛んに研究されているAI(人工知能)はサイバネティクスに含まれる。
コンピューター(自動計算機あるいは情報処理機)は既存の理論に基づいて動いている。
人工知能が目指すものは、コンピューターが与えられ指示だけでなく、自分で学習し自己再編成を繰り返し続けるというものであるから、既存の理論の中では人工知能は構築できない。
人間は自分や地球を壊すことが出来ても再生し続ける術を知らない。科学技術でそれらを持続的に制御することは不可能である。
地球や生態系は自律的にそれを有している。
制御可能な人工知能だとすれば真の意味で人間を超える事はないし、真の意味での人工知能が誕生すれば、それを人間が制御することは出来ない。出来るとしたら壊すくらいだろう。






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# by yumimi61 | 2018-02-13 16:55
2018年 02月 12日
日本国憲法の秘密-669- (外貨準備と貿易について)
178.pngテゴリーとタグ付、2007年8月まで完了しました。 


Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)は、フランクフルトに設立されたBischoffsheim, Goldschmidt & Cie bank(ビショフスハイム・ゴールドシュミット銀行)の創業者であった。
この銀行は1863年にオランダ貯蓄信用銀行となり、現在は総資産額でユーロ圏最大のBNPパリバとなっている。

彼の3人の息子は1893年にフランクフルトの銀行を閉じてフランクフルトを離れた。
そのうちの1人は、フランスを経由して1895年にイギリスに移住した。
・Adolphe Benedikt Hayum Goldschmidt/アドルフ・ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1838–1918)
 ドイツのフランクフルト→フランスのパリ→イギリスのロンドン

移住に伴い英語名を採用してゴールドシュミットからゴースドスミスにした。
彼の息子はイギリスで政治家になった。(1903年25歳で地方議会議員→1910年32歳で国会議員→1918年40歳まで)

Francis Benedict Hyam Goldsmith/フランク・ベネディクト・ハイアム・ゴールドスミス (1878-1967)
億万長者の実業家であり、イギリスの保守党の政治家である。1910年から1918年まで下院議員を務め、その後フランスとイギリスで高級ホテル王となった。
1904年から1910年にフランクは、教育と特別支援学校に大きな関心を示し、多くの委員会で活躍し、市政改革党にむち打っていた。また、ユダヤ人の多くの慈善団体に関与し、ロシア帝国からのユダヤ人の移住に関わる団体を支援して、ユダヤ人保護委員会の移住委員会のメンバーになった。

※特別支援学校について
アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国において、日本の「特別支援教育」に該当する概念はSpecial Needs educationである。ただし、広義のSpecial Needs educationの対象は『通常の教育課程では十分な教育効果が望めない』ものとして、障害のある児童に限らず、学習能力が著しく高い児童(ギフテッド)や外国人移民も含まれる。


ユダヤへの迫害は紀元前の歴史から見られるものでとても古く、到底ナチスに始まったものではない。
では何故そこまでユダヤ人は迫害されたのかと言えば、原因となっているのは「選民」であろう。
ユダヤ人は神に選ばれて特別な契約を結んだ民族であるという。
この思想はトーラー(モーセ五書)の中に最初に見出され、後のタナハ(旧約聖書)で詳述される。

タナハはユダヤ教の聖典。旧約聖書はユダヤ教のタナハを元に書かれたキリスト教の正典である。
また「旧約聖書」という呼称はイエス誕生後を描いた新約聖書を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教には旧約という概念はなく唯一の聖典(聖書)である。

"今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって、私の宝となる。全世界は私のものだから。あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる"(出エジプト記 19章5, 6節)

"主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも多かったからではない。事実、あなたがたは、全ての国の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主はあなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖達に誓われた誓いを守られたから"(申命記 7章7, 8節)


ノアーセムーアブラハムーイサクーヤコブ(イスラエル)

ヤコブの子(男子)がユダヤ人の始祖となったということである。
ヤコブの子(男子)は12人いて、これがユダヤ(イスラエル)12部族の始祖となった。
後世において、この12部族のうち10部族の行方が分からなくなってしまう。 「イスラエルの失われた10支族」と言われている。
一説には日本に来た部族があるのではないかと言われている。
行方が分かっているのは、レビ族(祭司)、ユダ族、ベニヤミン族だそうである。
ユダ族がユダヤ人の祖ということではなく、12人全部がユダヤ人の祖である。

①ルベン(レア)   ヨセフを殺すことを止め、穴に投げ入れることを提案。ビルハと姦淫し、長兄の権利を与えられなかった。
②シメオン(レア)  妹が汚されたことに激怒し町を襲った。ヨセフに敵意。残忍さの天罰に1週間ほど右手が不自由だったことがある。
③レビ(レア)   妹が汚されたことに激怒し町を襲った。後に祭司一族となる。
④ユダ(レア)   ヨセフを殺すことに反対し、商人に売ることを提案し売った。ユダの子孫からイエスが出る。
⑤ダン(ラケルの召使ビルハ
⑥ナフタリ(ラケルの召使ビルハ
⑦ガド(レアの召使ジルパ
⑧アシェル(レアの召使ジルパ
⑨イサカル(レア
⑩ゼブルン(レア
⑪ディナレア) 
⑫ヨセフ(ラケル)  兄達によって商人に売られる。エジプトへ。 
⑬ベニヤミン(ラケル


イエス・キリストはユダ族の出身。元はユダヤ教のユダヤ人なのだ。
イエスとキリスト教がなければ、ユダヤ人に限られたユダヤ教を多民族が信仰することは出来なかったと思われる。
当時はそれぞれの民族がそれぞれの神や宗教を信じる多神教が主流であったので、ユダヤ教が民族宗教であること自体は特段問題ではなかった。
ではなんでこんなに問題がこじれたのかと言えば、「ユダヤの宗教は神に選ばれたとか言っているらしい、何ともずるい!(または、いいなあ・・)」という人達がいたからであろう。
自分の属する民族宗教の内容(設定というか教えというか)よりもユダヤ教は光り輝いて見えたというわけである。
やはり知るということは不幸の始まりか!?

でも内実ユダヤ教は腐敗していたとかで(イエスはそう感じていた)、イエスはユダヤ教の改革者となり(ユダヤ教から見れば反逆者となった)、イエス亡き後にキリスト教(カトリック)として確立された。
キリスト教は「選民」から漏れた人達の受け皿となり、ヨーロッパは多神教の民族宗教から一神教の普遍宗教へと変貌を遂げていくことになる。
つまりキリスト教は反ユダヤから始まってはいるが、ユダヤ教に嫉妬したり憧れた人達を抱え込んだので、ユダヤ教と完全に分かつことは出来ない。
ユダヤ教無くしてキリスト教無し、なのである。

カトリックの腐敗からプロテスタントが生まれた経緯に似ているが、プロテスタントはイエス的な存在が腐敗の元になると考え、人や物への崇拝を禁止し、新たにそうした人物を立てるということもしなかった。
プロテスタントは聖書第一主義であるので、ある意味においては(旧約聖書だけなら)カトリックよりもユダヤ教寄りであるが、新約聖書のイエス・キリストが信仰の対象である以上ユダヤ教とは一線を画す。

神から選ばれた民族であり、他民族を導く使命を持つというユダヤの思想は、民族的なエリート意識に繋がり、世界を導く使命感を持たせている。
「神から選ばれた」という話が本当であっても全くの創作であっても、例えユダヤ人に悪気がなくてもあっても、どちらにしてもその手の類の話は他者に嫌われる要素を多分に持っているものである。
ユダヤ人が「選民」を受け入れた時点で迫害という運命からは逃れようがなかったのだと思う。

上に書いたフランク・ゴールドスミスはイギリスで特別支援学校に大きな関心を示したそうだが、欧米の特別支援学校は日本のように障害のある児童に限らず、学習能力が著しく高い児童(ギフテッド)や外国人移民も含んでいる。

ギフテッド(英: Gifted, Intellectual giftedness)は、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を持っている人のこと。または、先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を指す。
ギフテッドは、外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内在的な学習の素質、生まれつきの学習能力を持つことを指す。
ギフテッドは、英才児、優秀児、天才児などと和訳されているが、日本では、そのような子供を「飛び級できるような賢い子」という一面でしか捉えられておらず、誤解が生じている。そのため、本項では、英才児、優秀児、天才児などと和訳せず、「ギフテッド」と呼称する。ギフテッド (gifted)は、贈り物を意味する英語の「ギフト (gift)」 が語源であり、神または天から与えられた“資質”、または遺伝による生まれつきの「特質」と言える。「ギフテッドの才能を伸ばす」という言い方はできる。しかし「こうすればギフテッドになる」とは言わない。
ギフテッドは早期教育や、他人よりも早く多く習得する先取り学習によってギフテッドに成長するようなことはない。


この説明を読んだだけで「選民」に通じるものを感じてしまう人がいるのではないだろうか。

欧米では、ギフテッド=「神様が特別に選んで優秀にさせた、ギフトを授けた」という認識が広まっている。街や会社や学校など地域社会レベルで、良い影響を与えられ、それぞれの分野で社会を良い方向へ導く存在となりうる潜在能力を備えた存在である為、ギフテッド教育がさかんである。ギフテッドを社会で育て、そして社会全体がその還元を受けるという認知が進んでいる。

ユダヤ人が迫害を受けてきた歴史を思えば欧米においても(特にヨーロッパにおいて)ギフテッドがそんなにたやすく受け入れられるとは思えない。
但しイギリスは今日においても大規模な階級社会を維持していて草の根レベルで根付いている国なので、諦めというか悟りというかの寛容さ(?)が他の国より進んでいて、それに乗じて却って自分に合った居場所的なものを確保しやすいのかもしれない。

しかしながら寛容さというものはリベラル(左派)に通じていく。
伝統的に左派は人権のような普遍的価値を重んじて平等を目指す。
彼らの敵は特権階級のもたらす不平等や不公平である。
だからこそ特権を持たない労働者の立場に立つのだし、人種差別や性差別などのない「リベラルな社会」を推進しようとする。
その「普遍」と「平等」は、「民族宗教」や「選民」というユダヤ人(ユダヤ教)の成り立ちや主張と真っ向対立するものとなるので、寛容さやリベラルが進むと結局同じような結果となる。
言い換えると、ユダヤ教やユダヤ人を潰したいならばリベラルを推し進めれば良いということになる。


日本は受験システムにより、テストの採点結果のみが高く評価され、欧米社会の様な本人の持って生まれた高い知性、想像力、独創性、洞察力、芸術性などの才能や資質能力を伸ばし受け入れ還元される社会システムや環境そして認識が整っていない。逆に、特異で高度な資質が排他や妬みの対象になりやすい懸念もある。

日本国内においてギフテッドの定義が浸透しないのは、欧米の機会平等主義に対して日本が能力平等主義であること、一人一人の人間が天・神によって創られているという欧米の宗教観に対して日本では血にこだわる素朴遺伝観が強いといった差が要因にあると言われている。この相違点は氏か育ちか論争にも繋がる。

現在の日本社会にそぐわない知性論そのものを周知させることが、常に逆差別や感情論などを引き起こし議論を停滞・誤解させる危険を伴う。また「ギフテッドは生まれつき」という概念を浸透させるには、血にこだわり建前として能力平等を前提とする日本社会において遺伝子論争や優生思想を避けては通れないため、ギフテッド・プログラム導入には非常に慎重にならざるを得ない。





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# by yumimi61 | 2018-02-12 16:07
2018年 02月 11日
日本国憲法の秘密-668- (外貨準備と貿易について)
ゴールドシュミット(ゴールドスミス)家もロスチャイルト家もフランクフルト出身のユダヤ家系。両家は同族である。

Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)銀行家、トスカーナ大公(現:イタリア)の領事

<彼の息子>
・Leopold Benedict Goldschmidt/レオポルド・ベネディクト・ゴールドシュミット (1830–1904)
・Adolphe Benedikt Hayum Goldschmidt/アドルフ・ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1838–1918)
 ドイツのフランクフルト→フランスのパリ→イギリスのロンドン
・Maximilian Goldschmidt-Rothschild/マクシミリアン・ゴールドシュミット=ロスチャイルド(1843–1940)
 ドイツのフランクフルト→ドイツのベルリン
 1878年ロスチャイルド家(ナポリ家)と婚姻関係を結んだ。



ロスチャイルドの5人の息子は5か国に散らばって事業を展開した。
フランクフルト(ドイツ)ウィーン(オーストリア)ロンドン(イギリス)ナポリ(イタリア)パリ(フランス)

ゴールドシュミット家がフランクフルトを離れたのが1893年。
ロスチャイルド・フランクフルト家を閉鎖したのが1901年。

ロスチャイルド・フランクフルト家の遺産を受け継いだのはゴールドシュミット家とディスコント銀行。(もともとロスチャイルドはゴールドシュミットから独立した家。家業は両替商・金貸し)


後継の問題もあったが同時にドイツでの事業が上手くいかなくなってきたのではないかということは前述した。
やがて第一次世界大戦が勃発。
軍事的にはそれほど劣勢ではなかったがドイツは敗北した。「内からの崩壊」とも「背後の一突き」とも言われる。
そして莫大な賠償金が課せられることになるのだが、この賠償金は紆余曲折あり、最終的に外貨での59年に亘る年払い(1932年ヤング案)となった。

ドイツの賠償金の紆余曲折過程で国際決済銀行の創設が決定し、スイスに設立された。
当初は賠償金の支払いを円滑化させるための機関として設立されたが、1933年にヒトラー政権が成立するとドイツは賠償金支払いを拒否したため、国際決済銀行は賠償金の取扱機関としての仕事がなくなった。
代わりに何をしたかと言えば、各国中央銀行の取りまとめである。
それぞれの国で紙幣を発行したり金融政策をとる中央銀行のための中央銀行となった。
ドーズ案とヤング案はドイツの賠償金の額を減らしたように見せかけて、国際金融資本の支配体制を構築していくものだったのだ。


こう見ていくと、第一次世界大戦、ドイツの賠償金問題、世界恐慌、ナチスの台頭とヒトラー政権、第二次世界大戦、全て同じ流れに乗っていて起こるべくして起こったように思えてしまう。
ちなみにロスチャイルド・ウィーン家も第二次世界大戦前1938年に閉鎖した。その年にナチスドイツはオーストリアを併合している。
国際金融資本やユダヤ人を敵視していたはずのナチスはロスチャイルド・ウィーン家当主もドイツにいたゴールドシュミット(ゴールドスミス)家当主も強制収容所になんか送らなかったし、ユダヤ金融家は同胞ユダヤ人をお金で何とか助けてあげるようなこともしなかったということになる。


オーウェン・D・ヤング
アメリカ合衆国の財政家、法律家、外交官。
1919年にRCAを創立、1929年までその会長を務めた。さらに1922年から1939年までゼネラル・エレクトリックの会長も務めた。その後はNBCの設立を援助した。1942年から1945年までゼネラル・エレクトリックの会長を再び務めた。
第一次世界大戦終結後、ドイツ賠償委員会に参加。ヴェルサイユ条約に基づくドイツ帝国の賠償返済を円滑に進めるべく1924年にドーズ案をまとめた。その後、1929年に同委員会議長となり、さらに賠償額を減額したヤング案を成立させた。翌1930年にはドイツの賠償金支払いを統括する国際決済銀行を設立した。


上記のようにヤング案のヤングはゼネラル・エレクトリック(GE)の会長であったが、実はGEとドイツの関係には因縁があった。
ロスチャイルド家はGEサイドである。

1870年、ドイツ銀行設立。設立指導者(取締役)にジーメンス社創業者の叔父がいた。
1874年、ジーメンス社の設立。以後急成長しジーメンス財閥を形成。

1876年、ドイツ銀行が国内最大銀行となる。
ドイツ銀行は国内外に出資して勢力を拡大していく。
またジーメンス社のジーメンス兄弟も次々と世界初の発明を成し遂げる。また単なる原理を実用化することにも長けていた。
ジーメンス社のジーメンスは経営者としてだけではなく技術者(発明家)としての顔を持っていた。
発明王と呼ばれるエジソンの発明はジーメンスの発明を応用したものがかなりある。エジソンは発明家というか応用力に優れていたのかもしれない。

1883年、ユダヤ人実業家・エミール・ラーテナウ(ドイツの政治家ヴァルター・ラーテナウの父親)がエジソンの技術を利用する権利を得てドイツ・エジソン電力応用社(Deutsche Edison-Gesellschaft für angewandte Elektrizität;DEG)を設立。出資者はロスチャイルドなど。

1887年、DEGがAEG(Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft)に社名を変更。
エジソンとロスチャイルド系のAEGがドイツ発のジーメンズ領域に進出してきたことが対立の芽となった。


1889年、エジソンがアメリカでエジソン総合電気(Edison General Electric Company)を設立。(→1892年にゼネラル・エレクトリック(GE)となる)





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# by yumimi61 | 2018-02-11 17:59
2018年 02月 11日
no signal
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このブログを始めてもう11年が経とうとしている。
ブログを始めたきっかけは写真だった。
このブログの前にも、その前にも写真のブログをやっていたので、一応写真歴は長い。
そもそも私、高校時代に写真部に在籍していたという(短い期間だったけれど)暗黒暗室の歴史がある。写真焼いてたなんて今じゃあ信じられませんよね!?
でもまあ一向に本格化しない。のめり込み度が足りない。わりと淡泊。
そういう意味ではいつまでもビギナーというか退化かも(笑)。そのわりに不満もない。

このブログも長くなってきたので「以前の記事」という項目がやたら長い。
その項目を引っ込めることも表示期間を少なくすることも出来るけど、それはちょっと寂しい気もする。
そうは言いつつも、自分で自分の過去記事を見たり読み返すことはほとんどない。
新たな記事に関連した過去記事をリンクしたり再掲したりする時くらい。
このブログになってからは、書きっぱなしと言うか、載せっ放しというかで、それ以上の興味とか野心もほとんどなく、どこかに通知するとかリンクするとか記事を整理するとかそういうこともほとんどしてこなかった。
途中ある事情により目次を作ってた時もあったけれど一時期だけだった。
でも書いたことはそこそこ覚えているつもり。

そんな私がここにきて急に思い立ってカテゴリーとタグ付することにした。最初から全部。
過去記事たくさんあるので少しずつ。とりあえず2007年6月と7月が終わった。先は長い。



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# by yumimi61 | 2018-02-11 01:42 | photo
2018年 02月 09日
日本国憲法の秘密-667- (外貨準備と貿易について)
「総資産額」というのは、バランスシートの右側のこと(=左側でもあるが)。
バランスシートの右側は、負債(借金)+純資産(自己資本や利益など)である。
銀行の総資産額が大きいと言った場合、通常は負債(借金)が大きいことを意味する。銀行の場合、事業上これを預金とも言っている。
世の中の預金額と現金流通額のパーセンテージが大きく変わらなければ(社会構造が大きく変わらなければ)、中央銀行が紙幣を沢山発行するほど預金額(銀行の借金)も増える。
つまり総資産額の大きな銀行の多い、日本、中国、アメリカ、フランスの4国は紙幣が沢山発行されていて預金額が大きいということになる。

紙幣発行は中央銀行において負債。(元は国家の負債)
市中の商業銀行に預けられた紙幣(預金)も銀行にとっては負債。
預金を貸し出すのが銀行の仕事だから、預金額が大きくなれば社会に借金している人が多くなる。
国家・中央銀行・市中銀行・企業や個人が負債によって繋がっているという負の連鎖状態となる。
紙幣が多くなって問題となるインフレや連鎖危機を防ぐためには、末端には出来る限りお金を回さずに、且つ末端の信用低い者たちに安易にお金を貸さないことが大事と考えるはず。これを実行すれば格差社会が到来する。



上記の4か国(日本・中国・アメリカ・フランス)、どこの国も経済格差が顕著である。
中国とアメリカに比べると遠く身近ではないフランスに対する日本人のイメージは、市民革命からの「自由と平等」、パリやパリジェンヌの代表される「芸術の都」「お洒落」、バカンスからの「休暇大国」といった具合であって、格差とか貧困のイメージがほとんどないと思われる。
しかしフランスは超格差社会である。
中国とアメリカの格差社会は何となく想像つくところだが、近年アメリカでは機会格差が目立ってきているようである。
イギリスのような階級社会において閉ざされている機会平等(機会均等)がアメリカでは「自由と平等」の下に開かれ「アメリカンドリーム」となったわけだが、そのアメリカにおいても機会格差が拡大している。また学歴などでランク付けする階級社会も広がっている。

中国・アメリカ・フランスに比べると、「一億総中流」の意識にあった日本では格差が少ないように思われているがやはり格差は広がっている。
「一億総中流」とは生活水準が中程度の国民が人口の多くを占めていることであるが、その中流階級(中産階級)が崩壊しつつある。
日本の中流階級(中産階級)の多くは雇用されている労働者である。
公共事業含め下層あるいは中層を手厚く保護し格差を目立たなくする策を政府が積極的に行えば国の財政収支は悪化してくる。
悪化したので国債(紙幣)を発行してそれを補えば、負の連鎖が始まっていく。
例えばプロ野球選手のように労働者を直接的に資産として扱える業界はまだよいが、通常の企業では経費にしかならない(労働者を資産とすると人身売買を彷彿させてしまう)。
借金漬けの企業は人件費を出来る限り削りたい。そうとなれば労働者の給料は減ったり、非正規や失業者や増えたりして、中流階級(中産階級)が崩壊していく。
企業がブラック化して(ブラック企業なんて言葉は差別用語ですかね?)従業員が心身を病み社会を蝕んでいくか、ブラック化しないで成果を上げられず企業が傾いていくか、最終的には似たような結果を招く選択肢しかなくなっていく。
貧困問題をテレビなどで取り上げると「あれで貧困なんて贅沢」という声が上がると言う。そうすると「貧困の基準が低すぎる」という反論が上がる。
貧困の基準を上げるということは対象者が増加するということに他ならない。
貧困に関する議論は中流階級(中産階級)が崩壊しつつあることに気が付いていないのであろう。
「あれが貧困というならば私だってあまり変わらない」、そういう中流階級(中産階級)が増えているのだ。
また日本はイギリスと同じように立憲君主制であり憲法で君主という特別な存在(差別)を肯定し、その差別をテレビなどでも垂れ流しているわけだから機会格差を生む階級社会が蔓延することからも逃れられない。


紙幣が沢山発行されていると思われる日本・中国・アメリカ・フランス。
紙幣増発や格差社会でそれなりに国は潤い、とりあえず連鎖危機を凌げる。
しかしどうにもならなくなるのが対外債務と貿易に使う外貨調達であるという話を前記事に書いた。
日本と中国は外貨調達を政府による為替介入でクリアした。(⇒アメリカ国債を大量保有)
アメリカはUSドルが実質的に世界の基軸通貨となっているため他国ほど外貨調達の問題は生じにくい。
フランスはユーロ導入国である。ユーロ圏内の貿易においては外貨問題は生じない。
外貨によって日本・中国・アメリカは持ちつ持たれつの関係となっている。


紙幣増発や格差社会でそれなりに国は潤い、とりあえず連鎖危機を凌げると書いたが、紙幣が負債である以上、いずれ行き詰まるはずである。
私は以前、日本国のバランスシート(貸借対照表)を転載したことがある。
日本国のバランスシートを作ったのは高橋洋一氏なんだそうである(本人がそう述べている)。
高橋洋一
日本の元大蔵・財務官僚、経済学者。
嘉悦大学教授、株式会社政策工房代表取締役会長、金融庁顧問、大阪市特別顧問。
株式会社政策工房というコンサルティング会社は国家戦略特区にも大いに関係しており、加計学園のことを書いている時にも登場した

高橋氏は日本政府は巨額な資産をオープンにせず債務の多さだけを強調してきたと述べている。
すなわち日本には借金もあるが資産が沢山あるから大丈夫であるということを強調したかったらしい。
私が転載したそのバランスシートはバランスシートの体を成していないが、数字から分かることは資産額以上の負債を抱えている、いわゆる債務超過の状態にあるということである。

平成25年度              
資産合計 652兆7000億円
負債合計 1143兆1000億円

バランスシートにする場合、左側に資産、右側に負債と純資産を並べる。
そして左と右の合計金額がイコールでなければならない。
債務超過になっている場合には、純資産が▲(マイナス)となる。

(左側・資産)
資産合計 652兆7000億円
(右側・負債と純資産)
負債合計 1143兆1000億円
純資産 ▲490兆4000億円

こうすれば右と左がイコールになるのだ。
いずれにしても資産を全部処分しても負債を返しきれない状態である。
すべての資本が借金でまかなわれていることになり、この財務体質はきわめて危険な状態にある。
この状態でそれ以上借金することは不可能となる。信用が落ちて貸してくれるところがなくなる。そうすれば事業どころから借りたお金も返せなくなり破綻に向かう。
日本の証券取引所の場合、企業の連結決算が2年連続債務超過になると上場は廃止される。 資金調達が難しくなることを意味する。
従ってそれらを防ぐためには、早急に増資して資本を増やす必要がある。
増資とは返さなくてよいお金である。企業ならば株式を発行して資金調達すればよい。(もちろん出資に応じてくれる人がいなければダメだが)

極端な例だが、純資産のマイナス分(▲490兆4000億円)を増資したとする。
その分の借金が減らせるわけではない。
増資された資金で事業を軌道に乗せて借金を減らせるように何か資産を手に入れる。

資産合計 1143兆1000億円(増資した資本490兆4000億円で資産を購入から)
(右側・負債と純資産)
負債合計 1143兆1000億円
純資産 0円(490兆4000億円増資されたから)

これで左右のバランスがとれるというわけ。
投資されたのだから今後企業は頑張って成果(利益)を上げなければならない。

大幅に債務超過している、それも久しく、そんな国を信頼して相も変わらずお金を貸し付けるところがあるなんて普通に考えれば信じられない。
債務超過を防ぐには増資が必要。
国家で言えば、返済がいらない資本は税金ということになる。国債は返済が必要。
日本国が大丈夫な状態と言うならば、490兆4000億円に近い増資がなされて、資産が負債と同じ1143兆1000億円にならなければならない。
そこまで急に極端に増資しなくてもせめて新たに借金をせずに確実に借金を返して負債を減らしていくという方法もなくはないが、借金が止められない、止められないのに破産しない、このことが全ての理論の破綻を表している。


優秀であるはずの世界は何故この状態を見逃してるのだろうか?
みながみな負の連鎖でがっちり繋がっているから見逃すしかないということだろうか。






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# by yumimi61 | 2018-02-09 13:32
2018年 02月 08日
日本国憲法の秘密-666- (外貨準備と貿易について)
2016年末現在の世界の銀行の総資産額順位上位20位のうち、フランス本拠の銀行は4行、中国4行、アメリカ4行、日本4行。この4か国で20銀行の16行を占めてしまう。次点がイギリスの2行で、残り2つがドイツとスペインである。

銀行の「総資産額」は曲者である。
紙幣を増やせば国の経済規模が大きくなるのは当然であるということを先に述べたが、「総資産額が大きい」というのはそれと似ている。

銀行が預かっているものは金貨ではなく価値の裏付けのない紙幣(かつての預かり証)である。
預かった側が預かった紙幣を利用して事業を行えば、それはもう借金と変わらない。

企業の出資金や株式というのは返す必要のない資金である。自己資本。
企業はこれを基に事業を展開していく。
自己資本と利益でやっていけるならばあえて借金する必要はない。(でも株式会社の場合、株主に利益を持っていかれてしまう)
事業を運営していく中で、あるいは事業を大きくしていく上で、出資金や株式とは別に資金を融資してもらうことがある。これは返す必要のあるお金である。

銀行にも自己資本がある。
しかし銀行は事業の特性からして自己資金だけでは商売は成り立たない。
事業を始めたと同時に借金する必要がある。その借金とは他でもない「顧客の預金」である。いつでも、あるいは時期が来たら、きっちり返さなければならないお金。

借りたお金に利子を付けて返すのだから(日本では今現在預金にほとんど利子は付かないが)、借りた額よりもお金が必要となる。
銀行は借りたお金を返すまでに、返す額にプラスして利益を上げなければならない。それは要するに借りたお金を高い利子を付けて又貸しするということである。
ごくごく簡単に言えば、貸し出し時の利子-借りた時の利子=銀行の利益、となる。(貸したお金が全部返ってくることを前提とする)

「総資産額」というのは、バランスシートの右側のこと(=左側でもあるが)。
バランスシートの右側は、負債(借金)+純資産(自己資本や利益など)である。
銀行の総資産額が大きいと言った場合、通常は負債(借金)が大きいことを意味する。銀行の場合、事業上これを預金とも言っている。
世の中の預金額と現金流通額のパーセンテージが大きく変わらなければ(社会構造が大きく変わらなければ)、中央銀行が紙幣を沢山発行するほど預金額(銀行の借金)も増える。
つまり総資産額の大きな銀行の多い、日本、中国、アメリカ、フランスの4国は紙幣が沢山発行されていて預金額が大きいということになる。
さらに国民に多様性が欠けていて、同一なもの(大手銀行)を好む傾向なども影響しているだろうか。


日本の場合、紙幣は国債と引き換えに日本銀行が発行してきた。
発行した紙幣は負債に計上され(バランスシート右)、国債が資産(バランスシート左)となる。
日銀保有の国債の満期が来て国から返済が行われたら、左側の資産から国債を減らす。同時にその分の右側の負債から同じ額が消える。利子は日銀の利益。
口座で考えてみると、政府の通帳から国債満期返済額が引かれ、日本銀行の口座に国債満期分の金額が振り込まれることになる。
この金額は現生であるならば処分されるべき紙幣にあたるので、コンピューターシステム上にも乗せておいてはいけない。この世から消し去らなければならない額である。
でも日本政府は毎年返済する額以上の国債を発行し続けているので、現実的には紙幣は増え続けている。


紙幣は日本銀行においても負債。(元は国家の負債)
市中の商業銀行に預けられた紙幣(預金)も銀行にとっては負債。
預金を又貸しして利益を上げるのが銀行の仕事なので、預金が大きいということは沢山貸し出す必要があるということになる。
要するに銀行は社会の中の負債額や負債を抱えた人を増やさなければならない。債務者は企業や個人である。
まさに負の連鎖。
国家・中央銀行・市中銀行・企業や個人が負債によって繋がっているという現状。

負債で溢れた社会、言い換えると紙幣が溢れた社会。
世の中に紙幣が溢れて問題になるのはインフレ。(紙幣過多は最終的にはエネルギーや食糧問題に通じる)
さらに銀行の預金額が多いからといって企業や個人といった末端の債務者、特に信用の低い債務者を増やすと銀行のリスクは大きくなる。
世界金融危機を引き起こしたアメリカのサブプライムローンは信用の低い債務者を増やしたことによる。
負は連鎖しているのだから最終的には国家の危機にも通じる。
インフレや連鎖危機を防ぐためには、紙幣を増やしても末端になるべくお金を回さずに、且つ末端の信用低い者たちに安易にお金を貸さないことが大事と考えるはず。これを実行すれば格差社会が到来する。


紙幣増発や格差社会でとりあえず国家の危機を凌げるとしても、どうにもならなくなるのが対外債務と貿易に使う外貨調達である。
この問題を解消する手段の1つがユーロ圏のような経済通貨同盟。貿易で関係深い国が共通の通貨を導入してしまえば外貨の問題は解消される。
翻ればヨーロッパは貿易と外貨調達に問題を抱えていた国が多かったということではないだろうか。













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# by yumimi61 | 2018-02-08 16:16
2018年 02月 08日
sometime
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どこからか来た風がどこかに流れていくように
いつかって未来だけではなく過去でもあったりするわけで



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# by yumimi61 | 2018-02-08 00:48
2018年 02月 06日
日本国憲法の秘密-665- (外貨準備と貿易について)
Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)銀行家、トスカーナ大公(現:イタリア)の領事

彼はゴールドシュミット家がフランクフルトに戻ってきていた時代の主要人物である。
Bischoffsheim, Goldschmidt & Cie bank(ビショフスハイム・ゴールドシュミット銀行)の創業者。

ファミリーはマインツのおなじユダヤ系のビショフスハイム家と特に深く関係していた。ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行は共同で管理され、1863年にオランダ貯蓄信用銀行との最終的な合併につながった。近年ではゴールドスミス・ファミリーとしてロスチャイルド・ファミリーとの関係も深まっている。ビショフサイム家も同様で、ロスチャイルド家と姻戚関係である。

ビショフスハイムはドイツの地名でもあり、上記のように家名でもある。
ビショフスハイム家はやはり銀行業で成功を収めたドイツ×ベルギー出身のユダヤ系一家であるが、元々は軍事請負業者であった。
ビショフスハイム家とゴールドシュミット家が共同で銀行を創業し管理していたが、1863年にオランダ貯蓄信用銀行と合併をしている。

もういちどその近辺の歴史を振り返っておこう。

銀行券の原形となった金匠手形(ゴールドスミス・ノート)を発行していたゴールドシュミット家が1614年のフェットミルヒの反乱(ユダヤ人迫害事件)の後にフランクフルトを離れる。
1694年、イングランド銀行(イギリスの中央銀行)設立。銀行券発行。割引手形で世界屈指の金融市場となる。
1714年、イギリス王室がドイツ起源に取って代わった。
(1700年代にゴールドシュミット家がフランクフルトに戻る)
1769年、フランクフルトのロスチャイルドがヘッセン=カッセル方伯宮廷御用商に任じられる。
1816年、ナポリ王国とシチリア王国とが合併両シチリア王国となる。
1821年、オーストリアがナポリを占領し、ロスチャイルド家の4男がナポリ家を創設。
1822年、ロスチャイルド家の5人の息子にオーストリア皇帝から爵位授与。


ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行は共同で管理され、1863年にオランダ貯蓄信用銀行との最終的な合併につながった
オランダ貯蓄信用銀行は1863年にアムステルダム(オランダ)で設立された銀行であるが、1609年に設立されたアムステルダム銀行(移転・預金銀行)の後継銀行である。
アムステルダム銀行では当然まだ紙幣ではなく金貨(フロリン→ギルダー)を扱っていた。
フロリン
1252年に初めてイタリアのフィレンツェでフローリン金貨 (fiorino d'oro) の鋳造が開始され、ヨーロッパ中に流通することになったが、その技術力を買われて、オランダやドイツ諸侯国、ポーランドなど複数の国の金貨がフィレンツェで鋳造され、これが、fl. あるいは ƒ であらわされることになった。
オランダでは後にギルダーと呼ばれるようになりオランダの通貨となった。
後に紙幣も誕生したギルダーはユーロ導入までオランダの法定通貨となっていた。

オランダ(ネーデルラント)はかつて神聖ローマ帝国(カトリック支配地域)(現:ドイツ)の支配下にあった。
しかしながら反乱が勃発。要するにカトリックとの戦いということになる。ということでカトリック国であるスペインとも戦争をしていた。
その過程で共和国という形態を確立していった。
1602年、東インド会社(オランダ東インド会社)を設立してアジアに進出し、スペインと同じくカトリック国であるポルトガルから香料貿易を奪取して海の覇権を握った。
このため貿易の富がアムステルダムに流入して、17世紀のオランダは黄金時代を迎えることとなる。
日本において江戸時代が始まったのが1603年であり、それはちょうどオランダの黄金時代と重なる。
そんなこんなでオランダから日本に持ち込まれたヨーロッパの学問「蘭学」が江戸時代には盛んになった。

アムステルダム銀行が設立された1609年は、オランダとスペインが12年停戦協定を結んだ年である。
停戦が1621年に終わると、オランダの独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込み三十年戦争にもつれ込んだ。それが終結したのは1648年。80年に亘る戦争の末、オランダは独立を勝ち取った。

絶好調だったオランダ東インド会社は、アジアだけでなくアメリカにも植民地を築いた。
オランダ東インド会社の実力がイギリス東インド会社を上回り、各地の植民地でイギリス東インド会社と衝突、イギリスを撤退に追いやる結果となりイギリスでは反オランダ感情が高まった。
こうしてイギリスとオランダは17世紀後半に3次にわたる英蘭戦争を行うこととなる。
この戦争によってオランダは次第に勢いを失い、イギリスより劣勢に立つことになる。
18世紀にはそのイギリスと組んでスペインと再び戦火を交えることとなる。
さらにアメリカ独立戦争でアメリカを援助したことから、再びイギリスとも戦争を行う(第4次英蘭戦争、1780-1784年)。
オランダの国力は疲弊し制海権も完全に失った。
度重なる戦争による債務と貿易による利益を失ったことからアムステルダム銀行も厳しい状況に追い込まれつつあった。
そしてとうとう1824年には、イングランド銀行をモデルとして組織された銀行に取って代わることになる。



1609年、アムステルダム銀行設立
 ↓ ※1694年イングランド銀行(イギリスの中央銀行)設立
1824年、イングランド銀行をモデルとして組織に改組(オランダ銀行)
 ↓
1863年、オランダ貯蓄信用銀行設立(ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行と合併)
設立時にパリ(フランス)に支店設置、1870年にブリュッセル(ベルギー)・アントワープ(ベルギー)・ジュネーブ(スイス)に支店設立。
 ↓
1872年、パリ銀行と合併しパリオランダ銀行(後のパリバ)となる。
※パリ銀行も富豪らが創立した銀行。ロスチャイルド・パリ家とも親密。
 ↓
2000年、パリバとパリ国立銀行(BNP)が合併してBNPパリバとなる。

BNPパリバ銀行は、2014年現在、欧州銀行同盟において総資産が首位のメガバンクである。
2位のクレディ・アグリコル、3位のドイツ銀行、4位のソシエテ・ジェネラルを総資産で上回る。本社はパリ9区イタリアン大通り16番地 (16 Boulevard des Italiens)。


●経済通貨同盟
共通の通貨が導入されている単一市場のこと。ユーロ圏がこれにあたる。
ユーロ圏は基本的にはEU域圏であるが、EU加盟国と完全には一致していない。
ユーロを導入しておらず通貨がポンドであるイギリスはユーロ圏には含まれない(EUも離脱が決まっているが)。

●欧州中央銀行(ECB)
ユーロ圏19か国の金融政策を担う中央銀行。世界でも重要な位置づけをされている。
欧州中央銀行は1998年6月1日に設立され、本店をドイツのフランクフルトに置く。

(総裁)元オランダ銀行総裁→元フランス銀行総裁→元イタリア銀行総裁

●欧州中央銀行制度
欧州中央銀行と欧州連合加盟の全27か国の中央銀行で構成される、欧州連合の金融政策を担う枠組み。
欧州連合加盟国はそのすべてがユーロを導入しているわけではないため、欧州中央銀行制度はユーロ圏における通貨政策を担うというものではない。このためユーロを導入していない加盟国の中央銀行がその体制から除かれるユーロシステムが本来欧州中央銀行制度が担うべき通貨政策を運営している。


●欧州銀行同盟
2012年6月のEU首脳会議(欧州理事会)において創設された銀行の監督・規制を 一元化する枠組みのことで、単一監督メカニズム( SSM )、単一破綻処理メカニズム( SRM )、預金保険制度( DGS )の3つの柱からなり、ユーロ圏18カ国の約6,000の銀行 を対象としているが、ユーロ未導入国であっても、希望すれば同盟への参加は可能である。
EU域内において、それまで加盟国それぞれの政府や中央銀行が別々に担ってきた銀行機能を、ユー ロ圏の将来の金融危機に備えるために一元化するための同盟。
2014年11月に銀行の監督、2016年1月に銀行の破綻処理の一元化は合意が見られ各制度はスタートしているが、3つ目の柱の預金保険制度においてはドイツや北欧諸国が反対しており創設が遅れている。
銀行の監督に関しては、欧州中央銀行(ECB)が資産規模の大きな150〜200程度の銀行経営を直接監督。中小銀行については各国の監督機関が引き続き担当するが、経営に問題が生じた場合はECBが監督に乗り出す。これにより事実上、ユーロ圏内にある全6000銀行について、ECBが最終責任を負うことになる。

ヨーロッパの金融危機の根本的解決には、銀行同盟と並んで、国別となっている予算を共通化し、ユーロ共通債を発行するなどの「財政統合」が必要との指摘が国際通貨基金(IMF)などから出ているものの、その取組みは銀行同盟よりもさらに遅れている。
銀行同盟の預金保険制度もそうだが、ドイツの負担が大きくなることが予想される。


上記の欧州銀行同盟の中で総資産額1位のメガバンクがBNPパリバ銀行(フランス)である。

欧州銀行同盟の総資産額上位4銀行。右側の⑧などの数字は2016年末現在の世界の銀行の総資産額順位。
1.BNPパリバ銀行(フランス) ⑧
2.クレディ・アグリコル(フランス)⑪
3.ドイツ銀行(ドイツ) ⑮
4.ソシエテ・ジェネラル(フランス)⑱

①~④ 中国の銀行
⑤三菱UFJ(日本)
⑥JPモルガンチェース(アメリカ)
⑦HSBC(イギリス)
⑨バンクオブアメリカ(アメリカ)
⑩ウェルズ・ファーゴ(アメリカ)
⑫ゆうちょ(日本)
⑬シティグループ(アメリカ)
⑭みずほ(日本)
⑮三井住友(日本)
⑰バークレイ(イギリス)
⑲ サンタンデール(スペイン)
⑳BPCEグループ(フランス)

ユーロ圏と言うと真っ先に思い浮かぶのがドイツであろう。
欧州中央銀行も本店はドイツにあるし、組織もドイツ連邦銀行およびドイツの州立銀行をモデルにしていると言う。
ところがと言うかなんというか、銀行の総資産額を比較するとドイツより目立つのはフランスである。
総資産額上位20の銀行のうち、フランス本拠の銀行は4行、中国4行、アメリカ4行、日本4行。
この4か国で20銀行の16行を占めてしまう。次点がイギリスの2行で、残り2つがドイツとスペインである。

実は銀行の「総資産額」がなかなか曲者である。
ちなみに上記ランキングの銀行は商業銀行であり、中央銀行は含んでいない。
日本の中央銀行である日本銀行の最近の総資産額は膨張を続けていて、1位の中国工商銀行378兆円を軽く超えて500兆円の大台も突破した。
2012年2月に中国の中央銀行である中国人民銀行の総資産額が欧州中央銀行を抜き世界一になったという記事があったが、その時の中国人民銀行の総資産額は当時のレートで日本円に換算して約365兆円。
2011年末時点でアメリカの連邦準備制度理事会(FRB)が約244兆円、欧州中央銀行が約284兆円であった。
それらの中央銀行が今日までにどれくらい資産を増やしているか確認していないが、とりあえず日銀の500兆円超えがいかに多いかということは分かる。




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# by yumimi61 | 2018-02-06 14:34
2018年 02月 05日
日本国憲法の秘密-664- (外貨準備と貿易について)
ゴールドシュミット家は17世紀にフランクフルトのユダヤ人ゲットーを離れるも18世紀に戻っている。

フランクフルトに戻ってきていた時代のゴールドシュミット家の主要人物が前記事にも書いた次の親子である。

Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)銀行家、トスカーナ大公(現:イタリア)の領事

<彼の息子>
・Leopold Benedict Goldschmidt/レオポルド・ベネディクト・ゴールドシュミット (1830–1904)
・Adolphe Benedikt Hayum Goldschmidt/アドルフ・ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1838–1918)
 ドイツのフランクフルト→フランスのパリ→イギリスのロンドン
・Maximilian Goldschmidt-Rothschild/マクシミリアン・ゴールドシュミット=ロスチャイルド(1843–1940)
 ドイツのフランクフルト→ドイツのベルリン 1878年ロスチャイルド家(ナポリ家)と婚姻関係を結んだ。

息子らは19世紀終盤(1893年)にフランクフルトの銀行を閉じてフランクフルトを再び離れた。

ロスチャイルドの5人の息子は5か国に散らばって事業を展開した。
フランクフルト(ドイツ)、ウィーン(オーストリア)、ロンドン(イギリス)、ナポリ(イタリア)、パリ(フランス)。
一族の発祥の地となるフランクフルトは父の遺訓に従って長男が継承した。いわばフランクフルト(ドイツ)がロスチャイルド家の本拠地である。
しかしながらのそフランクフルト家(ドイツ)と、一族が爵位を得たきっかけとなるナポリ家(イタリア)は1901年に閉鎖に至る。
何故かというとフランクフルト家(ドイツ)に後継ぎとなるべく男子が生まれなかったからである。ナポリ家(イタリア)から2人養子を取ったが、その養子にも男子が生まれず1901年に亡くなった。それ以上養子などの策を打たず途絶えてしまった。
フランクフルト家(ドイツ)とナポリ家(イタリア)、ロスチャイルド家の伝統を築くに相応しい家が途絶えた。
後継の問題があったことは確かであろうが、同時にフランクフルト(ドイツ)での事業が上手くいかなくなってきたのではないだろうか。

ゴールドシュミット家がフランクフルトを離れたのが1893年。
ロスチャイルド・フランクフルト家を閉鎖したのが1901年。

要するにこの頃よりドイツはいわゆる国際金融資本に依拠しない発展を遂げていたと考えられる。
そして1914‐1918年の第一次世界大戦へと繋がっていく。
この頃のドイツと積極的に取引を行っていた日本の財閥は住友財閥。

ドイツは第一次世界大戦の敗北と世界恐慌によってナチス政権に主導権を握られることになった。
第一次世界大戦におけるドイツの敗因は、軍事的作戦による失敗ではないとする「背後の一突き」論がある。
現に戦争そのものはそれほど劣勢ではなかった。しかし戦争遂行反対論によって革命が扇動された。
一突きした側に入るのは、革命を扇動していた共産主義者、革命後に政権を主導した社会民主党らということになるが、ここにユダヤ人も含まれる。このユダヤ人とは国際金融資本のことなんだろうと思う。
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# by yumimi61 | 2018-02-05 16:07
2018年 02月 04日
日本国憲法の秘密-663- (外貨準備と貿易について)
銀行券の原形となった金匠手形(ゴールドスミス・ノート)。
金匠を代表するのがゴールドシュミット家。ドイツ出身のユダヤ家系。
一家の起源は14世紀。
フランクフルトのユダヤ人ゲットーに暮らしていた。

1400年代(15世紀中頃)のドイツでは教会が腐敗し、教会も皇帝も権威が失墜しかかっていた。
そんな状況の中、イスラム国であるオスマン帝国などが進出の機会を狙っていた。
ドイツやカトリック側から見れば、イスラムやユダヤへの敵対心が非常に高まった時代である。
16世紀は宗教改革の時代。
改革派プロテスタントの誕生、カトリックの危機、蓄財肯定による結びつき(ユグノーとスイスの反カトリック→カルヴァン派・スイス金融立国→長老派)、改革派並びにカトリックの世界進出戦略(アメリカやアジアなど)など、世界は激動の時代を迎えていた。

ユグノーの資本によってイギリスにイングランド銀行(中央銀行)が誕生したのは17世紀終盤だった(1694年)。
ユグノーはイングランド銀行にセファルディムのユダヤ人を参加させるようになり、有力株主の多くはユダヤ人であった。

その時代にイギリスでも大きな変化があった。
1714年、イギリスはドイツ起源の王朝に取って代わった。
ドイツのヴェルフ家の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系で、1692年に成立したハノーファー公国(選帝侯国、後に王国)の君主の家系であった。
何故にドイツ起源の王朝になったかと言えば、カトリック信仰の王が嫌われ、プロテスタント信仰の王が選ばれたからである。
現在のイギリス王室もこの流れを汲む家系である。


ゴールドシュミット家は17世紀にフランクフルトのユダヤ人ゲットーを離れるも18世紀に戻っている。
B・H・ゴールドシュミット銀行の創業者であるベネディクト・ハイム・ゴールドシュミットはフランクフルト生まれ。
この頃、ゴールドシュミット家はヨーロッパで最も裕福な一家となっていた。
ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミットが亡くなった後、その財産を相続した息子は1893年にフランクフルトの銀行を閉じて、フランクフルトを離れた。

Benedikt Hayum Goldschmidt/ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット(1798–1873)
銀行家、トスカーナ大公(現:イタリア)の領事

<彼の息子>
・Leopold Benedict Goldschmidt/レオポルド・ベネディクト・ゴールドシュミット (1830–1904)

・Adolphe Benedikt Hayum Goldschmidt/アドルフ・ベネディクト・ハイム・ゴールドシュミット (1838–1918)
 ドイツのフランクフルト→フランスのパリ→イギリスのロンドン

・Maximilian Goldschmidt-Rothschild/マクシミリアン・ゴールドシュミット=ロスチャイルド(1843–1940)
 ドイツのフランクフルト→ドイツのベルリン
 ロスチャイルド家と婚姻関係を結んだ。



ロスチャイルド家もフランクフルトゲットーで暮らしていた一家。
ロスチャイルド財閥の祖となったのはマイアー・ロートシルト(1744-1812年)は1760年代にフランクフルトで古銭商を始め、1769年には宮廷御用商に任じられ後世に続く成功の土台を作った。彼の息子が5か国に散らばって事業を展開していった。

ロスチャイルドが御用商となった宮廷の主はヘッセン=カッセル方伯。
領内の若者を傭兵として鍛え上げ、植民地戦争の兵員を求めるイギリスに貸し出す傭兵業を営んでおり、その傭兵業の儲けでこちらもヨーロッパ随一の金持ちになっていた。


ロスチャイルドが台頭してきたのは、カトリックとプロテスタントの対立(宗教改革)に端を発する貴族の勢力争いである。
オーストリアやチェコスロバキアの辺りを中心に広大な領地を支配していたハプスブルク家(神聖ローマ帝国君主家でありカトリックの盟主)は、北や西側のドイツの小中領邦をも統一して大ドイツ帝国の実現を目指していた。
このハプスブルク家に対抗してドイツ周辺の王族を統一し新王国の建設を企てたのがヘッセン家という貴族。
ヘッセン家はドイツ中部に領地を持っていた。
ハノーヴァーやプロイセン、ザクセン・ヴァイマール、バイエルンなどを統一し、プロテスタントのルター派やカルヴァン派(スイス・蓄財は悪ではない派)と繋がる君主を立て、絶対王政を敷こうとしていた。
ロスチャイルドは元々はヘッセン家の金庫番であった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)

■諜報活動担当(通信・郵便):タクシス家 ・・当主としてヨーロッパ一の地主。モナコの産業を支配下に置く。ベルギーが本拠地。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。
■資金担当:ロスチャイルド家
(全てがハプスブルク家とヘッセン家どちらの勢力にも加担していた。 vsオスマン帝国(イスラム)という戦いもあったゆえ)


マクシミリアン・ゴールドシュミットの妻となったのは、ロスチャイルド5人の息子の4男カール(ナポリ家の祖)の息子の娘。
ナポリ王国とシチリア王国とが合併して1816年に両シチリア王国となっていたが、1821年にオーストリアがナポリを占領し、それを機にナポリに進出した。
前に書いた通り、この辺りは古くから東西交易の中心となっていた地で非常に早くから両替商が存在していて手形発祥の地でもある。但しイスラム教の影響も強く利子(割引手形)の導入はなかなかスムーズにはいかなかったという土地柄である。それが普及したのはイギリスにおいてだった。

ロスチャイルドのナポリ家の祖・カール
カールはしばしば5人兄弟のうちで最も出来が悪かったと見られているが、ナポリにおける彼の働きは優秀な金融業者であることを示している。また、ビジネス上の重要なコネクションを作ることにも秀でており、ルイージ・デ・メディチ蔵相との良好な関係を作り上げていた。ロスチャイルド家の銀行をナポリにおける主要行としたカールの成功で、ロスチャイルド家は英国および他のヨーロッパ主要3カ国における存在感を出し、一族は大きな影響力を持つこととなった。
1822年にカールと4人の兄弟はオーストリア皇帝フランツ1世から男爵に叙せられた。


ロスチャイルド家が爵位を授かり貴族となり「ロスチャイルド家」になったのは実はその1822年のことなのだ。
その地位を与えた皇帝はカトリック教皇とハプスブルク家を後ろ盾に持つカトリック信仰者である。

プロテスタントのヘッセン家の金庫番で成功したロスチャイルドはカトリックを後ろ盾にした皇帝より爵位を授与されたということになる。
そのロスチャイルド家と世界中の銀行券の祖となったゴールドシュミット家が婚姻関係で結ばれた。
お金で結ばれた巨大な勢力である。
お金が他所に逃げないようにか、一族間の婚姻も非常に多い。









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# by yumimi61 | 2018-02-04 17:05
2018年 02月 02日
日本国憲法の秘密-662- (外貨準備と貿易について)
離散したユダヤ人
セファルディム(アジア系・中東系・東洋系・オリエンタル系ユダヤ人などと言われている)
スペインやポルトガルなどイベリア半島に移住(イスラム支配時代)→(イベリアがカトリックに奪還される)→地中海近辺の南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住、少数はオランダやイギリスに移住
アシュケナジム(白人系ユダヤ人と言われている)
ドイツ語圏や東欧諸国に移住した

※後世においては、セファルディムとアシュケナジムのユダヤ人同士対立もみられる。


ユダヤ人はカトリックとの相性が悪かった。イスラム教徒とは共存できていた。
ドイツのアシュケナジムのユダヤ人もカトリック教徒に襲撃され、ユダヤ人が壊滅状態となるような歴史も残っている。

ドイツ(民族大移動のゲルマン人)はカトリック教皇のお墨付きによって皇帝を立て国を形成し発展した。カトリックもまた移動してきたゲルマン人によって確固たる権威を築くことができた。
ゲルマン人(皇帝)とカトリック(教皇)は持ちつ持たれつの関係であったということになる。
そのような環境にあったが、1400年代(15世紀中頃)のドイツでは教会が腐敗し、教会も皇帝も権威が失墜しかかっていた。
そんな状況の中、イスラム国であるオスマン帝国などが進出の機会を狙っていた。
ドイツやカトリック側から見れば、イスラムやユダヤへの敵対心が非常に高まった時代である。
イスラムはともかく、ユダヤ人は例え憎くてもその経済力が国(地域)の運営に不可欠であり追い出すことが出来ない。
追い出したいけれど追い出せない、それが積極的な隔離(ゲットー)という手段に向かっていった。
その隔離を逆差別に感じる人もいた。ユダヤ人だけ特別扱いでずるい、いわゆる嫉妬というやつである。
また「不可欠であるユダヤ人の経済力」という認識の恩恵に与ろうと他所からユダヤ人ゲットーに(自称?)ユダヤ人移民が流入した。
多くの移民が流れてくるとゲットー周辺では治安や衛生状態に問題が生じ、ユダヤ人はカトリック教徒から増々嫌われ反ユダヤ主義が強まっていく。

こうした時代を経て16世紀に宗教改革が起こった。宗教改革を先導したのはやはりドイツだったのだ。
改革によってプロテスタントのキリスト教が生まれる。
カトリック教会はいよいよピンチとなる。
この時に蓄財は良いこと(蓄財するものが神に選ばれし者)のカルヴァン派も生まれ、スイスの金融立国を経て、長老派となる。
これら改革派(プロテスタント)はアメリカにも進出した。
このピンチの時代にカトリックで結成されたのがイエズス会である。そしてカトリックもまた世界進出という策に舵を切った。
イエズス会は1534年にフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1549年にはザビエルが極東アジアの日本にもキリスト教(カトリック)を伝えた。





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# by yumimi61 | 2018-02-02 14:49
2018年 02月 01日
日本国憲法の秘密-661- (外貨準備と貿易について)
まだ紙のお金(紙幣)が存在しなかった時代。
目利きであり立派な金庫を持っていた金匠や両替商は保管料を徴取して、それらのお金(金銀鋳貨)を預かるビジネスを思いついた。ここから紙幣や小切手の原形が生まれた。
この形態が一番早く普及したのはイギリスである。1600年代17世紀のこと。
ヨーロッパ本土では利子を禁じているイスラム教の影響も少なくなく、割引手形の導入もなかなかスムーズにいかなかったが、離島という地の利もあったのか割引手形が真っ先に普及したのもイギリスであった。

この手形割引が1694年に設立されたイングランド銀行(イギリスの中央銀行)の収益の大きな柱となっていく。
そしてやがて手形割引市場を主軸とする短期金融市場がロンドン市場を世界屈指の金融市場へと押し上げることになった。

金匠が発行していた預かり証(金匠手形)はゴールドスミス・ノートと言われる。
ゴールドスミス・ノート
17世紀のイギリスで金匠によって用いられていた約束手形。これが銀行券の始まりとされている。
当初は金匠が金を受け取って、それと引き換えに同等の金といつでも引き換えるという証書であった。当初はこの預り証が譲渡される場合には誰某にその権利を譲渡すると裏書きされていたものの、後に裏書をされないで流通されるようになっていき、これが現金通貨の代わりを果たすようになっていった。

当初は金匠の側に預り証と同額の金が準備されていたものの、後には預かっている金の貸し出しをするようになっていった事から発行している預り証の総額よりも保管している金の総額の方が少なくなっていき、金匠は保管業者から銀行業者へと変わっていった。後に金匠の信用が高まるにつれて、金匠は自己の責任において金の取引が行われていないのに預り証を発行するようになっていき、預り証は銀行券の原初形態となっていった。
後にイングランド銀行が発行した銀行券は、このゴールドスミス・ノートを倣ったものであった。



「金匠」を英語で言うと'Goldsmith'(ゴールドスミス)。
鍛冶屋の中で特に金および貴金属の加工・細工に関する仕事に従事する金細工職人のことを金匠(Goldsmith)と言った。
中世ヨーロッパでこの職人らはギルドと呼ばれる組合組織を結成していた。現代の労働組合のイメージとは違って非常にお金持ちな組織である。
ゴールドスミスをドイツ語で言うと、'Goldschmidt'(ゴールドシュミット)となる。

その職の代表格がゴールドシュミット家。家名が職名になったのか、それとも職名がそのまま家名になったのか分からぬが、彼らはドイツ出身のユダヤ人家系である。

ゴールドシュミット家(Goldschmidt family)
金融業の著名な門閥であり、もともとはフランクフルトのユダヤ系ドイツ人の家系のゴルトシュミット(Goldschmidt Haus)であった。
起源は14世紀にさかのぼり、ほとんどのメンバーは1614年のフェットミルヒの反乱の後にフランクフルトを離れている。そして、18世紀まで戻ることはなかった。

ファミリーはマインツのおなじユダヤ系のビショフスハイム家と特に深く関係していた。ビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行は共同で管理され、1863年にオランダ貯蓄信用銀行との最終的な合併につながった。近年ではゴールドスミス・ファミリーとしてロスチャイルド・ファミリーとの関係も深まっている。ビショフサイム家も同様で、ロスチャイルド家と姻戚関係である。

なお、ビショフサイム家はカモンド家とも姻戚関係である。カモンド家もユダヤ系で現在のトルコ・イスタンブールを起源として、オスマン帝国において1863年に帝国銀行ができるまで御用銀行家であった。1870年にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の世襲会計係を創設した。この家は二度の大戦により断絶している。しかし、ビショフスハイム家・ゴールドシュミット家・ロスチャイルド家は健在である。



金匠、手形、ドイツ出身のユダヤ人家系ゴールドシュミット家、イングランド銀行(イギリス中央銀行)は、深い関係があるということになる。
この繋がりに大きく関与しているのがフランスであり、やがてイギリス・フランスどちらにも家を置くロスチャイルド家との関わりを深めていく。

イングランド銀行(イギリスの中央銀行)
1690年、同行成立以前から、フォンテーヌブローの勅令でフランスから流れたユグノー資本が英国債の売れ行きに貢献していた。4年後に創立したとき、世界は大同盟戦争とウィリアム王戦争、そしてザームエル・オッペンハイマーの活躍する大トルコ戦争のさなかにあり、同行は政府への貸付を主要な業務とする商業銀行であった。多くのユグノーが毎年の選挙で理事となった。
同行は政府を通してイギリス東インド会社・ハドソン湾会社などへも貸付を行っていた。ユグノー出身で6代目総裁のジェームズ・バトマン(James Bateman)はロンドン市長と南海会社副社長を務めた


ユグノーとイギリス政府、ロンドン市との強い繋がり。

ユグノー
ユグノー(フランス語: Huguenot)は、フランスにおける改革派教会(カルヴァン主義)またはカルヴァン派。フランス絶対王政の形成維持と崩壊の両方に活躍し、迫害された者は列強各国へ逃れて亡命先の経済を著しく発展させた。その活躍は、まずとびぬけてイギリスでみられたが、ドイツでは順当な規模であった。

ユグノーとはつまりカルヴァン派である。
カルヴァン派はスイスを経由して長老派となった。
カルヴァン派については前に記述した。

キリスト教(カトリック)は個人の蓄財を悪しきこととして認めていない。お金持ちは救済されない。天国へ行けない。そんなにお金があるならば教会に寄付しなさいと言うわけである。(そんなカトリック教会は当時腐敗していた)
ところが宗教改革で蓄財は良いことと言った人物がいた。
フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンである。
物事を比較する時には基準がないといけない。
基準もなく神に選ばれし人物かは分からないではないか。基準はお金である。お金が貯まる人は神の恩恵を受けている人であるから神に選ばれた人なのだと説いた。
お金や蓄財は悪である、欲にまみれている、汚い、人間を堕落させる、そう教えられ思い込んできたのに、そうではないと言う。
人々は神の救済を願い、また選ばれた人になりたいがためにお金を貯めるようになった。
目的は物を買うためではない。だから貯めたお金は出て行かない。
こうしてヨーロッパには銀行が続々誕生しお金が集まり資本となった。

銀行がお金を貸すのは王族や皇帝である。戦争なんかすると莫大な費用がかかる。貸し付ける額が違う。
大金を貸すからには土地や建物など担保をとっておく。返せなければ金貸しに渡るということ。
金融家の中には貴族の称号をもらった者もいた。(黒い貴族などと呼ばれる)
当時は貿易の要であったヴェネチアに本部を置く銀行が多く、ここで育った金融家がこぞってスイスに移ってスイスは金融立国となった。
カトリック教会や王族・皇帝が保有していた権威や権力や不動産をお金で絡め取った。
(思想や信条ではなく金融業で成り立っているのでその利害によってOKにもNOにもなる)

●カトリック
●プロテスタント(福音派・キリスト原理主義))⇔リベラル派
   ルター(ドイツ) ・・・ルター派(ルーテル教会)
   フルドリッヒ・ツヴィングリ(スイス) ・・・戦死。一応後継指導者がいたが勢いは失った。
                                           ↑呼びかけ ・・・カルヴァン派(長老派教会)
                                     カルヴァン(フランス→スイス) 


ツヴィングリが生きている時(1484-1531)には戦争をするほど反カトリックであったが、後に蓄財を橋渡しに融和した。カルヴァン派(長老派教会)はそれほど反カトリックではないということだ。宗教的な繋がりよりも金銭的な繋がりが強くなっている。利害によってOKにもNOにもなる。そうとなれば反カトリックが隠れ蓑にもなる。

(イングランド銀行の続き)
1701年の株主は1903人であったが、このうち107人が総裁の資格たる4000ポンド以上の株式を保有していた。その107人は、創立時の出資者を多数ふくむ。ユグノーはセファルディムを参加させるようになった。筆頭はソロモン・デ・メディナ。総裁資格をもつ107人のうち、およそ9分の1がユダヤ人であった。

セファルディムとは中世にイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に住んでいたユダヤ人の子孫を指す。
イスラエル・パレスチナから離散したユダヤ人の内、スペイン・ポルトガルなどに定住した人々をセファルディムと言い、ドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々をアシュケナジム(ヘブライ語でドイツを意味する)と言う。
これがユダヤ教社会の二大勢力である。
ともにヨーロッパ定住者であったわけだが、イスラエルや現代社会ではセファルディムがアジア人または中東系ユダヤ人(東洋系ユダヤ人・オリエンタル系ユダヤ人)、アシュケナジムが白人系ユダヤ人を指す語として区別されている。

イベリア半島は強力なカトリック圏であった。
そこもイスラム勢力に支配された時代があったが、1492年スペインでの大規模な排撃によってイベリアの最後のイスラム政権を滅ぼした。
この時にセファルディムと呼ばれるイベリア半島にいたユダヤ人の多くは地中海近辺の南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住を余儀なくされ、少数ながらオランダやイギリスに移り住んだ者もいて、今日に至っている。
この歴史から考えれば、セファルディム(ユダヤ人)はイスラム教とは上手く共存していたが、カトリックとは出来なかったということになる。
そのセファルディム(ユダヤ人)を、反カトリックを隠れ蓑にしていた可能性のある金銭的繋がりの強いユグノー(カルヴァン派)に支えられて始まったイングランド銀行が取りこんでいったことは興味深い。

後世において有名となったユダヤ人は白人系ユダヤ人が多かったせいか白人系ユダヤ人が優位に立っている観があるが、同時に聖書に出てくるユダヤ人に白人はいないとも考えられている。
また上記のように移動しているのでユダヤ人のルーツは本当のところよく分かっていない。近年では人種ではなくてユダヤ教という宗教集団であるという説が有力視されたり定義されている。


18世紀後半、将来ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの義父となるレヴィ・バレント・コーエンをふくむユダヤ人が、最初アムステルダムにいながら、やがてロンドンに定住するまで、東インド会社の破綻した事業を買収していた。

1800年8月から1816年8月までの各16ヵ年においては年平均60万ポンドの割引収入をあげて準備金を蓄え、イングランド銀行は1816年に金本位制を採用した。やがてロスチャイルドが台頭し、各国の外債発行とイングランド銀行の準備金補填に関わった。銀価格低下の時期にアルフレッド・ド・ロスチャイルドが理事を務め、大不況 (1873年-1896年)にあえぐ世界経済の梶をとった。

第一次世界大戦ではJPモルガンが戦時国債の独占代理人を務めた。1934-1935年、イングランド銀行は植民地の中央銀行設立に関わった。






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# by yumimi61 | 2018-02-01 14:37
2018年 01月 30日
日本国憲法の秘密-660- (外貨準備と貿易について)
仮想通貨の流出が問題になっているが、カソウツウカノリュウシュツというその言葉だけで脳の入出力電源をシャットダウンさせてしまう人も少なくないのではないかと思う。
仮想通貨で有名なのはbitcoin(ビットコイン)だと思うが、今回流出したのはNEM(ネム)という仮想通貨。
円とかドルとか法定通貨にもいろいろ種類があるように仮想通貨にも種類がある。
流出させたのは仮想通貨取引所の大手コインチェック。
コインチェックという会社(取引所)は売買手数料0円でビットコイン取扱高やユーザー数ナンバーワンを謳っていた。

仮想通貨という言葉が胡散臭さを纏っているが、仮想通貨は法定通貨とその時のレートにより交換できるものである。要するに仮想通貨は法定通貨を裏付けにしているので、全く枠に収まらない常識はずれな代物ではない。
このあたりのことはロッキード事件を書いている時にも触れた。小佐野賢治はハワイのホテルをお金を動かした形跡なく購入したという話の流れで。

現金(紙幣)を作れるのは中央銀行だけ。この権力は計り知れない。
政府も小金硬貨は作れる。(塵も積もれば山ですよ!まあその気になれば政府も紙幣を作れるのですが・・信用が足らないということなんでしょう)
昨今は電子マネーやビットコインが登場し、現金を作れるのは中央銀行だけではないとの認識を持つ人も増えているかもしれないが、電子マネーやビットコインの裏付けはやはり法定通貨(紙幣)である。
法定通貨を入金したり支払ったりして購入するマネーの裏付けは法定通貨であるということ。
ビットコインはマイニング(採掘)による取得も可能である。かな~り高度な演算問題を解けばビットコインを手に入れることができる。元々はそれで始まったもの。
但し上限が決められており無制限にコインを取得できるわけではなく、現状一般人に解くことはまず無理だろうと思う。
インターネット上の取引所でビットコインを法定通貨を用いて購入するという形式では裏付けが法定通貨にあるということになってしまうのだ。使い勝手に利点があっても根本の「裏付け」をひっくり返すものではない。

一番の問題で、多くの人々が見落としている問題、それは中央銀行が発行する法定通貨(紙幣)にも裏付けがないということ。
金や銀という正金を裏付けにしていた時代もあったが今はそれもない。(金や銀の裏付けは何かと言われれば答えに窮しますけれども)
裏付け・根拠のない「信用」だけで世界は回っている


仮想通貨よりよっぽどど裏付けがないのが実は法定通貨なのだ。

仮想という言葉が紛らわしいのだが、この仮想は紙幣とか硬貨とか目に見える現物が存在しないことに由来している。でも裏付けは存在する。
電子マネーも法定通貨を裏付けにしており現物が存在しないという点においては似たようなものではあるが、手元にあるカードだとか携帯やパソコンという個人所有の物を通して日々利用しているので仮想通貨より身近に感じやすい。
お財布ケータイという言葉があるが、お財布の中にお金を入れておくように、携帯やカードがお財布代わりでその中にお金が入っていると考えやすい。

個人が所有している仮想通貨も取引所に預けておいて出入金できるわけだが、その場合お財布というより銀行とか証券所のようなイメージである。
特に現在は投機が目的で売買・保管していることが多い。日々の買い物に利用するお財布ではないのだ。

仮想通貨が買える場所は取引所と販売所。(販売所は市場と顧客の仲介所みたいな所なので割高)
あとは個人的に言い値で売買することも出来るが、個人的にそういう人に巡り合うなり探すのは大変。
ともかく仮想通貨も法定通貨もコンピューターシステム上にある。
今回の仮想通貨が流出は、コインチェックという取引所(会社)から日本円で580億円分に相当するNEMという仮想通貨が出金されたということ。
入出金を扱っているのだから出金されることは別におかしなことではない。
でもその金額がいつもと違って異常に大きければ目立つだろう。次いで不正が疑われる。
要するに仮想通貨の流出とは、顧客や会社の意思に反して不正に引き出されたということなのだ。
今回の場合、それが顧客の資産にあたるものだったらしい。



仮想通貨で思い出すのはユーロである。
ユーロは元々仮想通貨だった。これも前に書いている
アイルランドの繁栄と衰退、アメリカITバブルの話の流れで。

アイルランドに暗雲が立ち込めたのはEUがユーロを導入した頃だ。
導入は1999年1月1日から。最初は決済用仮想通貨(電子通貨)として導入された。
つまり最初はユーロの現金は存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨となった。
アイルランドは他の10カ国と共に1999年のユーロ立ち上げ時から参加している。
御存知のとおり、ヨーロッパ主要国の1つでEU加盟国でもあるイギリスはユーロを導入していない。
EU加盟国は通常ユーロを導入しなければならないが、イギリスとデンマークは適用除外規定によってその義務が免除になっている。
イギリスがユーロ圏に入らなかったことで、俄然日の目を見たのがアイルランドだった。
何故かと言えばそうネイティブ英語だったから。
ユーロ発足に伴い、今度は金融機関が多数アイルランドに進出した。

1999〜2000年、アメリカ市場を中心にITバブルが起こった。
IT関連企業の株価が異常に高騰したのである。(バブルというのは基本しがない庶民には関係ないものです)
電子仮想通貨であるユーロが導入されたのと前後する1990年代終わり、コンピューターを用いた電子取引が実現したことによって、ハイテクで目新しいIT産業に投資家が傾倒したのである。


仮想通貨だったユーロは3年後の2002年1月1日に現金通貨となった。現物が誕生したのだ。
そしてこの時、ユーロ導入国では従来の自国通貨に代わり、ユーロが法定通貨となった。


ユーロ導入国とは基本的にEU加盟国である。
1国1国の独立性を弱めて結びついたヨーロッパの地域集合体。
人・物・資本の移動に関する障壁の多くを 取り払い、単一市場を形成している。ユーロ導入国では単一通貨ユーロを導入し、金融政策を欧州中央銀行に委ねている。
そのユーロは仮想通貨から始まった。
そうとなれば、この世界に仮想通貨から始まる集合体が新たに生まれても、仮想通貨がやがて現物になり法定通貨になっても何ら不思議はない。
新たに生まれた通貨を発行・管理するために新たに中央銀行が生まれる。
仮想通貨は世界の通貨事情を変える可能性を秘めている。
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# by yumimi61 | 2018-01-30 15:38
2018年 01月 28日
日本国憲法の秘密-659- (外貨準備と貿易について)
かつてのお金は金や銀そのもの、あるいは金貨や銀貨など鋳貨であり、紙幣なるものは存在していなかった。
前記事に現金輸送は危険を伴うと書いたが、それに加えて金銀鋳貨は重くて気軽に運搬できるものではなく、扱いや保管も難しい。
そこで目利きであり立派な金庫を持っていた金匠や両替商は保管料を徴取して、それらのお金(金銀鋳貨)を預かるビジネスを思いついた。
元々立派な金庫を持っていたほどの、つまりはお金持ちであるということで、そういう人ならば盗まれる心配もないだろうということで信用を得られた。
お金を持っている権力者や商人は金匠や両替商に預けて、それと引き換えに預かり証を受取った。
金貨が必要になった時には、その預かり証を呈示すればいつでも金貨を返してもらうことが出来るものである。
しかしながら、いつでも返却に応じてもらえるという安心感は却って停滞を生むし、預ける側も相当なお金持ちなので、一度預けたお金はそう簡単に引き出されることはなかった。
取引きの支払いにあてるために実際に引き出されるのは10~20%程度だったという。残りは常に金庫に眠ったままである。


取引きにおいては、金貨を預けていた支払う側が預かり証を金貨に換えた後に相手に支払う。
支払ってもらった相手が今度はその金貨を金匠や両替商に預けて、今度はその人が預かり証をもらう。
同一地域の取引きならば預ける先が同じであるということは珍しくなかった。つまり結局同じところにお金が保管されることになる。
だったら預かり証だけを動かしても同じではないかということになった。
こうして預かり証での支払いが一般的になっていく。

A金匠←(金貨)商人1
A金匠(金貨)→ (預かり証)商人1
A金匠(金貨)←(預かり証)商人1
A金匠→(金貨)商人1
商人1(金貨)⇒商人2(金貨)
A金匠←(金貨)商人2
A金匠(金貨)→(預かり証)商人2

商人1が2に自分の持っている預かり証を渡しても同じ結果となる。
だから金貨を出さずに預かり証を渡すことで決済することが普及した。いつでも引き出せるという信用があるがゆえに成り立つ。
この預かり証を「金匠手形」と呼んだ。
個々の預かり証(手形)であるので発行された金匠手形は金額などが統一されたものではなかったが、これが現在の紙幣(銀行券)の原形である。

また金貨を預けた商人1が自分で金貨を引き出して商人2に支払う代わりに、その手間を省いて金匠から商人2に金貨を支払ってもらうことを依頼する紙(預証紙幣)を商人1が商人2に渡した。
これを「金匠宛手形」と呼んだ。現在の小切手の原形である。

A金匠←(金貨)商人1
A金匠(金貨)→(預かり証)商人1
商人1(預かり証)→(預証紙幣)商人2
A金匠(金貨)←(預証紙幣)商人2
A金匠 ⇒商人2(金貨)
A金匠←(金貨)商人2
A金匠(金貨)→(預かり証)商人2


「金匠手形」「金匠宛手形」での取引が主流になれば、ますます金庫からお金は出て行かない。金庫のお金が動かないということを意味する。
そうなると金匠や両替商は預かった時に得る保管料の儲けが少なくなる。
そこで次に思いついたのが、その動かないお金(どうせ引き出されないお金)をお金がない人に金利を取って貸し出すビジネスである。
他人から預かっていつでも引き出しに応じられるはずのものを股貸しするなんてことは信用を損なうリスクが高い。
だから最初は貸し出す期間はなるべく短くして、リスクに備えて高い金利を取った。こうして高利貸が誕生する。

その貸し出した分も実際に金貨を貸し出すのではなくて、世間で取引きに使われている預かり証を貸し出せばよいのだ。
預かって金庫に眠る金貨の総額を100とすれば、理論上は最大100まで貸し出せることになる。
裏付けのない預かり証はなるべく早く回収したい。だから最初は短期で高利が実践された。

実際に金貨を預けた人に100の預かり証(金匠手形)が発行されている。
それに加えて金貨を貸し出した人にも100の預かり証(金匠手形)が発行される。
つまり金貨は100しかないのに世には200の預かり証(金匠手形)が流通し取引きが行われているということ。
全く価値の裏付けのない単なる紙を創造してしまうのだ。無から有を生める。現在の紙幣制度もこれと同じである。
もしも200の預かり証(金匠手形)を持っている人が全員金貨を引き出したいと言えば、そんなことは出来ないので金匠は破滅する。
しかし半分の100ならば実際に存在するので応えられる。
全員が一斉に引き出すという事態は滅多にないので成立するし、そもそも預かり証(金匠手形)で金貨と同じ取引きが可能ならば当座の金貨の価値は薄れてしまう。
世の中の人間の感覚が麻痺すればするほど預かる側(貸す側)は大胆になっていく。
200ではなくてもっと貸し出すようになるということである。100を元手に貸し出すという理論も破綻した状態となる。



ここでは理論内にある200のケースで高利貸しがどのように儲かるかを説明する。
100の金貨を元手に200の預かり証(金匠手形)を発行したとする。
100の預かり証(金匠手形)は金貨を預けた権力者や商人が持っている。
残りの100の預かり証(金匠手形)は金貨を持っておらず借金した人が持っている。(金貨を借りたけれど金貨は預けて代わりに預かり証を受け取ったという形式になる。世間では預かり証だけで取引き可能なので金貨を手元に置いておく必要はない)
金匠が発行した200の預かり証(金匠手形)の内、100は実際のところ貸しているものなので金利が付く。
金利込みで全部が返ってくれば130くらいになるとする。
200の預かり証(金匠手形)を発行していて130の預かり証(金匠手形)が実際には金貨を持っていない人から戻ってくるとするならば、30の金貨は金匠のものとなる。要するにそれが儲けとなる。

借金した人が返済した預かり証の額 100+30(金利)=130
金貨を預けている人の預かり証の額 100-30=70

その30は、お金の無かった人(金貨がなくて借りた人)がお金持ち(金貨を持っていた人)から奪った預かり証(金匠手形)と言えるのだ。
奪ったというのは文字通り強奪ということもあるかもしれないが、一般的には市中にて商売か何かでお金の無かった人(金貨がなくて借りた人)が儲けたことを意味する。
要するにお金(金匠手形)の所有者が移ったのだ。これも「金は天下の回り物」ということになる。

高利貸しというと他人の不幸に付けこんで自分ばかりが得をする悪いイメージしかないが、初期にはお金を持っていなかった人にもお金を貸してあげてお金を得る(奪う)チャンスを与えるという意味合いもあった。
そうでもしなければなかなか価値あるお金は動かない。
借りた人が借りた分+金利以上に儲けることが出来れば、借りた人と高利貸しはwin-winの関係となるのだ。

でも借りた人が借りた分+金利以上に儲けることはなかなか難しいので、高利貸しが他者の力を利用して自分だけが儲かるか、借りた人も高利貸しもぱっとしないという結果を招くことが多かった。





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# by yumimi61 | 2018-01-28 18:24
2018年 01月 26日
日本国憲法の秘密-658- (外貨準備と貿易について)
ナチスのヒトラー政権はドイツの経済を好転させた。彼らはメフォ手形と呼ばれる為替手形方式によって資金調達をしていた。

お金の代わりとして企業間取引などに使われる有価証券の一種に「小切手」と「手形」がある。
どちらも金額や日付といった必要事項を記入して支払う側が振り出す(発行する)。
所定の支払い金額の支払いを約束した証券で商品代金の決済などに用いられ、当座預金(ゆうちょの場合は振替口座)を開設している場合に利用できる。
個人でも郵便局などで小切手を換金したことがあるという人がいるかもしれないが、小切手と手形が大きく違うのは換金できる時期である。

「小切手」はすぐに現金と交換できる。
要するに小切手を振り出す(発行する)側は、当座預金口座(振替口座)に最低限その金額以上のお金が入っていないといけない。

一方の「手形」は支払期日が2,3ヶ月先になる。
手形を受け取っても、その期日以降にならないと現金に交換することはできない。
支払う側からすれば、今は当座預金口座(振替口座)に必要金額がなくても期日までに入ってくるお金をあてにして決済することが出来る。
もし支払人(振出人・債務者)が期日までにお金を用意できなければ受取人(債権券者)への支払いは行われない。これを「不渡り」と言う。
2回不渡りを出すと金融機関から取引停止となり事実上倒産する。1回の不渡りであったとしても金融機関や取引先からの信用を失い、その先の信用取引が難しくなる。
それを回避するために、受取人(債権者)の承諾を得た上で、満期を延長し満期を先延ばしする方法がある。これを「手形の更改」「手形のジャンプ」と言う。
受取人の承諾が得られなければ出来ないし、受取人が手形を金融機関に対し手形の呈示する前に行わなければならない。
ドイツでは3ヶ月の手形を5年まで延長していた。

手形には2種類ある。日本で発行される手形はほとんどがシンプルな①の約束手形。ヒトラー政権が行った方法は②の為替手形。
①「約束手形」
振出人(支払人・債務者)が受取人(債権者)に対してお金を支払う約束をする形式。
②「為替手形」
受取人(債権者)が別の取引で振出人(支払人・債務者)になっている場合などに、別の取引の受取人(債権者)を引受人として、振出人(支払人・債務者)にそちらににお金を支払ってもらう形式。


小切手や手形は売買代金の受払いや資金の移動を現金を輸送することなく行う手段の1つである。移動していくのは紙である。(紙幣も紙であることに変わりないが、紙幣と有価証券では流動性が違うのだ。小切手や手形の取引に応じるということは移動時の安全を確保するために流動性を少しだけ手放したということになる)
現金輸送は危険が伴うので、小切手や手形は遠隔地の取引に便利なものであった。日本の為替という言葉も元々は小切手や手形と同じ意味であった。昔は支払人と受取人の間に入ったのが両替商なので替という字がある。
郵便局では今でも普通為替と定額小為替を利用して全国各地へ簡単な手続きでお金を送金することも出来る(為替を発行して相手にお金に替えてもらう方法)。
銀行にも送金為替なるものがあるが、現代では銀行振込や口座引落しなどのコンピューターシステムが発達していて直接現金を送ったり渡すということはめっきり減った。しかしこの振込や口座振替も為替取引の一種である。
外国との取引には通貨の交換が伴うため、これが為替レートという言葉に繋がっている。


手形の発祥はイタリアだと言われている。
シチリア(イタリアに統一されたのは1860年)には10世紀にすでに両替商が存在した。
昔の両替商は単に両替するだけでなく非常に鋳貨に通じており現在の銀行業務のようなことも行っていた。
難しく幅広い専門知識を有し確実に儲かる商売でもあった。

5世紀頃よりシチリアを支配していたのはゲルマン民族や東ローマ帝国であったが、9世紀(827年)になると北アフリカからイスラム勢力が侵攻し、イスラムの支配が12世紀まで続いた(1130年まで)。
11世紀には地中海貿易の最も重要な中継地として栄えていた。
やがてイタリアのほとんど全ての都市にギルド(商人組合)として結びついた両替商が登場した。これらの両替商は教会前の広場で店を広げた。

12世紀にシチリアに進出しイスラム支配から解放したのはノルマン人(北方ゲルマン人)。
これによりシチリアでのイスラム商人の地中海貿易独占権は崩れ、ヴェネツィアが台頭してくる。
後にヨーロッパ(キリスト教世界)の経済を握ったヴェネツィアには各地から商人が集まった。銀行の為替業務が世界で初めて誕生したのはヴェネツィアであった。

イスラムでは利子を禁じている。
ムスリム(イスラーム教徒)は、リバー(利子)を取って金銭を貸すことを禁止するクルアーンの言葉に従い、シャリーア(イスラーム法)において利子の取得を禁止されている。したがって、基本的に無利子の金融機関として運営される。現代の世界金融市場の主役の一つとなっているヘッジファンドや、先物取引のような金融システムは、イスラムにおいては基本的に認められない。

期日前に手形を現金化してもらうのが割引手形。
手形保有者の受け取り額は期日までの日数に応じて少なくなる。現金化に応じた人は少し得をする。
つまりその部分が利子の性質を持つ。
従ってイスラム教が力を持っていた中世ヨーロッパにおいては利子の性質を持つ割引手形の導入は難しかった。
13世紀~14世紀頃にイタリアに存在した割引手形は、「期日前に現金化したい」という資金調達目的で行われるものではなく、「支払いは早いほうがよい」という支払いを促す目的で行われた。
しかし目的は違えど結果は同じなのでイスラム教では合法か違法か問題になった。
イスラム教とユダヤ教・キリスト教の間の高い壁というか深い溝というかは、「割引手形」にも見ることができるのだ。






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# by yumimi61 | 2018-01-26 18:27
2018年 01月 23日
連字/RestHouse
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# by yumimi61 | 2018-01-23 19:31
2018年 01月 22日
日本国憲法の秘密-657- (外貨準備と貿易について)
ドイツでは世界恐慌後に失業者が増加し、1932年初頭より労働者雇用政策の財源を手形によって調達することにした。
これはナチスのヒトラーが政権を取る前の出来事である。またドイツの中央銀行総裁であるシャハトが総裁職から離れていた時期にあたる。

しかしながらヒトラー政権でもこれと同じような手形による調達が行われたと言われている。
但し前記事でも引用した通り、財政関係文書の多くは1945年の敗戦に伴う混乱の中で焼却されたか散逸してしまったため、このあたりの経緯は必ずしも明確ではなく、追跡も困難である。
従って次の文章もどこまで正確なのかは分からない。

1933年6月上旬、シャハトを中心とする少数の指導者によって、メフォ手形の創出が決定された。
1933年8月15日、クルップ、ラインメタル、シーメンス、グーテホフヌンクの4企業がそれぞれ25万ライヒスマルクを拠出し、有限会社・冶金研究協会(ドイツ語: Metallurgische Forschungsgesellschaft m.b.H.、略称:MEFO)が創立された。この会社の役員会はライヒスバンク、国防省、航空省の代表それぞれ一名ずつで構成されており、早速手形の振り出しが開始された。この手形は冶金研究協会の略称MEFOに基づいてメフォ手形と呼ばれる。

この仕組みは、国防省からの受注を行った企業が手形を振り出し、冶金研究協会が引受人となり、ライヒスバンクが再割引を保証し、ライヒ政府が支払義務を負うものであった。また、最初の手形にくわえて、3ヶ月の延長手形が複数枚発行された。手形の仕組み自体は雇用創出事業の際に取られたものと変わりないものの、支払保証のための国庫証券の発行も行われず、秘密保持のために手形の償還額が予算に計上されることはなかった。

償還開始時期は延長手形によって延長することが出来るが、その時期は1939年第一四半期を超えないこととされた。


この手形方式を昨日書いたものに当てはめてみる。

・事業が行われる時の関係
 政府・公共団体(発注)(代金支払い)(債務者)→企業(受注)(代金受け取り)(債権者)

・しかしそれらの企業は有限会社・冶金研究協会に借金があった。
企業(公共金融機関にお金を借りた側)(債務者)←→有限会社・冶金研究協会(融資した側)(債権者)

・お金の流れを大きく見ると
政府・公共団体(支払人)→企業(手形振出人)→有限会社・冶金研究協会(手形所有)

・企業に入ってきたお金はどうせ有限会社・冶金研究協会に返すお金になるのだから、手間を省いて政府・公共団体が直接有限会社・冶金研究協会に支払うようにする契約を結んだ(為替手形)。

企業(手形振出人)
政府・公共団体(支払人)→有限会社・冶金研究協会(受取人)(手形所有)

・再割引を中央銀行であるライヒスバンクが保証している。
政府・公共団体(支払人)→中央銀行(受取人)(手形所有)


注目すべきは「有限会社・冶金研究協会」。
1933年8月15日に創立された新しい会社だから、政府から事業を受注した企業が以前から冶金研究協会から借金していたはずがない。新たにと言っても金融機関でもない新しい会社に融資能力がそれほどあるとは思えない。
要するにこれはマネー(手形)ロンダリングのためのダミー会社(ペーパーカンパニー)である。
手形を中央銀行に回すための手段。

但しこの方式だと政府から事業を受注した企業には一銭もお金が入って来ない。
企業が民間企業であるならば、すでにある借金を帳消しにしてくれるなど何かメリットがなければ、事業を受ける理由がまるで無い。
でも国営企業ならばこの方式でもやっていける。
人件費や事業運営費など経費を国が保証さえすれば、とりあえずは利益を出す必要はないからだ。

ヒトラー政権で行ったメフォ手形における調達の利点は、余分なお金(企業利益部分にあたる)が世に出ることがないこと。
国営企業ならば国家が雇用を直接コントロールできるし、国民の生活費を国営企業の給与という形で保証してあげることができる。そこそこの生活費であるならば無暗に消費拡大を招くこともない。
堅実な国民性を特色とするならば不平不満も大きくなりにくい。
要するにインフレを招く恐れが無い。


手形も国債もお金を一時的に借りている状態である。時期が来たら支払わなければならない。
でも相手が政府と親密な中央銀行であるならば融通が利くはずであるということを前述した。
融通はそれなりに利く。しかし一番問題となるのは返済時期の国家予算に支払額が乗せられるかどうかである。
裏で手を回せても、表の予算に乗せられないということは、支払い能力がないと見做されるということである。
支払金額を積み立てていたり国家経営が常に黒字ならば捻出できるが、常にトントンや赤字である場合には何かの予算を大幅に削らなければ支払額を捻出できない。
その削減が現実的でないとするなら、新たに借金する(自転車操業)か借金を踏み倒す(返済拒否)か有事(戦争や恐慌)で有耶無耶にしてしまうか激しいインフレを起こして紙屑にしてしまうくらいしか選択肢はなくなる。


手形は国債と違って短期である。
メフォ手形の償還期限は3ヶ月だった。多少支払は遅くなるが赤字国債のような単なる借金というよりは事業の費用という意味合いが強い。
要するに国の年間予算に乗せておかなければいけないようなものである。上にも書いた通り、予算上にその枠が確保できるかどうかが重要である。国会があるならその事業費が認められるかどうかということも大事。実際に支払えるかどうかよりも(実際の支払いは中央銀行とつるめばなんとかなる)。
メフォ手形は償還期限がくると自動的に3ヶ月延長され、5年まで延長を繰り返すことができた。結局5年満期のようになってしまっていたということ。
1933年下半期から開始されたメフォ手形が5年満期を迎えるのは1938年下半期。本格的に支払いが積み重なってくるのは1939年からといったところであろう。その1939年に第二次世界大戦は勃発した。








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# by yumimi61 | 2018-01-22 13:59
2018年 01月 21日
日本国憲法の秘密-656- (外貨準備と貿易について)
ナチスは世界恐慌後の最悪な経済状態の中で政権を握った。
オーストリアのロスチャイルド系の銀行の破綻(閉鎖)を機にドイツの全銀行を閉鎖。連鎖的に企業が倒産し、ドイツ経済は壊滅的状態となり失業率は40%にも達していたという。


世界恐慌は1929年から始まった。
オーストリアのロスチャイルド系の銀行の破綻(閉鎖)は1931年5月。
ヒトラー内閣が成立したのは1933年1月30日。

世界恐慌後の失業者増加に対し、ライヒ政府(ドイツ政府)には抜本的な対策が要求する声が殺到していた。しかし財源不足な上に、資本市場が停滞している状況では公債発行もままならなかった。
1932年初頭より、政府内部では労働者雇用政策の財源を手形によって調達することが検討されはじめ、9月に発表されたパーペン計画、1933年1月に決定した緊急計画において採用された。
具体的には政府・公共団体が発注した事業を受注した企業が、公共金融機関を引き受け手とする手形を振り出し、ライヒスバンクが再割引を保証し、銀行または銀行団が割引き、期間内にライヒスバンクがこれを決済するというものであった。


・事業が行われる時の関係
 政府・公共団体(発注)(代金支払い)(債務者)→企業(受注)(代金受け取り)(債権者)

・しかしそれらの企業は公共金融機関に借金があった。
企業(公共金融機関にお金を借りた側)(債務者)←→公共金融機関(融資した側)(債権者)

・お金の流れを大きく見ると
政府・公共団体(支払人)→企業(手形振出人)→公共金融機関(手形所有)

・企業に入ってきたお金はどうせ公共金融機関に返すお金になるのだから、手間を省いて政府・公共団体が直接公共金融機関に支払うようにする契約を結んだ(為替手形)。

企業(手形振出人)
政府・公共団体(支払人)→公共金融機関(受取人)(手形所有)

・手形には支払い期日が定められている。すぐに支払いが行われないので金利が乗る。しかし手形所有者が期日前に現金が欲しくなった場合(資金調達したい場合)に割引手形として売ることが出来る。手形所有者が手にする現金は期日までの残りの日数の金利分を引いた額である(満額よりも少し安くなってしまう)。

・割引手形を手にした新たな手形所有者に対して期日に支払人より満額が支払われる。(買った額より受け取り額のほうが多い。少し得をするということ)

・割引手形がさらに売られる場合を再割引と言う。上記の場合、再割引を引き受けるのが中央銀行であるライヒスバンクとなっている。
中央銀行が銀行に現金を渡して、手形所有者が中央銀行となる。
ということは政府・公共団体(支払人)が支払う相手は中央銀行となる。

中央銀行がこれに応えるには銀行に支払うために中央銀行自身が現金を持っている必要がある。(あるいは中央銀行が所有している債券などを売って現金化する必要がある)
また国からの支払いがきちんと行われるのであるならば、国の借金であることに変わりない。
しかしながら中央銀行と政府が親密な関係であるならば何かと融通が利く。
中央銀行は紙幣が発行できる銀行なので、紙幣を幾らでも作り出すことが出来る。
やろうと思えば何でもできるが問題は帳簿をどのように辻褄合わせするかということ。他人の目(他国)をどのように欺くかということに尽きる。
国家の信用に関わることだからだ。
国債でも同じことである。
皆で不正をする、言うなれば「赤信号みんなで渡れば怖くない」という論理も一理あるが、お金の性質や時間の連続性、不正規模が大きくなることを考えれば、必ずどこかに、必ずどこかで、そのしわ寄せがやってくるはずだ。


ヒトラー内閣成立後の雇用計画でも踏襲され、1933年3月の緊急計画の拡大、6月1日の第一次ラインハルト計画、9月21日の第二次ラインハルト計画でも手形による資金調達が行われた。
帝国宰相アドルフ・ヒトラーはかねてから再軍備を唱えていたが、1933年2月9日の政府委員会において緊急計画は再軍備を実行するために最適のものであり、軍備を政治的に偽装する手段であると言明した。このため雇用創出計画が再軍備に流用されたという説も唱えられている。
1937年までの財政関係文書の多くは1945年の敗戦に伴う混乱の中で焼却されたか散逸してしまったため、このあたりの経緯は必ずしも明確ではなく、追跡も困難である



第一次世界大戦賠償金の変遷と世界恐慌、ドイツの手形による資金調達までの流れを見ておきたい。

●1919年 パリ講和会議・・1200億マルク

●1919年 ヴェルサイユ条約・・200億マルクの物資・金、債券400億マルク、賠償金総額については賠償委員会に委任。

●1920年6月 賠償委員会・・2690億マルク
分配率ーフランス52%、イギリス22%、イタリア10%、ベルギー8%、日本0.75%、ポルトガル0.75%、残り6.5%は協定非署名国のため留保。
ドイツが賠償支払いを履行しない場合にはルール地方またはドイツ全土の占領が定められた。⇒不履行で占領

●1921年5月 賠償委員会(最終決定)・・1320億マルク(約66億ドル、純金47,256トン相当)を外貨にて30年間に亘る年払い。賠償支払い監視のための補償委員会をベルリンに設置。
⇒以後、マルク暴落、過度なインフレ進行

●1924年ドーズ案・・1年目は10億マルク、5年目以降は25億マルク、それ以降は経済状況によって判断。
ドイツは賠償金を外貨ではなくてマルクによって支払えばよい。賠償受け取り国が両替する。
賠償金支払いのための公債を募集し、それによってドイツに長期融資する(ドーズ債)。ドーズ債はアメリカを中心とした米欧で引き受けた。
ライヒスバンク(ドイツ中央銀行)を改組し、政府からの独立性を高めた。審査機関である評議会の半数を外国人が占め、ドイツ金融への監督を強めた。

●1929年世界大恐慌・・ドイツの蔵相は財政均衡を保つために外債を発行しようとし、アメリカの銀行がこれに応じようとしたが、ドイツの中央銀行総裁であるシャハトが赤字は租税で賄うべきと反対を表明。シャハトは1930年にヤング案にも反対し中央銀行総裁職を辞職した。

●1932年ヤング案・・賠償残額を358億マルクと決定。外貨にて59年に亘る年払い。(最初の37年間は平均19億8800万マルクとドーズ公債融資の元本を合わせて20億5000万マルク、残りの22年間は16億から17億ライヒスマルクを支払う)
国際決済銀行創設決定。賠償金は国際決済銀行がドイツ政府から徴収し、債権国の中央銀行に分配する形式が取られることとなった。
⇒この頃すでにドイツはアメリカ資本で支配されていた。
 ドイツでは国民投票が行われたが、94.5%の圧倒的多数の賛成によりヤング案は批准された。
⇒「ドイツ国民奴隷化法案」であるとして右派が反発。ナチスもここに含まれ、ナチスの台頭の一因となった。
⇒ヤング案制定に関わり、国際決済銀行構想を提案したのはドイツ中央銀行総裁シャハトだったが、国際決済銀行構想の矮小化に反発したシャハトはヤング案の反対に向かった。彼はドイツ民主党の共同創設者(1918年)であるが、1926年にドイツ民主党の左派寄り・リベラル志向を倦厭するようになり、同党を離党し、右派であるナチス(労働党)に接近するようになった。

●1933年7月・・ヒトラー政権が賠償金の支払いを拒否。
再開されたのは戦後ということだが、このあたりも何となく有耶無耶になっている気がしないでもない。
シャハトはヒトラー政権で再び中央銀行総裁となり(1923-1930、1933-1939)、一時期は経済相(1934-1937)も兼任したが、しだいにヒトラー政権とも意見が合わなくなってくる。


ドイツの賠償金は金額の多さも然ることながら外貨で支払わなければならないことがドイツにとって大きな痛手であった。(賠償額はヤング案で減額された)
自国で作れない外貨は外の市場に求めなければならないので、市場を巡る闘争が不可欠となってくる。外貨を稼ぐには貿易収支を自国に有利な状況にしておきたい。
ケインズが主張していた「各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現」することはなかなか厳しい状況となる。
1921年後のインフレは外貨を調達(外貨と交換)するために自国通貨を大量に放出(増幣)したことによって起こったものである。
インフレは世界経済にとって健全な状態ではないので(投機家にとっては歓迎すべきものかもしれないが)、ドーズ案ではマルクでの支払いが許された。
だが世界恐慌で再び状況が変わり、ヤング案では外貨支払いに戻った。そのヤング案に反対していたのがナチスであったり、当時ドイツの中央銀行総裁だったシャハトだった。彼らは外債も嫌った。外国資本が大きくなると国の経済が外国に支配されていってしまうからだ。
だが彼らが手形という形で増幣させていたならば、結局のところ同じような結果を招くことになる。


ドイツはナチスのヒトラー政権になってからあっという間に景気回復したという話を先に書いたが、ヒトラー政権は発足半年後に賠償金の支払いを拒否している。
賠償金分を投資に回せると考えれば景気回復はある意味当然である。
同時に賠償金支払いさえなければ景気がすぐに回復し失業者を減らせるような素地がドイツに存在していたことも確かであろう。
ただここでも痛かったのが外貨不足である。
資源や食糧が自国で完全に調達できる国ならばよいが、そうでない場合、どうしても輸入に頼らなければならない。そうなると外貨が必要となる。
賠償金の支払いを拒否したくらいだから対外的に円満とは言えない。心証を悪くしたり経済制裁的なものがあったりして、外貨を稼ぐことも資源や食糧を輸入することも難しくなる。世の中、上手く出来ていると言うか上手くいかないと言うか。
さらに悪いことにドーズ案の時に外国から借金している(外債)。せっかくマルク支払いが認められても外貨を借りたら元の木阿弥。
長期融資であっても利子の支払いは毎年行われるわけだから、それなりに外貨が必要となってくるし、満期時にはまとまった外貨が必要となる。








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# by yumimi61 | 2018-01-21 17:24
2018年 01月 19日
日本国憲法の秘密-655- (外貨準備と貿易について)
国民というものは基本的に好戦的なんだそうである。
好戦的という性質を活かして国民を戦争に仕向けることは容易いことだという。
人々のオリンピック好きや国際試合好きを見ればなんとなく納得できる。
しかしそれ以上に扇動という作業を容易にするのは、経済的な理由なんだそうだ。
近代の戦争の原因はもっぱら経済が原因となっているとかで、原因を具体的に言うと人口圧迫と市場の奪い合いや市場競争。

一般に,人口圧は人口密度に比例しており,人口密度が高いほど人口圧が高くなる。ある国の人口圧が高くなると,国内の食糧不足や労働力の過剰を招き,生活空間を外に求めて出移民が多くなる傾向がある。しかし,人口圧には心理的・社会的側面もあり,同じ人口密度であっても人々の感じる圧迫感は異なるなど,正確にそれを測定することは困難である。

人口圧迫については後で改めて書きたいと思っている。

ケインズが『一般理論』において戦争の原因について述べているのは、最後の巻(第 VI 巻:一般理論が示唆するちょっとしたメモ)の最後の章(第24章 結語:『一般理論』から導かれそうな社会哲学について)の終盤である。
そこに戦争を置いた意味は重いと思う。
戦争の原因となるのは経済、ではその解決策はあるんだろうか。

前章で、十九世紀後半に主流だった国内のレッセフェールと国際的な金本位制のシステムでは、政府が国内の経済停滞を緩和する手段として、市場を求めて争う以外に手がなかったと指摘しました。というのも国にとって、慢性的または間歇的な失業を緩和できるあらゆる手段が排除されており、残った手段は所得勘定上の貿易収支の改善だけだったのですから。

レッセフェールは自由放任主義のこと。
1800年代後半の経済システムでは、政府は経済停滞を緩和する手段をほとんど持っていなかったという。
唯一の手段は貿易黒字化。すなわち国外に新たな市場を開拓することである。その争奪戦が戦争に発展することもあった。

『一般理論』が刊行された1936年の世界は、第一次世界大戦を経験している。
1919年、ケインズは、第一次世界大戦後にドイツに課せられた莫大の賠償金を批判していた。
ケインズはイギリス代表として委員会に参加すべき立場の人物であったが、最初から多額の賠償に消極的であったため参加できなかった。後に参加するが意見があわず抗議の意味から途中で帰国してしまったほど。
最も重大な問題は、政治や領土的問題ではなく、金融および経済に関するものであったのに、そのことを理解していない。また将来の危険は国境や主権にあるのではなく、食糧や石炭や運輸にある。そのことを理解していれば ヨーロッパは異なった将来を予想しえたであろうと首脳達を批判し、現実的にドイツの賠償支払いは著しく困難であると警告していた。

第一次世界大戦前のドイツの発展が脅威だったのは、国際金融資本に依拠していなかったからだ。つまり国際金融資本サイドにとってドイツは脅威だった。
国際金融資本は国際銀行家と言ってもよい。ロスチャイルドだったりロックフェラーだったりモルガンだったり、もっと古くから存在する財閥もある。
ユダヤ金融と言われることもある。
戦勝国であったイギリスもフランスもアメリカもみなその影響下にあった。
戦争に負けたドイツには支払い能力を優に超えた賠償金が課せられた。
イギリスやフランスは戦費調達のためアメリカから多額の借金をしていたため賠償金をもらわないと自国が苦しくなるという事情があった。アメリカが借金を帳消しにしてくれれば、ドイツの賠償金を安くしてもよいとの条件をイギリスなどは出したがアメリカはその提案を呑まなかった。
陸続きの隣国フランスは相も変わらずドイツが脅威であり金銭的に徹底的に叩いておきたいという事情もあった。
そんな中、第一次世界大戦後のケインズはどちらかと言えばドイツの味方であった。
ナチスの反ユダヤも本を正せば反国際金融資本なのである。
ケインズもはっきり言っているわけではないが、突き詰めて考えればそうとしか思えないニュアンスのことを書いている。
(ナチスは「共産主義はユダヤの陰謀である」と主張していたということだが、後世に於いては「ナチスがユダヤの陰謀だった」と主張されることもある)


経済学者たちは現在の国際制度について、国際分業の果実を準備しつつ各国の利益を調和させているのだ、と賞賛するのに慣れていますが、その奥にはそれほど優しくない影響が隠されているのです。そして各国の政治家たちは、豊かな老国が市場をめぐる闘争を怠るならば、その繁栄は停滞して失速すると信じておりますが、それは常識と、事態の真の道筋に関する正しい理解であり、それが彼らを動かしているものなのです。
でも各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現できることを学習すれば(そしてまた付け加えなければならないのは、彼らが人口トレンドで均衡を実現できれば、ということです)、ある国の利益を隣国の利益と相反させるよう計算された、大きな経済的な力は存在しなくてすみます。
適切な状況下では、国際分業の余地もあるし、国際融資の余地も残されています。でも、ある国が自分の製品を他の国に押しつけなければならない火急の動機はなくなりますし、他国の産物を毛嫌いする理由もなくなります(しかもそれが買いたい物を買う金がないからというのではなく、貿易収支を自国に有利に展開するため収支均衡をゆがめたいという明示的な目的のために行われることはなくなります)。 国際貿易は、今のような存在であることをやめるでしょう。
今の国際貿易は、自国の雇用を維持するために、外国市場に売上げを強制し、外国からの購入は制限するというものです。これは成功しても、失業問題を闘争に負けた近隣国に移行させるだけです。でもそれがなくなり、相互に利益のある条件で、自発的で何の妨害もない財とサービスの交換が行われるようになるのです。


これが書かれてからすでに80年も経っているが、「今の国際貿易」に関する記述は全然古くなっていない。
ということは、ある国の利益を他国の利益と相反させるよう計算された大きな経済的な力は今も存在するんだろう。
貿易収支を自国に有利に展開するため収支均衡をゆがめたいという明示的な目的のために、自国の産物を押し付け、他国の産物は毛嫌いするということもある。
国産兵器なんて聞けば喜びは何倍かになるらしいことを、私達は日々見聞きすることも出来る。


ケインズが述べた解決策は、次の通り。
各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現できることを学習すれば(そしてまた付け加えなければならないのは、彼らが人口トレンドで均衡を実現できれば、ということです)、ある国の利益を隣国の利益と相反させるよう計算された、大きな経済的な力は存在しなくてすみます。

ナチスは自国政策によって完全雇用を実現した。
しかし・・・。

1936年のケインズの『一般理論』は次の文章で締められた。

 こうした発想の実現は非現実的な希望なのでしょうか? 政治社会の発達を律する動機面での根拠があまりに不十分でしょうか? その発想が打倒しようとする利権は、この発想が奉仕するものに比べて強力だしもっと明確でしょうか?

 ここではその答を出しますまい。この理論を徐々にくるむべき現実的手法の概略を述べるのでさえ、本書とはちがう性質の本が必要となるでしょう。
でももし本書の発想が正しければ——著者自身は本を書くときに、必然的にそういう想定に基づかざるを得ません——ある程度の期間にわたりそれが持つ威力を否定はできないだろう、と私は予言します。
現在では、人々はもっと根本的な診断を異様に期待しています。もっと多くの人は喜んでそれを受け入れようとし、それが少しでも可能性があるようなら、喜んで試してみようとさえしています。でもこういう現代の雰囲気はさて置くにしても、経済学者や政治哲学者たちの発想というのは、それが正しい場合にもまちがっている場合にも、一般に思われているよりずっと強力なものです。
というか、それ以外に世界を支配するものはほとんどありません。知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です。虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文書き殴り学者からその狂信的な発想を得ているのです
。こうした発想がだんだん浸透するのに比べれば、既存利害の力はかなり誇張されていると思います。もちろんすぐには影響しませんが、しばらく時間をおいて効いてきます。というのも経済と政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。









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# by yumimi61 | 2018-01-19 20:11
2018年 01月 18日
日本国憲法の秘密-654- (外貨準備と貿易について)
個人にまかせるという古典経済学の特徴である自由放任主義は、意思決定の分散化と個人の責任による効率性の良さが最大の利点である。
個人主義の欠点や濫用を防ぐことが出来るならば、間違いなく個人の選択肢が広がり、人生の多様性を守ってくれるシステムである。
この多様性は、全世代において、最も安全で且つ成功した選択を内包しているが、その安全と成功はやがて「伝統」になる。
個々人が伝統に縛られだすと、強制されなくても自由というものは失われやすい。皆が同じ伝統を目指そうとするからだ。
しかしながら人間は大いに気まぐれである。その気まぐれさが意思決定の分散化に大きな役割を果たしている。果たしてはいるが計算や信念によるものではなく単に気まぐれなのである。
長所は行き過ぎれば短所に変わる。

政府機能の拡大を行い、消費性向と投資誘因それぞれの調整作業を実施するというのは、十九世紀の政治評論家や現代アメリカの財務当局から見れば、個人主義への恐るべき侵害に見えるかもしれません。私は逆に、それが既存の経済形態をまるごと破壊するのを防ぐ唯一の実施可能な手段だという点と、個人の発意をうまく機能させる条件なのだという点をもって、その方針を擁護します。

ケインズは個人主義改め巨視的なマクロ経済学の推奨へと転換した人物である。政府機能を大きくすべきと主張している。言い換えれば大きな政府である。
ケインズは自身の主張が「個人主義への恐るべき侵害」と反発されることも予想している。
しかしこのままいけば、既存の経済形態はまるごと破壊され、個人の意思決定も怪しくなるとみていた。


時代的にも手法的にも、ケインズのマクロ経済学への転換は、どうしてもドイツにおけるナチスの台頭とオーバーラップしてしまう。

ナチスは世界恐慌後の最悪な経済状態の中で政権を握った。
オーストリアのロスチャイルド系の銀行の破綻(閉鎖)を機にドイツの全銀行を閉鎖。連鎖的に企業が倒産し、ドイツ経済は壊滅的状態となり失業率は40%にも達していたという。
そのような状態だったのにあれよあれよという間に経済回復させたのがヒトラー率いるナチスだったのである。1937年には完全雇用を達成している。

ナチズムにおいては「アーリア人種こそが世界を支配するに値する人種である」というアーリア至上主義が用いられ、その中でも容姿端麗で知能が高く、運動神経の優れた者が最もアーリア人種的であるとされた。この思想を肯定する右派の政治結社トゥーレ協会やゲルマン騎士団などが党黎明期より大きな権威を持っていた。 また、頭脳の優れた超人こそが大衆を支配すべきだと信じられ、超人を生み出すために数々の人体実験を行った。
一方、反ユダヤ・反ロスチャイルド主義が強固であり、ウィーンのロスチャイルド家はオーストリア併合の際にナチスの家宅捜索を受け財産を没収され、アメリカへ亡命を余儀なくされることになる。
また、共産主義はユダヤの陰謀であると主張し、東方生存圏の構想へと結びつくことになった。これらがニュルンベルク法やホロコーストに繋がったのである。


驚異的な回復であったため、ナチスは経済分野において高い能力を示したと評されることもあるし、回復はしたもののナチスの経済政策は理論に支えられたものでは無かったと言われることもある。
つまりどうしてそんなに急激にドイツの経済を回復できたのか、その背景が良く分かっていないということなのだ。
今までの理論は古典経済学だったわけであり、ナチスが政権を握った時にはまだケインズのマクロ経済学は発表されていないのだから、その理論が見る側の目に入っていなかったと考えることもできる。

経済におけるナチズムのイデオロギーは不鮮明である。結党時からのメンバーで25カ条綱領の策定にも携わり、党の経済委員会の座長を務めていたゴットフリート・フェーダーは「利子奴隷制の打破」や「企業の国有化」、「国際金融資本との戦い」を持論としていた。ヒトラー自身も「我が闘争」においてフェーダーの主張を一部取り入れているが、同時に「国家は民族的な組織であって経済組織ではない」「国家は特定の経済観または経済政策とは全く無関係である」とも述べており、統一的なナチス経済政策というものは存在しなかった

ヒトラーは「私たちの経済理論の基本的な特徴は私たちが理論を全然有しないことである」と言っているように、『我が闘争』で展開している自らの経済観が事実上マルクス経済学に依拠していても気づかないほど経済学に疎く、当初訴えていた政策は「ユダヤ人や戦争成金から資産を収奪して国民に再配分する」という稚拙なものだった。またナチ党の経済理論家であったゴットフリート・フェーダーやグレゴール・シュトラッサーは早い段階で失脚しており、影響を与えることはできなかった。



1933年2月1日、ヒトラーは4年以内に「経済再建と失業問題の解決」を実現する「二つの偉大な四カ年計画(ドイツ語: Vierjahresplan)によって、わが民族の経済を再組織するという二つの大事業を成功させる」と発表した(第一次四カ年計画)。
公共事業、価格統制でインフレの再発を防ぎ、失業者を半減させた。

1936年8月26日にヒトラーは第二次四カ年計画を開始させ、経済省から独立した四カ年計画庁が経済面において大きな権力をふるうことになった。第二次四カ年計画により、1937年には人員需要が失業者を上回り、ほぼ完全雇用が達成された。


実はヒトラーは大の自動車好きだったという。
自動車王国と言えば、日本・アメリカ・ドイツだと思うが、これらの国は先進工業国であり技術大国と言われる国である。(もっとも最近は韓国や中国の台頭が著しいが)

カーマニアでもあるヒトラーの経済政策は余り芳しくなかった自動車生産を急激に伸ばさせ、ドイツの自動車産業を経営不振から脱却させたことで知られる。
1933年にヒトラーはベルリン自動車ショーでアウトバーンの建設を発表し、自動車税が撤廃された。インフラストラクチャー開発の中で道路工事が特に盛んだったことや戦争準備で軍隊及び物資をすぐに運べる最新式の道路網を必要としていたこともあり、クルップやダイムラー・ベンツ、メッサーシュミットなどの軍需企業の協力を得て、アウトバーンの建設を加速し、フォルクスワーゲン構想を推進させた(フォルクスワーゲンの車が大衆に普及したのは戦後だが、自動車生産の基盤はナチス政権時代に整った)。




今日の権威主義国家体制は、失業問題を解決するのに、効率性と自由を犠牲にしているようです。確かに世界は、現在の失業を間もなく容認できなくなるでしょう。その失業は時々短い興奮の時期を除けば、今日の資本主義的な個人主義と関連しており、私の意見ではその関連性は必然的なものなのです。でも問題の正しい分析があれば、その病気を治癒させつつ、効率性と自由を維持できるはずです。

1936年の「今日の権威主義国家体制」とはどこの国や地域を指しているのだろうか。
この時代の権威主義国家体制と言えば、ドイツ・イタリア・日本あたりであろう。
権威主義
自由や平等といった概念が広まった近代以降の支配者は全国民を相手に統治する必要に迫られ、権力の正統性の根拠なしの統治は困難となったため、権威主義的支配体制の維持は難しくなった。
しかし国民主権を基礎にしながらも権威主義が現れる場合もあり、その代表格がナチズムとファシズムであるとされる。
権威主義は被支配者の思考様式であるから民主制の機構を採用している国においても現れることがある。選挙があった戦前の日本の政治体制も権威主義体制に分類する論者もいる。

権威を強調する体制は、権威を軸にしたヒエラルキーを形成してエリート主義を持ち、実質的な権力や階級として固定化する場合もあるが、その権威以外の既存の権力関係(場合により身分、貧富、人種・民族など)を超越または無効ともするため、大衆や従来の被支配層などの広い支持を得る場合もある。


権威体制は、既存の権力関係(場合により身分、貧富、人種・民族など)を超越または無効ともするため、大衆や従来の被支配層などの広い支持を得る場合もある。日本で言えば、江戸時代の権力関係に代わって新たな権威体制を構築したのが明治時代であり、「維新」は今なお熱狂的な支持を得ている。
権威や権力の構造や関係が変わっただけで、それがあることに変わりないのに、権威や権力を嫌ったはずの大衆から熱狂的に支持されることがあるのだ。
ユダヤ人からゲルマン人への転換を図ろうとしたのがナチスドイツである。

ケインズが指しているのはやはり1937年に完全雇用を達成したナチスドイツの事だろうか。
その国は失業問題を解決するのに効率性と自由を犠牲にしているようだと言っている。
だが失業問題が世界的に大きな問題となっているとの認識も持っていて、その問題は資本主義的な個人主義から発生するものであるとも述べているのだ。
要するに手放しに個人主義を歓迎しているわけでもないし、権威主義国家体制を完全に否定しているわけでもない。

さっきさりげなく、新しいシステムは古いものよりも平和をもたらしやすいかもしれないと述べました。その側面を改めて述べて強調しておく価値はあるでしょう。

戦争にはいくつか原因があります。独裁者のような連中は、少なくとも期待の上では戦争により楽しい興奮が得られるので、国民たちの天性の好戦性を容易に煽れます。でもこれを超えたところでは、世間の炎を煽る仕事を手助けするのが、戦争の経済的な要因、つまり人口圧と市場をめぐる競争的な戦いです。十九世紀に圧倒的な役割を果たしたのはこの第二の要因だし、今後もそうなるかもしれません。こちらの要因がここでの議論の中心となります。












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# by yumimi61 | 2018-01-18 15:31
2018年 01月 16日
日本国憲法の秘密-653- (外貨準備と貿易について)
前にも書いたが、自分が売りたい時に売りたい価格で売れやすいものほど「流動性が高い」と言う。
人々ができるだけ流動性の高いものを保有したがる性質のことを「流動性選好」と言う。人間は基本的に流動性選好を持っている。
一番流動性が高いのは貨幣(現金)である。
貨幣(現金・貯金)>債券>株式>物
金利は流動性の高い貨幣を手放すことへの報酬。

では何故人間は流動性の高い貨幣を保有したがるのか?
3つの動機が挙げられている。
①取引動機
個人や事業の買い物や取引において現金が必要となるため。
②用心動機
資産の一部は現金で持っていたいという欲求のため。非常時に備える意味合いも単なる安心の場合もあるが心の安定に繋がる。
③投機動機
投機によって利益を確保するため。その軍資金。

金利はこの流動性選好に大きな影響を与えると考えられている。
金利が下がるとこの3つの動機は大きくなる。それは世間に流通するお金の量が増えることを意味する。
金利低下に続いて雇用増が起こり賃金(国民所得)増大につながる。
国民所得が増えると①が増える。不確実さも増すので②も増える。
組織化された市場がないと③は起こりにくい。
③は投機と書いたが投機(短期の利益追求)と投資(長期予測に基づく)を完全に切り離すことはできない。③が起こらないのは資本不足に繋がる。
そうなると結局のところ国民所得が低下してしまうので、市場が組織化され大衆を動かしたりするが、それが大きくなれば真面目な長期予測はないがしろにされ社会にとって好ましいと状態とはいえなくなる。
また③が大きくなることによって相対的に①②が減少する。経済活動は滞り、不安感は増す。


未知なる未来のことは分からない。計算する方法がないものがほとんど。
さらにお金の動きはああすればこうなるという単純なものではなくて、さまざま要素が加味される。
人間の気まぐれや感情や運に頼ってしまうことも多々ある。
だからどうなるかは実際のところやってみなければ分からない。
実はケインズはそんな身も蓋もないことを長々と述べているのだった。

未来が分からないから、用心動機が増える。
未来が分からないから、自分だけは損をしないようにと皆が組織された市場頼みとなってしまう。
未来が分からないから、長期予測に臨まない。
予測不可能な(予測しない)挙句、変動が多い不安定な市場を、中央銀行の金融政策だけでコントロールするのは無理だろうから、国が投資を直接まとめる責任をもっと負うべきだとケインズは主張する。
お金を回すべきところに回す責任を国が負ったほうがよいという考えである。
この考えがマクロ経済学に繋がった。

短期の変化が長期期待状態に与える影響の重要性を、金利変化とは別個に、十分に検討してきましたが、それでもやはり少なくとも通常の状況では、投資の量に決定的ではないにせよ大きな影響を与えるものとして、金利に話を戻すべきでしょう。でも、金利管理だけで適切な投資量を継続的にどこまで刺激し続けられるかは、やってみないとわかりません。
 私はといえば、金融政策だけで金利を左右できるかどうか、今ではちょっと疑問に思っています。国は資本財の限界効率を、長期的な視点で一般社会にとっての利益に基づいて計算できる立場にあるのですから、国が投資を直接まとめる責任をもっと負うべきだと私は期待しています。なぜかというと、いままで述べてきた原理に基づいて計算される、各種の資本の限界効率に関する市場推計は、変動があまりに大きすぎて、金利の現実的な変化でそれを相殺するのは無理である公算が高いからです。



日本は現在デフレ脱却と躍起になっているわけだが、デフレとは「流動性の高い貨幣が不足している状態」を言う。
違う面からみると、「物を含めた貨幣以外の財の供給が過剰(貨幣以外の財の需要不足)」ということになる。
簡単に物と貨幣の関係にすれば次のようになる。
●デフレ
 物>貨幣(物の供給が需要に対して過剰か、物に対する需要自体が不足)
 →物余りの状態なので物の値段は下がる
●インフレ
 物<貨幣(物の供給が需要に対して不足か、物に対する需要が過度に過剰)
 →物不足の状態なので物の値段は上がる

でも総需要はそれとは違う。
一定期間内に国内で産み出される物やサービスの総額をGDPと言うが、産み出したもの全てに対して需要があるわけではない。売れ残って処分したり無駄になることだって当然ある。
産み出した全てのものに対し、実際に売れたものを、総需要(有効需要)と言う。
単品の物価変動や有事など非常時には上記のようなインフレやデフレがあてはまるが、平常時に全般的な物価水準が上がると総需要は下がってしまうのだ。
要するに物の値段が上がっているからといって物不足(需要高)とは限らないのである。
物価水準が上がると、同じ金額で買えるものの量が減る。損であるという意識が働く。だから消費を控えるようになる。需要が減るということである。
また物価水準が上がると手持ちの現金では不足が生じて、貯金やら債券やらを現金化する。そういう人が増えれば(現金引き出しが増えれば)金利が上がる。金利が上がると借入コストが増えるので、企業や家計は支出を抑える方向に動く。従って物の需要は減る。

今がデフレという認識で物価水準が低いと言うのならば、総需要は上がっているはずである。
日銀や政府は物価上昇を目標にしているみたいだけれど、物価水準を上げれば今よりも総需要は下がってしまうはずなのだが。











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# by yumimi61 | 2018-01-16 14:25
2018年 01月 14日
日本国憲法の秘密-652- (外貨準備と貿易について)
組織化された市場で流動的な投機が主流になることの何がいけないのかということを二言で言えば「資本の不足」と「安定の欠如」である。
必要なところ(将来的に価値があると見込まれるところ)に返済不要な資本が行き渡らない。資本がないのだ。あっても安定したものではない。ゆえに腰を据えて創造できない。
創造なきところに待っているのは衰退であろうと思う。あらゆる意味において。
 

安定の欠如、すなわち不安定。
投機がもたらす不安定性が社会を支配すれば衰退に向かうであろう。
もう1つの不安定性は人間の気質から生まれるものであるという。
その気質をケインズはアニマルスピリット(animal spirits)と表現した。
その気質が事業(資産の寿命を通じた見込み総収益を予測する活動)を支えている一方、不安定であるがゆえに社会経済に悪影響を与えることもある。

投機による不安定性以外に、人間の天性が持つ特徴からくる不安定性もあります。人々の積極的な活動の相当部分は、道徳的だろうと快楽的だろうと経済的だろうと、数学的な期待よりは、自然に湧いてくる楽観論によるものなのです。
たぶん、かなりたってからでないと結果の全貌がわからないようなことを積極的にやろうという人々の決断は、ほとんどがアニマルスピリットの結果でしかないのでしょう――これは手をこまねくより何かをしようという、自然に湧いてくる衝動です。
定量的な便益に定量的な発生確率をかけた、加重平均の結果としてそんな決断が下されるのではありません。目論見書に書かれた内容がいかに率直で誠意あるものだろうと、事業はそれに従って動いているふりをしているだけです。将来便益の厳密な計算などに基づいていない点では、南極探検より多少ましでしかありません。
ですから、アニマルスピリットが衰えて自然発生的な楽観論が崩れ、数学的な期待以外あてにできなくなると、事業は衰退して死にます――その際の損失の恐れは、以前の利潤期待に比べて根拠の点では大差ないのですが。



長期予測は極めて困難であるという現実がある。その上、人よりも懸命に働かなければならないし、にも関わらず間違うリスクも高い。奇人変人扱いされて批判にもさらされやすい。目の前のマネーゲームの即効性やスリルや利益を諦める必要もある。
限られた生涯においてそれだけのリスクや負担を負う人間が果たしているだろうか?
普通に真面目に計算高く考えれば、そんな割の合わないことをする人間はいないのだ。でも実際にはいる。
それは数学的な期待によるものではなくて逃れようのない衝動(自然に湧いてくる楽観論)によるものである。根拠のない自信と言ってもよいかもしれない。この衝動をアニマルスピリットと呼んだ。
計算しない動物みたいに馬鹿な奴という意味にも取れるし、動物的本能とも取れる。
ところで野生の動物って計算しないんだろうか?何の計算もなしに厳しい自然の中を生き延びられるものだろうか?
飼い猫がリスクを冒してまでする必要もない狩りや縄張り争いをするようなことだろうか。それともリスクを冒してもする必要があると本能に刻み込まれているからさして理由が無いように思えてもしてしまうのだろうか。

ケインズは南極探検を引き合いに出しているが、私はこの問答を思い出す。

"Why did you want to climb Mount Everest?"
"Because it's there."

日本語ではこう訳される。

「なぜ山に登るのか?」
「そこに山があるから」

イギリスの登山家ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)に向けられた質問と彼の答えである。
エベレストはヒマラヤ山脈の1つ。エベレストという名称は測量士のジョージ・エベレストにちなんで1865年に付けられた。

北極点到達(1909年)および南極点制覇(1911年)の競争で敗れていたイギリスは帝国の栄誉を「第3の極地」エベレストの征服にかけようとしていた。第一次世界大戦の勃発によって計画は先送りになるが、戦争の終結と共に英国山岳会と王立地理学会がエベレスト委員会を組織し、ヤングハズバンドが委員長となって、ここにエベレスト遠征が具体化し始めた。
1921年、マロリーはエベレスト委員会によって組織された第1次エベレスト遠征隊に招聘された。


1922年、第2次遠征隊の一員として当時の人類の最高到達高度の記録を打ちたてたが、シェルパ7名の犠牲を出して登頂は断念。
シェルパはエベレストなどヒマラヤ登山で隊の一員として荷物運搬や案内などを務める人のことで彼ら無くしてはヒマラヤ登山は成立しないとまで言われる。ネパールの少数民族シェルパが担っている。

1924年6月の第3次遠征において、マロリーはパートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したが、北東稜の上部、頂上付近で行方不明となった。マロリーの最期は、死後75年にわたって謎に包まれていたが、1999年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見された。以来、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは、未だに論議を呼んでいる。

上の問答は第2次遠征と第3次遠征の間の1923年に行われたものである。
「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」という訳は、好きなことをするのに理由などない(冒険に理由などない)というような意味で捉えられているが、マロリーのチャレンジは政治的な背景もありそうなので単に冒険と言ってよいのかは微妙なところではある。
実際にマロリーがどのような意味で"Because it's there."と言ったのかはよく分かっていない。
では自身の経済的合理性が少なくリスクや負担ばかりが大きいことを、動物にはない知と精神を持っているはずの人間が行う理由はあるか?あるとしたら何だろうか?

ケインズはそれをアニマルスピリットと名付けた。
そして、我々の頼るべきものが数学的期待値のみとなるような場合には、企業は衰退し死滅に至るだろうとも言っている。
目先の投機ではなく、リスクを承知の上で長期的な収益を予測して投資してくれる人がいなければ企業は衰退するということである。
その大きなリスクを背負ってくれる人に欠かせないのがアニマルスピリット。

 将来に続く希望に依存した事業が、社会全体にとって有益なのは間違いないことです。でも個人の努力が適切になるのは、適切な計算がアニマルスピリットに補填支持される場合だけなのです。パイオニアたちはしばしば、最終的に損をするんじゃないかという考えに襲われます(これは経験的に私たちも彼らもまちがいなく知っていることです)が、アニマルスピリットの働きがあればこそ、健康な人が死の予想を無視するように、そうした考えも振り払えるのです。 

だからその自然発生的な楽観論の微妙なバランスが崩れれば経済に悪影響を与える。
(バランスが崩れなくとも人間には必ずや死が訪れる。それともこれまで楽観論を完全に維持できた人間がいなかっただけで、もしそれが出来れば人間も死を避けられるだろうか)

投資の見込みを推計するにあたっては、それを大きく左右するような自然発生的な活動を行う人々の不安やヒステリー、あげくはその人々の腹具合や天気に対する反応にまで、配慮が必要になるのです。

 だからといって、すべてが不合理な心理の波に左右されるのだ、と結論してはいけません。それどころか、長期期待の状態は安定していることが多いし、そうでない時も、他の要因が補正効果を発揮します。ここでは単に、将来に影響する人の決断が、個人的なものも政治的なものも経済的なものも、厳密な数学的期待には頼れないということを忘れないようにしているだけです。そんな計算のもとになるものが存在しないからです。そして世の中を動かすのは、人々の生得的な活動の衝動であり、合理的な主体というのは、各種の選択肢をできるだけうまく選ぼうとし、できるときには計算もしますが、しばしば気まぐれや感情や運に頼ってしまうのです。








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# by yumimi61 | 2018-01-14 16:42
2018年 01月 12日
日本国憲法の秘密-651- (外貨準備と貿易について)
ケインズのマクロ経済学への変化の鍵は「不確実性」だった。
ケインズはその「不確実性」をさらに強化する要因を幾つか挙げている。
その中でも特に注目すべき特徴は、平均的な民間投資家を超える判断力と知識を持った専門投資家や投機家たちも長期予想なんかしないということだそうである。
世間的な評価基準の変化を、一般大衆よりもちょっと早めに予想することにばかり血道をあげている。
結局、短期の安全を確保することに我先とエネルギーを費やしているのだ。


でもそれ以外に、主流である暇つぶしなどに惑わされず、形成できる最高のまともな長期予測に基づいて投資を購入し続ける有能な個人がいるなら、その人は絶対に大儲けできるはずだろう、と異議を唱える読者もおいででしょう。
まずお答えしておくと、そうした真面目な個人は確かにいるし、そういう人々が、ゲームをしているだけの参加者に対して強い影響力を持てるかどうかで、投資市場は大きく変わります。
でも、現代の投資市場では、そうした個人が優勢になれない要因がいくつかあることも、指摘しなければなりません。
今日では、まともな長期期待に基づく投資はあまりに難しすぎて、ほとんど実行不可能なのです。
そんなものを試みる人は、群衆よりも群衆の振る舞いをうまく当てようとする人物に比べて、ずっとがんばって働かなくてはならないし、大きなリスクも負担しなければなりません。そして知力が同じなら、ずっとひどいまちがいもしかねないのです。
経験的に見て、社会的に最も有益な投資方針が、最も儲かるものだという明確な証拠はありません。時の力と将来に対する自らの無知に打ち勝つには、他人を出し抜くよりも高い知力が必要です。まして人生は短い――人間の本性は即効性を求めますし、手早く儲けるのは独特のスリルがありますし、遙か先の収益は、一般の人はかなり高い率で割り引くものなのです。
専門投資のゲームは、ギャンブラー気質のまったくない人には、耐え難いほど退屈で、えらくやっかいなものです。でもそういう気質のある人は、その性向に対してそれなりの対価を支払わねばならないのです。さらに短期的な市場変動を無視しようと提案する投資家は、安全のためにかなり巨額の資金が必要だし、借金による運用はあまり大規模に、いやまったくやってはいけません――知力と資金力の一定ストックよりは、暇つぶしゲームからの収益が高くなるもう一つの理由がこれです。
最後に、投資ファンドが委員会や理事会や銀行に運営されている場合、公益に最も貢献してくれる長期投資家こそが、実務においては最大の批判に直面させられます。なぜなら、その長期投資家の行動の本質はまさに、平均的な見解から見ればエキセントリックで、世間に逆らうもので、無鉄砲だということだからです。その人が成功すれば、そいつが無鉄砲だという一般の信念が裏付けられるだけです。そして短期的にその人が成功しなくても(その可能性はとても高いはずです)、ほとんど同情してもらえないでしょう。現世の知恵の教えでは、世間に逆らって成功するよりも、世間に流されて失敗するほうが評判は高いのです。


ケインズは今や投資は暇つぶしのマネーゲームになっていると述べている。今やと言うのは第二次世界大戦前1936年のことである。
形成できる最高のまともな長期予測に基づいて投資する有能で真面目な個人は優勢にはなれないと言い切ってもいる。

その理由
まともな長期期待に基づく投資はあまりに難しすぎて、ほとんど実行不可能。まず、人間には未知なる遠い未来の予測はほとんど不可能という前提が重くのしかかる。遠い未来というのは1000年も2000年も先のことではなく10年先20年先のことである。

②その極めて困難な長期予測を試みようとするならば、群衆の振る舞いをうまく当てようとする専門家に比べて、ずっと頑張って働かなくてはならない必要があるし、大きなリスクも負担しなければならない。
困難な長期予測を試みようとする人物と、群衆の振る舞いをうまく当てようとする専門家の知力が同じならば、当然のことながら長期予測を試みた方がひどい間違いをする確率は高い。
それだけのリスクを負う人間が果たしているだろうか?
困難な長期予測を試みようするには高い知力が必要で、且つマネーゲームの即効性やスリルや利益を諦めなければならない。ギャンブラー気質が元々ない人はマネーゲームを好まないので即効性やスリルや利益を諦めるのは容易だが、そうでなければ目の前にあるそれを手放すにはかなりの苦痛が伴う。
投資をする人は少なからずギャンブラー気質を持っているものであるから、一度しかない限られた人生においてどのように生きるべきかという個人の人生の質にも関わる問題となる。

1989年に出版された『NOと言える日本』の中でソニー会長の盛田昭夫はアメリカの企業はM&Aのようなマネーゲームや短期的な利益確保に躍起になり、実際の商品の創造や製造力や製造の海外移転など長期的な全体生計を蔑ろにしていると述べていた。
それはまさしくそうなんだろうが、マネーゲームに参加しないことによって会社にかかってくるリスクや働き方や気質など個人の人生の質の犠牲についての解決策がなければ十分な批判とは言えないだろう。
会社の株価の下落は現実問題として金融機関からの信用の低下に繋がってしまうので、株価が下落すると資本としても融資においても調達が困難になる。
株価の下落は、市場の評価低下、金融機関からの信用低下、どちらか一方でも起こるが、株価を回復するには市場と金融機関のどちらの要素も必要である。失うことよりも回復するほうがずっと難しくなる。

③短期的な市場変動を無視しようと提案する投資家が破産しないでやっていくためにはかなり巨額の資金が必要となる。
しかしながら借金による運用はやるべきではない。
この条件をクリアできる人物はそうそういない。
よって資金を得るために同調すべきではないマネーゲームに身を投じるなんて本末転倒の事態も起こる。

⑤投資が全くの個人ではなくて、ある種の権威を持って組織だって行われる場合、公益に最も貢献してくれるはずの長期投資家こそが、実務においては最大の批判にさらされてしまう。
なぜなら、その長期投資家の行動の本質はまさに、平均的な見解から見ればエキセントリックで、世間に逆らうもので、無鉄砲だということだからです。
真面目な長期予測をする者は往々にして短期の安全を確保する者や流行に乗る者とはその言動が異なる。奇矯であり常軌を逸した奇人変人扱いされかねない。
例えその人がゆくゆく成功しても、知力や冷静な判断における成功とは見做されず、無鉄砲な変わり者だったが故の成功と信じられてしまうのだ。
短期的にその人が成功しなくても(その可能性はとても高いはずです)、ほとんど同情してもらえないでしょう。現世の知恵の教えでは、世間に逆らって成功するよりも、世間に流されて失敗するほうが評判は高いのです。


これは1936年に書かれた本によるもので、その後の世界は当時と比較にならないほど紙幣(マネー)を増大させてしまった。
それは意図的に成功や失敗をつくりだせてしまうことを意味しているので、まともな予測はケインズの時代よりも遥かに難しい。



世界最大の投資市場の一つ、つまりニューヨークでは、投機(市場の心理を予測する活動)の影響はすさまじい。金融分野の外ですら、アメリカ人たちは平均的な見解が平均的と見なす見解を見つけようとする活動に、必要以上の興味を示しがちです。そしてこの国民的な弱みの宿敵が株式市場なのです。
アメリカ人にとっては、多くのイギリス人がいまだにやるような「配当収益」を当てにした投資は珍しいのだ、と言われます。アメリカ人は、株価上昇の見込みがないと、投資商品を購入したりしません。これは言い換えると、アメリカ人が投資商品を購入するときには、見込み収益などあまり期待せず、世間的な価値評価基準が自分にとって有利に変わるのを期待しているのだ、ということです。つまりアメリカ人は、上述の意味で投機家なのです。
事業(資産の寿命を通じた見込み総収益を予測する活動)の安定した流れがあれば、その上のあぶくとして投機家がいても害はありません。でも事業のほうが投機の大渦におけるあぶくになってしまうと、その立場は深刻なものです。ある国の資本発展がカジノ活動の副産物になってしまったら、その仕事はたぶんまずい出来となるでしょう。
ウォール街という機関の適切な社会目標は、新規投資を将来収益から見て最も利益の高いチャンネルに流し込むことだと考えられていますが、それが達成した成功の度合いを見ると、自由放任資本主義の傑出した勝利とはとても呼べません——ウォール街最高の頭脳が実はまったく別の目標を目指しているのだと考える私が正しければ、これは驚くほどのことではありませんが。


アメリカではまともな長期予測をする(事業)投資家よりも、群衆の振る舞いをうまく当てようとする(投機)専門家のほうが圧倒的に多く、マネーゲームに勤しんでいると、ソニー盛田会長が言ったようなことを50年も前にケインズは述べていた。
専門家だけでなく国民の性質もそのような傾向が強いとのことである。
自分が投資した企業が利益を上げ、その配当に与ることで潤うなんて地道で悠長なことなど考えておらず、一晩で大金持ちになるようなカジノや宝くじ、要するにアメリカンドリーム的なものをいつも追い求めることが主流であるという。「一晩で大金持ちに」、そんなアメリカンドリームこそが、世界中からアメリカへ向かう大きな理由だった。


事業(資産の寿命を通じた見込み総収益を予測する活動)の安定した流れがあれば、その上に幾つかあぶく(投機家)があっても害にはならないが、これが逆転してしまうことをケインズは問題視している。
要するに主流がアメリカンドリーム狙いや群衆の振る舞いをうまく当てようとする投機になってしまうと社会にとって良いことはないということである。
ケインズは後者をカジノに例えたが、私が最近これと似たような感じに受け取れるのは観光である。
従来の事業の安定した流れに代わって国家(地域)の収益の主流を観光とするようでは社会にとって良いこととは言えないのではないだろうか。逆ならば問題はないけれども。

 こうした傾向は、見事に「流動的」な投資市場を組織したことによる、ほとんど逃れようのない傾向なのです。
通常、カジノは公共の利益からして、出入りが難しくて高価であるべきだ、とだれもが合意します。そして証券取引所もそうあるべきかもしれません。
ロンドン証券取引所が、ウォール街より罪が軽いのは、国民性の差によるのではないかもしれません。平均的アメリカ人にとってのウォール街に比べ、平均的なイギリス人にとってスログモートン街は、敷居が高くて高価だからかもしれません。ロンドン証券取引所での取引につきまとう仲買人の「上前うわまえ」、高い仲介手数料や、税務署に支払うべき高い取引税は 、市場の流動性を引き下げて、ウォール街を特徴付ける取引の相当部分を排除しているのです(とはいえ二週間決済口座
(訳注:取引の決済を二週間後にやればよいという口座。決済までの期間が長いので投機にも追懐安い。このため最近廃止された。)の慣行はこの正反対に機能しますが)あらゆる取引に政府が高い取引税をかければ、アメリカで事業よりも投機が圧倒的だという状況を緩和する改革として、きわめて有効かもしれません。

組織化された市場で流動的な投機が主流になることの何がいけないのかということを二言で言えば「資本の不足」と「安定の欠如」である。
必要なところ(将来的に価値があると見込まれるところ)に返済不要な資本が行き渡らない。資本がないのだ。あっても安定したものではない。ゆえに腰を据えて創造できない。
創造なきところに待っているのは衰退であろうと思う。あらゆる意味において。

「金は天下の回り物」という言葉があるがお金は回さなければならない。
何故か?必要なところにお金を回すためである。その方法には資本と消費がある。
限られたお金が必要のないところにいつまでも淀んでいたのでは困る。創造に繋がらない。社会や未来のことを考えればそういうことになる。
お金を貯め込むことの社会的な危険は昔から言われていることである。

ケインズはそれにプラスして貯め込まなくても投機という回し方は同じような結果を生んで危険であると言っている。

限られたお金が回らないという事態に世界がした対応は新たにお金を作り出すということであった。増幣での対応。
増幣したのだから経済規模が大きくなるのは当然のこと。創意工夫とかではなくて極めて単純な話。
戦争が始まればこれが著しくなる。
これまで世に出たお金が必要なところに回っていかないと戦争に勝てないので新しいお金を作ってそれを回そうとするわけだ。
しかしどんな形であってもお金が一旦世に出ればお金は簡単にコントロールできなくもなる。お金をコントロールするということは人をコントロールするということに他ならないからだ。
結局投機をこれまで以上に膨れ上がらせる結果を招いた。





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# by yumimi61 | 2018-01-12 15:07
2018年 01月 12日
日本国憲法の秘密-651- (外貨準備と貿易について)
ケインズのマクロ経済学への変化の鍵は「不確実性」だった。
ケインズはその「不確実性」をさらに強化する要因を幾つか挙げている。
その中でも特に注目すべき特徴は、平均的な民間投資家を超える判断力と知識を持った専門投資家や投機家たちも長期予想なんかしないということだそうである。
世間的な評価基準の変化を、一般大衆よりもちょっと早めに予想することにばかり血道をあげている。
結局、短期の安全を確保することに我先とエネルギーを費やしているのだ。


でもそれ以外に、主流である暇つぶしなどに惑わされず、形成できる最高のまともな長期予測に基づいて投資を購入し続ける有能な個人がいるなら、その人は絶対に大儲けできるはずだろう、と異議を唱える読者もおいででしょう。
まずお答えしておくと、そうした真面目な個人は確かにいるし、そういう人々が、ゲームをしているだけの参加者に対して強い影響力を持てるかどうかで、投資市場は大きく変わります。
でも、現代の投資市場では、そうした個人が優勢になれない要因がいくつかあることも、指摘しなければなりません。
今日では、まともな長期期待に基づく投資はあまりに難しすぎて、ほとんど実行不可能なのです。
そんなものを試みる人は、群衆よりも群衆の振る舞いをうまく当てようとする人物に比べて、ずっとがんばって働かなくてはならないし、大きなリスクも負担しなければなりません。そして知力が同じなら、ずっとひどいまちがいもしかねないのです。
経験的に見て、社会的に最も有益な投資方針が、最も儲かるものだという明確な証拠はありません。時の力と将来に対する自らの無知に打ち勝つには、他人を出し抜くよりも高い知力が必要です。まして人生は短い――人間の本性は即効性を求めますし、手早く儲けるのは独特のスリルがありますし、遙か先の収益は、一般の人はかなり高い率で割り引くものなのです。
専門投資のゲームは、ギャンブラー気質のまったくない人には、耐え難いほど退屈で、えらくやっかいなものです。でもそういう気質のある人は、その性向に対してそれなりの対価を支払わねばならないのです。さらに短期的な市場変動を無視しようと提案する投資家は、安全のためにかなり巨額の資金が必要だし、借金による運用はあまり大規模に、いやまったくやってはいけません――知力と資金力の一定ストックよりは、暇つぶしゲームからの収益が高くなるもう一つの理由がこれです。
最後に、投資ファンドが委員会や理事会や銀行に運営されている場合、公益に最も貢献してくれる長期投資家こそが、実務においては最大の批判に直面させられます。なぜなら、その長期投資家の行動の本質はまさに、平均的な見解から見ればエキセントリックで、世間に逆らうもので、無鉄砲だということだからです。その人が成功すれば、そいつが無鉄砲だという一般の信念が裏付けられるだけです。そして短期的にその人が成功しなくても(その可能性はとても高いはずです)、ほとんど同情してもらえないでしょう。現世の知恵の教えでは、世間に逆らって成功するよりも、世間に流されて失敗するほうが評判は高いのです。 」

ケインズは今や投資は暇つぶしのマネーゲームになっていると述べている。今やと言うのは第二次世界大戦前1936年のことである。
形成できる最高のまともな長期予測に基づいて投資する有能で真面目な個人は優勢にはなれないと言い切ってもいる。

その理由
まともな長期期待に基づく投資はあまりに難しすぎて、ほとんど実行不可能。まず、人間には未知なる遠い未来の予測はほとんど不可能という前提が重くのしかかる。遠い未来というのは1000年も2000年も先のことではなく10年先20年先のことである。

②その極めて困難な長期予測を試みようとすれば、群衆の振る舞いをうまく当てようとする専門家に比べて、ずっと頑張って働かなくてはならない必要があるし、大きなリスクも負担しなければならない。
困難な長期予測を試みようとする人物と、群衆の振る舞いをうまく当てようとする専門家の知力が同じならば、当然のことながら長期予測を試みた方がひどい間違いをする確率は高い。
それだけのリスクを負う人間が果たしているだろうか?
困難な長期予測を試みようするには高い知力が必要で、且つマネーゲームの即効性やスリルや利益を諦めなければならない。ギャンブラー気質が元々ない人はマネーゲームを好まないので即効性やスリルや利益を諦めるのは容易だが、そうでなければ目の前にあるそれを手放すにはかなりの苦痛が伴う。
投資をする人は少なからずギャンブラー気質を持っているものであるから、一度しかない限られた人生においてどのように生きるべきかという個人の人生の質にも関わる問題となる。

1989年に出版された『NOと言える日本』の中でソニー会長の盛田昭夫はアメリカの企業はM&Aのようなマネーゲームや短期的な利益確保に躍起になり、実際の商品の創造や製造力や製造の海外移転など長期的な全体生計を蔑ろにしていると述べていた。
それはまさしくそうなんだろうが、マネーゲームに参加しないことによって会社にかかってくるリスクや働き方や気質など個人の人生の質の犠牲についての解決策がなければ十分な批判とは言えないだろう。

③短期的な市場変動を無視しようと提案する投資家が破産しないでやっていくためにはかなり巨額の資金が必要となる。
しかしながら借金による運用はやるべきではない。
この条件をクリアできる人物はそうそういない。
よって資金を得るために同調すべきではないマネーゲームに身を投じるなんて本末転倒の事態も起こる。

⑤投資が全くの個人ではなくて、ある種の権威を持って組織だって行われる場合、公益に最も貢献してくれるはずの長期投資家こそが、実務においては最大の批判にさらされてしまう。
なぜなら、その長期投資家の行動の本質はまさに、平均的な見解から見ればエキセントリックで、世間に逆らうもので、無鉄砲だということだからです。
真面目な長期予測をする者は往々にして短期の安全を確保する者や流行に乗る者とはその言動が異なる。奇矯であり常軌を逸した奇人変人扱いされかねない。
例えその人がゆくゆく成功しても、知力や冷静な判断における成功とは見做されず、無鉄砲な変わり者だったが故の成功と信じられてしまうのだ。
短期的にその人が成功しなくても(その可能性はとても高いはずです)、ほとんど同情してもらえないでしょう。現世の知恵の教えでは、世間に逆らって成功するよりも、世間に流されて失敗するほうが評判は高いのです。

これは1936年に書かれた本によるもので、その後の世界は当時と比較にならないほど紙幣(マネー)を増大させてしまった。
それは意図的に成功や失敗をつくりだせてしまうことを意味しているので、まともな予測はケインズの時代よりも遥かに難しい。










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# by yumimi61 | 2018-01-12 15:07
2018年 01月 08日
one's time
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Although the world is full of suffering, it is full of the overcoming of it.
-Helen Keller

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# by yumimi61 | 2018-01-08 23:05
2018年 01月 07日
日本国憲法の秘密-650- (外貨準備と貿易について)
人間の力の及ばないところで繰り返されるもの、例えば人間の寿命や天気、ルーレットが止まる場所など。そういうものには一定の確実性がある。ある種の普遍性と不変性を併せ持つ。
過去の繰り返しを観察したり、実際に繰り返しを試してみることで、法則や確率を見出すことが出来る。

しかし人間が決めること、特にその未来についてはほとんど分からない。
計算可能な数値確率を構成する科学的基礎が何もない。
人間というものはそれくらい移り気な生き物であり、それくらい無知で悪い意味での適当なのだ。
分からないことは分からないと、出来ないことは出来ないと、言えばいいのに何故か言いたがらないのが人間でもある。
ケインズは言う。

「私たちは単純に知らないのである。
それにもかかわらず、我々は実務家として何らかの行為と意思決定をする必要に迫られる以上、この不都合な事実から目を背けることを余儀なくされる。そして、一連の利益不利益の将来見通しをベンサム流に計算し、それに適当な確率を乗じて加重総計したものを、さも事実であるかのように振舞わなければならない。」


そのような環境の中で合理的な経済人としてのメンツを保つように行動する必要がある。
我々はその目的のために多くの技術を考案してきており、そのうち最も重要なものは次の3つである。


(1)過去の経験を客観的に検討することによって過去の経験が将来のガイドになっていたことを示すよりも、現在のほうが遥かに役に立つ将来のガイドであると想定する。

人間の寿命や天気、ルーレットが止まる場所など過去の繰り返しを観察したり実際に繰り返しを試してみることで法則や確率を見出すことよりも、今現在見られる現象が将来のガイドとして何より重要であると思わせるということ。
連続性や規則性を無視した単発的、散発的、偶発的、一元的な「現在」を重要視する。
STAP細胞騒動なんかはまさにその典型的な例となるであろう。
例えそれが将来においてどんなに重要な事柄であっても、今現在眼中にないもの、焦点を合わせていないもの、フレームに入っていないもの、知らないものについては、ガイドとして取り上げられず平然と無視されるのである。
<私的な一例>NOEL

(2)価格の現在の状態や現存する産出物の性格に表現されているような産出物に対する評価が将来の展望を加味した正しい集計に基づいていると想定する。

現存する産出物の性格(性質)、価格、将来の見通しを疑うことをせず、そのまま受け入れてしまう。現存する産出物の見方や評価が誤っていても気付かず、修正されることもない。
またより適切なものや新しいものがあったとしても目に入って来ない。

(3)個人的判断に価値がないことを知りつつ、自分よりもよりよく情報を得ている自分以外の世界の判断を拠り所とする。つまり、私たちは、多数派または平均の行動に従おうと努力する。

無知であり、何かを判断するにはどこにも足りない知識しか持たず、多くの場合、個人的判断には価値がない。
にも関わらずというべきか、自分の判断に価値がないと自覚しているからというべきか、ともかく自分以外を拠り所にする。多数派や平均、権威などに積極的に乗るのである。
(個人的判断に価値がないのに、この人の言うことは間違いないと判断して頼るとは、なんともパラドックス的ではないか!)
これが不確実の中に確実性を生む要因となる。


これら3つの原理に基づく将来についての実践的理論は、一定の特徴ある性格を帯びる。とりわけ、きわめて薄弱な基礎に基づいているので、それは突然の暴力的な変化にさらされる。静謐と不動性、確実性と安全保障の実践が突然崩壊する。新しい恐れと希望が、予告なしに、人間行動をつかまえるだろう。幻滅の力が突然新しい型にはまった価値評価基準をおしつける。よい羽目板を用いた会議室と適切に規制された市場のために作成された、これらすべての丁寧な技術は崩壊しやすい。いつも、漠然としたパニックの恐れと、等しく漠然とした不合理な希望が、実際には和らぐことなく、すぐ表面下に隠れている。

 おそらく読者は、人類の行動に関するこの一般的、哲学的な論考がいま議論している経済理論からやや離れていると感じるだろう。しかし、私はそうは考えない。これは私たちが市場でどのように行動するかであるとしても、私たちが市場でどのように行動するかという研究の中で私たちが考案する理論は、市場の偶像に捧げられるべきではない。


ある意味においてはケインズのマクロ経済学も突然の暴力的な変化だったのかもしれない。
静謐と不動性、確実性と安全保障の実践が突然崩壊し、新しい恐れと希望が予告なしに人間行動を捉え、古典経済学(自由主義)に対する幻滅の力がマクロという新しい型にはまった価値評価基準を押しつけ出した。
そのマクロ経済学は大成功した。ケインズは経済学に革命を起こし、世界経済や社会における政府の役割についての見方を変えてしまった。
将来的な結果はどうであれ、それがブームになりスタンダードになったということはケインズの考え方や見立てが間違えていなかった証拠であるだろう。


ケインズの変化と革命の鍵は「不確実性」だった。
ケインズは「不確実性」をさらに強化する要因を挙げている。
不確実から確実が生み出せるならば、不確実性の強化は確実性の強化に繋がってしまうはずである。
確かさへの裏付けが何もないのに確実性を獲得してしまうのだ。
1人の人間の一生に限界があっても時が連続していくことを思えば、その弊害がないわけがない。

(1)社会の総資本投資の中で、実際にその投資物件を管理運用せず、その状況について、現状だろうと見通しだろうと何ら特別な知識を持たない人が所有するエクイティ部分がだんだん増えてきました。その結果として実際に投資物件を所有したり、買おうとしたりする人が評価するときに、本当の知識に基づく部分は深刻に減っています。

例えば1つの株式会社がある。経営者と株主は違う。投資者である株主は実際に会社を管理したり事業を行ったりはしない。だから何ら特別な知識を持たない人が会社の株主(所有者)になれてしまう。
エクイティ部分というのは返済の必要がない資本のことである。それを出すのが株主。
銀行からお金を借りたら返す必要がある。融資を商いとし返してもらう必要のある銀行は通常、会社の財務状況や経営状態を厳しくチェックした上で融資する。返済の必要がない資本とは一線を画す。
ケインズは1936年に、社会全体、本当の知識に基づく投資が深刻に減っていると述べている。

(2)既存投資の利潤は日々変動しますが、明らかにつかみどころのない、どうでもいい性質の変化もあります。それが市場に対して全体的に過剰でばかばかしいほどの影響を持ってしまいがちです。たとえば、アメリカの製氷企業は、だれも氷を買わない冬よりは、季節的に利潤の高い夏のほうが株価が高いとか。祝日が続くと、イギリス鉄道網の市場評価額は数百万ポンドも上がってしまいます。

誰も氷を買わない冬より季節的に利潤の高い夏のほうが製氷企業の株価が高くなることが、明らかにつかみどころのない、どうでもいい性質の変化ならば、昨今の株式市場なんてまさにつかみどころのない、どうでもいい性質で成り立っている。
企業や投資に対する評価が季節や日時といった取るに足らない目先の需給の変化をもとに行われているということを言いたいのであろう。

(3)多数の無知な個人の群集心理の結果となる世間的な評価は、見込み収益に対して影響しない要因により意見がいきなり変動したら、激しく変動しかねません。そうした評価を安定に保つような、確信の強い根っこがないからです。特に異常時には、状況が絶対に変わると予想すべき明確な根拠がなくても、現状がいつまでも続くという仮説が説得力を失い、市場は楽観論と悲観論の波に翻弄されます。これには何の理屈もなく、でもまともな計算のための確固たる根拠がなければ、ある意味で適正なものとも言えるのです。

多数の無知な個人の群集心理の結果となる世間的な評価は、不確実でありながら安定性と継続性を保ち、確かな裏付けはなくともある種の確実性を獲得してしまう。
世間的な評価はプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。
見込み収益に対して何ら影響しない要因であっても、その世間的な評価が企業の株価を暴落させる要因になり得る。集団心理にはそれに抗う強い根っこ(確信)がないのでずるずるとマイナス方向に引っ張られていく。
プラスに働く時にもマイナスに働く時にも明確な根拠の無さは同じなので、ある意味バランスが取れていて適正だという話。(でも同一企業でバランスが取れているわけではないので引いて見ると適正ではない)

(4)平均的な民間投資家を超える、判断力と知識を持った専門エキスパートたちの競争によって、自前の無知な投資家の気まぐれなど矯正されるだろうと思うかもしれません。
でも実は、専門投資家や投機家たちのエネルギーや技量は、主に別のことに向けられているのです。というのもこうした人々のほとんどは、実は投資の寿命全体にわたる、見込みの高い収益の長期予測を改善しようなどとは思っていないのです。むしろ世間的な評価基準の変化を、一般大衆よりもちょっと早めに予想することにばかり血道をあげているのです。
彼らはその投資が、それを「持ち続ける」ために買う人にとっていくらの価値かなど気にせず、大衆心理の影響下で、市場がそれを三ヶ月後とか一年後にいくらだと評価するか、ということを気にしています。さらに、この行動は何かまちがった性向の結果というわけではありません。これまで説明したような線で組織された投資市場の、不可欠な結果なのです。というのも、見込み収益を見て 30 の価値はあると思った投資であっても、三ヶ月後の市場がそれを 20 にしか評価しないと思えば、その投資に25を出すのは筋が通らないからです。ですから専門投資家は、体験的に市場の大衆心理に大きく影響しそうな来るべき変化を、ニュースや気運から予測することに専念するしかありません。


これが特に注目すべき特徴であるという。
平均的な民間投資家を超える判断力と知識を持った専門投資家や投機家たちも長期予想なんかしないということである。
世間的な評価基準の変化を、一般大衆よりもちょっと早めに予想することにばかり血道をあげている。
結局、短期の安全を確保することに我先とエネルギーを費やしているのだ。

技能の高い投資の社会的な狙いは、未来を包む時と無知の暗黒{力} {フォース}を打破することであるべきです。でも今日の高技能投資が持つ実際の私的な狙いとは、アメリカ人たちがいみじくも言う「出発合図を出し抜く」、つまり群衆を出し抜いて、悪い、価値の下がるババを他の連中に押しつけることなのです。
投資の長期にわたる見込み収益を予測するのではなく、ほんの数ヶ月ほど先の世間的な価値評価の基盤を予測するという知恵比べは、専門投資家というタカの餌食になるためのカモが世間にいる必要せありません――専門家同士でできるゲームなのです。また、世間的な価値評価基準が、まともな長期的有効性を持つなどというおめでたい信念を、だれかが抱き続けている必要さえありません。なぜならそれは、いわばスナップ遊び、ババ抜き、椅子取りゲームのようなものだからです。早過ぎもせず遅過ぎもしないタイミングで「スナップ」と言った者の勝ち、ゲーム終了までにババを隣の人にまわせば勝ち、音楽が止まったときに自分の椅子が確保できれば勝ち。こうしたお遊戯は、熱心に楽しく遊べますが、でも参加者全員が、ババがまわっていることは承知しているし、音楽が止まったら誰かは椅子なしになることも知っているのです。









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# by yumimi61 | 2018-01-07 14:38
2018年 01月 04日
日本国憲法の秘密-649- (外貨準備と貿易について)
不確実であまりあてにならない、あるいは真面目な計算でもよいけれども、そうした個々の期待(予測)で行動するのではなくて、株価という平均的な、あるいは誰かが意図的に操作した評価をもとに行動するのである。
自ら動いているようでいて実は動かされているのだ。それを外力と言ってもよいかもしれない。


そんな外力が何故生まれるかと言えば、日々刻々と証券取引所が企業(すでに行われた投資)を再評価し株価を付けているから。
ではどうやって再評価しているのか?

ケインズが1936年に刊行した『雇用・利子および貨幣の一般理論』より
実際の世界では、人々は一般に、実際にはただの慣習でしかないものにすがろうと暗黙に合意しています。その慣習の本質――ただしそれはもちろん、そんなに単純には決まらないのですが――は、変化を予想すべき具体的な理由がない限り、現状が無限に続くと想定することです。これは別に、現状が無限に続くと人々が本気で信じているのだ、という話ではありません。広範な経験からして、そんなことがあり得ないのはみんな知っています。長期にわたる投資の実績は、当初の期待と一致することはほとんどありません

現状が無限に続く、そんなことは在り得ないと皆知っている。
人々は永遠を本気で信じているわけではない。
でも未知なる未来は予想できないので(どうやって変わっていくのか予想できる確固たる理由は少ないので)、現状が続くと暗黙のうちに想定している。
だから当初の期待が実績と一致することはまずない。


また、無知な状態にある人にとっては、どちらの方向へのまちがいも同じくらいの可能性があるので、等確率に基づく平均の発生確率的期待は現状のままに落ち着くのだ、という議論で行動を合理化することもできません。
簡単に示せることですが、無知状態にあるから数学的に等確率だという想定は、ばかげた結果につながります。それは要するに、既存の市場による値付けはどんな方法で導かれたものだろうと、投資収益に影響する事実に関する既存知識との関連において一意的に正しい、と想定していることになります。そして、それがこの知識の変化に比例してのみ変わるのだ、という想定もあることになります。
でも哲学的にいえばこれが一意的に正しいはずはありません。既存の知識は数学的な期待計算に十分な基盤を提供しないからです。実際問題として、市場価格には見込み収益と何ら関係のない考慮事項が山ほど入り込んでくるのです。


多くのことは既存の知識だけではどこにも足りない。そんな無知な状態にあり予想も計算も出来ないのに、どうやって投資市場は企業を評価しているのか?

とはいえ、上の習慣的な計算手法は、人々が習慣を維持するとあてにできる限り、かなりの継続性と安定性と一貫性を持つものではあります。

というのも、組織化された投資市場があって、その習慣維持があてになるなら、投資家としては自分の抱える唯一のリスクが、目先の将来に関するニュースの大きな変化だけだという考え方を積極的に抱いてかまわないからです。そうした変化が起きる可能性は、投資家自身が見積もってみることもできますし、どのみちあまり大きくないでしょう。習慣が成立し続けると想定するなら、投資価値を左右するのはそうした変化だけなので、自分の投資の十年後の価値がわからなくても、眠れないほど心配だったりはしません。ですから個別の投資家にとって、その投資は短期ではそこそこ「安全」になります。したがって習慣が続くと多少なりともあてにできて、判断を改定して投資を変える機会があるなら、その短期をいくらでも積み重ねたところでやはり安全ということになります。社会全体にとって「固定」の投資が、こうして個人にとっては「流動的」にされてしまうのです。


組織化された投資市場があり、そこでの習慣を維持することに対して暗黙の了解があり、その習慣があてになると皆が思っている。
要するに誰も疑わない集団。皆が同じ考えを持つ集団。数字や言われたことを鵜呑みにする集団。はみ出すものがおらず、皆が同じことをするという前提にある。だから継続性と安定性を持つ。
リスクは目先の将来に関するニュースの大きな変化だけだと思い込んでいる。それらがもっと先に及ぼしていく影響、遠い未来には目を瞑っている。
投資は本来、何かを緻密に予想したり、何かを強く信じたりして行われるべきものである。どんな結果が出ようが、その結果を引き受ける覚悟が投資家には必要である。
でも実際の投資家はそんなことしない。自分がリスクから逃れるためにコロコロと判断を変えてしまう。短期の安全を確保することに必死となり株価に一喜一憂し売り買いする。個人的に短期の安全を積み重ねているだけ。
人は必ず死ぬ。永遠でないことを知っている。だから自分の生涯だけ安全を保てればよいのだ。たとえそれが社会にとって未来にとって益でなくとも。


投資市場は論理的な必然性を必要とせず各々が自分勝手に振る舞っている世界である。
要するに結局「不確実」な世界なのである。
ケインズはその「不確実さ」がもたらす問題があると述べている。

でも習慣は、物事がこれほど恣意的であることを考えれば、それなりの弱点があってもおかしくありません。こうした不確実な部分が、投資を十分確保できないという現代の問題に、かなり貢献しているのです。

ケインズはこの1936年に刊行した『雇用・利子および貨幣の一般理論』が有名であるが、その15年前の1921年に『確率論(蓋然性論)』(A Treatise on Probability )を出版している。
どちらも超難解な本と言われている。
でも簡単に言えば、1921年には確率(起こりそうなこと)に注目して不確実であることを述べ、1936年には不確実(分かり得ないこと)に注目しマクロ経済理論を展開し経済政策を語った。

――散歩に出掛ける。雨が降る公算のほうが大きいだろうか、それとも小さいだろうか。はたまた降る公算と降らない公算とは同じくらいだろうか。――

散歩に傘を持っていくかどうかは、論理的な必然性を必要とせず各々が自分のしたいようにすればよいことであると1921年のケインズは言う。
雨が降る確率や降らない確率を数値にすることにどれほどの意味があるのかとさえ考えている。それはもっともである。確率に「100%確実」は存在しないのだから。確率が何%であっても結局傘を持っていくかどうかは自分で決めるしかない。

天気と傘の例は一例に過ぎないが、1921年頃のケインズはどちらかと言えば判断は個人に委ねたほうがよいという考えだったであろうと思う。
自由放任主義の古典派に通じる部分がある。
市場(民間)が引っ張って驚異的発展を遂げたドイツが第一次世界大戦に敗れ、戦勝国が「完全なるドイツ潰し」とも思えるような多額の賠償金を課した時代に、イギリス人のケインズはそう思っていたのだ。
ところがドイツがナチス政権となり景気回復した後の1936年頃になると国が音頭をとったほうがよいという考えに変わっている。
その変化の鍵となっているのは「不確実」である。

不確実であると分かっているが故に論理的な必然性を必要とせず各々が自分勝手に振る舞っている不確実な世界。
自分のリスクを回避するために、組織化された集団に身を委ね、そのルールや習慣に従いながら、短期の安全を追い求め積み重ねていく。
そこに生じる継続性と安定性は、言い方を変えれば「確実性」となる。
要するにケインズは不確実であるが故にコントロールが可能となることを学んだのではないか。不確実から確実が生み出せるということである。


『雇用・利子および貨幣の一般理論』を出版した翌年、ケインズは難しいと言われたこの本の解説を論文にて自ら行った。
そこでも不確実について説明している。

ケインズによる『一般理論』の解説(1937年論文)
私は不確実という言葉で、確実な事柄と蓋然的(確率的)な事柄とを単に区別するつもりはない。
この意味においてルーレット・ゲームは不確実ではない。
手持ちのヴィクトリー債(戦時国債)の展望も不確実ではない。
人間の寿命は僅かに不確実であるにすぎない。
天候でさえ適度に不確実であるにすぎない。
不確実という用語は、ヨーロッパに戦争が勃発する見通しが不確実であるとか、20年後の銅価格や利子率が不確実、あるいは新しい発明の退行、あるいは1970年の社会システムにおける資産家の地位は不確実であるといったような意味で用いる。
これらの事柄については計算可能な数値確率を構成する科学的基礎が何もない。私たちは単純に知らないのである。
それにもかかわらず、我々は実務家として何らかの行為と意思決定をする必要に迫られる以上、この不都合な事実から目を背けることを余儀なくされる。そして、一連の利益不利益の将来見通しをベンサム流に計算し、それに適当な確率を乗じて加重総計したものを、さも事実であるかのように振舞わなければならない。


確実の反対が不確実であるという単純な話ではない。
不確実=蓋然性(確率)でもない。
リスクが高いことを不確実というのでもない。
ルーレットの玉はあなたが思った通りの場所には止まらないかもしれない。それを賭けに使えばリスクがあるということになる。
でもルーレットの玉がどこに止まるか、その組合わせは確率的に決まっている。
確率の出せるものは不確実なものではない。
国債は下限価格は0円。上は青天井ではあるが、過去の経験からしておおよその変動幅は決まっている。
そこから大きく外れることはそれほど多くない。確率を出そうと思えば出せなくもない。
また自分が国債を買った以降の国家の状態、現在や近い将来の国家の状態というのは様々なことから判断できる。
リスクはあるが国の債券でもあるし、まるで不確実ということはない。
しかしながら20年後の銅価格や利子率といった細かな数値や、33年後の社会システムがどうなっているかなんてことはまるで見当がつかない。
こういうものを「不確実」というのだと説明している。

注目するのは、ヨーロッパに戦争が勃発する見通しが不確実と述べたこと。
ケインズはドイツ発の戦争がヨーロッパに勃発することを政治経済の状態からある程度予想していたのではないかと私は思う。
但しそれはとてつもなく遠い未来ではなく近い未来の予想であるから可能だった。
自分のリスクを回避するために、組織化された集団に身を委ね、そのルールや習慣に従いながら、短期の安全を追い求め積み重ねていく。
そこに生じる継続性と安定性は、言い方を変えれば「確実性」となる。

戦争前のナチスは短期間で頭角を現してきたヒトラーの下で景気を回復して、1936年のベルリンオリンピックでその力を世界に誇示し、ドイツ国民から熱狂的な支持を得ていた。

それにも関わらずケインズは「ヨーロッパに戦争が勃発する見通しは不確実」であると言った。
それは彼の勘や洞察力から導き出せるものであって戦争が起こる確率が何%と計算できるものではないからだ。
客観的な数字で示せるような頻度や機会の大きさではないものの、完全なる主観でもない。
客観的事実に裏付けされた主観とでも言おうか。
先に書いたように不確実の中から確実性を生み出すことも出来るし、ケインズのように不確実の中の確実性を察知することが出来るのもまた事実であろう。









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# by yumimi61 | 2018-01-04 16:45
2018年 01月 04日
他力本願
A strike disrupted the postal system...!?

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# by yumimi61 | 2018-01-04 01:39
2018年 01月 02日
2018
喪中のため新年の御挨拶は控えさせていただきます。

Basically a person who has had a death in the family have to avoid holding celebrations in one year.
This is a Japanese conventional culture called "Mochu(喪中)".
The family is in a mourning period, so happy greetings(New Year's postcards;Nengajo) shall not be sent out.
There is the custom of sending a ”mourning postcard” within the year instead of that.
In recent years the custom of sending New Year's postcards has become less popular among young people, though.



大晦日にテレビ東京で放送した『東急ジルベスターコンサート』のことを書きましたが、私の母はテレビ東京の『昼めし旅 ~あなたのご飯見せてください~』という番組が好きでよく見ています。
私に「トロンボーンの名手」と書いた色紙をくれた小学校時代の先生の奥さんがその番組に出たことがあるんだそうです。奥様は保育園の園長先生だった方なのですが。
「で、何を作ったの?」と母に尋ねたところ、何も作らなかったということでした(笑)





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# by yumimi61 | 2018-01-02 15:38